33.昔は
「エステル。王国騎士団の前総長、ベルナール様だ」
「初めまして。バシリオ・ベルナールと申します」
バシリオ・ベルナール――名前だけは聞いたことがあるが、実際にお会いできるとは思ってもいなかった。
正確には先先代の総長で、かなりお年を召している。堂々たる威厳のある騎士らしい方――というよりは、柔和な好々爺といった風である。
バシリオ様は目尻を柔らかく下げて、挨拶をする私たちをじっと見つめた。
「現役時代にリュカ君に出会うことは叶いませんでしたが、噂はかねがね聞いておりますよ。剣の腕もさることながら、身分を鼻にかけず、広く人望のある好青年だと」
「勿体ないお言葉です」
「騎士たる者、家庭には大きな安らぎを求めるものです。奥様も今後はリュカ君の支えとなって――」
「あら、バシリオじゃないの?」
バシリオ様の言葉を遮ったのは、ブランシュ様の声だった。
「これはこれは、ブランシュ様。いらしていたとは存ぜず、ご挨拶が遅れました」
「まだまだ元気そうだね、バシリオ」
お二人の親しげな様子に私はリュカを見たが、彼も首を傾げていた。ブランシュ様がバシリオ様と知り合いだったのは知らなかったようだ。
「失礼ですが、祖母とはどのようなご関係で……?」
「私が駆け出しの騎士だった頃、ケーストリデン家に入られたばかりのブランシュ様と交流がありましてね。いやぁ、お懐かしい限りです」
若い頃のブランシュ様を知っている――何か有益な情報は得られないだろうかと、私は一歩前に出た。
「お若い頃のブランシュ様は、どのような方だったのですか?」
「それはそれは、今と変わらず気の強い方でしたよ」
ねぇ、とバシリオ様が笑顔を向けると、ブランシュ様は怒ったような、それでいてどこか茶目っ気のある顔でバシリオ様を睨んだ。
「それにとても、美しかった。あ、いや……今も変わらずお美しいのですが、あの頃はそれはもう、本当に」
「気を遣わないでおくれ。今は見ての通り、しわくちゃの婆さんなんだから」
少しだけ陰を含んだ目で、ブランシュ様は笑った。
「確か、今リュカ君たちが暮らしているお屋敷に、ブランシュ様も住んでおられたはずですよ」
「ええ……そうね。もう半世紀近く前の話だわ」
私は驚いて目を見開いた。
長く使われていなかった公爵家だとは聞いていたけれど、まさか前の住人がブランシュ様だったとは初耳である。
「しばらく王都に滞在されるのでしたら、是非ゆっくりとお茶でもいたしましょう、ブランシュ様」
「ええ、約束よ」
差し出されたバシリオ様の手を、ブランシュ様はそっと握り返した。その手を、私はなんともいえない気分で見つめていた。
⭐︎
その日の夜、私は鏡台の前に腰掛けて、寝る前の肌の手入れに勤しんでいた。
クリームを塗って、入念なマッサージを施す。パックをしている間に、髪も丁寧にブラッシングする。これを毎日繰り返している。怠らなければ、ずっと私は綺麗でいられる――どこかで、そう信じているからだ。
でも私も、歳を重ねるとブランシュ様のようになってしまうのだろうか。髪を引っ詰め、大地に紛れるような地味な色のドレスを好み、若さに嫉妬して醜い顔をするようになるのだろうか。
鏡の中の自分を見つめ、そんな歳の取り方はしたくないと、首を振って不安を振り払った。
……そう言えば、この屋敷にブランシュ様が住んでいたということは、もしかしたらこの化粧台は、昔のブランシュ様が使っていたものなのだろうか。
引き出しを開けて、どこかにその痕跡はないだろうかと探してみたが、そんなものは見つけられなかった。
漠然とした不安が胸に残ったまま、私はベッドの中へと潜り込む。目を閉じると、バシリオ様と握手をしたブランシュ様の手が瞼の裏に甦ってきた。
「……馬鹿みたい」
くすんだ色のドレスに、控えめなアクセサリーを身につけていたブランシュ様。けれど爪だけは、初々しいバラを思わせる、仄かなピンク色を塗っていた。
ブランシュ様は、どういう気持ちでマニキュアを選んだのだろう。服装にも化粧にも、全く似合っていなかったピンク色を、なぜ選んだのだろう。美しかったと賞賛される女性が、何故あんな風に歪んでしまったのだろう――頭の中で、答えの出ない疑問が悶々と湧き上がってくる。
そして――夜が明けた。




