30.嫁いびり
――客室に案内すると、ブランシュ様は荷物の整理をするからと言って私を下がらせた。その隙にここで一番古株の侍女を呼んでブランシュ様について尋ねてみたが、今はケーストリデン領の静かな土地で暮らしているという情報しか得られなかった。
まだ使用人たちを完全に懐柔できていないうちに、新たな問題が発生してしまった。リュカに心配をかけない為にも、早急にブランシュ様に取り入らねばならない。
「ブランシュ様。お紅茶がお好きだとおっしゃっていましたので、ダージリンをご用意しました」
「……不味いお茶だね。よくもまぁ、こんな不味いお茶が飲めるもんだ」
……
「ブランシュ様。よろしければ、リュカの幼い頃のお話をお聞かせくださいませ」
「はっ。そんな話もしてもらっていないのかい? 愛されていない証拠だね」
……この――
「ブランシュ様。屋敷のカーテンを一新したいと考えているのですが、どのような柄が良いかお知恵をお貸し願えますか?」
「そんなこと、自分の頭で考えな」
――クソババア!!
私は自室に戻り、クッションに固い拳を何度も叩き込んだ。
薄々感じてはいたけれど、ケーストリデン家の人間には、これまで私が培ってきた笑顔や打算が通じない。それでも、ここまで純度の高い悪意で反撃されることは、これまでなかった。
「これが噂の、嫁いびりというやつなのね……!」
私には縁のない話だと思っていたのに。
ギリギリと歯を食いしばっていると、バタバタと廊下を駆ける音がして、忙しなく扉が叩かれた。
「エステル、いるか?」
「リュカ……!」
報せを受けて、急いで帰ってきたのだろう。髪も服も乱れたリュカが、扉の向こうに立っていた。
「リュカ、ブランシュ様が――」
「悪い。事前に知らせもなく来るとは思わなかった……」
「暫くの間、滞在なさるとおっしゃっているわ」
リュカは困りきった顔で頭を掻く。
「エリアスとセシールが結婚した時も、クロードとナディアが結婚した時も、どちらも新居に押しかけてきて二ヶ月は滞在していたらしい」
に、二ヶ月……
絶望的な気持ちでリュカを見上げると、彼も自分の祖母がどんな人間なのか理解しているのだろう、複雑そうな顔をしていた。
「俺からも話を――」
「ああ、リュカ! ようやく帰って来たね!」
廊下の向こうから、自分で車椅子の車輪を手で回しながらブランシュ様がやって来た。
「婆さん……そろそろくたばる頃かと思っていたが、まだピンピンしてるじゃないか」
「なんだい、久しぶりの再会だってのに可愛くない子だね!」
ブランシュ様はリュカの前で車椅子を止めると、慎重に震える足を床に降ろして立ち上がった。そして細い指を伸ばし、リュカの頬に触れる。
「また大きくなったねぇ。あんたの活躍は私の耳にまで届いているよ。その年で第一騎士隊長になるとは……あんたなら、異例の若さで総長にまで上り詰められるね」
私に対する態度とはまるで違う。慈しむような目で、ブランシュ様はリュカの頬を撫でた。リュカはその手首をそっと掴んで、ゆっくりとブランシュ様を車椅子に座らせる。
「転けて怪我でもされたら困るんだ。無理するなよ」
「その時は、あんたに面倒を見てもらうよ」
「面倒を見て貰いたいなら、もう少し謙虚になるべきだな。せめて来るなら事前に知らせて欲しかった」
「ふふっ。あんたをビックリさせてやろうと思ってね」
「どうせエステルにも、可愛げのない態度を取ったんだろ?」
「あら、嫌だ」
ブランシュ様は目を丸くして、私を見上げた。
「私たち、もうすっかり仲良しよ。ねぇ、パステルさん?」
「エステルだ!」
リュカは遅れてやって来たブランシュ様の侍女に目を移す。
「食事の準備が整うまで、この婆さんをエステルに近づけるな」
「おや、怖い怖い。私は長旅で疲れているんだ。部屋で大人しく休んでいるよ」
リュカの軽口には全く気を悪くする様子はなく、寧ろ愉快そうに笑いながらブランシュ様は部屋へと戻って行った。
「……孫って、そんなに可愛いものなのかしら」
「可愛がられている自覚はあるから、否定はしない」
リュカは疲れた顔で頷きながら、私の部屋の中に入った。
「セシールたちから、婆さんの嫁いびりが酷いという話は聞いている。二ヶ月の滞在後、あのセシールは一週間寝込んだし、ナディアはストレスで五キロ痩せたと言っていた」
「あのお二人が……!?」
それは口を揃えて『クソババア』と吐き捨てたくもなるはずだ。
「だからエステルもそうなる前に、実家に戻ってもいい。見ての通り食えない婆さんだから、俺が何を言っても聞かないと思う。それにエステルには悪いが……俺には婆さんをここから追い出すような真似はできない」
少し意外だった。リュカなら、いつもの強引なやり方で早々に帰らせるかと思っていたのに。
結局、私よりも身内を取るのかと、内心がっかりする。
「嫌なこと、色々と言われたか?」
「……それなりにね」
「昔はそんな人じゃなかったんだけどなぁ……」
リュカは腕を組んでベッドに腰掛けた。話が長くなるのか、私に隣に座るよう促した。
「前にも話したが、ケーストリデン家は代々政治に関わる一族だ。物心ついた時から兄貴たちと一緒に勉強をさせられてきたが、俺は全くそっちに興味が持てなかった。一般教養として学んだ剣術の方が何倍も興味があったし、楽しかったんだ」
「だから騎士を目指したんでしょう?」
「けど入団するにあたって、親父に猛烈に反対された。ケーストリデン家に騎士はいらない、そんなものになるくらいなら、エリアスとクロードの小間使いにでもなれってな」
「公爵様は、リュカの実力をご存知なかったの?」
リュカは優秀な騎士だ。ブランシュ様が言っていたように、二十歳そこそこで第一騎士団の隊長に抜擢されるというのは、異例なのである。公爵家という肩書きだけでは到底足りない、そこには確固たる実力が必要だ。
「『ペンは剣よりも強し』って言うだろ? あの人は剣でいくら敵を斬ろうとも、政治で権力を握る方が強く、価値があると思っている人だ」
暴力的かもしれないが、公爵様の考え方も分からないでもない。善意的に捉えると、大事な息子を危険な場所へ送り出したくなかったからそう言ったのかもしれないが、そればかりはご本人にしかわからない。
「とにかく、親父に反対されたらもうどうすることもできない。何もかも放り投げて無能な道楽息子になるか、家出をするか――本気でそんなことを考えていた時に出て来たのが、あの婆さんだ」
「ブランシュ様?」
「『大事な孫の才能を潰す気か。そんな風にお前を育てた覚えはない!』ってすごい剣幕で親父に怒鳴り散らして。何日も二人の話し合いが行われて、屋敷の中は険悪ムード一色。あの通り自分の意見は曲げない人だから、遂には親父の方が折れた」
そして晴れてリュカは、騎士としての道を歩み始めたのだ。
「今の俺があるのは、婆さんのお陰だ。だから俺は、あの人を追い出すことはできない。それは理解してほしい」
懇願するような目で、リュカは私を見つめた。
そんな話をされては、私もすぐに追い出せとは言えない。
「……話は分かったわ」
「俺がずっとお前の側にいられたらいいんだが、そうもいかない。二、三日家を空けることもあるから、やっぱり実家に戻っていた方がいいだろう」
「一つだけ、確認してもいい?」
「何だ?」
「ブランシュ様を怒らせたら、貴方との結婚は破談になる?」
リュカは面食らったような顔をしたが、すぐに首を横に振った。
「親父も兄貴たちも、早く結婚しろと煩かったし、婆さんの嫁いびりに関しては兄貴たちもうんざりしていたから、こっちの味方になるはずだ。何よりも俺がお前を手放す気がない」
最後にさらっと恥ずかしいことを……
「と、とにかく、何かあっても貴方は私の味方でいて、守ってくれるのね?」
「それは、勿論」
リュカが力強く頷いたのを確認すると、私は目を閉じて細く長い息を吐いた。
――ここで実家に逃げても、またいつやって来るか分からない脅威に怯えて暮らすのは嫌だ。私の安心で安全な砦づくりは、まだ序盤。盤石なものとするためにも、目の前の敵は迎え撃つ!




