28.深夜に
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結局、セシール様もナディア様も、来るべき時が来たら分かるからと、『クソババア』の正体については何も教えてはくれなかった。
一抹の不安を残したまま帰路に着いたものの、それでも安堵の方が大きかった。義姉たちという強い味方がいてくれるのは、何よりの安心材料である。
「強烈なお二人だったけどね……」
思わずぽつりと呟いた私の言葉に、馬車の向かいに腰掛けたロミが小さく首を傾げた。
「エステル様も十分強烈なので、引けは取っていないと思いますよ?」
「……ロミ。貴女最近、生意気になってきたわね」
ジロリと睨むと、ロミは慌てて口を押さえて俯いた。私は睨むのをやめて、小さく笑う。
「貴女ほど気を遣わなくていい相手はいないわ。これからも側で私を支えてちょうだい」
「はい、勿論です! この命に替えても、エステル様をお守りします!」
「……本来それを言うべき人は、貴女じゃないんだけどね」
軽く息を吐いて、目を車窓の外へと向けた。人の行き交う大通りの石畳を、馬車はゆっくりと進んで行く。
リュカが私を選んだのは、セシール様のように私を強いと思い、強い嫁を求めるケーストリデン家に相応しいと思ったからだろうか。確かに私は、弱くはない。けれど、ここまで強くなったのは、根底に『守られたい』という思いがあるからだ。
いざと言う時、リュカは私を守ってくれるのだろうか――そんな不安が、ふと胸の内を過った。
「リュカ様も、エステル様のことすごく気にしてましたよ?」
まるで私の心の中を読んだようなタイミングで、ロミが言った。
「全然家に帰って来ていないのに、何をどう気にするって言うのよ」
「帰って来てますよ。エステル様がお休みになった後に帰って来て、エステル様が目覚める前に出て行っているんです」
「……え?」
振り返り、ロミの顔を見た。嘘を言っているようには見えない。
「それで私に、エステル様の一日の様子をアレコレと聞くんです。使用人たちに虐められていないか、落ち込んではいないか、って。エステル様は生き生きとしたお顔で応戦してますって言ったら、笑いながらほっとした様子でしたよ」
知らない。何よそれ、そんな話は初耳だ。私が寝た後に帰って来て、起きる前に出て行く? だったら、騎士団の官舎で休んだ方が、よほど効率的ではないか。
「あぁ! ごめんなさい、エステル様には言っちゃダメだって言われていたのを忘れてました! 忘れてください!」
「……馬鹿ね。一度聞いたら、忘れられるわけないじゃない」
私は今、どんな顔をしているのだろう。ひどく情けない顔をしているような気がして、再び顔ごと車窓に向ける。
「あのお店、随分と人が多いわね。何のお店かしら」
特段気になったわけではないが、話題を変えたくて、そんなことを口にした。
「ああ、若い女性に人気のカフェですね。果実茶とケーキが美味しくて、内装もとってもオシャレだそうですよ。メリッサさんが言ってました」
「メリッサ?」
「この間エステル様に髪の毛をぐちゃぐちゃにされた侍女です」
さすがロミ。早くもケーストリデン家の使用人たちに溶け込んでいるようだ。
感心と、僅かな敗北感を感じながら馬車はゆっくりと私たちを運んで行った。
――その日の深夜。
パチン、と壁のスイッチを入れる音と同時に、天井の魔光灯がぼんやりとした明かりで部屋の中を照らし出した。
「……おかえりなさい」
「っおぅっ!?」
掠れた声で呟いた私の声に驚いたのか、リュカは聞いたことのない声を上げた。
「びっ……くりした……! エステル、起きてたのか」
「第一騎士隊長の不意をつけるだなんて、私ってばそういう素質があるのかしら」
こんな夜更けまで起きているなんて、美容の大敵だ。しかし滅多に見られないリュカの姿が見られたので、今日のところは良しとする。
「俺の部屋で何を……いや、それよりも、セシールたちとはどうだった?」
「セシール様もナディア様も、とても楽しい方たちだったわ」
「そうか……それなら良かった」
リュカはほっとした顔で笑った。
「リュカはお二人に、随分と可愛がられているみたいね?」
「馬鹿にされてるんだよ、俺は。ケーストリデン家は、代々政治に関わってきた一族だ。俺はそっちの方がからっきし駄目で、だから騎士になった。ナディアとは顔を合わせる度に『脳筋』だとからかわれる」
ナディア様のあの毒舌は、そういうことかと納得した。しかし本当に馬鹿にしている風ではなく、からかって楽しんでいるだけのように思う。
「特にセシールは俺がガキの頃から知ってるから、余計なことをお前に吹き込むんじゃないかと、今日一日気が気じゃなかった」
「十歳までオネショをしていた話とか?」
「……っっ! だから嫌なんだ、あの女狐め!」
リュカは顔を真っ赤にして、床にへたり込んでしまった。
いつもは私がペースを乱されるばかりだから、こういうのもたまには良いものだ。
そのままの体勢で、リュカはニンマリと笑う私を横目で見た。
「……それで? 俺に何か用があったから、こんな時間まで起きていたんだろ?」
「私のことなら、心配はいらないと伝えようと思って」
「何の話だ?」
「使用人のことも、お義姉様たちとのことも、貴方の手を煩わせるようなことはないわ。だから、無理をして帰ってこなくてもいいわよ」
胸を張って言いながら、リュカのベッドに腰掛ける。
「本部からここまでの移動時間が勿体無いじゃない? その分を、睡眠時間に充ててちょうだい。睡眠不足で魔物にやられたとなったら、笑い話にもならないわ」
「なんだ、そんな話か……」
リュカは長い溜め息を吐きながら、ゆっくりと私の隣に座った。
「そんな格好でベッドで待ち構えているから、もっといい話かと思ったのに」
……? どういう意味?
怪訝な顔で見ていると、リュカは笑って私の頭に手を置いた。
「俺の家なんだから、俺は好きな時に帰ってくる。睡眠時間は足りているし、そのくらいでやられるようじゃ、団長の座は務まらない」
「それは、そうかもしれないけど……」
「それに、別にエステルが心配だから帰ってくるわけじゃない。顔が見れなくても、少しでも近くにいたいんだよ」
「……っ」
なんでこの人は、こういうことをサラリと言えるのだろう。
熱くなった顔を見られないように顔を逸らすと、再びリュカから溜め息が聞こえた。
「分かったら、部屋に戻ってもう休め。これ以上は、俺が耐えられそうにない」
「明日……もう今日ね。朝、早いのよね? 寝る時間を奪ってしまって、ごめんなさい」
「そういう意味じゃないんだが……」
リュカは片手で顔を覆い、大きく息を吐いた。
「ほら、部屋まで送る」
「隣の部屋よ?」
「いいから」
背中を押されるまま廊下に出ると、リュカは自室の前で足を止めた私を短く抱きしめ、耳元で囁いた。
「おやすみ」
逃げるように踵を返した背中を見送り、私はしばらくその場に立ち尽くす。
頬に触れると、燃えるような熱を感じた。
「……こんなの、ずるいわ」




