22.ワルツを踊ろう
二曲目が終わると、アルベリク様は疲れたと言ってダンスフロアから離れた。すると待ち侘びていたかのように、数名の男性がダンスを申し込んできた。その顔ぶれをざっと見て、人脈を繋げておきたい相手を選び取る――と行きたいところだが、なんだか踊る気分になれず丁重にお断りした。
果実酒のグラスを片手に、遠目からアルベリク様を眺める。
ああ。折角噂の火消しをしたのに、あんなに露骨にリアーナを見つめていたら、またあらぬ噂を立てられてしまうわ……
呆れて大きなため息を吐いた時、頭の後ろから低い声が降ってきた。
「よお。ブサイクな顔して、何考えてるんだ?」
「っ!?」
この聞き覚えのある声と無礼な物言いで、すぐに誰のものだか分かった。
「リュカさ……ま……」
誰がブサイクだと抗議しようと振り返った私は、彼の姿を見てその勢いを失った。
これまで見たリュカ様は、平民然とした格好ばかりだった。だが今、私の目の前に立っている彼は、黒髪と翠の目はそのままに、きちんとした正装に身を包んでいる。
まるで別人のようだ。凛々しくて、惚れ惚れするほど美し――
「どうした? 鳩が豆鉄砲を食らったような顔だな」
「い、いえ! なんでもありませんわ! リュカ様でも正装をなさるのかと思っただけで……」
「クローゼットから引っ張り出してきたら、カビが生えていた。それを着て行くと言ったら侍女たちに泣きながら止められたよ」
屈託なく言ってリュカ様は笑う。その時の侍女たちの様子を想像して、思わず私からも笑みがこぼれた。
少しずつ周りの人たちもリュカ様の存在に気づき始め、ざわめき出した。まさか本物だろうかという、疑念と驚嘆の声だ。
「リュカ様は社交界に出られないと聞いていたので、驚きました」
「昔一度だけ兄嫁に引っ張られて出たことがあるが、つまらなくて十五分で帰ったんだ。それ以来、今日まで避けていた」
「兄嫁……」
「あそこでニヤニヤしてる女だよ」
リュカ様が指差した先で、セシール・ケーストリデンがこちらに向かってひらひらと手を振っているのが見えた。
「では今日もセシール様に連れられていらしたのですか?」
「アホか」
「あ、アホ……?」
リュカ様は大袈裟に息を吐くと、作法に則り私の手を取って一礼する。
「俺と一曲踊っていただけますか?」
「え……?」
リュカ様は眉根を寄せ、ぽかんと口を開けて立ち尽くす私の顔を覗き込んだ。
「嫌か?」
「い、いえ……でも――」
「なら踊ろう」
リュカ様の大きな手に引かれ、再びダンスフロアの真ん中へとやって来た。
周囲のざわめきが大きくなる。これまで社交界に出たことのない男が突然現れ、これからダンスを披露しようというのだ。自然と私たちは好奇の目に晒された。
「言っておくが、俺は踊れないからな」
「……は?」
音楽が始まった。手を取り合って、足を動かし始める。だが。
「ちょっと……手! 手の位置が違います!」
「あれ? こうだったか?」
「そうです。私の動きに合わせ……っ!」
「あ、悪い」
お互いの足がもつれ、バランスが崩れた。それでも何とか立て直して踊り続けるものの、まるでなっていない。
「いいことを考えた。俺がお前に合わせるよりも、お前が俺に合わせた方が上手くいく気がする」
「また無茶なことを……」
しかしリュカ様は本気だった。基本のステップを踏もうという意思を放り投げ、ただ音楽に合わせて体を動かし始める。
「ちょっと……!」
破綻しないように、なんとかリュカ様の動きに合わせて踊る。ステップは無茶苦茶だし、最早ワルツと呼べる代物では無い。しかし不思議と、ダンスとして成立していた。
必死に合わせながら、ふとリュカ様の顔を見る。楽しそうに細めた深い翠の目いっぱいに、私が映っていた。
自由に振る舞う彼に翻弄され、食らいつき、私のペースはどんどんと乱されていく。不快だ。これまで培ってきた私の武器が何も通用しなくて、不安が募る。
なのに――どうしてこんなにも胸の奥が熱く、楽しいのだろう。
「……リュカ様。どうしてここへ足を運ばれたのですか?」
手も足も動かし続けながら、尋ねた。リュカ様は笑う。私の腰を引き寄せ、その耳元で囁いた。
「お前に会うために決まってるだろ」
音楽が止まった。余韻だけを残して、一瞬の静寂が落ちる。直後、割れんばかりの拍手が会場の中に響き渡った。
「これはいいダンスを見せてもらった!」
「独特な踊りでしたが、いやはや二人とも実に見事だ」
飛び交う賛辞の言葉も、私の耳にはほとんど届いて来ない。上がる息を整えながら、じっとリュカ様の目を見つめていた。
「……私、今から悪女になるわ。それでもいいの?」
リュカ様が息を呑む気配を感じた。しかしすぐに、満面の笑みを浮かべた。
「唆したのは俺だ。行ってこい」
優しく背中を押され、私は人々の間を縫って歩き出す。
「エ、エステル……今のはリュカ様――」
「アルベリク・ミラーセン様」
私たちのダンスを見ていたのだろう。アルベリク様が私の前へと急足でやって来た。
小さく息を吸い、正面から彼を見据える。
「エステル・パシュテールは、貴方との婚約を破棄させていただきます」




