20.ぶちかます
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数日後、私は学校の昼休みにアルベリク様を探して校舎を彷徨い歩いていた。
相変わらず彼は私に会いに来ない。学校で顔を合わせても、気まずそうに顔を逸らしてしまう。王宮での舞踏会は二ヶ月後。その段取りについて、話をしておきたいのだが。
教室にも食堂にも、訓練場にも姿はなかった。リアーナによれば午前中は授業に出ていたというから、校内のどこかにはいるはずなのだが。
放課後に出直そうかと考えていた矢先、人目につかない校舎の裏手からアルベリク様の声が聞こえてきた。
「もう、どうしたらいいのか本当にわからないんだ……」
「と、言われてもなぁ。俺にはまったく理解ができない悩みだ」
地の底にいるのかというほど暗い声音のアルベリク様と、もう一つの声は彼の学友でマウスイト伯爵の令息、ジェラルドのものだ。
「エステル・パシュテールの何が不満なんだよ? 間違いなくこの学校で一番可愛いし、頭もいい。使用人には厳しいって噂も聞くけど、いつもニコニコしていて最高の結婚相手じゃないか」
声を掛けようと足を踏み出したところ、私の名前が耳に飛び込んできて、咄嗟に近くの木の陰に隠れてしまった。
……どうしよう。聞かない方がいい話だとは思うけれど、出て行くタイミングを見失ってしまった。
「ああ、そうだ。エステルは可愛い。彼女をデビュタントで見た時は、まさに理想の令嬢だと思ったよ。けど……怖いんだ」
「怖い?」
ジェラルドと同じ仕草で、私も思わず首を傾げる。
「いつもはニコニコふわふわしていて、俺が守ってあげたいと庇護欲が掻き立てられる。だがふとした時、血が通っていないのではないかと思うほどの冷たさを感じるんだ」
「例えば?」
「目の前に飢えた子供がいたなら、俺はその子に食べ物を与えてやるのが優しさだと思う」
「まぁ、そうだな」
「不当な扱いを受けている者がいれば、助けてやりたいとも思う」
「うん」
「怪我人を見れば、その痛みに共感できる心を持っていたい」
「つまりエステル嬢は、飢えた子供も、不当な扱いを受ける者も、怪我人も、すべて見て見ぬふりをする女だと?」
アルベリク様は頷く代わりに、深いため息を吐いた。
「わからない……エステルの言い分は合理的ではあると思うのだが、俺には冷たく感じてしまうんだ。俺は近い将来、殺伐とした戦場に立つ身だ。家に帰った時には、心から安らげる人に出迎えてもらいたい。そう考えた時に頭に浮かぶのは……」
分かっていたことではあるけれど、こうして本人の口から聞いてしまうと、思っていた以上に胸にくるものがある。
アルベリク様の気持ちは、もうほとんどリアーナに戻っているのだろう。けれど一度婚約破棄を言い渡した手前、自分から元に戻したいとは言えない。だからあれほど苦しんでいるのだ。
因果応報、自業自得。まるでアルベリク様のためにあるような言葉である。
聞かなかったことにして、静かに立ち去ろう。そう思って足を動かしかけた時、ジェラルドが唸りながら口を開いた。
「俺にはよくわからないけど……エステル嬢も突然婚約だと言われて、まだ気持ちが追いついていないだけじゃないか? 彼女はこの学校一番の令嬢だと言われているが、アルベリクだってここで一番の令息だぞ」
「……何が言いたいんだ?」
「アルベリクに惚れさせれば、彼女も変わるってことだよ」
頭の中がお花畑なのは令嬢だけかと思っていたけれど、令息の中にもいるらしい。
「いや、それはどうだろうか……俺はあまり、エステルに好かれているとは思えないんだが……」
「だから、一発ぶちかますんだ」
ぶちかます? 何を?
不穏な言葉に、私はますます聞き耳を立てる。
「まずは景色の綺麗な場所に連れて行って、甘い言葉を囁くんだよ。この世界には自分と彼女しか存在しないと思わせるような、歯が浮くほどの甘い言葉を並べ立てる。それで相手の目がとろんとなったところで口づけを交わせば……イチコロだ」
ぞわぞわぞわ……と、一気に全身が総毛立った。
なんて下劣な入れ知恵だろうか。そう言えばジェラルド・マウスイトは女遊びが激しいらしいと、カミーユ嬢のお茶会で誰かが話していたのを思い出す。
アルベリク様は面食いで優柔不断だが、根は真面目な男だ。こんな愚策を取り入れるはずがない。そう信じていたのだが――
「エステル……その……ひ、久しぶりにどこかへ出掛けないか? コスモスが綺麗な場所があると聞いたんだが」
放課後、私の教室までやって来たアルベリク様は、私を『景色の綺麗な場所』へと誘った。
正気か。悩み過ぎて思考回路がどうにかなってしまったのだろうか。
「お誘いいただけて嬉しいのですが、今日はちょっと……用事がありまして」
「そ、そうか。じゃあ仕方がないな。またの機会にしよう」
ぎこちない歩き方で去って行くアルベリク様の背中を見送りながら、私は脳内で緊急会議を行った。
結婚すれば、口づけの一つや二つは義務のうちだ。けれどそれは、今ではない。まして、それで自分がアルベリク様にイチコロになるとは到底思えなかった。それでも受け入れて、演じるべきなのだろうか。少なくとも彼が問題視しているのは、私がふと見せてしまった考え方の違いだ。そこを今後見せないように隠し通していけば、やがてアルベリク様の心も落ち着くのではないだろうか。
悶々と考えを巡らせた末に、私は覚悟を決めた。口づけを受け入れる。それが最も手っ取り早く、この状況を鎮められる最善の手段である。
――別の日。
「エステル。今度の休みの日、海の見える丘へ行かないか?」
「ごめんなさい、その日はダンスのお稽古がありまして……」
――別の日。
「エステル。今夜、ハルボンの塔に夜景を眺めに行こう」
「体調が優れないので、今日は早めに休みたくて……」
――別の日。
「エステル。明日の祭りの後、静かな場所で二人だけで打ち上げ花火を鑑賞しよう」
「私、花火の音が苦手なんです……」




