19.和解
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「――それで完成したら……って、エステル? 聞いてる?」
「……え?」
気がつくと、首を傾げたリアーナの大きな目が私を映し出していた。
……そうだった。あれから再びカレンに乗って、パシュテール邸まで戻ってきたのだ。リュカ様は本当に隙間時間を縫って来ていたようで、未練の言葉も再会の約束も無く、嵐の如く去って行った。
リュカ・ケーストリデン。いつも脈絡もなく現れて、私のペースを乱すだけ乱すあの男のことを考えると、胸の奥が細波のようにざわめいた。
人を試すようなあの目。かと思えば無邪気な子供のようにはしゃぎ、笑う。剣を構えた時の真剣な眼差しも、また別人のようだった。私を抱えた太い腕に、黒馬の上で感じた体温と匂い――
「エステル? もしかして、熱でもあるんじゃない? 顔が真っ赤だわ」
「な、なななんでもない! 話の続きをしましょう!」
バクバクと大きな音を鳴らす心臓を押さえつけ、頭の中からリュカ様を追い出した。
「それで、孤児院を建てるという話よね? お姉様、本気なの?」
「ええ。少し前からお父様とも話を進めていて、学校を卒業したら本格的に事業に専念するつもりよ」
リアーナは微笑みながら、自分で用意した書類の束を私の前に置いた。いつも見ていた、あの頼りなさそうな笑みである。
鉱山の一件以来、私とリアーナの関係は少しだけ変化した。これまで彼女を避け続けていたけれど、改めて二人だけで十年前の話をしたのだ。
この十年間、リアーナは私への罪悪感、後悔、そして自分の無力感を抱き続けて生きてきたそうだ。私が妬ましさからリアーナとの壁を作り上げたことも、それで私の気持ちが落ち着くならばと諦めていたらしい。なんて無駄な時間だろうか。その時間が生み出したものは、自信のない笑顔と卑屈な考えだけだと言うのに。
結論、やっぱり私はリアーナとは考え方が合わない。
――が。
「お姉様の取り柄は、損得勘定のない優しさだものね……慈善事業がお似合いだわ」
私から見れば方向性が間違っているものも多くて、時々苛立ってしまうけれど。それでもリアーナの『優しさ』は憎みきれず、長所なのだと今更ながらに気づいたのだった。
「以前エステルに言われて、雷に打たれたような気持ちだったわ。確かに目の前にいる子供にパンを一つ与えたところで、何の解決にもならないんだって。あの時から、孤児院を建てたいと考えていたの」
「まさか本当に実行するとは思わなかったわ」
「でもほら、私って考えが足りないでしょう? エステルの知恵を借りたいの。ただ身寄りのない子供たちに衣食住を与えるだけでいいのかしら?」
考えが足りない自覚はあるのね。
私はざっと書類に目を通した。叩き上げの段階であるらしく、書類には何度も書き直した跡がある。
「……教育の基盤はしっかりしているけれど、就労支援が弱いように思うわ。これじゃあ将来、鉱山で働く以外の選択肢が少なすぎる」
「あ……それもそうね」
「とは言え、慈善事業なんて私もよくわからないわ。クルーラー侯爵は慈善事業に力を入れていらっしゃると聞くし、お話を伺ってみたら?」
「クルーラー侯爵……わ、わかったわ」
不安な顔でリアーナは頷いた。社交の苦手な彼女のことだから、あまり面識のない相手との面会に臨むのは気が進まないのだろう。
「……私が仲介しましょうか?」
罪滅ぼしとまでは思わないが、これまで冷たく当たり過ぎていたので、せめてものお詫びである。しかしリアーナは、首を横に振った。
「いいえ。私が始めたことだから、自分の力で進めるわ」
それから、ふわりと笑った。頼りない笑顔では無く、心から嬉しそうに。
「ありがとう、エステル」
……何よ。ちゃんと可愛い顔も、できるんじゃない。
その時、ノックの音が響き、セレスタンが顔を覗かせた。
「エステル、ここにいたのか」
「お兄様、どうかされましたか?」
私は『可愛い妹』の笑顔を浮かべて、小走りに兄の元へと駆け寄った。セレスタンは目元を緩めながら、私を見つめる。
「王宮から、舞踏会の招待状が届いた。出席するかい?」
「はい、もちろんですわ」
「それじゃあ、新しいドレスを仕立てないとね。明日仕立て屋を呼ぶように手配しておくよ」
「嬉しい! ありがとうございます、お兄様!」
リアーナには取り繕わない自分を曝け出していたけれど、本来の私はこちらである。可愛くて、聞き分けの良い賢い令嬢だ。
「リアーナはどうする? エステルはアルベリク様と出席するだろうし、もしも気が進まないのなら……」
「私も出席しますわ。いつまでも、妹に婚約者を取られていじけた姉ではいられないもの」
「そうか。それなら、リアーナも新しいドレスを用意するといい」
セレスタンは少しほっとした表情を浮かべながら、退室した。
「ねぇ、エステル」
「……何よ」
私は『可愛い妹』の笑顔を剥がし、リアーナを振り返る。彼女は何度か目を瞬かせた後、小さくぷっと吹き出した。
「何なの?」
「ごめんなさい、あまりにも表情がコロコロと変わるものだから凄いなと思って」
「……馬鹿にしているなら、もう相談には乗らないから」
「ち、違うの! なんだかちょっと、リュカ様のお気持ちがわかるかもしれないと思ったのよ」
リアーナは、部屋を出て行こうとする私を必死に引き止める。
「どうしてそこにリュカ様が出てくるのよ?」
「だってリュカ様は、飾らないエステルをお気に召されたのでしょう? 私は今、貴女が素顔で向き合ってくれて嬉しいし、そのままの貴女のほうが魅力的だと思っているのよ」
「馬鹿馬鹿しい。私は、誰よりも自分のことを理解しているわ。素顔の私は傲慢で小賢しくて、他人を見下しているの。その上とても臆病よ。そんな本性も見破れないようだから、お姉様は……」
途中で言い過ぎたと気づき、口を閉ざした。
けれど自己分析は間違っていない。だから私は、可愛い私を演じるのだ。こんな可愛げのない自分を、誰が好きになってくれるというのだろう。可愛くなければ、守ってももらえない。
「実際、リュカ様は私を可愛くない女だと見抜いたわ。それでも求婚してきたのは、私の打算的なところが何かの役立つとお考えになったからよ」
「そうかしら?」
「そうに決まっているわ。もうこの話はおしまい! 私はアルベリク様と結婚するのだから、もうリュカ様の話はしないで!」




