EP 4
ネギ味噌豚バラ弁当と、時間泥棒の覚悟
セメントの海から這い上がり、なんとか全身の泥を洗い落としたリーザは、完成間近の特設ステージの脇で、燃え尽きた明日のジョーのように真っ白な灰となってへたり込んでいた。
腹の虫すら鳴く気力を失ったその時、彼女の鼻腔を暴力的なまでに香ばしい匂いが突き抜けた。
「おう。……休憩しろ、リーザ」
見上げると、黒い学生服を着た190cmの巨漢が、太陽を背にして立っていた。
龍魔呂だ。彼の手には、まだ温かい大きなどんぶり弁当が握られている。
「あ、龍魔呂さん……! 差し入れ、ありがとうございますぅ!」
リーザは残された全生命力を振り絞って飛び起き、弁当を受け取った。
フタを開けた瞬間、ジュワッと焦げた特製味噌と豚の脂、そしてどっさりと乗ったネギの香りが爆発した。龍魔呂特製『ネギ味噌豚バラ弁当』だ。
「いっただきまーす!!」
リーザは箸を使うのももどかしく、猛然と弁当を掻き込み始めた。
甘辛い濃厚な味噌ダレが絡んだ分厚い豚バラ肉が、空きっ腹の胃壁にガツンと響く。シャキシャキのネギが脂のくどさを中和し、米麦草が無限に腹の中へ消えていく。
「んんんんん! 美味しいいいいっ! 身体の細胞が蘇るですぅぅ!」
顔中をご飯粒と味噌だらけにして貪り食うアイドルを見下ろし、龍魔呂は学生服のポケットから赤い箱を取り出した。
親指で真鍮製のオイルライターのフタを弾く。
カチッ……!
小気味良い金属音が鳴り、オレンジの炎が『バレッド』の先端を焦がした。
深く吸い込み、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
「ふーっ……。で、どうだ? 景気(現場)は」
煙草を指に挟んだまま、龍魔呂が尋ねた。
「はい! おかげさまで、ステージ自体は完璧に出来上がりましたっ!」
リーザは豚肉を咀嚼しながら、誇らしげに親指を立てた。しかし、その直後にスッと目を逸らす。
「ただ……手伝ってくれた土方のおじさんたちから、『月給はどうすんだ!? 労基(労働基準監督署)に訴えるぞ、オラァ!』って、重機の脇で本気の壁ドンをされてますけどね。まぁ、私の自慢の反復横跳びステップなら、なんとか逃げ切れそうです!」
タダ働きでステージを作らせておきながら、おっさんからの壁ドン(物理的な脅迫)を華麗にスルーしようとする、極悪非道な地下アイドル。
「……そうか。まぁ、背後からツルハシで刺されないように頑張れよ」
龍魔呂はツッコミを諦め、呆れたように灰を落とした。
自分のシマのダチなら助けるが、自業自得の借金(踏み倒し)トラブルは自分で解決させるのが鬼の龍儀だ。
龍魔呂は、綺麗に空になった弁当箱を大事そうに撫でているリーザを見つめ、ふと、静かな声で問いかけた。
「リーザ。……お前、歌は好きか?」
その問いに。
リーザから、いつものポンコツで胡散臭い空気がフッと消え去った。
彼女は芋ジャージの襟を正し、まっすぐに龍魔呂の目を見つめ返した。その瞳の奥には、深海の王女としての気高さと、ステージに立つ者だけが持つ『狂気』に近い情熱が宿っていた。
「……はい! 大好きです!」
リーザの声には、一切の迷いがなかった。
「私が歌うと、ファン達の『時間』を奪うんです。……彼らの視線も、思考も、日常の悩みも全部。私がファン達の世界のすべてになって、何もかもを奪い尽くして……その代わりに、『宇宙一の幸せな時間』を味わわせるんです。それが、私のアイドルの誇りです」
ただの施しを受ける物乞いではない。
自分の歌で他人の人生を強制的にハッキングし、熱狂の渦へと叩き落とす。それこそが、彼女が『絶対無敵のスパチャアイドル』を名乗る所以だった。
その覚悟の籠もった言葉を聞いて、龍魔呂は少しだけ目を細めた。
東京のストリートで、自分の拳一つで「てっぺん」を獲ろうとしていた自分と、どこか似た匂いを感じたのだ。
「……そうか」
龍魔呂はニヤリと笑みを浮かべ、バレッドの煙を空へ吐き出した。
「お前のその歌、今度ゆっくり聞いてみたいな」
「ふふっ♡」
リーザはいつもの調子に戻り、アイドルらしい完璧なウインクを飛ばした。
「龍魔呂さんは私の大事な『パトロン』ですから、特等席で聴かせますよ。……お代(チケット代)は、金貨じゃなくて、龍魔呂さんのハートで良いですよ♡」
並の男なら顔を赤らめるか、あるいはドン引きするようなクサイ台詞。
しかし、190cmの農業ヤンキーは、それを正面から真っ向に受け止めた。
「俺のハートを射抜くか……」
龍魔呂は咥え煙草のまま、不敵で、好戦的な笑みを浮かべた。
「上等だ。……やれるもんなら、やってみな」
夕暮れが近づくポポロ村の特設ステージ前。
ヤンキーとアイドルの、ジャンルを超えた「本気の喧嘩」の約束が交わされた。




