第三章 貧乏神歌姫リーザ登場
底辺のサバイバルと、落ちたチョコレート
ポポロ村の朝は早い。
東の空が白み始め、土と朝露の匂いが混ざり合う清々しい時間。
「さて……畑に向かうか」
黒の学生服を羽織った龍魔呂は、村長宅の玄関を出て首をボキリと鳴らした。
農業ヤンキーにとって、朝の畑の見回りは何よりも優先される日課である。彼が育てた『米麦草』や『太陽芋』、そして自作の煙草『バレッド』の葉たちが、朝日を浴びてどう育っているかを確認しなければならない。
だが、彼が村の小さな公園の脇を通りかかった時のことだった。
のどかな朝の空気を切り裂くような、熾烈な『生存競争』の声が聞こえてきた。
「ぽいっ、ぽーい」
「クルッポー! クルックー!」
「あっ! ちょっと待つですぅ! そのパン屑は私が先に見つけましたぁっ!」
公園のベンチで、日課のように鳩にパンの耳を千切って投げ与えている『餌やりおじさん』。
そしてその足元で、飛んでくるパンの耳を群がる鳩と本気で奪い合っている少女がいた。
色あせた芋ジャージに、足元は使い込まれた健康サンダル。ボサボサになりかけた海色の髪を振り乱しながら、四つん這いになって鳩と反復横跳びで競り合っている。
海中国家『シーラン』が誇る美しき人魚姫にして、今は底辺を這いずる地下アイドル・リーザ(16歳)の姿だった。
「うぅ……! 良いじゃないですかぁ! 私だってお腹空いてるんです! 昨日の夜から水しか飲んでないんですぅ!」
リーザが涙目で抗議するが、鳩たちは容赦ない。
一羽のボス鳩が、リーザの鼻先でパン屑を掠め取ると、小馬鹿にしたように首を傾げた。
「クルッポー!(訳:お前の頭はクルッポー!)」
「うわあああああん!! 今、絶対に馬鹿にされた気がするぅぅ!」
地面を叩いて悔しがる芋ジャージの少女。
そのあまりにも悲惨でカオスな光景に、龍魔呂は歩みを止めて深くため息をついた。
「おい、お前……朝っぱらから何をしてんだ?」
低く凄みのある声に、リーザがビクッと肩を揺らした。
振り向くと、190cmの巨漢のヤンキーが呆れたような目で見下ろしている。リーザは慌てて立ち上がり、健康サンダルを鳴らしてジャージの埃を払った。
「ふぇ? え、えっと……! こ、これはですねっ! 路上ライブの練習中に、熱狂的なファンからの『スパチャ(投げ銭)』を直接受け取っていたところですぅ! さすが私、朝から大人気!」
精一杯のアイドルの笑顔(ひきつり気味)を作って言い張るリーザ。
だが、龍魔呂は冷酷な事実を突きつけた。
「嘘つけ。ファンからのスパチャじゃなくて、そこの鳩やりおっさんからの『パン屑』だろ。しかも鳩に負けてただろうが」
「がぁぁぁぁぁんっ!!」
リーザは胸を矢で射抜かれたようなリアクションをとり、よろめいた。
「ほ、本当の事を言われましたぁ! オブラートに包むという優しさがないんですか!? 鬼ですぅ! 悪魔ですぅ! ド正論は空きっ腹に響くんですぅぅ!」
ギャーギャーと騒ぎ立てるポンコツ人魚姫をよそに、龍魔呂は「……」と無言で学生服のポケットに手を入れた。
そして、無造作に指先を弾く。
ポロリ。
銀色のアルミホイルに包まれた、一口サイズのチョコレートが、リーザの足元へ転がった。
村の子供たちにあげるために、龍魔呂がポケットに常備しているものだ。
「あっ……」
リーザの目が、獲物を見つけた猛禽類のように鋭く輝いた。
「わぁ♡ チョコですぅ! 高級なカカオの匂いがするですぅ!」
リーザは本能のままに飛びつこうとしたが、ハッとして動きを止め、ギリリと唇を噛み締めた。
「で、でもぉ……! アイドルは誇り高き存在! 気安く『施し』は受けないんですぅ! これが私のプライド……!」
震える手でチョコを指差し、己のアイドル魂(やせ我慢)と胃袋の限界の間で葛藤するリーザ。
「……そうか。いらねぇならいい」
龍魔呂はあっさりと背を向け、落ちたチョコを拾おうと手を伸ばした。
その瞬間。
「嘘ですぅぅぅぅ!! アイドルはファンからのスパチャ(現物支給)で生き延びてるんですぅぅ!!」
ズサァァァァッ!!!
リーザは音速を凌駕する電光石火のスライディングを決め、龍魔呂の手が届くより早く、健康サンダルを摩擦で焦がしながらチョコをもぎ取った。
「いただきまーす!!」
アルミホイルを神業のような速度で剥き、チョコを口に放り込む。
「んんんんんっ!! 美味ひいいいぃぃぃ♡♡」
甘いチョコレートが口の中でとろけた瞬間、リーザの瞳から大粒の涙が滝のように溢れ出した。
「あああっ、血糖値が爆上がりするですぅ! 脳に糖分が染み渡るぅぅ! 生きてて良かったぁぁぁ!」
地面に這いつくばったまま、チョコ一粒で号泣して神に感謝を捧げる芋ジャージの少女。
その姿を見下ろしながら、龍魔呂は学生服のポケットから赤い箱を取り出した。
「……やれやれ。リリスに続いて、とんでもなく変なのを拾っちまったぜ」
カチッ……!
真鍮製のオイルライターで火を出し、『バレッド』の先端を焦がす。
深く煙を吸い込み、青空に向かってゆっくりと紫煙を吐き出した。
「おい、行くぞ」
「へ? どこにですかぁ?」
口の周りにチョコをつけたまま見上げるリーザに、龍魔呂は背を向けたまま言い放った。
「畑だ。土いじりを手伝うなら、今日の昼飯はパンの耳じゃなくて『特大のおにぎり』にしてやる」
「おにぎり……! 行きます! 働きますぅ! 私、これからは農業アイドルとして生きていきますぅぅ!!」
健康サンダルをペタペタと鳴らしながら、満面の笑みで巨大なヤンキーの背中を追いかけるリーザ。
ポポロ村の騒がしい日常に、底辺からの逆襲を狙う「スパチャアイドル」の歌声が響き始めた。




