果たされぬ約束
「早く来過ぎちゃったなぁ……」
そう呟きながらユキは大きなクリスマスツリーの下で待っていた。朱雀駅前。広場を見渡すと、同じように待ち合わせをしている人影が、ぽつぽつ、ぽつぽつと白い絨毯の上にカラフルな玉模様を作り出していた。駅前の表示板は0℃を示している。着膨れを起こした赤いコートの人がサンタクロースのようだ。
ふと時計を見るとまだ7時半だった。
エンジが来たら何を話そう?
あれからずっと考えてた。エンジの事をどう思っているんだろう?って。
今でもエンジの事を思うとドキドキして
離れ離れになると想像するだけで胸が苦しい。
やっとわかったの。
三人でいるのが心地良くて、ずっと気付かなかったけど
私はエンジの事が好きだったんだ。
私も好きだよ。
そう伝えよう――
両手にはぁ〜と息を吹きかけ、長身の白い恋人を待つ。クリスマスツリーの装飾が、弾む心に合わせてピカピカとカラフルに瞬いていた。
――――――――――――――――――――――
早く行かないと――。
降り積もる雪に車輪を取られそうになりながら、エンジは自転車を飛ばしていた。本当なら先に行って待ってるはずだったが、リュウが家に来た事で、時間に余裕は無くなっていた。
ポケットには箱――「Forever with you」と刻まれた指輪が入っている。頭の中はもうユキの事でいっぱいだった。
来てくれてるかな? 誰もいなかったらどうする?
来てくれたとしても「やっぱり3人一緒がいい」と言われるかもしれない。
でも、そんなの関係ねぇ。
何て言われようが俺はこの気持ちを伝えに行く。
なぁユキ。ずっと一緒にいよう。
違う学校に行ったって、遠く離れたって
何があっても心はずっと一緒だ。
そう伝えよう――
エンジは弾む息を抑えて、ただひたすら自転車を漕いでいった。
駅前に続く大きな道。ゴールに近付くにつれ人通りも増えてきた。
もうすぐだ。ユキ、待っててくれよ――。
溢れ出すエンジの気持ち。
しかしそんな想いをあざ笑うかのように、運命はあらぬ方向へと転がり始めていた。
――――――――――――――――――――――
「全くツイてないよなー。こんな日に仕事だなんてよ」
木材を積んだトラックの運転席の中、ハンドルを握りながら歩道に目をやった男は、深いため息を付いた。
「はぁー、世の中は恋人同士で楽しんでるってのになー」
いかにもやる気が起きないといった口ぶり。
「ふぁぁああ、眠ぃ。景気付けに音楽でも流すか」
そう言って男は壊れかけたデッキに目をやった。
トラックが走っている大通りの両サイドには、大きなビルが建ち並んでいた。
歩道を行き交う人々は一様に楽しそうだ。
その中にひとり、赤い靴を履いた幼い女の子がいた。両親に挟まれ、犬を抱きかかえながら歩いている。その表情はクリスマスの装飾に負けないほど希望の光に溢れていた。
ふいに犬が女の子の両手から抜け落ちて、走り出した。
一緒になって走り出した女の子。
「おやおや」
最初は父親も呑気な声を上げて、一生懸命犬を追う娘の姿を微笑ましく見ていた。その顔色が変わり始めたのは、犬が歩道から飛び出し、大通りを横切り始めた時からだった。
「おい、行っちゃダメだぞ!」
父親が叫ぶ。しかし必死になっている娘にその声は聞こえない。
犬の行動に慌てた女の子は、吸い込まれるように道へ飛び出していった。
向こうからはトラックが近付いて来ている。
まさか――?
危ない――!
誰もがそう思ったが金縛りにあったように動けなかった。
そんな中、迷い無く少女に向かって走り出す、ひとつの影があった。
トラックを運転していた男は、なかなかチューニングがうまく行かないデッキに嫌気が差し、ふと目を上げた。その刹那、道路の真ん中に一匹の犬が現れた。
「わっ、危ねぇ」
慌ててブレーキを踏む……が、トラックは凍った地面にタイヤを取られて滑り出した。制御を失ったトラックは巨大なモンスターと化し、うなりをあげた。
ブォォォオオオオぉぉ!
クラクションが鈍く響き渡る。
モンスターは横転し、断末魔をあげながら周りの全てを巻き込んでいく。
その先には犬を抱えた少女と、その子を救おうと走っていく男がいた。
「くそっ、間に合えぇぇええ!」
鈍い音と衝撃。
二つの影は飲み込まれたかに見えた。
まるでその場の時間が凍り付いたかのようだった。舞い上げられた雪の粉が、人々の視界を遮る。雪が晴れていくまでの間、成り行きを見守っていた人々は、固唾を飲んで見守っていた。
恐ろしいほどの静寂に包まれた街に、クリスマスの陽気な音楽だけが虚しく鳴り響く。相変わらず雪は深々と降り積もっていた。
次第に視界が開けてきた。黒い巨大な塊が見える。
暴れ狂っていた巨大なモンスターは、ピクリとも動かずこと切れていた。傍らには、犬を抱き、震えながら立ち尽くすひとりの少女がいた。その視線の先には、モンスターの下敷きになったひとりの男。動かなくなった身体から流れ出すその赤は、悲しいほど艶やかに白い道を染めていた。
「早く、救急車を!!」
誰かが叫んだ声と共に辺りが騒然とし始めた。
――――――――――――――――――――
リュウは駅に向かって歩いていた。大通りの人混みが不自然な程騒がしい。
「すげぇ、事故だぜ?」
若者達が大声を出して嬉しそうに走っていく。クレーン車が見えた。横転したトラックを吊り上げているようだ。大変な事故だという事がわかる。辺りは野次馬でいっぱいだった。
「どうしたんだ?」
「外人が子供を助けてトラックの下敷きになったらしい」
「まぁかわいそう」
そんな声が聞こえた。そこら中にテープが貼られ、パトカーや救急車も駆けつけている。そんな中、見ていた野次馬から歓声が漏れた。
おぉぉー。
「あ、助け出された」
誰かが言った。
「大丈夫かな?」
「ピクリとも動かないぞ」
次々と起こる野次馬の声。
リュウの視界の隅に担架に乗せられた人影が映った。
それまで興味の無かったリュウを一瞬にして釘付けにする光景がそこにあった。
まさか――?
ドクン。
鼓動が高鳴る。
リュウは人波をかき分け、張り巡らされたテープをまたいだ。
気付いた警官が制止しようと前に立ちふさがった。押しのけて、なお近づこうとする。
ドクンドクン――。
いっそう激しくなる胸の音。飛び出しそうだ。
一心不乱に前へ進む。しかし、周りの警官が寄ってたかって腕を掴んできた。必死でそれを振り払いながら、運ばれていく血まみれの男の顔を見た。
――――!
心臓が止まる音が聞こえるとするなら、今の音がそうだったのだろう。
「うわぁぁぁああ!!!」
リュウが叫ぶ。
「何だ? 知り合いなのか?」
警官が言う。
リュウの叫び声に辺りはさらに騒然としていった。
「エンジ!エンジぃぃー!!」
少し離れたところに倒れている自転車。
その近くには主人を失った指輪の箱が寂しそうに転がっていた。
――――――――――――――――――――
「遅いなーエンジ。何やってるんだろう?」
ユキは時計を見る。もう八時を少し回っていた。さっきからなんだか周りが騒がしい。大通りから来る人達は、皆同じ方向を見ながら噂話をしていた。
「すげーの見ちゃったなー」
話し声が聞こえる。
なんだろう――?
漠然とした不安に襲われたユキは、携帯を取り出してエンジに電話をかけてみた。
ポポポポ……ツーツー。
反応が無い。何度か繰り返してはみたがずっと繋がらなかった。
もう一度かけようとしたその時、電話がかかってきた。
ユキは慌てて電話に出た。
「もしもし?エンジ?」
「ユキ……」
聞き覚えのある声。
リュウだ――!
「リュウ? エンジがさ、来ないの」
言葉を続けようとするユキを、制するようにリュウが言った。
「ねぇユキ、今から言う事を落ち着いて聞いてくれるかな?」
ただ事では無い雰囲気を察したユキは、恐る恐る聞いてみた。
「何? 怖い声出して……」
「エンジがね、事……巻き込……たんだ」
途切れがちな声。
「え?ごめん、よく聞こえない。もう一度言ってくれる?」
リュウが叫ぶ。
「エンジが事故にあったんだよ!!」
ユキはその言葉の意味を理解したが、状況を理解する事ができなかった。あまりにも突然な事に現実が追いついてこなかったのだ。
『いくらリュウでも冗談きついよ』
そう言いたかった。しかしリュウがタチの悪い冗談が嫌いな事は知っていた。
「今からそこに行くから一緒に病院に行こう!」
混乱した頭で、ユキはただ『うん』と答える事しか出来なかった。
ツーツーツー。
気がつくともう電話は切れていた。しかし耳から離す事は出来なかった。
涙は……出ない。信じたくないからだ。泣くとそれが本当だと認めるような気がしていた。
エンジが自己に巻き込まれただなんて――。
リュウが来るまでの間、ただそれが夢であって欲しいと願うのが、ユキができる精一杯の事だった。




