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回り始めた歯車

 夏休みも終わり、新学期が始まる。

 学校へ行く準備をしながら二階から外を眺めていると、今日も朝から隣の家のおじさんがフンッ、フンッとか言いながら、門の外でラジオ体操のマネ事をしていた。そこにジャカジャカ、と自転車で爆走するエンジが現れた。

「おっちゃんおはよっ」

 いつもの事――というようにさらっ、おじさんに挨拶をして、私の家の前で急ブレーキをかけて止まった。

 ピンポーン♪ 家のチャイムが鳴る。

「はいはーい」

 慣れた様子で母さんが出た。私は少し慌ててヘアピンを髪の毛に差し込むと、鞄をひっ掴んで階段を下りた。母さんが開けてくれた玄関の扉の向こうに、エンジが立っているのが見えた。

「急げっ、時間無いぞ!」

 こっちに来いというジェスチャー。

「ごめんごめん。リュウも待たせちゃってるよね」

 私はそう言って靴の踵を踏みながら玄関から飛び出し、自転車に飛び乗ったエンジの後、荷台のところに横座りをしながら叫んだ。

「母さん行ってきまーす!」

「乗ったか?」

 返事も待たずに思い切りペダルを踏み込むエンジ。私は振り落とされないようにその腰に腕を回した。

「気を付けて行くのよー。エンジ君よろしくねー」

 遠くから母さんの声が聞こえる。

 体操を止めてタオルで額の汗を拭っていたおじさんが、すれ違いざまに声を掛けてきた。

「青春だねぇ……」

 遠ざかるその顔は嬉しそうだった。


「ぅニャーーーーーーー!!!」

 坂を下るのに合わせて叫ぶ。エンジの髪が朝日に晒されて、白く輝きながら風になびいていた。

 走ること五分。ちょっと立派な日本家屋の門の前にはリュウが立っている。

「やぁ、おはよう」

 そう言いながらちらっ、と時計を見たリュウの前で自転車が停止した。一息付いてエンジが言う。

「大丈夫。俺の計算じゃ二十三秒しか遅れてないから」

 冗談ともつかないその言葉を無視し、私は自転車から降りた。

「ごめんリュウ。私がぼーっとしてたから遅れちゃった」

「あはは。何を考えてたの?」

「乙女の秘密だよぅ」

 私はちょっとカラ元気を出して、正直には答えなかった。


 実を言うと私は、公園でお弁当を食べたあの時以来、少し憂鬱になっていた。

 二人と一緒に過ごせる時間は、もう多くは残されていないのかな――?

 そんな事を思うと、新学期を控えた昨日の晩は、あまり眠れなかったのだ。

 私達はいつもこうやって一緒に学校に通っている。でもそんな当たり前の生活も、もうすぐ終わってしまうんだ。

 自転車を押すエンジ。歩幅を気にしながら歩いてくれるリュウ。その間に挟まれた私は、ひとり物思いにふけっていた。

「何だよーユキ、あの日なの?」

 唐突にエンジが言った。デリカシーが無さ過ぎるけど、それもエンジなりの気遣いなんだろうな。一応合わせておいてあげよう。

「実は……もうニ週間も遅れてるの……どうしよう?」

「げっ、まさかゴムが破れたあの時の?」

 どこまでもボケるエンジ。

「ちゃんと認知してあげるんだよ、エンジ」

 珍しくリュウも乗ってきた。

 ちょっと楽しくなってきた私は、もうちょっと付き合ってあげる事にした。

「ごめん、実はリュウの子供かも……」

 エンジが吹き出した。

「おまっ、二股かよー!信じてたのに!」

 ちょっと焦ってるのが可愛い。

「二股じゃないよ。本命はリュウでエンジはキープ君だから」

 トドメを刺されたエンジは、しおれた植物のように小さくなっていった。

 こんな風にふざけ合える時間がずっと続けばいいのに――。

 そう思っていたのは私だけじゃなかったはず……。


         ――――――――――――――――――――――――


 お世辞にも出来がいいとは言えない生徒が、学区内でトップの成星高校を受けると宣言したのは、事なかれ主義の教師にとっては青天の霹靂だったのかもしれない。

「おいおい佐藤、ちょっと考えた方がいいんじゃないか?」

 やんわりとした言葉の中に確かな圧力を感じる。進路指導の丸山先生がしてくれたありがた〜い忠告に、私はすっかり出鼻を挫かれ、最初の進路相談を終えていた。

「このまま不良になったら丸山先生のせいにしてやるぅ〜」

 半ばなげやりになっていた私に、ある日思いがけない援軍が現れた。

 親の反対を押し切ったリュウが、私と同じ成星高校を受けることになったのだ。

「大丈夫だよ。僕と一緒に勉強しよう」

 リュウの優しい言葉に、私はもうすっかり浮かれ気分で、

 そのまま試験にも受かれ!って気分だった。

 

 一方サッカーでの推薦入学がほぼ内定していたエンジは、受験勉強をしなくていい立場を利用して、突然の『暴挙』に出ていた。なんとこの時期になってアルバイトを始めたのだ。

「うちの学校、バイト禁止だよ?」って私が突っ込んだら

「そんなの関係ねぇー!」って、いつか流行ったギャグみたいに言ってた。そういえばあの芸人はどこに消えたんだろう……ってまぁ、それこそ関係ないか(笑)

 エンジは喫茶店『un deux trois(アンドゥートロワ』でウェイターをしている。綺麗にアイロンがかかった白いシャツに、赤のベストがカッコ良く決まっていて、明らかにエンジを目当てに来てる女性客もいるそうだ。誰もエンジが中学生だなんて思ってないだろうな。

 それにしてもただでさえ長身に金髪で目立つのに、人の目に触れるバイトを選ぶエンジの図太さは、バカを通り越してすごいと思う。

 学校にバレたらどうするんだろう? って心配したところで、また「そんなの関係無ぇ」って言われるんだろうなぁ。


 悔しいけど何の才能も無い私みたいな人間は、コツコツ地道に努力するしかない。

 そんな訳でここ最近、放課後になると私は図書室に残って、リュウと二人で受験勉強をしている……と言ってもリュウが出来の悪い私に一方的に教えてくれてるだけなんだけど。

 授業じゃちんぷんかんぷんだった内容も、彼が教えてくれると何故かスルッと頭に入ってくるのから不思議。

 わからなくても笑顔で根気よく見守ってくれる。そんなリュウはまさに理想の先生だった。

 リュウ大先生のお陰で、私の成績もうなぎのぼり……とまではいかないけど、丸山先生が文句を言わない程度には向上を見せていて、この調子だと私も何とか志望校を受ける事が出来そうだった。


       ――――――――――――――――――――


 11月にもなると、エンジと私達が別々に過ごす放課後もすっかり定着。それでも私とリュウは、勉強を終えた帰りにエンジのバイト先に寄って帰る事で、かろうじて三人で過ごす時間を確保していた。


 いつものように喫茶店に入ると、私達に気が付いた女性が声をかけてきた。

「あら、今日もありがとう」

 彼女は里谷アンナさん。エンジのお姉さんのお友達で、エンジにこのバイト先を斡旋してくれたのも彼女だ。

 ここでチーフを任されているアンナさんはもう、これでもかってぐらいの美人なの。今も隣の席のお兄さんがずっとアンナさんを見てる。

 あーあ、お兄さん、鼻の下伸びすぎだってば。

 長身にスラリと伸びた脚、キューティクルンクルンな長髪。シュッと通った鼻筋にフランス人形のような瞳。日本人だとは思えないほどだ。

 初めて会った時、あまりの美しさに見とれた私が

「はぁー、綺麗ですねぇ」

 なんて間抜けな声を出したら、アンナさんは笑ってこう答えた。

「ありがとう。でも中学の時に私が『ミス朱雀中コンテスト』に参加したら、準優勝だったのよ」

 それが本当の話だとすると、一体優勝した女の子はどんな完璧ガールなんだろう? きっとこの世の中には私の想像を超えた異次元の世界があるんだろうな。まぁ、いずれにしてもエンジとアンナさんの二人がいる限り、ここの店は潰れないと思う。


 アンナさんに案内されて窓際の席に座った私とリュウ。アンナさんはいつもそこを空けてくれていて、何となく特等席みたいになっていた。

 いつものように私はカプチーノ。リュウはエスプレッソを頼んだ。

 エンジがバイトにまだ慣れてなかった頃、私は

「カプチーノはクマさん描いてくださいねー♪」って毎回のように嫌がらせをしてた。その甲斐もあってか、エンジも最近ではかわいいクマさんを描けるようになっている。でかい体を丸くして小さなクマさんを描いてるところを想像すると、なんだか笑っちゃうんだけどね。


「お待たせ致しました」

 かしこまったエンジが、クマの絵が付きカプチーノとエスプレッソを私達のテーブルに手際良く置いていく。もうすっかり慣れた手つきだ。私にちょこっとウインクして、頼んで無いケーキもサービスで持ってきてくれた。

 ん? これは……

 ザッハトルテだぁぁー!! 

 あ、失礼、テンション上がっちゃいました(笑)

 そんなこんなで簡単に買収されちゃった私は、目がハートになった。といってもエンジにじゃなくてザッハになんだけど。他の女の子達は相変わらずエンジの方に熱い視線を送っているけど、私は色気より食い気なのだ。

 ご機嫌でザッハをパクついていると、エンジがコック帽を被った女の子と、笑いながらこっちを見ていた。厨房の子かな?

 こっちを指さしてなんだかヒソヒソ話をしている。

「あいつ、面白いだろ?」

 みたいな声が聞こえる気がした(想像で)。色んな意味で腹が立ったけど、今日はザッハに免じて許してあげよう。

 エンジとコック帽の子は楽しそうに談笑していた。


 エンジはひと懐っこいというか、人見知りをしない性格なので、誰とでもすぐに仲良くなれる。それが誤解を呼ぶのか、女の子達に告白される事が多いんだけど、私の知る限り今まで誰かと付き合った事は無い。

 チャラチャラしてそうに見えるんだけど、人は見かけによらないって典型的な例かもしれない。多分私も知らないで見たらチャラ男だと思うだろうから。前に一度、

「何で誰とも付き合わないの?」って聞いてみた事があるの。そうしたらエンジは

「だって俺、バカの相手に忙しいから」なんて私を見ながら答えやがっ……いえ、お答えになったので回し蹴り入れたの。

「まじめに聞いてるんだけど?」って。そしたら改心したのか

「クラブも忙しいし、3人でいる方が楽しいからなぁ」って真面目に答えた。

 私もリュウとエンジの二人といる時が一番楽しい……というか、一緒にいないという事すら想像できない。

 でも、もうすぐそれも終わりなのかな――?

 思い出してまた暗い考えに陥りそうになった私は、目の前の幸せに集中する事にした。ザッハトルテを口に運ぶ……。

「美味しぃ〜♪」

 チョコを考えついた人は天才だよねきっと。私的にはノーベルお菓子賞をあげたいぐらいだ。

 ふと気が付くと、リュウが笑顔のままじーっ、とこっちを見ていた。私は何だか落ち着かなくて一応聞いてみた。

「食べる?」

 いくらリュウでもあんまりあげたくなかったんだけどね。そんな私の心を読んだのか、それとも私が分かり易過ぎるのか、リュウは笑いながら辞退してくれた。

「ううん。ユキが食べた方がケーキも喜ぶと思う」

 リュウがそう言ってくれたので(言わせた?)、遠慮せずに全部美味しくいただきました。

「うにゃー。幸せ〜」


 それにしても、ここのケーキはかなりいける。ただの喫茶店なのに、ランキング(わたし調べ)では市内で5本の指に入る。なんて思ってたら、エンジがさっきのコック帽の子を連れて私達の席まで来た。

「うまいだろー?それ、この子が作ったんだぜ」

「初めまして。私、木下愛って言います」

 コック帽の女の子が自己紹介をしてくれた。なかなか感じのいい子だ。美味しいケーキを作る人に悪い人はいないというのが私の座右の銘だ(今作ったけど)。

 私が挨拶を済ませると、すぐにアイちゃんは厨房に呼ばれて仕事に戻った。

「あの子かわいいだろ?」

 残ったエンジが当てつけっぽく言った。

「ふーん、すいませんねー可愛くなくってさ」

 私は大げさにすねてみせた後、気分直しの為に、膨らませたお口に最後のひとかけらを放り込んだ。

「あー美味しかった♪」

 簡単に幸せになれちゃう。きっとチョコがある限り私は不幸にはなれないと思う(笑)


 私とリュウはその日、エンジのバイトが終わるのを待って、一緒に帰る事にした。

「わりっ、お待たせ!」

 そう言いながら私服のエンジが店から出てきた。

 三人で歩き出す。いつものように自転車を押すエンジと、歩調を合わせてくれるリュウの間にいるのが心地良い。

 

「エンジってさ、何でバイトしてるの?」

「んー、色々物入りでね」

 答えをはぐらかしてきた。

「なによ、ケチ。教えてくれたっていいじゃない」

 ちょっと気になるのでごねてみせた。

「まぁまぁ、男は秘密がある方が魅力的って言うじゃん?」

 結局エンジは教えてくれなかった。

「ふーんだ。なんでも隠さず教えてくれるリュウの方が魅力的だよーだ」

 リュウはニコニコしながらそんな私達のやりとりを見ていた。


 家が一番近いリュウを送った後、エンジは私を自転車に乗せて家まで送ってくれる。学校帰りと同じパターンだ。

 行きには気持ちのいい下り坂も帰りには辛い登り坂に変身する。


「ユキさ、また太ったんじゃねー?」

 漕ぎながらエンジが失礼な事を言ってきた。

「バカ。中学に入ってから体重変わってないよー」

「そうなんだ。何キロなの?」

 さらっと乙女の秘密を聞こうとしてくる。

「その手にはかからないからね」

 笑いながら釘を刺すとエンジは、ちぇっ、と舌打ちをしていた。

 一体今まで何回こんなやりとりをしただろう?

 エンジはこの坂に差し掛かると、毎回の様に文句を言うけど、それでも私を後ろに乗せたまま、最後まで登り切ってくれる。

 ぎしっ、ぎしっ。自転車が悲鳴を上げている。もうすぐ坂を登り切ると言う時に、少し息を乱したエンジがおもむろに口を開いた。

「なぁ、さっきの、バイトの、理由、知りたいか?」

 漕ぐ度に言葉が途切れている。

「あ、うん。もちろん」

 急に言われたのであんまり考えずに答えた私。

 同時に自転車は坂を上り切った。もう私の家の前だ。


「お待たせお嬢様、家に着いたぜ」

「いつもありがとう……ね」

 お礼を言って家に入ろうとするエンジが呼び止めてきた。

「あのさ、明日バイト休みなんだけど、帰りちょっと付き合ってくれない?」

「うん、いいよ。どうしたの?」

「内緒だよ。男のひ・み・つ」

「うわっ、キモい!」

 私は笑いながらエンジを手で押した。

「じゃ、バイトの理由はその時に教えるよ」

 どうして今じゃないんだろう――? 

 私はちょっと不思議に思いながら、

 まぁ明日になれば分かるからいいか――。

 なんて気軽に考えて、エンジに別れを告げた。

「じゃ、明日ね♪」


 この時はまさかああいう展開になるだなんて思ってもいなかったんだけど……。

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