第7話:金竜商会と奇跡の谷
かつては忌み嫌われ、生きとし生ける者を拒んできた死の谷『竜骨谷』。
だが、今のその地に絶望の面影はどこにもなかった。
【地脈操作】によって清らかに蘇った大地には、瑞々しい緑をたたえる果樹園が広がり、整然と並ぶ石造りの美しい街並みが陽の光を浴びて輝いている。
難民として逃げ延びてきた人間たちだけでなく、
武具を鍛えるドワーフたちの槌音が響き渡り……
森からやってきたエルフたちが朗らかな歌声を添える……
「……すっかり街らしくなりましたね、アルス様」
「うん。みんなが力を合わせてくれたおかげだよ、クラウス」
領主館のテラスから発展していく景色を眺め、
少年領主アルス・ヴァルハイトは隣に立つ側近のクラウスへ微笑みかけた。
異種族や難民が分け隔てなく笑い合うこの地は、住民たちの愛着と敬意を込めて、
自然と「アルス領」と呼ばれるようになっていた。
そんな穏やかな午後、街の警備にあたっていたドワーフ兵が息を切らせて駆け込んできた。
「アルス様! 谷の入り口に、見たこともねぇ巨大な馬車隊がやって来やがりました!」
谷を囲む岩壁の狭間から姿を現したのは、金銀の装飾で彩られた数十台もの豪奢な馬車行列だった。
車列の先頭で止まった馬車から、どしりと重い音を立てて降り立ったのは、
仕立ての良い絹の服に身を包んだ肥満体の男だ。
蓄えられた金色の口ひげをさすりながら、鋭い商人の目を爛々と光らせている。
巨大商業国家ルヴィスにおいて最大手の一角を担う「金竜商会」の会長、ガゼルであった。
「ヒッヒッヒ……噂を聞いて来てみれば、たまげたなぁ!
毒気蠢く死の谷と聞いていたが、ここはまるで神話に出てくる楽園じゃないか!」
ガゼルは興奮を隠しきれない様子で、みずみずしい果実が実る樹々や、
ドワーフたちが「地脈鋼」を叩く熱気あふれる工房を次々と見回した。
そしてアルスの姿を認めると、丸い体を揺らして揉み手をしながら歩み寄ってくる。
「アルス様とお呼びしましょう! 見て回らせてもらいましたが、
この果実の芳醇な味わい、属性を問わず馴染むこの『地脈鋼』の恐ろしいまでの純度と光沢……
どれをとっても王都の最高級品を遥かに凌駕しておりますぞ!
ぜひ、我が金竜商会にこれらの独占販売権を任せていただきたい!」
ガゼルの目は、目の前にある未研磨の宝石とも言える莫大な利権に、はっきりと色めき立っていた。
アルスが答える前に、一歩前へ出たのは眼鏡の奥の瞳を光らせるクラウスだった。
「ガゼル殿。金竜商会の規模と流通網は存じております。
独占権をお渡しすること自体に異論はありませんが……引き換えに条件がございます」
「ほう? 言ってみなされ、クラウス殿!」
「金貨による対価はもちろんのこと、我がアルス領の安全の担保、
ならびに住民たちが豊かに暮らすための生活資材
——米や布、魔法具や建築資材の優先的な供給を約束していただきたい」
「ハハハ! なんだ、そんなことですか! もちろんですとも!
米でも布でも魔法具でも、望むものを何でも、このガゼルが責任を持って運び込みましょう!」
商人特有の計算深さはあるものの、ガゼルの言葉に嘘はなかった。商談は即座に成立し、固い握手が交わされる。
数日後、ガゼルの手によってアルス領の産物
——七色に輝く『地脈鋼の武具』や、一口含めば魔力をみなぎらせる『極上の魔導果実』が、王都をはじめとする大都市へと次々に積み出されていった。
『死の谷から湧き出た至高の逸品』として出荷された品々は、王侯貴族や高位の冒険者たちの間で信じられないほどの高値で取引された。
連日のように莫大な金貨と豊富な物資がアルス領へと流れ込み、
街はさらなる黄金期を迎えようとしていたのだった。
◇
——その一方で。
アルスという「大地を支える真の柱」を無能と蔑んで追い払った本家ヴァルハイト辺境伯領は、
目も当てられない凄惨な惨状に見舞われていた。
「なぜだ! なぜ今年の作物はどこもかしこも全滅なのだ!
鉱山からもまともな鉄が採れんとは、一体どういうことだ!!」
重厚な居城の執務室に、長男バルドの怒号が響き渡る。
狂乱したバルドはデスクの上の羊皮紙や書類を床へ叩きつけ、荒い息を吐いていた。
かつて広大で豊かだった領地は、アルスが去ったことで地脈が完全に枯渇し、
土地は痩せ衰え、災厄に見舞われ続けていたのだ。
父である当主・辺境伯は原因不明の重病によって床に伏せっており、
現在の実権は長男バルドと次男ジュリアスが握っていた。
「兄上、取り乱しても始まりませんよ」
壁に寄りかかり、ワイングラスを傾けていた次男ジュリアスが、
冷酷な笑みを浮かべて口を開く。
「作物が採れぬなら、領民どもからもっと税を搾り取ればよいのです。
払えぬと言うなら、家財を奪い、奴隷として売り払えば済む話」
「くそっ……! それにしたって限度がある!
……それよりもジュリアス、噂で聞いた『竜骨谷の開拓領主』の件だ。
あんな最悪の死地で、莫大な富と幻の金属が生まれているというのは本当なのか!?」
「ふん……まさか、あの無能のアルスが生きていてやっているわけではありますまい。
運良く毒気が抜けた谷を、どこかの有力な貴族か大商会が裏で開拓したのでしょう」
ジュリアスは鼻で笑い、薄暗い執務室の窓の外を見つめた。
「ですが兄上、理由はどうあれ『竜骨谷』は我がヴァルハイト辺境伯領の管轄内にあります。
ならば、そこで生み出された富はすべて、我が本家が没収して然るべき権利……そうでしょう?」
「……フッ、ハハハ! そうだ、その通りだジュリアス! 我が家の領地で勝手に稼いだ金だ、
すべて渡してもらわねば困る!」
「ええ。おとなしく引き渡すなら良し。
もし断るというのなら……私兵を送り込んで潰し、すべて奪い取ればいいだけの話ですから」
落ちぶれゆく本家の残虐な野望が、静かに、しかし確実にアルスたちの守る楽園へと迫りつつあった。




