第67話 狩り支度
酒によく似たものが出来上がった騒動から、一夜明け。
朝の訓練に顔を出したカイルは、訓練場へ足を踏み入れた瞬間、妙な視線を感じた。
近衛騎士達が、一斉にこちらを見ている。
しかも、何人かは明らかに笑いを堪えていた。
「……何ですか?」
嫌な予感がして眉をひそめると、一人の騎士が待ってましたとばかりに声を上げた。
「おいカイル。昨日、食堂で密造酒を作ってたらしいな?」
「違いますよ!」
即座に否定する。
「俺はお茶を作ろうとしただけです! そしたら、たまたま酒みたいなのができたんです!」
「何で茶を作って酒になるんだよ!」
どっと笑いが起こった。
「知らないですよ! 俺だって酒になると思ってなかったんだから!」
「しかもクラウス先生、酔っ払って歌ってたんだろ?」
「それは先生が酒に弱かっただけです!」
「酒じゃないんじゃなかったのか?」
「酒じゃないです!」
言えば言うほど墓穴を掘っている気がする。
少し離れたところでは、セドリックまで肩を震わせていた。
「アレンが聞いたら、また笑い転げるだろうな」
「絶対兄様には言うなよ!」
「もう城中に広まってるんじゃないか?」
「誰だよ、広めた奴!」
朝から散々である。
そんな騒ぎの中、ルークだけは、いつも通りに起きてきたカイルの顔を見て内心ほっとしていた。
昨夜は平然としていたとはいえ、正体の分からないものを二杯も飲んでいる。
一晩経って何か起きてもおかしくないと思っていたが、どうやら本当に何ともないらしい。
それはリューゲンも同じようで、カイルの顔を眺めながら感心したように言った。
「二日酔いもなしか。どうやら、お前は酒に強いのかもしれんな」
「酒じゃないですけどね」
そこだけは譲らない。
リューゲンは笑いながら続けた。
「しかし妙だな。ラインハルトは酒に弱かったはずだが」
「あぁ、それなら――」
ルークが何でもないことのように口を挟む。
「奥様がお強いっすからね」
「母上が?」
カイルが振り返った。
「強いなんてもんじゃないっすよ。旦那様が先に潰れても、奥様は平然と飲んでましたから」
「…………」
知らなかった母の一面を聞かされ、カイルは少し驚いた。
リューゲンは納得したように頷いた。
「なるほど。そっちの血か」
「だから酒じゃないですって」
昨夜から何度目になるか分からない訂正に、また近衛騎士達の間から笑い声が上がった。
酒に似た〝何か〟が寝つきをよくしてくれたのは確かだ。
ただし、以前ホーンラビットの血を使った時のように、身体そのものの回復が早まった感覚はない。
結局、疲労回復用としては期待外れだったため、残っていた分はリューゲンへ譲ることになった。
本人は随分気に入っていたので、カイルとしても持て余すよりはその方がいい。
ひとしきり騒ぎが落ち着いたところで、カイルは走り込みを続けていたバルドの隣へ並んだ。
「なあ、バルド」
「何だ?」
声を潜めたカイルに気付き、バルドも周囲へ聞こえない程度に声を落とす。
「森に行きたいんだけど」
「……今度は何をする気だ?」
「捕まえたい魔物がいる」
それだけで大体察したのか、バルドは小さく息を吐いた。
「分かったよ。じゃあ、明後日の休日な」
「なら、エルマーに言って猟師もつけてもらおうぜ。剣に使う魔物がいるかも聞きたいし」
「それは待て」
即座に止められ、カイルが隣を見る。
「猟師まで動かすなら、一度殿下に話を通してからだ」
「分かった。じゃあ確認頼むな」
「お前は相変わらず、人に頼むのが早ぇな……」
文句を言いながらも、断る気はないらしい。
それを確認したカイルは満足そうに笑うと、そのまま速度を落とし、後ろを走っていた近衛騎士達の輪へ混ざっていった。
◇ ◇ ◇
バルドはその後、訓練の合間を見てすぐに殿下のもとへ向かった。
話を聞いたアルフォンスは、早速エルマーを城へ呼び寄せることにした。
それからしばらくして。
執務室へ通されたエルマーは、机に向かっていたアルフォンスへ丁寧に一礼した。
「お久しぶりです、殿下」
「ああ。急に呼び立ててすまない」
「いえ」
勧められた椅子へ腰を下ろすと、アルフォンスはすぐに本題へ入った。
「実は、カイルがアルテの森へ入る際、案内役として猟師を一人つけたいと言っていてな」
「猟師を、ですか」
「ああ。ヴァルディア商会で扱う魔物素材の採取に関わっている者達がいると聞いている」
それだけで事情を察したらしく、エルマーは納得したように頷いた。
「なるほど。でしたら問題ありません。腕の立つ猟師なら、ここアルテにも何人かおります」
「そうか」
アルフォンスの表情が僅かに和らぐ。
「なら、その中から一人、こちらへ貸してもらえんか?」
「承知しました。すぐに手配いたしましょう」
返事に迷いはなかった。
さらにエルマーは、アルフォンスが次に確認しようとしていたことまで察したように続ける。
「もちろん、口の固い者を選びます。あの仕事に関わっている者達は皆、その辺りは心得ておりますので、ご安心ください」
アルフォンスは一瞬言葉を止めた。
まさに、そこを確認するつもりだった。
カイルが森で何を探し、何を捕らえ、そこから何を作ろうとしているのか。
今はまだ、外へ余計な情報を漏らしたくない。
「……さすがだな、エルマー殿」
感心したようにそう言うと、エルマーは少しだけ肩を竦めた。
「カイルと関わっていれば、そのくらいは嫌でも分かるようになりますよ」
どこか苦労を滲ませた返事に、アルフォンスの口元が僅かに緩む。
「それと、猟師をお貸しする件ですが、費用についてはお気遣いなく」
「……いいのか?」
「ええ。こちらから頂くつもりはありません」
もちろん、単なる厚意ではない。
カイルを介して生まれた王族との繋がりは、商人であるエルマーにとって金貨の枚数では測れない価値を持つ。
今ここで猟師一人分の費用を求めるより、この縁を育てた方が、いずれ遥かに大きなものとなって返ってくる。
アルフォンスにも、その思惑はすぐに読めた。
「それはありがたいな」
「こちらにも十分な利がありますので」
互いに、それ以上は口にしない。
王族と商人。
立場こそ違えど、相手が何を考えているのか分かった上で話を進められるのは楽だった。
話がまとまったところで、エルマーがふと思い出したように尋ねる。
「殿下。せっかくですので、少しカイルと話していってもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。今なら近衛騎士の訓練所にいるはずだ」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
エルマーが席を立って一礼すると、近くに控えていた使用人が案内を申し出た。
その後について城内を進み、やがて訓練所へ近付いたところで――鋭い打撃音が聞こえてきた。
木剣と木剣が激しくぶつかり合う音だ。
何度か続いた直後、ひときわ大きな音が響く。
訓練所へ足を踏み入れたエルマーの目に飛び込んできたのは、勢いよく弾き飛ばされるカイルの姿だった。
「……っ!」
地面へ叩きつけられる寸前、カイルは身体を丸めて受け身を取り、そのまま転がるように衝撃を逃がす。
ほとんど間を置かずに立ち上がると、木剣を構え直し、再び正面の相手へ飛び込んでいった。
エルマーは、その相手を見て目を細める。
長い銀髪に、年齢を感じさせない堂々とした体躯。
見間違えるはずもない。
(……本当だったのか)
以前、リューゲンの屋敷を訪ねた際、カイルは彼を〝師匠〟と呼んでいた。
冗談半分の呼び方かと思っていたが、目の前で繰り広げられている光景を見る限り、本当に師弟のような関係になったらしい。
カイルが踏み込み、木剣を振るう。
リューゲンは危なげなく受け流し、空いた胴へ一撃を返した。
カイルも咄嗟に木剣を戻すものの、受け切れずに数歩後ろへ弾かれる。
それでも止まらず、すぐに足を踏み直して再び間合いを詰めていった。
(まさか、リューゲン卿が城に住んでまで、カイルに剣を教えるとはな……)
剣都で初めて顔を合わせた時には、こんな関係になるとは思いもしなかった。
それにしても――。
(よくラインハルト殿が許したものだ)
あの二人の仲が良くないことくらい、エルマーも知っている。
その相手に息子が弟子入りしたとなれば、ひと悶着あっても不思議ではない。
もっとも、今こうして堂々と稽古をしている以上、少なくとも話はついているのだろう。
何にせよ、騎士を志す者にとって、これほど貴重な経験はない。
しばらく二人の手合わせを眺めていると、訓練場の脇に置かれた長椅子に見慣れた姿を見つけた。
同じように手合わせを眺めているルークだ。
エルマーは使用人へ礼を告げると、そちらへ歩いていく。
「ルーク」
「ん?」
呼ばれて振り向いたルークは、一瞬きょとんとしたあと、ぱっと表情を明るくした。
「エルマーさんじゃないですか!」
勢いよく長椅子から立ち上がる。
その反応に、エルマーも懐かしそうに笑った。
「久しぶりだな」
「お久しぶりっす!」
返ってきたのは、以前と何一つ変わらない元気な声だった。
「少し座るか」
エルマーが長椅子へ腰を下ろすと、ルークも隣へ座る。
目の前では、相変わらず木剣のぶつかり合う乾いた音が響いていた。
「城での生活には慣れたか?」
「はい! 皆さん、よくしてくれますよ」
「そうか」
迷いのない返事に、エルマーは満足そうに頷いた。
以前とは暮らす場所も、周囲にいる人間も大きく変わった。
カイルならどこへ放り込まれても勝手に馴染みそうだが、ルークまで元気にやっているのなら、ひとまず心配はいらないだろう。
もっとも――。
「元気なのは結構だが、もう少しくらい連絡してこい」
「え?」
エルマーは懐へ手を入れると、折り畳まれた紙束を取り出した。
それを見た瞬間、ルークの表情が固まる。
「……あっ」
「思い出したか?」
差し出されたのは、ここ数ヶ月分の売り上げがまとめられた帳簿だった。
カイルがヴァルディア商会を通して売っている商品の売り上げは、これまで毎月ルークが受け取りに行き、内容を確認していた。
ところが城へ移ってからというもの、慣れない生活に加えて次から次へと騒ぎが起こり、そのことがすっかり頭から抜け落ちていたらしい。
ルークは紙束を見つめ、ようやく実感したように呟く。
「俺達、ここに来てもう随分経ってるんすね……」
ついこの前まで王都にいたような感覚だった。
「すっかり忘れてました」
「だろうな」
エルマーは呆れるより先に笑った。
「毎日忙しそうだからな」
「いやぁ……色々ありまして」
「らしいな」
エルマーが訓練場へ目をやる。
ちょうどその先では、カイルが再びリューゲンに弾き飛ばされていた。
受け身を取って立ち上がり、懲りもせずまた向かっていく。
ルークもそちらを見て、何とも言えない顔になる。
「……まあ、大体あんな感じっす」
「なるほど」
それだけで妙に納得できてしまった。
やがて訓練場へ休憩を告げる声が飛び、張り詰めていた空気が緩む。
「はぁ……っ、はぁ……」
カイルは木剣を下ろし、額の汗を腕で拭いながら長椅子へ向かってきた。
そこでようやく、ルークの隣に座る人物へ気付く。
「あれ、エルマー」
「久しぶりだな、カイル」
「この間はありがとな」
開口一番そう言われ、エルマーはすぐに思い当たった。
リューゲンの屋敷へ、カイルから頼まれた手土産を持っていったことだろう。
「気にするな。大したものじゃない」
「いや、助かったよ」
カイルは改めて礼を言うと、そのまま長椅子の前まで来た。
「ルーク、水」
「はいはい」
慣れた様子で差し出された水筒を受け取り、栓を開ける。
よほど喉が渇いていたのか、そのまま勢いよく傾け、ごくごくと喉を鳴らしながら飲み続けた。
「そうだ、坊ちゃん」
ルークが手にしていた紙束を持ち上げる。
「俺、帳簿もらいに行くの、すっかり忘れてたっす」
「あっ」
カイルの動きが止まった。
数秒、紙束を見つめる。
「……俺も完全に忘れてた」
「ですよね」
商売をやめたつもりなど毛頭ないのに、毎月確認していた売り上げのことまで頭から抜け落ちていたらしい。
「ちょっと見せて」
ルークから紙束を受け取ると、カイルも長椅子へ腰を下ろした。
ページをめくり、並んだ数字へ目を走らせる。
「……へぇ」
先ほどまで木剣を振り回していた時とは、目つきが違った。
何がどれだけ売れたのか。
前の月と比べて数字は伸びているのか。
商品ごとの動きを追いながら、時折ページを戻しては数字を見比べていく。
そんな姿を、エルマーは黙って眺めていた。
剣を握っている時は、どこから見ても騎士を目指す少年だ。
ところが帳簿を渡した途端、纏う空気まで変わる。
数字の向こうに商品の動きを見ようとするその目は、すっかり商人のものだった。
「……エルマーか」
不意に声が飛んできた。
エルマーはすぐさま立ち上がる。
休憩に入ったリューゲンが、木剣を片手にこちらへ歩いてきていた。
「リューゲン卿。先日は夕食をご馳走様でした。少しお邪魔させていただいております」
丁寧に頭を下げるエルマーへ、リューゲンは軽く手を上げた。
「構わん。好きにせい」
そう言うなり、空いていたカイルの隣へ腰を下ろす。
それでもカイルは顔を上げない。
完全に帳簿へ意識を持っていかれていた。
「何を見ておるのだ?」
興味半分にリューゲンが紙束を覗き込む。
「売り上げです」
「売り上げ?」
「はい」
返事をしながらも、カイルの目は数字を追ったままだ。
「これが先々月で……こっちが先月か。やっぱりこっちの方が伸びてるな。でも、こっちはあんまり変わってない……」
ページを行き来しながら、商品ごとの売れ行きと伸びを確かめていく。
「……忙しい奴だな、お前は」
リューゲンは呆れたように言った。
しかし、そこへ書かれた金額を見て、表情が僅かに変わる。
やはりカイルは、かなりの金額を稼いでいる。
個人でも人を集めて魔物を狩る集団を作ることは出来たはずだ。
それでもアルフォンスに話を持ちかけたのは、カイル自身がこの国の中で騎士として役に立ちたいと考えているからなのだろう。
リューゲンは何も言わず、隣で真剣な顔をして帳簿をめくる弟子を見た。
するとカイルは、何か思いついたようにふと顔を上げた。
「なぁ、エルマー。あのエプロンと同じやり方で、服を作ってくれないか?」
「……服?」
予想していなかった言葉だったらしく、エルマーが聞き返す。
「ああ。最近、森に行くことも増えたからな。狩り用の新しい服が欲しくてさ」
カイルが言っているのは、トリニティ・クロスから職人向けに販売している強化エプロンのことだった。
布を魔物素材から作った強化液へ浸すことで、通常より丈夫になり、火にもある程度強くなる。
もともとは鍛冶職人や工房で働く者向けに作ったものだが、最近では料理人にも使われ始めていた。
「エプロンは強化液に一回浸すだけだろ?」
「ああ」
「それを何回か重ねてみてくれないか?」
「回数を増やすのか?」
「あぁ。一回だけじゃ、少し丈夫で火にも強いってくらいだろ。狩り用なら、もっと強くしたい」
森では枝へ引っ掛けることもあれば、地面へ転がることもある。
魔物と戦えば、爪や牙が掠めることだって珍しくない。
鎧を着込むほどではない場面でも、普通の布より丈夫な服なら使い道はいくらでもあった。
「何回浸せば、どのくらい丈夫になるのかも試してほしいんだ。最終的には、魔物の牙や爪に負けないものが作りたい」
「それは……かなりコストが上がるぞ」
「それでいい。まずは俺とルークが森で着られるくらいのものを作ってくれ」
自分の分まで用意してもらえると分かり、ルークは嬉しそうに頬を緩めた。
そのやり取りを聞いていたリューゲンが、すぐに口を挟んだ。
「お前らだけずるいぞ。わしの分はないのか?」
「えっ? 師匠もいります?」
「いるに決まっておろう。一緒に森へ行くのだから」
「それはそうですけど……」
カイルは少し迷ってから、声を潜める。
「これ、魔物の素材を使うんですよ。服だと肌にも触れるけど……師匠は気になりません?」
「何か害があるのか?」
「いえ、それは全くありません。そうじゃなくて、気持ち的に嫌じゃないかなって」
魔物素材を加工した道具なら受け入れられても、それを直接身につけるとなれば話は別だ。
するとリューゲンは小さく笑った。
「わしはもう魔物の血まで飲んだんだぞ。今さら服くらいで気にするか」
「ああ……確かに」
カイルもすぐに納得する。
「じゃあ、師匠の分も」
「うむ」
そこでカイルは、少し離れたところに控えていたクロードへ目を向けた。
あれだけ戦えるのだ。
リューゲンが森へ行くなら、クロードもきっと同行するだろう。
「クロードさんの分もいりますよね?」
クロードは一度リューゲンを見て、それから静かに頷いた。
「リューゲン様がお召しになるのでしたら、私も」
「じゃあ四人分だな」
カイルは指を折って数える。
「それで実際に森で使って、どれくらい丈夫なのか確認しよう」
エルマーも頷いた。
「動きやすさや、どの程度使えば傷むのかも見たいな」
「そうそう。記録も残しといて」
そこまで言うと、カイルの目が楽しそうに細められた。
「上手くいけば、ゆくゆくは猟師向けにも売れるかもしれないしな」
「待て」
リューゲンが口を挟む。
「はい?」
「お前、肌に直接触れるものは商品にしないと言っていなかったか?」
「ああ。それは今の話ですよ」
カイルはあっさり答えた。
今すぐ猟師向けに売り出すつもりはない。
今回はあくまで、自分達が森で使うための試作品だ。
ただ、どうせ作るのなら、その情報も今のうちに集めておきたいらしい。
いつか商品に魔物素材を使っていることを公表した際、人々の抵抗感が今より薄れていれば、こうした服も売り出せるかもしれない。
その時になって一から作り始めるより、今のうちに試して、使える形まで仕上げておく。
――つまり、将来売れる時が来た時のために、先に準備だけしておこうということらしい。
するとカイルは、さも当然のようにエルマーへ顔を向けた。
「というわけで、これは先々まで見据えた開発だからさ。研究費、出してくれよ」
エルマーは一瞬だけ黙り、それから小さく笑った。
要するにカイルは、自分では一枚もコインを出さず、試作品まで手に入れようとしているのだ。
「……ちゃっかりしてるな、お前は」
だが、その目つきはすぐに変わった。
「……なるほどな」
顎へ手をやり、少し考える。
「もしそこまで抵抗がなくなれば、猟師にはかなり売れそうだ」
狩りの最中に服が破れることは珍しくない。
「だろ?」
カイルがにやりと笑う。
エルマーも同じように口元を緩めた。
どうやら〝いつか売れる〟という話になった途端、完全に商人の顔へ戻ったらしい。
「分かった。まずは試作品を作ってみよう」
「頼む! 厚手の布でも試してくれよ」
「ああ、分かった」
するとカイルは、何でもないことのように付け加えた。
「ちなみに狩り用の服は、明日の夜までにな」
「はっ!?」
エルマーの声が思わず大きくなる。
「明後日、森に行くんだよ」
カイルは当然のように答えた。
エルマーはしばらく言葉を失っていたが、やがて諦めたように息を吐く。
「……分かった。ただし、それなら既製の服を強化液へ浸す形で勘弁してくれ」
「それでいいよ」
さすがのエルマーでも、一から全員の採寸をして、それぞれの好みに合わせて仕立てていたら、とても明日までには間に合わない。
あまりにもあっさり了承され、エルマーはもう一度、小さく息を吐いた。
「それと、猟師といえば、お前、探しているそうだな」
「ん?」
「さっき殿下から聞いた。アルテの森へ入るのに、案内できる猟師をつけたいんだろう?」
「ああ、そうなんだよ」
カイルは帳簿を閉じ、身体ごとエルマーへ向き直った。
「クラウス先生もアルテの森には詳しいんだけどさ。植物とか地形なら頼りになるんだけど、魔物がどこにいるかまでは分からなくて」
自然学者と猟師では、同じ森を知っていても見ているものが違う。
今回欲しいのは、獲物の痕跡を見つけ、狙った魔物の居場所まで辿れる人間だった。
「いい奴いる?」
「何人か心当たりはあるぞ」
エルマーは即答した。
アルテは森が近く、狩猟を生業とする者も多い。
その中でも腕が立ち、なおかつ今回の仕事を任せられる者となれば、自然と候補は絞られてくる。
「どんな猟師がいい?」
「そうだなぁ……ベイルさんみたいな人がいいんだけど」
「ベイル?」
エルマーの頭に浮かんだのは、王都にいるトリニティ・クロスの仲間である猟師のベイルだった。
「ああ……無口な奴がいいのか?」
「違うよ」
カイルは即座に否定した。
「罠が上手い奴」
「そっちか」
てっきり性格の話かと思っていたエルマーは、納得したように頷く。
罠を仕掛け、必要なら生け捕りまで狙える人間。
そう考えれば、思い当たる顔があった。
「なるほど。それなら、ちょうどいいのがいるぞ」
「本当か?」
途端にカイルの目が輝く。
その反応を見ながら、エルマーは小さく笑った。
どうやら今度は、売り物ではなく獲物の方へ興味が移ったらしい。
「じゃあ、明後日森に行くから、その人に城まで来てもらえるか?」
「ああ、分かった。こちらから話を通しておこう」
「助かる!」
これで案内役も決まった。
カイルは満足そうに頷くと、再び膝の上の帳簿へ目を落とした。
そんなカイルを横目に、エルマーがぼそりと付け加える。
「……まあ、少々うるさい奴だがな」
「ん?」
声が小さかったせいか、カイルには届かなかったらしい。
「何か言った?」
「いや、何でもない」
「そっか」
カイルは気にすることなく帳簿へ戻る。
だが、その呟きはエルマーのすぐ隣にいたルークの耳には、しっかり届いていた。
「…………」
ルークはきょとんとエルマーを見る。
エルマーはそれ以上説明する気もないらしく、何食わぬ顔をしている。
(……なんか、癖の強そうな人が来そうっすね)
明後日のことを考え、ルークは早くも僅かに遠い目をした。
◇ ◇ ◇
しかし、その日の夜。
事件が起きた。
カイルは武具開発工房で、いつものように古い文献を広げていた。
昼過ぎから降り始めた雨は、夜になっても止む気配がない。
カイルは窓際まで歩み寄ると、外を眺めながら眉を寄せた。
「……明後日まで降らねぇよな?」
せっかく猟師まで手配したのだ。
森へ行く日にまで降られては困る。
そんなことを考えながら窓の外を眺めていると――。
雨音に混じって、何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「お、お待ちください! ライ――様!」
「……ん?」
カイルが顔を上げる。
工房の外から、濡れた地面を蹴るような慌ただしい足音が近づいてくる。
一人ではない。
誰かが必死に追いかけているようだった。
「何だ?」
外はもう暗く、雨のせいでほとんど様子が見えない。
カイルが窓の外へ目を凝らした、その直後。
――バンッ!
激しい音とともに、工房の扉が開いた。
「うわっ!?」
その場にいた全員が振り向く。
開け放たれた扉の向こうに、一人の男が立っていた。
全身ずぶ濡れだった。
髪からは雨水が滴り、重厚な鎧の表面を幾筋もの水滴が伝っている。
肩で大きく息をしながらも、その目だけは鋭く工房の中を睨み据えていた。




