第66話 疲労回復を求めて
コンラードは机に向かったまま頭を抱え、何度目になるか分からない教育スケジュールを睨んでいた。
一つ動かしては戻し、別の授業をずらしては、また考え直す。
「……どうして私がこんなことを」
恨めしそうな声が、静かな執務室に漏れた。
事の発端はリューゲンだった。
カイルは座学の成績も十分なのだから、授業を減らして剣の稽古や製作へ時間を回せばいい。
そんな話を持ちかけられたアルフォンスは、あっさり了承したのである。
そして――。
『課題で対応できるものはそうしてくれ。あとは任せる』
その一言で、すべてコンラードへ丸投げした。
「まったく……勝手な方々ですな」
授業を減らすと言っても、単純に削ればいいわけではない。
出席しなくなった分は課題で補わせる必要があり、その課題を用意するのも当然こちらだ。
つまり、カイルの時間が空く代わりに、自分の仕事が増える。
「戦術論は削れません。歴史も最低限は必要ですし……」
あれを動かし、これを戻す。
削れる科目を探しているはずなのに、どれを見ても残す理由ばかり浮かんでくる。
その結果、目の前に残ったのは、ほとんど何も変わっていない予定表だった。
「…………」
コンラードは眼鏡を外し、深々と眉間を揉む。
「これでは減らせと言われた意味がありませんな……」
結局、騎士学校へ問い合わせ、これまでの成績や履修状況を確認しながら、課題へ切り替えられる科目を一つずつ洗い出すことになった。
教師側との調整まで加わり、しばらくは予定表と書類に追われる日々が続く。
「はぁ……」
深いため息だけが、静かな執務室へ落ちた。
◇ ◇ ◇
それから数日後。
コンラードの努力もあって調整は無事に終わり、カイルの座学は大幅に削減された。
課題で代用できる科目はそちらへ切り替え、出席が必要な授業だけを残したことで、以前とは比べものにならないほど授業時間は減った。
もっとも、カイルからすれば自由な時間が増えた感覚などまるでない。
空いた時間の大半は、そのまま剣の鍛錬へと回されたからだ。
――結果。
「ぜぇ……ぜぇ……っ」
訓練場で膝に手をつき、カイルは荒い息を繰り返していた。
(キツすぎる……)
授業が減った恩恵など、微塵も感じていない。
目の前では、リューゲンが何事もなかったかのような顔で立っている。
(何で俺より元気なんだよ……!)
まずは走り込み。
ようやく終わったと思えば、休む暇もなく素振り。
腕が重くなったところで、今度は手合わせ。
しかも、リューゲンの剣には一切の容赦がない。
「遅い!」
「うわっ!」
振り下ろされた木剣を必死に受け止めた瞬間、腕の奥まで痺れが走る。
それでも次の一撃は待ってくれない。
考える暇すらなく、ただ食らいついていくしかなかった。
そして、被害を受けているのはカイルだけではない。
長く鍛錬場に居座るリューゲンの目は、当然ながら近衛騎士達にも向けられる。
ある日、走り込みを眺めていたリューゲンが、ぽつりと漏らした。
「……走り込みが足らんな」
その瞬間、バルドの肩がびくりと跳ねる。
「よ、よし! あと十周追加だ!」
「えぇぇぇっ!?」
訓練場のあちこちから悲鳴が上がった。
だが、誰一人としてリューゲンに文句を言える者はいない。
ようやく訪れた休憩時間。
「ルーク、水!」
「はいっす!」
差し出された水筒をひったくるように受け取り、カイルは勢いよく喉へ流し込んだ。
「っはぁ!」
汗まみれの顔でリューゲンを見る。
当の本人は、まだ大して息すら乱していない。
(あのジジィ……マジでやばい)
今日だけでもう何度目になるか分からない言葉を、カイルは心の中で繰り返した。
地獄のような鍛錬が終われば、今度は座学が待っている。
ようやく解放される頃には身体だけでなく頭まで疲れ切っていたが、それでも休む暇はない。
次に向かったのは工房だった。
机の上には、剣に関する資料が山のように積まれている。
「……眠い」
重くなった瞼を擦りながら、カイルは一枚、また一枚と資料をめくっていく。
疲労とは裏腹に、調査そのものは以前より遥かに進んでいた。
古剣を使った実験によって、生き物の持つ何らかの力を利用すれば、魔法のないこの世界でも剣が反応することが分かりつつある。
それが本当に生命力と呼べるものなのかは、まだ断定できない。
だが、一つの道筋は確かに見え始めていた。
さらに文献と古剣を照らし合わせるうち、魔物素材の剣がどのように作られていたのかも少しずつ判明してきた。
剣の核となる魔物素材は、主に一種類。
そこへ加工を助ける素材を加え、必要に応じて切れ味や硬さ、耐久性といった性質を持たせる別の素材を重ねていく。
手元の古剣はヴェントラットを中心に作られ、そこへ切れ味を高めるための素材が追加されているらしい。
「師匠がよく切れるって言ってたのは、これか……」
ただし、耐久性を補う素材についての記述は見当たらない。
ならば、切れ味は高くとも、耐久性までは強化されていない可能性がある。
それにしても――。
「名前だけじゃ、ほんと分かんねぇな」
《蒼灰裂牙獣》。
大層な名だが、その正体は鋭い牙を持つネズミ型の魔物――ヴェントラットである。
おそらく〝蒼灰〟は毛色、〝裂牙〟は牙の特徴を指しているのだろう。
「……大袈裟すぎるだろ」
ため息をつき、次の名へ目を移す。
《宵眼翼獣》。
宵、眼、翼。
夜に目が利き、空を飛ぶ。
文字を一つずつ拾っていけば、自然と候補は絞られていく。
「……フクロウみたいな魔物か?」
そこまで考えたところで、一匹の姿が浮かんだ。
「ナイトアウル?」
夜の森にいる、小型のフクロウに似た魔物である。
珍しくも何ともない。
むしろ夢の中の冒険者達には、野営中の食料を狙ってくる面倒な鳥として扱われていた。
ただし、羽だけは妙に鋭い。
以前カイルとルークが森で見かけた一匹も、獲物を狙って木の枝へ降り立った瞬間、自分の羽で細い枝を切り落としてしまったことがある。
当然、足場も消えた。
「ギャッ!?」
情けない声を上げ、そのまま枝ごと地面へ落下。
しばらく本人だけが何が起きたのか分からない顔で、切れた枝を見つめていた。
その光景を思い出し、カイルの眉間に皺が寄る。
「……あれかよ」
《宵眼翼獣》。
文字だけ見れば闇夜を切り裂く恐ろしい怪鳥にしか思えないが、実物は自分の羽で自分の足場を切り落とすような魔物だ。
それでも、あの羽の鋭さを考えれば――。
「切れ味を足す素材としては、ありそうだな」
何とも締まらない話だった。
ドラゴンの牙や伝説級の魔物の鱗など、そんな分かりやすく格好いい素材ばかりが使われているわけではないらしい。
少なくとも、この古剣に関してはそうだった。
ならば、宿屋で見つけた文献も同じように読み解けばいい。
カイルは別の頁へ目を移し、書かれた特徴を拾っていく。
「ころころ小さな身体に石の鎧。口の中には小さな火山。怒らせると大変なもの、な〜んだ?」
隣で資料を覗いていたルークが、ちらりとカイルを見る。
「……なぞなぞっすか?」
「違う。解読してんの」
「いや、完全になぞなぞっすよ」
そのやり取りに、リューゲンとジークまで笑い声を漏らす。
そんな調子で、判別できそうな魔物の名を一つずつ書き出していった。
ただし、名前が分かったからといって、すぐ森へ探しに行くつもりはない。
まずはアルテ周辺に生息しているかを調べる必要がある。
師匠のように、この国にはいない魔物を求めて延々と森を彷徨うなど御免だった。
やがて出来上がった一覧を眺め、カイルは椅子の背へ身体を預ける。
「……結構いるな」
隣からルークが覗き込んだ。
「これ、全部集めるんすか?」
「あぁ。資料だけ読んでても分からねぇし、実際に試してみるしかないだろ」
眠気を振り払うように頬を叩く。
そんな毎日を繰り返すこと、数日。
「……このままじゃ死ぬ」
とうとうカイルは真顔で呟いた。
寝れば多少は回復するものの、翌朝にはまた走り込みが待っている。
さすがに身体が追いつかない。
そこでカイルが目をつけたのが――疲労回復だった。
どうせ休む時間を増やせないのなら、回復を早くすればいい。
いかにもカイルらしい発想である。
◇ ◇ ◇
その日の夜。
カイルは食堂の一角を借り、調理台の上へいくつもの材料を並べていた。
目的は一つ。
疲労回復に効く茶を作ることだ。
そして当然、ただの薬草茶ではない。
「これを使う」
取り出した小瓶には、暗赤色の液体が入っていた。
以前採取し、保存しておいたアイアーベアの血である。
エルマーに頼み、倉庫から届けてもらったものだ。
必要な薬草についてはクラウスに相談し、いくつか分けてもらっている。
もっとも――。
「なるほど……血を飲用に利用するのか」
薬草だけ渡して帰るようなクラウスではなかった。
目の前で始まろうとしている実験を見逃すはずもなく、当然のようにカイルの隣を陣取っている。
さらに、もう一人。
「どれどれ。何を始めるんだ?」
リューゲンまでやってきた。
その後ろには、いつものようにクロードが控えている。
魔物の素材を身体へ取り込む。
そんな利用法は、リューゲンですら聞いたことがないらしい。
気付けば、ちょっとした実験会の様相を呈していた。
ちなみに、バルドにもコンラードにもセドリックにも報告していない。
だが、カイルはまったく問題視していなかった。
(食堂の人達には、ちゃんと許可もらったしな)
場所を借りる許可は取った。
ならば問題ない。
――少なくとも、カイルの中ではそういうことになっている。
「前にホーンラビットの血で作ったことあるんですよ」
以前にも、その血を薬草と合わせ、疲労回復に使えないか試したことがある。
効果は抜群だった。
ただし今は在庫がないため、今回は手元にあるもので代用することになった。
「アイアーベアは初めてだけど、とりあえず少量で試すか」
鍋の中では、何種類かの薬草を煮詰めた液体が湯気を立てている。
カイルは血の入った小瓶を慎重に傾け、数滴だけ落とした。
ぽたり、ぽたり。
軽くかき混ぜたところで、鼻がぴくりと動く。
「……ん?」
さっきまで漂っていた薬草特有の青臭さとは、明らかに違う香りが立ち始めていた。
「何だこれ?」
鍋へ顔を近づけると、それにつられてクラウスも身を乗り出した。
少し遅れて、リューゲンも鼻を鳴らす。
「……酒か?」
カイルが顔を上げる。
「酒?」
リューゲンはもう一度香りを確かめるように鼻を近づけた。
「何だかウイスキーみたいな匂いがするな」
「へぇ……ウイスキーって、こんな匂いなんですか」
カイルも興味深そうに、改めて鍋の香りを嗅いだ。
薬草と魔物の血を混ぜただけなのに、どうして酒のような香りになるのか。
理由は分からない。
だが、分からないからこそ試してみたくなる。
カイルは火を止めると、少量を器へ移して氷を入れた。
十分に冷めたところで、そのまま口元へ運ぶ。
「カイル様」
それまで黙って見守っていたクロードの声が、僅かに低くなった。
「それを、ご自分でお試しになるおつもりですか?」
「え? そのつもりですけど」
当然のように答え、そのまま一口飲む。
クロードが止めるより早かった。
「ん……?」
舌の上で転がし、味を確かめる。
「なんか……味も酒っぽいような」
もっとも、未成年のカイルがこれまで口にしたことのある酒といえば、祝い事の席で出される薄く割った果実酒くらいだ。
それでも、口に含んだ時に喉の奥がかっと熱くなる感覚には覚えがあった。
「本当か!?」
真っ先に食いついたのはクラウスだった。
「私にもくれ!」
「なら、わしにもくれ」
リューゲンまで当然のように器へ手を伸ばす。
「お待ちください」
クロードが静かにその手を制した。
「でしたら、先に私が試します」
主人へ正体不明の液体を飲ませるわけにはいかない。
だが、リューゲンは鬱陶しそうにその手を払った。
「お前は心配しすぎだ」
「しかし――」
「カイルがもう飲んでるだろ」
その言葉に、クロードはゆっくりカイルを見る。
当の本人は器の中身を眺めながら首を傾げていた。
「……もう一口飲んでみよ」
「カイル様も、もう少し警戒なさった方がよろしいかと」
クロードはそう言うと、今度はルークへ目を向ける。
「……それと、あなた」
「何すか」
「従者であるなら、主人より先に毒味をするものでは?」
「嫌ですよ」
あまりにも即答だった。
クロードが黙る。
ルークは心底嫌そうに鍋を見た。
「こんな得体の知れないもん飲んで、死んだらどうするんすか?」
「…………」
「……なるほど」
「何すか、その反応」
「いえ」
どうやら価値観が違いすぎるらしく、クロードはそれ以上何も言わなかった。
この数日、行動を共にする機会も増えたが、几帳面なクロードと大雑把なルークでは、どうにも噛み合わないところが多い。
そんな二人をよそに、リューゲンはすでに器を空にしている。
「うまいな、これ」
満足そうに空の器を差し出した。
「もう一杯くれ」
「駄目ですよ」
「何でだ?」
「これは俺のです」
そもそも、毎日リューゲンにしごかれて死にそうになっている自分が飲むために作ったものだ。
本人に振る舞うためではない。
「飲みたかったら、自分で作ってください」
「わしのせいで作ってるようなもんだろ」
「分かってるなら鍛錬減らしてくださいよ!」
「それとこれは別だ」
「じゃあ、あげません!」
「ケチな奴だな」
「誰のせいだと思ってんですか!」
言い争いを始めた二人を横目に、クロードは何も言わずルークを見る。
その視線に気付いたルークは、ふいっと顔を逸らした。
どうやら今日も、歩み寄る気はなさそうだった。
その時だった。
「……ん?」
クラウスが自分の頬へ手を当てる。
「何だか……ふわふわするな」
「え?」
カイルが振り向くと、クラウスの顔がほんのり赤くなっていた。
先ほど一杯飲んだだけだというのに、目元まで僅かに緩んでいる。
「先生、酔ってません?」
「酔う? いや、私は別に……」
そう言いながらも、明らかにいつもより口調がゆったりしていた。
どうやら酒のような香りや味がするだけではなく、本当にアルコールに似た作用まであるらしい。
ルークもそれに気付き、カイルを覗き込む。
「坊ちゃんは大丈夫っすか?」
「俺?」
カイルは確かめるように、もう一杯口へ運んだ。
しばらく身体の様子を窺う。
「……別に何ともないけど」
「えぇ……?」
今度は、もう一人飲んでいたリューゲンを見る。
「リューゲン様は?」
「わしか?」
軽く身体を見回したものの、こちらも平然としている。
「別に何ともないな」
一杯で顔を赤くしているクラウス。
二杯飲んでもけろりとしているカイル。
そして、同じく何の変化もないリューゲン。
ルークは三人を順番に見比べた。
「……これ、酒に強いか弱いかの違いじゃないっすか?」
その一言に、カイルの手が止まる。
「……そうなのか?」
器へ目を落とし、少し考える。
そして、すぐに都合のいい結論へ辿り着いた。
「まぁ、別にこれ酒じゃないし。俺が飲んでも問題ないだろ」
「ですが、酒と似た作用があるのなら、控えた方がよろしいのでは?」
クロードから至極もっともな指摘が飛ぶ。
カイルは聞こえなかったふりをして、もう一口飲んだ。
せっかく見つけた、堂々と飲めそうな酒もどきである。
何より、禁止されているものを大人に隠れてこっそり楽しむというのは、この歳の少年には妙に心をくすぐるものがあった。
「酒じゃないんだから大丈夫ですよ」
「クラウス様の顔をご覧になってから仰ってください」
すっかり赤くなったクラウスを示され、カイルはそっと目を逸らした。
その様子を見ていたリューゲンが、小さく笑う。
「まぁ、気持ちは分からんでもない」
「ですよね!」
すぐさま味方を見つけたようにカイルが食いついた。
「わしらの頃は、成人が十六だったからな。酒もその頃から飲んでいた」
「ほら! 俺、十六ですよ!」
「今は違います」
クロードが静かに切り捨てる。
「…………」
カイルは不満そうに口を尖らせ、誰にも取られないよう器を両手で抱え込んだ。
どうやら、何を言われても飲むのをやめる気はないらしい。
その時だった。
「ふふ……ふふふふ……」
妙な笑い声に、全員の視線がクラウスへ集まる。
「先生?」
クラウスはふらりと立ち上がると、覚束ない足取りで食堂を出ていった。
「ちょ、先生! どこ行くんですか!」
カイルが慌てて後を追った、その直後。
「ラーラララ~♪」
廊下に、やたらと大きな歌声が響き渡った。
「先生!?」
先ほどまで薬草と魔物の血の反応について真剣に考えていた自然学者の姿は、もうどこにもない。
クラウスは上機嫌で廊下を歩きながら、聞いたこともない歌を朗々と歌っていた。
「いやぁ、楽しいな! 実に楽しい!」
「声! 先生、声でかいですって!」
夜の城である。
当然、そんな騒ぎが見逃されるはずもなかった。
「――どうされました?」
暗い廊下の向こうから声がし、ランプを持った近衛騎士が二人近づいてくる。
「何かあったのですか?」
「何もない! 私は今、とても楽しい!」
聞かれてもいないクラウスが両手を広げて答えた。
騎士達は黙って顔を見合わせる。
「……酔っ払いか?」
「そのように見えるな……」
「違います!」
カイルは反射的に否定した。
これが酒ではない以上、酔っ払いではない。
――たぶん。
「先生、ほら! もう行きますよ!」
「カイル君! 夜は素晴らしいな!」
「はいはい、素晴らしいですから!」
これ以上騒がれる前に、カイルはクラウスの腕を掴んだ。
ところが、騎士達の視線が今度はカイルへ集まる。
夜の食堂から、酔っ払ったような自然学者と一緒に出てきた十六歳の少年。
どう考えても怪しい。
「……待て、カイル」
「はい?」
ランプの明かりが、すっとカイルの顔を照らす。
「お前、こんな時間に何やってんだ?」
「えっ?」
目が一瞬だけ泳いだ。
さっきは酔っ払いではないと言ったものの、この状況ではむしろそういうことにした方が自然かもしれない。
「せ、先生が気分悪くなって……酒飲んだのかな。それは分かんないんですけど、俺が介抱してたんですよ! それで水を飲ませようと思って食堂に!」
咄嗟の言い訳だった。
もちろん、酒などどこにもない。
だが、クラウスのこの有様なら十分に通る――はずだった。
一人の騎士は納得しかけたものの、もう一人はカイルを上から下までじろじろと眺める。
「……お前、怪しいな」
「どこがですか!」
「こんな時間に食堂にいる時点で怪しい」
「だから水を――」
「騎士長を呼んだ方がいいな」
「いやいや! そこまでしなくても!」
カイルが止めるより早く、一人が踵を返す。
「ちょっと待って!」
遠ざかる足音を聞きながら、顔が引きつった。
(マズい……)
バルドが来れば、まず間違いなく食堂で何をしていたのか聞かれる。
鍋を見られれば終わりだ。
魔物の血を混ぜた正体不明の飲み物を勝手に作り、自分で飲み、さらにはクラウスを酔っ払わせた。
(絶対怒られる……!)
さっきまで酒もどきを手に入れて喜んでいた気分が、一瞬で吹き飛ぶ。
「ルーク! 先生頼む!」
「えっ、坊ちゃんは?」
「俺はこれを部屋に持って帰る!」
カイルは食堂へ戻るなり、鍋を両腕で抱え込んだ。
せっかく作ったものを没収されてたまるか。
「先生がどっか行かないように見張ってろ!」
「了解っす。ほら先生、座ってください」
「私はまだ歌えるぞ!」
「歌わなくていいっす!」
酔っ払ったクラウスをルークへ押しつけ、カイルは食堂を見回す。
「何か布ないかな……」
どうやら鍋ごと包み、こっそり自室へ持ち帰るつもりらしい。
その様子を見ていたリューゲンは、腹を抱えて笑っていた。
「はははっ! お前、完全に悪さが見つかった子供だな!」
「笑ってないで手伝ってくださいよ!」
「嫌だ。面白いから見てる」
一方のクロードは、静かにため息を吐いた。
「諦めた方がよろしいのでは」
「嫌です!」
即答だった。
ようやく大きめの布を見つけ、鍋を包み始めた――まさにその時。
複数の足音が、慌ただしく廊下を近づいてきた。
「……遅かった」
食堂の扉が開く。
入ってきたのは、バルド、コンラード、アルフォンス、そしてレオナルドだった。
「カイル」
アルフォンスが、布に包まれかけた鍋とカイルを交互に見る。
「何をやっている?」
「えぇっと……」
ぴたりと手が止まる。
どう答えれば切り抜けられるか、必死に頭を回す。
だが、その横から最悪の援護射撃が飛んできた。
「アルフォンス!」
赤い顔をしたクラウスが、嬉しそうに手を上げた。
「カイル君が、またすごいものを作ったぞ! 今度は酒だ!」
「先生っ!?」
カイルが勢いよく振り返る。
「……酒?」
アルフォンスが呟いた。
バルドも、コンラードも、レオナルドも動きを止める。
そして――。
四人の視線が、一斉にカイルへ向いた。
「…………」
鍋を抱えたまま固まるカイルへ、真っ先に詰め寄ったのはコンラードだった。
「カイル殿!」
凄まじい剣幕で声を張る。
「この国では密造酒は取り締まりの対象ですよ!!」
「違いますって! 酒じゃないですよ!」
「なら何で先生は酔っ払ってんだ?」
横からバルドが、赤い顔で上機嫌なクラウスを指差す。
「知るかよ!」
カイルも負けじと言い返した。
「これはアイアーベアの血と薬草を煮込んだお茶だ!」
「…………は?」
今度は別の意味で、その場が静まり返る。
レオナルドの顔色が変わった。
「カイル殿――なんてものを飲ませたんだ!?」
「何で俺が飲ませたことになってるんです! 先生が自分から飲んだんです!」
「問題はそこじゃない!」
「俺だって飲みましたよ!」
カイルは鍋を抱えたまま、自分を指差す。
「師匠も飲んだし。でも俺達は別に何ともないです!」
全員の視線が、今度はリューゲンへ向いた。
当の本人は平然と座ったまま、面白そうに笑っている。
「わしは何ともないぞ。美味かった」
「そういう問題ではありません!」
コンラードの怒鳴り声が食堂へ響いた。
アルフォンスはしばらく無言で、その光景を眺めていた。
酒の密造疑惑。
魔物の血を使った謎の飲み物。
酔っ払っている自然学者。
それを作った十六歳の少年。
そして、一緒になって飲んでいる元騎士団長。
どこから突っ込めばいいのか分からない。
やがて片手で顔を覆い、深いため息を吐いた。
「……コンラード」
「はい」
「バルド」
「は、はい!」
二人が揃って背筋を伸ばす。
アルフォンスはゆっくり顔を上げた。
「お前達――」
次の瞬間、怒声が食堂中へ響き渡った。
「ちゃんとカイルを見張っとらんか!!」
「「えぇっ!?」」
矛先が自分達へ向くとは思っていなかった二人の声が、見事に重なった。
「何で俺まで!?」
「私も今呼ばれて来たところなのですが!?」
「知らん! こいつを放っておくと何をしでかすか分からんことくらい、もう分かっているだろう!」
二人は反論しかけ――揃って口を閉じた。
否定できなかった。
そのまま二人揃って、キッとカイルを睨む。
「まったく、お前は!」
「どうして少し目を離すと、すぐ余計なことをするのですか!」
「何で俺が怒られるんだよ!」
理不尽だとばかりにカイルが声を上げると、リューゲンが堪えきれず笑い出した。
「はははっ! 無駄だ。こいつは首輪をつけても逃げていくぞ」
「少しは師匠も庇ってくださいよ!」
「事実だろう」
「どこが!」
リューゲンは豪快に笑いながら、鍋へ視線を落とした。
「しかし、これは本当に美味いな」
「だから俺のですって!」
「なら、わしがもらってやろう」
「何でそうなるんですか!」
すぐさま鍋を抱え直すカイルだったが、アルフォンスは笑っていなかった。
「リューゲン殿。それはやめておいた方がよろしいのでは? まだ何が起きるか分かりません」
「わしはもう飲んだが、何ともないぞ」
リューゲンは気にした様子もなく答える。
「それに、これはなかなかのものだ。酒ではないらしいが――」
口元に満足そうな笑みを浮かべた。
「味は実に美味いウイスキーだ。下手な高級品にも引けを取らん」
「…………」
その言葉に、一人だけ妙な反応をした男がいた。
ごくり。
バルドの喉が鳴る。
「……高級品にも?」
実はバルドも、かなりの酒好きだった。
つい先ほどまでカイルを叱っていた顔から、僅かに険しさが消えている。
リューゲンはその変化に気付いたらしく、面白そうに口角を上げた。
「あぁ。香りも悪くない。わしなら普通のウイスキーより、こっちを選ぶかもしれんな」
「…………」
バルドの視線が、ゆっくりと鍋へ吸い寄せられていく。
飲んでみたい。
その欲望が、あまりにも分かりやすく顔に出ていた。
結局、疲労回復のために作ったはずなのに、出来上がったのはカイルが堂々とは飲めない代物だった。




