第65話 古剣の実験
リューゲンがアルテの城で暮らすようになってから、数日が過ぎた。
その間にも、古剣の調査に向けた準備は着々と進められていた。
それを担っていたのは、ジークをはじめとする鍛冶師達と、武具研究室の者達。
アイアーベアの牙を加工してナイフを作った、お馴染みの面々である。
わざわざ古剣を調べるのには、理由があった。
ただ鉄に魔物素材を混ぜればいい、という単純な話ではない。
以前、ジーク達も試したことがあるが、うまく馴染まず剣が脆くなったり、形になっても肝心の特性が現れなかったりと、結果は芳しくなかった。
だからこそ必要なのは、素材を混ぜることではなく、その力をどう引き出すかである。
古剣では、魔法によって魔物素材の力を引き出し、それを剣へ定着させるためにオリハルコンが使われている可能性がある。
だが、この世界にはそのどちらも存在しない。
ならばまず、魔法とオリハルコンがそれぞれどのような役目を担っているのかを解き明かす必要がある。
そこが分かれば、この世界にある別の何かで代用できるかもしれない。
そのためにも、この剣は格好の手掛かりだった。
調査場所は、近衛騎士の鍛錬場に隣接した資材搬入場。
以前、カイルが殿下達へ炎や氷の瓶を披露した場所だが、今は剣の存在を隠すため、大きな板や衝立で周囲を囲っている。
授業を終えたカイルがそこへ着いたのは夕方だった。
日は傾き始めていたものの、実験にはまだ十分な明るさが残っている。
衝立の内側へ入るなり、カイルは早速、前回と同じように呪文の代わりとして刀身へ砂糖を振りかけた。
白い粒がさらさらと表面を滑り、そのまま地面へ零れていく。
「……何も起きないな」
少し離れた場所から見ていたリューゲンが呟く。
「ですね」
今回は前回のように剣を直接持たず、実験用に作られた専用の固定台へ収めている。
カイル自身も不用意には近付かず、リューゲン達が周囲を固め、さらに離れた場所にはバルドとセドリックも控えていた。
万が一カイルに異変が起きれば、二人が即座に剣から引き離す手筈である。
一方、前回の現象を実際に見ていないジーク達鍛冶師や研究者は、本当にこの剣から風など生まれるのか、まだ半信半疑だった。
そんな中、何度砂糖を振りかけても刀身は沈黙したまま。
光も宿らず、熱を帯びる気配もなく、古びた表面に砂糖だけが残っていた。
「もう少し量を増やしてみるか?」
クラウスが固定台を覗き込みながら言った。
「いや、多分量の問題じゃないと思います」
カイルは残った砂糖を見下ろし、首を振る。
「……これだけじゃ駄目なんだ」
剣を見つめながら、カイルは考える。
足りないものがある。
あの時、自分がこれを握った直後に何が起きたのか。
身体から急激に力が抜け、そのまま意識を失った。
その現象と剣の発動が無関係だとは、どうしても思えなかった。
(魔力の代わりになるのは……生命力とか、体力みたいなものなんだろうな)
今のところ、最も疑わしいのがやはり生き物そのものが持つ力である。
その考えには、クラウスもすでに辿り着いていた。
問題は、それをどう安全に確かめるかだった。
「……何か試せるもの、ありませんかね」
人間で試すには、あまりにも危険すぎる。
クラウスは顎へ手を添えたまま、しばらく考え込む。
「研究室に実験用のマウスがいるが」
「えぇ……それ、なんか可哀想じゃないですか?」
カイルは露骨に嫌そうな顔をした。
自分ですら倒れたのだ。
小さなマウスに同じことが起これば、無事で済む保証などどこにもない。
「では、どうする?」
「うーん……」
カイルは周囲へ目を巡らせる。
必要なのは、生きているもの。
それでいて、もし何か起きても大事にならないもの。
そんな都合のいいものがないかと探しているうち、視線が資材搬入場の端で止まった。
石壁の際、僅かな土の隙間から青々とした草が何本も伸びている。
「あっ、そうだ!」
声を上げるなり、カイルはそこまで駆けていった。
リューゲン達が見守る中、しゃがみ込んで一本の草を根ごと引き抜く。
「これならいい!」
戻ってきたその手には、土のついた根をぶら下げた雑草が握られていた。
「……草?」
「雑草です」
「それは見れば分かるが」
リューゲンの返しにも構わず、カイルはルークへ頼んで小さな容器に水を入れてきてもらった。
そこへ雑草の根を浸す。
「こうしとけば、まだ生きてるでしょ?」
水に浸した雑草を持って固定台へ近付き、葉と茎が持ち手へ触れるよう位置を調整すると、慎重に手を離した。
「よし。これなら枯れても誰も文句言わない」
リューゲンが何とも言えない顔で雑草を見る。
一方、クラウスは至って真剣だった。
「理屈としては間違っていないな」
「ですよね」
二人とも大真面目である。
少し離れたところでその様子を見ていたバルドが、隣のセドリックへ顔を向けた。
「……あれ本気でやってんだよな?」
「多分……」
セドリックもさすがに断言しかねたらしい。
どう見ても古代の剣を調べている光景には見えなかったが、クラウスまで真剣なのだから、二人とも黙って成り行きを見守ることにした。
カイルは再び砂糖を手に取り、刀身へさらさらと振りかける。
皆が一本の雑草と剣を食い入るように見つめていた。
しばらく待っても、目に見える変化はない。
カイルが眉を寄せかけた時、頬を微かな風が撫でた。
「……ん?」
リューゲンとクラウスも僅かに表情を変える。
「……今、風吹きましたよね?」
カイルが確かめるように言うと、クラウスがすぐに頷いた。
「ああ」
「吹いたな」
リューゲンも短く答え、三人の視線が一斉に固定台へ集まった。
一方、少し後ろにいたジーク達は互いに顔を見合わせている。
あまりに弱い風だったため、それが本当に剣から生まれたものなのかまでは判断できないようだった。
カイル自身も、まだ偶然の可能性は捨てきれない。
だが、持ち手へ触れている雑草へ目を落としたところで、別の変化に気付いた。
「……ん?」
先ほどまで張りのあった葉が、僅かに垂れていた。
「先生、これ……」
クラウスもすぐに気付き、身を屈める。
「少し萎れているな」
水へ浸してから、まだそれほど時間は経っていない。
にもかかわらず、葉からは明らかに先ほどまでの勢いが失われている。
カイルは雑草と剣を交互に見た。
「……やっぱり、この方向で合ってるかも」
「生命力か?」
「多分。ただ……これじゃ少なすぎるんじゃないですか?」
「量か」
「もっとあれば、はっきり分かるかもしれない」
「なるほど」
カイルは立ち上がり、先ほど雑草を抜いた場所へ目を向けた。
まだある。
というより、探す必要すらなかった。
資材搬入場の隅にも、石壁の際にも、少し離れた鍛錬場の周囲にも、雑草ならいくらでも生えている。
その光景を見渡したカイルの目が、急に輝いた。
「師匠」
「何だ」
「雑草、集めましょう」
「……どれくらいだ?」
「とりあえず、あるだけ!」
こうして、剣の謎を解明するという極めて真面目な目的のもと、城では突如として大規模な雑草取りが始まった。
「……何で俺まで」
地面へしゃがみ込みながら、バルドが低くぼやく。
本来、自分達はカイルに異変が起きた時のために立ち会っていただけだった。
それがどういうわけか、今では両手に雑草を握っている。
「人手は多い方がいいだろ?」
カイルは悪びれもせず、抜いた草を籠へ放り込んだ。
「いや、そうだけどよ……」
隣を見ると、セドリックはすでに状況を受け入れたらしく、何の疑問も抱いていない顔で根を切らないよう丁寧に草を抜いている。
バルドはしばらく黙ったあと、諦めたように肩を落とす。
「……抜けばいいんだろ、抜けば」
そう呟くと、再び地面へ手を伸ばした。
◇ ◇ ◇
「……何をやっておる?」
城の窓辺に立っていたアルフォンスが、ぽつりと呟いた。
その視線の先では、いつの間にか大勢の者達が衝立の外まで出てきて、資材搬入場の周囲へしゃがみ込み、雑草を片っ端からむしっている。
隣に立つレオナルドも、しばらくその光景を眺めた末に深く息を吐く。
「……分かりません」
「お前にも分からぬか」
「はい」
その少し後ろでは、書類を抱えたコンラードも窓の外へ視線を向けていた。
「剣の調査をしているはずですが……」
「わしもそう聞いておる」
アルフォンスが眉を寄せる。
リューゲンの屋敷で、例の剣から風のようなものが発生し、その際にカイルが意識を失った。
そこまでは、アルフォンスもバルドから報告を受けて知っていた。
おそらく今も、その謎を解くために動いているのだろう。
だとしても。
「……なぜ草を抜く?」
「それが分かれば、私も苦労しません」
レオナルドが即座に答える。
コンラードも眼鏡の位置を直しながら、改めて窓の外へ目を凝らした。
「少なくとも、今日の予定にはありませんでしたね」
「剣を調べるのに、草むしりが予定に入っていたら、それはそれで問題ではないか?」
「……それもそうですが」
抜かれた雑草は次々と籠へ放り込まれ、別の者がそれをどこかへ運んでいく。
もはや研究というより、城の環境整備にしか見えない。
アルフォンスは無言でその様子を眺めていたが、やがて視線が一点で止まった。
少し離れた場所に、見間違えようもない大柄な男がいる。
「……あれは、リューゲン殿ではないか?」
「はい」
「なぜ、あの方まで草を抜いておる?」
「それも……分かりません」
レオナルドが答え、コンラードも言葉を失ったままその姿を見つめる。
今なお多くの騎士達から畏敬の念を向けられる元王国騎士団長が、真剣な顔で雑草を抜いていた。
「…………」
「…………」
「…………」
三人揃って、しばらく何も言えなかった。
やがてアルフォンスが窓から離れる。
「……報告を待つか」
「それがよろしいかと」
レオナルドが頷き、コンラードも無言で同意した。
下手に関わるより、結果だけ聞いた方がよさそうだった。
◇ ◇ ◇
そうして集められた雑草は、大きな樽いっぱいになった。
「よし。これだけあれば十分だろ」
カイルは樽の中を覗き込み、満足そうに頷く。
抜いた雑草はすぐ水へ浸し、できる限り生きた状態を保っていた。
その樽を固定台の近くまで運び、何本もの草が持ち手へ触れるよう整えたところで、再び刀身へ砂糖を振りかける。
「これでどうだ?」
全員が少し距離を取り、剣を見守った。
しばらくして――ふわり、と剣の周囲から風が広がった。
刀身のそばに落ちていた砂糖が横へ滑り、枯れ葉が転がり、カイルの前髪まで持ち上がる。
「……!」
今度は、誰の目にも分かった。
剣から、確かに風が生まれている。
「本当に出たぞ……」
ジークが思わず呟き、周囲の鍛冶師や研究者達からも小さなどよめきが漏れた。
「いい感じだ!」
カイルも身を乗り出した。
一本の時とは違い、雑草の量を増やしたことで現象そのものが明らかに強くなっている。
だが、喜ぶ間もなく風は弱まり、ほんの僅かな時間で消えてしまった。
「……あれ?」
「もう終わりか?」
リューゲンが眉を寄せる。
「こんなに集めたのに……?」
カイルは樽へ近付き、中の雑草を覗き込んだ。
やはり、葉からは見る間に張りが失われ、茎も次々と垂れ下がっていく。
一本だけで試した時より、その変化は明らかに早かった。
「……やっぱり萎れるな」
リューゲンが低く呟く。
バルドとセドリックも表情を改め、クラウスは剣と雑草を交互に見比べた。
「これで、ほぼ間違いないだろうな」
「……はい」
カイルはゆっくりと頷いた。
一本では微かな風しか起きず、量を増やせば風も強くなる。
その代わり、雑草の消耗も明らかに大きくなった。
この剣が、生き物の持つ何らかの力を利用している。
それが生命力なのではないか――その可能性はかなり高そうだった。
カイルは無意識に自分の手へ目を落とす。
「……そりゃ、倒れるわけだ」
あの時、自分が意識を失ったことにも説明がつく。
だが、その納得も長くは続かなかった。
カイルの意識はすぐ、次の問題へ移っている。
「……でもなんか、少ししか風起きねぇな」
「そこか?」
リューゲンが呆れたように言った。
樽いっぱいの雑草を使ったというのに、起きた風はほんの一瞬。
先ほどの一株よりは明らかに強かったものの、カイルが倒れた時のような勢いには程遠かった。
カイルは腕を組み、萎れきった雑草を睨む。
「もっと生命力が強いものじゃないと駄目なのかな」
「生命力が強いもの?」
クラウスが聞き返す。
「草より動物とか。……こうなったら、死んでも困らない生きた魔物でも捕まえてきて、剣にくくりつけますか」
「お前、さっきマウスは可哀想だと言っていなかったか?」
リューゲンの指摘に、カイルはきょとんとした。
「だって、マウスは可哀想じゃないですか」
「魔物は?」
「別に」
「…………」
実験用のマウスには見せた慈悲が、魔物になった途端、綺麗さっぱり消えていた。
バルドが額を押さえる。
「お前なぁ……」
セドリックも何か言いたげな顔をしたが、結局口には出さなかった。
代わりにジークが深々と息を吐く。
「まさかお前、この城に生きた魔物を連れてくるつもりじゃねぇだろうな」
「ちゃんと縛っとけば大丈夫でしょ?」
「そういう問題じゃねぇ!」
ここは殿下も暮らす城であって、魔物の研究施設でも夢で見た冒険者ギルドでもない。
剣の実験のために、生きた魔物を次々と持ち込める場所ではなかった。
「でも、森まで行くの面倒だしなぁ……」
カイルが顎に手を当てた、その時だった。
「あっ!」
少し離れたところにいたルークが突然声を上げる。
「それなら、いるじゃないっすか!」
「いる?」
「ほら!」
ルークが勢いよく指差した先にあったのは、武具開発工房だった。
カイルはその建物を見つめる。
数秒してから、ようやく思い出した。
「あ。スライム!」
以前、森から持ち帰ってきたスライムが、まだ武具開発工房にいる。
必要になった時にまた素材を使って何か作れるよう持ち帰ったものの、今のところ処分されることもなく、餌まで与えられ――ある意味、飼われていた。
「いたな!」
カイルの顔が一気に明るくなる。
「ちょうどいいじゃん!」
その言葉を聞いたジークは、何とも言えない顔で武具開発工房を見た。
すると、鍛冶師達の中から突然声が上がる。
「駄目だ! アイツらが死んだらどうする!?」
「……え?」
カイルが振り返った。
声を上げたのは、鍛冶師の一人――バートンという男だった。
普段は黙々と仕事をする男だが、無類の動物好きである。
武具開発工房へスライム達が持ち込まれてからというもの、率先して餌を与え、世話を続けていた。
その結果――。
「せっかくポヨ吉達もここでの暮らしに慣れてきたんだぞ!」
「……ポヨ吉?」
カイルの眉が寄る。
「誰?」
「スライムだ!」
「名前つけたんですか!?」
「当たり前だろ!」
当たり前ではない。
後ろでバルドが吹き出しかけ、セドリックは僅かに視線を逸らした。
「待って。〝達〟ってことは、他のやつにも?」
「当然だ!」
バートンは胸を張る。
どうやら、すでに全てのスライムに名前がついているらしい。
「いや、でもスライムですよ?」
「スライムだって生きてる!」
「俺が捕まえてきたんですけど」
「だからって殺していい理由にはならん!」
「…………」
カイルは言葉に詰まる。
先ほど自分も、実験用のマウスを可哀想だと言ったばかりである。
「うーん……」
しばらく考えた末、カイルは萎れきった雑草へ目を向けた。
「……待てよ」
草だって、何も与えず実験したわけではない。
少なくとも根は水へ浸していた。
「だったら、ポヨ吉にも何か与えながらやればいいんじゃないか?」
そこまで言ったところで、カイル自身が眉を寄せる。
「……いや。でも、それじゃ草と同じか」
水を与えながら試しても、結局雑草は萎れた。
なら、餌を与えたところで同じ結果になるのではないか。
「いや、同じではないぞ」
クラウスが口を挟んだ。
「え?」
「植物は水だけで生きているわけではない。根を抜いた時点で、土から得る養分も日の光も十分には補えない」
クラウスは樽の中から萎れた雑草を一本持ち上げる。
「もし、スライムが何か一種類でも食べて生きていけるなら、失った分を補えるかもしれない」
「ああ……そっか」
カイルは改めて考える。
スライムはかなりの雑食で、工房にいる連中も今は果物だけで問題なく過ごしている。
そもそも魔物は植物ほど繊細でもなく、生命力そのものも強い。
「じゃあ、ポヨ吉には果物を食わせ続ければいいってことか?」
「少なくとも、植物よりは条件が単純だろう」
「なるほど……やるじゃん、ポヨ吉!」
「当然だ!」
なぜかバートンが誇らしげに胸を張った。
「俺が毎日世話してるからな!」
「それは関係ないでしょ」
「ある!」
「ないって」
とはいえ、理屈が通ったからといって、バートンがすぐにポヨ吉達を差し出すとは限らない。
彼はしばらく難しい顔で考え込み、簡単には返事をしなかった。
「……少しでも様子がおかしくなったら、すぐに止めるぞ」
「分かりました」
「無理もさせない」
「分かったって」
「絶対だぞ」
そこまで念を押して、ようやくバートンは渋々頷いた。
そのやり取りを眺めていたリューゲンの口元が、僅かに緩む。
つい先ほどまで、ただの素材だったはずのスライムを、カイル自身もすでに当たり前のようにポヨ吉と呼んでいた。
本人だけは、それにまったく気付いていない。
そうして、数匹のスライムが資材搬入場へ連れてこられた。
袋の中では、色の違う半透明の身体がぷるぷると蠢いている。
カイルはその中を覗き込んだ。
「で、どれがポヨ吉です?」
「その青いやつだ」
バートンが指差す。
「これ?」
「そうだ。丁寧に扱えよ」
カイルは手袋をはめて青いスライムを取り出した。
ぷるん、と柔らかな身体が両手の間で揺れる。
その横では、バートンが餌となる果物を手にしていた。
「じゃあ、やるぞ」
剣は先ほどと同じく、固定台へ収められている。
カイルはポヨ吉を持ち手へそっと貼り付けた。
ぺたり、と青い身体が張り付いたものの、特に嫌がる様子はない。
「……大丈夫そうだな」
「ポヨ吉、無理するなよ」
まるで犬か猫でも扱うように声を掛けるバートンに、カイルは思わず笑った。
準備が整ったところで、刀身へ砂糖を振りかける。
白い粒が表面へ触れた瞬間、剣の周囲の空気が一気に弾けた。
ブワッ――!
「うわっ!」
真正面から叩きつけるような風に、カイルは思わず一歩踏ん張る。
服の裾が激しくはためき、衝立まで低く軋んだ。
雑草の時とは、明らかに規模が違った。
「今度ははっきり出たぞ!」
クラウスが思わず声を上げる。
「やりましたね!」
カイルも目を輝かせた。
しかも、今度の風はすぐには止まらない。
固定台を中心に強い風が吹き続ける中、バートンだけは剣ではなく、ポヨ吉の様子をじっと見ていた。
「……おい」
青い身体が、少しずつ小さくなっている。
急激に縮むわけではない。
それでも風が続くほど、丸みを帯びていた身体が僅かずつ痩せていくのが分かった。
「ポヨ吉!」
バートンはすぐに果物を差し出す。
「ほら、食え!」
ポヨ吉は身体の一部をにゅるりと伸ばし、そのまま果物を取り込んでいった。
すると、縮みかけていた身体がゆっくりと膨らみ、元の大きさへ戻っていく。
「……戻った」
バートンが安堵の声を漏らす。
その間も、風は止まっていない。
カイルは吹き続ける風の中で、ポヨ吉の身体が再び大きさを取り戻したのを見つめた。
「いけるぞ……!」
雑草は失った分を補えず、そのまま萎れていった。
だが、ポヨ吉は違う。
削られても餌を取り込めば補うことができ、その間も剣へ力を供給し続けている。
「やっぱり、補給しながらなら維持できるんだ!」
カイルの顔が明るくなった。
その時だった。
にゅる、とポヨ吉の身体が動く。
「……ん?」
それまで持ち手へ張り付いていた青い身体が、ゆっくりと刀身へ向かって這い始めた。
まるで、何かに反応したかのようだった。
「……おい」
カイルが訝しげに見つめる中、ポヨ吉はさらに身体を広げ、刀身へ覆い被さっていく。
すると、その範囲が広がるにつれて、周囲を吹き抜けていた風も少しずつ弱まり始めた。
どうやら逃げるつもりはないらしい。
むしろ、自分から力を奪っている相手そのものを、取り込もうとしているように見える。
やがて刀身の半ばまで青い身体に包まれた頃には、衝立を揺らしていた風もほとんど収まっていた。
「何してんだ、こいつ」
それでもポヨ吉は止まらない。
さらに刀身へまとわりつき、そのまま剣全体を覆おうとしている。
まるで――。
「こいつ、剣まで食おうとしてない!?」
「ポヨ吉!?」
「ちょっ、待て待て待て!」
カイルが慌てて手を伸ばし、張り付いたポヨ吉を掴む。
「離せ! そいつは敵でも餌でもねぇよ!」
ぷるるん、と抵抗するように身体が揺れる。
「離せって!」
にゅるっ、とさらに刀身へまとわりつこうとするポヨ吉に、とうとうカイルが声を荒らげた。
「このクソスライム!! 食べるんじゃねぇ!」
ようやく引き剥がし、その勢いのまま地面へ放り投げる。
ぽよんっ、と跳ねたポヨ吉を見て、今度はバートンが叫んだ。
「ああっ!! 何すんだ! ポヨ吉が怪我したらどうする!?」
「こいつが剣食おうとしたんですよ!」
「だからって投げることないだろ!」
「食われるよりマシでしょ!」
「ポヨ吉に謝れ!」
「何で俺がスライムに謝らなきゃなんねぇんだ!」
バルドはその光景を眺めながら、とうとう額を押さえた。
「今度はスライム相手に喧嘩かよ……」
セドリックも、さすがに何とも言えない顔で黙っている。
リューゲンはゲラゲラと声を上げて笑い、クラウスは手を止めることなくメモを取り続けていた。
そして少し離れた場所では、ルークとクロードが並んでその光景を眺めていた。
古代の剣を巡る、歴史的な発見になるかもしれない実験だったはずなのだが、目の前ではカイルと鍛冶師がスライム一匹を挟んで本気で言い争っている。
その原因となったポヨ吉は、地面で何事もなかったかのようにぷるぷると揺れていた。
「……何なんすかね、これ」
ルークがぼそりと呟く。
クロードはしばらく黙っていたが、やがて静かに答えた。
「……私にも分かりかねます」
その表情からは、何の感情も読み取れなかった。
そんな騒ぎを最後に、この日の実験は終了となった。
気付けば日もかなり傾いており、ポヨ吉達はバートンに連れられて武具開発工房へ戻り、剣も再び厳重に保管されることになった。
◇ ◇ ◇
そして、その日の夕食。
リューゲンは料理を頬張りながら、向かいに座るカイルをじっと見ていた。
城で暮らし始めてから数日。
その生活を間近で見てきたことで、一つはっきり分かったことがある。
――とにかく、時間がない。
朝の鍛錬が終われば座学や別の訓練へ連れていかれ、戻ってきた頃には剣や文献の調査が待っている。
文献の解読にもまとまった時間が必要で、肝心の剣を教える時間すら思うように取れない。
数日それを見てきたリューゲンには、今のカイルの予定そのものが問題に思えていた。
「……カイル」
「はい?」
「お前、座学が多すぎないか?」
突然そんなことを言われ、カイルはきょとんとする。
「そうですか? 騎士学校とそんなに変わらないですよ」
「だから多いと言ってる」
リューゲンの眉間に皺が寄った。
彼の現役時代なら、朝から日が落ちるまで剣を握っていても珍しくはなかった。
だが、今の騎士教育はそうではない。
戦術や歴史、法律だけでなく、国の制度や他国との関係まで学ばなければならず、戦場へ立つことだけを求められた昔と比べ、騎士に必要とされる知識そのものが増えている。
その必要性くらいは、リューゲンにも分かっていた。
分かってはいるが、それでカイルが一日の大半を机へ奪われるのは面白くない。
「剣の稽古も足りん。それに、これでは剣の製作に使える時間もほとんどないではないか」
「そうなんですよ!」
思わずカイルが身を乗り出した。
自分の自由時間が増えそうな気配には、驚くほど敏感だった。
「それに、いつになったら森へ行けるんだ」
「森?」
「お前、わしに魔物の狩り方を教えると言っただろう」
「ああ、森! 俺も行きたいんですよ」
「わしは楽しみにしておるんだぞ」
リューゲンは不満そうに言いながら、また料理を口へ運んだ。
以前、カイルはリューゲンに魔物の狩り方を教えると約束している。
やりたいことはいくらでもあるのに、今の予定ではそのどれにも十分な時間を回せない。
「……まるで時間が足りんではないか」
「でしょ?」
なぜかカイルまで深刻そうな顔で頷く。
リューゲンはしばらく黙って料理を咀嚼していたが、やがて何かを思いついたように口を開いた。
「お前、座学の成績は?」
その質問を待っていたかのように、カイルがえっへんと胸を張る。
「特待生です!」
「…………」
リューゲンはしばらくカイルを眺めたあと、呆れたように鼻を鳴らした。
「本当に隙のない坊主だな、お前は」
剣が使えて、頭も回る。
そのうえ商売まで始めているのだから、本当に掴みどころのない坊主だった。
だが、それなら話は早い。
「特待生なら、受ける授業もある程度選べるだろ」
「まあ……そうですね」
「なら、一部は課題だけ出してもらって授業を減らすか」
「えっ?」
カイルの目が一気に輝く。
リューゲンはすでに本人へ相談しているというより、頭の中で勝手に今後の予定を組み始めていた。
「その分を剣の稽古と製作に回せばいい。文献を読む時間も取れるし、森へ行く時間も作れる」
「本当ですか!?」
思わぬところから舞い込んだ座学削減の話に、カイルの顔がぱっと明るくなる。
「アルフォンスには、わしから話しておく」
「お願いします!」
即答だった。
ルークがちらりとカイルを見る。
自分の授業が減るかもしれないとなった途端、随分と協力的である。
先ほどまで剣のことで頭がいっぱいだったはずなのに、今やカイルの意識は、減るかもしれない授業と、その分だけ増えるであろう時間へ完全に移っていた。
もっとも、その浮かれた顔を見たルークには、一つだけ嫌な予感がある。
リューゲンが授業を減らしてまで確保しようとしている時間が、カイルの期待しているような〝自由時間〟になるとは、とても思えなかったからだ。




