第62話 剣が語るもの
「……ほら、やっぱりな」
カイルが古剣へ砂糖を振りかけた直後、柄頭に埋め込まれた青緑色の石が光り、剣を振り抜いた瞬間、刃から放たれたのは――一陣の風だった。
巻き上げられた無数の落ち葉が、未だ鍛錬場の宙を舞っている。
確信を得たように笑うカイルとは対照的に、周囲は静まり返っていた。
バルドもコンラードも、目の前で起きた現象を理解できずに固まっている。
「「……は?」」
セドリックとルークの声は、綺麗に重なった。
一方――。
「お、おお……!」
クラウスだけは違った。
驚愕よりも好奇心が勝ったらしく、目を輝かせながら古剣を食い入るように見つめている。
「すごいぞ!! 剣から風が出たのか!?」
そしてリューゲンは、自分が長年所有していた古剣を呆然と見つめていた。
「……おい」
ようやく絞り出した声には、明らかな困惑が混じっている。
「何だ、今のは」
カイルも手の中の剣へ視線を落とした。
刃を包んでいた淡い光はすでに消えかけていたが、今の現象を見間違えるはずがない。
「これ――風の魔能を持つ魔物から作られた剣ですよ」
「魔能……?」
バルドが訝しげに呟く。
「ああ。魔物が持っていた性質が、そのまま剣に残ってる」
その言葉を聞いた途端、クラウスが勢いよく一歩踏み出した。
「では、元になった魔物も風を操るのか?」
「操るっていうより、風を起こすんです」
カイルは柄頭に埋め込まれた青緑色の石を指差した。
「灰青色の毛に、二本の短い角。長い髭と尾。それに額には、これとよく似た石がある」
先ほどまでただの装飾にしか見えなかったものが、一つずつ魔物の特徴へと置き換わっていく。
「それから――甘いものが大好物」
もう間違いない。
カイルは自信満々にその名を告げた。
「この剣の元になった魔物は――《ヴェントラット》です!」
「…………」
「…………」
「…………」
誰も反応しなかった。
「……あれ?」
バルドがコンラードを見るものの、コンラードも無言で首を横へ振った。
クラウスは首を捻り、セドリックは隣にいたルークへ顔を向ける。
「知ってるか?」
「いや……初めて聞いたっす」
リューゲンも眉を寄せた。
「ヴェント……何だ?」
「ヴェントラットですよ!」
言い直したところで、誰の顔にも理解の色は浮かばない。
「何だ、その魔物は」
「…………」
カイルの顔から、すっと興奮が消えた。
「……あぁ」
そうだった。
ここにいる者達は、そもそも魔物に詳しくない。
せっかく正体不明だった古剣の謎を突き止めたというのに、その凄さを誰にも分かってもらえないのは少し残念だった。
だが――それ以上に、ふつふつと納得できない思いが湧き上がってくる。
改めて手の中の剣へ視線を落とすと、夢で見た光景が脳裏をよぎる。
魔物から作られた剣を見た冒険者達は、その姿だけで元となった魔物を察し、
――あれを狩ったのか!?
そう驚いていた。
だからこそ、この古剣にもずっと期待していたのだ。
きっと剣にするくらいだから、すごい魔物から作られたに違いない。
ドラゴンか。
あるいは、森の主と恐れられるような存在か。
それなのに、蓋を開けてみれば――。
「……ネズミ」
「は?」
「ネズミなんだよ……」
カイルは勢いよく顔を上げた。
「ただのネズミに似た魔物なんだよ、こいつ!!」
「「「えっ!?」」」
「ちっちゃくて! 弱くて! 人間見たらすぐ逃げる! 襲われたら風を起こして、その隙に逃げる! 森の浅いところをチョロチョロしてるような奴!」
「いや、でも坊ちゃん」
ルークが困惑しながら剣を指差した。
「風、出てるじゃないっすか」
「そういう問題じゃねぇんだよ!」
「十分すごいと思うっすけど」
「俺はもっとこう……ドラゴンとか! 森の主みたいな奴だと思ってたんだよ!」
カイルは古剣を両手で掲げる。
「それがネズミ!!」
そして、期待を裏切られた怒りをぶつけるように叫んだ。
「せっかく見つけた魔物の剣がネズミとか、マジふざけんな!! あんな低級の魔物でわざわざ剣なんて作るなよ! どんだけ初心者用なんだ!」
悲痛な叫びが、夜の鍛錬場へ響き渡る。
物語に登場する特別な剣といえば、名の知れた魔物や、伝説級の素材から作られたものと相場が決まっている。
それに比べると――。
その場にいた者達の脳裏に、カイルの説明から想像した小さなネズミの姿が浮かんだ。
可愛らしい顔でぱちぱちと瞬きをし、
『チュウウ……』
と、小さく鳴く。
いくら風を生み出せるとはいえ、これでは格が落ちると言われても仕方がない。
「ぶふっ!」
とうとうセドリックが吹き出した。
バルドも笑いを堪えきれないのか、口元を僅かに緩めながら古剣を見た。
「……まあ、ネズミにしちゃ立派なんじゃねぇか?」
「夢がねぇんだよ!」
コンラードは額を押さえ、小さく息を吐いた。
その隣では、クラウスだけが剣から目を離していない。
「弱いかどうかは関係ないだろう。実際に風を生み出したんだぞ」
「先生まで正論ぶつけて来ないでください!」
「事実だ」
クラウスにとっては、元がネズミだろうが何だろうが関係ないらしい。
弱い魔物からこれほどの力を持つ剣が作れるという事実の方が、よほど興味深いのだろう。
その言葉を聞いていたリューゲンが、眉間へ深く皺を刻んだ。
「……待て。そいつは、本当に弱いのか?」
「弱いですよ」
カイルは即答した。
「罠を使えば簡単に捕まえられると思います。わざわざ剣持って追い回すような魔物でも――」
そこで、ふと何かを思い出す。
「あ」
「何だ?」
「そういえば、ヴェントラットって……この国にはいないと思いますよ」
「…………何?」
リューゲンの顔から、すっと表情が消えた。
「もっと南の暖かい地域です。一年を通して気温も湿度も高いようなところにいる魔物です」
「…………」
「少なくとも、この国の森を探したって出てこないと思いますよ」
長い沈黙が落ちた。
リューゲンが、ゆっくりと夜空を見上げる。
「……師匠?」
返事はない。
リューゲンの意識は、すでに何十年も昔へ飛んでいた。
この剣を再現するため、どれほどの苦労を強いられたか。
雨の日でも森へ入り、泥だらけになって駆け回った。
群れに囲まれたこともあれば、大型の毒を持つトカゲへ手を出し、危うく右腕を持っていかれかけたことさえある。
それでも諦めなかった。
いつか求める素材が見つかると信じて、探し続けた。
しかし――今になって、その年月がすべて無駄だったと知った。
リューゲンは夜空を見上げたまま、力なく口を開いた。
「では、わしは……この国にはおらん魔物から作られた剣を再現するために……何年も、この国の森を歩き回っておったのか……?」
カイルの頬が引きつった。
「あー……まあ……結果だけ言えば」
「ミストウルフの群れに囲まれた」
「…………」
「毒を持ったトカゲに噛まれ、三日三晩熱に魘された」
「…………」
「崖からも落ちた」
「それは魔物関係ないんじゃ――」
「黙れ」
「はい」
カイルは素直に口を閉じた。
《剣鬼》と恐れられた男の背中から、先ほどまでの威厳が綺麗さっぱり消えている。
ルークは笑ってはいけないと分かっているのか、口元を固く引き結んで顔を逸らしていた。
クラウスですら、この時ばかりは質問を控えている。
「……わしの十年は、何だったんだ」
ぽつりと零れた、その時だった。
カラン――。
古剣が、カイルの手から滑り落ちた。
「おい!」
リューゲンの顔色が変わる。
幸い、剣は土の上へ落ちただけだった。
だがカイルは、それを拾おうとしない。
自分の右手をぼんやりと見つめたまま、何度か指を動かそうとしている。
「……あれ?」
力が入らない。
それどころか、身体の芯から急速に何かが失われていくような感覚とともに、視界がぐらりと揺れた。
「坊ちゃん?」
異変に気付いたルークが眉を寄せる。
「どうしたんすか?」
「……何だ、これ」
足元がおぼつかない。
呼吸まで僅かに重くなり、意識を保っていることさえ急に億劫になっていく。
そこでようやく、カイルは思い出した。
先ほど剣が光った時。
そして、風を放った時。
確かにあった。
身体の内側から、何かを奪われるような――奇妙な感覚。
「……やべ」
何を持っていかれたのかは分からない。
けれど、ぼやけ始めた意識の中を、夢で何度も見てきた光景がよぎった。
魔物の力を宿した剣を、当たり前のように扱う冒険者達。
そして――あの世界にはあって、この世界にはないもの。
「そういや……この世界……」
ぐらりと身体が揺れる。
「魔力なんて……なかった……」
「……は?」
ルークが反応した次の瞬間――。
バタッ!
カイルがその場へ倒れた。
「坊ちゃん!!」
ルークの絶叫が、鍛錬場いっぱいに響き渡った。
「坊ちゃん! 坊ちゃん!!」
真っ先に駆け寄って地面へ膝をつき、肩を掴んで何度呼び掛けても反応がない。
バルドとセドリックも顔色を変えて駆け寄り、コンラードとクラウスがそれに続いた。
「どけ!」
リューゲンはカイルの傍らへ膝をつくと、すぐさま首筋へ指を当てた。
脈はある。
呼吸も乱れていない。
それどころか――。
「すぅ……すぅ……」
リューゲンの眉間に皺が寄る。
規則正しい寝息だった。
そして――。
「……ドラギョンの剣が……ほしい……むにゃ」
「…………」
あまりにも呑気なカイルの言葉に、張り詰めていた空気が一瞬で崩れた。
「どうなんです!?」
青ざめたルークが詰め寄る。
リューゲンは何とも言えない顔でカイルを見下ろした。
「……寝ておる」
「…………はい?」
「こいつ、寝ておるぞ」
全員の視線が、一斉にカイルへ落ちた。
苦しんでいる様子はなく、当の本人は随分と気持ちよさそうに眠っている。
「えっ!? じゃあ今の、寝言っすか!?」
ルークが目を見開いた。
どうやらカイルは余程ドラゴンの剣が欲しかったらしい。
少なくとも今すぐ命に関わる状態ではなさそうだと分かると、ルークは全身から一気に力を抜いた。
「……ハァァァ。死ぬほど驚いたっすよ……」
そんなカイルを見下ろしていたリューゲンは、地面に転がる古剣へ視線を移した。
そして、倒れる直前にカイルが口にした言葉を思い返す。
――この世界に、魔力なんてなかった。
「……魔力、か」
「魔力?」
ルークがぴくりと反応した。
「もしかして坊ちゃん……魔法使ったんすか!?」
「は?」
バルドが呆れた声を漏らす。
だが、ルークはすでに一人で話を繋げ始めていた。
「だって、剣を振ったら風がブワッて出たじゃないっすか! あんなの普通じゃないっすよ!」
幼い頃に読んだ物語。
杖を振れば炎が生まれ、傷を癒し、空すら飛ぶ魔法使い達。
もちろん作り話だと分かっている。
だが――。
「俺、読んだことあるっす! 魔力を使い切った魔法使いが、力を失って倒れる話!」
そう言って、地面で眠るカイルを指差した。
「ほら! まさにこれじゃないっすか!」
「ルーク殿」
コンラードが冷静な声で遮る。
「物語の話でしょう」
「でも風出たじゃないっすか!」
「魔法だったとは限りません」
「じゃあ、あれ何だったんすか!」
「それは……これから調べなければなりません」
「むぅ……」
ルークは納得しきれない顔で黙り込む。
クラウスは古剣とカイルを交互に見つめていた。
「だが、倒れた時期が近すぎる。剣の発動と無関係とは考えにくいな」
「クラウス殿の言う通りです。因果関係があると断定はできませんが、少なくとも疑うべきでしょう」
「なら、もう一度使えば分かるんじゃないか?」
「先生は何言ってんだ!」
バルドの怒声が飛ぶ。
「こいつが起きても絶対言うなよ! やりかねねぇから!」
「だが検証は必要だろう」
「必要でも今じゃねぇ!」
二人のやり取りを聞いていたセドリックが、地面に眠るカイルへ視線を落とした。
「……とりあえず、先にカイルをベッドに寝かせませんか?」
その一言で、全員が我に返る。
「そうっすね!」
「……そうだな。それがいい」
バルドは大きく息を吐くと、セドリックに手を借りてカイルを起こし、そのまま背負った。
セドリックが眠ったままのカイルを見ながら言う。
「一応、治癒師を呼んだ方がいいでしょうね」
「ああ。念のため診せよう」
リューゲンは、先ほど鍛錬場まで案内してきた使用人へ顔を向けた。
「治癒師を呼べ。それと、カイルを部屋へ」
「かしこまりました」
ルークは心配そうにカイルの様子を覗き込みながら、彼を背負ったバルドの後ろへぴたりと張り付いている。
使用人が一行の前へ出た。
「お部屋までご案内いたします」
皆が屋敷へ戻ろうとしたところで、誰ともなく足が止まった。
地面には、古剣が落ちたままになっている。
「…………」
先ほどの現象を目の当たりにしたあとでは、誰も迂闊に手を伸ばそうとはしない。
互いに顔を見合わせる中、リューゲンだけが何の躊躇いもなく歩み寄った。
「リューゲン様!」
コンラードが止めるより早く、リューゲンは古剣を拾い上げる。
「騒ぐな。何ともないわ」
「ですが……」
リューゲンは手の中の古剣へ目を落とした。
今はもう、何の変哲もない。
「魔法……か」
小さく鼻を鳴らす。
そんなものが本当に存在するとは思っていない。
だが。
「どちらにせよ――こいつが普通の剣ではないことだけは確かだな」
その目からは、先ほどまでの笑みが消えていた。
◇ ◇ ◇
客室へカイルを寝かせて間もなく、屋敷に出入りしている治癒師がやってきた。
部屋へ運ぶ間も、カイルが目を覚ますことはなかった。
治癒師は眠るカイルの脈を取り、呼吸や顔色を確かめながら、身体の状態を一つずつ診ていく。
リューゲン達も傍でその様子を見守っていたが、誰も口を開かない。
ただ眠っているだけに見えるからこそ、何が起きたのか分からない不安が残る。
やがて治癒師はカイルから手を離した。
「……特に問題は見当たりませんな。脈も呼吸も正常ですし、熱もない。どこかを痛めた様子もありません」
その言葉に、ルークが身を乗り出した。
「じゃあ、坊ちゃんは大丈夫なんすよね? ちゃんと目ぇ覚ますんすよね?」
治癒師は少し困ったように眉を寄せた。
「特に問題がない以上、何とも言えませんな。なぜ目を覚まさないのか、その原因が分からないのです」
「そんな……」
ルークの顔から血の気が引いた。
「坊ちゃん……」
ベッドへ身を寄せ、カイルの肩へ手を掛ける。
「坊ちゃん、起きて下さい! 寝てる場合じゃないっすよ!」
何度呼び掛けても、返事はない。
「坊ちゃん……!」
堪えていたものが限界を迎えたのか、ルークの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「起きて下さいよぉ……! 俺、まだ坊ちゃんと話したいことも、やりたいこともいっぱいあるんすから……!」
「落ち着きなさい」
治癒師はルークの肩へ、宥めるように手を置いた。
「今は無理に起こさず、安静にさせた方がよろしいでしょう。まずは様子を見るしかありません」
「でもぉ……!」
とうとうルークは、ベッドの脇へしゃがみ込んで泣き始めた。
「坊ちゃぁぁん……! 俺を置いていかないで下さい!!」
「…………」
その場にいたリューゲン達は、揃って何とも言えない顔になる。
心配しているのは全員同じだが、ここまで盛大に泣かれると、逆にどう声を掛ければいいのか分からない。
バルドが深々と息を吐いた。
「……おい! まだ死んでねぇんだぞ」
「分かってますよぉ!」
「分かっててそれかよ……」
そんなルークを見かねて、セドリックがため息をついた。
「ルーク、落ち着け。カイルがこんなことでくたばるわけねぇだろ」
「でも……」
「お前も覚えてるだろ。昔、こいつが川で溺れた時のこと」
ルークが涙の溜まった目を上げる。
「……覚えてるっすけど」
「あの時だって、引き上げた時には気を失ってた。俺達がどれだけ心配したと思ってんだ」
セドリックは呆れたように眠るカイルを見下ろす。
「それが次の日にはピンピンして、腹減ったって飯食ってただろ」
「…………」
「だから大丈夫だ」
励ますようにそう言って、セドリックはルークの頭へ手を伸ばし、ぽんぽんと優しく宥めた。
ルークはやがて袖で乱暴に涙を拭う。
「……そうっすね」
「ああ」
「坊ちゃん、しぶといっすもんね」
「そういうことだ」
治癒師の見立てでも、今のところ身体に異常はない。
原因が分からない以上、不安が消えたわけではなかったが、ここで何人もの人間がカイルを取り囲んでいても仕方がない。
ひとまず今夜は安静にさせ、様子を見ることにした。
「俺、坊ちゃんの傍にいるっす」
「何かあったら、すぐ呼べよ」
バルドの言葉に、ルークは強く頷く。
「分かったっす」
治癒師も、状態に変化があればすぐに知らせるよう言い残し、部屋をあとにする。
リューゲン達も退室し、最後に残ったバルドは眠るカイルへもう一度目を向けた。
相変わらず、何事もなかったかのように眠っている。
「……ったく。人騒がせな奴だ」
バルドが小さく呟く。
そう思っていなければ、不安で仕方がなかった。
廊下へ出たところで、バルドは先を歩くコンラードへ駆け寄った。
「……少しいいか?」
「ええ」
二人はそのまま連れ立って廊下を進み、コンラードへあてがわれた客室へ入った。
扉が閉まる。
他の者の耳がないことを確かめると、バルドは単刀直入に尋ねた。
「……お前、あれをどう見る?」
コンラードはすぐには答えず、眼鏡を外すと、懐から取り出した布でゆっくりとレンズを拭き始めた。
「危険ですね」
返事は短かった。
「原因も、仕組みも分かっていません。あの状態で繰り返せば、次も眠るだけで済む保証はない」
「ああ……」
バルドの顔から、先ほどまでの軽さが消える。
「俺達は今まで、魔物の素材を使えば丈夫な武器が作れる――その程度に考えてた」
「ええ。ですが、カイル殿の言うように、魔物の持つ性質そのものが武器へ残るとしたら」
炎や毒、雷――。
それらを宿した武器まで作れるのだとすれば、話はこれまでとはまるで違ってくる。
「……洒落にならねぇな」
「問題は、それだけではありません」
コンラードの声が一段低くなった。
「武器が何をできるかではなく――それを使うために、人間側が何を支払うのかです」
バルドは黙った。
カイルは、一度剣を振っただけで倒れた。
使うたびに何かを削られるのだとすれば、どれほど強力でも安全とは言えない。
「魔力だの魔法だの……随分と妙な話になってきたな」
「そうですね」
コンラードも小さく息を吐いた。
「正直なところ、私はもう、次に妖精や聖獣が出てきても驚かないかもしれません」
「……は?」
バルドが怪訝そうに振り返った。
「お前、さっきルークが魔法だって言った時、真っ先に否定してただろうが」
「否定したのは、あれが魔法だと決めつけることです」
「じゃあ何だ。お前、妖精や聖獣は信じてんのか?」
「存在すると言ったわけではありません」
「ややこしい奴だな……」
コンラードは気にした様子もなく、眼鏡のレンズを拭き続ける。
「妖精や聖獣に関する伝承は、昔から各地に残されています。個人的には、その手の話を読むのも嫌いではありません」
「…………」
バルドはまじまじとコンラードを見る。
「意外だな、お前」
「私にも趣味くらいありますよ」
少し不満そうにそう返すと、コンラードはレンズを拭き終えた眼鏡を掛け直した。
「もちろん、伝承をそのまま事実だと信じているわけではありません。ただ――」
コンラードの脳裏に浮かんだのは、今頃ぐっすり眠っているであろう少年だった。
「カイル殿といると、あり得ないとも言い切れなくなってきましてね」
コンラードは、心底困ったように眉間を押さえた。
「少なくとも何か分かるまでは、カイル殿にはあの剣を触らせない方がいいでしょう」
「そうだな」
好奇心が勝てばカイルが危険へ首を突っ込むのは、今に始まったことではない。
しかも今回は、長年誰にも解けなかった古剣の謎が目の前にある。
素直に諦めるとは、とても思えなかった。
「リューゲン様にも伝えておきましょう。しばらくは、あの剣を厳重に管理していただいた方がいい」
「ああ。次も寝るだけで済むとは限らねぇからな」
しばし沈黙したあと、バルドが腕を組む。
「で、どうする。今から城へ戻って、殿下に報告するか?」
「……いえ。今夜は待ちましょう」
「いいのか?」
「この状態で報告しても、殿下から尋ねられることに何一つ答えられません」
コンラードは静かに続ける。
「せめてカイル殿が目を覚ますまでは待つべきでしょう。明日の朝になっても目を覚まさないようであれば、その時はすぐに殿下へ報告します」
「……分かった」
バルドは頷いたものの、表情は晴れない。
「何もなきゃいいけどな」
「ええ」
コンラードも静かに頷く。
「今夜は、それを願うしかありませんね」
◇ ◇ ◇
その頃、リューゲンは自室の窓を開け、一人で酒を飲んでいた。
カイルが手土産として持ってきた、妻の故郷の酒だ。
月明かりが剣都の街並みを淡く照らし、窓から流れ込む涼しい風が酒の香りを揺らしている。
「……変わらんな」
一口含むと、独特の癖とともに、記憶の奥に残っていた懐かしい味が広がった。
最後に妻と飲んだのは、いつだったか。
思い出そうとして――やめた。
今夜は、それでいい。
もう一口、ゆっくりと喉へ流し込む。
安い酒だというのに、今夜はどんな上等な酒より旨く感じられた。
まさかカイルが、妻の故郷の酒だと知ったうえで、これを選んで持ってくるとは思わなかった。
本当に、妙なところで人を驚かせる少年だ。
そう思いながら杯を置き、リューゲンは卓上の古剣へ目を向けた。
鍛錬場から持ち帰った剣だ。
先ほどの出来事を思えば、もう単なる古びた剣として見ることはできなかった。
「妖刀と似ておるな……」
持ち主へ災いをもたらす剣や、人を狂わせる剣。
そんな話なら幾度となく耳にしてきたが、これまでは大半を迷信だと思っていた。
だが、今日の光景を見たあとでは、すべてを笑い飛ばす気にもなれない。
昔の人間達は、自分達が知らない何かを知っていたのかもしれない。
「まったく……」
リューゲンは杯へ手を伸ばし、喉の奥で笑う。
「カイルといると飽きんな」
アイアーベアの牙でナイフを完成させ、次は魔物から武器を作るなどと言い出したかと思えば、今度は長らく謎だった古剣の力まで引き出した。
その果てに、魔法めいた現象まで飛び出したのだ。
退屈する暇がない。
そこへ、控えめなノックが響いた。
「失礼いたします」
一人の使用人が部屋へ入ってくる。
先ほどカイル達を客室まで案内した男だ。
リューゲンが杯を片手に振り返った。
「どうした?」
「まだお休みになられていないようでしたので、少し様子を見に参りました」
「ああ」
使用人は卓上の酒へ目をやり、空になりかけた杯を見ると静かに尋ねる。
「何かお持ちいたしましょうか」
「いや、いい。今日はこれだけで十分だ」
「かしこまりました」
余計なことは尋ねず、すぐに引き下がる。
そのまま退室しようとした男を、リューゲンが呼び止めた。
「クロード」
「はい」
長くこの屋敷に仕え、リューゲンからの信頼も厚い男だった。
必要なものを言われる前に察し、余計なことは一切口にしない。
「お前から見て、カイルはどうだ?」
唐突な問いにも、クロードは慌てなかった。
僅かに考えたあと、静かに答える。
「……リューゲン様が気に入られた理由は、分かる気がいたします」
「ほう?」
「面白い方ですね」
一瞬の間を置いて、リューゲンは豪快に笑った。
「はっはっはっ! そうだろう!」
まるで自分が褒められたかのように、機嫌よく杯を持ち上げる。
「わしもそう思う。あいつは面白い」
主人の様子に、クロードも僅かに口元を緩めた。
「それに――随分と人を巻き込む方でもありますね」
「違いない」
気付けばカイルを弟子に取り、城へ住むことまで決めてしまった。
そして今は、次に何をしでかすのかと楽しみにしている自分がいる。
「まったく、大した弟子だ」
そう言って杯を傾けたリューゲンだったが、やがてその視線が卓上の古剣に戻った。
先ほどまでの笑みが、僅かに薄れる。
「クロード」
「はい」
「一つ、調べてほしいことがある」
クロードの表情からも笑みが消えた。
「何をお調べいたしましょう」
リューゲンは卓上の古剣へ目を向ける。
「――こいつだ」
「この剣を、ですか」
「ああ」
リューゲンは杯を置いた。
「古い記録を当たれ。他にも今日のように、剣が何らかの力を発した例がないか。それと――」
一瞬、眠ったままのカイルの姿が脳裏をよぎる。
「剣を手にした者へ、異変が起きた記録もだ」
「承知いたしました」
返事は早かった。
どこを調べるのか。
誰に尋ねるのか。
クロードは何も聞かず、リューゲンも方法を指示しない。
ただ、最後に一言だけ付け加えた。
「表に残っているものだけでなくていい」
クロードの目が僅かに細くなる。
「……かしこまりました」
「ああ。頼んだぞ」
「お任せください」
静かに扉が閉じる。
クロードが何を使い、どこから情報を拾ってくるのか、わざわざ聞く必要はない。
昔から――そういう男だった。
「さて……」
リューゲンは残った酒を口へ運び、卓上の古剣へ目を向けた。
「何が出てくるかの」




