第61話 引っかかり
その日の夜。
リューゲンの屋敷では、カイル達を迎えての食事が始まろうとしていた。
一行が食堂へ案内されると、大きな食卓にはすでに人数分の席が整えられている。
リューゲンがカイルを近くに呼ぶと、壁際へ控えようとしていたルークへ目を向けた。
「ルーク、お前も座れ」
「……俺もですか?」
「他に誰がいる」
「いや、でも……俺、従者なんですけど」
「わしがいいと言っておるんだ。座れ」
カイルまで当然のように隣の椅子を引いた。
「何してんだよ。座れよ」
「坊ちゃんまで……」
そこまで言われては、断る方が失礼だろう。
「……失礼します」
おずおずと腰を下ろした時、ふと視線を感じた。
壁際に控えていた一人の使用人と目が合う。
背が高く、すらりとした三十代ほどの男。
隙なく制服を着こなし、姿勢も綺麗に伸びている。
ただ――どこか怪訝そうに、ルークを見ていた。
(怖っ……)
思わず目を逸らす。
主人と同じ食卓に座り、従者らしからぬ振る舞いをしているのだから、気になるのも無理はない。
そう思ってもう一度ちらりと見ると、男はすでにルークから視線を外し、今度は食卓についた者達へ静かに目を巡らせていた。
客の様子を気にかけている――というより、一人一人を観察しているような鋭い視線だった。
まるで、何かを警戒しているようにも見える。
(……何なんすか、あの人)
理由は分からない。
けれど、ただの使用人だと思って流すには妙に気になる。
その正体の分からない違和感を頭の片隅に残したまま、ルークは前へ向き直った。
やがて食卓には、肉料理や色鮮やかな野菜、湯気を立てるスープに焼きたてのパンが次々と運ばれてきた。
「うわっ、美味そう!」
目を輝かせるカイルに、リューゲンが笑う。
「遠慮せず食え。冷めるぞ」
「はい!」
その一言を合図に、皆が料理へ手を伸ばし始めた。
カイルも早速肉料理を頬張り、満足そうに目を細める。
「美味っ!」
「口に合ったなら何よりだ」
リューゲンも料理へ手を伸ばし、その合間に酒を口へ運んでいる。
しばらく食べていたカイルは、ふと食卓を見回した。
そこで、先ほど挨拶を交わした長男夫婦の姿がないことに気づく。
「あれ? 師匠。息子さん達は?」
「あいつらなら、別室で食っとる」
「それは……何だか悪いことしましたね」
「何がだ?」
「俺達が大人数で来たからですよね?」
「違う。いつもだ。わしは鍛錬を終えてから食うから、時間が合わん」
「ああ、そういうことか」
納得したように頷いたカイルは、すぐさま別のところへ食いついた。
「やっぱり師匠、今でも毎日鍛錬してるんですね」
「まあな。身体を動かさんと、どうにも落ち着かん。もう癖みたいなものだ」
カイルは納得した。
城で手合わせをした時から、そんな気はしていた。
あの動きは、騎士団を引退して大人しく隠居していた者のそれではない。
「明日の朝もされますか?」
「ああ」
「一緒にやってもいいですか?」
「構わんぞ」
「やった!」
バルドが呆れたように口を挟む。
「お前、遊びに来たんじゃなかったのか?」
「剣を見るのも鍛錬するのも遊びじゃねぇよ」
「お前にとっちゃ全部遊びみたいなもんだろ」
「違うって」
そんなやり取りを眺めながら、リューゲンは楽しそうに酒を傾けた。
一人で囲むことが当たり前になっていた食卓が、今夜だけは随分と賑やかだ。
バルドとセドリックは料理に夢中になり、コンラードは何やら味付けを分析している。
その横では、エルマーがいつの間にか商会で扱う商品を営業し始め、クラウスもルークと楽しそうに言葉を交わしていた。
騎士に、学者に、商人に、従者。
年齢も立場も、職種さえ違う。
しばらくその様子を眺めていたリューゲンが、ふと口を開いた。
「……面白い集団だな、お前達は」
「そうですか?」
「ああ。これだけ好き勝手な人間が集まって、よく一緒に行動できるものだ」
言われてみれば、確かにそうだ。
出会った頃なら、同じ食卓を囲んでこんなふうに笑っている姿など想像もしなかった。
それでも一緒に魔物を追い、騒ぎを起こし、時には命懸けで戦っているうちに、いつの間にか距離は随分と縮まっている。
カイルは皆を見回し、ふっと笑った。
「まあ、楽しいからいいんじゃないですか?」
「違いない」
リューゲンも愉快そうに酒を口へ運ぶ。
そんな他愛のない話を交わしながら、食事の時間は穏やかに過ぎていった。
やがて食事が終わると、カイルは待ちきれないとばかりに席を立った。
「師匠、さっき言ってた他国の剣も見せてください!」
「ああ。こっちだ」
ルークも付いていこうとしたが、カイルが手で制する。
「お前はゆっくりしてろ。剣の話ばっかじゃ暇だろ?」
「いいんすか?」
「屋敷の中だぞ。何も起きねぇよ」
「坊ちゃんの場合、その言葉が一番信用できないんすけど……」
「何でだよ」
二人が言い合っている、その傍らで。
帰り支度を済ませたエルマーが、そっとリューゲンのもとへ歩み寄った。
「リューゲン様」
「ん?」
「私は仕事がありますので、これで失礼いたします。本日はありがとうございました」
「ああ。こちらこそ、よく来てくれた」
「それと――」
エルマーはちらりとカイルを見る。
本人はまだルークと何やら言い合っており、こちらの話などまるで聞いていない。
それを確かめてから、エルマーは少し声を落とした。
「カイルのことを、どうぞよろしくお願いいたします」
そう言って、深く頭を下げる。
リューゲンは僅かに目を見開いた。
今回、カイルが頼み事をした相手はヴァルディア商会だと聞いている。
それなのに、品を届けるためにわざわざ足を運んできたのは、商会の会頭であるエルマー本人だった。
その時点で、単なる客や商売相手として扱っているわけではないことは察していた。
そして今度は、そのエルマーがカイルのために頭を下げている。
血縁でもなければ、主従でもない。
それでも互いを気にかけていることは、その様子だけで十分に伝わった。
どうやら自分が思っていた以上に、この二人の間には深い繋がりがあるらしい。
「……ああ」
リューゲンは静かに応じた。
「任せておけ。弟子にした以上、半端なことはせん」
「ありがとうございます」
エルマーはもう一度頭を下げた。
そのやり取りに、当のカイルが気づくことはない。
「だから、俺は大丈夫だって!」
「それを信用できないって言ってるんすよ!」
まだルークと言い合っている。
エルマーはそんなカイルを見て小さく笑うと、皆に別れを告げ、仕事へ戻るため屋敷を後にした。
その背中を見送ると、カイルはまたリューゲンを急かし、二人で食堂を出る。
向かった先は、屋敷の地下にある剣の収蔵庫だった。
「うわぁぁ……!」
足を踏み入れた途端、カイルの声が響いた。
壁一面を埋め尽くす剣。
細身のものから幅広の大剣、刀身が大きく反ったもの、片刃のものまで、この国では見慣れない形が所狭しと並んでいる。
カイルは吸い寄せられるように一本へ駆け寄った。
「師匠、これは!?」
「ああ、それか。北方の騎兵が使っていた剣だ」
「持ってもいいですか?」
「構わん」
許可を得るなり壁から外し、軽く振ると、ひゅっ、と鋭い音が鳴った。
「軽い……! 重心も手元に近いですね」
「馬上で取り回しやすいよう作られておる」
「へぇ……! じゃあ、こっちは?」
「西方だ」
「これは?」
「南方。随分昔のものだな」
一本見ては、また次の一本へ。
カイルが質問するたび、リューゲンもどこか嬉しそうに答えていく。
「これも他国のですよね?」
「ああ」
「じゃあ、これも買ったんですか?」
何気なく尋ねると、リューゲンは首を横へ振った。
「いや。ここにあるものは、昔、戦場から持ち帰った剣が多い」
「戦場から?」
「ああ」
その言葉で、カイルは以前聞いた《剣鬼》の由来ともいえる話を思い出した。
「もしかして、自分の剣が折れた時に敵から奪って、そのまま戦い続けたっていう?」
「ああ。この国の剣は昔、今ほど出来がよくなかったからな」
リューゲンは壁から一振りを外し、刀身へ目を落とす。
「鎧へ強く打ちつければ刃が欠ける。運が悪ければ、そのまま折れる。だが戦場で剣を失ったからといって、代わりを取りに戻る暇などない」
だから倒れた敵の剣を拾い、その剣でまた戦う。
カイルは改めて壁一面を見回した。
以前聞いた噂の通り、ここに並ぶ多くは、そうして戦場で手に入れたものなのだろう。
その後も一本ずつ、どこの国の剣なのか、どんな特徴があるのかを尋ねていくうちに、ふと妙なことに気づいた。
(……何だろうな)
リューゲンが語るのは、剣のことばかりだ。
どこの国で作られ、どんな特徴があるのか。
剣そのものには驚くほど詳しいのに、持ち主がどんな相手だったのか、どんな戦いで手に入れたのかという話はおろか、自慢話の一つすら出てこない。
(噂じゃ、こうして剣を眺めながら勝利に酔ってるって話だったけど……本当にそれだけなのか?)
疑問は浮かんだものの、答えまでは分からない。
それでも胸のどこかに残る小さな引っかかりを抱えたまま、カイルはリューゲンの説明へ耳を傾けていた。
しばらくすると、リューゲンが部屋の奥を指差す。
「次は、変わり種を見せてやる」
「変わり種?」
「ああ。こっちだ」
促されるまま奥へ進んだカイルは、そこに並ぶ剣を見た途端、思わず足を止めた。
「……何ですか、ここ」
壁を埋めているのは、これまで見てきたものとは明らかに趣の違う剣ばかりだった。
赤黒い鱗で覆われた鞘に、獣の牙らしきものが柄頭から突き出した剣。
中には、鍔そのものが翼を広げた鳥のような形をしたものまである。
どれも実用性より先に、その異様な見た目が目へ飛び込んでくる。
「これは、見た目が変わったものを集めた場所だ」
「師匠、こういうのも好きなんですね」
「悪いか?」
「いや、意外だなって」
「剣は斬れればいいが、見て面白いものまで捨てる必要はなかろう。これは観賞用だ」
「へぇ……」
カイルは物珍しそうに剣を眺めながら、壁沿いに歩いていく。
「それにしても派手ですね。これなんか特に」
足を止めたのは、鮮やかな赤を基調とした一振りだった。
鞘には翼を広げた一羽の鳥が描かれ、燃えるような赤い羽の中で、長い尾羽の先だけが金色に染まっている。
「ルーヴェルか」
「ああ。よく分かったな」
王国南部の森林地帯に生息する、美しい赤羽の鳥だ。
一度つがいになれば生涯離れず、遠くへ放しても必ず巣へ戻ることから、古くより〝無事の帰還〟を象徴する鳥として知られている。
「だから剣に?」
「そういうことだろう」
興味を引かれ、カイルは剣を鞘から引き抜いた。
「うわ……刃にまで手が加えられてる」
刀身には翼や羽を思わせる細かな曲線が彫り込まれ、その溝へ紅色が流し込まれている。
鍔もまた、左右へ翼を広げたような形だ。
鞘には鳥の姿。
刀身には羽。
そして、鍔には翼。
それぞれを見比べていたカイルの目が、次第に細くなる。
「これ、ただ鞘に鳥を描いてあるだけじゃないんですね」
「どういう意味だ?」
「剣全部でルーヴェルを表してるんだ……」
一振りの剣そのものを使って、一羽の鳥を表現しているらしい。
「凝ってるなぁ……」
感心しながら元へ戻すと、リューゲンが隣を指した。
「こっちは熊だぞ」
「熊?」
今度のものは短く、刀身もやや幅広い。
その鞘全体を、茶褐色の毛皮が覆っていた。
「……これ、本物の毛ですよね?」
「ああ。熊の毛皮だ」
「鞘にそのまま使うんだ……」
カイルは柄を握り、ゆっくりと引き抜いたところで手を止めた。
「……あれ?」
現れた刀身は銀色ではない。
乳白色に近く、表面には生物由来と思わせる細かな筋が残っている。
「これ、鉄じゃないですよね?」
「骨だ」
「熊の?」
「ああ。熊の骨を加工して作ったものらしい」
カイルは改めて剣全体を見た。
鞘には熊の毛皮。
刀身には熊の骨。
さらに鍔には、鋭い爪を思わせる意匠。
「……これもだ」
「何がだ?」
「一本の剣で、熊そのものを表してる」
その瞬間、カイルの目つきが変わった。
ルーヴェルは姿や羽を意匠として落とし込み、熊は実際の毛皮や骨まで使っている。
手法こそ違うが、どちらも剣を見れば何を表しているのか分かる。
(あれ……?)
その感覚に、何かが記憶の端で引っ掛かった。
以前にも――剣を見ただけで、その正体を言い当てた者達がいた。
(……夢だ)
何度も見てきた、あの奇妙な夢。
今とはまるで違う時代。
〝冒険者〟と呼ばれる者達が存在していた世界で、一人の男が腰へ下げた剣を見て、周囲の者達が騒いでいた。
『おい……その剣……』
一人が目を見開く。
『まさか、キメラを狩ったのか!?』
その一言で、周囲が一気に騒がしくなった。
『キメラだって!?』
『嘘だろ……獅子に山羊、それに蛇まで混じった、あの化け物だろ?』
『ああ。間違いねぇ』
『初めて見たぞ……キメラの剣なんて』
あの時は気にも留めなかった。
(……何で分かったんだ?)
持ち主は何も説明していない。
それなのに冒険者達は、剣を見ただけでキメラの名を口にした。
ならば、あの剣にも一目で正体が分かる特徴があったのではないか。
カイルは手元の熊の短剣へ目を落とした。
これだって、説明されなくても熊だと分かる。
(……待てよ)
その瞬間、別の記憶が繋がった。
剣都の宿にあった資料室で読んだ、古い剣について記された文献。
牙、毛、尾、爪。
いくつもの特徴と、複数の魔物の名。
カイルはそれを、そこに記された複数の魔物すべてが、剣そのものを形作る素材として使われているという意味だと思っていた。
だが――もし違ったら?
(元になった魔物は一匹だけって可能性もあるな……)
中には、その素材を加工するための補助的な材料として使われたものもあったのではないか。
一本の剣で、一つの存在を表す。
もし古い剣にも同じ考え方が使われていたとしたら――。
カイルは勢いよくリューゲンへ顔を向けた。
かつてリューゲンが戦で攻め落とした国の宝物庫から持ち帰り、ジークと共に再現を試みた、あの古剣。
あれにも、元になった魔物を示す何かが残されているかもしれない。
「師匠!」
「何だ?」
「城に持ってきてた、あの古い剣。今どこです?」
「食堂だ。飯を食う前に置いてきた」
「もう一度見せて下さい!!」
言うが早いか、カイルは階段へ向かった。
「お、おい!」
リューゲンの声にも振り返らず地下室を飛び出し、来た道を一気に駆け戻る。
そのまま勢いよく食堂へ飛び込むと、食後の茶や菓子を楽しみながら寛いでいたルーク達が一斉に顔を上げた。
「坊ちゃん?」
クラウスとコンラードも、いつの間にか始めていたチェスの手を止める。
だが、カイルは構わずリューゲンが座っていた席の周りを探し始めた。
「師匠! どこです!?」
「だから待てと言っとるだろう」
遅れて食堂へ入ってきたリューゲンが、呆れたように一角を指差す。
「そこだ」
「これか!」
カイルは駆け寄り、置かれていた古剣を手に取った。
以前、ジークの工房でも一度手に取り、眺めたことのある一振りだ。
だが、今は見る目的が違う。
あの時に知りたかったのは、〝どうやって作られた剣なのか〟。
今、知りたいのは――。
(この剣は、何を表してる?)
食堂には十分な明かりがある。
それでも足りないとばかりに燭台を引き寄せ、古剣へ顔を近づけた。
「……坊ちゃん、どうしたんすか?」
何事かとルークが近寄ってくる。
その声につられるように、バルドやセドリック達も次々と席を立ち、古剣を覗き込むようにカイルの周りへ集まってきた。
だが、カイルは答えない。
柄、鍔、鞘、刀身。
これまでただの装飾や経年劣化だと思っていたものまで、一つずつ意味を探しながら見直していく。
その様子を、集まった皆が不思議そうに見守っていた。
やがて、リューゲンが痺れを切らしたように尋ねる。
「おい。さっきから何を見ておる?」
リューゲンに尋ねられ、カイルは古剣から目を離さないまま答えた。
「この剣です」
「それは見れば分かる」
「そうじゃなくて……この剣が何を表してるのか見てるんです」
「何を表している?」
「さっき見た剣です。ルーヴェルも熊も、一本の剣で一つの生き物を表してた」
カイルは古剣へ視線を戻す。
「だったら、これも同じかもしれない」
「……まさか」
「文献だけじゃなくて、剣そのものに答えが残ってるかもしれない」
リューゲンの声色が変わったのを耳にしながら、カイルは柄を蝋燭へ近づけた。
巻かれた素材は長い年月で黒ずみ、ところどころ擦り切れている。
これまでは革だと思っていたが、改めて指先で表面を撫でてみると――。
「……ん?」
僅かな違和感に、親指が止まった。
「これ、革じゃない」
「何?」
擦り切れた隙間に、ほんの僅かだが毛が残っている。
蝋燭の光へかざすと、黒ずみの奥から本来の色が覗いた。
「……灰色。いや、少し青い」
灰青色。
リューゲンが昔狩ったという、狼に似たミストウルフの毛にも似ている。
カイルは今度は鍔へ目を移した。
そこで、上方へ突き出す二つの小さな突起に気づく。
「……角?」
枝分かれのない二本の短い角。
頭から真っ直ぐ突き出したような円錐形をしている。
(ミストウルフに角なんかないよな)
ならば、以前話していた鹿に似たグレイホーンか。
一瞬そう考えたものの、すぐに違うと気づいた。
角の形がまるで一致しない。
さらに調べていくうち、柄の末端――柄頭に埋め込まれた小さな石で手が止まった。
「……これ、額石か?」
指先ほどの大きさしかない、青とも緑ともつかない淡い色の石。
グレイホーンも額石を持っているが、それにしては小さすぎる。
灰青色の毛。
二本の短い角。
青緑色の小さな額石。
どれも見覚えがあるのに、思い当たる魔物とは微妙に一致しない。
(何なんだ、これ……?)
まだ何か見落としている。
カイルは再び鍔へ目を戻した。
左右へ伸びる細い線も、これまでは単なる装飾だと思っていた。
だが、一本の剣で一つの存在を表しているという前提で見れば、その形にも別の意味が浮かび上がってくる。
「……髭?」
「髭?」
「ちょっと待ってください」
リューゲンを制し、今度は鞘を手に取る。
細かな傷や色褪せた装飾を上から下へ丹念に追っていくと、鞘の中央から先へ向かって伸びる一本の細い曲線で目が止まった。
髭がある。
なら、この長い曲線は――。
「……尻尾?」
灰青色の毛に、二本の短い角。
青緑色の小さな額石。
髭と、長い尾。
それまでばらばらに見えていた特徴が、カイルの頭の中で一つずつ重なっていく。
ミストウルフでもない。
グレイホーンでもない。
けれど、そのすべてを一つの身体に持つ魔物を――カイルは知っていた。
「…………あ」
記憶の中で、一匹の姿が鮮明に浮かび上がる。
「分かった」
「何?」
カイルは勢いよく顔を上げた。
「分かったぞ!」
「何がだ!?」
「この剣ですよ! 何の魔物から作られたのか、分かったんです!」
「本当か!?」
リューゲンが思わず身を乗り出す。
「はい!」
答えるなり、カイルの視線が食卓の上を走った。
飲みかけの茶に、残った焼き菓子。
そして、その傍らに置かれていたものを見つける。
「……あった」
小さな砂糖壺を掴んだ。
「坊ちゃん、それ何に使うんすか?」
「後で説明する!」
カイルは砂糖壺を抱えたまま、リューゲンへ向き直る。
「師匠! 広い場所あります?」
「広い場所?」
「はい。外で、ある程度動けるところ」
唐突な質問に怪訝そうな顔をしながらも、リューゲンは答えた。
「裏に鍛錬場があるが」
「そこ行きましょう!」
言うが早いか、カイルは古剣と砂糖壺を抱えて扉へ向かう。
「おい、待て。案内を――」
「裏ってこっちか?」
「待てと言っとるだろうが!」
すでに聞いていない。
廊下へ飛び出し、左右を見回しただけで適当な方へ走り始める。
「坊ちゃん!?」
ルークも慌てて後を追い、その場に集まっていた皆も、何が始まるのかと次々にカイルの後へ続いた。
「そっちではない!」
リューゲンが声を荒げた、その時だった。
前方で交差する廊下から、一人の男が勢いよく飛び出してきた。
「カイル様」
「うわぁ!?」
突然現れた人影に、カイルが思わず足を緩める。
食事の席で、ルークが気になっていたあの使用人だ。
「鍛錬場でしたら、こちらです」
男はそう言うと、そのままカイルの前へ出た。
そして――速い。
「え?」
ルークが目を瞬く。
制服姿のままカイルをあっさり追い越し、姿勢をほとんど崩さず廊下を駆けていく。
ルークは思わず前方を二度見した。
(……あの使用人、足速っ!)
全力で走るカイルの前を、涼しい顔で進んでいる。
それどころか、まだ余裕すらありそうだった。
(マジで何なんすか、あの人……)
食堂で感じた違和感が、再び頭の片隅に引っかかる。
だが、今はそれどころではない。
「坊ちゃん! 結局、何するんすか!」
やはり答えは返ってこなかった。
ほどなくして裏口の扉が見えてくる。
「こちらを出れば鍛錬場です」
「ありがとうございます!」
カイルは扉を開け放ち、そのまま外へ飛び出した。
屋敷の裏手には、木々に囲まれた広い鍛錬場があった。
鍛錬場の周囲にはいくつもの灯火が灯され、夜だというのに全体を見渡せるほど明るい。
固く踏み締められた地面には周囲の木々から落ちた葉がところどころ積もり、木製の訓練人形や的も並んでいる。
屋敷からもある程度離れているため、多少のことなら問題なさそうだ。
「ここならいいか!」
少し遅れて、リューゲン達も次々と姿を現した。
「それで?」
追いついたリューゲンが、カイルを睨む。
「わしらをここまで走らせたんだ。いい加減、何をするのか説明しろ」
「ああ」
カイルはようやく砂糖壺を持ち上げた。
「これを使います」
「……砂糖を?」
「はい」
コンラードが眉を寄せる。
「剣の正体を調べるのにですか?」
「ええ。たぶん、これで分かります」
カイルは古剣を鞘から引き抜いた。
集まった全員の視線が、自然とその刃へ向かう。
「俺の予想が合ってれば――」
砂糖壺の蓋を開ける。
「こいつ、甘いものが好きなんですよ」
「…………」
「…………」
誰も意味が分からない。
ルークが恐る恐る尋ねた。
「……剣がっすか?」
「違う。元になった魔物が」
その答えに、リューゲンの目つきが変わる。
「魔物の好物と剣に、何の関係がある?」
「分かりません」
「分からんのか!」
「だから試すんですよ」
カイルはあっけらかんと答え、砂糖をひとつまみした。
「ほぉら。甘くて美味しいものだぞ」
まるで剣そのものへ語りかけるように呟き、白い粒を刃へ落とす。
ぱらぱらと砂糖が銀色の刃を転がっていった。
「…………」
何も起きない。
ルークが首を傾げる。
「坊ちゃん?」
「ちょっと待てって」
カイルはさらに数粒を落とした。
その瞬間――柄頭に埋め込まれた青緑色の石が、微かに光った。
「……反応した!!」
次いで、刀身へ淡い光が走る。
同時に、柄を握る腕へ奇妙な感覚が走った。
ぞくりと、何かを引っ張られるような――。
「――っ!」
ゴォッ!!
突如として風が巻き起こった。
「うおっ!?」
カイルの髪が大きく乱れ、衣服が激しくはためく。
足元に散っていた落ち葉も一斉に舞い上がり、渦を描きながら鍛錬場を駆け抜けた。
「な、何だ!?」
バルドが腕で顔を庇う。
カイルは目を見開いた。
柄頭の石が、刃に呼応するように淡い光を放っている。
先ほどの奇妙な感覚など、すでに頭から消えていた。
(やっぱり……!)
予想は当たった。
いや――想像していた以上だ。
カイルは一歩前へ出ると、古剣を握り直した。
そして――振り抜く。
ブォンッ!!
「――っ!?」
剣が風を切った――のではない。
剣から風が生まれた。
刃の軌道を追うように放たれた一陣の風が、鍛錬場を一直線に駆け抜けていく。
舞い上がっていた落ち葉が一気に攫われ、巨大な渦となってその軌跡を描いた。
周囲の木々まで大きくしなり、ざわざわと激しく葉を鳴らす。
まるで目に見えない巨大な刃が、鍛錬場を横薙ぎに駆け抜けたかのようだった。
その光景を見つめ、カイルが小さく口元を上げる。
「……ほら、やっぱりな」




