第59話 厄介な二人組
「……今、何と?」
アルフォンスは、目の前の男から告げられた言葉に、ぎょっと目を見開いた。
「聞こえなかったか?」
リューゲンが眉間へ皺を寄せる。
「わしも、この城に住むと言ったんだ」
「…………」
アルフォンスの顔から、さっと血の気が引いた。
冗談――ではない。
目の前の男の顔を見れば、それくらいは分かる。
そして、その隣にはなぜかカイルが何食わぬ顔で座り、後ろにはルークまで控えていた。
手合わせはとっくに終わっている。
本来なら今頃、カイルは座学へ戻っているはずだった。
アルフォンスとしては、リューゲンの爆弾発言より先に、そこから問い質したいくらいだ。
「何だ? 文句でもあるのか?」
黙り込んだアルフォンスへ、リューゲンの鋭い眼光が向けられる。
「い、いえ。文句などは……」
珍しく歯切れが悪い。
普段なら多少の無理難題を持ち込まれようと、笑って受け流す男である。
だが、相手が悪かった。
リューゲンは昔から、王族だからと遠慮してくれる男でもない。
きっぱり断ろうにも、どうにも強く出られなかった。
「なら決まりだな」
「いえ、まだ何も決まっておりませんが!?」
「……何だ?」
「あの……その……」
アルフォンスは言葉に詰まった。
その様子を見て、カイルが不思議そうに首を傾げる。
「殿下、駄目なんですか?」
「カイル。少し黙っていなさい」
「何でですか?」
「いいから黙っていなさい」
いつになく切実な声に、カイルは渋々口を閉じた。
まさか剣都にいるはずの元団長が突然、この城に住むと言い出すとは思わなかった。
しかも、その原因は――。
(……間違いなくカイルだな)
聞くまでもなかった。
そんなアルフォンスの苦悩など知る由もなく、カイルがふと思いついたように口を開く。
「あ、部屋がないなら俺の部屋に泊まります? ベッドなら二つありますよ。ルークが使ってるやつがあるし」
その瞬間、後ろに控えていたルークが勢いよく身を乗り出した。
「坊ちゃん!」
「何だよ」
「それじゃ俺の寝るところはどうなるんすか!」
「ソファでいいだろ」
「はぁ!?」
「何だよ。あのソファ、結構フカフカしてるだろ」
「してますけど! 何で俺が追い出されるんすか!」
「師匠にソファで寝てもらうわけにいかねぇだろ」
「……待て」
アルフォンスの動きが止まった。
今、聞き慣れない言葉が混じっていた。
「カイル」
「はい?」
「今、何と言った?」
「ルークがソファで――」
「そこではない。その後だ」
アルフォンスは眉を寄せる。
「……師匠?」
「ああ!」
何を聞かれたのか分かったらしく、カイルの顔がぱっと明るくなった。
「リューゲン卿が、俺の剣の先生になってくれるそうです!」
「何だと!?」
アルフォンスが椅子から身を乗り出した。
リューゲンは上機嫌に口元を緩め、大きな手でカイルの頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。
「そういうことだ。こいつを弟子に取ることにした」
「ちょっ、師匠! 髪ぐちゃぐちゃになりますって!」
文句を言いながらも、カイルはどこか嬉しそうだ。
アルフォンスはしばらく言葉を失った。
リューゲンが城に住む。
それだけでも十分すぎる話なのに、いつの間にかカイルまで弟子になっている。
「……少し待ってくれ」
額を押さえながら、どうにか言葉を絞り出す。
「私は今、初めて聞いた話が二つあるのだが」
「そうですか?」
「そうだ!」
なぜ本人が一番不思議そうな顔をしているのか。
ほんの少し目を離しただけで、話が進みすぎている。
アルフォンスは深く息を吐き、嬉しそうなカイルと、その頭へまだ手を置いているリューゲンを見た。
「……私はどこから話を整理すればいい?」
その後ろに控えていたレオナルドも、無言でこめかみへ手をやった。
これは、思っている以上に大事になる。
リューゲンは幾度もの戦で功績を挙げ、《剣鬼》の異名とともに英雄として名を馳せた元王国騎士団長だ。
騎士達からの信望はもちろん、国民からの支持も根強く、表舞台から退いた今なお影響力は大きい。
これまでにも、その名声を自らの陣営へ取り込もうと様々な貴族が接触を図ったが、どれにも興味を示さなかった。
その男が今、自らアルフォンスの城に住むと言い出したのだ。
本人にそのつもりがなくとも、王都では――あのリューゲンが、アルフォンス殿下のもとへ付いた。
そう受け取る者が出てくる。
ただ、悪いことばかりではない。
現在、カイルを中心に進めている私兵の立ち上げには、間違いなく追い風だ。
リューゲン自身が組織に加わらずとも、この城に身を置き、その構想を支持していると知られるだけで大きな後ろ盾となる。
国王を説得するための駒が、あと一つ足りない。
そう考えていたところへ、盤そのものを机から払い落としかねない男が飛び込んできたのだ。
一方で――だからこそ、アルフォンスが力を持つことを警戒する者も出てくる。
(……これは陛下にも、早めにご説明しておいた方がよさそうですね)
レオナルドが今後の段取りを考える一方、当のリューゲンはそんな政治的事情など知ったことではないとばかりに腕を組んだ。
「それで、部屋はあるのか? ないのか? どっちだ?」
「…………」
――この城を、宿屋か何かだと思っているのだろうか。
アルフォンスは言いたい言葉をぐっと飲み込んだ。
ところが、ここで断ったところで、素直に剣都へ帰るような男でもない。
しばらく黙った末、諦めたように息を吐いた。
「……ございます」
「そうか。なら決まりだな」
アルフォンスは深いため息をつくと、ちらりと後ろへ視線をやった。
「レオナルド」
「はい」
「カイルの部屋の隣を空けろ」
そこも現在は客室として整えられており、すぐに使える部屋だった。
「……承知いたしました」
返事を聞いた途端、カイルの顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ、師匠はお隣さんですね!」
「ああ、そうなるな」
「これで剣もすぐ教えてもらえますね!」
「ああ。朝でも夜でも付き合ってやる」
「本当ですか!?」
ますます目を輝かせるカイルに、リューゲンも満更ではなさそうだ。
そんな二人を前に、アルフォンスは何とも言えない顔になった。
どうやら本人達にとっては、リューゲンがこの城へ移り住むという一大事よりも、隣の部屋になったことの方が重要らしい。
王都へどう説明するか。
兄上へどう報告するか。
それを考えるのは、どうやら自分達の仕事になりそうだった。
「では、一度屋敷へ戻るか」
話が決まったとばかりに、リューゲンが立ち上がった。
「もうですか?」
カイルが少し寂しそうに見上げる。
城に住むと決まったのだから、てっきり今日から一緒に過ごせるものだと思っていた。
夕食を囲み、そのあとも剣の話を聞けるかもしれない――などと、勝手に考えていたのだ。
そんなカイルの頭を、リューゲンは大きな手でぽんぽんと叩いた。
「必要な荷物を持ってこなければならんからな」
「そっか……」
すると、リューゲンがふと思い出したように口元を緩める。
「そうだ。うちには剣のコレクションがあるぞ」
「剣の?」
しょんぼりしていたカイルが、ぴくりと反応した。
「ああ。昔使っていたものから、各地で集めたものまで色々とな。珍しい剣も何本かある」
その瞬間、目の色が変わる。
「見たい!」
食いつくまで、一瞬だった。
リューゲンは楽しそうに笑った。
「なら、一緒に来るか?」
「行きます!」
「待て待て待て」
すかさずアルフォンスが割って入る。
「今から行くつもりか?」
「はい。剣、見たいですし」
当然のように頷くカイルへ、アルフォンスは窓の外を示した。
日はすでに傾き始めている。
「もう夕方になるぞ」
だが、リューゲンはまるで気にしていなかった。
「構わんだろう。遅くなりそうなら、うちに泊まればいい」
「えっ、いいんですか!?」
カイルの目がさらに輝く。
「もちろんだ。部屋なら余っている」
「泊まります!」
「まだ遅くなると決まっていないだろう!」
アルフォンスの声が飛ぶ。
しかしリューゲンは意に介さず続けた。
「どうせ剣を見始めれば、すぐには帰らんだろう。なら最初から泊まるつもりで来ればいい」
「それもそうですね!」
また勝手に話が進んでいる。
アルフォンスは呆れたように息を吐き、再び口を挟んだ。
「カイル。明日は平日だぞ」
「はい?」
「はい? ではない。授業があるだろう」
「あっ……」
どうやら今思い出したらしい。
ところが、リューゲンはあっさりと言う。
「一日くらいいいだろう」
「よくありません!」
執務室へアルフォンスの声が響く。
そこでカイルが、真面目な顔で口を開いた。
「殿下。剣を見るのも勉強ですよ」
「…………どこがだ」
「昔の剣なら、今とは作り方も違うかもしれない。それを実際に見て、触って覚えるのも立派な勉強です」
「その通りだ」
リューゲンが大きく頷いた。
「剣士なら、色々な剣を見ておいて損はない」
「ですよね!」
「二人で話を正当化するな!」
アルフォンスは思わず机を叩いた。
城へ住む話を片付けたと思えば、今度は師弟揃って翌日の授業まで放り出そうとしている。
ただでさえ、今日もまともに授業を受けていないというのに。
さらに、リューゲンが追い打ちをかける。
「書物を読むだけが勉強ではあるまい」
アルフォンスの眉間には深い皺が刻まれる。
リューゲンにそう言われてしまえば、確かに一理ある。
駄目だ。
いや、しかし――。
カイルにとって得るものがないかと問われれば、そんなことはない。
しばらく悩んだ末、アルフォンスは深々と息を吐いた。
「……分かった。行ってこい」
「本当ですか!?」
カイルの顔がぱっと明るくなる。
「ただし、バルドを連れて行け」
「バルドも?」
「当然だ。お前の護衛につける」
「分かりました!」
すると、後ろに控えていたレオナルドが口を挟む。
「殿下。でしたら、コンラード殿にも同行していただいた方がよろしいかと」
「コンラードもか?」
「はい。カイル殿の監督役でもありますし」
「確かにな」
アルフォンスが頷いたところで、ルークがおずおずと片手を上げた。
「それなら、クラウス先生とセドリックさんも誘った方がいいんじゃないっすか?」
「なぜだ?」
「あとで知ったら、自分達だけ置いていかれたって拗ねますよ」
「…………」
否定しきれなかった。
クラウスなら間違いなく文句を言うだろうし、セドリックも多少は気にするかもしれない。
アルフォンスは腕を組み、低く唸った。
「うーん……」
バルドにコンラード、さらにクラウスとセドリック。
もはや、ちょっとした外出という人数ではない。
とはいえ、最近ではこの面々がカイルと共に動くのも珍しくなくなっている。
今さら誰か一人だけ外すのも、それはそれで妙だった。
すると、リューゲンが痺れを切らした。
「おい、いつまで悩んでおる。行くなら行く、行かんなら行かんで、さっさと決めんか」
「あなた方が急に言い出したからでしょう!」
「もう日が暮れるぞ」
「分かっています!」
アルフォンスは眉間を押さえ、もう一度だけ唸る。
そして――。
「……もういい。全員で行ってこい」
結局、渋々そう告げた。
「やった!」
カイルが嬉しそうに声を上げる。
リューゲンも豪快に笑った。
「随分と大所帯になったな」
「みんなで行った方が楽しいですよ!」
「遊びに行くのではないぞ」
アルフォンスがじろりと睨む。
カイルは真顔で答えた。
「勉強です」
「……その言い訳はもう聞いた」
話がまとまると、レオナルドはすぐに使用人を呼び、バルド、コンラード、クラウス、セドリックへ出発の準備をするよう伝えさせた。
カイルも「あっ」と声を上げる。
「じゃあ、泊まる準備してこないと!」
「坊ちゃん、俺の分も忘れないでくださいよ!」
「自分でやれよ!」
そう言い残し、カイルはルークを連れて、執務室を飛び出していく。
なぜかリューゲンまでその後を追った。
「わしも行こう」
「師匠も来るんですか?」
「隣の部屋も見ておきたいからな」
「ああ、そっか。こっちです!」
二人の声が廊下の向こうへ遠ざかっていく。
執務室が急に静かになった。
アルフォンスは椅子の背へ深く身体を預ける。
「……疲れた……相変わらず、嵐のような人だ」
するとレオナルドが、去っていった二人の方を見ながら静かに返す。
「……カイル殿も、似たようなものかと」
「…………」
アルフォンスは否定しようとして――やめた。
「……そうだな」
むしろ似た者同士だからこそ、これほど早く意気投合したのかもしれない。
一人でも周囲を振り回す人間が、二人になった。
そう考えると、先ほどとは別の意味で頭が痛くなってきた。
それから程なくして、玄関の前には二台の馬車が並んでいた。
一台は、リューゲンが剣都から乗ってきた馬車。
もう一台は、急遽アルフォンスが用意させたものだ。
あまりにも急な話だったため、呼び出された面々は揃って事情を理解しきれていない。
中でもバルドは、リューゲンの屋敷へ向かうと聞かされた時から露骨に嫌そうな顔をしていた。
「何でまた急に、リューゲン様の屋敷なんだよ……」
「剣を見せてもらうんだよ」
カイルは何でもないことのように返す。
「原因はやっぱりお前か!」
「何で怒るんだよ」
「怒ってねぇ! 嫌な予感がしてるだけだ!」
「同じじゃないっすか?」
ルークが横から口を挟むと、バルドは「うるせぇ」と吐き捨てた。
その隣では、コンラードがいつも以上に無言だった。
先ほど工房で盛大な失言を犯したばかりで、出来ればリューゲンとはしばらく顔を合わせたくなかったのだろう。
そんな中、セドリックがクラウスへ尋ねた。
「先生、リューゲン卿の屋敷には剣がたくさんあると聞きますが、興味があるんですか?」
「いや、まったくない」
あまりにもきっぱりとした返事だった。
「……じゃあ、何で来たんです?」
「カイル君が行くからだ」
クラウスは当然のように答える。
「彼について行けば、何か面白いことが起きるかもしれないだろう?」
セドリックは何とも言えない顔でカイルを見る。
「お前、先生に珍しい生き物か何かだと思われてないか?」
「失礼だな!」
「研究対象としては非常に興味深いぞ」
「先生まで何言ってんですか!」
そんなやり取りをしているうちに出発の準備も整い、一行は二台の馬車へと分かれて乗り込むことになった。
リューゲンはカイルとルークを自分の馬車へ乗せると、ふと後ろを振り返った。
その頃には、バルドは何食わぬ顔でコンラード達のいる後ろの馬車へ向かっている。
「バルド」
低い声が飛んだ。
バルドの足が、ぴたりと止まる。
「お前はこっちだ」
「……はい」
先ほどまでの勢いはどこへやら。
肩を落として引き返していくバルドを見て、セドリックが小さく呟いた。
「騎士長、頑張ってください」
「お前、あとで覚えてろよ」
低い声だけを残し、バルドもリューゲンの馬車へ乗り込む。
やがて二台の馬車は城門を抜け、剣都へ向けて走り出した。
先頭の馬車では、カイルとリューゲンが向かい合い、早速楽しそうに剣の話を始めていた。
その一方、リューゲンの隣に座るバルドは、必要以上に背筋を伸ばしている。
「師匠、どんな剣があるんですか?」
「そうだな。アルテで作られた物もあるが、他国の剣が多い」
「他国?」
「ああ。珍しいものも何本かあるぞ」
「へぇ! 早く見たい!」
目を輝かせるカイルとは対照的に、バルドは相変わらず妙に姿勢がいい。
やがて、ちらりと向かいへ視線をやる。
ルークと目が合った。
「……ルーク」
「何すか」
「お前、大丈夫か?」
「……さっきから胃が痛いっす」
「奇遇だな。俺もだ」
二人は小声で言葉を交わし、妙な仲間意識を感じながら頷き合った。
そのすぐ隣では、そんな二人に気づきもせず、師弟が楽しそうに剣の話を続けていた。
それから一時間あまり街道を走り、馬車が剣都へ入る頃には、日は西へ傾き、街並みを茜色に染めていた。
やがて速度がゆっくりと落ちていく。
窓の外には立派な石造りの塀が長く続き、その先に大きな門が見えてきた。
「着いたぞ」
その声に、カイルがすぐさま窓へ顔を寄せる。
「おぉ……!」
門越しには、石造りの大きな屋敷が見えていた。
華美な装飾こそないものの、重厚な造りは遠目からでも分かる。
さすがは、かつて王国騎士団長を務めた人物の屋敷だ。
派手さはなくとも、十分な風格があった。
だが、屋敷そのものより先に目へ入ったものがある。
門の前に、一台の馬車が停まっていた。
側面には見慣れた紋章。
ヴァルディア商会の馬車だった。
それを見たリューゲンが眉を寄せる。
「何だ、あれは?」
「ああ。俺が呼んだんです」
「お前が?」
怪訝そうなリューゲンをよそに、カイルは窓を開け、御者へ声を掛けた。
「すみません。一度止めてもらえますか?」
馬車が門の手前で止まる。
カイルが降りると、商会の馬車のそばに立っていたエルマーが、すぐに歩み寄ってきた。
「お久しぶりです、リューゲン卿」
窓越しに丁寧に頭を下げる。
リューゲンも知った顔に、僅かに表情を和らげた。
「エルマーか。久しいな」
「はい。ご無沙汰しております」
挨拶を終えると、エルマーはカイルへ向き直った。
その手には、綺麗に包まれた品が抱えられている。
「持ってきたぞ」
「ありがとな。助かった」
カイルは包みを受け取ると、大事そうに抱え直した。
「じゃあ、俺は少しエルマーと話してきます。先に行っててください」
リューゲン達を乗せた馬車が門をくぐり、後ろの一台も続いていく。
カイルはエルマーと並んでその後を追い、玄関前で再び一行と合流した。
「お待たせしました」
「それで、何なんだ?」
リューゲンが、カイルの腕に収まった包みを見る。
カイルは、それを少し持ち上げて笑った。
「手土産です」
「手土産?」
「はぁ!? お前だけずるいぞ!」
バルドの声が響き渡った。
「何が?」
「何が、じゃねぇ! 何でお前だけ手土産なんて用意してんだよ!」
見れば、バルドは完全に手ぶらだった。
もちろんセドリックも、コンラードも、クラウスも同じである。
「誰かの屋敷に招かれたら、手土産くらい持ってくるのが常識だろ?」
「なっ!? 急に決まったんだぞ! いつ用意したんだよ!」
「城を出る前」
「いつだよ! 俺達、呼ばれてからすぐ集まっただろ!」
「だから、その前だって」
僅かな準備時間に、カイルは使用人を捕まえ、ヴァルディア商会にある商品を届けるようエルマーへ伝言を頼んでいた。
「お前……そんなことまで考えてたのか?」
「だって、師匠の家に初めて行くんだぞ?」
「くそっ……こういう時だけ妙にしっかりしてやがる……」
「こういう時だけって何だよ」
「そのままの意味だ!」
そのやり取りを眺めていたリューゲンは、とうとう堪えきれなくなったように豪快に笑った。
「はははっ! 手土産など気にせん。お前達もカイルに巻き込まれただけだろう」
「人聞き悪いこと言わないでくださいよ」
「違うのか?」
「……まあ、俺が行きたいって言ったのが始まりですけど」
「なら同じようなものだろう」
また始まった二人のやり取りに、バルドは深々とため息を吐いた。
その傍らでは、エルマーがいつもの穏やかな笑みを浮かべている。
手土産を届ける役目は終わっていたが、そのまま帰るのも失礼だと、別れの挨拶をするため玄関前まで一行についてきていたのだ。
「それでは、私はこれで――」
そう言いかけたところで、リューゲンがふとエルマーへ目を向けた。
「お前も時間があるなら、夕食をどうだ?」
「私もですか?」
「ああ。久しぶりに話もしたい」
二人は決して知らない仲ではない。
珍しい剣を集めるリューゲンは、これまで何度となくエルマーへ国外の剣探しを依頼してきた。
ヴァルディア商会の広い販路を使い、遠方の国から珍しい一本を取り寄せてもらったこともある。
エルマーは少しだけ考え、頷いた。
「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
「ああ。そうしろ」
こうしてエルマーも加わり、リューゲンを先頭に一行は屋敷へ入っていった。
大きな扉が開くと、玄関広間には何人もの使用人が整然と並んでいた。
「お帰りなさいませ」
揃った声とともに、一斉に頭が下がる。
突然これだけの客人を連れて戻ったというのに、慌てる者は一人もいない。
「客人も一緒に夕食を取る。遅くなるようなら、そのまま泊めるつもりだ。部屋の用意も頼む」
リューゲンがそれだけ告げると、使用人達はすぐさま動き出した。
一行の人数を確認すると、外套や荷物を預かる者、夕食の準備を伝えに向かう者、客室を整える者へと自然に分かれていく。
細かな指示を飛ばす者はいない。
それでも、それぞれが自分の役目を理解して動いていた。
さすがは、かつて騎士団を率いていた男の屋敷というべきか。
使用人達の動きにまで、どこか統率の取れたものが感じられる。
そんな彼らの見事な働きに感心しながらも、カイルの視線はすぐに別のものへ釘付けになった。
「すげぇ……!」
玄関広間の壁には、何振りもの剣が飾られていた。
どれも細かな傷が残り、使い込まれている。
「師匠! これもコレクションですか!?」
「ああ。ここにあるのは、わしがこれまで実際に使ってきた剣だ」
「全部!?」
「ああ」
カイルは吸い寄せられるように近付き、食い入るように眺め始める。
そんなカイルの隣に立ち、リューゲンも楽しそうに口を開いた。
「これはな――」
そのまま二人は、周囲そっちのけで剣の話に夢中になる。
残された者達は、使用人に促されるまま奥へ案内されていった。
その途中、バルドは玄関に残るカイルを振り返る。
「……もう馴染んでやがる」
隣を歩くコンラードへ声を潜める。
コンラードも眼鏡を押し上げた。
「元団長の屋敷へ初めて招かれて、玄関であれだけ騒げるのはカイル殿くらいでしょう」
「俺なんか、さっきから背筋伸ばしすぎて背中がつりそうだぞ」
「私はできれば、しばらくリューゲン卿と目を合わせたくありません」
「……お前は自業自得だろ」
「そのことは忘れてください」
二人はもう一度だけ後ろを見る。
「師匠、この剣は?」
「それは西で戦があった時に持っていったものだな」
「実戦で使ったんですか!?」
「ああ。随分と世話になった」
「へぇ……! だからこんなに傷があるんですね!」
すでに完全に楽しんでいる。
バルドは前へ向き直った。
「……あいつの緊張って、どこに置いてきたんだ?」
「生まれた時から持っていないのでは?」
「あり得るな」
今度ばかりは、二人の意見がぴたりと一致した。
そのまま使用人に案内され、廊下の先にある広い客間へ通される。
「夕食の準備が整うまで、こちらでお待ちください」
ほどなくして、人数分のお茶が運ばれてきた。
それから少しした頃――。
客間の扉が開いた。
入ってきたのは、一組の男女だった。
二人に続いてきた使用人が、すっと脇へ下がった。
「旦那様。奥様」
その呼び掛けに、バルドが反射的に姿勢を正す。
隣ではコンラードも静かに立ち上がっていた。
やって来たのは、リューゲンの長男と、その妻。
突然、大勢の客人が訪れたと聞き、挨拶に来たらしい。
「突然押しかける形になってしまい、申し訳ございません」
バルドが頭を下げると、コンラードもそれに続いた。
「ご挨拶もなく、大勢でお邪魔してしまいまして……」
「いえ、お気になさらないでください」
長男は穏やかに首を振った。
「父が無理を言って、皆様を連れてきたのでしょう?」
「……まあ、そうというか何というか」
バルドが苦笑する。
妻も慣れた様子で小さく笑った。
「夕食の支度もすぐに整えさせます。どうぞごゆっくりなさってください」
「ありがとうございます」
コンラードが丁寧に頭を下げた、その時だった。
玄関の方から、カイルの大きな声が聞こえてくる。
「師匠! これ、持ってみてもいいですか!?」
続いて、リューゲンの声。
「構わん。だが抜く時は気をつけろ」
「分かってますって!」
客間にまで響く二人の声に、バルドの頬が引きつった。
長男も玄関の方へ顔を向け、僅かに目を瞬く。
「……師匠?」
妻も同じ言葉が気になったらしく、夫と顔を見合わせた。
「お父様、いつの間にお弟子さんを?」
「ああ……」
バルドが何とも言えない顔になる。
「今日、決まったばかりでして」
「今日?」
「ええ。リューゲン様が弟子にすると」
「父が、自分から……?」
長男の声に驚きが滲んだ。
あの父が、弟子を取った。
これまで誰かを弟子として傍に置いたなど、聞いたことがない。
いったい、どんな人物なのか。
長男の頭に浮かんだのは、父の剣を受け止められるほどの大男だった。
いや、顔に傷の一つや二つある、歴戦の強者かもしれない。
妻も似たようなものだった。
《剣鬼》と呼ばれたリューゲンが、自ら選んだ弟子なのだ。
強面の騎士か。
それとも、いくつもの戦場を渡り歩いてきた猛者か。
想像すればするほど、普通の人物が出てくる気がしない。
果たして――リューゲンが選んだ弟子とは、いったいどんな男なのか。
期待と緊張、そして僅かな怖さを覚えながら、夫婦はその人物が現れるのを身構えて待つのだった。




