第58話 教える者、教わる者
「ふざけんな! このクソジジィ!!」
元王国騎士団長リューゲンとの手合わせに敗れた直後、カイルはあろうことか、その本人に向かって盛大な暴言を吐いた。
訓練場の空気が一瞬で凍りつく。
そんな周囲の反応など目にも入らず、カイルは痛む左肩を押さえて立ち上がると、さらに追い打ちをかけるようにリューゲンへ詰め寄った。
「学生相手に手加減ってもんがねぇのかよ! 無茶苦茶しやがって!」
痛みのあまり、もはや言葉遣いも気遣いも残っていない。
ところがリューゲンは怒るどころか、堪えきれないように吹き出した。
「お前、ラインハルトの息子のくせに随分と口が悪いな!」
「親父は関係ないだろ! あぁ、痛ぇ……絶対、痣になってるぞこれ」
「その程度で済んだんだ。ありがたく思え!」
「どこがありがたいんだよ!」
怒鳴るカイルと、愉快そうに笑うリューゲン。
あまりにも遠慮のないやり取りに、周囲の騎士達は完全に置いていかれていた。
「カイル!!」
とうとう耐えきれなくなったバルドが飛び込んできた。
カイルの首根っこを掴み、強引に後ろへ引っ張る。
「ぐえっ!」
「馬鹿かお前は! リューゲン様になんて口きいてんだ!」
「だって痛ぇんだよ!」
「だからって言っていい言葉と悪い言葉があるだろうが!」
バルドはカイルの後頭部を押さえて無理やり頭を下げさせ、自分もリューゲンへ頭を下げた。
「も、申し訳ございません! こいつは遠慮というものを知らん奴でして……!」
「誰がだよ!」
「お前だ! 黙ってろ!」
リューゲンはまた声を上げて笑った。
「何を謝る。腕も立つ、物怖じもしない。それでいて素直で、可愛い奴じゃないか」
「……は?」
――こいつはただ厚かましく、ずる賢く、金が大好きな、口の悪いガキですよ。
そんな言葉がバルドの喉元まで出かかったものの、もちろん口にはしない。
一方のカイルは、ほら見ろと言わんばかりに胸を張った。
「だってよ」
「反省しろ!」
ごつん、と拳骨が落ちる。
「痛ぇ!」と頭を押さえるカイルに、リューゲンはまたひとしきり笑った。
やがて、カイルがしきりに左腕をさすっているのに気付くと、ようやくその肩へ目を向けた。
「どれ、手当てしてやる」
リューゲンに促されるまま、カイルは訓練場の端にある長椅子へ座らされた。
上着を脱ぐと、二の腕から肩にかけて赤く腫れ上がっていた。
「うわ……坊ちゃん、これヤバいっすよ」
ルークの顔が引き攣る。
「だから痛ぇって言ってんだろ」
ルークが慌てて氷を取りに行き、布で包んで戻ってくる。
リューゲンはそれを受け取ると、腫れた肩へ押し当てた。
「痛ぇっ!! ちょっ、もっと優しくやれよ!」
「カイルッ!! その口の利き方をどうにかしろ!」
すかさず飛んできたバルドの怒声に、カイルは不満そうに口をへの字へ曲げた。
「……もう少し優しくしてください」
リューゲンは笑いを堪えながら氷を押し当て直した。
「この程度で騒ぐな」
「痛いもんは痛いに決まってるでしょ!」
元団長に手当てをさせた挙げ句、痛いと文句まで言っている。
バルドは深々と息を吐いた。
「……もう好きにしてくれ」
カイルの言動にいちいちハラハラするのもいい加減疲れ、もう口を出すのをやめた。
そうして騒いでいたカイルだったが、しばらくすると口数が減った。
腕を冷やされながら、先ほどの手合わせを頭の中で反芻していたのだ。
「あの最後の剣筋……まるで見えませんでした」
「ん?」
「振りかぶったところまでは覚えてるんですけど、その次にはもう首に剣があったんですよ」
「ああ、あれか」
リューゲンはすぐに合点がいったように頷いた。
「お前が打ち込むより先に、わしが動いたからな」
「……先に?」
「ああ。お前、振りかぶる時に一瞬だけ重心が右へ寄るぞ」
「……え?」
カイルが顔を上げた。
「俺、そんな癖あります?」
「ああ。ほんの僅かだがな」
父にも、騎士学校の教官にも指摘されたことがない。
「見てろ」
リューゲンはカイルに氷を預けると、傍らの木剣を拾った。
「お前はこう構えるだろ。ここから打ち込む時――この瞬間だ」
まずはカイルの構えを真似て、剣を振る。
その瞬間、注意していなければ見逃すほど僅かに重心が右へ寄った。
「ここで力を溜める癖がある。だから次の剣が一瞬早く読める」
今度は先ほどのカイルを相手にするように構え直す。
「来ると分かっておれば――」
カイルが振り下ろした剣の軌道をなぞるように視線を動かし、半歩踏み込む。
「こうして先に剣を通せる」
その内側へ、木剣を鋭く滑り込ませてみせた。
「……なるほど」
カイルの目つきが変わった。
先ほどまで痛い痛いと騒いでいたのが嘘のように、氷をルークへ放ると木剣を掴んで立ち上がる。
「うおっ!」
慌てて氷を受け止めるルークなど、もう目にも入っていない。
カイルはすぐに木剣を構え、先ほどと同じように振りかぶってみる。
意識してみれば、確かに一瞬だけ重心が右へ寄る。
「……この時か?」
「そうだ。今も寄った」
カイルは足の位置を変え、もう一度振る。
「じゃあ足を変えれば?」
「それでは踏み込みが遅れる」
「じゃあ腰?」
「そうだ。振りかぶる前に――」
「あ、分かった!」
カイルが再び剣を振る。
「もう少し右肩の力を抜け」
「これですか?」
「さっきよりいい。もう一度だ」
「はい!」
カイルが構えればリューゲンが直し、見本を見せれば、すぐにカイルが真似る。
いつの間にか、手当ては完全な剣の稽古へ変わっていた。
そして困ったのは、取り残された近衛騎士達である。
訓練を再開しようにも、二人がまた中央へ戻ってくるのか、それともこのまま端で稽古を続けるのか分からない。
(……で、俺達はどうすりゃいいんだ?)
しばらく様子を見ていたバルドは、意を決して二人へ近付いた。
「あの……リューゲン様」
「何だ?」
「まだ、ここ使われますか?」
訓練場を示しながら尋ねると、リューゲンは鋭い眼光を向けてきた。
「ここはお前達の訓練場だろうが」
「……はい?」
「わしに構ってないで、さっさと訓練を始めんか!」
「は、はいっ!!」
バルドの背筋が反射的に伸びる。
だが、心の中では盛大に突っ込んでいた。
(急に来て手合わせ始めたの、あんただろうが!)
もちろん、口が裂けても言えない。
バルドはぐっと奥歯を噛み締めると、踵を返し、部下達へ怒鳴った。
「訓練再開だ! さっさと持ち場につけ!」
「はい!」
号令とともに騎士達が散り、止まっていた訓練がようやく動き出した。
その傍らでは――。
「違う! 今また右へ流れたぞ!」
「えっ、今のも!?」
「自分で気付かんうちは直ったとは言わん! もう一度だ!」
「はい!」
誰よりも大きなリューゲンの声が響いている。
バルドは訓練の合間に、時折そちらへ目を向けた。
足の運び、腰の位置、肩の入り方。
僅かな予備動作まで、一つずつ指摘している。
「……珍しいな」
バルドがぽつりと呟くと、近くで素振りをしていた騎士が手を止めた。
「何がです?」
「あの人が、あんなふうに剣を教えてるところだよ」
現役時代のリューゲンは、自分の背中を見て学べという人間だった。
強くなりたければ自分で考えろ。
盗めるものがあるなら勝手に盗め。
一から十まで丁寧に教えるような男ではない。
だからこそ、バルドには目の前の光景が信じられなかった。
「……あそこまで自分から教えるとはな」
単に気に入っただけではない。
何かを見込み、本気で鍛えるつもりがなければ、あのリューゲンがここまで細かく口を出すはずがない。
視線の先では――。
「こうですね!」
「そうだ!」
二人とも、楽しそうだった。
犬猿の仲であるラインハルトの息子へ、まさかリューゲンが自ら剣を教える日が来るとは。
世の中、何が起こるか分からないものだった。
その後も、近衛騎士達が訓練を続ける横で、リューゲンの指導はしばらく続いた。
やがてカイルがもう一度剣を振る。
その動きを見届けたリューゲンが、満足そうに頷いた。
「よし。さっきの癖も消えたな」
「はい! ありがとうございます!」
カイルも嬉しそうに頷く。
そこで稽古は一段落し、二人は休憩しようと長椅子へ向かい、そのまま並んで腰を下ろした。
頃合いを見計らっていたルークが、すかさずお茶を持ってくる。
「どうぞ」
「おう」
一口喉を潤したリューゲンが、満足そうに息を吐いた。
「気が利くな」
「あ、ありがとうございます!」
突然褒められ、ルークの声が上ずる。
カイルが吹き出した。
「何緊張してんだよ」
「坊ちゃんがおかしいんすよ!」
「何が?」
「何でもないっす!」
ルークはそそくさと離れていった。
二人が稽古を終えても、近衛騎士達の訓練は続いている。
やがて手合わせが始まり、訓練場には木剣を打ち合わせる乾いた音が響き始めた。
カイルとリューゲンは並んで茶を飲みながら、その様子を何とはなしに眺めていた。
しばらくすると、リューゲンの眉がぴくりと動く。
「……何だ、あの剣捌きは」
「あぁ……右の人でしょ?」
「そうだ」
「あの人、持ち手が上すぎるんですよ。何度言われても直らなくて」
リューゲンは茶を片手に、その騎士の動きをしばらく追った。
「だろうな。あれでは力が剣へ乗らん。打ち込むたびに肩まで浮いとる」
「あと踏み込む時も――」
「左足が残る」
「あ、それ俺も思ってました」
二人は当たり前のように騎士達の剣を批評し始めた。
その会話が近くの騎士の耳へ届き、ぴくりと肩が揺れる。
(……見られてる)
一人が気付けば、すぐに周囲へ伝わっていく。
元団長が長椅子から自分達を眺め、その隣では、やたらと人の癖を見抜くカイルまで話し込んでいる。
自分の剣も批評されていると思えば、嫌でも身体へ力が入った。
若い騎士だけではない。
かつて王都でリューゲンの直属だった者など、知らず知らずのうちに背筋まで伸びている。
現役時代のリューゲンは、ただ訓練場に立っているだけで空気を変えた。
引退し、もう味わうことはないと思っていた緊張感が、今ここに戻ってきていた。
「……胃が痛くなってきた」
古参の騎士がぼそりと漏らす。
隣の若い騎士がぎょっとした。
「そんなにですか?」
「お前も直属になれば分かる」
「でも、もう引退されてますよ」
「……そこにいるなら同じだ」
妙に実感のこもった声だった。
そんな騎士達を眺めながら、リューゲンがぽつりと漏らす。
「……覇気がないな」
「え?」
「昔と比べてだ。平和になったせいだろうな」
決して弱くはない。
近衛騎士だけあって技量も高く、型も足運びもよく鍛えられている。
それでも、リューゲンには物足りないらしい。
「剣が綺麗すぎる」
「綺麗?」
「ああ。型もできている。足運びも悪くない。だが、相手を倒さなければ自分が死ぬという剣じゃない」
淡々とした声音だった。
「わしらの頃は、次に剣を抜く時には本当に命を取られるかもしれん。そんな中で振ってきた連中とは、どうしても差が出る」
カイルには、その感覚がよく分からない。
物心ついた頃には、王国はすでに平穏だった。
そんなカイルを横目に、リューゲンが口元を緩める。
「だが、お前は違うな」
「俺?」
「ああ。魔物を狩っているからだろう。命のやり取りをしている奴の剣は違う。お前は相手の攻撃を受ける時も、次にどう反撃するかを考えとる。綺麗に防ごうとはしとらん」
先ほどの手合わせでもそうだった。
左肩へ一撃を受けながら、カイルは怯むどころか、リューゲンが近付いたことを好機と見て反撃へ転じている。
「あぁ……それはあるかもしれませんね」
「だろう?」
「つい最近も、蜂に似た魔物に殺されるかと思いましたから。死ぬかと思いながら逃げ回ってましたよ」
何でもないことのように言って笑う。
「はははっ! そうか!」
リューゲンは愉快そうに声を上げた。
「なら納得だ。お前は普通の騎士にはなれんな」
その言葉に、カイルも笑う。
「ええ。そうですね」
迷いのない返事だった。
そもそも、普通の騎士になるつもりなど、とうの昔になくなっている。
戦でも起きない限り、この国には平穏な日々が続くだろう。
不謹慎だとは分かっているが――きっと自分は、それを退屈だと感じてしまう。
「だからこそ、魔物狩りは楽しいんですよ」
「……楽しい?」
リューゲンが怪訝そうに見る。
「魔物狩りの、どこがだ?」
「何てったって、言葉が通じませんからね」
リューゲンの眉間に、ますます深い皺が刻まれた。
「それの何が楽しいんだ」
心底理解できないといった顔をされ、カイルはむしろ楽しそうに笑った。
「何考えてるか分からない奴らとやり合うんですよ。こっちの常識なんて通用しないし、次に何してくるかも分からない」
巨体に似合わぬ速度で襲ってくるものもいれば、毒や炎を使うものまでいる。
「一つ判断を間違えたら、そのまま死にます。でも相手によって戦い方が全部変わる。そこが面白いんですよ」
「それを楽しそうに言う奴は初めて見たぞ」
リューゲンはしばらくカイルを見ていたが、やがて小さく鼻を鳴らした。
「わしには到底、理解できんな」
その答えに、カイルは少し意外そうに首を傾げた。
彼なら魔物狩りの面白さにも興味を持つと思っていたのだ。
やはり《剣鬼》と呼ばれた人物でも、騎士らしく魔物狩りには抵抗があるのかもしれない。
そこで、以前から気になっていたことを尋ねる。
「そういえば、あの剣を再現した時って、魔物の素材を使ったんですよね?」
先ほど工房で見せてもらった、リューゲンが他国から持ち帰った古剣を思い浮かべる。
「ああ」
「その素材、誰が集めたんですか?」
「わしだ」
あまりにも当然のように返され、カイルは目を瞬かせた。
「リューゲン卿が?」
「他に誰がおる。自分の剣を作るための素材だぞ」
「いや、そうですけど……何を狩ったんです?」
リューゲンは記憶を辿るように視線を上げた。
「色々だな。最初に狙ったのはミストウルフとかいう奴だったか」
それならカイルもよく知っている。
灰青色の毛を持つ狼型の魔物で、普通の狼より一回り大きい。
太い牙と強靱な顎を持ち、群れで獲物を追い詰め、一匹に気を取られれば左右や背後から別の個体が襲ってくる。
「他にはグレイ……なんだったか」
「グレイホーンですか?」
「そうだそれだ!」
今度は鹿に似た魔物で、雄は頭部に大きな二本の角を持つ。
成体ともなれば馬より大きく、縄張りへ踏み込めば、その巨体で木の幹すらへし折るほどの突進を仕掛けてくる。
「……すごいですね」
思わず素直な感想が漏れた。
どちらもカイルにとって、手に負えないほどの魔物ではない。
実家近くの森でも奥深くまで入れば見かけることがあり、実際に倒した経験もある。
騎士だったリューゲンが自ら森へ入り、素材を集めるため何匹も狩っていたというのは意外だった。
「よくそんなのばっかり狩りましたね」
「必要だったからな。だが、一番厄介だったのは、何を狩ればいいのか分からんことだった」
「え?」
先ほどまでの笑みが、リューゲンの顔から少し消えた。
「文献には魔物らしき名も残っておった。だが、何百年も前の呼び名だ。今の何を指しているのか、さっぱり分からん」
「名前はあったんですね」
「あった。地方で呼び名が違うこともあるし、すでに使われなくなった名もある。だから読める部分から、毛の色や角の形なんかの特徴を拾って探すしかなかった」
「……それで森に?」
「ああ。見つけたところで正解とも限らん。手に負えず逃げ帰り、対策を練って何度も挑んだこともある。ようやく倒して、素材を持ち帰っては確かめる。違えば、また別の魔物を探す。その繰り返しだ」
「……手当たり次第じゃないですか」
「そうとも言うな」
「そうとしか言わないですよ」
カイルは呆れながらも、内心では感心していた。
それは、剣都の宿屋で自分が見つけた古い文献と同じだった。
魔物の名は今とは違い、僅かに残された特徴から探るしかない。
「……それ、どれくらい続けたんです?」
「さあな。剣が形になるまでなら、十年近くは掛かったか」
「十年!?」
思わずカイルが声を上げる。
「そんなに?」
「探しておる時間の方が長かったからな。何匹狩ったかも覚えておらん。名前も知らん奴まで含めれば相当な数だ。何度死にかけたことか」
「うわぁ……」
それを聞いて、ようやく先ほどの反応にも納得がいった。
この人は騎士が魔物を狩ることに嫌悪感があるわけではない。
単純に――散々苦労したのだ。
そもそも本当に嫌悪しているなら、先ほど殿下達と新しい組織について話した時点で止めていただろう。
「それでも、よく続けましたね」
「必要な素材が手に入らんのだから仕方なかろう」
カイルは少し考え、ふと別の疑問を口にした。
「罠とか使ったんですか?」
「はっ? 罠? あれは動物を捕まえるものだろう?」
何を言っているんだ、とでも言いたげな顔を向けられ、カイルは思わず笑った。
「そんなことないですよ。魔物だって動物に似た奴は多いですから。餌で誘き寄せたり、相手によっては剣持って森の中を追い回すよりずっと楽です」
リューゲンの眉が僅かに動く。
「正面から戦う必要がないなら、わざわざ戦いません。狩れればいいんで」
「…………」
リューゲンが黙った。
「どうしました?」
「お前……そんなことまでやっておるのか?」
「やりますよ。狩りですから」
しばらく顎を撫でていたリューゲンが、やがて口を開いた。
「ちなみに聞くが――お前なら、ミストウルフとグレイホーン。この二種の素材を、どれほどの期間で集められる?」
「そうですねぇ……」
カイルは腕を組んで考えた。
どちらも厄介ではあるが、狩ること自体が難しいわけではない。
問題になるのは居場所だ。
「居場所から探すなら……早くても三、四日。下手すれば一週間くらいですかね。いる場所が分かってるなら、半日もあれば狩って戻れますよ」
「何だと!?」
リューゲンが大声を上げ、勢いよく立ち上がった。
少し離れた場所にいたバルドが、ぎょっとして振り返る。
(何だ!?)
とうとうカイルが何か余計なことを言って、リューゲンを怒らせたのか。
ところが当のカイルは、まるで気にした様子もない。
「まあ、何匹狩るかにもよりますけど」
リューゲンは呆然とカイルを見つめ、やがて力が抜けたように長椅子へ腰を落とした。
先ほどまでの威厳はどこへやら、その顔からはすっかり生気が失われている。
「……わしが、どれだけ休日を潰したと思っておる」
「知らないですよ」
「何日も森を歩き回ったんだぞ……」
「お疲れ様でした」
カイルが何とも言えない顔で眺めていると、次の瞬間、リューゲンが勢いよく顔を上げた。
「カイル」
「はい?」
「わしを森に連れていけ!」
「……えっ?」
突然の言葉に、カイルは目を瞬かせる。
「そんな簡単に魔物を狩れるというなら、実際に見てみたい。罠だったか? それも見せろ。どうやって獲物を探すのかもな」
先ほどまで生気を失っていた男とは思えないほど、目が輝いている。
「いや、俺もまだアルテの森にそこまで詳しいわけじゃないですよ。さっきのミストウルフやグレイホーンだって、この辺りにいるか分かりませんし」
「なら、どうやって三、四日で見つけるつもりだったんだ?」
「自警団に聞いたり、猟師を雇います」
「……何だと?」
リューゲンが目を見開いた。
「森のことなら、その土地の人に聞くのが一番早いですからね。居場所を知ってる人がいれば案内してもらえばいいし、知らなければ何人かで探せばいい」
何をそんなに驚くのか分からず、カイルは当たり前のように続ける。
「それに今は、ヴァルディア商会でも魔物素材を集める猟師を育ててます。目撃情報や生息域なんかも記録してますし」
「……そこまでやっておるのか?」
「えぇ。毎回俺が森に入るわけにもいきませんからね。分かる人間を増やした方が早いでしょ」
あまりにも当然のように言い切るカイルに、リューゲンはしばらく黙った。
「何です?」
「いや……わしらは全部、自分達で探しておったなと思ってな」
「だから何年もかかったんじゃないですか?」
「うるさい」
顔をしかめたものの、すぐにリューゲンは身を乗り出した。
「まあいい。どうせこれから、剣に使う魔物の素材を集めに森へ入るんだろう?」
「そのつもりですけど」
「なら、その時はわしも連れていけ」
「え?」
「お前がどうやって獲物を探し、どう狩るのか見てみたい」
話しているうちに、十年近い苦労への愚痴より、カイルの狩りへの好奇心の方が勝ってきたらしい。
とはいえ、すぐに森へ向かえるわけではない。
カイルは少し困ったように眉を下げた。
「まあ、そのためにも、まずは文献をもう少し解読しないといけませんけどね。何を狩ればいいのか分からないままじゃ、また同じことになりますし」
「……それは、あとどれくらいかかる?」
「俺が集めた分は七割くらい読めましたけど、リューゲン卿達が持ってる文献も見ないといけませんからねぇ……あと数か月は掛かるんじゃないですか?」
「数か月……」
リューゲンの眉がぴくりと動いた。
少し考え込んだかと思えば、すぐに首を振る。
「……それまで待つのもつまらんな」
「はい?」
「剣に使う魔物でなくても構わん。近いうちに一度、森へ行くぞ」
「そんなに見たいんですか?」
「ああ」
即答だった。
「それに、黙って見ているだけではつまらん。わしも狩る」
「えっ? リューゲン卿も?」
「当たり前だ。お前がわしに教えろ」
「俺が?」
「ああ。お前の狩り方をな」
まさか元王国騎士団長へ魔物狩りを教えることになるとは思わず、カイルは困ったように笑った。
「……まあ、機会があったら」
「あったらではなく、作れ。約束だ」
「分かりました……」
こうしてカイルは、思いもよらぬ人物と魔物狩りへ行く約束まで交わすことになった。
きっと隠居してから毎日暇なのだろう。
動物の狩猟のように、新しい趣味にでもするつもりなのかもしれない。
もっとも、カイルにとっても悪い話ではなかった。
かつて騎士達の頂点に立ったリューゲンが実際に魔物を狩れば、それを知った騎士達の見る目も多少は変わるかもしれない。
それに、本人が魔物狩りを気に入ったなら、ヴァルディア商会で育成している猟師達と組ませるのも悪くない。
これほど心強い戦力もいないだろう。
(……それ、結構いいかもな)
いっそ、ヴァルディア商会で雇えないだろうか。
十六歳の騎士学生が、《剣鬼》と恐れられた元王国騎士団長を雇おうというのだから、随分と厚かましい発想である。
しかも本人の了承どころか、まだ一度も魔物狩りへ連れて行ってすらいない。
だが、当のカイルはそんなことなど少しも気にしていなかった。
一方、リューゲンも今後の予定を頭の中で組み立てていたらしい。
しばし黙って考え込んだあと、何でもないことのように口を開いた。
「……では、わしもこの城に住むかの」
「えっ?」
カイルが目を丸くした。
あまりにも唐突な一言だった。
「これから剣を作らねばならん。狩りにも行く。それに、お前への剣の指導もあるからな」
「俺への……?」
「剣都から毎日ここまで通うなど面倒でかなわん。ならば、お前のようにここに住んだ方が早いだろ」
リューゲンは当然のことのように言う。
だが、それはつまり――。
「もしかして……俺に剣を教えてくれるんですか!?」
カイルの顔が一気に輝いた。
リューゲンほどの剣士が、自ら指導役を買って出る。
それがどれほど贅沢なことか、騎士を目指すカイルに分からないはずがない。
「お前は筋がいい。磨けばもっと強くなるぞ」
「本当ですか!?」
勢いよく身を乗り出すカイルに、リューゲンは片眉を上げた。
「何だ。嫌ならやめてもよいぞ」
「嫌なわけないでしょう! お願いします! 絶対お願いします!」
「はっはっは! 現金な奴だ」
リューゲンは愉快そうに笑う。
「ただし、わしが教える以上、楽な稽古だと思うなよ」
「もちろんです!」
カイルは目を輝かせて何度も頷いた。
その様子を見て、リューゲンもどこか楽しそうに笑っている。
つい先ほどまで、カイルはリューゲンを素材集めの戦力として雇えないかと勝手に考えていた。
そしてリューゲンはリューゲンで、今度は勝手に城へ住み着こうとしている。
どちらも、本人以外へ相談するという発想だけが綺麗に抜け落ちていた。
もっとも――。
ここがアルフォンスの城だということを、二人ともすっかり忘れているようだった。




