第57話 剣鬼の剣
リューゲン元団長がこの近衛の訓練場へ来ると聞き、騎士達は慌てて片付けに追われていた。
セドリックも落ちていた木剣を拾いながら、忙しなく指示を飛ばすバルドへ顔を向けた。
「……でも、何でカイルの剣を見るんです?」
「俺が知るか!」
苛立ったように返したバルドは、額を押さえて息を吐く。
「ただ一つ分かるのは――リューゲン様、完全にカイルを気に入ってる」
その言葉に、周囲で片付けていた騎士達の手が止まった。
よりにもよって、仲の悪いラインハルト団長の息子を?
中でも、グランツ家と繋がりの深いセドリックが受けた衝撃は大きかった。
「……あの元団長が?」
「ああ。しかも、かなりだ」
セドリックが何とも言えない顔になる。
「カイル……何したんですか」
「後で話す! いいから今は手ぇ動かせ! もうすぐ来るぞ!」
「はい!」
そうして、どうにか訓練場がそれらしい形になった頃、入口の方から二人分の話し声が聞こえてきた。
「それで親父に怒られたんですよ」
「ラインハルトも苦労しとるな」
「何でですか。俺ほどいい子はいませんよ」
「ははっ! 自分で言う奴があるか」
気安いやり取りを交わしながら、カイルとリューゲンが姿を現す。
その途端、それまで騒がしかった訓練場の空気が固まった。
若い騎士の中には、リューゲンを間近で見ること自体が初めての者も多い。
現役時代の逸話を先輩や教官から聞かされて育った彼らにとって、《剣鬼》と呼ばれ恐れられた元騎士団長は、半ば伝説に近い存在だった。
そんな人物の隣で、カイルだけはいつもと変わらない。
「でも、リューゲン卿も大概ですよね。いきなり剣が見たいとか」
「気になったからな」
「本当、自由な人だな」
平然と軽口を叩き、リューゲンも咎める様子がない。
騎士達が信じられないものを見るように目で追う中、カイルは訓練場を見回した。
「あれ? なんかいつもより綺麗じゃないか?」
バルドがぎろりと睨む。
――余計なことを言うな。
はっきりとそう訴えていた。
その視線には気づかないまま、カイルが怪訝そうに首を傾げていると、隣にいたリューゲンがバルドへ声をかける。
「おい、バルド」
「は、はい!」
「木剣を一本貸せ」
「承知しました!」
慌てて武器掛けへ向かい、一本の木剣を両手で差し出す。
リューゲンはそれを受け取ると、握りを確かめるように軽く振った。
ヒュッ――。
鋭い風切り音が訓練場を走る。
横薙ぎから淀みなく切り返し、そのまま真っ直ぐに突く。
どれも大振りではない。
余計な力が入っているようにも見えないのに、剣先だけは寸分の乱れもなく軌道を描いていた。
(剣先が全くブレないな……)
カイルが見入る前で、リューゲンはさらに二、三度木剣を振った。
「……こんなに軽かったか?」
「昔と同じ、騎士の訓練用のものですよ」
バルドが思わず口を挟む。
「そうか。久しぶりに握ったからか」
もう一度だけ振ると、リューゲンはカイルへ向き直った。
先ほどまでの気安い表情は消えている。
「準備はいいか?」
「……はい」
カイルも木剣を構えた。
期待が膨らむ一方で、頭の片隅には別の考えもあった。
リューゲンが騎士団を退いてから、すでに九年。
年齢も、もうすぐ六十歳になるはずだ。
騎士団を離れてからは、本格的な手合わせの機会もそう多くはなかっただろう。
(まあ、ご老人には優しくしないとな)
久しぶりの手合わせだというのに、いきなり本気で打ち込むのも大人気ない。
まずは軽く様子を見て、それから徐々に上げていけばいい。
「お前から来い」
「じゃあ、軽く――」
言い終わるより早く、カイルが地面を蹴った。
一気に間合いを詰め、木剣を振り下ろす。
ガンッ!!
「――っ!?」
ぶつかった瞬間、カイルの両腕へ凄まじい衝撃が走った。
受けられたと思った次の瞬間には、身体ごと押し返されている。
「うおっ!?」
二歩、三歩と下がり、ようやく体勢を立て直した。
木剣を握る手にはまだ痺れが残っているというのに、リューゲンはほとんど動いていない。
「どうした?」
「……いや」
カイルは指を開閉した。
(何だ、このジジィ……)
とても六十近い男の力とは思えない。
いや、単純な腕力だけの問題ではなかった。
真正面から受けたように見えて、こちらの力が最も乗る瞬間を僅かに外されていた。
そのせいで踏ん張る場所まで奪われたのだ。
『ご老人には優しく』などという考えは、綺麗さっぱり消えた。
代わりに、自然と口角が上がる。
「……面白ぇ」
腰を落として構え直すと、リューゲンにも獰猛な笑みが浮かんだ。
カイルは再び地面を蹴る。
今度は深く入りすぎず、間合いの外から剣を振り、リューゲンが応じたところで一歩踏み込む。
受けられればすぐに引き、角度を変えて斜めから打ち込んだ。
ガッ!
再び受けられる。
だが、カイルが見ていたのは剣先だけではない。
足運び、腰、肩、互いの間合いまで、記憶の中にある情報と照らし合わせていた。
リューゲンの剣については多くの記録が残されている。
戦場でどう立ち回り、どの距離を好み、どう相手を崩したのか。
本人の戦術書まで騎士学校で教材として扱われているのだから、当然カイルも何度となく読んできた。
横薙ぎに振ると、リューゲンが僅かに身体を引く。
(ここから切り返して――)
記憶と目の前の動きが重なった、その時だった。
リューゲンの口元が僅かに緩み、直後、木剣が視界から消えた。
「――っ!」
カイルは反射的に首を傾ける。
ブンッ!!
耳の横すれすれを木剣が通過し、遅れて風圧が頬を撫でた。
「……っぶねぇ」
すぐさま後ろへ跳び、間合いを取った。
あと僅かに反応が遅れていれば、まともに頭へ入っていただろう。
背中に薄く汗が滲む。
だが、リューゲンは追ってこない。
木剣を肩へ担ぎ、楽しそうにカイルを眺めていた。
「手合わせの最中に考え事か?」
「…………」
どうやら、こちらが何をしていたのかまで見抜かれていたらしい。
「色々と確認したくて」
「確認?」
「えぇ。本に書いてある通りなのかなって」
その答えに、リューゲンの眉が僅かに上がった。
これまでにも、手合わせを挑んできた者は数え切れないほどいる。
誰もが必死に剣を振り、どうにか一太刀浴びせようと食らいついてきた。
だが、この少年は違う。
目の前の本人を使って文献との答え合わせを始めた者など記憶にない。
(……随分と余裕があるではないか)
まったく、舐められたものだ。
それなのに不思議と腹は立たず、むしろますます興味が湧いてきた。
「なら、本と同じだと思わんことだな」
「……みたいですね」
カイルは木剣を握り直した。
(ごちゃごちゃ考えてる場合じゃねぇな)
今は目の前の相手だけを見る。
余計な考えを捨て、ぐっと腰を落としたカイルは、今度こそ迷いなく地面を蹴った。
先ほどより深く、懐へ飛び込むような踏み込み。
リューゲンは口元を緩める。
(わしが誰か知った上で、ここまで臆せず突っ込んでくるか)
リューゲンは迫る木剣を真正面から迎え撃った。
ガンッ!!
振り下ろした木剣を受けられると、押し合わずに引いて首へ流す。
そこを防がれれば脇腹、さらに塞がれれば手首へと狙いを変えた。
リューゲンも淀みなく応じる。
狙うのは、カイルの喉、首、脇腹、手首――どれも一歩間違えれば致命傷になる場所ばかりだった。
そこにあるのは、相手を制するのではなく、命を奪うための剣。
剣筋の一つ一つに、その明確な意思が滲んでいる。
(親父ともバルドとも違うな)
二人との手合わせを思い返しても、目の前の剣はどちらとも違っていた。
リューゲンは、防いだ後にどう仕留めるかまでが一つの動きになっている。
カイルは迫る木剣を紙一重でかわし、また踏み込んだ。
打ち合うほどに相手の動きが見える。見えれば、試したくなる。
先ほどリューゲンが使ったように、受けた剣を完全には戻さず、その位置から次の攻撃へ繋げてみた。
それを見ていたバルドの笑みが消える。
隣のセドリックも、カイルから目を離さなかった。
「あいつ……剣筋、変わってねぇか?」
「……えぇ」
以前、カイルとは実際に手合わせをしている。
だからこそ分かる。
速くなったわけでも、力が増したわけでもない。
リューゲンと打ち合うたび、剣の使い方そのものが僅かずつ変化しているのだ。
ガンッ!!
ひときわ激しい音とともに、リューゲンがカイルの木剣を弾いた。
完全に真似できているわけではない。
それでも、一度見たものを即座に試し、自分の動きへ混ぜてくる。
「お前――人の剣を盗む気か?」
カイルはにやりと笑った。
「駄目ですか?」
「いいや。盗めるもんなら、盗んでみろ」
再び木剣が重なる。
ところが、しばらく打ち合ううちに、今度はリューゲンの側が小さな違和感を覚え始めていた。
確かに強い。
学生としては十分すぎるほどで、基礎もよく、状況を見る目もある。
それなのに、聞いていた話とどこか噛み合わない。
(随分と綺麗な剣を使うな)
カイルは何度も魔物を狩り、アイアーベアのような大型まで相手にしてきたという。
それならば、もっと別のものが出てくると思っていた。
リューゲンは斬撃を受け流しながら、直接問いかけた。
「おい、カイル」
「何です!」
「お前、魔物とやり合う時もそんな剣を使っとるのか?」
怪訝そうな顔をしながらも、カイルは脇腹へ木剣を走らせる。
「そりゃそうでしょ! 俺、一応騎士を目指してますので!」
「……そうか」
リューゲンは残念そうに眉を下げた。
(……つまらんな)
これ以上続けても同じだろう。
ならば――終わりだ。
脇腹へ放たれた木剣を受け流し、リューゲンはそのまま半歩だけ懐へ入る。
返す木剣が最短の軌道を走り、カイルの首筋へ迫った。
そこへ突きつければ終わる。
嫌でも「参りました」と言うしかない。
「――っ!」
カイルは反射的に木剣を差し込んだ。
ガッ!!
首筋へ迫っていた木剣を、辛うじて外へ逸らす。
だが、避け切るには遅すぎた。
軌道をずらされたリューゲンの木剣は、そのままカイルの左肩へ――。
バシンッ!!
「――っ!!」
骨まで響く衝撃に、カイルの顔が歪んだ。
「坊ちゃん!」
ルークの心配そうな声が響く。
まともに入った。
あれだけの一撃を肩へ受ければ、左腕はまともに動かせないだろう。
周囲の誰もが、これで手合わせは終わったと思った。
ところが――。
カイルの足は下がらなかった。
(――近い)
肩に走った痛みを認識するより先に、別の感覚が頭を占める。
相手の剣が肩まで届いた。
ならば当然、相手もこちらの間合いにいる。
左腕は痺れて上手く動かない。
だったら、右手だけでいい。
カイルは木剣を右手へ預け、間髪入れずに振り抜いた。
「なにっ!」
リューゲンが咄嗟に顔を反らし、剣先が鼻先を掠める。
カイルは止まらない。
片手では、どうしても力が足りない。
ならば、腕だけで振らなければいい。
カイルは振り抜いた勢いを殺さず、そのまま身体を一回転させた。
全身の回転を木剣へ乗せ、反対側から横薙ぎに叩き込む。
ガンッ!!
「ぬっ!」
受けたリューゲンの足が、初めて一歩後ろへ動く。
カイルはすぐさま追い、上段から木剣を振り下ろした。
受けられる寸前、剣筋が外へ流れ、そのまま身体を捻って斜め下から跳ね上げる。
上段からの振り下ろしから、下からの斬り上げへ。
通常なら、一度剣を引いて足と重心を整え、次の型へ移る。
だが、カイルはその繋ぎさえ飛ばした。
ものづくりと同じだ。
完成された型をそのまま使う必要はない。
一度ばらし、必要な動きだけを部品のように抜き取り、別の型から拾った動きと繋げればいい。
そうして目の前の相手に合わせ、その場で新しい形へ組み上げていけばいい。
一つの型を最後まで振り切ることをやめ、そんな戦い方へ切り替えた途端、カイルは水を得た魚のように生き生きと動き出した。
リューゲンが半歩下がると、軽く地面を蹴って跳ね、着地と同時に駆け出す。
真正面へ向かうかと思えば右へ逸れ、リューゲンが向きを変えれば今度は左へ切り返す。
「ちょこまかと……!」
間合いの外を駆けながら角度を変え、突然懐へ飛び込む。
横薙ぎを弾かれると、そのまま踏み込み直して斜め上から振り下ろし、そこを塞がれる寸前で軌道を脇腹へ変える。
周囲の近衛騎士達が息を呑む。
騎士同士の手合わせなら、互いに間合いを測り、剣を交えながら攻防を組み立てていく。
だが、ここまで訓練場を広く使い、駆け、跳ね、角度を変えながら激しく立ち回る手合わせなど、彼らも見たことがなかった。
だが、バルドだけは驚かなかった。
(……出やがった)
カイルの目の色が変わった瞬間、以前の手合わせが脳裏に蘇った。
あの時も、腹へ一撃を叩き込んだ直後、それまで騎士らしく振っていた剣が一変した。
(……あん時と同じだ)
いや、違う。前よりも複雑になっている。
おそらくカイル自身も感じているのだ。
これまでのやり方では、この男には届かない、と。
だからこそ、一撃をもらった瞬間に切り替えた。
自分が最も慣れている、魔物を相手に培ってきた自由な戦い方をより前面に押し出し、そこへ新たな剣の使い方を加える。
リューゲンもまた、その意味を理解し始めていた。
(型を知らんのではない。型を細かな動きに分けて使っとるのか)
一撃を受けても止まらず、弾かれればその力を次へ繋ぎ、崩れれば崩れた位置から新しい攻撃を作る。
一見すれば剣筋に一貫性がないようでいて、その目的だけは明確だった。
(相手を倒して、自分が生き残る)
相手が人間であることすら、前提にしていない。
(これが――魔物を相手にしてきた奴の剣か)
警戒したリューゲンが大きく一歩下がった。
近衛騎士達がざわめく。
あのリューゲンが、自ら間合いを取った。
だが、カイルは逃がさない。
地面を蹴り、一気に距離を詰める。
一歩、二歩、三歩と進み、今度は左右へ逸れず真正面から駆けてくる。
(……何か仕掛けてくるな)
ここまで散々、予想外の動きを見せられている。
真正面から素直に斬りかかってくるとは、リューゲンも思っていなかった。
ならば、何かされる前に潰す。
木剣を握る手に力を込め、迎え撃つように腰を落とした。
それでもカイルは速度を緩めず、そのまま間合いへ飛び込んでくる。
リューゲンの木剣が鋭く横薙ぎに走った。
「なんだとっ!?」
走ってきた勢いのまま、カイルが一気に身体を沈めた。
頭上すれすれを木剣が通過し、その下を地面すれすれまで低くなった身体が滑り抜ける。
リューゲンの横を抜けたカイルは、すぐさま立ち上がって振り返りざまに木剣を振った。
ガンッ!
強く弾かれ、カイルの身体が大きく前へ傾く。
それでも無理に体勢を戻そうとはせず、低く崩れた姿勢から木剣を斜め上へ斬り上げた。
リューゲンが身を引き、剣は空を切る。
振り抜いた勢いに引かれ、カイルの身体がさらに前へ流れた。
倒れる――誰もがそう思った瞬間、カイルは木剣を自ら手放し、背後へ放った。
「剣を落とした!?」
セドリックが声を上げる。
バルドも一瞬、握り損ねたのだと思った。
だが、違う。
まともに使えるのが右手だけなら、その手を空けるしかない。
空いた右手を地面につき、倒れ込む勢いを利用して身体を跳ね上げる。
そのまま後方へ飛び、先ほど放った木剣のそばへ着地した。
カイルはそれを掴むと、低い姿勢から一気に地面を蹴った。
「まだ来るか!」
驚くリューゲンへ返事もせず、拾い上げた勢いのまま再び間合いへ飛び込んでいく。
崩れても、転びかけても、それすら次の攻撃へ繋げて食らいついてくる。
「はっはっはっ!」
堪えきれず上がったリューゲンの笑い声に、カイルが眉を寄せる。
「何がおかしいんですか!」
「いや、面白い!」
リューゲンは木剣を握り直した。
「ようやく分かったぞ。お前の本当の剣が」
「……?」
「自分じゃ分かっとらん顔だな」
「何の話です?」
「それでいい」
まだ訳が分からないという顔をするカイルの前で、リューゲンの笑みがゆっくりと薄れていく。
「なら――わしも少し見せてやろう」
「何をです?」
「戦場で使っていた剣をな」
そう言ったリューゲンを見て、カイルは眉をひそめた。
構えていない。
木剣を身体の前へ置くことすらせず、右手に下げたまま自然に立っている。
「……構えないんですか?」
「構えとる暇があると思うか?」
「え?」
「戦場じゃ、相手が『始め』と言ってくれるわけじゃない」
言葉が終わった時には、すでに動いていた。
「――っ!」
大きく踏み込んだわけでも、振りかぶったわけでもない。
ただ一歩前へ出ただけに見えたのに、剣先はすでにカイルの喉元へ迫っている。
ガッ!!
咄嗟に木剣を差し込む。
止めた――そう思った瞬間、ぶつかった剣がその位置から横へ滑った。
「なっ――」
受けられたことすら最初から織り込み済みだったかのように軌道を変え、今度は脇腹へ迫ってくる。
身体を捻ってかわした頃には、リューゲンはもう次の位置へ移っていた。
(何だ、これ……!)
次の一撃が来る。
カイルは反射的に痛む左手まで添え、迫る剣を受け止めた。
ガンッ!!
左肩に鋭い痛みが走ったが、もはや意識にも上らない。
それどころではなかった。
一瞬でも目を離せば、次にどこから剣が来るのか分からない。
見覚えのある型も、足運びもある。
それなのに、余計なものが何もない。
振りかぶらない。戻さない。構え直さない。
受けられた位置が、そのまま次の攻撃の始点になる。
カイルは以前にも、戦場を経験した剣を見ている。
父ラインハルトの剣だ。
あれは正統な型を崩すことなく、その内側を極限まで研ぎ澄ませた剣だった。
同じ型のはずなのに、踏み込みも重心も間合いも、カイルが知るものとはまるで違っていた。
だが、リューゲンの剣はさらに単純だった。
いや――単純に見えるほど、削られている。
何十年もの戦場で、必要のない動きを一つずつ捨ててきたのだ。
最後に残ったのは、相手へ届き、仕留めるために必要な動きだけ。
だから速い。
力任せに剣速を上げているわけではない。攻撃へ至るまでの動作そのものが短いのだ。
そして、始まりが見えないからこそ、その先も読めない。
「昔はな」
剣を交えながら、リューゲンが口を開いた。
「今みたいに、騎士が城で綺麗に剣を振っとれば済む時代じゃなかった」
木剣が重なる。
リューゲンは押し込まず、その位置から剣先を滑らせるように手首を狙った。
「敵は正面から来るとは限らん。横からも、後ろからも来る。倒れた奴が足を掴んでくることだってある」
そう語るリューゲンの口元には、いつの間にか楽しげな笑みが浮かんでいた。
「随分……楽しそうですね!」
迫る剣を受け流しながら、カイルが笑う。
「ああ。あの頃が一番楽しかったな」
「やっぱりあなた、変ですよ!」
「お前に言われたくないわ!」
言い返している間にも、リューゲンの剣は止まらない。
カイルがかわした先へ次の一撃が伸び、受ければ、その位置からさらに別の急所へ剣先が走る。
一撃一撃を終わらせるという感覚そのものがないのだ。
「戦場で大事なのは、綺麗に勝つことじゃない!」
ガンッ!
「泥を被ろうが、地面を這おうが――最後に生きて帰った奴が勝ちだ!」
その言葉に、カイルの口元が吊り上がった。
「それなら――俺も同じですよ!」
リューゲンの剣を受け流し、一気に懐へ踏み込んだ。
肩からぶつかる。
リューゲンも逃げない。
そこから先は、もはや騎士同士の綺麗な手合わせではなかった。
何十年もの戦場で削り上げられた剣と、魔物との命のやり取りで身につけた戦い方が、ぶつかり合う。
それでも、カイルの視線だけはリューゲンの動きを追い続けている。
最初に真似た時とは違う。
あの時は、見た形をなぞっただけだった。
今は、その奥にある理由まで見ようとしている。
なぜ振りかぶらないのか。
なぜ受けた場所から次へ移れるのか。
どの動きを捨てれば、この速さになるのか。
リューゲンが木剣を受け、その位置から僅かに手首を返す。
それだけで剣先が首へ走った。
カイルはぎりぎりでかわす。
(……違う。手首だけじゃない)
剣を受けた時には、すでに足と重心が次の攻撃へ移っている。
ぶつかった衝撃さえ殺さず、そのまま次の一撃へ利用しているのだ。
(なるほど……だから速いのか)
一つの動作が終わる頃には、身体はもう次の動きへ入っている。
剣を交えるうちに、その動きと意味が少しずつ繋がっていった。
そして――。
ガンッ!
リューゲンがカイルの斬撃を受け、その位置から最短の軌道で首へ返す。
カイルはかわした。
直後、今度はリューゲンの木剣がカイルへ振り下ろされる。
カイルが受ける。
いつもなら一度引くところで、木剣を戻さなかった。
受けた位置から僅かに手首を返し、身体の向きを変える。
ほとんど予備動作のない木剣が、リューゲンの首元へ走った。
「――!」
リューゲンが半歩だけ身を引く。
剣先が鼻先を掠めた。
ほんの一瞬、二人の動きが止まる。
先ほどまでとは違う。
似ているのではない。
予備動作も、剣の返し方も、次の一撃へ移る間も、今しがたリューゲンが使ったものと同じだった。
最初は形しか拾えなかった少年が、その意味まで理解し、ついに自分の剣へ取り込んだのだ。
「……本当に、盗みやがったな」
カイルはにやりと笑う。
「やっとですけどね」
「ははっ! いいぞ!」
リューゲンの剣速がさらに上がった。
だが、一つの動きを完全に盗んだからといって、何十年もの戦場まで盗めるわけではない。
一つ覚えれば、その先にまた知らない動きがある。
同じ一撃でも角度や踏み込みが違い、追いついたと思えばまた離される。
それでもカイルは食らいつき、剣を交えるたびに一つでも多く動きを拾おうとしていた。
見守る近衛騎士達からは、いつしか声が消えている。
(……おいおい)
バルドの頬が引きつった。
(手合わせだよな、これ……)
一瞬でも気を抜けば、木剣とはいえ大怪我では済まない。
止めるべきかとも思ったが、二人の顔を見てすぐに諦める。
下手に近付けば自分まで巻き込まれる。何より、どちらも止められることなど欠片も望んでいない。
そして――やはり、リューゲンという壁は高かった。
(まだだ。一度見た。なら、次は読める)
カイルは、リューゲンの木剣を受け流し、僅かに空いた右側へ踏み込む。
今度こそ届く。
脇腹へ振ろうとした、その瞬間だった。
「――っ」
リューゲンの木剣が視界から消えた。
反応する暇すらない。
気づけば、首筋のすぐそばで止まっていた。
「…………」
あと僅か。
ほんの少し軌道を変えられていれば、喉を貫かれていただろう。
完全に取られた。
避けることも、受けることも、やり返すこともできない。
カイルの手から力が抜け、そのまま片膝をついた。
「……参りました」
その言葉を合図にしたように、静まり返っていた訓練場がどっとざわめいた。
誰もが張り詰めていた息を吐き出し、今しがた目の前で繰り広げられた手合わせに興奮を隠せない。
肩を大きく上下させるカイルの顎から、汗が地面へ落ちた。
負けた。
言い訳の余地などない。
父ラインハルトにも勝てたことはない。だが最後の一瞬、リューゲンには本当に何もできなかった。
(……強ぇ)
どうしようもなく悔しい。
それなのに、俯いたカイルの口元は僅かに吊り上がっていた。
まだ上がいる。
自分の知らない、戦場で磨かれた剣がある。
その事実が悔しくて――同じくらい、たまらなく面白かった。
顔を上げると、リューゲンはほとんど息を乱していない。
それだけで嫌でも分かる。
この男は――まだ底を見せていない。
一方のリューゲンも、満足そうにカイルを見下ろしていた。
「……なかなかやるな」
こんなふうに血が煮えたぎる感覚は、騎士団にいた頃ですらそう何度も味わったものではない。
何より面白かったのは、一撃を入れた後だ。
騎士として身につけた剣へ、自分の戦い方を重ね、最後にはわしの剣まで一つ盗んでみせた。
まだ粗い。
それでも、この先どこまで変わるのかと思えば、久しく感じなかった興味が胸の奥から湧いてくる。
(……飽きさせん坊主だ)
リューゲンは満足げに息を吐き、片膝をついたカイルへ手を差し伸べた。
「ほら、立て」
カイルは顔を上げ、差し出された手を取ろうと左腕を持ち上げた――その時。
ずきんっ!
「いっ……!」
肩から二の腕にかけて鋭い痛みが走る。
戦っている間は興奮で忘れていたらしい。
思わず肩を押さえたカイルは、ゆっくりと顔を上げた。
間違いなく痣になる。
目の前には、満足そうな顔で手を差し伸べている張本人がいる。
先ほどまで感じていた尊敬も、自分の知らない剣を見せてもらった感動も、負けた悔しささえも。
そして、目の前の男が《剣鬼》と呼ばれ、数々の功績を残してきた元騎士団長であることさえ――その瞬間だけは全部吹き飛んだ。
カイルはキッとリューゲンを睨みつける。
「ふざけんな! このクソジジィ!」
怒声が、静まり返った訓練場いっぱいに響き渡った。
その瞬間、バルドの顔から血の気が引く。
(……終わった)
《剣鬼》リューゲン本人に向かって、ここまで堂々と暴言を吐いた人間が、かつていただろうか。
少なくとも、バルドは知らない。
もしかするとカイルは今この瞬間、とんでもなく不名誉な形で歴史に名を刻んだのかもしれない。
少なくとも――この場にいた全員の胸には、しっかりと刻まれた。




