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第55話 失言

カイルが本名を名乗ったあと、工房には重苦しい沈黙が落ちていた。


バルドは固唾を呑んで二人を見守り、ルークもいつ怒号が飛んでくるのかと身構えている。


少し離れた場所では、ジークまで興味深そうに成り行きを眺めていた。


そして――。


「…………っ」


不意に、リューゲンの口元が震えた。


怒りを堪えている。


バルドがそう思った直後、その喉から低い声が漏れる。


「くっ……くく……はっはっはっ!」


工房へ響いたのは、怒号ではなく豪快な笑い声だった。


「そういうことか! お前、ラインハルトの息子だったのか!」


リューゲンはしばらく肩を揺らし、目尻に浮かんだ涙を指で拭う。


「いや、これほど笑ったのは久しぶりだ」


予想外すぎる反応に、バルドもルークも呆気に取られていた。


リューゲンは、改めてカイルを頭から足元まで眺めた。


「信じられんな」


カイルは心外そうに眉を寄せる。


「木剣に入った家紋まで見せたでしょ」


「そういう意味ではない。ラインハルトといえば、融通が利かんほど真面目で、規律だ規則だとうるさい男だぞ」


「……それはまぁ、息子から見てもそうですけど」


「だろ? その息子が剣都をうろつき、元騎士団長へ偽名を名乗ったのか?」


「普通にあなたと話してみたかったんですよ。本名を言ったら、話してくれないかなって」


「しかも、それが偽名だということまで明かして……くっくっ」


「その方が印象に残って面白いでしょ」


再びリューゲンの口元が緩む。


「なるほどな。まったく似ておらんな」


「何がです?」


「性格だ」


あまりにもきっぱりと言われ、カイルの眉間に皺が寄る。


「それ、褒めてます?」


「ああ。面白い」


軽口が続くにつれ、張り詰めていた空気もようやく緩んでいった。


バルドも大きく息を吐き、恐る恐る口を開く。


「……あの、リューゲン様。カイルが団長の息子だと分かっても、態度を変えないのですか?」


リューゲンは不思議そうに見る。


「何故だ?」


「いや、だって……団長とは、その……」


「仲が悪いな」


あっさり認められ、バルドの言葉が止まる。


リューゲンはちらりとカイルへ目を向けた。


「だが、それとこれは別だ」


そう言うとカイルの肩を掴み、そのまま乱暴なくらい気安く引き寄せる。


「むしろ気に入った」


「……えっ?」


思わぬ言葉に、カイルが目を瞬いた。


「わし相手にこれだけ軽口を叩き、仕掛けてくる坊主はそうおらん。それに、あの男からこんなに悪知恵の働く息子が生まれたと思うと、余計に面白い」


「それ、どういう意味です?」


胡乱な目を向けるカイルにも、リューゲンは涼しい顔を返すだけだった。


本名を明かせば、これまでのようには話せなくなると思っていた。


だが実際には逆だ。


偽名という壁がなくなった分、むしろ距離が縮まったようにすら感じる。


リューゲンは続けて尋ねる。


「そうか。なら、お前も騎士学校へ通っておるのか?」


「一応。ただ今は学校を離れて、この城で勉強させてもらってます」


「……何? 騎士学校を離れて、城で?」


「はい」


騎士学校の学生が、なぜアルフォンスの城にいるのか。


しかも名工ジークと見たこともないナイフを作り、工房へ当たり前のように出入りしている。


しばらくカイルを眺めた末、リューゲンは呆れたように鼻を鳴らした。


「……ますます分からん奴になったな。それでお前、ここで一体何をやっておる?」


その問いを待っていたかのように、ジークが口元を吊り上げる。


「さっきも言ったが、こいつはな、魔物素材を加工できる」


作業台に置かれていた白いナイフを持ち上げた。


「これは、アイアーベアの牙から作った」


「アイアーベアだと!?」


「ああ。しかも混ぜもんはなしだ。牙そのものを削り出してある」


リューゲンの表情が変わった。


「……本当にか?」


ナイフを受け取ると、光へ透かしながら細部を確かめていく。


「実際に、切れ味も見てみろ」


ジークが鉄の端材を差し出す。


リューゲンはナイフを構え、軽く刃を走らせた。


キンッ――。


小気味よい音とともに、鉄片の端が落ちる。


「……なんだ……これは……」


力任せに叩き切ったわけではない。


刃を滑らせただけで鉄へ食い込み、しかも刃こぼれ一つしていない。


リューゲンは改めてナイフを眺め、カイルへ視線を移した。


「これを、お前が?」


「ジーク様にも手伝ってもらいましたけどね」


「加工方法を見つけたのはこいつだ。ちなみに、この坊主が倒したアイアーベアを使ってる」


「……は?」


リューゲンの視線が勢いよくカイルへ向く。


アイアーベアといえば、生きて帰れないと言われるほどの危険な魔物だ。


カイルは慌てて手を振った。


「俺一人じゃないですよ! そこは勘違いしないでください」


「だが、剣の腕があるって城中で噂になってるぞ」


ジークが横から面白そうに付け加える。


「えっ!? いや、それは……」


露骨に困ったカイルを見て、リューゲンがにやりと笑う。


ジークはそんな二人を横目に、話を戻した。


「だからこいつと一緒に、もう一度あの魔物素材を使った剣を打つんだ」


リューゲンはナイフを眺め、それからカイルへ視線を戻した。


今度は完全に、剣に関わる者の目になっていた。


「そういうことか」


何かに納得したようなリューゲンを見て、カイルの中で以前会った時の記憶が繋がった。


「……もしかして、リューゲン卿が剣の製作に参加される理由って」


「ああ」


答えたのはジークだった。


「こいつが、その剣を持ってるからだ」


「やっぱり」


カイルは思わず呟く。


「前に俺が工房印を見せた時、何か知ってるって顔してましたもんね」


「ああ、あれか。まさかお前みたいな坊主が、あの印を見せてくるとは思わなかったからな」


「それなら教えてくれたっていいじゃないですか。しかも剣まで持ってるなんて」


「悪かった。だが、あれは少々危ない剣でな。誰にでも話せる代物ではなかったんだ」


「危ない?」


その一言だけで、カイルの目つきが変わる。


リューゲンも気付き、小さく笑った。


「せっかくだ。実物を見せてやろう」


腰に差していた剣を鞘ごと外し、カイルの前へ掲げる。


「これがそうだ」


途端にカイルの目が輝く。


「見せてください!」


「待て待て。いきなり触るな」


「じゃあ抜いてください!」


「お前、本当に遠慮がないな……」


呆れながらもリューゲンがゆっくりと刃を引き抜く。


工房の光を受けたその姿に、カイルの意識が一瞬で吸い寄せられた。


「これが……」


剣都の宿屋にある資料室で見つけた、大型獣討伐用の剣に関する資料。


そこに記されていた工房印が、目の前の剣にも刻まれている。


「昔、攻め落とした国から戦利品として持ち帰ったものだ。王城の宝物庫にあった」


「宝物庫から?」


「ああ。金や財宝には興味がなくてな。この剣と、それに関する記述のある書物を選んだ」


「……リューゲン卿らしいですね」


「そうか?」


リューゲンはどこか懐かしむように刃を眺める。


「誰が、いつ作ったものなのかは分からん。書物にも詳しいことまでは残されておらんかった。ただ、試しに振ってみたら、とんでもない代物でな」


「それでジーク様に?」


「ああ。同じものを作れんかと頼んだ」


「無茶言いやがって」


ジークが口を挟む。


「見たこともねぇ素材で作られた剣を持ってきて、『これと同じものを作れ』だからな」


「面白がって引き受けたのはお前だろう」


「それは否定しねぇよ」


ジークは鼻を鳴らし、剣へ目を向けた。


かつて魔物の牙や爪を素材として剣作りに挑戦したことがある。


だが硬すぎてまともに加工できず、どうにか叩き割った欠片を鉄へ混ぜて剣の形にした程度だった。


出来上がったものは表面がぼこぼこと歪み、切れはするものの切れ味が増したわけでも、普通の剣を上回る利点があるわけでもない。


結局、魔物素材を混ぜ込んだだけの失敗作だった。


「結局、何が使われてるのか全部は分からなかった。文献も断片的で、判明した素材は一部だけだ」


「一部だけ……」


ジークは頭をかき苦笑した。


「まぁ、ほとんど当てずっぽだがな。だが、さっき話した通りだ。まともに加工できなかった」


「そうなんですね」


「似たようなもんを作るところまではいったが、こいつには遠く及ばなかったよ。苦労して作ったその剣も、こいつがすぐに叩き折りやがったけどな」


「折った?」


カイルが目を丸くする。


当のリューゲンは、まるで悪びれた様子もない。


「硬いものでも斬れるかと思って振ってみたら、折れた」


「それを普通、試す前に言うだろうが!」


「斬れるかどうかは、斬ってみなければ分からんだろう」


「だからって完成したばかりの剣で試す奴があるか!」


「結果、斬れなかった」


「知ってるよ! 目の前で折れたからな!」


二人のやり取りを聞きながら、カイルはふと呟く。


「じゃあ、その時作ったものはもう残ってないんですか?」


「ああ。真っ二つになったからな。すぐ捨てた」


ジークは忌々しそうにリューゲンを睨む。


「もったいない……」


残念そうに呟き、カイルは再び刃へ目を落とした。


かつてジーク達が再現しようとして届かなかった剣。


その〝本物〟が、今まさに目の前にある。


「……これ、切れ味すごいんですよね?」


「ああ。普通の剣とは比べものにならん」


「どれくらいです?」


少し考えたリューゲンが、声を落とす。


「対人戦に使えば、戦そのものが変わる」


その一言で、工房の空気が僅かに張った。


だが――。


「やっぱり!」


カイルだけは目を輝かせる。


「じゃあ、鎧ごと斬れるとか?」


「物によってはな」


「すごい!」


「それだけではない。この剣は重心が少し刃先寄りにある」


「じゃあ、振り下ろした時――」


「ああ。剣の重さがそのまま乗る。見た目以上に威力が出るぞ」


そこから先は、完全に二人の世界だった。


「なるほど。だから持ち手が少し太いんですね」


「気付いたか。最初は妙に感じるが、これが意外と手に馴染む」


少し離れた場所で、バルドは何とも言えない顔でルークを見る。


「……似てるな」


「……っすね」


以前、剣の製作について話し合った時、カイルもまったく同じことを口にしていた。


――対人戦に使えば、戦そのものが変わる。


一言一句、同じだった気がする。


どうやら似ているのは言葉だけではない。


剣を見て何ができるのかを考え、実戦での使い道へ辿り着く。


その思考の流れまでそっくりなのだ。


二人とも剣を前に目を輝かせ、放っておけばいつまでも話し続けそうな勢いだ。


「……話が合いすぎじゃねぇか?」


その呟きにも、当の二人はまったく気付かなかった。


ジークはそんな二人を眺め、やはり思った通り気が合うようだと小さく笑う。


それから工房の奥へ目をやった。


「……待てよ。確か、あの時使った素材がまだ残ってたはずだ」


「本当ですか!?」


カイルが食いつくように身を乗り出す。


「ああ。全部捨てた覚えはねぇ。どっか奥に仕舞ったはずなんだが……」


ジークは工房の奥へ消えていった。


その間も、カイルとリューゲンの剣談義は途切れることなく続く。


時折笑い声を上げたかと思えば、すぐに真剣な顔で剣について語り合っている。


しばらくして、奥から声が飛んできた。


「おい、リューゲン。ちょっと来い」


「何だ?」


「これだったか? あの時使った素材、お前なら見りゃ分かるだろ」


「さすがにわしも全部は覚えておらんぞ」


リューゲンは鼻を鳴らすと、手にしていた剣をカイルへ差し出した。


「見てていいぞ」


「いいんですか?」


「ああ。ただし落とすなよ」


「落としませんよ!」


嬉々として受け取るカイルを置き、リューゲンは工房の奥へ向かった。


カイルはすぐさま手元の剣へ意識を戻す。


鞘から柄、鍔へと視線を走らせ、今度は刃へ顔を近付けた。


(……何が使われてんだ、これ)


気になる。


とにかく気になる。


ゴーン――ゴーン。


その時、城内に午後の授業開始を告げる鐘が鳴り響いた。


だが、カイルは顔すら上げなかった。


意識は完全に、手の中の剣へ持っていかれていた。


◇


その頃。


本来カイルが座っているはずの席を前に、コンラードは黙って立っていた。


午後一の授業は自分が担当する予定だったが、開始時刻を過ぎても肝心の生徒は現れない。


「今度という今度は……」


低く呟き、コンラードは部屋を出た。


部屋にもいない。食堂にもいない。


廊下ですれ違う騎士にも次々と声を掛け、何人目かでようやく手掛かりが見つかる。


「カイル殿でしたら、武具開発工房へ行かれるのを見ましたが」


「…………また工房ですか」


コンラードの眉間の皺がさらに深くなる。


「あ、あの、コンラード殿!」


騎士は一緒にいた大物の名も伝えようとしたが、コンラードはすでに廊下の向こうへ消えていた。


工房へ辿り着くと、数回扉を叩き、返事も待たずに開け放つ。


「カイル殿!」


怒声に鍛冶師達が一斉に振り返る。


だがコンラードの目には、剣を抱えたカイルしか入っていなかった。


「げっ……」


「『げっ』ではありません!」


ずかずかと歩み寄ってくる。


「午後の授業が始まって、どれだけ経ったと思っているのですか!」


「いや、これは――」


「部屋にもいない、食堂にもいない! 騎士へ尋ねて回れば、また工房にいると言うではありませんか!」


「いや、ちょっと珍しい剣が――」


「また剣ですか!」


ぴしゃりと遮られ、カイルは反射的に剣を抱え込んだ。


「だって、これ凄いんですよ。昔――」


「知りません!」


「いや、知ったら絶対――」


「知りたくありません!」


取り付く島もない。


コンラードは額へ手を当て、深く息を吐く。


「まったく……珍しい剣を見つけたくらいで授業まで忘れて眺め続けるなど――」


「忘れてたわけじゃ……」


「では、なぜここにいるのです!」


「…………」


「忘れているではありませんか!」


反論できなかった。


「剣を前にした途端に周りが見えなくなるなんて……あなたは剣馬鹿ですか!」


「そこまで言わなくても……」


「言います! まるでリューゲン元団長とそっくりだ! 昔から騎士達が話していましたよ。あの方も珍しい剣を見つければ、仕事そっちのけで眺めていたとか!」


少し離れた場所にいたバルドの顔色が変わる。


「お、おい、コンラード……」


「何ですか!」


そこでバルドは、はたと気付いた。


(まさかこいつ……リューゲン様が城に来てること、知らねぇのか?)


コンラードは必要がなければ周囲とほとんど言葉を交わさない。


授業の準備に籠もっていたなら、今日の来城を知らなくても不思議ではない。


「カイル殿まで同じような剣馬鹿になったら、こちらはたまったものではありません!」


止める間もなく、コンラードは完全に勢いづいていた。


「好き勝手に動く! 戦術は破天荒! 興味のないことには耳も傾けない! 今でこそ英雄のように語られていますが、あの方は昔から無鉄砲で好き放題していたそうではありませんか!」


バルドは両手で顔を覆った。


「あんな振る舞い、現在の騎士団ならただの規律違反です! 絶対に真似しないでください!」


「ほう」


背後から、低い声がした。


「わしは今では、そんなふうに語られておるのか」


「…………」


コンラードの口が止まる。


バルドだけが、その場で静かに天を仰いだ。


ぎこちなく振り返ると、工房の奥から素材片を手にした銀髪の男が歩いてきていた。


一、二度顔を合わせた程度で、親しいわけではない。


それでも見間違えるはずがなかった。


「リュ……リューゲン……元団長……?」


「そうだが?」


カイルは込み上げる笑いを堪えきれず、口元を押さえながらリューゲンを指差した。


「コンラード様。その規律を違反してた人、ここにいますよ」


「カイル殿、黙っていてください!!」


リューゲンがゆっくり腕を組む。


「それで? 他には、どんなふうに語られておるのだ?」


「…………」


数秒の沈黙。


次の瞬間――。


「申し訳ございませんでした!!」


コンラードは凄まじい勢いでその場へ膝をついた。


額が床へつかんばかりの、見事な土下座だった。


「決して悪意があったわけではなく! その、歴史的評価を客観的に申し上げただけで――!」


「余計悪いでしょ、それ」


ボソリと呟くカイルに、助け舟を出す気配は微塵もない。


「カイル殿!!」


「俺に怒らないでくださいよ!」


リューゲンの鋭い眼光が、コンラードを射抜く。


どうやらリューゲンの記憶に、コンラードという人物は残っていなかったらしい。


「お前、アルフォンスの部下か?」


「は、はい!」


「所属は」


「ぐ、軍事参謀のコンラード・ファルケンハインと申します……」


「……ほう。ファルケンハイン家か。確か、長男は騎士だったな。お前の兄か?」


「はい……」


「ラインハルトとも親交が深かったはずだ」


そこまで聞いた瞬間、バルドの顔色が変わった。


(まずい!)


昔からリューゲンを知るバルドには分かる。


この男がこういう場面でラインハルトの名を持ち出す時は、かなり癇に障っている時だ。


案の定、リューゲンの声から先ほどまでの軽さが消えた。


「それでか?」


「……え?」


「兄がラインハルトと親しいから、わしに対してあのような物言いをしたのか?」


「ち、違います!」


「ならば――わしとラインハルトを比べて言っておるのか?」


「い、いえ違います! ですから……あの」


「リューゲン様!」


堪らずバルドが割って入り、コンラードの隣へ片膝をつく。


「こいつに悪気はありません! 昔から誤解を招くような物言いをする奴でして! 決して団長と比べたわけではございません! 俺からも謝ります! 申し訳ございません!」


深々と頭を下げ、コンラードも慌ててそれに倣った。


◇


その頃――。


応接室では、アルフォンスが小さく息を吐いていた。


「……リューゲン殿は、いつこちらへ来られるのだ?」


「ジーク殿と話されているのでしょう。そろそろと思いますが」


傍らのレオナルドも、わずかに困った顔をしている。


正門へ到着したとの知らせから、すでに数十分。それなのに本人は一向に姿を見せない。


「……そういえば、バルドはどうした?」


「リューゲン殿とカイル殿が工房へ向かわれた際、同行されたようです」


「……カイルも一緒なのか?」


「はい」


アルフォンスの表情から、少しずつ余裕が消える。


リューゲンとラインハルトの不仲は、アルフォンスもよく知っている。


だからこそ、本来は自分のいる場で二人を引き合わせるつもりだった。


万が一リューゲンが感情を荒らげても、自分なら間に入れる。


だが、二人が揃って工房にいるということは――。


「まさか……揉めておるのではないだろうな」


こんなことなら、事前にカイルからリューゲンとの関係を聞いておくべきだった。


もっとも、互いに顔くらいは知っていたとしても、あのリューゲンが嫌っているラインハルトの息子と、まともに言葉を交わしたことなどないだろうと考えていたのだが。


一方、レオナルドの脳裏には、玄関口で耳にした二人の会話が浮かんでいた。


正体を隠し、何食わぬ顔でリューゲンと話していたカイル。


事情が分からず口を挟まなかったが、今となっては少々気になる。


「……確認させましょうか?」


「頼む。誰か一人、様子を見てきてくれ」


近衛騎士がすぐに応接室を出ていった。


ほどなく工房へ辿り着いた騎士は、中から聞こえる騒がしい声に足を止める。


わずかに開いていた扉から、そっと中を覗き――目を疑った。


工房の中央にはリューゲン。


その前でコンラードが床へ額をつけんばかりに頭を下げ、隣にはバルドまで膝をついている。


どう見ても、ただ事ではない。


騎士は慌てて踵を返した。


「殿下!」


勢いよく戻ってきた騎士に、アルフォンスとレオナルドが顔を上げる。


「どうした?」


「た、大変です! 工房でコンラード殿とバルド騎士長が、リューゲン元団長へ謝罪されています!」


「……何?」


「お二人とも、リューゲン元団長の前で膝をついておられました!」


「……まさか、本当に揉めたのか!?」


アルフォンスはすぐに立ち上がった。


カイルが何か失礼をしたのか。それとも、リューゲンが敵意を向けたのか。


どちらにせよ、バルドまで頭を下げているなら放ってはおけない。


「行くぞ!」


「はい」


アルフォンスは足早に応接室を出た。


やがて工房へ辿り着き、勢いよく扉を開け放つ。


「リューゲン殿!」


だが、中へ踏み込んだところで足が止まった。


確かに報告通り、リューゲンの前ではコンラードとバルドが揃って頭を下げている。


問題は、そのすぐ近くにいるカイルだった。


「何も土下座までしなくてもいいでしょう」


けらけらと笑っている。


リューゲンまで愉快そうに口元を緩めた。


「少しからかっただけだ。しかし見事だったな」


「ですよね。俺もびっくりしましたよ」


そこでようやく、カイルが入口のアルフォンス達へ気付く。


「あれ?」


リューゲンもつられるように見る。


「ん?」


二人揃って、まるで何事もなかったかのような顔をしていた。


アルフォンスのこめかみが僅かに動く。


こちらは大事が起きたのではないかと慌てて駆け付けたというのに、その中心にいる少年は楽しそうに笑っている。


「――カイル!」


「えっ? な、何ですか?」


「何ですか、ではない! これは一体どうなっておる!?」


「これですか?」


カイルはコンラードとバルドへ目を向け、何でもないことのように答えた。


「コンラード様が、リューゲン卿に向かって言ったんですよ」


「……何を?」


「今では英雄みたいに語られてるけど、ただの無鉄砲な規律違反した人だって」


「カイル殿!!」


コンラードが勢いよく顔を上げる。


だが、カイルは止まらない。


「あと、時間は守らないし、破天荒な戦術で――」


「カイル殿! もう結構です!」


コンラードはカイルの足へしがみついた。


「うわっ! 何するんですか!」


「お願いですから! これ以上、私の失態を大きな声で言いふらすのはやめてください!」


「殿下が聞いたから説明してるだけで――」


「それを言いふらしていると言うのです!」


「だって、全部説明しないと殿下も分からないでしょ」


「報告しなくて結構です!」


普段の冷静さなど、どこにもない。


眼鏡の奥では、潤んだ瞳が縋るようにカイルを見上げていた。


アルフォンスが呆然と眺めていると――。


リューゲンの手が、作業台に置かれていた、あの工房印の刻まれた剣へ伸びた。


「……っ」


アルフォンスの顔から、さっと血の気が引く。


リューゲンは、父王の時代から王国を支えてきた偉大な騎士だ。


団長を退いた今なお、その威光は衰えておらず、王族であるアルフォンスでさえ敬意をもって接する相手だった。


そんな人物に、自分の部下があろうことか失言を犯した。


そして今、その本人が無言で剣へ手を伸ばしている。


アルフォンスの背筋に冷たいものが走った。


(まさか……)


リューゲンの指先が、柄へ近付いていく。


抜く気ではないだろうな。


アルフォンスの心臓が、嫌な音を立てた。

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