第50話 魔物採集は命懸け
色とりどりのスライムを見つけた途端、カイルの機嫌はすっかり直っていた。
つい先ほどまでルークへ「絶交だ」と言い放っていたことなど、もう頭の片隅にも残っていない。
「ルーク!」
「はいっす!」
呼びかけるだけで意図は通じた。
二人は慣れた手つきで荷物を下ろし、小さな布袋をいくつも取り出す。
そこへ切り分けた果物の果汁をぎゅっと搾り、甘い香りが逃げないよう袋の奥へ染み込ませていった。
「あとは、この辺っすね」
「よし。少し離して置け。黄色の近くにも一つ。あれは絶対持って帰るぞ」
ルークが周囲へ袋を配り、カイルも間隔を見ながら設置していく。
その様子を眺めていたバルドは、何をしているのか見当もつかないらしく眉を寄せた。
「……何やってんだ? それに、さっきから気になってたんだが、スライムって色が違うと何か違うのか?」
「さぁ……どうなんでしょう」
セドリックも興味深そうに様子を窺い、コンラードに至っては眼鏡の位置を直しながら二人の手元をじっと追っている。
「一体、何を始めるつもりです?」
その隣では、クラウスが早くもノートを開き、カイル達の作業を見逃すまいとペンを走らせていた。
誰もが、これからスライムを倒すための準備だと思っていた。
ところが、風に乗った果物の甘い香りが辺りへ広がった瞬間、近くにいたスライムがぷるりと身体を震わせた。
一匹が向きを変え、それにつられるように別の個体も動き出す。
やがて警戒する様子もなく袋へ近づくと、そのままするりと口の中へ入り込んでいった。
「おい……」
バルドの声が漏れる。
二匹目、三匹目も続き、気付けば置いた袋のあちこちへ色とりどりのスライムが吸い込まれていた。
「捕まえてる……」
セドリックが呆気に取られたように呟くと、バルドも眉を寄せた。
「倒すんじゃねぇのか?」
「あぁ。生きたままの方が持って帰りやすいからな」
カイルは当然のように答えながら、獲物が入った袋の口を次々と縛っていく。
「よし、こんなもんか。じゃあ分担な」
「……はっ?」
バルドが身構えた直後、カイルは捕まえた袋をぽんぽんと手渡した。
当然のように、バルドとセドリックの腕へ収まる。
「何で俺たちなんだよ!」
「荷物持ちだから。そういう役目だろ?」
「違うわ!」
抗議など聞く耳を持たず、カイルはさらに一袋をバルドの肩へ乗せる。
中では生きたスライムがぷるぷると蠢いており、その柔らかな感触が布越しに伝わったらしい。
バルドの肩がびくりと跳ねた。
「うわっ、気持ち悪っ!」
その反応とは対照的に、クラウスは目を輝かせて近寄ってきた。
「すごい、すごい! 本当に生きたまま入っているぞ!」
興奮したまま、バルドが抱えている袋を指先でつつく。
ぷるん。
刺激されたスライムが中で大きく蠢き、袋がぐにゃりと形を変えた。
「うおっ!? 先生、触るな!」
「おお! 動いた!」
「だから触るなって!」
バルドが慌てて袋を身体から離す横で、クラウスはますます楽しそうに覗き込んでいる。
セドリックは特に動揺することなく、腕に抱えた袋を持ち直しながら、意外そうに重さを確かめていた。
「……結構重いな」
それを聞いたルークが、残りの袋をまとめながら答える。
「そりゃ何匹も入ってますから。今日は荷物が増えそうっすね」
「まだ増えるのか?」
うんざりした声に、カイルは悪びれもせず口角を上げる。
「もちろん。せっかく来たんだ。他も集めるぞ」
「勘弁してくれぇ!」
背後から飛んでくる悲鳴にも構わず、カイルは上機嫌で森の奥を見据えた。
本来なら、次に確保すべきはフレアビートル。
それを捕まえれば今日の目的は達成だ。
(……でも、捕まえたら帰るって言われるよな)
ちらりとコンラードを盗み見る。
間違いなく言う。
ならば、フレアビートルは最後でいい。
せっかくアルテの森まで来たのだ。
まだ見たことのない魔物も探したいし、使えそうな素材も持ち帰りたい。
そう決めたカイルは、あえて本命の名を出さず、クラウスへ身を乗り出した。
「あっ、次はあれ! 岩場にいるトカゲみたいな魔物が欲しいです! 鱗が硬いやつ! あと毒を持ってるカエルも!」
まるで市場で買い物でもするような調子で、欲しい魔物を次々と挙げていく。
「……ちょっと待ちなさい」
横から冷静な声が差し込んだ。
聞こえなかったふりをしてクラウスへ話を続けようとしたものの、すぐに名を呼ばれる。
「カイル殿」
「……何ですか?」
仕方なく向き直ると、コンラードが逃がすまいとするようにこちらを見ていた。
「今日の目的は、二種類の魔物を確保することだったはずです」
「そうでしたっけ?」
「そうです」
きっぱりと言い切られる。
「スライムはすでに確保しました。あとは――」
「他にも必要なんですよ!」
カイルは強引に先を遮った。
「……他にも?」
「はい。フレアビートルだけじゃ足りませんでした。炎の瓶を作るなら、反応を安定させる素材もいりますし、まだ色々必要なんですよ」
「……そうなのですか?」
コンラードは疑わしそうにカイルを見つめた。
とはいえ、彼に魔物素材の加工に関する専門知識はない。
一方、目の前にいるカイルは、すでにいくつもの魔物素材を商品へ変えてきた実績がある。
これほど堂々と言い切られては、コンラードにも嘘かどうか判断のしようがなかった。
「……分かりました。では、それも今日の予定に?」
「はい!」
即答したが、もちろんたった今決めたことである。
「そういうことなら仕方ありませんな」
「ですよね」
少し後ろでは、すべて察しているルークだけがそっと顔を逸らした。
坊ちゃんが適当なことを言っているのは分かっているが、黙っておく方が身のためだ。
にこやかに話を終わらせたカイルは、すぐクラウスへ向き直った。
「それで先生! トカゲみたいな魔物、この辺にいません? 体長はこれくらいの」
「うむ……」
クラウスは顎へ手を当てて記憶を探った。
「聞いたことはあるが、生息場所までは分からんな」
「じゃあ、カエルは? 黄色に黒い丸の模様が入った」
「それは見たことがない」
「そうですか……」
尋ねるたびに、カイルの勢いが萎んでいく。
クラウスは自然学者であって、魔物の専門家ではない。
植物や地形には詳しくても、生息地や習性までは分からなかった。
「……やっぱり猟師が欲しいな」
ぽつりと本音を漏らす。
ヴァルディア商会には、カイルのブランドで使う魔物素材を集めるため、森や山へ入る猟師達がいる。
彼らなら、どの季節に何が現れ、どこへ巣を作り、何を餌にするのかまで経験として知っている。
このアルテにも、そうした者はいるはずだった。
「エルマーに言って、準備してもらっときゃよかったな」
後悔しても今さらどうしようもない。
カイルは気を取り直し、クラウスへ尋ねた。
「先生、この辺で湿地みたいな場所はありますか? 洞窟とか岩場でもいいです」
「それなら……少し先に沢がある。その辺りは年中湿っていたはずだ」
森の奥を示され、途端に表情が明るくなる。
「よし! とりあえず行ってみましょう!」
「結局、手当たり次第なんですね」
コンラードの指摘が刺さる。
そんなやり取りを交わしながら、一行はクラウスの案内でさらに森の奥へ入っていく。
少し進んだところで、不意にカイルの鼻先を微かな酸っぱい匂いが掠めた。
「……?」
足を止めて周囲を探ると、隣のルークをはじめ、後ろを歩いていたバルドやセドリックまでつられて止まる。
「どうした?」
バルドの声に、コンラードがすぐさま振り返る。
「カイル殿、急に止まらないでください。早く行きますよ!」
「分かってますよ」
もう少し確かめたかったが、コンラードに急かされ、カイルは仕方なく歩き出した。
それでも胸の奥には引っ掛かりが残った。
(……何だ、今の匂い)
もう一度鼻を鳴らしてみるが、先ほどの酸味は森の湿った空気へ紛れてしまい、もう判別できない。
しばらく進んだ先で、今度は甘い樹液の香りが漂ってきた。
それに混じって、低く唸るような羽音が聞こえる。
カイルの足取りが僅かに鈍った。
(……嫌な感じだな)
近くの木を調べると、樹皮にはまだ新しい傷が刻まれ、そこから甘い樹液が滲んでいる。
さらに根元の草を掻き分ければ、黒ずんだ粘液のような跡まで残っていた。
樹液へ混ざった黒い痕跡と、先ほど鼻を掠めた酸っぱい匂いが、カイルの中で一つに繋がった。
餌場を見つけると、その場所を仲間へ知らせるため、黒い分泌液を残す魔物がいる。
(……まさか)
予想が正しければ、ここはもう――。
「カイル殿! また勝手に止まって! 早く」
コンラードの声が飛んできた、その時だった。
ブォォォォォッ!!
空気を震わせる凄まじい羽音が、頭上を駆け抜ける。
反射的に見上げたカイルの口から、苦い声が漏れた。
「やっぱり……ジャイアントホーネットか!」
スズメバチによく似た魔物だ。
胴体だけでも人の頭ほどあり、羽を広げればさらに大きく見える。
先ほど感じた酸っぱい匂いは、縄張りへ侵入者が入った際、仲間へ危険を知らせるために放つものだった。
「しまった……!」
最初に違和感を覚えた時点で確認するべきだった。
すでに一行は、完全に奴らの縄張りへ踏み込んでいる。
巨大な蜂が頭上を旋回しながら、カチカチと大顎を鳴らし始めた。
仲間を呼ぶ合図だ。
皆が警戒して後ずさる中、クラウスだけは食い入るように空を見上げていた。
「ほう……こんなに近くで見るのは初めてだ」
「先生!」
カイルの怒声に、クラウスの肩が跳ねる。
「川まであとどれくらいですか!?」
「四十メートルほどだ!」
「全員、川へ走れ!!」
森を震わせるほどの声が飛んだ。
「そいつは強力な毒針を持ってる! 刺されたら、解毒薬を作る間もなく死ぬぞ!」
その一言で、一行の顔色が変わる。
「走れ!!」
誰かに二度言われるまでもなかった。
一斉に川へ向かって駆け出す中、大量の荷物を抱えていたコンラードだけが一歩遅れる。
木の根へ足を取られた。
「しまっ――」
身体が前へ投げ出される。
その頭上へ、ジャイアントホーネットが真っ直ぐ突っ込んできた。
「コンラード様!」
カイルは即座に腰の木剣を引き抜き、横から思い切り叩きつけた。
ギィンッ!!
硬質な音とともに蜂の巨体が弾かれる。
だが、手に残った感触は硬い。
すぐに空中で体勢を立て直す様子を見て、カイルは悟った。
(打撃じゃ駄目だ……!)
あの外殻には木剣などほとんど通らない。
仕留めることは諦め、稼いだ一瞬でコンラードの腕を掴んだ。
「立って下さい!」
「す、すみません……!」
「いいから走って!」
力任せに引き起こし、そのまま後ろへ叫ぶ。
「バルド!」
「任せろ!」
バルドがコンラードの腕を肩へ回し、半ば引きずるように走り出した。
その間にも頭上の羽音は増え続けている。
「くそっ……!」
カイルは懐から小さな布袋を取り出すと、中から指先ほどの黒い玉を一つ掴んだ。
「これでも食らえ!」
振り向きざまに地面へ叩きつける。
薄い殻が割れた途端、白い煙が勢いよく噴き上がり、後方一帯へ広がった。
追ってきていたジャイアントホーネットが嫌がるように高度を上げる。
「距離を取った!」
クラウスの声が弾む。
「虫除けです! 殺せるほどじゃないけど、嫌がる程度には効く!」
「ほう! 便利なものを作っているな!」
感心したクラウスが本当に足を止めかけ、カイルは慌てて腕を掴んだ。
「感心してる場合じゃありません!」
そのままルークへ押しつける。
「先生頼む!」
「了解っす!」
クラウスを任せたカイルは隊列の最後尾へ回り、木剣を構えたまま追ってくる魔物との距離を測った。
「急げ! 川まであと少しだ!」
後ろ向きに退きながら警戒していた視界の端へ、黄色い小さな花の群生が飛び込んでくる。
「……あれ!」
進路を僅かにずらし、走る勢いのまま数本を根元から引き抜いた。
甘い香りが鼻を掠める。
「蜜寄せ草か!」
クラウスがすぐに気付いた。
「蜜が多い花だ。虫もよく集まるぞ!」
「ですよね!」
カイルの口元に笑みが戻る。
「これ、使える!」
摘み取った花を握ったまま駆け抜けると、ほどなく木々が途切れ、沢から続く川が見えてきた。
「対岸へ渡れ! セドリックは、ここで奴らを食い止めてくれ!」
「了解!」
セドリックが槍を構えて前へ出るのと同時に、カイルはその背後で背負い袋を下ろした。
ひとまず前はセドリックに任せ、今のうちにジャイアントホーネットを足止めする手を作る。
「焦るな! 足元に気をつけて渡れ!」
指示を飛ばしながら袋を開き、先ほど摘んだ蜜寄せ草を手元へ置く。
そこへ一匹のジャイアントホーネットが、低い羽音を響かせながら川岸へ回り込んできた。
セドリックが迎え撃つように槍を振るうものの、穂先は虚しく空を切る。
「くそっ、またか!」
軌道を変えた蜂を追おうとしたところへ、背後からカイルの声が飛んだ。
「セドリック! 魔物だと思うな!」
「はぁ!?」
「昔、アレン兄様と訓練してただろ! 投げたボールを槍で叩き落とすやつ!」
袋を探るカイルの言葉に、セドリックの表情が変わる。
騎士学校時代、不規則な攻撃にも瞬時に反応できるよう、飛んでくるボールを槍で叩き落とす訓練を何度も繰り返していた。
「こいつらも同じだ! 追いかけるな! 飛び込んでくるところを叩け!」
「……なるほど!」
セドリックは槍を引き戻して腰を落とし、今度は蜂を追わず、こちらへ向かってくる軌道だけに意識を絞った。
羽音が迫る。
「――そこだ!」
鋭く振り抜いた槍がジャイアントホーネットを横殴りに捉え、刃が硬い外殻へ浅い傷を刻む。
その勢いのまま、巨体が地面へ叩き落とされた。
「よし!」
コツを掴んだ途端、それまで空を切っていた槍が次々と蜂を捉え始めた。
その隙にルークはクラウスを支えて川へ入り、バルドも足を痛めたコンラードを連れて大きな石へ足を掛けた。
一人、また一人と対岸へ渡っていく間にも、カイルは背負い袋から目当ての小瓶を探し出し、必要なものを二本、三本と並べて栓を開けていく。
その時、先ほど叩き落としたジャイアントホーネットが再び濁った羽音を響かせ、宙へ舞い上がった。
「おいっ! 全然効いてねぇぞ!」
槍は当たるようになったものの、硬い外殻に阻まれて傷は浅い。
次の一匹を弾き飛ばしても、ほどなく体勢を立て直して戻ってくる。
「それでいい! 倒さなくていい!」
カイルは手を止めずに声を張った。
「今は近付かせなきゃ十分だ! 俺が合図するまで時間を稼いでくれ!」
「分かった! なら任せろ!」
狙いを足止めへ切り替えたセドリックは、飛び込んでくる一匹を弾き、続けざまにもう一匹を叩き落とす。
その間にバルドたちも無事に渡り切り、こちら側に残ったのはカイルとセドリックだけになった。
カイルは先ほど摘んだ蜜寄せ草を指で潰して空の革袋へ押し込み、滲み出した蜜へ透明な液体、乾燥させた粉末、さらに粘度のある液体を数滴加えていく。
そこへ川の水をたっぷりと汲み入れ、液体の量を増やした。
「坊ちゃん!」
対岸からルークの心配した声が飛ぶ。
「大丈夫だ!」
短く返し、革袋の口をしっかり押さえて勢いよく振る。
中身は激しく混ざり合い、次第に淡い琥珀色へ変わっていった。
すぐ目の前では槍と羽音が激しく交錯している。それでもカイルは手元から目を離さない。
セドリックなら、合図するまで一匹も通さない――そう信じて調合へ集中する。
「できた!」
カイルは革袋を掴んだまま立ち上がった。
「セドリック、下がれ!」
「了解!」
迫っていた一匹を最後に大きく弾き飛ばし、セドリックが後ろへ跳ぶ。
入れ替わったカイルは完成した液体を革袋から川岸へ勢いよく撒き散らした。
甘ったるい香りが広がった途端、それまで執拗に襲い掛かっていたジャイアントホーネットの動きがぴたりと止まる。
「……止まった?」
対岸のクラウスが食い入るように見つめる中、巨大な蜂たちは次々と向きを変え、液体が撒かれた地面へ群がっていった。
長い口を伸ばし、つい先ほどまでの殺気が嘘のように甘い液体を舐め始める。
「今だ! 渡るぞ!」
「おう!」
カイルは背負い袋を担ぎ直し、セドリックとともに大きな石を蹴って川を渡った。
これで全員が対岸へ辿り着いた。
普通なら、逃げ切ったと考えるところだ。
けれど、カイルは違った。
まだ終わっていない。
むしろ――ここからだった。
「ルーク、手袋!」
「はい!」
「ブルースライムを出せ!」
「了解っす!」
革手袋をはめたルークが、袋から青いスライムを慎重に引っ張り出す。
バルドとセドリックは甘い液体へ群がる蜂から目を離さず武器を構えたままだった。
「……カイル」
バルドの低い声が飛ぶ。
「今度は何を始める気だ」
返事の代わりに、カイルは空の袋へ青いスライムを放り込み、狩猟用ナイフを突き立てた。
ぶしゅっ、と身体が裂け、青い体液がどろりと袋の底へ溜まる。
そこへ腰の小瓶に入っていた刻み薬草を惜しげもなく加えると、粘ついた体液はみるみる性質を変え、半透明のゼリーのように固まり始めた。
「ほぉ……!」
クラウスの意識が一瞬でそちらへ奪われる。
「何という反応だ……! 薬草が凝固剤になっているのか? いや、この速度は――」
さっきまで殺されかけていたことなど忘れ、すでに研究者の顔へ戻っていた。
その隣では、コンラードだけが青ざめた顔で、すぐ向こうに群がるジャイアントホーネットを何度も気にしながら、震える両手を胸の前で固く組み、必死に祈っていた。
「神様、どうかお助け下さい!」
ルークがその背を軽く叩いた。
「大丈夫っすよ。坊ちゃんがいますから」
「そ、それは安心していい理由なのですか……?」
「多分」
「多分!?」
コンラードの声が裏返る。
そんなやり取りも耳に入らないまま、カイルは指先で固まり具合を確かめ、ようやく満足した。
「バルド、セドリック」
二人の注意が集まる。
カイルは袋を持ち上げ、獲物を見据えるように笑った。
「ここから反撃だ」
「反撃?」
「今から水飛沫を上げる。その水であいつらの羽を濡らす。飛べなくなったところでもう一度渡って、今度こそ仕留めるぞ」
意図を理解したバルドは、腰に差していた一本の真剣を抜いて差し出した。
「木剣じゃ無理だろ」
昨日、ジークから贈られた剣だ。
カイルは一瞬だけ驚いたものの、すぐに受け取った。
「……ありがとな」
普段なら駄目だと止めるコンラードも、今は何も言わない。
目の前の状況を切り抜けるには、カイルの判断へ託すしかないと理解したのだろう。
カイルは青いスライムを詰めた袋を、川の中央へ向かって放り投げた。
弧を描いた袋が、ぽちゃんと水面へ落ちる。
しばらく変化はない。
「……失敗か?」
バルドが訝しんだ直後、袋がぶくりと膨らんだ。
ぷくっ。
ぷく、ぷくぷく――。
水面に浮かんだ袋が、まるで呼吸でもするように脈打ちながら膨らんでいく。
「……おい」
バルドの声色が変わった。
青いスライムは飢えたように周囲の水を吸い始め、人の頭ほどだった袋が見る間に膨張していく。
「水を吸っているのか!?」
クラウスが思わず前へ出る。
袋は、あっという間に樽ほどの大きさへ達した。
それでもなお、水を吸う勢いは衰えない。
「お、おいカイル……どこまで吸うんだ、あれ」
さすがのバルドも顔を引きつらせる。
カイル自身、予想以上の膨らみ方に僅かに眉を寄せた。
「そろそろ――」
カイルが呟いた直後、巨大化した袋がずぶりと川底へ沈んだ。
水面が静まる。
ほんの一瞬だけ、森から音が消えたように感じられた。
そして――次の瞬間。
ドォォォンッ!!
腹へ響く轟音とともに袋が弾け、川そのものが爆発したかのような巨大な水柱が天高く噴き上がった。
全員が言葉を失って見上げた。
カイルも例外ではない。
「あっ……」
やってしまった、とばかりに声が漏れる。
「分量、間違えた」
直後、空へ舞い上がった大量の水が、川を越えてこちらにまで滝のように降り注いだ。
「ぶはっ!」
「冷たっ!」
「眼鏡がぁぁぁ!」
コンラードが慌てて眼鏡を庇い、バルドも頭から容赦なく水を浴びる。
ルークは濡れた前髪をかき上げながら、諦めたように言った。
「坊ちゃん、こうなると思ってました」
「悪い!」
口では謝っているものの、カイルはもう蜂の方しか見ていなかった。
狙い自体は成功している。
豪雨のような水飛沫をまともに浴びたジャイアントホーネットは、濡れた羽を震わせても思うように飛べず、地面でもがいていた。
カイルは腰の真剣へ手を掛ける。
「よし――討伐だ!」
真っ先に川を渡り、対岸へ降り立つ。
飛べなくなった一匹の腹部へ、迷いなく刃を振り下ろした。
一閃。
硬い胸部ではなく柔らかな腹を狙った刃は深々と入り、巨体が短く痙攣して動きを止める。
遅れて渡ってきたバルドとセドリックも、それぞれ剣と槍を構えた。
「おらぁっ!」
バルドが全体重を乗せて剣を突き立て、セドリックも槍で押さえ込む。
ところが、巨大な脚はまだぴくりと動いていた。
「……死んだのか?」
「まだ動いてるぞ!」
人間なら急所は分かるが、巨大な昆虫型の魔物との戦闘経験はない。
どこを狙えば仕留められるのか、二人には分からなかった。
その横で、カイルは別の一匹の腹へ刃を滑り込ませた。
分厚い外殻を避けたそこなら、驚くほど抵抗が少ない。
「おぉ……切れ味、すげぇな」
思わず剣そのものへ意識を持っていかれる。
その剣は、騎士学校で触れた真剣とは振った感触も切れ味もまるで違った。
アイアーベアの牙ほどではないにせよ、魔物の身体をここまで抵抗なく裂けるなら十分すぎる。
「さすがジーク様の剣だ」
付着した体液を一度振り払い、すぐ二人へ声を飛ばす。
「腹だ! 胸じゃねぇ! 腹が一番柔らかい!」
「そういうことは先に言え!」
バルドの怒鳴り声が森へ響いた。
セドリックも狙いを変え、今度は腹部へ槍を突き込む。
手応えは先ほどまでとは明らかに違い、蜂はほどなく力を失った。
こうなれば勝負は早い。
空を飛べないジャイアントホーネットに、三人を振り切る術はなかった。
一方、対岸ではずぶ濡れになったルーク達がようやく身体の水を払っていた。
「何で坊ちゃんのやることって、毎回こんな大騒ぎになるんすか……」
「結果オーライだろ?」
川の向こうから返ってくるカイルの声に、ルークは濡れた髪を絞りながらぼやく。
「坊ちゃんの結果オーライは、こっちも被害受けるんすよ……」
その隣で、クラウスが突然動きを止めた。
何かに気付いたらしい。
「……待て」
嫌な声だった。
「今の水飛沫で、さっき捕まえた他の青いスライムまで水を吸収し始めたらどうする?」
「…………」
コンラードの顔から、さっと血の気が引いた。
先ほど目の前で起きた大爆発が脳裏へ蘇ったのだろう。
恐る恐る荷物の方を見る。
そこに積まれた袋は、先ほどの水飛沫をまともに浴び、どれもぐっしょりと濡れている。
「ま、まさか……またあれが起きるのですか?」
そこへ、袋の中から――ごそり、と音がした。
「ひっ……!」
コンラードは腰を抜かしたまま、這うように袋から距離を取った。
「今度こそ死にます!」
もはやコンラードの中では、ここで死ぬことが確定していた。
軍事参謀としての威厳など完全に吹き飛び、とうとう涙目で叫ぶ。
「最後にクマさん亭のハンバーグが食べたかったぁぁぁあ!!」
悲痛な絶叫が、静かな森の奥までいつまでも響き渡った。




