第49話 監視役、森へ
翌朝。
まだ空気の冷たい早朝、城の正面入口にはいつもの面々が集まっていた。
クラウス、バルド、セドリック、ルーク、そしてカイル。
――ただし、今日はもう一人いる。
「……なぜ私まで行くのですか」
低い声とともに姿を現したのは、軍事参謀コンラードだった。
森へ向かうため、さすがに騎士団の正装ではない。
とはいえ、襟元まできっちり整えられた白の上着に、皺ひとつないズボン、磨き上げられた革靴では、これから山野を歩く格好には到底見えなかった。
その両腕には地図や資料、野営道具まで詰め込んだ大荷物を抱え、銀縁眼鏡の奥から、いかにも不本意そうな眼差しをカイルへ向けている。
「おはようございます、コンラード様」
「おはようございます、ではありません」
コンラードは、眉間の皺を深める。
「あなたのおかげで、今日は朝から予定が総崩れです」
「監視役なんだから、当然でしょ?」
悪びれもせず返すカイルに、コンラードは疲れたように目を伏せた。
前夜、性能試験に使うスライムとフレアビートルを確保するため、午前中だけ森へ入ることが決まった。
その際、カイルはアルフォンス殿下へ、さも当然のように提案したのだ。
『コンラード様が僕の監視役なら、森まで一緒に来てもらった方がいいですよ』
監視するなら、現場まで見てもらう。
筋だけを聞けば、もっともらしい話である。
ただし、その提案には別の理由もあった。
昨日、尋問のようにあれこれ問い詰められたことへの、ささやかな仕返しだ。
「……やはり、来るべきではなかったかもしれません」
コンラードの呟きを聞き、バルドが堪えきれず噴き出した。
「いや、来て正解だ。こいつは放っておくと、何を持ち帰るか分からんからな」
「また目玉を取ってくるかもしれませんしね」
セドリックまで真顔で追い打ちをかける。
コンラードはゆっくりと目を閉じ、こめかみへ指を当てた。
「……私は現場の人間ではありません」
その声音には、すでに疲労が滲んでいる。
「軍事参謀とは、戦場へ出て剣を振るう者ではなく、後方から戦略を立てる立場です」
本来なら、陣地に張られた天幕の中で各地から届く情報を集め、兵を動かす。
配置を考え、補給路を維持し、全体を勝利へ導く。
それこそが、軍事参謀であるコンラードの役目だった。
もっとも、王国が長く平穏を保っている今、彼自身も戦場に立った経験はない。
魔物が棲む森へ入るなど、本来なら最も縁遠い役回りである。
「つまり」
カイルが、にやりと口元を吊り上げた。
「今日は現場研修ってことですね」
「違います」
返答は一瞬だった。
「私は、あなたの監視に来ただけです」
「似たようなもんでしょ」
「全く違います」
間髪入れず否定するコンラードに、その場の全員から笑いが漏れた。
そんなやり取りを交わしながら、一行は荷馬車へ次々と乗り込んでいく。
カイルが荷台へ足を掛け、それにルーク、クラウスが続く。
バルドとセドリックも慣れた様子で乗り込み、最後にコンラードが大荷物を抱えたまま荷台へ上がった。
六人も乗れば、それなりに広かった荷台も一気に手狭になる。
それぞれが荷物を端へ寄せ、適当な場所へ腰を下ろそうとしたところで、ルークが「あっ」と声を上げた。
「ちょっと待ってください」
荷物の中を探ると、畳んでいた毛布を取り出す。
「前に乗って懲りましたからね。長いこと揺られると、お尻が痛くなるんすよ」
今回はその反省を活かしたらしく、まずはカイルの下へ一枚敷いた。
「お、助かる」
続いてクラウスの分。
「先生もどうぞ」
「おぉ、ありがとう」
クラウスは嬉しそうに毛布の上へ腰を下ろした。
最後に自分の分まで敷き終え、ルークも満足げに座る。
その一連の動きを眺めていたバルドが、眉をひそめた。
「……おい」
「はい?」
「俺達の分は?」
セドリックも当然のように加わった。
「俺も聞きたい」
コンラードまで無言の圧を向けてくる。
三人と目が合ったルークは、一瞬だけきょとんとした。
「あっ……」
数秒の沈黙が落ちる。
「忘れてました」
悪びれのない笑顔で頭を掻くルークに、バルドは額を押さえた。
「お前なぁ……」
「申し訳ないっす」
「全然申し訳なさそうに見えねぇぞ」
「坊ちゃんのことばっかり考えてました」
「俺達のことも考えろよ!」
バルドのツッコミに、荷台へ笑い声が広がった。
カイルは何でもないことのように腰を上げると、バルドとセドリックの間へ移動し、自分の毛布を横へ広げた。
「ほら。少し厚みはなくなるけど、ないよりはマシだろ」
「……悪いな」
バルドが礼を言い、腰を下ろそうとしたところで、ルークが手を挙げた。
「それなら、坊ちゃんはバルドさんと使って、俺はセドリックさんと一緒に使うっす」
そう言って、自分の毛布を軽く叩く。
「クラウス先生は、コンラード様と使えば全員座れますね」
「まぁ、それが一番か」
セドリックも異論はなく、ルークの隣へ腰を下ろした。
「コンラード様も、どうですか?」
ルークがクラウスの隣を示す。
コンラードは、そちらへ一瞥をくれただけだった。
「私は結構です」
短く断り、荷台の隅へ一人で腰を下ろす。
バルドはその様子を見て、わずかに眉を上げた。
コンラードは、軍事参謀の中でも人付き合いをほとんどしないことで知られている。
同僚の参謀とも必要最低限しか言葉を交わさず、仕事が終われば早々に姿を消す。
誰かと談笑しているところを見た者は、ほとんどいない。
まして、狭い荷馬車で肩を寄せ合うなど、彼にとっては考えられないことなのだろう。
「まぁ、無理強いはしねぇか」
バルドが漏らすと、コンラードは素っ気なく返した。
「お気遣いなく」
その一言だけで会話は終わる。
カイルは荷台の隅へ座るコンラードを眺め、心の中で小さく拳を握った。
大人数で行動することも、誰かと狭い場所へ押し込まれることも、彼は間違いなく苦手なはずだ。
できれば今回で懲りて、監視役を辞退してくれれば最高である。
誰にも悟られないよう、カイルはそっと口元を緩めた。
やがて御者の掛け声が響き、荷馬車がゆっくりと動き出した。
六人を乗せた荷馬車は、そのまま王城を後にする。
朝露を含んだ風が荷台を吹き抜け、車輪が小石を踏むたび、板張りの床がごとごとと揺れた。
ひときわ大きく荷台が跳ねた拍子に、バルドの腰へ差した予備の真剣が、隣に座るカイルへ触れそうになる。
バルドはそれに気付くと、何も言わず腰から外し、カイルとは反対側へ置いた。
それは、カイルのために用意された一本だった。
その剣を見下ろし、バルドは呆れたように鼻を鳴らした。
「ったく。お前、ちゃっかり真剣まで用意してもらいやがって」
「俺が持ってるわけじゃねぇだろ」
「俺に持たせてる時点で同じようなもんだ。それにあのジーク様から貰ったとか、どんだけ運がいいんだよ」
無駄な装飾のない鞘。
柄も派手ではない。
それでも、見る者が見れば、支給品とはまるで違うことが分かる。
バルドは羨ましげにその剣を眺めながら、昨夜の出来事を思い返していた。
前夜――。
カイルはコンラードに頼み事をした。
「俺が作ったもんを見せるのはいいですけど、森に入るなら、真剣を持たせて下さい」
「駄目です」
返事は一瞬だった。
「まだ騎士学校の学生であるあなたに、真剣の携行は認められていません」
「でも、何が出るか分かりませんよ?」
「バルド騎士長とセドリック殿が護衛につきます。あなたが剣を抜く必要はありません」
もっともな答えだった。
だが、カイルは納得しなかった。
「いや、森じゃ二人とも役に立たないんですけど」
「おい!」
すぐそばにいたバルドが声を上げる。
セドリックも眉をひそめた。
「本人を前にして、よくそこまで言えるな」
「だって本当だろ。二人とも森で魔物を狩るのに慣れてねぇじゃん」
「だからって役立たずはねぇだろ!」
「前回だって、ノロヌキ相手に二人して空振りばっかりだったじゃねぇか」
「ぐっ……」
痛いところを突かれ、バルドが言葉に詰まる。
セドリックも反論しかけたものの、思い当たる節があるのか口を閉ざした。
「それに、アルテの森に何がいるのか、まだ把握できてませんから、念のため真剣が欲しいんです」
カイルは二人を責めたいわけではない。
森では、こちらの予想どおりに事が運ぶとは限らないのだ。
「だからといって、規則を破っていい理由にはなりません」
コンラードはぴしゃりと言い切った。
それでも、カイルは引き下がらない。
「万が一の時に、自分の身くらい自分で守れるようにしたいだけですよ」
「……万が一、ですか」
コンラードはしばらくカイルを見つめた。
森での経験に限れば、カイルの言い分にも一理ある。
「分かりました。殿下に確認します」
「おっ」
「許可が下りるとは言っていません」
その後、アルフォンスへ確認した結果、条件付きで許可が下りた。
真剣はカイル本人には携行させず、普段はバルドが預かる。
そして不測の事態が起きた場合に限り、カイルへ貸し出す。
それが、今回認められた条件だった。
許可を得るなり、カイルはバルドを武器庫へ引っ張っていった。
「おい、引っ張るな! 逃げねぇから!」
その後ろをセドリックとルークもついていき、剣には興味もないはずのクラウスまで、なぜか当然のように後へ続く。
気付けば、いつもの面々が揃って武器庫へ押しかける形になっていた。
壁一面には、騎士達へ支給するための真剣がずらりと掛けられている。
カイルはその中から一本ずつ手へ取っては重さを確かめ、重心や柄の握り心地まで比べていく。
何本か調べたところで、不満そうに首を傾げた。
「……何か、無難だな」
「無難?」
「悪くはない。でも、誰が持っても同じように使える剣って感じだ」
「それが支給品だからな」
バルドは当然のように答えた。
「個人に合わせるより、誰でも扱えることの方が大事なんだよ」
「まぁ、それは分かる」
そう答えながらも、カイルはどこか納得しきれない顔をしていた。
やがてカイルは一本を選ぶと、近くに置かれていた油差しと砥石まで抱える。
「これ借りるぞ」
「おい。どこへ行く気だ?」
「工房」
「……は?」
「ジーク様に研いでもらう」
バルドは額へ手を当てた。
「お前なぁ……王国でも指折りの名工に、剣一本研いでくださいって頼みに行くのか?」
「駄目なのか?」
「普通は頼まねぇよ!」
そばで聞いていたセドリックまで、呆れたように口を挟む。
「お前なら、本当に言いそうだとは思ってたけどな」
二人のツッコミを聞き流し、カイルは真剣を抱えたまま工房へ戻った。
「ジーク様!」
作業台でアイアーベアの牙を削っていたジークが、顔を上げる。
「何だ?」
カイルは真剣を両手で差し出した。
「研ぎ方を教えてください」
「……研ぎ方?」
「自分で研げるようになりたいんです」
ジークは一度剣へ目を落とし、静かに顎を引いた。
カイルは砥石へ油を垂らすと、刃を当てる。
「こんな感じですか?」
ぎりっ。
嫌な音が響いた。
角度は滅茶苦茶で、力も入りすぎている。
ジークは堪えきれず、豪快に笑った。
「おいおい、それじゃ刃が欠けるぞ。貸してみろ」
待ってましたと言わんばかりに、カイルは剣を差し出す。
ジークは砥石へ油を馴染ませ、一定の角度で刃を滑らせた。
しゃっ――。
耳に心地よい音が工房へ響く。
「力じゃねぇ。角度を一定に保つんだ。ほら、こうだ」
「なるほど!」
カイルは目を輝かせる。
「そうやるんですね!」
その様子を見ていたバルドは、深々とため息をついた。
「……やっぱりか」
「ですよね」
セドリックも呆れたように同意する。
ルークに至っては、額を押さえていた。
「坊ちゃん、最初からそれが狙いだったじゃないっすか……」
ジークの手が止まる。
「……ん?」
カイルは何食わぬ顔で目を逸らした。
「いやぁ、初心者だから分からなくて」
「嘘つけ」
バルドが即座に突っ込む。
「教えてくださいって言えば、ジーク様が実演する。だから、わざと下手にやったんだろ」
工房が静まり返る。
ジークは数秒カイルを見つめたあと――豪快に笑い出した。
「がはははっ! こりゃ一本取られたな!」
ひとしきり笑ったところで、手元の剣へもう一度目を落とす。
「お前、本当に食えねぇ坊主だ」
「ありがとうございます!」
悪びれる様子など欠片もない。
バルドは天井を仰ぎ、重々しく漏らした。
「……こいつの根性、ひん曲がってるな」
「でも、それで研いでもらえたっすからね」
ルークの一言に、工房中から笑いが起こった。
その余韻が残る中、ジークは研ぎ終えた剣を光へかざした。
刃を眺め、何度か角度を変える。
その横で、カイルがぽつりと言った。
「でも、それ少し重心がぶれてるんですよね」
ジークの手が止まった。
「……分かるのか?」
「はい。何本か持ち比べたんですけど、それが一番マシでした」
カイルは剣を指差す。
「刃も悪くないし、握った感じもよかったんですけど、もう少し重心が手元にあれば振りやすいかなって」
「ほう……」
ジークの目が、わずかに細くなった。
ただ重い、軽いと騒いでいるわけではない。
実際に何本も握り比べ、自分なりに剣の違いを感じ取って選んだのだろう。
ジークはもう一度、手元の剣へ目を落とした。
「……なるほどな」
まだ若いが、剣を見る目は悪くない。
重さだけでなく、重心や握りまで確かめて、自分に合う一本を選んでいる。
そんなカイルを見て、ジークは満足そうに目を細めた。
(こいつなら、剣を粗末には扱わねぇだろう)
剣を置くと、何も言わず工房の奥へ消えていった。
「……?」
カイルが首を傾げる。
しばらくして戻ってきたジークの手には、一本の剣が握られていた。
無駄な装飾はない。
けれど磨き込まれた刃は澄んだ光を宿し、柄にも職人の技が隅々まで行き届いていた。
ジークは何でもないことのように、その剣をカイルへ差し出す。
「ほら。これを持ってけ」
「……え?」
おそるおそる受け取り、柄を握る。
手へ馴染む重さに、カイルの顔が一気に輝いた。
「い、いいんですか!?」
その横で、バルドとセドリックは同時に息を呑んでいた。
ジークが自ら打った剣である。
バルドは自分の腰へ差した剣を見下ろした。
一定の役職に就けば、騎士は支給品ではなく、自分で選んだ剣を持つことが許される。
バルドの剣も、近衛騎士長となってから自ら選んだ、かなり値の張る品だった。
それでも、目の前の剣と比べれば、考えずにはいられない。
ジークは嬉しそうに剣を眺めるカイルへ目をやり、穏やかに口を開いた。
「お前なら、そいつをちゃんと使ってやれそうだからな」
「……俺が?」
「ああ。それに、お前はまだ若ぇ。森じゃ何が起こるか分からねぇんだ。少しでもいい剣を持って、自分の身を守れ」
その口調は、名工というより孫を気遣う祖父そのものだった。
カイルは剣を大切そうに抱える。
「ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げ、すぐに顔を上げた。
「これから森へ行く時は、使っていいですか?」
「使え」
ジークは迷いなく答えた。
それから、照れを隠すように鼻を鳴らす。
「森へ行く時だけじゃねぇ。その剣は、お前にやる」
工房が静まり返った。
カイルだけでなく、バルドもセドリックも言葉を失う。
名工ジークが、自ら打った剣を人へ譲る。
その価値を知る者ほど、一言の重さが分かった。
カイルはしばらく手の中の剣を見つめる。
やがて、誰よりも嬉しそうに笑った。
「……一生、大事にします」
ジークは照れくさそうに頭を掻き、顔を背ける。
「壊れたら、また持ってこい」
それだけ告げた。
カイルはもう一度、手の中の剣へ目を落とす。
(爺ちゃんに自慢しよ)
今度会ったら、真っ先に見せてやろう。
祖父は昔から、元王国騎士団長リューゲンの強さの秘訣は、愛用していた剣にあると信じて疑わなかった。
そんな祖父なら、名工ジークから譲られたこの一本を見れば、きっと驚くはずだ。
そう思うと、カイルの頬がまた緩んだ。
◇◇◇
「……ったく」
現在へ戻り、バルドは荷馬車の中で改めて剣を眺めた。
「しれっと、とんでもねぇもんを手に入れやがって」
「いいだろ」
カイルは上機嫌で笑う。
その隣でセドリックも、わずかに口元を緩めていた。
荷馬車はそのまま街道を進んでいく。
揺られること、しばらく。
建物はとうに見えなくなり、周囲には次第に木々が増えていった。
やがて馬車の速度が落ち、そのままゆっくりと止まると、全員が荷台から降りていく。
最後に降りたコンラードは、わずかに眉をひそめて腰へ手を当てた。
慣れない荷馬車の揺れで、痛めたらしい。
(よしよし)
カイルは内心ほくそ笑む。
(これで少しは懲りたろ)
ところが――。
コンラードは腰を軽く叩くと、何事もなかったように荷物から地図を取り出した。
周囲の地形と見比べ、眼鏡を押し上げる。
「では、隊列を組みます」
「……は?」
カイルが間の抜けた声を漏らす。
コンラードは気に留めず、地図を片手に指示を始めた。
「まず、クラウス先生」
「私か?」
「この中で最も森に詳しい。道案内をお願いしますので、先頭です」
「承知した」
クラウスは素直に前へ出る。
「その後ろには私が入ります。進行方向と周辺の地形を確認しながら進みます」
バルドが意外そうに眉を上げた。
「参謀が前へ出るのか?」
「情報は前で集めるものです」
きっぱりと言い切る。
「クラウス先生の説明を直接聞きながら進んだ方が、後方にいるより効率的でしょう」
筋の通った説明に、一同は思わず納得してしまった。
「続いて、カイル殿とルーク殿」
「俺が真ん中?」
「あなたが勝手にどこかへ走っていかないようにです」
即答だった。
カイルは露骨に顔をしかめたが、コンラードは構わず続ける。
「最後尾はバルド殿とセドリック殿。後方警戒をお願いします」
「了解」
「異議なしだ」
二人は迷いなく答えた。
あっという間に隊列が決まる。
カイルは、ぽかんとコンラードを見つめた。
荷馬車では腰を押さえていたというのに、森へ着いた途端、完全に仕事へ切り替わっている。
そんなカイルの横で、バルドが小さく吹き出した。
「カイル」
「ん?」
「お前、相手を間違えたな」
「……かもしれねぇ」
今さらながら、カイルは嫌な予感を覚えていた。
「では、以前スライムを見かけた場所へ案内しよう」
先頭のクラウスが胸を張って歩き出す。
スライムは森の奥深くまで入らなくても遭遇できる、ごく一般的な魔物だ。
危険性も低く、こちらから危害を加えない限り、自ら襲ってくることは少ない。
そのため、騎士学校の実地訓練や、新人騎士を対象とした森での訓練でも、魔物と遭遇した際の距離の取り方や退避方法を学ぶ題材として扱われることが多い。
クラウスは足元の草木へ目を向けながら、嬉しそうに森を進んでいく。
「あっ、カイル君!」
何かを見つけたらしく、道脇を指差した。
「これは――」
「クラウス殿」
言葉を遮るように、すぐ後ろから落ち着いた声が飛ぶ。
「隊列を乱さないでください」
「む……」
クラウスが不満そうに振り返る。
コンラードは表情一つ変えない。
「立ち止まる際は、一言伝えてください。後続が詰まります」
「少しくらい構わんだろう」
「構います」
即答だった。
「森では、隊列が崩れること自体が危険です」
「……うるさい男だ」
クラウスがぼそりと漏らす。
しかし、コンラードは聞こえなかったかのように地図へ目を落とし、周囲の地形を確認していた。
そのやり取りを見ていた後方のバルドとセドリックは、思わず肩を揺らす。
「はは……」
「今回は自由に歩けそうにないな」
前回来た時のように、クラウスが気になる植物を見つけるたびに駆け寄り、それへカイルがついていく――そんな自由な探索はできそうにない。
二人まとめて手綱を握られているようなものだった。
カイルは前を歩くコンラードの背中を見つめ、小さく肩を落とす。
(……思ったより本気だ)
監視役を嫌になって辞めるどころか、森へ入った瞬間から本領を発揮し始めた。
どうやら今日は、一筋縄ではいきそうにない。
(……面白くねぇな)
カイルは唇を尖らせる。
今日はジークから譲り受けた剣の試し斬りもしたかった。
せっかく森へ来たのだから、何か魔物を一匹くらい狩れればと思っていたのに、隊列まで決められ、好きに動くこともできない。
そこで、ふと思いつく。
誰にも気付かれないようポケットへ手を入れ、小さな骨笛をそっと取り出した。
その瞬間だった。
「坊ちゃん、駄目っす」
横から伸びた手が、骨笛をひょいと取り上げる。
「あっ」
ルークだった。
その笛は、魔物の骨から作った呼び笛である。
音色に引き寄せられ、犬や狼に似た魔物が寄ってくるよう調整した、カイル特製の代物だった。
「コンラード様!」
ルークは迷いなく声を張る。
「坊ちゃんが魔物を呼ぼうとしてます!」
「何ですと?」
即座にコンラードが振り返る。
鋭い視線が、そのままカイルへ突き刺さった。
「カイル殿」
「……」
「今、何をしようとしていました?」
カイルは何食わぬ顔で視線を逸らす。
「別に何もしてませんよ」
「その笛は何ですか」
「ただの笛です」
「嘘ですね」
間髪入れず切り返される。
後方から一部始終を見ていたバルドが、大きくため息をつくと、そのままカイルの後頭部を軽く叩いた。
「いてっ!」
「馬鹿なこと考えるな!」
「まだ何もしてねぇだろ!」
「しようとしてただろうが!」
呆れた声が森へ響く。
カイルはぶすっとした顔のままルークを睨んだ。
「……チクリやがって。お前とは絶交だ」
「それ何回目っすか」
ルークは骨笛をコンラードへ渡し、苦笑する。
「坊ちゃんの『絶交』は、一日も持たないじゃないっすか」
その言葉に、バルドとセドリックが吹き出した。
コンラードだけは眼鏡を押し上げ、真顔のまま受け取ると、ポケットにしまい、手帳へさらさらと何かを書き込む。
「危険物、一点没収。今後は事前に所持品検査が必要ですね」
「だから何書いてるんですか!」
カイルの抗議が、静かな森へ響き渡った。
そのやり取りをよそに、先頭を歩いていたクラウスが不意に足を止める。
「この先だ」
声を潜め、そっと草むらをかき分けた。
「見てみたまえ」
全員が覗き込む。
次の瞬間、目の前に広がった光景にカイルは思わず息を呑んだ。
「……すげぇ」
そこには無数のスライムが蠢いていた。
青いもの。
赤いもの。
大小さまざまな個体が、湿った地面をゆっくりと這い回っている。
一目で分かるほどの大繁殖だった。
(……こんなにいるのか)
カイルは驚きを隠せない。
屋敷の隣にある森とは、まるで別世界だった。
魔物の種類も、生息数も桁が違う。
そんな中、一匹のスライムが目に飛び込んできた。
「うわぁ!」
カイルの声が弾む。
「あれ見ろ! 黄色までいるじゃねぇか!」
草むらの奥では、青や赤だけでなく、黄色や緑色のスライムまで混ざっていた。
「珍しいな!」
嬉しそうに目を輝かせ、そのまま駆け寄ろうとする。
「カイル殿!」
コンラードの制止が飛ぶ。
「勝手に隊列を離れないでください!」
「ちょっと見るだけですって!」
「その『ちょっと』が信用できないのです!」
コンラードは即座に言い返す。
しかし、カイルの耳にはほとんど届いていなかった。
「スライム取り放題だ!」
目の前の色とりどりのスライムを見つめ、頬が緩む。
「これなら、他にも色々作れるぞ!」
その背後で、コンラードの眉間にまた一本、深い皺が刻まれた。




