第47話 鉄を断つ牙
翌朝――というより、まだ夜も明けきらない頃だった。
カイルは布団に潜ったまま、何度目になるか分からない寝返りを打っていた。
眠れない。
目を閉じても、頭に浮かぶのは武具開発工房へ置いてきたアイアーベアの牙ばかりだった。
本当に柔らかくなっているのか。
あれほど巨大で硬かった牙を、思い描いた通りに削れるのか。
刃へ仕上げた時、どれほどの切れ味になるのか。
考えれば考えるほど胸が騒ぎ、眠気など欠片も訪れなかった。
「……ちょっと見に行くだけなら、いいよな」
小さく呟き、カイルはそっと布団を抜け出した。
足音を忍ばせながら着替え、部屋を出ようと扉へ手を掛ける。
その時、隣の部屋と繋がる仕切り扉が開いた。
寝癖のついた髪を乱したまま、ルークが眠そうな顔を覗かせる。
「坊ちゃん……何やってるんすか」
「起きてたのか?」
「さっきからゴソゴソうるさいっす」
どうやら物音を聞きつけ、様子を見に来たらしい。
カイルは隠す必要もないと判断し、平然と答えた。
「工房へ行ってくる」
「駄目っす」
返事は一瞬だった。
「昼まで待つって話だったでしょ?」
「別に取り出したりしねぇよ。見るだけだ」
「工房には鍵が掛かってます」
「どっか入れる場所があるかもしれねぇだろ」
ルークはしばらく無言で主人を見つめたあと、深々と額へ手を当てた。
「泥棒じゃないんすから……」
夜明け前の部屋へ、ルークの疲れ切った声が響く。
「とにかく、寝てください」
「……分かったよ」
カイルは渋々上着を脱ぎ、再び寝台へ戻った。
毛布を頭まで被り、今度こそ大人しく目を閉じる。
一分。
二分。
三分ほど経った頃。
ゴソッ。
疑いを捨てきれず、仕切り扉のそばで様子を窺っていたルークの眉間がぴくりと動いた。
「坊ちゃん」
「……まだいたのか。寝ようとはしてる」
再び、布団の中で身体が動く。
ゴソゴソ。
「坊ちゃん」
「寝返りだって」
ガサッ。
明らかに寝台から足を下ろそうとする音がした。
「もういいっす!!」
堪忍袋の緒が切れたルークが部屋へ踏み込み、勢いよく毛布を剥ぎ取った。
「訓練場へ行きましょう!」
「え?」
「身体を動かしてれば、少しは牙のことを忘れられるっす!」
結局、ルークに急かされるまま身支度を整え、二人はまだ夜の名残が濃い廊下へ出ることになった。
外は薄暗く、城内にも目を覚ましている者はほとんどいない。
朝靄の漂う訓練場へ着いてみれば、予想通り人影はなかった。
カイルは広い訓練場を見渡し、ぱっと顔を輝かせる。
「貸し切りだぁ!」
その声を聞いた瞬間、ルークの胸に嫌な予感が広がった。
案の定、カイルは武器庫へ一直線に向かう。
「今なら武器使い放題だ!」
「坊ちゃん!」
「どうせ、もうすぐ皆来るだろ。それまで少し触るだけだって」
止める間もなく扉を開けば、中には訓練用の武器が整然と並べられていた。
剣、槍、斧、盾、弓、そして両手で扱う大剣。
普段のカイルは、決められた訓練内容に従って木剣を使うことが多い。
騎士学校でも一通りの武器は教わる。
しかし、それぞれ基礎を学ぶ程度で、自分の気になる武器を好きなだけ試せることなど滅多にない。
「おぉ……」
眠れなかったことなど忘れたように、目を輝かせながら中へ踏み込む。
「せっかくだし、色々比べてみるか」
最初に手を伸ばしたのは、自分の身体ほどもある大剣だった。
柄を両手で掴み、力を込めて持ち上げる。
「おっ……重っ」
何とか構え、そのまま大きく振り抜いた。
ぶおん、と空気を押し退ける豪快な音がする。
威力はありそうだが、一度振っただけで腕へずしりと負担が残った。
「これは魔物相手でも体力を食うな」
素直な感想を漏らし、大剣を元の場所へ戻す。
次に選んだのは、一本の木槍だった。
柄を握って軽く穂先を走らせると、剣とはまるで違う間合いが身体へ伝わってくる。
「やっぱ長ぇな」
一度、二度と突きを繰り出し、今度は横へ払う。
足の位置を変え、何度も木槍を振っていく。
いつしか完全に夢中になり、寝不足だったことさえ忘れていた。
主人がようやく工房へ忍び込むことを諦めたと悟ったルークは、休憩用の長椅子へ向かった。
「ふぁぁ……」
大きな欠伸を漏らし、上着を毛布代わりに身体へ掛ける。
「坊ちゃんが落ち着くまで、寝るっす……」
ほどなくして、規則正しい寝息が聞こえ始めた。
「すぅ……すぅ……」
静まり返った訓練場には、木槍が風を切る音と、ルークの穏やかな寝息だけが響いていた。
しばらくして、その静寂を破るように重い足音が近付いてくる。
朝の訓練へ一番乗りで現れたバルドは、目の前の光景に足を止めた。
誰もいないはずの訓練場で木槍を振り続けるカイル。
その少し離れた長椅子では、ルークが熟睡している。
「……お前ら、何やってんだ?」
カイルは木槍を止め、何事もなかったように振り返った。
「おはよう」
「そうじゃねぇ」
バルドは乱暴に頭を掻きながら、改めてカイルの姿を見た。
「お前、今日休みだろ?」
「牙が気になって寝られなかったんだよ」
まだ騎士学校へ通う身であるため、休日だけは近衛騎士達とは異なる。
あまりにも堂々と言い切るカイルに、バルドは片手で額を覆った。
「遠足前のガキか、お前は」
二人が話しているうちに、他の近衛騎士達も次々と訓練場へ姿を見せ始めた。
休みであろう人物が誰より早く訓練場で武器を振っているのだから、驚かれるのも当然だった。
「休みじゃなかったのか?」
「休みだから来たんですよ」
「意味が分からん」
朝靄の残る訓練場へ、騎士達の楽しげな笑い声が広がっていった。
カイルは周囲の反応など気にせず、手にした木槍をバルドへ見せる。
「なぁ、バルド。今日は槍を使ってもいいか?」
「槍?」
「さっきから振ってたんだけど、なかなか面白くてさ」
昨日、森でセドリックが槍を振るう姿を見て、興味が湧いたのだ。
カイルは少し声を落とした。
「魔物に囲まれた時は、剣より槍の方が間合いを取れるだろ?」
「まぁ、そうだな」
「ナイフも実戦で使う日が来るかもしれねぇし。アルテの森はどんな魔物が出るか分からねぇからな。使える武器は一つでも増やしておきたいんだ」
ノロヌキのように群れで動く魔物へ囲まれれば、剣一本で全方位へ対応するのは難しい。
バルドは感心したように息を吐く。
「昨日一日で、そこまで考えたのか」
「魔物は一匹とは限らないからな」
少し考えたあと、カイルは視線をセドリックへ向けた。
「それで、セドリックに教えてもらってもいいか?」
バルドは一瞬だけ意外そうな顔をしたが、すぐに頷く。
「構わん」
「やった!」
その後、近衛騎士達と共に朝の走り込みを終えると、カイルは木槍を肩へ担ぎ、セドリックのもとへ歩いていく。
「セドリック、槍を教えてくれよ」
「……何で俺が」
面倒そうに返しながらも、セドリックは木槍を手に取った。
「まずは振ってみろ」
カイルが腰を落とし、穂先を走らせる。
学校で基礎を学んでいるだけあって、軌道に大きな乱れはない。
とはいえ、実戦で十分に扱えるほどではなく、振れるという程度に過ぎない。
「腕だけで突くな。腰から押し出せ。突いたあとは、すぐ引け」
セドリックは自ら手本を示しながら、足運びや重心の置き方を教えていく。
カイルは一度見た動きを真似し、違和感があれば次の一振りで修正した。
そうして朝食の時間が近付く頃には、最初のぎこちなさもほとんど消えている。
「……飲み込みが早すぎるだろ」
セドリックが呆気に取られたように漏らす。
剣で培った身体の使い方を、そのまま槍へ応用している。
見守っていたバルドも、低く唸った。
(やはり、あいつは目がいい)
相手の動きを観察し、仕組みを理解して、自分の身体へ落とし込む。
それこそが、カイル最大の才能なのだろう。
朝食を終えると、近衛騎士達はそれぞれ任務や座学へ散っていった。
カイルも一度は工房の方角を見たものの、薬液へ漬けてからまだ時間が足りない。
「……もう少し槍をやるか」
「それがいいっす」
ルークはすぐに頷いた。
「坊ちゃんが時間を持て余すと、ろくなことにならないっすからね」
「失礼だな」
嬉しそうに木槍を取るカイルを見て、セドリックも再び槍を握った。
「今度は実際にやるぞ」
「お願いします」
二人は訓練場の中央で向かい合う。
「……来い」
その声が落ちるのと、ほぼ同時だった。
カイルは一歩目から大きく踏み込んだ。
「っ!」
セドリックの顔に驚きが浮かぶ。
つい先ほどまで基礎を習っていた者とは思えない、鋭い踏み込みだった。
咄嗟に半歩引き、穂先を滑らせるように受け流す。
木槍同士がぶつかり、乾いた音が朝の訓練場へ響いた。
(いきなり、そこまで来るか)
普通なら、まず教わった型を慎重に確かめる。
探るように穂先を伸ばし、相手との間合いを測るものだが、カイルには、その段階がない。
最初から実戦を想定し、セドリックの間合いを奪おうとしていた。
(……なんて奴だ)
セドリックの口元が、わずかに持ち上がる。
習ったばかりの武器で、すでに自分なりの戦い方を組み立て始めている。
木槍を握り直し、今度は先ほどより深く腰を落とした。
(油断できねぇ)
何をしてくるか分からない。
とはいえ、槍を握ってきた時間が違う。
今のカイルが、セドリックの相手になるはずもなかった。
次の瞬間、足元を払われあっさりと背中から地面へ転がる。
「ぐっ……!」
それでも、すぐさま起き上がる。
「もう一本!」
二度目は慎重に間合いを測ったものの、今度は穂先を弾かれ、体勢を崩された。
「くそぉ……そう簡単じゃねぇか」
負け続けているのに、カイルは楽しそうだった。
「セドリック、お前すげぇな」
「今さら気付いたのか」
何度か打ち合ったところで、休憩を知らせる声が響いた。
カイルは汗を拭うと、近くで見ていた槍使いの騎士達へ歩み寄った。
「すみません。どうすれば、セドリックに勝てますか?」
一瞬きょとんとした騎士達だったが、次の瞬間、堪えきれずに吹き出した。
「おいおい、教わったばかりで勝つつもりか」
「まぁでも、その向上心は嫌いじゃねぇ」
笑い声が収まると、一人が真面目な表情へ戻った。
「お前は、剣と同じように踏み込みが深すぎる時がある。ただ、判断は悪くない。槍先を一定にせず揺らしていたおかげで、セドリックが反応につられ、何度か体重を前へ乗せていた」
隣にいた騎士も腕を組みながら頷く。
「ああやって重心を前へ引き出せれば、立て直しはどうしても遅れる。その一瞬を突けるようになれば、お前にも十分勝機はある」
その言葉を少し離れた場所で聞いていたセドリックが、ためらいがちに口を挟んだ。
「……俺、そんなふうに動いてました?」
周囲の騎士達は、思わず目を見合わせた。
セドリックが自分から口を開くのは珍しい。
異を唱えたいのか、それとも気になっただけなのか、その表情からは読み取れなかった。
戸惑いながらも、近衛騎士は木槍を持ち、動きを再現した。
「前へ体重を乗せるんじゃない。斜めへ踏み出せば腰が残る。相手につられても体勢を崩さず、すぐ槍先を返せるぞ」
「なるほど」
なぜか先に納得したカイルが、セドリックを手招きする。
「ほら、やってみろよ」
「何でお前に指示されなきゃならねぇんだ」
文句を言いながらも、セドリックは教えられた通りに足の位置を変え、木槍を構え直した。
「もう少し腰を落とせ」
一人が助言すると、それをきっかけに、騎士達も以前から気になっていた点を次々と口にし始めた。
「槍先をもう少し高く」
「肩の力を抜け」
気付けば、その場はセドリックの指導会になっていた。
何度か動きを繰り返したあと、セドリックは騎士達へ頭を下げた。
「……確かに、身体が安定します。ご指導ありがとうございます」
素直な礼に、周囲が意外そうな顔をした。
「俺も教えてください!」
カイルも隣へ並ぶ。
「本当に兄貴の真似をする弟みたいだな」
「やめてくださいよ。こんな性格悪い兄貴、願い下げです」
「誰が性格悪いだ」
訓練場へ笑いが広がった。
少し離れて眺めていたバルドは、静かに表情を和らげる。
(……いい傾向だ)
カイルが間に入り、槍という共通の話題が生まれた。
その話題は、閉ざされていたセドリックの扉を少しずつ押し開けていた。
やがて、昼を知らせる鐘が鳴る。
カイルは最後に木槍を一振りし、額の汗を拭った。
「よし。そろそろ時間だな」
木槍を武器庫へ戻しながら、バルドへ振り返る。
「昼飯を食ったら、工房へ行ってくる」
バルドは鼻を鳴らした。
「もう加工できる頃か?」
「ああ」
待ち望んでいた時間が、ようやく来た。
カイルは弾むような足取りで、ルークと共に食堂へ向かった。
昼食を済ませたカイルとルークが武具開発工房の扉を開けると、中にはジークをはじめとする鍛冶師達、武具研究室の学者達、そしてクラウスまでが顔を揃えていた。
本来は夜に行う武具研究も、今日は予定を組み替え、昼からアイアーベアの牙を加工することになっている。
誰もが期待を隠しきれない表情で、カイルの到着を待っていた。
その様子を見たカイルは、思わず頬を緩める。
「……俺だけじゃなかったんですね」
工房に小さな笑いが広がる。
ジークは口元を緩めたまま、顎で中央の大桶を示した。
「さぁ、主役の出番だ」
カイルは気持ちを切り替えるように頷き、ゆっくりと桶へ歩み寄った。
薬液に沈められていたアイアーベアの牙を両手で持ち上げる。
表面から滴った液体が、桶の中へ小さな波紋を広げていく。
光へかざして色や艶を確認し、角度を変えながら念入りに観察する。
数か所を指先で押し、硬さの変化も確かめた。
「……うん」
満足そうに声を漏らす。
「これなら、もう加工できます」
濡れた牙を作業台へ寝かせると、近くにいたジークへ手を差し出した。
「ジーク様、ナイフを貸してください」
「ナイフ?」
何に使うのか理解できないまま、ジークは手近な一本を選んで渡した。
(削るつもりか……?)
いくら薬液で柔らかくなったとはいえ、相手はアイアーベアの牙である。
獣の骨どころか、下手な金属よりも硬い。
普通のナイフで加工できるとは到底思えなかった。
カイルは受け取ったナイフを握り直し、刃を牙の表面へそっと当てる。
ほとんど力を込めないまま、前方へ滑らせた。
ぺらり。
まるで果物の薄皮を剥くように、牙の表面が一枚めくれ上がった。
「……は?」
誰かの間の抜けた声が、工房へ落ちる。
一拍遅れて、周囲の鍛冶師達から驚きが噴き出した。
「お、おい……!」
「切れたぞ……!」
カイルは周囲の騒ぎなど耳に入っていないらしく、さらに刃を走らせる。
すうっ、と抵抗らしい抵抗もなくナイフが進み、白い薄片が次々と机へ落ちていった。
その光景を前に、誰もがカイルの言葉を思い出す。
魔物素材は加工できる――その宣言が、今まさに証明されたのだ。
鍛冶師達は、息をすることさえ忘れたように、その手元へ見入っていた。
獣の骨ですら、これほど滑らかには削れない。
カイルは一度ナイフを置き、作業用の手袋をしっかりとはめ直した。
続いて牙の先端へ刃を当てる。
「ナイフにするには、この先は使わないんで」
そう告げて先端部分を切り落とし、手早く周囲を削って軽く尖らせていく。
あくまで形を整えただけだ。
刃を付けたわけでも、表面を磨いたわけでもない。
「加工する時は、気を付けてくださいね」
カイルは切り離した牙の欠片を持ち、工房の隅へ積まれていた鉄の廃材へ歩み寄った。
「このくらい切れますから」
尖らせた先端を鉄へ軽く当て、そのまま横へ滑らせる。
ギィッ――。
耳障りな音が工房中へ響いた。
鉄の表面へ深い傷が走った、次の瞬間。
ぱきり。
カラン、カラン――。
真っ二つに割れた鉄片が床へ転がり、乾いた金属音が工房へ響く。
「…………」
工房から、すべての音が消えた。
誰一人として声を発しない。
カイルが手にしているのは、まだナイフですらなかった。
牙の先端を切り落とし、少し形を整えただけの代物だ。
それが鉄へ深い傷を刻み、そのまま割ってしまった。
鍛冶師達は床へ転がった鉄片と、カイルの手元を呆然と見比べている。
静寂を破ったのは、ジークの低い声だった。
「……こりゃ、とんでもねぇぞ」
その一言を合図に、工房中が一気に騒がしくなる。
「お、おい……加工の仕方から考えねぇと駄目だぞ!」
「こんなもん、素手で押さえたら指が飛ぶ!」
「いや、削る前に持ち手を付けるべきじゃねぇか!?」
鍛冶師達は牙の周囲へ押し寄せ、口々に意見を飛ばし始めた。
完成するナイフの形について話す者は、もはや一人もいない。
問題は、その前段階だった。
これほど危険な素材を、どうすれば安全に加工できるのか。
期待を遥かに上回る切れ味を前に、工房は歓声ではなく、半ば混乱にも似た騒ぎへ変わっていた。
その様子を眺めながら、カイルも改めて手の中の欠片へ目を落とす。
(……確かに)
以前作ったペーパーナイフより、明らかに切れ味が鋭い。
同じ方法で柔らかくしても、元となる素材が変われば、完成する刃の性能も大きく変わるらしい。
(柔らかくさえなれば、あとは削るだけだと思ってたんだけどな……)
完全に見落としていた。
加工できる状態にはなった。
ところが今度は、加工すること自体が危険になってしまったのだ。
カイルは困ったように頭を掻く。
「……問題発生だな」
ジークも床へ落ちた鉄片を見下ろし、重々しく返した。
「ああ。嬉しい悲鳴ってやつだ」
牙へ目を戻し、太い腕を胸の前で組む。
「刃物を作る前に、まずは作るための道具を考えねぇと始まらねぇ」
鍛冶師達は再び牙を囲み、安全な加工方法について意見を交わし始めた。
新たな課題に頭を悩ませているはずなのに、誰の顔にも嫌そうな色はない。
未知の素材を前に、職人としての好奇心を抑えきれずにいるようだった。
そんな大人達を横目に、カイルは牙から出た切れ端を一か所へ集める。
「捨てるのはもったいねぇからな」
小さな欠片とはいえ、アイアーベアの牙である。
粉末にしておけば、別の用途へ利用できるかもしれない。
大きめの欠片を押さえ、ナイフで細かく刻み始めた。
「先生、鍋みたいなのありませんか?」
突然呼ばれたクラウスが、牙から顔を上げる。
「鍋?」
「水分を飛ばしたいんです」
詳しい説明はなかったが、また何か実験を始めるつもりなのだろう。
クラウスは興味を隠せず、ルークと共に研究棟へ向かった。
ルークはついでに、カイルが普段の実験で使いそうな道具もいくつか借りてくる。
二人が戻ると、カイルは受け取った小鍋へ刻んだ牙を入れた。
アルコールランプへ火をつけ、焦がさないよう注意しながら、じっくりと熱を加えていく。
残っていた水分が飛んだところで鍋から取り出し、今度は小槌で少しずつ砕いた。
コン、コン、と乾いた音が鳴るたび、白い粉が作業台の上へ増えていく。
「よし」
粉の細かさを確かめ、満足したカイルは周囲を見回した。
適当な木片を見つけると、ナイフを使って細長く削り始める。
出来上がった形は、簡素なナイフそのものだった。
木の表面へ接着剤を薄く塗り、その上から先ほど作った牙の粉末を丁寧にまぶしていく。
「あとは乾かすだけだ」
作業を一部始終見ていたクラウスは、理解できないと言いたげに首を傾けた。
「それは何に使う?」
「実験です」
カイルは完成しかけた木片を持ち上げ、意味ありげに口角を上げる。
それだけでは、クラウスの疑問はまるで解消されなかった。
牙からナイフを作ろうとしているはずなのに、なぜわざわざ木を削り、その表面へ粉を付着させているのか。
少しでも早く接着剤を乾かそうと、カイルは近くにあった紙を手に取り、木片へ向かってぱたぱたと風を送る。
一方、ルークには、主人が何を試そうとしているのか何となく察しがついていた。
(坊ちゃん……木剣を改造する気っすね)
仮にこの先、魔物を斬れる武器が完成したとしても、まだ十六歳のカイルへ自由に持たせてもらえるとは思えない。
だからこそ、今の自分が使える武器を、少しでも強くしようとしているのだ。
もっとも、この実験が成功した時点で、それはもう普通の木剣とは呼べなくなるだろう。
牙の粉を接着剤で固めただけでは、強く打ち合った拍子に剥がれてしまう気もする。
(でも、坊ちゃんはここから何度も改良するんすよね)
ルークは、これまで何度も見てきた光景を思い出していた。
一度失敗した程度で諦める主人ではない。
むしろ失敗するたび、どこが悪かったのかを調べ、次は別の方法を試す。
成功するまで、延々と続けるのだ。
(……ほんと、タチが悪いっす)
半ば観念しながらカイルの隣へしゃがみ込み、小声で耳打ちする。
「坊ちゃん、やるならもっとこそこそやってくださいよ」
「大丈夫だって」
カイルは工房の中央を窺い、何でもないことのように答えた。
「ほら、みんなナイフに夢中だから」
その先では、鍛冶師達が安全な加工方法について熱く議論を続けている。
固定台を作るべきか。
先に持ち手を付けるべきか。
刃へ触れずに削れる専用の道具が必要ではないか。
誰一人として、工房の隅で始まった別の実験には気付いていなかった。
「……今のうちってことっすか」
「そういうこと」
カイルは悪戯が成功した子供のように笑った。
そこへ、好奇心を抑えきれなくなったクラウスが近付いてくる。
「君達、何をしているんだ?」
カイルは慌てるどころか、木片を身体でわずかに隠しながら、にやりと笑う。
「秘密です」
「む……」
納得のいかない顔をするクラウスをよそに、カイルは再び木片へ目を落とした。
粉を落とさないよう、指先で表面へそっと触れる。
「……まだか」
接着剤は乾ききっておらず、牙の粉も簡単に動いてしまう。
カイルは不満そうに眉を寄せた。
「この接着剤、全然使えねぇな」
「そりゃ、市販の接着剤ですからね」
ルークは当然だと言わんばかりに返す。
「坊ちゃんが普段作ってるような、魔物素材の接着剤とは違うんですから」
「家から持ってきた魔物素材で作るか」
何気なく漏らされた一言に、クラウスの反応が一変した。
「何?」
勢いよく身を乗り出し、カイルの顔を覗き込む。
「アイアーベアの素材以外にも、何か持っているのか!?」
「まぁ、少しですけどね」
カイルは隠す様子もなく答えた。
「明日、持ってきますよ」
「おおっ!」
クラウスの目が、子供のように輝いた。




