第46話 牙が運ばれた日
ナイフ作りに欠かせないアイアーベアの牙を回収するため、カイル達は剣都の倉庫を目指していた。
穏やかな揺れに身を任せているうちに、馬車は目的地へ到着した。
研究用馬車を降りた三人は、そのまま素材倉庫へ向かう。
受付で名前を告げると、エルマー会頭と何度も訪れている顔馴染みということもあり、ほとんど待たされることなく中へ案内された。
倉庫内では、職員達が積み上げられた木箱の間を忙しなく行き交っている。
その奥で帳簿を確認していた人物を見つけ、カイルは思わず声を上げた。
「エルマー!」
聞き慣れた声に、エルマーが勢いよく顔を上げる。
「カイル?」
互いに、こんなところで会えるとは思っていなかった。
一瞬だけ驚きが交わり、そのあと、どちらからともなく表情が緩む。
エルマーは帳簿を閉じると、どこか嬉しそうに口元を和らげた。
「久しぶりだな。どうした?」
「アイアーベアの牙を取りに来たんだ」
「ああ、それなら言ってくれれば、城まで届けたのに」
「ちょっとモーリスにも聞きたいことがあってさ」
「なるほど。それで、わざわざ剣都まで来たのか」
事情を理解したエルマーが、納得したように声を和らげる。
その間に、ルークとクラウスは倉庫の奥へ向かっていた。
以前、自分達で素材を分かりやすく仕分けしておいたため、保管場所に迷うことはない。
積まれた木箱の一つを開けると、目的のアイアーベアの牙はすぐに見つかった。
「あったっす!」
ルークの弾んだ声が、倉庫内へ響く。
カイルはそちらを一度確認し、改めてエルマーへ向き直った。
「最近、色々あったんだ」
「色々?」
エルマーが興味を示すと、カイルはこの数日の出来事を話し始めた。
武具開発工房で、魔物素材を使ったナイフを作ることになったこと。
それが成功すれば、いずれは魔物討伐用の剣まで開発させてもらえること。
しかも、その研究費は国が出してくれることになった。
すべてを聞き終えたエルマーは、しばらく言葉を失った。
「……お前、一体どんな手を使った?」
「俺じゃないよ」
疑いを隠そうともしない問い掛けに、カイルは困ったように頬を掻く。
「クラウス先生が話を通してくれたんだ。おかげで、これからは隠れて研究しなくて済むようになった」
「そうだったのか」
エルマーの顔から警戒が消え、安堵が広がった。
カイルがまた何か無茶をして、強引に研究場所を確保したのではないかと疑っていたらしい。
「それは良かったな」
心からそう告げたあと、エルマーは新たな疑問を覚えたように尋ねる。
「それで、鍛冶師は見つかったのか?」
「ああ」
カイルは嬉しそうに胸を張った。
「ジーク・アイゼン様が、力を貸してくれるって」
「……何だと!?」
倉庫中へ響くほどの大声だった。
近くで荷物を運んでいた職員達が、驚いて一斉に振り返る。
当のエルマーは一歩よろめき、慌てて近くの木箱へ手をついた。
「じ、ジーク・アイゼン様だと……?」
元は庶民の生まれでありながら、その卓越した腕と数々の功績を認められ、貴族の爵位を授かると同時に、『アイゼン』の名を賜った伝説の鍛冶師である。
商人であるエルマーにとって、その名はあまりにも重かった。
「すげぇよな」
カイルも、改めてその事実を噛み締めるように口元を緩める。
「俺も最初は信じられなかった」
エルマーはしばらく声も出せずにいたが、やがて表情を引き締めた。
「……その縁は、大事にしろ」
名工との繋がりは、金を積んだところで簡単に得られるものではない。
一度結ばれた信頼は、どれほど高価な品物にも代えられない財産となる。
その重みを理解した上での言葉だった。
「もちろんだ」
カイルもふざけることなく、力強く答えた。
その時、倉庫の奥からルークの声が届く。
「坊ちゃん、牙はどれくらい持っていきます?」
カイルは開かれた木箱へ顔を向けた。
「とりあえず、あるだけ持っていこう」
「全部っすか?」
「ああ。大丈夫だとは思うけど、失敗する可能性もあるからな」
いきなり完璧なナイフが作れるとは限らない。
加工の途中で折れたり、削り方を間違えたりする可能性も考えて、予備は多い方がいい。
「了解っす」
ルークはクラウスと手分けし、牙を一本ずつ布で包み始めた。
巨大な牙同士がぶつかり、傷が入らないよう丁寧に間へ布を挟みながら、用意してきた袋へ収めていく。
その様子を眺めていたエルマーが、ふと何かを思い付いたように口を開いた。
「そうだ。この素材、アルテの倉庫へ移しておこうか?」
「アルテに?」
「その方が城から近い。今後も使うなら、必要になるたび剣都まで取りに来るのは手間だろう」
「助かる」
カイルは迷うことなく申し出を受けた。
「牙以外の素材も、まだ使うかもしれねぇからな」
「分かった。こちらで手配しておこう」
エルマーは懐から手帳を取り出すと、慣れた手つきで何かを書き込んだ。
一枚を丁寧に破り、カイルへ差し出す。
「これがアルテにある倉庫の場所だ。私の方から話を通して、いつでも出入りできるようにしておく」
「さすがエルマーだな」
必要なことをすぐに理解し、先回りして整えてくれる。
カイルは笑顔で紙を受け取った。
エルマーもわずかに表情を和らげると、近くを通り掛かった職員へ声を掛ける。
「モーリスを呼んできてくれ。カイルが話したいことがあるそうだ」
「承知しました」
職員は一礼し、小走りで倉庫の奥へ消えていった。
それほど待たないうちに、聞き覚えのある豪快な声が響く。
「おう! カイルじゃねぇか!」
木箱の陰から現れたモーリスが、大股でこちらへ歩いてくる。
「仕事中に悪りぃな」
カイルは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「ちょっとナイフを見てもらいたくてさ」
「ナイフ?」
モーリスは怪訝そうに眉を動かす。
カイルは周囲をちらりと窺い、職員達に聞かれないよう少しだけ声を潜めた。
「実は、魔物を解体するためのナイフを作ることになったんだ」
「ほぉ……」
モーリスの顔から戸惑いが消え、代わりに興味が浮かぶ。
「なるほどな。それで俺に聞きに来たのか」
「そうなんだ。ちょっと待っててくれ」
カイルは一度倉庫を出ると、研究用馬車へ戻った。
ジークから借りたナイフを抱えて戻り、倉庫の隅に置かれた大きな机へ、一本ずつ布を解きながら並べていく。
エルマーも興味深そうに歩み寄った。
机へ並べられたナイフを見た瞬間、その目に驚きが走る。
(……全部、ジーク・アイゼン様の銘か)
刃元には、一振りごとに名工の証である刻印が打たれていた。
一本だけでも相当な値が付く品が、何本も無造作に並べられていく。
商人として思わず値踏みしかけたエルマーは、それ以上に、ジークが自らの刃物をカイルへ預けた事実に驚いた。
名工がこれほどの品を貸すのは、カイルを見込み、信頼している証にほかならない。
師弟と呼ぶにはまだ早い。
それでも、二人の間には確かに特別な繋がりが生まれ始めている。
エルマーは、その関係を静かに見守った。
一方、モーリスはナイフの価値など気にした様子もなく、机の前で腕を組んでいた。
「さて……どれから見りゃいい?」
カイルが待ち切れない様子で身を乗り出す。
「解体に使うなら、どれが一番扱いやすいか教えてくれ」
「なるほどな」
モーリスは並べられた刃をざっと確認すると、迷いなくナイフをいくつかの山へ分け始めた。
「まず、用途が違う」
そう言って、机の上へ三つの山を作る。
一本目を手に取り、刃の形をカイル達へ見せた。
「これは肉を切るのに向いてる」
続いて、二つ目の山から厚みのある一本を持ち上げる。
「こっちは、骨ごと叩き切る時に使う刃だ」
最後に、細身で先端の尖ったナイフを指先で回した。
「それで、こいつは肉を骨から外したり、筋を切ったりする細かい作業に向いてる」
「へぇ……」
カイルは三種類を見比べる。
形がわずかに違うことは分かる。
けれど素人の目には、どれも同じようなナイフにしか見えなかった。
モーリスはそんなカイルの反応を見て、口元を緩める。
「会頭。食肉加工の倉庫へ連れて行っても構いませんか?」
エルマーへ顔を向け、許可を求める。
「似た刃物を使って、実際に見せた方が話は早いでしょう」
「いいだろう」
エルマーは申し出を受け入れると、奥で牙を包んでいる二人へ声を掛けた。
「ルーク、クラウス先生。二人も一緒にどうですか?」
「はい!」
「無論だ」
二人もすぐに作業の手を止めて加わる。
エルマーはカイルへ軽く片手を上げた。
「私は仕事へ戻る。また今度な」
「ありがとう、エルマー」
別れを済ませると、一行はモーリスの後について倉庫の奥へ進んだ。
重い扉が開かれると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。
中には天井から無数の肉が吊るされ、解体台や大きな作業机が規則正しく並べられていた。
壁際では何人もの職人が黙々と手を動かし、刃が肉を切る音や、骨へ当たる硬質な音が絶え間なく響いている。
「ここが食肉加工の倉庫だ」
モーリスが一行を振り返った。
「交代制で人を回してるからな。休みなく二十四時間動いてる」
「すげぇ……」
カイル達は、思わず辺りを見回した。
モーリスは手頃な肉の塊を一つ選び、解体台へ置く。
その脇に並ぶ刃物の中から、一番細身のナイフを手に取った。
「よく見とけ」
刃先を骨へ沿わせるように差し込み、手首を細かく動かす。
まるで骨へ吸い付くように刃が走り、肉は無駄なく剥がれていった。
力任せに切っているわけではない。
骨の形を正確になぞり、刃を滑らせている。
「ほら」
モーリスが骨を持ち上げると、表面にはほとんど肉が残っていなかった。
「すげぇ……」
カイルの口から、素直な感嘆が漏れる。
モーリスは同じ肉へ別のナイフを入れた。
先ほどと同じように骨へ刃を沿わせようとするが、今度は思うように入り込まない。
何とか肉を外しても、骨の表面には厚く肉が残ってしまった。
「用途が違うからだ」
モーリスは二本のナイフを並べ、その違いを示す。
続いて、細身のナイフを使って骨ごと断ち切ろうと力を込めた。
ガッ――。
鈍い音が加工場へ響く。
刃は骨へ食い込んだものの、一度では切断できない。
ノコギリのように何度も前後させ、ようやく骨が断ち切れた。
「こいつは骨を切るための刃じゃねぇ」
役目を終えたナイフを置き、今度は厚みのある一本へ持ち替える。
「こっちなら――」
刃が振り下ろされた。
ゴッ、と重い音が鳴る。
次の瞬間には、骨が一撃で真っ二つに割れていた。
「おお……!」
カイル達は揃って身を乗り出した。
一見すれば似たようなナイフでも、用途が違えばここまで結果に差が出る。
目の前の実演が、その事実を何より明確に物語っていた。
隣では、クラウスが早くも手帳を取り出している。
刃の幅や厚み、反り方まで見逃すまいと、前のめりになって書き留めていた。
「お前の場合は、この二本だな」
モーリスが示したのは、骨ごと断ち切るための一本と、肉を骨から外すための細身の一本だった。
両方を手に取り、改めて刃の形を確認する。
「最低でも、これはあった方がいい」
「分かった!」
カイルは迷いなく返事をした。
実際に使うところを見せてもらったおかげで、なぜ二種類が必要なのかもよく理解できる。
「ありがとう。すげぇ勉強になった」
「気にすんな」
モーリスは用済みとなったナイフを机へ戻した。
もう一度礼をいい、牙を積み終えた一行はアルテの城へ戻った。
到着した頃には、空がわずかに赤みを帯び始めていた。
休む間もなく武具開発工房へ足を運ぶと、そこにはジークをはじめとした鍛冶師や、武具研究室の学者達が残っていた。
この時間まで偶然いたのではない。
アイアーベアの牙が届くと聞き、カイル達の帰りを待っていたのだ。
カイルは運び込んだ袋を机へ置き、牙を包んでいた布を解いていく。
一本目が姿を現した瞬間、周囲で作業をしていた職人達の手が止まった。
一本一本が人の腕ほどもあり、鈍い白色を帯びた表面には、魔物の凶暴さを物語る深い傷が刻まれている。
「……随分と大きいな」
ジークも驚きを隠さなかったが、すぐに牙のそばへ歩み寄った。
指先で表面をなぞり、厚みや反り具合を確かめていく。
「何本作るつもりだ?」
「とりあえず二本は欲しいです」
カイルは持ってきた袋から、借りていたナイフを取り出した。
モーリスに選んでもらった、用途の異なる二本だ。
「まずは、この二種類が欲しいです」
ジークの前へ並べ、刃の形を指で示す。
「骨を断ち切る用と、肉を骨から外す用。この形に近いものをお願いします」
「なるほど」
ジークは二本を持ち比べ、厚みや重心まで確かめていく。
「それで……俺とルークの分、二組お願いできませんか?」
「二組?」
「魔物を解体する時は、こいつも一緒に動きます。それに、俺のやり方なら、この牙も短時間で加工できる状態にできます」
カイルは少しだけ身を乗り出した。
「その分、俺達も雑用でも何でも手伝います。できることは全部やります。どうかお願いします」
カイルが迷いなく頭を下げた。
ルークは、その願いが自分のためでもあることを悟る。
「坊ちゃん……」
次の瞬間には、隣へ並んで深々と頭を下げていた。
「俺も頑張ります! 坊ちゃんと一緒に魔物を解体したいんです。お願いします!」
ジークは頭を下げ続ける二人を見比べた。
(……従者のために、ここまで頭を下げる貴族か)
貴族は誇りを重んじる。
それを惜しげもなく捨てて頼み込む姿からは、この坊主にとってルークがただの従者ではなく、相棒なのだと自然に伝わってきた。
身分ではなく、人で繋がる関係。
かつて庶民だった自分だからこそ、その価値がよく分かる。
「……仕方のない奴らだ」
口元をわずかに緩めた。
「いいだろう。まずは一本、試作する。出来を確かめてから残りを打とう」
「「ありがとうございます!」」
二人の弾んだ声に、工房の空気が少し和らぐ。
そのやり取りを見守っていた職人達も、自然と作業台の周りへ集まってきた。
ジークは牙から目を離さないまま、カイルへ尋ねた。
「まずは何をすればいい?」
「最初に重さを測ってください」
カイルはすぐに答えた。
「長さや太さも記録しておきたいです。その間に、俺達はシルバーハープを刻みます」
「それは何に使う?」
「レンガの実と混ぜて薬液を作ります。その中へ、牙を半日ほど漬ける予定です」
「なるほど」
工程を理解したジークは、すぐさま周囲の職人達へ指示を飛ばす。
「重さと寸法を測れ。記録係も一人付けろ」
「はい!」
職人達は一斉に持ち場へ散った。
秤を運ぶ者。
巻尺を手に、牙の長さや太さを測る者。
その横で、読み上げられた寸法を書き留める者。
牙の大きさを確認していた一人が、工房内を見回して声を上げた。
「この大きさだと、今ある桶じゃ小さいな。もっと大きい物を持ってくる」
「頼む」
ジークの返事を聞くや否や、その職人は足早に倉庫へ向かった。
カイル達も、シルバーハープを刻むための準備へ取り掛かる。
まな板代わりになる平らな台や、刻んだ葉を入れる容器を探し、必要な道具を次々と集めていく。
工房のあちこちで人が行き交い、それぞれが自分の役割を果たすために動き始めていた。
その時、入口の方がにわかに騒がしくなる。
「殿下がお見えだ!」
姿を現したのは、アルフォンスとレオナルドだった。
その後ろには、先日の会議へ出席していた役人達が連なり、バルドとセドリックの姿も混じっている。
アイアーベアの牙が届いたと聞き、揃って様子を見に来たらしい。
「もう作業を始めていたか」
工房へ足を踏み入れたアルフォンスは、作業台へ並ぶ牙を目にした途端、言葉を止めた。
レオナルドの表情もわずかに固まり、後ろに控えていた役人達から低いどよめきが広がる。
誰かが吸い寄せられるように一歩近付くと、それにつられて一団が作業台を取り囲んだ。
「根元だけで、私の手より太いぞ」
「本当に生物の牙なのか……?」
「この傷は、戦いで付いたものだろうか」
先ほどまで進み始めていた作業が、ぴたりと止まる。
秤を運んでいた職人は牙へ近付けず、巻尺を手にした者も人垣の外で立ち尽くしていた。
カイルはしばらくその様子を眺める。
(……邪魔だな)
驚く気持ちは分からなくもない。
だが、これでは重さも寸法も測れない。
カイルは並べていた牙の一本を両手で持ち上げ、工房の端にある机へ運んだ。
「見学の方は、こちらでお願いします」
どん、と机へ置く。
「触るならこっちにしてください。残りは作業に使うんで」
アルフォンスまでまとめて見学者として扱われ、一同は一瞬だけぽかんとした。
ところが、一本丸ごとの牙を用意されると、役人達はすぐにそちらへ移動していく。
「こちらは触れてもよいのか?」
「傷を付けなければ大丈夫です」
「持ち上げてみても?」
「重いんで、気をつけてください」
必要な注意だけを伝えると、カイルは残った牙をジーク達の作業台へ戻した。
アルフォンスとレオナルドも役人達に続き、見学用の机へ歩いていく。
その場に残ったバルドとセドリックは、呆れた顔でカイルの隣へ寄ってきた。
「お前、殿下まで見学者扱いしたぞ」
「だって、作業の邪魔だったからな」
「少しくらい言い方を考えろよ……」
セドリックも額へ手を当てる。
「普通は殿下に向かって、『あちらで見ていてください』なんて言えねぇぞ」
「でも、ちゃんと移動してくれただろ?」
悪びれる様子のない返答に、二人は揃って言葉を失った。
カイルは気にも留めず、見学用の牙へ群がる一団を眺める。
表面の傷を覗き込む者。
根元の太さを手で確かめる者。
持ち上げようと、二人掛かりで牙へ手を伸ばす者までいる。
まるで王家の宝物庫から運び出された、豪華な美術品でも眺めているかのようだった。
「……結構みんな、魔物の素材に興味あるんだな」
想像以上の食い付きに、カイルは感心したように呟く。
隣にいたルークが、嫌な予感を覚えたように主人を見た。
「これ、展示会でも開いたら客が来るかもしれねぇぞ」
「坊ちゃんって、本当に金になりそうなことばっか思い付きますよね……普通はあれを見て、商売を始めようとは思わないっすよ」
「でも、実際にこれだけ人が集まってるぞ」
カイルは顎で見学者達を示す。
これほど巨大な魔物素材を間近で見られる機会など、滅多にない。
入場料を取って展示するだけでも、十分に客を呼べるかもしれなかった。
しばらく考えていたカイルは、ふと妙案を思い付いたように目を輝かせた。
「今度から、魔物の首ごと持って帰るか」
その言葉を聞いた瞬間、近くにいたバルドの背筋へ冷たいものが走った。
「お前、何考えてんだ!?」
思わず声を荒らげると、カイルは不思議そうに振り返る。
「何って、展示用だよ」
「首を丸ごと持って帰る奴がどこにいる!」
「動物だって、剥製にして飾ってる金持ちはたくさんいるだろ。それと同じだ」
あまりにも当然のように言われ、バルドは言葉に詰まった。
確かに、貴族や裕福な商人の屋敷には、狩った獣の剥製を飾っている者もいる。
だが、魔物は別だ。
牙一本でさえ、この迫力である。
頭部を丸ごと持ち帰れば、展示品というより悪夢そのものになりかねない。
バルドの脳裏に、巨大な魔物の首を嬉々として引きずってくるカイルの姿が浮かぶ。
「……やめろ。想像しただけで寒気がする」
「何でだよ。絶対、客が来るぞ」
「怖いもの見たさでな!」
二人のやり取りを聞いていたセドリックが、口元を引きつらせる。
「お前なら、本当にやりそうなのが怖いんだよ」
「じゃあ、今度試してみるか」
「試すな!」
バルドの怒鳴り声が工房へ響き、近くにいた職人達から小さな笑いが漏れた。
カイルは納得していない様子だったが、今は作業が先だと思い直したらしい。
ナイフを一本手に取り、何の前触れもなくバルドへ差し出した。
「はい」
「……ん?」
反射的に受け取ったバルドが、手元の刃とカイルを交互に見る。
「シルバーハープを刻んでくれ」
続けて、もう一本をセドリックへ渡す。
「お前も頼んだ」
「待て。何で俺達まで手伝うことになってるんだ?」
「見学してるだけじゃ暇だろ」
「俺達はまだ見学すらしてねぇぞ」
文句を言いながらも、二人は結局ナイフを返さなかった。
その間にカイルは、職人達が測定したアイアーベアの牙の重さを確認し、必要になるシルバーハープの量を計算する。
続いて、運び込まれた大きな桶を覗き込んだ。
水面には、割られたレンガの実が浮かび、染み出した成分によって水は薄く色付き、わずかな粘りを帯びていた。
カイルは指先で状態を確かめる。
「……少し多いな」
そう呟き、レンガの実を二つだけ別の桶へ避けた。
「これくらいでいいか」
そこへ刻んだシルバーハープを加え、木べらでゆっくりとかき混ぜていく。
二つの成分が溶け合うにつれ、液体の色がわずかに変化していく。
十分に馴染んだところで、カイルはアイアーベアの大きな牙を一本持ち上げた。
周囲の者達が見守る中、薬液の中へ静かに沈めていく。
「これで、あとは待つだけです」
牙が完全に液体へ浸かったことを確認し、カイルは桶から手を離した。
「半日もすれば、加工できるくらいには柔らかくなります」
その言葉を聞いた瞬間、クラウスをはじめとした武具研究室の学者達が、一斉に手帳へ筆を走らせた。
「レンガの実は何個入れた?」
「シルバーハープの量も記録しておけ!」
「液の色も変わっているぞ!」
工房中から質問が飛び交う。
カイルは一つひとつ答えながら、静かに笑みを浮かべた。
その完成が、今から楽しみで仕方なかった。




