第43話 共同研究
アルフォンスから、剣の開発に関する話し合いの場を設けると告げられてから、数日が過ぎた。
約束の日。
日が落ち始めた頃、カイルはルークとクラウスを伴い、指定された場所へ向かっていた。
案内されたのは、いつもの執務室ではない。
扉に『会議室』と記された部屋だった。
(……ここか)
会議室と聞けば、数人で話し合う程度の場を想像していた。
だが、その予想は扉が開いた瞬間に覆される。
長机を囲むように、武具研究室の学者やジーク達鍛冶師、さらには予想していなかった大勢の役人達が席に着き、入ってきた三人へ一斉に顔を向けた。
国を挙げた研究会議。
そう呼んでも大袈裟ではない光景だった。
(……話し合いって、この規模かよ)
さすがのカイルも、一瞬だけ言葉を失う。
出席者の中には、近衛騎士長であるバルドの姿まであった。
武具に関する話である以上、彼にも情報を共有しておく必要があるのだろう。
予想を遥かに上回る人数を前に、カイルはルークが抱える資料の束へ目を落とした。
(……数が足りねぇな)
ここ数日を費やし、夜遅くまでかけて作り上げたものだ。
話し合いに参加する者達を想定し、予備を含めて何部か用意してきた。
それでも、室内を埋める人数には到底及ばない。
カイルは先に到着していたレオナルドを見つけると、ルークを伴って駆け寄った。
「レオナルド様、すみません。資料の数が足りないのですが、どうすればよろしいでしょうか?」
「心配するな。こういう時のために、書記官を待機させてある」
レオナルドが片手を上げると、壁際に控えていた数名の書記官がすぐに集まってきた。
「足りない分を筆写してくれ」
「承知しました」
「よかった……」
カイルが小さく安堵の息を吐く横で、ルークは抱えていた資料を机へどさりと置いた。
積み上がった紙の山を見て、レオナルドがわずかに眉を上げる。
「……これだけあっても、人数分足りないのか?」
「はい」
束の中から一冊を抜き取り、カイルは書記官へ差し出した。
「これで一人分です」
受け取った書記官の手が、ぴたりと止まる。
「……え?」
一枚か二枚程度の会議資料を想像していたのだろう。
手渡されたのは、図面や文章が隙間なく書き込まれた分厚い紙束だった。
書記官達の頬が揃って引きつる。
レオナルドも原本へ目をやり、目を細めた。
(……私の読みが甘かった)
事前に資料を預かり、筆写を済ませておくべきだった。
これほど作り込まれているとは、さすがに予想していなかった。
「……これは驚いた」
思わず漏れた一言だった。
すぐに頁を確認し、書記官達へ指示を飛ばす。
「説明に使う頁から優先して写せ。それから、この人数では足りん。追加で数人呼んで来い。急げ!」
「承知しました!」
書記官の一人が、慌ただしく会議室を飛び出していった。
一部始終を眺めていたクラウスは楽しげに笑い、隣の椅子をぽんと叩く。
「カイル君、こっちだ」
手招きされ、カイルはクラウスの隣へ腰を下ろした。
ルークにも、発明家兄弟の一人として席が用意されている。
普段なら従者として後ろへ控える立場だが、この場ではカイルと共に発明へ携わった者として扱われていた。
促されるまま座ったものの、居並ぶそうそうたる顔ぶれを前に、ルークの胃の奥がじわじわと痛み始める。
(……何で俺までここにいるんすか)
くしゃみ一つでも、全員から注目されそうだった。
後方で書記官達が筆写を進める間、レオナルドはひとまずカイルが持参した資料を、配れる分だけ振り分けていく。
まずはアルフォンスの席へ一部。
続いて、武具研究室の学者やジーク達鍛冶師、要職に就く役人へ優先して配られた。
受け取った者達は、自然と紙面へ目を落とす。
「……これは」
魔物による被害状況や負傷者数、武具の損耗率に加え、開発を目指す武具の構造図や必要経費まで見やすく整理され、図表や見取り図も添えられている。
その出来栄えは、まるで商談の席で使われる資料のようだった。
ジークは図面へ目を走らせると、満足げに鼻を鳴らした。
「仕事が細けぇな」
学者達も役人達も、目を見張りながら頁をめくった。
ほどなくして、扉が開く。
アルフォンスが入室し、その場にいた全員が一斉に立ち上がった。
カイルもルークも、国の話し合いへ参加するのは初めてだ。
見よう見まねで周囲に合わせて席を立つ。
「皆、掛けてくれ」
アルフォンスが着席を促すと、椅子を引く音が重なり、室内へ広がった。
その音が、話し合いの始まりを告げる。
「まずは、忙しい中こうして時間を作って集まってくれたことへ感謝する」
アルフォンスは一同を見渡し、落ち着いた声で続けた。
「本日の議題は、魔物へ対抗するための新たな武具の研究についてだ」
そこで表情を引き締める。
「今日この場で見聞きした内容は、すべて機密事項とする。一切、外部へ漏らしてはならない」
全員が頷き、了承を示した。
それを確かめたアルフォンスは、カイルへ顔を向ける。
「では、カイル。君がやりたいことと、話し合いたいことを聞かせてくれ」
「はい」
カイルは短く返事をし、席を立った。
「まず最初に、一つお伝えしておきます」
一斉に視線が集まる。
「僕は実際に魔物を狩り、その素材を使った加工も行っています。今日お話しするのは、その経験を基にした内容です」
今回研究する武具にも、魔物素材を用いる。
前提を理解してもらわなければ、この先の話は受け入れ難いだろう。
「信じ難い話もあるかと思いますが、まずは最後までお聞きいただければと思います」
一拍置き、紙面へ目を落とした。
「魔物の中には、通常の真剣では傷すら十分に与えられない個体が存在します。まず、アイアーベアとの戦闘で分かったことからお話しします」
冒頭から飛び出した強力な大型魔物の名に、皆が顔を見合わせて息を呑む。
実際にアイアーベアと交戦し、生還した者から話を聞ける機会など滅多にない。
「その毛皮は魔能によって強化されており、刃は弾かれ、最後には折れました。こうした魔物は、他にも数多く存在します」
カイルは紙面に並ぶ魔物の名を示した。
「ここへ載せたのは一部ですが、このような魔物と遭遇した場合、戦闘時間は大幅に長引きます。柔らかい部位を狙い、体力を削るしかありません」
出席者達も、難しさをすぐに理解した。
暴れ回る大型魔物を相手に、限られた急所だけを狙い続けるなど容易ではない。
剣が通じない以上、魔物を森へ押し返すだけでも長い時間を要し、それだけ負傷者も増える。
「次の頁のグラフをご覧ください」
書記官達が完成した頁を役人へ渡し、少し遅れて紙をめくる音が広がる。
そこから先は、完全にカイルの独壇場だった。
負傷者の増加による治療費、戦闘が長引くことで村や街へ及ぶ被害などを、図表を示しながら順序立てて説明していく。
「どれだけ腕のいい騎士でも、重厚な鎧を纏った敵将を、棒切れ一本で討ち取ってこいと言われたら困りますよね。それと同じです」
冗談を交えた分かりやすい説明に、室内は次第に熱を帯びていく。
学者達は次々と頁をめくり、役人達も紙面へ書き込みを重ねていた。
誰もが、新たな武具の必要性と研究の価値を理解し始めていた。
そして議論は、いよいよ核心へ踏み込む。
「次に、技術の権利と、完成した武具の管理についてです」
カイルが切り出すと、レオナルドが手を挙げた。
「君は実に優秀だ」
素直な評価を口にしてから、正面に立つカイルを見据える。
「しかし、この議論は必要か?」
「といいますと?」
「そもそも技術とは、本来すべて国へ捧げるものだろう」
室内が再び静まり返った。
「研究費を出し、学者を集め、鍛冶師達にも研究へ参加させる。それだけの支援を受ける以上、完成した技術は国の所有とし、扱う者も国が定めればよいはずだ」
もっともな意見だった。
役人達の中にも、同意するような反応が見られる。
国の資金と人材を用いて生み出したものを、国が管理する。
国政を担う立場からすれば、極めて自然な考え方だ。
カイルは慌てることなく、呼吸を整えた。
「確かに、おっしゃる通りです」
まずはレオナルドの意見を認める。
「ですが、技術も権利も、すべて差し出すわけにはいきません」
その場の空気が張り詰める。
カイルは臆することなく、レオナルドを見据えた。
「僕が積み重ねてきた魔物素材の扱い方や加工法は、今回の共同研究とは別に培ってきた技術です」
カイルは居並ぶ者達へ視線を向け、一人ひとりへ語りかけるように続ける。
「研究に必要な範囲でお見せはします。ですが、それは譲渡ではありません。勝手に再現し、改良し、国の技術として扱われるのは困ります」
鍛冶師や学者達の多くが、静かに頷いた。
長年培った技術を、研究へ参加しただけで失うようでは、誰も進んで知識を差し出さなくなる。
一方、レオナルドだけは納得した様子を見せない。
だからといって、引き下がっていい話でもない。
カイルは一度紙面へ視線を落とし、ゆっくりと顔を上げた。
「大切なことなんです……なぜなら、これは技術の権利だけで終わる話ではないからです」
出席者達の意識が、再びカイルへ集まった。
「無事に剣が完成し、この加工法を国の技術として自由に使えるようになったとします。すると、どうなると思いますか?」
カイルは静かに周囲へ視線を巡らせた。
「……僕が王様なら、いずれ魔物だけではなく、人へ向けた武器も作ります」
その言葉を、誰も否定できなかった。
強固な魔物の皮膚を貫ける剣なら、人間へ向けた時には、一振りで致命傷を与えるほどの武器になってしまう。
その力は戦の在り方を変え、やがて戦乱を拡大させる引き金にもなり得る。
ジークが低く唸った。
「……そりゃ当然だな」
一言には、鍛冶師だからこその重みがあった。
剣は、打った者の手を離れた瞬間から、守るためにも、人を殺すためにも使われる。
ジークは、その現実を嫌というほど知っていた。
「僕は、そんなことのために剣を作りたいわけじゃありません」
カイルのはっきりとした言葉が、室内へ響く。
「そんな危険があるのなら、僕は自分で鍛冶師を探します。研究費も自分で用意します」
真っ直ぐレオナルドを見据えた。
「時間は掛かるでしょう。それでも構いません。僕は、自分の信念を曲げるつもりはありません」
十六歳の少年が、王弟の右腕を前にしても一歩も引かずに言い切った。
武具研究室の学者達は、賛同するように表情を引き締める。
一方で、数人の役人は難しい顔をしていた。
カイルの言葉は理解できる。
とはいえ、国を預かる立場としては、それだけでは割り切れなかった。
重い沈黙が流れる。
誰も口を開かない。
「はっはっは」
静寂を破ったのは、アルフォンスの笑い声だった。
カイルへ穏やかな眼差しを向け、納得したように口元を緩める。
「……さすがカイルだな」
それから一同へ目を向けた。
「分かりやすく言おう。今回の研究は、国がカイルへ協力をお願いしている立場だ」
役人達が顔を上げる。
「この子には資金も知識もあり、商会や職人との繋がりもある。本気になれば、国の力を借りずとも研究を進められる」
クラウスが大きく頷いた。
「それでも国と共に進めたいと言ってくれている。私は、それを国への忠誠心の表れだと思っている」
張り詰めていた空気が、わずかに和らいだ。
「まだ騎士見習いではあるが、その志は既に証明されているからな」
アルフォンスの表情に、穏やかな笑みが浮かぶ。
「実は、この場にいる諸君へ、まだ伝えていないことがある」
何事かと、出席者の注目が集まった。
アルフォンスは、よく通る声で告げる。
「この子は、あの魔物避けの匂い袋を作った本人だ」
会議室が大きくざわめいた。
役人達が驚きを隠せず周囲を見回し、学者達は信じられないものを見るようにカイルを見つめる。
街道での被害を大きく減らし、多くの命を救った発明。
生みの親が、目の前にいる十六歳の少年だった。
アルフォンスは、周囲の反応が落ち着くのを待ってから話を続ける。
「もし、自分の技術だけを守りたい人間なら、あの魔物避けの匂い袋も国へ教えることはなかっただろう」
穏やかな声が室内へ響く。
「あの時、彼は多くの命を救うため、自ら加工法を差し出した。しかも無償でだ」
一拍置き、静かに視線を巡らせた。
「だが、今回は違う。この技術は一歩使い方を誤れば、人を守る剣ではなく、人を殺す剣にもなり得る」
誰も口を挟まない。
「だからこそ彼は、技術そのものを守ることで、その先の使われ方まで守ろうとしているのだ」
そう言って、レオナルドへ顔を向ける。
「私は、この子が貫こうとしている信念を尊重したいと思っている」
静まり返った室内で、レオナルドはゆっくりと目を伏せた。
眉尻が、わずかに下がる。
自分は技術だけを見ていた。
しかし、カイルはその先にある未来を見据えていた。
レオナルドは、自らの考えを改めるように口を開く。
「……私の考えが浅かったようです」
その言葉を聞いたカイルは、アルフォンスへ向き直って頭を下げた。
「ありがとうございます」
顔を上げた時には、いつもの笑みが戻っている。
「まあ、僕としては堂々と研究ができて、有名な鍛冶師や学者の方々とやれるって話に釣られたんですけどね」
あまりにも正直な告白に、一拍遅れて笑いが広がった。
アルフォンスは肩を揺らし、レオナルドも堪えきれず口元を緩める。
張り詰めていた空気が、ようやくほどけていった。
その横では、クラウスが真剣な顔でノートへ書き込んでいる。
『研究者の権利』
『作ったものが何に使われるか大事』
『カイル君は誰が相手でも一歩も引かない』
隣から覗き込んだカイルが、小さく吹き出した。
笑いが収まったところで、アルフォンスが議論をまとめる。
「では、今回の共同研究で新たに生まれた成果と技術は、国、カイル、そして研究へ貢献した者達の共同管理とする。公開や他者への利用には、双方の合意を必要としよう」
レオナルドの筆が、決定を書き留めていく。
「また、カイルが以前から持つ魔物素材の加工技術は、今回の研究に必要な範囲でのみ使用を認めてもらう。国が無断で再現、改良、転用することは認めない」
カイルは一つ頷き、そこで手を挙げた。
「完成した武具の扱いについては、殿下へお任せしたいです」
アルフォンスが、わずかに意外そうな顔をする。
「理由は?」
「殿下なら、武力に頼る前に話し合いで解決される方だと知っているからです」
カイルは迷いなく答えた。
「だからこそ、殿下に管理していただきたい」
アルフォンスは静かに頷く。
そこに打算はない。
ただ、自分を信頼して託そうとしている。
その想いが、胸の奥を静かに温めた。
「……承知した」
居並ぶ者達へ告げる。
「では、完成した武具の保管、使用者の選定、運用は私が責任を持つ。ただし、使用目的は魔物への対処に限る」
最後にカイルへ顔を向けた。
「その他への使用を検討する場合は、必ず君と協議し、同意を得る。これでどうだ?」
「分かりました」
カイルは迷いなく了承した。
これで積み重ねてきた技術を奪われることはない。
共同研究で生まれた成果は、国と作り手達が共に守る。
そして何より、完成した武具が本人の知らぬところで対人戦へ転用されることも防げる。
最も大きな問題がまとまり、カイルはようやく椅子へ腰を下ろした。
会議はさらに続く。
研究体制や情報管理、開発へ携わる人員が次々と決まっていった。
だが、カイルが最も気になっていたのは別の議題だった。
――研究費。
作成した見積書を手にしたアルフォンスが、ゆっくりと口を開く。
「ならば、国は金貨三十枚を出そう」
ルークまで息を呑んだ。
金貨三十枚。
カイルが算出した金額より多い。
農具などを保管する小屋くらいなら建てられる額だった。
(……三十枚も?)
必要な物だけを揃えれば、予算には余裕が出る。
新たな素材の検証や試作品の製作にも回せるだろう。
(研究費って、繰り越せるよな……?)
頭の中では、すでに次の研究計画まで動き始めていた。
頬が緩みかけた瞬間、カイルは小さく咳払いを一つして表情を整える。
「……ありがとうございます」
そして、最初に取り組む研究についても結論が出る。
――まずはナイフから始めよう。
カイルが本当にアイアーベアの牙を刃物へ加工できるのか。
最初に、その方法と効果を証明することになった。
「まず、何が必要だ?」
アルフォンスに尋ねられ、カイルは間を置かず答えた。
「レンガの実と、シルバーハープです」
予想外の答えに、一同の表情が曇る。
どちらも森や川辺で当たり前のように見かける、ごくありふれた植物だった。
魔物素材の加工と聞けば、誰もが希少な鉱石や高価な薬草を思い浮かべる。
だからこそ、皆が耳を疑った。
「……本当に、そんなもので加工できるのか?」
疑問を口にしたのはジークだった。
カイルは少しも慌てず、楽しげに笑う。
「まあ、できるかどうかは見ていてください」
自信に満ちた返答を受け、アルフォンスは頷いた。
「ならば工房は城の施設を使いなさい」
指定されたのは、王城内に設けられた武具開発工房だった。
炉や金床、研磨設備が揃い、国の鍛冶師達が新たな武具の研究や試作を行うための施設である。
話が進む中、アルフォンスがバルドへ視線を向ける。
「バルド」
「はっ」
「しばらく、お前はカイルについてやれ」
予想もしなかった指名に、バルドが眉を上げた。
「……私がですか?」
「素材を採るため、森へ入ることもあるだろう。剣を振れる者がついていた方がいい」
「それは、まあ……そうですが」
護衛の必要性は理解できる。
とはいえ、訓練以外の時間まで付き合うことになるとは思っていなかった。
「訓練では、近衛騎士の新人と同じ扱いをしておるのだろう?」
「……はい」
「ならば、新人の面倒を見るのも近衛騎士長であるお前の役目だ」
正論だった。
それでもバルドは何か言いたげに口を開き、結局は諦めたように閉じる。
問題は、カイルだけではない。
研究が始まれば、癖の強い学者や鍛冶師達とも付き合わなければならない。
ただでさえ近衛騎士長として抱える仕事は山ほどあるというのに。
「無論、お前の負担ばかり増やすわけにはいかない。その間の業務は副騎士長達へ振り分ける」
アルフォンスが先回りして告げた。
そこまで言われてしまえば、バルドも渋々頷くしかない。
様子を見ていたカイルは、向かいの席で楽しそうに口元を隠した。
(巻き込まれたな)
声に出さなくとも、顔にはっきり表れている。
バルドは眉間へ皺を寄せた。
(まったく、嬉しそうにしやがって)
訓練が終われば、今度は工房。
下手をすれば休日まで潰されるかもしれない。
(こんなもの、時間外労働じゃねぇか……)
額へ手を当てるバルドへ、カイルは人前らしく猫を被った口調で声を掛けた。
「よろしくお願いします、見守り役様」
バルドは呆れたように眉をひそめる。
「お前、あまり俺を便利に使うなよ」
「まだ何もお願いしてませんよ?」
「これから頼む気はあるんだな?」
カイルはにこりと笑った。
「もちろんです」
迷いのない即答だった。
会議室のあちこちから笑いが漏れる。
バルドも呆れながら鼻を鳴らした。
「……頭が痛い」
言葉とは裏腹に、その声音に本気の嫌悪はない。
アルフォンスは、やり取りに口元を和らげると話を続けた。
「必要な材料は研究費から購入しなさい。ただし、支出内容だけはレオナルドへ報告すること」
「承知しました」
素直に答えたカイルが、ふと思い出したように口を開く。
「ちなみに、森へ採集に行く人間の手当ですが……森は危険ですし、危険手当のようなものは別で出ますか?」
レオナルドは顔も上げずに答えた。
「研究費の範囲内だ。そこから出しなさい」
カイルがわずかに肩を落とすと、レオナルドは書類へ目を落としたまま口元を緩める。
「もっとも、アイアーベアを倒した少年が、今さら森を危険と言うとは思わなかったがな」
「……いや、いつ何が出るか分かりませんし、もう少し――」
「却下だ」
即答だった。
会議室に小さな笑いが広がる。
(……ちっ)
カイルは心の中で盛大に舌打ちした。
それを見たバルドが鼻を鳴らす。
「金貨三十枚ももらっておいて、まだ国から取る気だったのか」
「聞くだけならタダでしょ」
「まったく、お前は」
レオナルドは二人のやり取りを聞き流しながら、必要事項だけを書き留めていく。
一通りの打ち合わせを終えたアルフォンスは、満足そうに頷いた。
「では、明日から研究を開始する。まずは必要な素材を集めるところからだ」
会議を締めようとした、その時だった。
「あっ」
クラウスが声を上げる。
「明日は授業も鍛錬もあるだろう? 夕方から森へ入るのは危険ではないか?」
「そうだな」
アルフォンスは軽く頷き、少し考え込む。
「無理をする必要はない。明後日は休日だったな。その日に、バルドと共に森へ向かいなさい」
「承知しました」
カイルは素直に頭を下げた。
向かいの席では、バルドが諦めたように背もたれへ身体を預けている。
「早速、休みが潰れた……」
ぼやきに、会議室の空気が少し和む。
カイルは口元を緩め、どこか楽しげに声を掛けた。
「バルド近衛騎士長。これも王国のためと思って、ぜひご協力ください」
にこやかな笑みを浮かべる姿は、まるで国の役人が人員を動員しているかのようだった。
まだ騎士学校の学生であることを忘れそうになる。
軽口を交わす二人を見て、アルフォンスは小さく笑った。
今日この場で形となったのは、武具開発だけではない。
同じ志を持つ者達が集う、新たな研究体制だった。
こうして、魔物へ対抗するための武具開発が正式に動き出した。




