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第42話 動き出す研究

それから数日。


バルドはカイルを様々な近衛騎士と手合わせさせた。


剣、槍、そして盾を組み合わせた戦い。


武器も戦い方も違う相手と何度も打ち合い、実戦さながらの経験を積ませていく。


その結果、カイルはバルドを含めた四人の近衛騎士に敗北した。


いずれも経験豊富な猛者ばかりだ。


逆に言えば、それ以外の若い世代では、もはやカイルを止められなくなっていた。


その中には、幼い頃からカイルを知るセドリックもいる。


昔は、一度も負けたことなどなかった。


今では、槍を打ち払われ、体勢を崩したところを押し切られ、膝をつく。


悔しさは相当だったのだろう。


以来、今度はセドリックの方から毎日のように手合わせを申し込むようになった。


熱意は自然と周囲にも伝わる。


学生に負けてなるものか。


そんな空気が近衛騎士たちの間へ広がり、素振りの回数まで目に見えて増え始めていた。


一方で、カイルもまた、ぶつかった壁の高さを思い知らされていた。


この日も訓練を終えて部屋へ戻るなり、ルークへ愚痴をこぼすように大きく息を吐いた。


「くそっ! またあの四天王に勝てなかった!」


「四天王って何すか……?」


「決まってんだろ。俺に勝つ四人だよ」


「物語の強敵みたいに言わないでくださいよ」


呆れるルークをよそに、カイルは木剣を握り直した。


次第に、夜の自主練が増えた。


「絶対勝つ」


近衛騎士との差を知った以上、剣を振る手を止めるつもりはない。


同時に、剣の製作へ向けた資料も読み進めたい。


鍛冶師ジークをはじめ、武具研究室の学者たちは毎日のように「いつ始めるんだ」とカイルを捕まえに来る。


それだけ興味を引く話をしてしまったのだろう。


ただ、冷静になって考えてみれば、勝手に学者と守秘義務契約を結び、研究を始めるわけにはいかなかった。


研究には人も金も動く。


しかも相手は王城の学者たちだ。


殿下へ話を通さず動けば、大きな問題になりかねない。


加えて、学生の自分が真剣を作りたいと言えば、危険だと反対される可能性も高く、下手をすれば騎士学校へ戻されるかもしれない。


せっかく知った、近衛騎士たちと毎日剣を交えられるこの環境だけは、もう手放したくなかった。


(まずは焦るな)


そう結論づけたカイルは、剣都で見つけた設計図を、先人が残した覚え書きとして一人で読み解くことにした。


とはいえ、素振りも欠かせない。


やりたいことが多すぎた。


そこで思いついたのが――。


「ルーク、読んでくれ」


「はいっす」


夜の中庭。


ランプの灯が揺れる中、カイルは木剣を振り続け、その横でルークが設計図や文献を読み上げる。


「『鍛造は七度折り返し、その後――』」


「もっと大きい声で!」


「『鍛造は七度折り返し、その後――!』」


木剣が夜気を切り裂く音と、ルークの声が静かな中庭へ重なって響く。


その光景に興味を引かれたクラウスまで加わった。


「待て待て。この”竜の涙”とは何だ?」


「まだ分かりません。多分、トカゲ系の魔物から採れる素材だとは思うんですが、後で整理します」


「なるほど!」


「はい、次!」


一人は剣を振り、一人は資料を読み、一人は疑問を挟む。


普通なら成り立たない光景だったが、本人たちは至って真剣だった。


「だぁぁっ! くそっ、足が滑った!」


「『焼き入れ後は――』」


「今なんて言った!? 全然聞こえねぇ」


「坊ちゃんが喋るからでしょ!」


「お前の声が小さいからだろ。もっと腹から声出せ!」


「逆ギレっすか!」


クラウスはとうとう吹き出した。


「はっはっは! 本当に君たちは飽きん!」


笑われたルークは、どこか悔しそうに紙を丸める。


「だったら聞き取りやすくしてやるっすよ」


書き留めるために持ってきていた紙を口元へ当てた。


即席の拡声器だ。


「『焼き入れ後は――!』」


声は見事に中庭いっぱいへ響き渡る。


「おぉ、聞きやすい」


カイルが満足そうに頷いた、その時だった。


「……何をやってんだ、お前たち」


低く響く声に三人が振り向く。


腕を組んだバルドが呆れ顔で立っていた。


今日の訓練報告を終えた帰りらしい。


カイルは木剣を肩へ担ぐと、にやりと笑う。


「秘密の特訓」


バルドは眉を上げた。


「秘密って。その割にはデカい声出して、全然隠れてねぇぞ」


「……確かに」


思わず吹き出すカイル。


ここ数日ですっかり打ち解け、今では軽口まで叩き合う仲になっていた。


本来なら近衛騎士長へこんな口を利くなどあり得ない。


それでも、誰よりも貪欲に強さを求めるカイルを、バルドは気に入っていた。


他の年長者には礼儀正しい。


それでいて、自分にだけは遠慮なく噛み付いてくる。


生意気なはずなのに、不思議と腹は立たず、どこか従兄弟の子を見ているようで、自然と面倒を見たくなってしまう。


そんなことを考えている間にも、ルークの読み上げは止まらない。


「『冷却してしばらくおき――』」


木剣を振る音と読み上げる声が夜の中庭へ響く中、バルドはふと夜空を見上げた。


城では、ぽつり、ぽつりと部屋の灯りが消え始めている。


「あと一時間で終われ」


「えー、もう少しいいだろ」


「駄目だ」


バルドは紙の拡声器を持つルークを指差した。


「原因はそいつだ」


「俺っすか?」


「うるさい。他の連中が眠れん」


カイルは苦笑しながら頷く。


「……分かったよ」


さすがに反論はできなかった。


三人は約束通り一時間で切り上げ、それぞれ部屋へ戻る。


それからも昼は訓練と座学。夜は特訓。


その合間を縫って、カイルは剣の資料を読み解き、クラウスと議論を重ねる日々を送っていた。


そんな様子を見守るうち、クラウスの胸には一つの疑問が膨らんでいく。


――なぜ、ここまで隠れなければならない。


カイルは反対されると思い、人目を避けて研究しようとしている。


だが、魔物へ対抗する武具の研究は、国にとって必要なものだ。


その研究を後ろめたいことのように進める現状が、どうしても納得できなかった。


「……一度、相談してみるか」


カイルには内緒だ。


後で怒られるかもしれない。


それでも、この少年の力になりたかった。


そう決心すると、クラウスは静かに執務棟へ向かった。


午後も傾き始め、西日が廊下を黄金色へ染めている。


クラウスは執務室の扉を叩いた。


「アルフォンス、少し相談がある」


その声音は珍しく真面目だった。


執務机で書類へ目を通していたアルフォンスが顔を上げる。


隣では補助机に座るレオナルドも手を止め、クラウスへ顔を向けた。


「どうした?」


クラウスは迷いなく切り出す。


「実は、カイル君と剣を作りたい」


「……何だと!?」


アルフォンスとレオナルドが思わず顔を見合わせる。


クラウスは構わず続けた。


「魔物へ対抗するためのナイフと剣が欲しいそうだ」


「魔物へ対抗する?」


「ああ。アイアーベア相手では真剣が折れたらしい」


アルフォンスはわずかに眉を寄せた。


「その話は聞いている」


大型魔物との戦いでは、現在の武具では力不足になる。


それは王国も長年抱え続けてきた課題だった。


「だから作るんだ。ナイフならすぐ試せると言っていた」


「ちなみに、そのナイフとは?」


「アイアーベアの牙だ」


執務室が静まり返る。


「……牙?」


「以前、狼型魔物の牙で小さな刃物も作ったそうだ。カイル君の話では、どんな鉄や鉱石より切れるらしい」


「……本当か!?」


アルフォンスの声が思わず大きくなる。


レオナルドも息を呑んだ。


「そんな加工まで出来るのですか……」


「だから面白い!」


クラウスは目を輝かせた。


「武具研究室の学者も、鍛冶師達も興味津々だ」


アルフォンスは嫌な予感を覚える。


「まさか、その者達まで巻き込むつもりではあるまいな」


「違う」


クラウスは首を横へ振った。


「向こうから参加したいと言ってきた」


「……何だと?」


レオナルドまで固まる。


騎士としての授業が始まる前日。


鍛冶師や学者達がカイルを取り囲み、質問攻めにしていたあの日だ。


(……あの時のことか)


ようやく合点がいった。


クラウスは胸を張る。


「だが、もちろん断ったぞ」


「断った?」


「守秘義務契約を結んだ者にしか、魔物素材については話せんからな」


当然と言わんばかりの口調だった。


「皆、私だけがカイル君と話しているのを羨ましがっておる」


アルフォンスは椅子へ深く身を預ける。


「……そんなことになっていたとは」


王国屈指の鍛冶師や武具研究室の学者までもが、一人の十六歳の少年へ興味を抱いている。


先日は近衛騎士達の食堂へ出向き、換気まで改善してみせた。


これまで騎士と学者が、ここまで自然に交わることなどほとんどなかった。


しかも、その中心にいる本人だけは、自分が何を起こしているのか全く気付いていない。


レオナルドがゆっくり口を開く。


「殿下。やはり、あの少年は放っておけません」


アルフォンスは小さく肩をすくめた。


「……私もそう思い始めている」


その言葉に、クラウスだけが満足そうに頷いた。


「そこでだ。夜だけ研究をしたい」


執務室が静まり返る。


クラウスは真っ直ぐアルフォンスを見つめた。


「国の研究も止められん。カイル君にも授業と鍛錬がある。だから夜の数時間だけ、剣の研究へ充てたい」


アルフォンスは腕を組み、しばらく黙って考え込む。


その様子を見たクラウスは、ゆっくりと言葉を続けた。


「もちろん、この研究内容を外へ公表することはできん。だが、自警団が魔物を森の奥へ押し返すだけのやり方では、いずれ限界が来る」


執務室に沈黙が落ちた。


「魔物は減らん。今の武具だけで、この先も王国を守り続けられるのか?」


アルフォンスは目を閉じ、しばらく考え込む。


「……確かにな」


長年、王族として国を見てきた実感が滲む声だった。


だが、そのまま静かに首を横へ振る。


「しかし、駄目だ」


クラウスが目を瞬かせる。


「何故だ?」


「カイルはまだ未成年だ」


アルフォンスは真っ直ぐ答えた。


「研究を始めれば、いずれ武器は完成する」


「……」


「あの子は必ず、それを使いたいと言い出す」


クラウスも思わず苦笑する。


「あの性格だからな」


アルフォンスも苦笑を返した。


だからこそ危険だった。


「王族として、未成年へ危険な武器を持たせるわけにはいかない」


執務室へ再び重い空気が流れる。


しかし、クラウスは珍しく引き下がらなかった。


「アルフォンス」


「何だ」


「誰も明日完成すると言っているわけではない」


アルフォンスは黙って耳を傾ける。


「研究にどれほど時間が掛かるかなど誰にも分からん。カイル君が成人する頃まで完成しない可能性もある」


クラウスは落ち着いた声で続けた。


「それに、研究することと使うことは別だ」


その一言で、アルフォンスの表情が変わる。


確かに研究だけなら、国の管理下で進められる。


完成したからといって、すぐ本人へ持たせる必要はない。


やがて長い沈黙の末、アルフォンスは決心したように口を開いた。


「……分かった。ただし条件がある」


「何だ?」


クラウスが身を乗り出す。


「本来の仕事に支障を出さないこと。そして何より、カイルの授業と鍛錬を最優先にすることだ」


「約束しよう」


クラウスは力強く言い切った。


アルフォンスはようやく肩の力を抜く。


「いい機会だ。あの子の言う通り、魔物を狩る組織を本気で作るなら、それに見合う武具も必要になる」


その言葉を待っていたように、クラウスがさらに一歩踏み出した。


「なら、研究費も国が出してくれるのだな?」


アルフォンスは思わず目を丸くする。


「……お前の口から金の話が出るとはな」


「研究には金が掛かる。カイル君に教えられた」


「ははっ……すっかり影響を受けているじゃないか」


思わず笑みが零れる。


だが、その表情はすぐに引き締まった。


相手はあのカイルだ。


研究が始まれば、どれほど費用が掛かるか分からない。


だからといって、国のための研究をいくら商売をしているからと、一人の学生に負担させるのも違う。


研究が国益へ繋がるなら、本来は国が支えるべきものだ。


アルフォンスは腕を組み、しばらく考え込んだ。


「一度、皆で話し合おう」


「話し合う?」


「ああ」


アルフォンスはゆっくり頷く。


「どんな研究をしたいのか。何が必要で、どれほど費用が掛かるのか。まずはそこを整理する」


「ふむ」


「見切り発車で予算は付けん。だが必要だと判断すれば、国として支援する」


クラウスの表情がぱっと明るくなった。


「分かった! では、カイル君へ話してこよう」


返事を待つこともなく、勢いよく執務室を飛び出していく。


閉まった扉を見つめながら、アルフォンスは小さく息を吐いた。


「……本当に、あの子は周りまで変えてしまう」


レオナルドも同意するように頷く。


「気付けば、皆が自分から集まっております」


「あぁ」


アルフォンスは小さく笑った。


「本人だけが、そのことに気付いておらんがな」


◇


クラウスは足早に近衛騎士棟へ向かった。


ちょうど座学が終わる時間だった。


廊下を落ち着きなく歩き回っていると、教室の扉が開き、教材を抱えたカイルとルークが姿を現す。


「カイル君!」


「あれ? クラウス先生」


「少し来てくれ」


人気の少ない廊下まで移動すると、クラウスは胸を張った。


「アルフォンスから許可をもらった」


「何のです?」


「ナイフと剣の研究だ」


空気が止まる。


カイルとルークは顔を見合わせた。


「「殿下に話したんですか!?」」


二人の声がぴたりと重なる。


「うむ」


クラウスは得意げに口元を緩めた。


「ちゃんと許可をもらった。夜の数時間だけだが、研究しても構わんそうだ」


カイルは目をぱちぱちと瞬かせた。


「それ、いいんですか?」


「だから許可をもらったと言っておるだろう」


どこか得意げだ。


「もちろん、研究費の話もしておいたぞ。必要だと判断すれば、国として支援するそうだ」


「本当ですか!?」


「ああ。だから一度、話し合いをしたいらしい」


カイルの目がぱっと輝く。


もう人目を忍ぶ必要はない。


王国最高峰の鍛冶師や学者と堂々と研究できる。


しかも、上手くいけば研究費まで国が負担してくれる。


(条件としては最高だ)


カイルの頭の中では、すでに話し合いの段取りが組み上がり始めていた。


「なら、まず必要な人員と予算を整理しましょう」


「人員?」


「鍛冶師や学者は何人必要か。素材は誰が用意するのか。それに完成した武器の所有権も決めないといけません」


クラウスは目を丸くする。


「もうそこまで考えているのか」


「最初に決めないと、後から必ず揉めます」


カイルは宙へ視線を向ける。


「……いや、他にもあるな」


何かを整理するように指先で空中をなぞる。


ルークが苦笑した。


「坊ちゃん、もう頭の中じゃ会議が始まってるっすね」


「当然だ」


迷いのない即答だった。


「なら、急がないと」


カイルはクラウスへ深々と頭を下げた。


「先生、ありがとうございます!」


満面の笑みを浮かべたカイルは、そのまま勢いよく踵を返す。


「殿下へ見せる資料を作ってきます!」


言うが早いか、廊下を駆け出す。


「ぼ、坊ちゃん! 待ってくださいっす!」


ルークも慌てて追い掛けていった。


二人の姿が角の向こうへ消えるまで見送り、クラウスは穏やかに目を細める。


(相談して正解だったな)


あれほど嬉しそうな顔を見られただけで十分だった。


◇


部屋へ戻るなり、カイルは机へ紙を広げ、殿下へ確認すべき項目を書き連ねていく。


「坊ちゃん、そんなにあるんすか?」


「最初が一番大事なんだ」


カイルは苦笑しながらペンを走らせる。


「せっかく作ったのに、『国が剣も技術も全部もらいます』なんてことになったら、たまったもんじゃねぇからな」


一拍置き、小さく笑う。


「それに、魔物素材を加工できる技術こそ、一番の財産だ。それまで全部手放す気はねぇ」


一通り書き終えたところで、カイルの手が止まる。


「……そうだ、もう一つ確認したいことがある」


紙をまとめ、立ち上がる。


「殿下のところへ行こう」


「今からっすか?」


「今だからだ」


気づけば夜の帳が下り、燭台の明かりが静かな廊下を照らしている。


この時間でも、殿下ならまだ執務机へ向かっているはずだ。


そう考えたカイルは、ルークを連れて執務棟へ向かった。


執務室の前では、今日の警護を担当する近衛騎士が二人、静かに立っていた。


その一人はセドリックだった。


「カイルか。どうした?」


「お疲れさん。殿下へ少し相談があってさ」


セドリックは怪訝そうに眉をひそめた。


「相談? どんな内容だ?」


カイルは口元へ人差し指を立て、にやりと笑う。


「秘密」


「……何だそれ」


セドリックは呆れたように息を吐いた。


「少し待ってろ」


軽く扉を叩いて中へ入り、ほどなく戻ってくる。


「入っていいそうだ」


「ありがとな」


二人は執務室へ足を踏み入れた。


アルフォンスは執務机で書類へ目を通し、その傍らではレオナルドが書類を整理している。


二人は同時に顔を上げた。


「こんな時間にすみません」


「構わん。どうした?」


カイルは一歩前へ出る。


「自警団の被害報告書を見せていただけませんか?」


アルフォンスは僅かに眉を上げた。


「理由を聞こう」


「剣を作るためです」


迷いのない返答だった。


「設計図だけを持って『必要です』と言っても説得力がありません。」


一度言葉を切る。


「実際にどんな被害が起きているのか。今の武器では何が足りないのか。それを自分の目で確かめて、根拠として殿下へお見せしたいんです」


執務室へ静寂が落ちる。


やがてアルフォンスは堪え切れず笑った。


「ははっ。それはまた、随分気合いが入っているな」


「当然です」


カイルも小さく笑う。


「どうせなら研究費に金貨を一枚でも多く出していただきたいので」


「結局そこか」


アルフォンスは肩をすくめる。


「ですが、そのくらい本気ということです」


冗談めいた笑みはすぐ消えた。


「中途半端な資料で、『お願いします』と言うつもりはありません」


その真っ直ぐな目に、アルフォンスは満足そうに頷く。


「いいだろう。その意気込み、見せてもらおう。レオナルド」


「はっ」


「自警団の被害報告書を見せてやってくれ」


「承知いたしました」


レオナルドは書棚から分厚い報告書の束を抱え、机へ並べた。


「ありがとうございます」


カイルはすぐ一冊目を開く。


「ルーク。俺が言うところを書き留めてくれ」


「了解っす」


ルークは紙とペンを取り出し、すぐに準備を整える。


一方、カイルは次々と資料をめくっていった。


ぱらり。


ぱらり。


初めて目にする自警団の被害記録。


だが、数ページ読んだだけで、その眉がわずかに寄る。


「……ん?」


思わず手が止まった。


『猪に似た魔物』


そう書かれているにもかかわらず、その後に記載された名称は狐型魔物になっている。


別の書類を開く。


「……これもか」


今度は、湿地を好む魔物が山岳地帯で確認されたことになっていた。


ページをめくるたび、違和感が積み重なっていく。


「こりゃ酷いな」


ルークも横から覗き込む。


「そんなに間違ってるんすか?」


「かなりな」


カイルは淡々と資料をめくり続けた。


「これじゃ、本当に危険な魔物も、被害の実態も見えてこねぇ」


少し離れた執務机では、アルフォンスが黙ってその様子を眺めていた。


(……やはり)


魔物を知らない者には、普通の報告書にしか見えない。


だが、実際に魔物と戦ってきた者には、多くの違和感が浮かび上がる。


(現場を知る者にしか見えないものがある)


その差を改めて実感していた。


「ルーク、この魔物の出現時期も書いといてくれ」


「了解っす」


ルークが手際よく書き留めていく。


その時だった。


『魔物避けの匂い袋が不足。追加支給を要請する』


その一文を見つけた瞬間、カイルの口元が僅かに吊り上がった。


「……ふっ」


小さく鼻で笑う。


数ページ戻り、提出者の署名へ目を落とした。


「……こいつ、怪しいな」


そこに記されていたのは、グラナード伯爵家。


幼い頃から叩き込まれてきた貴族家の知識が自然と頭に浮かぶ。


昔からダイヤの原石が採れる鉱山を所有し、王国内でも有数の資産を持つ伯爵家だ。


国内外へ大量に輸出し、荷馬車は日常的に国境を行き来している。


(積荷へ匂い袋を紛れ込ませるくらい、造作もねぇか)


旅の途中で抱いた違和感と、消えていく匂い袋の行方が、頭の中で一本の線になっていく。


(金持ちのくせに……まだ稼ぐつもりか)


「……グラナード伯爵家、か」


その呟きに、アルフォンスがゆっくり顔を上げる。


「何か気になるのか?」


「いえ、何でもありません」


そう言いながらも、カイルの目は書類に釘付けだった。


その様子を見たアルフォンスの脳裏へ、先日ヴァルディア商会のエルマーと交わした会話が蘇る。


――もし横流しをしていた者が分かれば、カイルは必ずやり返します。


あれから国でも秘密裏に調査を進めている。


そして、調査対象の中にはグラナード伯爵家も含まれていた。


アルフォンスは眉間を押さえた。


(しまったな……)


自警団の資料を見せたのは、少し軽率だったかもしれない。


一方のカイルは、そんなことなど知る由もない。


再び書類をめくり始める。


「ルーク、ここも」


「はいっす」


『匂い袋の追加支給を要請する』


同じ文言を見つけるたび、カイルは家名を指差し、ルークが手早く書き留めていく。


やがて数人の名前が並んだ。


カイルはその紙へじっと目を落とす。


そして小さく折り畳むと、何も言わず胸ポケットへしまった。


その一連の動きを見つめながら、アルフォンスは目を細めた。


(もう疑い始めているな)


まだ何も知らないはずなのに、報告書から疑うべき相手へ目を向け始めている。


このまま放っておけば、いずれ真実へ行き着くだろう。


(その前に、こちらで決着をつけねばならん)


アルフォンスはゆっくりと指を組む。


余計な火種だけは、この少年へ渡すわけにはいかなかった。

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