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第41話 近衛騎士長

近衛騎士が学生に負けるなど許されない。


バルドは木剣を構え、カイルを見据える。


「始め!」


声が掛かった瞬間、バルドが踏み込んだ。


重い。速い。迷いがない。


力任せではない。


一歩ごとに逃げ場を奪い、受ければ押し潰されるような圧力があった。


カイルは、繰り出される剣筋へ頭をフル回転させる。


(……親父とは違う)


ラインハルトの剣が、無駄を極限まで削ぎ落とした完成形だとすれば――


バルドの剣は、幾度もの実戦を勝ち抜くために磨き上げられた剣だった。


力が強い。


けれど、それだけじゃない。


一歩踏み込むたび、間合いが狂う。


足運び一つで相手の判断を鈍らせ、気付けば自分の間合いへ引きずり込まれている。


カイルは紙一重で木剣をかわしながら、その足運びだけを追った。


一歩、二歩、三歩。


打ち合うほどに、少しずつ規則性が見えてくる。


(……なるほど、そういうことか)


力任せに攻めているようで違う。


足で間合いを支配し、相手へ「ここなら届く」と錯覚させているのだ。


(なら――)


カイルも一歩踏み込む。


間合いを奪い返そうとした、その瞬間だった。


死角から滑り込むように、バルドの木剣が腹へめり込む。


ゴッ!!


「ぐはっ……!」


息が一気に押し出され、カイルの口から血が飛んだ。


身体がくの字に折れ、膝が折れかける。


周囲の騎士たちが息をのんだ。


(決まった――)


誰もがそう思った。


近衛騎士長バルド。


その実力を改めて見せつける一撃だった。


それでも、カイルは倒れない。


数歩後ろへ弾き飛ばされながらも、木剣を地面へ突き立て、崩れそうになる身体を力任せに支える。


荒く息を吐きながら、それでもなお足は地面を離さなかった。


口の中へ溜まった血をぺっと吐き捨てた。


そして、俯いていた顔がゆっくりと上がる。


その瞳が、ぎらりと鋭く光った。


さっきまでとは空気が違う。


強敵を前にした剣士の本能が、歓喜に震えていた。


「……っ、はは」


思わず笑いが込み上げる。


「流石……強ぇな、アンタ……!」


カイルは口元を吊り上げたまま、ゆっくりと木剣を構え直す。


「面白ぇ……!」


次の瞬間、カイルの動きは一変した。


教本通りの構えは崩れ、踏み込みは不規則に、刃筋は荒々しく、だが的確に突いてくる。


「っ……!」


バルドはその攻めを真正面から受け止めながら、内心で舌を巻く。


(なんだ……こいつは)


速さだけじゃない。


力だけでもない。


殺し合いを前提にした剣。


木剣越しにも、それがはっきりと伝わってくる。


一歩、また一歩と押されながら、バルドは確信した。


(こいつ……騎士学校のガキじゃない)


いや。


(……怪物だ)


バルドの口元が、歪んで笑う。


「なるほどな……」


木剣を構え直し、さらに一段、力を込める。


「――本気で来い、坊主」


それは挑発であり、同時に騎士としての最大級の評価だった。


訓練場に、再び剣がぶつかる音が響く。


その中心で、完璧な騎士の仮面を脱ぎ捨てた少年が、初めて“本当の戦い”を楽しんでいた。


周囲の騎士たちは、いつの間にか言葉を失っていた。


誰もが息を呑み、目を逸らすことすら忘れている。


――学生相手に、ここまでやるのか。


――いや、それ以上だ。


カイルの動きは、もはや若い騎士見習いの域を超えていた。


無駄がなく、躊躇がなく、何より――相手の癖を読むのが異様に早い。


「……っ」


バルドの重心や踏み込み、肩の入りがわずかに変わった瞬間、カイルの動きも変わる。


さっきまで見切るだけだった足運びを、今度は真似るように半歩踏み込んだ。


受けるのではなく、流す。


そして次の一手を、もう組み立てている。


(吸収してやがる……)


バルドは、喉を鳴らした。


しかし――


「……いいぞ。だが、なめるなよ!」


バルドの低い声とともに、空気が変わった。


剣速が、明確に一段上がる。


力ではない。


経験だ。


数えきれない死線を越え、積み重ねた本物の騎士の重み。


カイルは、一瞬遅れた。


修正は間に合う。


その間を、バルドは逃さない。


木剣がぶつかり合い、乾いた音が弾ける。


次の瞬間――


カイルの手から、木剣が弧を描いて宙を舞った。


「っ!」


カイルは迷わず飛び込み、手を伸ばす。


(まだ終わってねぇ。拾えれば、まだ戦える!)


あと少し。


けれど、指先は柄へ届かない。


カラン……。


乾いた音を立て、木剣が石畳へ落ちる。


カイルの身体は石畳を転がり、ようやく止まった。


訓練着が汚れることなど、もうどうでもよかった。


その泥臭い姿へ、周囲の騎士たちは思わず息をのむ。


学生らしい意地ではない。


勝ちにしがみつく、一人の剣士の執念だった。


バルドもまた、僅かに目を見開く。


(……最後まで諦めねぇか)


起き上がったカイルは木剣を掴み取り、苦しげに息を吐く。


「……くそっ」


そして歩み寄ると、バルドの前へ静かに膝をついた。


「……参りました」


訓練場は静まり返り、誰もすぐには声を出せなかった。


勝負は終わった。


悔しさはあるが、それ以上に納得があった。


バルドは木剣を肩へ担ぎ、小さく息を吐く。


(学生相手に、ここまで本気で木剣を振ったのはいつ以来だ)


途中から手加減など考える余裕はなかった。


一瞬でも気を抜けば、この少年は喉元まで届いてきた。


それが何より恐ろしく、そして――たまらなく面白かった。


バルドは、ふっと吹き出した。


やがて堪え切れなくなったように、豪快に笑い出す。


「ははははっ! せっかくの綺麗な顔を汚してまで、弾かれた木剣を追い掛ける奴なんざ初めて見たぞ!」


訓練場にも笑いが広がる。


バルドは笑みを浮かべたまま、膝をつくカイルへ手を差し出した。


「気に入った」


「……っ」


カイルも小さく笑い、その手を掴む。


力強く引き上げられ、立ち上がると、バルドは満足そうに頷いた。


「お前、根性あるな」


そう言うと、大きな手でカイルの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫で回す。


「ちょっ、やめろって」


腹へ受けた一撃の痛みで、もう敬語を取り繕う余裕など残っていなかった。


カイルは顔をしかめ、その手を払いのける。


「髪ぐしゃぐしゃになるだろ!」


バルドは一瞬きょとんと目を丸くしたが、すぐに口元を吊り上げた。


「はっ……お前、猫かぶってやがったな。さっきまでの丁寧な喋り方はどうした?」


カイルはギロリと睨みつける。


「……うるせぇな」


「ははっ! そっちの方がお前らしいじゃねぇか!」


そう言って、もう一度カイルの頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。


「だから、やめろって!」


「ははっ! 別にいいだろ」


「良くねぇよ! お前みたいなゴリラと違って、こっちは朝からちゃんと整えてるんだ!」


「なっ!? 誰がゴリラだ!」


バシッ!


遠慮のない手刀がカイルの頭へ落ちる。


「いってぇ! ゴリラに叩かれた!」


「だから誰がゴリラだ!!」


再び怒鳴るバルドに、訓練場は一瞬静まり――


次の瞬間、どっと笑いが弾けた。


「ははははっ!」


「騎士長、完全に懐かれてるじゃないですか!」


「あんな口を利く学生は、初めて見たな!」


訓練場は笑いに包まれた。


セドリックも珍しく口元を緩めていた。


昔からそうだった。


自分にもアレンにも敵わず、それでも翌日には木剣を担いで挑みに来る。


負ければ誰よりも悔しがり、日が暮れるまで素振りを続ける。


「今日は勝つからな!」


——あいつは昔から変わらない。


「……馬鹿だな、本当」


小さく漏らしたその呟きは、どこか呆れたようで、それでいて少しだけ嬉しそうでもあった。


訓練が終わり、部屋へ戻る頃には、カイルの身体は見るからに満身創痍だった。


訓練着は汗と埃でくたびれ、腕や腹には、木剣で打たれた痕が赤黒く残っている。


歩けてはいるが、その足取りはさすがに重い。


「……坊ちゃん、やり過ぎっす」


ルークが呆れ半分、心配半分に言う。


カイルはソファへ身体を投げ出し、天井を睨みながら悪態をついた。


「くそ……あのゴリラ……マジで強ぇじゃねぇか……。あの足運び、一瞬、間合いが消えるんだよ……」


その指先は、もう次の戦いをなぞるように動いていた。


ルークは肩をすくめ、傷薬の瓶を開ける。


「はいはい。次は勝てるように、今は大人しくしてください。動かないでくださいよ」


「おい、ちょ――痛っ!!」


薬が塗られた瞬間、カイルが声を上げた。


「てめぇ、もうちょい優しくできねぇのかよ!」


「我慢してくださいっす。これでも優しくやってますからね?」


ルークは慣れた手つきで傷を処置していく。


カイルが上着をまくると、その表情が強張った。


「うわっ……坊ちゃん、これ一回、治癒師に診てもらった方がいいっすよ」


腹へ受けた一撃の痕は、赤黒く大きく腫れ上がっている。


「平気だ」


カイルは腫れた腹へ軽く触れ、小さく頷いた。


「骨まではいってねぇ」


「いや、そんなの見ただけで分かるもんじゃないっす!」


「大丈夫だって。それより急げ」


「え?」


「朝食に遅れたら飯が冷める」


「……そこっすか」


ルークは呆れたようにため息をついた。


「いいっすか。痛みが酷くなったら、ちゃんと言ってくださいよ?」


「ああ、分かった」


返事をすると、カイルは汗を拭き、私服に着替える。


朝食の後は座学が待っている。


準備を終えた二人は部屋を出た。


すると、廊下には一人の騎士が壁へ寄り掛かるように立っていた。


「……鈴男?」


「そのあだ名やめろ」


ぶっきらぼうに返しながら、セドリックはカイルの腹へ視線を向ける。


「……傷は?」


「手当てした」


「そうか……」


そう答えると、セドリックは小さく息を吐く。


手にしていた薬瓶を、何事もなかったようにそのまま自分のポケットへしまおうとした。


その動きを、カイルは見逃さない。


「……ん?」


口元がにやりと吊り上がる。


「もしかして、それ俺に持ってきてくれたのか?」


「ち、違う!」


セドリックは慌てて薬瓶を押さえる。


「騎士長が『持って行け』って言っただけだ!」


「へぇ?」


どう見ても嘘だった。


カイルは笑いながら薬瓶をひょいとひったくる。


「あっ、おい!」


「ありがとな」


そう言って薬瓶を軽く振って見せると、セドリックは気まずそうに顔を背けた。


「……クソが」


「ははっ」


カイルは堪え切れず笑い出す。


「お前、優しいとこあるよな」


「うるせぇんだよ!」


セドリックは顔を真っ赤にして怒鳴る。


「それより、さっさと朝食に行くぞ」


「……えっ?」


カイルはきょとんと目を瞬かせた。


「俺たち、学者棟の食堂で食うんじゃないのか?」


セドリックは呆れたようにため息をつく。


「今日からは近衛騎士用の食堂だ」


「違うのか?」


「当たり前だ」


セドリックは歩き出しながら振り返る。


「学者と騎士じゃ、必要なもんが違う。身体を動かす俺たちは、それに合わせた食事になってる」


「へぇ」


どうやら、頭脳労働を担う学者たちと、日々鍛錬を重ねる騎士たちでは、食事の内容まで分けられているらしい。


「そりゃ楽しみだ」


カイルとルークは自然と足取りを軽くし、セドリックの後を追った。


やがて一行は、近衛騎士たちの食堂へ辿り着いた。


扉を開けた瞬間、カイルは思わず眉をひそめる。


「……うっ」


学者棟の食堂とは空気がまるで違った。


汗の染み付いたような匂いが漂い、吹き抜けもない石造りの空間には、無骨な机と長椅子が規則正しく並び、どこか息苦しささえ感じさせる。


辺りを見回したカイルは、小さく呟いた。


「……ここ、牢獄の食堂か?」


「アホなこと言うな。すぐ慣れる」


セドリックはあっさりと言い切る。


「最悪だな……こんな中で飯食うのかよ……」


肩を落としながら食堂を見回したカイルは、料理を盛っていた給仕の女性へ歩み寄った。


「すみません。この食堂の責任者の方はいらっしゃいますか?」


「はい?」


「少し、お話ししたいことがありまして」


給仕の女性は一瞬きょとんとしたものの、


「少々お待ちください」


と頭を下げ、奥へ向かう。


その様子を見ていたセドリックは眉をひそめた。


「何やってんだ、お前?」


「いいから、先に食ってろ」


短く答えたカイルは、その場で責任者を待つ。


セドリックは首を傾げながらも追及はせず、料理を受け取って席へ着いた。


やがて現れた男と、カイルは何やら話し始める。


男は何度も頷きながら耳を傾け、話が終わるとカイルは軽く頭を下げ、そのままルークを連れて食堂を後にした。


その背中を見送りながら、セドリックは呆れたように鼻を鳴らす。


「……文句だけ言って帰ったのか、あいつ」


匂いが気に入らなかったのだろう。


(これくらい我慢できねぇようじゃ、騎士になってから苦労するぞ)


そう思いながら、朝食へ手を伸ばした。


◇


一方その頃、カイルは学者棟へ向かっていた。


「建築学者の先生は……っと」


目的の人物を見つけると、食堂の空気が籠もりやすいことを説明し、


「例えば、布みたいなものを窓へ付けて、風は通しながら虫だけ防ぐことってできますか?」


と意見を求めた。


聞き終えた建築学者は興味深そうに頷いた。


「なるほど。換気ですか」


「はい。風は通して、虫は減らしたいんです」


「……面白い」


その一言で、周囲にいた建築学者たちも集まってくる。


「まず木枠を作り、そこへ布を紐で結び付けましょう。汚れたら布だけ解いて洗い、また結べば済みます」


「ふむ。木枠は窓枠へ固定してしまえばいいですな」


学者たちは次々と意見を出し合い、あっという間に形にしていく。


その様子を見届けると、カイルは今度はクラウスの研究室へ向かう。


「クラウス先生!」


「どうしたカイル君」


「匂いを和らげる薬草、何かありませんか?」


クラウスは少し考え込み、棚から数種類の乾燥した薬草を取り出した。


「これはミント。こちらは爽風草だ。香りは穏やかだが、空気を爽やかに感じさせる」


「十分です!」


興味を引かれたクラウスは楽しそうに立ち上がる。


「面白そうだ。私も行こう」


「ありがとうございます」


建築学者たちも準備を整え、一行は再び近衛騎士団の食堂へ向かった。


◇


しばらくして、カイルは再び姿を現した。


その後ろには建築学者や自然学者クラウスをはじめ、数人の学者たちがぞろぞろと続いている。


「……何だ?」


「学者が何でここに?」


食事中だった近衛騎士たちは手を止め、不思議そうにその一団を見つめた。


セドリックも思わず眉をひそめる。


(あいつ……今度は何を始める気だ?)


食堂中の視線が集まる中、建築学者は迷いなく窓際へ歩み寄った。


「では、始めましょう」


持ち込んだ木枠を窓へ合わせる。


トントン、カン、カン。


城の窓は用途ごとに規格が決められているらしく、学者たちはあらかじめ同じ寸法の木枠を用意してきていた。


取り付けは、ものの数分で終わった。


一方、クラウスはルークと共に薬草を小さな布袋へ詰め、柱や壁際へ吊るしていく。


その様子を見守っていた責任者が、不思議そうに首を傾げた。


「これで、本当に変わるんですか?」


「すぐ分かりますよ」


カイルが窓を開ける。


学者たちは固定した木枠へ、濡らした布を紐で手早く結び付けていく。


ふわり、と布を抜けた風が食堂を吹き抜け、籠もっていた熱気と汗の匂いを少しずつ押し流していく。


「……おお」


食堂長が思わず声を漏らす。


薬草の穏やかな香りも混ざり、淀んでいた空気はみるみる心地よいものへ変わっていった。


カイルは布へ軽く触れながら説明する。


「布は定期的に洗い、水へ浸して掛け直してください。少し手間は掛かりますが、それだけで空気はかなり変わるはずです」


窓際へ集まった給仕たちも風を受け、嬉しそうに顔を見合わせた。


「すごい……!」


「さっきまでと全然違う!」


「これくらいなら毎日でもやります!」


食堂長も満足そうに頷く。


「これなら皆が気持ちよく食事できますな」


近衛騎士たちも驚いたように辺りを見回した。


「同じ食堂とは思えねぇな」


空気が変わるだけで、食事まで美味しく感じられる。


カイルは食堂長と給仕たちへ微笑んだ。


「皆さんが毎日一生懸命作ってくれる料理です。せっかくなら、最後まで気持ちよく食べてもらいたいじゃないですか」


その言葉に給仕たちは顔を見合わせる。


誰一人、そんなことを気に掛けてくれた人はいなかった。


「……ありがとう」


食堂長も目を細めた。


「本当に助かりました」


少し離れた席では、セドリックも改めてパンを口へ運ぶ。


食べられれば、それでいい。


ずっとそう思ってきた。


だが、風が吹き抜けるだけで食事はこんなにも違って感じるものなのか。


小さく鼻を鳴らす。


(……悔しいが、あいつの言う通りだな)


周囲の近衛騎士たちも感心したように囁き合う。


「剣だけじゃねぇな。こういうことまで考えるのか」


「……面白い学生が来たもんだ」


食堂には、先ほどまでとは違う心地よい風が流れていた。


一仕事を終えたカイルとルークは顔を見合わせた。


「じゃあ、改めて飯だ」


「腹ぺこっす!」


二人は料理を受け取りに向かう。


すると給仕の女性がにっこり笑い、大きな肉をカイルの皿へどんと載せた。


「はい、お礼ね!」


「えっ、いいんですか?」


「もちろんさ。助かったからね」


別の女性もルークの皿へ肉を載せる。


「アンタもいっぱい食べな」


「やったっす!」


山盛りの皿を見て顔を見合わせた二人は、思わず笑みをこぼした。


「今日は当たりだな」


「最高っす!」


そのまま先に食事を始めていたセドリックの向かいへ腰を下ろす。


山盛りの皿を見たセドリックは、呆れたように鼻を鳴らした。


「お前、次から次へとよく動くな」


「飯は毎日の楽しみだからな」


カイルは肉へかぶりつきながら、不意に何かを思いついたように口元を緩める。


「……待てよ」


「どうしたんすか?」


ルークが首を傾げる。


「この布に虫除けの薬草を染み込ませたら……売れそうだな」


「また商売っすか」


「絶対需要あるぞ。あとで先生たちに相談してみよう」


「まだやるんすか……」


ルークは苦笑しながら肉を頬張る。


向かいのセドリックは眉をひそめた。


「……何の話だ、それ」


「内緒」


悪戯っぽく笑うカイルに、セドリックは呆れたように肩をすくめる。


「だから、お前はいつも意味分かんねぇんだよ」


そう言って考えることを放棄したように、パンへかぶりついた。


その時だった。


「坊ちゃん!」


時計を見たルークが顔色を変える。


「急がないと座学が始まるっす!」


「……やべっ!」


カイルは慌てて肉へかぶりつき、二人は夢中で朝食をかき込んだ。


その慌ただしい様子に、近衛騎士たちから思わず笑いが漏れる。


さっきまで淀んでいた食堂には、爽やかな風と穏やかな笑い声が流れていた。


◇


その頃、アルフォンス殿下は執務室で、ゆっくりと紅茶のカップを置いた。


「……バルド」


名を呼ばれ、近衛騎士長は一歩前へ出て片膝をつく。


「はっ」


「カイルは、どうだった?」


短い問いだったが、その声音には期待が滲んでいた。


バルドは一瞬視線を伏せ、言葉を選ぶように息を吐く。


やがて、率直な思いを口にした。


「正直に申しますと……恐ろしい、ですな」


「ほう」


「十六歳で、あの動き。あの判断力。それでまだ騎士の称号すら持っておりません」


一拍置き、静かに続ける。


「あれが正式な騎士となり、さらに経験を積めば……そう思うだけで背筋が寒くなります」


アルフォンス殿下は、どこか楽しそうに目を細めた。


ラインハルトも幼い頃は神童と呼ばれた。


その剣才を息子が受け継いでいても不思議ではない。


——だが、それだけでは説明がつかなかった。


(魔物という予測不能な相手との実戦が、あの子の剣をさらに磨き上げているのだろう)


そんな予感が、アルフォンスの中にはあった。


「やはり、普通の騎士とは違うか?」


「はい」


バルドは迷わず頷く。


「新人や中堅と打ち合っていた時は、実に見事でした。


構え、間合い、踏み込み。


教本へ載せるなら、まさにああいう剣だと言いたくなるほどです」


「ふむ。それで?」


「……私が腹へ一撃入れてからです」


その声が少しだけ低くなる。


「あの瞬間から、まるで別人でした」


ゆっくりと言葉を選びながら続ける。


「動きが荒くなったのではありません。


むしろ逆です。


私を完全に"敵"として認識し、観察し、その場で答えを出してきた」


バルドは訓練を思い返すように、自分の腹へ軽く手を当てた。


「あの場で油断していれば……やられていたのは、私だったかもしれません」


その報告に、アルフォンス殿下は小さく笑う。


「ふふ……やはりな」


アルフォンス殿下は紅茶の揺れる水面を眺め、小さく口元を緩める。


「伊達に"魔物を狩る騎士になりたい"などと言っているわけではない、ということか」


そう呟くと、殿下は再び紅茶へ口をつけた。


静かにカップを置き、改めてバルドを見る。


「バルド」


「はっ」


「――あの子を、強くしてやってくれ」


迷いのない命令だった。


バルドは思わず苦笑を浮かべる。


「……あれ以上、ですか?」


「当然だ」


アルフォンス殿下は愉快そうに肩をすくめた。


「この城へ迎えた以上、ただ才能があるだけで終わらせるつもりはない。


魔物を狩る騎士になると言うのなら……その器へ育てねばな」


バルドは深く頭を下げる。


「承知しました。……ですが、殿下」


「ん?」


「育てるというより、こちらが振り落とされぬよう必死になることになりそうです」


その言葉に、アルフォンス殿下は堪え切れず笑った。


「ははっ! それでいい」


笑みを残したまま、窓の外へ視線を向ける。


「――いずれ本物の魔物と対峙した時、あの子はどんな景色を見せてくれるのだろうな」


アルフォンスの楽しみが、また一つ増えた。

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