第40話 近衛騎士団訓練
翌朝、まだ空が白み始めたばかりの頃。
騎士の朝は早い。
ルークに起こされたカイルは訓練着へ袖を通し、腰へ木剣を差した。
柄を握る掌へ馴染む感触と、腰へ伝わる程よい重みを確かめる。
それだけで、不思議なくらい気持ちが引き締まっていく。
やはり、この重みが一番しっくりくる。
「水筒、汗拭き用の布、筆記用具……よし。坊ちゃん、準備できました」
「ああ、行こう」
二人が部屋を出ると、朝露を含んだ澄んだ空気が頬を撫でた。
訓練場へ続く道にはすでに多くの騎士が集まり始めており、身体をほぐすように汗を流す者もいれば、武具を磨きながら静かに集中を高める者もいる。
誰も無駄口を叩かず、それぞれが鍛錬へ向けて淡々と支度を整えていた。
張り詰めた空気は騎士学校とは明らかに違っていた。
カイルは自然と背筋を伸ばし、すれ違う騎士たちへ一人ずつ丁寧に頭を下げる。
「おはようございます」
学生のほうから緊張する様子もなく丁寧に挨拶されるとは思っていなかったのだろう。
近衛騎士たちは一瞬だけ目を丸くし、顔を見合わせる者もいたが、
「……お、おはよう」
「ああ、おはよう」
と、少し戸惑いながらも次々に挨拶を返していく。
少し離れた場所で眺めていた近衛騎士長バルドは、口元をニヤリと歪めた。
「どうやら逃げずに訓練へ来たみたいだな」
周囲の騎士たちから苦笑が漏れる。
(……朝から感じ悪いゴリラだな)
内心でだけ小さく毒づきながらも、それを表情へ出すことはない。
どうやらこの男は相当自分を目の敵にしているらしい。
それでも、怯むほど柔な性格でもなかった。
「おはようございます」
嫌味へ嫌味で返すことはせず、改めて一礼する。
まずはこの場所の空気を読み、余計な波風は立てない。
そう考えていた矢先だった。
突然、背後から首元をぐいっと掴まれる。
「うわっ!」
思わず情けない声が漏れ、体勢が崩れかける。
反射的に振り返ると、短く刈り込まれた赤髪と鋭い目つきが飛び込んできた。
「……あれ?」
そこへ立っていたのは、長男アレンの騎士学校時代の学友でもあるセドリックだった。
懐かしい顔に、思わず笑みが浮かぶ。
「鈴男じゃん」
「その変なあだ名で呼ぶな!!」
それは、兄アレンのもとへ遊びに来ていたセドリックの槍へ、幼い頃のカイルが悪戯で、簡単には外せないよう何重にも鈴を結び付けたことから生まれたあだ名だった。
槍を振るたび、チリンチリンと鈴が鳴る。
結局最後まで鈴は外せず、そのまま兄アレンと手合わせをする羽目になった。
面白がったアレンが騎士学校でも「鈴男」と呼び始めたことで、そのあだ名は瞬く間に広まり、セドリックは半年近く「鈴男」と呼ばれ続けた。
普段は寡黙なセドリックが顔を真っ赤にして怒鳴ったものだから、その場にいた騎士たちは一斉に目を丸くした。
バルドでさえ僅かに眉を上げる。
「……鈴男?」
事情を知らない騎士たちは顔を見合わせるばかりだ。
そんな周囲とは対照的に、カイルだけは堪え切れず吹き出した。
「ははっ、久しぶりだな」
額へ青筋を浮かべたセドリックは、勢いよくカイルの胸ぐらを掴み上げた。
「お前が何でここにいるんだ!?」
周囲の騎士たちが思わず目を丸くする。
だが、当のカイルは慌てるどころか、得意そうに胸を張った。
「ここで学ぶことになったんだ。俺は優秀だからな」
「嘘つけ!!」
即座に怒鳴り返す。
「どうせ団長の力だろ! 親父のコネで遊びにきただけだろ?」
「違ぇし。そんなんじゃねぇよ」
「信じられるか!」
「勝手に信じなきゃいいだろ。それより――」
胸ぐらを掴む手へ視線を落としたカイルは、そのまま静かに相手を見据えた。
「絡んでくんな」
空気がぴんと張り詰める。
セドリックの眉がぴくりと動き、胸ぐらを掴む手へさらに力がこもった。
「なんだと――」
低く唸るような声が漏れた、その瞬間。
「そこまでだ」
低く響いた一言が二人の間を断ち切る。
二人へ向けられたバルドの視線は鋭く、それだけで場の空気が一変した。
「お前ら、顔見知りか」
「まぁ、昔からの腐れ縁です」
カイルが苦笑交じりに答えると、セドリックは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「そうか。だが、ここは喧嘩をする場所じゃない。私情を持ち込むことも許さん」
短い叱責だったが、それで十分だった。
セドリックは悔しげに舌打ちしながらも手を放し、カイルも乱れた襟元を軽く整えるだけで、それ以上何も言い返そうとはしない。
二人を見比べたバルドは、どこか愉快そうに口角を吊り上げた。
「その元気は訓練で使え」
そう言うと、訓練場全体へ響き渡る声で命じる。
「全員、集合!」
バルドの一声で訓練場にいた騎士たちが素早く集まり、整列する。
全員が揃ったことを確認すると、バルドは隣へ立つカイルを顎で示した。
「今日からしばらく、ラインハルト団長のご子息が訓練へ加わる。自己紹介をしろ」
騎士たちの視線が一斉にカイルへ集まる。
「カイル・フォン・グランツです。よろしくお願いします」
カイルが一礼すると、珍しそうに見る者や「よろしく」と声を返す者もいる。
バルドは騎士たちを見渡し、続ける。
「言っておくが、ここでは団長の息子だろうが、学生だろうが関係ない。特別扱いは一切せん」
そこでニヤリと口元を歪める。
「ただし、顔だけは傷つけるな。顔のいい騎士候補生だからな」
訓練場に小さな笑いが広がる。
バルドは意地の悪い笑みを浮かべたまま、カイルへ視線を向けた。
(……このおっさん、美男子に何かされたのか?)
妙な恨みの深さに、カイルは心の中で苦笑する。
「よし! 始めるぞ! まずは走り込みだ!」
一声で騎士たちの空気が切り替わる。
誰一人文句を言うことなく隊列を整え始め、カイルもすぐ最後尾へ加わった。
幼い頃からグランツ家を警護する私兵たちへ混じって鍛えられ、騎士学校でも走り込みでは常に余裕を持って上位へ食い込んできた。
持久力にも脚力にも、それなりの自信はある。
だが、近衛騎士たちとの違いは走り始めてすぐに思い知らされた。
速い。
しかも、その速度がまったく落ちない。
一定の歩幅と呼吸を保ったまま、近衛騎士たちは淡々と石畳を蹴って距離を重ねていく。
無理に飛ばしているのではない。
身体へ染み付いた速度だからこそ、この速さを維持できるのだろう。
開始早々から息は熱を帯び始めたが、カイルは顔を上げたまま先頭集団を見据える。
近衛騎士たちの走りを目で追いながら、足の運び方や腕の振り、重心移動まで一つひとつ確かめていく。
速さの理由は脚力だけではないはずだ。
そう考えながら観察を続けるうちに、一つの共通点へ気付いた。
(……そういうことか)
余計な上下動を抑え、身体全体を前へ運ぶことへ徹しているから、この速度でも無駄なく走り続けられるのだ。
気付いたことをすぐ自分の走りへ反映する。
その変化はすぐに現れた。
苦しさは残るものの身体の動きは少しずつ洗練されていく。
商売でも交渉でもない。
純粋に身体ひとつで競い合う時間など、いつ以来だろう。
胸の奥から高揚感が込み上げ、気付けば口元がわずかに緩んでいた。
前方の騎士が、そんなカイルへ気付いて小さく振り返る。
「……なかなか着いてくるな」
風へ溶けるような呟きだった。
呼吸は確かに荒れ始めている。
それでも苦しそうな顔ひとつ見せず走り続ける学生へ、近衛騎士たちの見方は少しずつ変わり始めていた。
先頭を走るバルドの隣まで部下が駆け寄る。
「騎士長、少し上げますか?」
バルドは後方を一瞥すると、不敵な笑みを浮かべた。
「あぁ、そうだな」
返事を合図に隊列全体の速度が変わる。
石畳を蹴る音が一段鋭くなり、呼吸もさらに速まった。
「……っ!」
カイルは奥歯を噛み締める。
(あの野郎……)
振り落とすつもりだ。
そう理解した瞬間、胸の奥で闘志が静かに燃え上がった。
負けたくない。
その思いだけで足へ力を込める。
無駄な動きを削り、前を走る騎士の背中だけを見据えて一歩ずつ距離を詰めていく。
やがて、その横へ気付けば並んでいた。
カイルは爽やかな笑みを浮かべた。
「速いですね。正直、着いていけそうにありません」
そんなことを言いながら、足はまったく遅れていない。
むしろ横へ並んだまま同じ速度で走っている。
騎士たちの間へざわめきが広がった。
「おい……並んでるぞ」
「冗談だろ」
誰かが思わず吹き出しながら叫ぶ。
「騎士長! もっと上げてください!」
その声を聞いたバルドは喉の奥で小さく笑った。
いつの間にか基礎訓練は、学生を振り落とせるかどうかの意地比べへ変わっていた。
何周走ったのかも分からないまま速度は上がり続け、ようやく終了の声が掛かる。
足を止めると、その場へ膝をついて荒く息を吐く騎士も少なくない。
カイルも肩で息をしながら額の汗を拭った。
そして息が整うのを待つことなくバルドへ視線を向けた。
「……次は何ですか?」
ふくらはぎは張り、呼吸もまだ乱れている。
それでも、その目から挑む気配は消えていなかった。
バルドは同じように息を整えながら、その問いへ面白そうに口元を歪める。
「……次は手合わせだ」
周囲の騎士たちが一斉に目を見開いた。
「ちょ、ちょっと待ってください、騎士長!」
「いつもは素振りからですよ!」
息も整っていない状態でいきなり手合わせへ移るなど、普段の訓練ではあり得ない。
明らかに順番を飛ばした指示だったが、バルドは意に介した様子もなく鼻を鳴らす。
「さっさと立て。実戦じゃ休憩なんてくれん」
視線は真っ直ぐカイルへ向けられていた。
ここから先は、お前のような学生が通用する世界じゃない。
そう言わんばかりの鋭い眼差しに、カイルも負けじと視線を返す。
ここで弱音を吐くつもりなど最初からない。
「まずは、お前がどれほどの腕か見せてもらおう」
そう言うと、バルドは騎士たちへ視線を向ける。
「新人! 前へ出ろ!」
「はっ!」
返事とともに数名の若い騎士が駆け寄ってきた。
もっとも、本当の意味での新人ではない。
騎士学校を卒業し、王都でさらに厳しい訓練を積んだうえで、アルフォンス配下へ配属されたばかりの近衛騎士たちである。
一番若くても二十代半ば。
十六歳の学生と比べれば経験も体格も大きく勝っていた。
まずは力量の差を思い知らせる。
そんなバルドの考えは、誰の目にも明らかだった。
(……本当に性格悪ぃな)
カイルは心の中だけで悪態をつく。
最初から勝てない相手をぶつけ、自分の立場を理解させようというわけだ。
だが、そのやり方がかえって負けん気を刺激した。
(面白ぇ)
騎士学校では本気を出す場面がほとんどなかった。
兄たちとの鍛錬ですら、力を出し切れば勝負が終わってしまう。
だから自然と抑える癖が付いていた。
しかし、今目の前へ立つ相手には遠慮する必要がない。
胸の奥で静かに熱が高まっていく。
(本気で行くぞ)
開始の合図と同時に青年騎士が踏み込んだ。
体格差を生かした真っ直ぐな一撃で、教科書どおりの綺麗な初太刀だった。
その動きを見た瞬間、カイルは違和感を覚える。
(……なんか……遅っ)
半歩だけ身体をずらし、木剣を滑らせる。
勢いを失った青年の体勢が僅かに流れ、その隙へ迷いなく踏み込んだ。
乾いた音が訓練場へ響く。
「っ!?」
青年の木剣が手を離れ、石畳へ転がった。
その喉元へ、カイルの木剣がぴたりと止まる。
訓練場が静まり返った。
「……今の見えたか?」
「終わった……?」
遅れて騎士たちのざわめきが広がる。
バルドだけは表情を変えず、短く言った。
「次」
二人目は慎重だった。
不用意に踏み込まず間合いを保ち、カイルの様子を探る。
だが、迷いこそ隙になる。
相手の重心と視線の動きを見たカイルは、自然と前へ踏み出した。
(考え過ぎだ)
木剣がまともにぶつかる前に勝負は決まり、気付けば二人目も尻もちをついていた。
足元へ転がる木剣を見つめたまま、呆然としている。
三人目、四人目と続いても結果は変わらない。
力で押してくる者も、技で崩そうとする者も、数合続くことなく木剣を落としていく。
面白半分だった騎士たちの空気は、驚きを通り越して困惑へ変わっていた。
ざわめきが広がる中、当のカイルだけが不思議そうに首を傾げる。
(……あれ?)
思っていたより苦戦しない。
兄たちとの鍛錬の方が、ずっと厳しかった。
そんな本音が口をついて出る。
「……アルテの近衛騎士って、この程度なのか?」
周囲の空気が凍り付いた。
慌ててカイルは頭を掻く。
「あっ、いや……新人だからか。なら納得だ」
悪意はない。本当にそう思っただけだった。
魔物は剣術の型など使わない。
予測できない動きで牙を剥き、命を奪いに来る。
それを相手にしてきたカイルの感覚では、どうしても基準が違っていた。
近衛騎士たちの視線が一斉に鋭さを帯びる。
挑発と受け取るには十分過ぎる一言だった。
バルドの眉がぴくりと動く。
腕を組んだままカイルを見据え、小さく鼻を鳴らした。
「……なるほど」
その目から笑みは消えている。
「学校で首席か。いや、それ以上だな」
その言葉が訓練場へ静かに落ちた、その時だった。
「騎士長!」
後方から張りのある声が響き、槍を手にしたセドリックが一歩前へ出る。
「俺に行かせてください」
先ほどの苛立ちはまだ消えていない。
それでも私情だけではなかった。
目の前の学生が本当に強いのか、自分の手で確かめたいという思いが、その目にははっきりと宿っている。
しかし、バルドは一瞥しただけで首を横へ振った。
「駄目だ」
「ですが!」
「お前はもう新人じゃない」
有無を言わせぬ口調だった。
近衛騎士へ選ばれるのは二十代半ばから後半が一般的だ。
しかし二十歳でその座へ就いたセドリックは、それだけ優秀な騎士として期待されている。
近衛となって三年。
二十三歳となった今では、若手の実力者として一目置かれる存在だった。
それでも、この少年を相手に確実に勝てると断言できるほどではない。
ならば、一段上の実力者だ。
近衛騎士の格の違いを思い知らせてやる。
バルドは訓練場を見回した。
「ここは中堅を出す」
その一言で、訓練場がどよめく。
それは近衛騎士長自身が、この学生を新人では相手にならないと認めたも同然だった。
セドリックは悔しそうに奥歯を噛み締めたものの、「……了解しました」と短く答えて一歩下がる。
姿を見届けたバルドは、訓練場をゆっくり見回した。
「お前だ」
呼ばれた男が静かに前へ出る。
三十代半ば。
近衛騎士として何度も実戦を潜り抜けてきた歴戦の騎士であり、この場にいる騎士たちからも信頼の厚い男だった。
男は頷き、カイルを見る。
「学生だからって加減はせんぞ」
落ち着いた声だった。
無闇に威圧するわけでもなく、本気で立ち合うという意思だけを伝えてくる。
カイルは木剣を構えながら、小さく頭を下げた。
「よろしくお願いします」
礼儀正しい態度が、かえって周囲の騎士たちを落ち着かなくさせる。
新人は誰一人として一本も取れなかった。
ここでこの男まで敗れれば、近衛騎士団の面子に関わる。
「一本取れ!」
「本気で行け!」
自然と応援にも力が入り、訓練場全体が熱を帯びていく。
開始の合図と同時に、男は一気に間合いを詰めた。
先ほどまでとは比べものにならない鋭く重い剣圧に、カイルも思わず頬を緩める。
(……なるほど)
さすがだ。新人たちとは比べものにならない。
それだけで胸が躍った。
一撃を受け流し、二撃目を紙一重でかわしながら、相手の剣筋を観察していく。
打ち込みから次の動作までが滑らかで、長年積み重ねた鍛錬が自然と身体へ染み付いていた。
だからこそ、試したくなる。
ほんの僅かに肩を開き、誘うような隙を見せる。
中堅騎士は迷わなかった。
好機と見て一気に踏み込み、その瞬間を待っていたようにカイルは半歩だけ身体をずらし、流れるように木剣を滑らせた。
「反応、いいですね」
軽く笑いながら放った一撃が相手の手首を打つ。
「っ……!」
それでも中堅騎士は木剣を落とさない。
すぐに握り直して距離を取り、一呼吸置くと再び踏み込んできた。
さっきまでとは違う。剣へ迷いが消えている。
カイルも変化を感じ取りながら木剣を合わせた。
一撃ごとに圧力が増し、受ける腕へ衝撃が蓄積していく。
中堅騎士は一合ごとに間合いを修正し、踏み込みの速さも剣の軌道も確実に噛み合わせてきた。
木剣を合わせるたび腕へ伝わる衝撃は重くなり、カイルはようやく相手が自分の動きへ順応し始めていることに気付く。
不用意に作った隙も、今では本当の隙になりかけていた。
木剣が肩を掠め、鈍い衝撃が走る。
思わず一歩下がると、周囲から驚きの声が上がった。
「当たった!」
「初めてだ!」
カイルは大きく息を吸い込みながら、小さく苦笑する。
(こりゃ遊んでる場合じゃねぇな)
相手の力量を測るためとはいえ、余裕を残したまま戦い続けたのは失敗だった。
目の前にいるのは近衛騎士団の中堅騎士であり、甘く見ていい相手ではない。
気持ちを切り替える。
ここまで打ち合う中で見えた相手の呼吸、踏み込み、剣筋を頭の中で組み立て直す。
そこから、一つの勝ち筋を導き出した。
中堅騎士が再び踏み込む。
カイルも同時に前へ出た。
木剣がぶつかる寸前、半歩だけ内側へ身体を滑り込ませる。
真正面から受け止めるのではなく、相手の力を利用するように木剣を絡めながら軌道を逸らすと、中堅騎士は一瞬だけ目を見開いた。
握りへ伝わる感触が消えたからだ。
次の瞬間、木剣は乾いた音を立てて石畳へ転がっていた。
訓練場が静まり返る。
中堅騎士は空になった右手を見つめたまま苦笑すると、小さく肩をすくめた。
「……参った」
その一言で勝負が決まる。
カイルも木剣を下ろし、肩で息をしながら頭を下げた。
「ありがとうございました」
「最後まで遊ばれていたのかと思ったが……違ったな」
中堅騎士は苦笑混じりにそう言う。
「途中で俺の動きへ合わせてきた。あそこで切り替えられたら勝てん」
カイルは照れくさそうに頭を掻いた。
「いえ、途中で本気を出されて少し焦りました。正直、あのままだったら危なかったです」
飾らない本音だった。
新人たちとは違い、本当に押し切られかけたからこそ、素直に強さを認めていた。
二人のやり取りを見守っていた騎士たちも、ようやく張り詰めていた息を吐き出す。
学生が勝った。それは変わらない。
それでも最後の勝負には、誰もが近衛騎士としての意地を見た気がしていた。
彼らが弱いわけではない。
この少年が、それだけ異常だった。
やはりグランツ家の名を背負う者は、小さい頃から厳しい訓練を積んでいるのだろう。
少し離れた場所で腕を組んでいたバルドは、静かにカイルを見つめる。
(……団長の息子だから強い、それだけじゃないな)
基本は騎士の剣だ。
ただ、その立ち回りには実戦でしか身に付かない何かがある。
近衛騎士団が学生へ押され続ける光景を、これ以上黙って見ているつもりはなかった。
このままでは、近衛騎士団そのものが舐められる。
バルドは木剣を手に取り、一歩前へ踏み出す。
「俺が行く」
その姿を見た騎士たちが、一斉にどよめいた。
「騎士長!」
「そこまでなさらなくても!」
「相手は学生ですよ!」
制止の声が飛ぶ。
だが、バルドは歩みを止めない。
鼻で小さく笑うと、振り返って騎士たちを見回した。
「何だ。お前たちは、俺が負けると思っているのか?」
その一言で場が水を打ったように静まり返る。
「い、いえ!」
「そんなつもりでは!」
慌てて否定する騎士たちを見渡し、バルドは満足そうに頷く。
「なら黙って見ていろ」
そう言ってカイルの前まで歩み寄る。
視線を真正面から受け止めたカイルは、挑むように口元を緩めた。
互いに言葉は要らなかった。
(そうだ……お前とやりたかった)
息は荒く、腕にも疲労は残っている。
それでも胸の奥は熱く、不思議と身体は軽かった。
「……お願いします」
木剣を握り直したカイルの瞳は、獲物を前にしたように鋭く輝いていた。
本当の訓練は、ここから始まる。




