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第38話 学者たちを驚かせた少年

「紹介したい者たちがいる」


クラウスに連れられ、カイルとルークはアルテの城の奥にある研究棟へ足を踏み入れた。


廊下の両側には扉が規則正しく並び、それぞれ木製のプレートが掲げられている。


【治癒術研究室】


【農業研究室】


【鉱物研究室】


【天文研究室】


その先にも、様々な研究室の名が途切れることなく続いていた。


扉の向こうからは議論の声や紙をめくる音が絶えず漏れ聞こえ、廊下そのものが一つの巨大な知識の渦のようだった。


「違う、その計算では合わん!」


「今年は降雨量が例年より少ない!」


「だから薬効が変わったと言っているだろう!」


王都の城では、役人や騎士の姿が目立つ。


だが、このアルテの城は違った。白衣姿の学者が足早に行き交い、文官たちは分厚い資料を抱えたまま議論を交わしている。


ここは、王国中から集められた学者たちが知恵を持ち寄り、国の課題を解決するための場所なのだろう。


武力だけでは国は豊かにならない――そう考える王弟アルフォンスが築き上げた、研究の拠点だった。


クラウスは一番手前の部屋で足を止めると、迷いなく扉を二度叩いた。


「誰だ?」


「私だ、クラウスだ」


「……入れ」


カイルは扉の横に掛けられたプレートを見上げる。


【統計学研究室】


(統計学か……)


どんな話が聞けるのか。胸の奥に期待が膨らむのを感じながら、カイルはルークと共に部屋へ入った。


中には官僚らしい服装の者や、白衣姿の学者が数人いる。


机には帳簿や地図、びっしり数字が書き込まれた紙束が積み上がり、ここでは数字そのものが武器として扱われているようだった。


クラウスが紹介すると、一人の男が笑顔で立ち上がる。


「君がクラウスの話していたカイル君か」


差し出された手を握り、名前を聞いた瞬間、カイルは思わず声を上げた。


「えっ!?」


「どうした?」


「もしかして、あの統計学で有名な……?」


男は少し驚いたあと、嬉しそうに笑う。


「おや。知ってくれていたのか」


彼の著書には、商売にも応用できる内容が多い。


人や物の流れを数字で読み解く考え方は、カイルにとって何度読み返しても発見のあるものだった。


「もちろんです! 王国西部の街道整備の調査報告、読みました」


「……あれを?」


「宿場町の売上や馬の取引数まで集計して、街道を整備した後の商人の流れを予測した報告ですよね。街道そのものじゃなく、その周囲のお金の動きまで見ていたのが面白かったです」


男の口元が自然と緩んだ。


「よく読んでいるな」


目の前にいるのは、王国でも指折りの統計学者だ。聞きたいことが次々と頭に浮かび、カイルは堪えきれず身を乗り出した。


「あの、お聞きしたいことがあるのですが」


「何だね?」


「商売をするなら、儲かる街ってどうやって見つけるんですか?」


部屋が静まり返った。


普通の学生なら理論や計算式を尋ねる。


だがカイルが興味を示したのは、その知識をどう利益へ結び付けるかだった。


「税収は結果ですよね。その前に分かる数字ってありませんか?」


男は腕を組み、小さく笑った。


「例えば宿屋の稼働率、荷馬車の往来、商人組合への登録数。市場へ集まる行商人の数も使える」


「なるほど……」


カイルが真剣に頷くと、いつの間にか部屋中の学者まで話へ加わっていた。


「なら君は、この数字ならどう見る?」


「人口の増減も合わせたらどうでしょう。もっと精度が上がりませんか?」


「ほう……」


学者は静かにクラウスを見る。


「なるほど。君が面白いと言っていた訳だ」


「だろう?」


クラウスが得意げに胸を張るものだから、カイルは呆れ顔になる。


「何で先生が自慢するんですか」


カイルが満足した頃合いを見計らい、クラウスは「次だ!」と言い残して隣の扉を叩いた。


コンコン。


カイルとルークは顔を見合わせる。


(まさか……)


(嫌な予感しかしないっす)


予感は当たった。


クラウスはそこから次々と研究室を回り始めた。


経済、農業、鉱物、建築、薬草――。


紹介されるたび、最初は「ラインハルト団長の息子」として迎えられる。


だが、カイルが論文や報告書の内容を口にし、「それなら商売や街の防衛へ応用できませんか」と質問を重ねるたび、学者たちの目の色が変わっていった。


「そんな使い方は考えたことがなかった」


「面白い発想だ」


気付けば、どの研究室でも議論が始まり、出る頃には笑顔で見送られるようになっていた。


隣で眺めていたルークは、どこか納得したように小さく笑う。


(坊ちゃん、小さい頃から本ばっか読んでたっすもんね)


知識をどう使うか。


その話になるたび、学者たちは年齢を忘れたように目を輝かせた。


いつしか彼らが見るのは、団長の息子ではなく、話の通じる相手になっていた。


昼食の時間になると、クラウスは当然のように食堂へ向かった。


「よし、食堂へ行くぞ」


「えっ? 俺たちもですか? でも、ここで働く人たちの場所では?」


「問題ない。アルフォンスが好きにしていいと言っていただろう」


結局、カイルとルークも同行することになった。


案内された食堂は、騎士たちが使う食堂とはまるで雰囲気が違っていた。


吹き抜けから柔らかな陽光が差し込み、長机には文官や学者たちが思い思いに腰掛けている。


食事をしながら議論を続ける者もいれば、本を読みながら片手でパンをかじる者もいた。


ここでは食事すら、研究の続きなのだろう。


その中を歩くカイルたちへ、あちこちから視線が集まる。


「あれがラインハルト団長のご子息か」


もっとも、その目に敵意はない。純粋な興味だった。


料理を取っていると、先ほど話をした統計学の学者が大きく手を振った。


「カイル君! こっちが空いているぞ!」


「ありがとうございます」


別の席からも声が飛ぶ。


「今度はあの話の続きをしよう」


「歴史学の授業も楽しみにしているよ」


あちこちで笑いが起こる中、ルークは目を丸くした。


「坊ちゃん」


「ん?」


「思ったより馴染めそうっすね」


カイルも周囲を見回した。


確かに居心地は悪くない。


ここにいる者たちは皆、知ることが好きなのだ。そして、自分も同じだった。


気付けば、あっという間に一日が終わっていた。


意外だったのは、クラウスが魔物素材の加工や商売の話を一切漏らしていなかったことだ。


秘密保持契約など忘れていそうな男なのに、肝心なことだけは口にしない。


殿下に釘を刺されたのか、それともようやく覚えたのか。理由は分からない。


それでも、そのおかげでカイルは余計な心配をせず、ただ団長の息子として多くの学者たちと語り合うことができた。


その夜。


部屋へ戻るなり、カイルはベッドへ倒れ込む。


「疲れた……」


剣を振った疲れとは違う。


朝から晩まで話し、考え、質問し続けたせいで、頭だけが熱を持っているようだった。


「坊ちゃん、自分から喋ってたじゃないっすか」


「目の前に知識の塊が転がってたら、聞くしかねぇだろ」


「ははっ。でもクラウス先生が連れてくる人だから、もっと変わり者ばっかりかと思ってましたけど、みんなすごい人たちですね」


「あぁ。王国でも名の知れた連中ばかりだ。そんな人たちに直接話を聞ける機会なんて、一生に一度あるかないかだぞ」


満足そうに笑ったカイルは、嬉しそうに枕へ顔を埋めた。


体は重い。


それでも、不思議と嫌な疲れではなかった。


それから数日間、クラウスは毎日のようにカイルを研究室へ連れ回した。


扉を開けるたび新しい知識と出会い、一日が終わる頃には頭の中がいっぱいになる。


カイルは使えそうな知識を忘れないよう紙に記していったが、肝心の武具研究室だけは、なかなか順番が回ってこなかった。


(剣はまだなのか……)


有名な鍛冶師もまだ出てこない。


そんな思いが頭をよぎる頃には、授業と鍛錬が始まる前日になっていた。


ようやくクラウスは、一枚の扉の前で足を止めた。


「ここだ。武具を研究している者たちの部屋だ」


いつもの調子で言いながらも、その顔にはわずかに緊張が混じっていた。


「ここは少々癖が強い」


「癖?」


「武具しか見えておらん」


「それは楽しみですね」


カイルは口元を緩めた。


扉が開く。


そこには鋭い目つきの男たちがいた。


恰幅がよく、日に焼けた腕は太い。


学者というより、鍛冶場からそのまま出てきたような職人の気配が強い。


だが、その中には白衣姿の学者も混じっており、この部屋だけは研究室でありながら、工房に近い空気をまとっていた。


古びた剣や槍、鎧の一部が壁際に並び、机の上には分解途中の武具や設計図が山積みになっている。


鉄と油の匂いが混ざり合い、他の研究室とは明らかに違う熱があった。


「……クラウスか」


誰かが無愛想に呟く。


どうやら彼らは、一本の剣を囲んで議論していたらしい。


その瞬間、カイルの視線が止まった。


机の中央に置かれた一本の剣。


刃は欠け、錆び付き、見る影もない。


それでも鍔や柄の意匠だけで、ただの古道具ではないと分かった。


カイルは挨拶も忘れ、吸い寄せられるように机へ近付く。


「……これ、三百年前の剣じゃないですか!?」


部屋の空気が止まった。


カイルは錆に覆われた刀身を覗き込み、柄頭、鍔、茎へ続くわずかな隙間まで食い入るように目を走らせる。


「鍔は当時のまま……柄も後から交換されてない。うわぁ、修復跡まで残ってる……実戦で使われた剣なんだ」


その声は、古い友人と再会したような熱を帯びていた。


まだ誰も、この剣について何一つ説明していない。


それなのに少年は、目に映る僅かな痕跡だけで時代や用途を語り始めている。


「む? お前……これが分かるのか?」


一人の職人が眉をひそめる。


「当たり前じゃないですか」


カイルは迷いなく剣を指差した。


「旧レイゼン王朝末期の《レイヴァン式》ですよね。集団戦を想定して軽量化された頃の剣です。しかも、この反り方は《ヴァルグレン戦争》後期の特徴です」


誰も口を挟めない。


カイルは目を輝かせていた。


「すげぇ……」


思わず漏れた声には、純粋な感動が滲んでいた。


先ほどまで無愛想だった男たちの目が、ゆっくり細くなる。


値踏みではない。珍しい生き物を見つけたような、職人特有の興味がそこに宿っていた。


いつもは武具など興味を示さないクラウスも、不思議そうに首を傾げる。


「そんなに凄いものなのか?」


「凄いなんてもんじゃありません!」


勢いよく振り返ったカイルは、興奮を隠そうともしなかった。


「この握りですよ! この時代に完成して、今の剣の原型になったんです!」


説明しながら、いつの間にか剣を握る真似まで始めている。


「この時代の鍛冶師は、本当に天才なんです!」


研究室を巡ってきた間も十分熱心だった。


だが、それらは知識への興味だったに過ぎない。


今のカイルは違う。


好きなものを目の前にした少年そのもので、先ほどまで冷静に学者たちと議論していた姿はどこにもなかった。


一人の鍛冶師らしき男が低く笑う。


「くくっ……面白い坊主だ」


白髭を撫でながら近寄ってくるその手は、節くれ立ち、今も鉄を打ち続けている職人そのものだった。


「お前がラインハルトの息子か」


「はい!」


「俺はジーク・アイゼンだ」


名前を聞いた瞬間、カイルの目が見開かれる。


「……え? まさか……元王国騎士団長のリューゲン卿が使っていた剣を打った、あのジーク・アイゼン様ですか?」


「ああ。あいつの剣は何本も打った」


ジークは事もなげに答えた。


その一言だけで十分だった。


「本物だ……!」


カイルは思わず一歩踏み出し、それから苦笑する。


「うちの祖父が、よく妬んでましたよ」


「ほう?」


カイルの祖父がかつて王国騎士団長の座をリューゲンと争った話は有名だ。


「『リューゲン卿が強いのは腕じゃない。あの剣が反則なんだ』って」


部屋に笑いが起こった。


ジークは鼻を鳴らす。


「馬鹿を言う。どれだけ良い剣でも、振る奴が駄目なら鉄くずだ」


口元はわずかに緩んでいた。


「そうなんですけどね」


カイルも笑う。


「祖父は今でも認めませんよ。『あの剣じゃなきゃ勝っていた』って」


「そう言ってもらえるなら、鍛冶師冥利に尽きる」


ジークの声には、職人としての誇りが滲んでいた。


すると、カイルがはっと顔を上げる。


「あっ! 聞きたいことがあるんです! ちょっと待っててください!!」


「む?」


「すぐ戻ります!」


そう叫ぶなり、カイルは勢いよく部屋を飛び出した。


「坊ちゃん!? 待ってくださいっす!」


慌ててルークも追い掛ける。


残された者たちの間に、妙な沈黙が落ちた。


「……何だ?」


「さぁな」


クラウスだけは満足げに腕を組む。


「ああいう時のカイル君は止まらん」


数分後、廊下から慌ただしい足音が響いてきた。


扉が勢いよく開く。


「持ってきました!」


肩で息をするカイルの腕には大量の紙束があり、その後ろではルークがさらに大きな束を抱え、ふらふらしていた。


「重いっす……」


どさっ。


どさどさっ。


机いっぱいに積み上げられた紙を見て、一同が目を丸くする。


「……何だ、これは」


「古い工房印と設計図です!」


カイルが一枚を広げた瞬間、部屋の空気が一変した。


勢いよく紙をめくり、一枚で手を止める。


「これです!」


複雑に組み合わさった槌と剣。


中央には小さな星。


古い工房印だった。


「これについて何か知りませんか?」


突然の問いに、誰もすぐには答えなかった。


ジークは紙を受け取り、ゆっくり目を細める。


隣の職人が無言で覗き込み、白衣の学者は眼鏡を掛け直した。


長い沈黙のあと、ジークが小さく息を吐く。


「……坊主。これを、どこで見つけた」


カイルの表情も自然と引き締まった。


「剣都にある宿屋の資料室です」


ジークはもう一度工房印へ目を落とし、静かに呟く。


「……まだ残っていたのか」


その一言で、職人たちの表情が変わった。


「何かご存じなんですね!?」


カイルが身を乗り出すと、ジークは紙から目を離さないまま答える。


「知ってはいる」


その返事にカイルの目が輝く。


だが、続いた言葉は予想外だった。


「――もっとも、そこに書かれていることはデタラメばかりだがな」


「デタラメ……ですか?」


カイルが思わず聞き返すと、ジークは設計図を机へ広げ、節くれ立った指で紙を叩いた。


「もう何年前だ? わしらが若い頃、この図面を信じて再現しようとした一部の鍛冶師が何人かいた」


隣の職人が苦い顔で口を開く。


「わしらも、その一人だ」


ジークは懐かしむように設計図を見つめた。


「まず鍛え方だ。この図面に書かれた通り、何度も折り返して鍛えた。だが刃は脆くなった」


別の職人が後を継ぐ。


「実戦で使えば、すぐ欠ける。材料も集めた。分からんものは想像で補い、熱の入れ方も、水焼きも忠実に再現した」


「冷却の順番まで、一つ残らず守ったな」


当時を知る者たちの記憶が、口々に繋がっていく。


「ここに書かれてる蛇王の毒も同じだ」


ジークは肩を竦めた。


「そんな魔物はもうおらん。だから毒を持つ魔物から採った毒で代用した……それでも駄目だった」


部屋が静まり返った。


カイルは最後まで口を挟まず、職人たちの話へ耳を傾けていた。話の流れを頭の中で整理し、確認するように短く問いを重ねていく。


――オリハルコンが何か分かりますか?


――焼き入れの温度は? 工程は?


――蛇王の毒の代わりに使った魔物は?


問いが飛ぶたび、職人たちは当時の記憶を思い出すように答えていった。


カイルは一つひとつを頭の中で整理し、設計図と照らし合わせる。


(……なるほど)


思っていたより、ずっと近い。


手に入らない素材は性質の近いもので補い、工程も忠実に再現している。


「何本打っても記録に残る剣には届かず、やがて誰も設計図を信じなくなった」


ジークの言葉には、積み重ねられた歳月の重みがあった。


それでも形にならず、いつしか使えないデタラメだと言われるようになったのだろう。


一部の者と言ったジークの話から、鍛冶師が皆知っているわけでもなさそうだ。


だから剣都で聞いても、分からなかったのか。


中には、まったく違う材料を使っている箇所まである。


やがてカイルは小さく笑った。


「なるほど。皆さん、かなり近いところまで辿り着いていたんですね」


全員の視線が集まる。


否定されると思っていたのだろう。職人たちの目に、思いもよらない評価を受けた戸惑いが浮かんだ。


「オリハルコンの正体が分からなくても、今ある鉱石や金属で剣として成立する形を探していた。蛇王の毒も同じです。手に入らないなら別の毒で試す。その発想は間違っていません」


ジークが息を呑む。


「ただ、一つだけ前提が違います」


カイルは設計図を持ち上げた。


「これ、図面じゃありませんね」


「何?」


カイルは紙を指先で軽く叩く。


「図面なら、誰が見ても同じ物を作れるように描くはずです」


設計図を一枚ずつ見比べながら、書き込みを指でなぞっていく。


「でも、これは説明が飛び飛びなんですよ。ほら、ここなんて『オリハルコン』とだけ書いてある。こっちも『蛇王の毒』だけです」


さらに別の箇所へ指を移す。


「焼き入れの条件も、なぜその工程が必要なのかも書かれていません。それに、この書き込みも次の工程なのか、補足なのか判別できない位置にある」


カイルは首を傾げながら、さらに紙へ視線を落とした。


「ここなんて、この素材も『草』と書かれていますが、説明には『潰す』とあります」


その一文を指でなぞる。


「草を潰すという表現は少し不自然です。後に続く文章との繋がりを見ても、これは草ではなく、実の書き間違いじゃないでしょうか」


職人も学者も、揃って設計図へ視線を落とした。


「書いた本人には当たり前のことだから、省略されていたんでしょう。だから誰も違和感を持たなかった」


カイルは静かに紙を持ち上げ、結論を口にする。


「つまりこれは、本人だけが分かるように残した覚え書きだったと考えるのが自然です」


その場にいた者たちの表情が変わった。


誰もそんな発想はしていなかった。図面だと思い込み、書かれた通り再現しようとしてきたのだ。


だが最初から覚え書きなら話は変わる。


肝心な部分ほど、書かれていなくても不思議ではない。


「だから皆さんは間違ってません」


カイルは設計図を指先でなぞりながら、静かに続けた。


「ただ、まだ何かが抜けています。工程なのか、途中で混ぜる素材なのか、熱を入れる順番なのか……あるいは、その全部か」


書かれていない以上、答えは紙の上にはない。


カイルは一人納得したように息を吐いた。


「なるほど。これは実際に打ちながら、一つずつ変えて確かめていくしかありませんね」


その答えを聞いたクラウスが腕を組む。


「なら、一度その考え方で試してみればいい」


「そうですね。その方が早そうです。使えそうな情報も残っていますし」


カイルは資料を丁寧にまとめながら続けた。


「そうなると、鍛冶師の選び方も変わりますね。まだ試行錯誤の段階ですし、今は名工より、秘密を守れて、付き合ってくれる人を優先したい」


「うむ。それが一番大事だ」


クラウスは妙に誇らしげに胸を張った。


その顔を見て、ルークが吹き出す。


「先生がそれ言うんすね」


「私はもう学んだぞ」


得意げなクラウスに、カイルも思わず笑った。


紙束を抱え直す。


「それに、牙で作るナイフも早く欲しいですし」


「……牙?」


ジークが眉をひそめる。


「ええ。まずはアイアーベアの牙で一本作ろうと思ってます。あれなら簡単なんで」


部屋の空気が凍り付いた。


アイアーベア。


王国でも危険種として知られる魔物だ。


その牙を加工すると、この少年は今、ごく当たり前のように口にした。


だが当の本人は、周囲の反応にまるで気付いていない。


「じゃあ今日はありがとうございました」


軽く頭を下げ、そのまま出口へ向かうカイルの後を、ルークとクラウスも当然のように追う。


「ま、待て!」


ジークが思わず叫んだ。


「今、何と言った!」


「魔物素材を加工するのか!?」


「牙が刃物になるだと!?」


「そんな話は聞いたことがない!」


部屋にいた者たちが一斉に声を上げる。


矢継ぎ早に飛ぶ質問に、カイルは扉の前でくるりと振り返った。


そして、にこりと笑う。


「興味があるなら、契約してからですね」


隣ではクラウスが満足そうに頷いていた。


「そうだ。守秘義務契約だ」


「先生、それ気に入ってますよね」


ルークが苦笑する。


「大事なことだからな」


三人は笑いながら、そのまま部屋を後にした。


静かに扉が閉まる。


残されたジークたちは、誰一人として口を開かなかった。


どうやら、あの少年から話を聞くには契約という前準備が必要らしい。


しばらく沈黙が流れる。


やがてジークが閉ざされた扉を見つめ、ぽつりと呟いた。


「……その契約ってのは、どこへ行けば結べるんだ?」


一瞬の静寂。


次の瞬間だった。


「クラウス!!」


部屋中の人間が一斉に立ち上がる。


我先にと扉へ殺到した。


「待て! まだ廊下にいるはずだ!」


「誰でもいい! あの坊主を捕まえろ!」


狭い入口へ職人も学者も押し寄せ、部屋はたちまち大混乱になった。

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