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第36話 発明を売る商人

アルフォンス殿下からの手紙に頭を抱えるラインハルトがいるなど、全く知らないカイル達は、新たな革油の試作を進めていた。


作業は三日ほど続いた。


一度配合が決まってからは失敗もなく、残っていた脂だけで全ての試験を終えることができた。


不純物を濾過し、蜜蝋を混ぜ、最後の調整を終えたカイルが頷く。


「……よし」


「出来たか?」


クラウスが身を乗り出す。


「試作品第一号です」


「完成っす!」


ルークが歓声を上げる。


するとクラウスは、おもむろに買ったばかりの革鞄を持ち上げた。


「ぜひ私の鞄に塗ってくれ」


「まだ試作品ですよ?」


「だからだ」


「ですが、変色や革割れの可能性があります」


「気にするな。実際に使わねば分からん」


即答だった。


苦笑しながら革油を塗り込んだカイルは、そのまま他の革片と合わせて試験を行う。


水は玉のように弾かれ、泥汚れは軽く拭くだけで落ちた。


長期耐久や他の革との相性など確認事項は残るものの、実用化へ大きく前進した。


様子を見に来たモーリスが革へ鼻を寄せる。


「……臭いもねぇな」


その一言に、カイルは静かに口元を緩めた。


翌日、モーリスもカイルたちの作業する倉庫へ呼ばれる。


中央には空き箱が並べられ、簡易的な打ち合わせの場が作られていた。


エルマーは完成した瓶を手に取る。


「これが例の革油か?」


「そうだ」


カイルが頷く。


「従来品より水を弾く。臭い移りもない」


蓋を開けたエルマーは、まず香りを確かめた。


ニオイは全くない。


続いて持参した革靴へ塗り込み、水を垂らす。


玉のようになった水滴が革の表面を転がり、さらに泥を付けて布で軽く拭うと、従来品との差は一目瞭然だった。


「これはすごいな」


思わず漏れた感嘆に、カイルの口元も緩む。


「こっちもあるぞ」


差し出された別の瓶の蓋を開けると、今度は花の香りが広がった。


「香料を混ぜたのか」


「そうだ」


「あれから試したんだ。臭いを完全に消した後なら、良い香りを付けるのは案外簡単だった」


クラウスが香りの強い花や植物を教え、その中から相性の良いものを選んで煮込んだのである。


思わずエルマーは笑った。


革油に香りを付けるなど、考えたこともなかった。


貴族受けは良く、特に女性が好みそうだ。


香りの種類を増やせば、販路はさらに広がるだろう。


そういう発想が、何ともカイルらしい。


一つの商品を見れば、すぐ次の商売へ繋げる。


それが、この少年の強みだった。


「これは量産可能か?」


「あぁ」


短く答え、カイルは頷く。


この街でもトリニティ・クロスの商品が生産されていると知るや、すぐエルマーへ頼み込み、工房から加工で出る別種の魔物脂を取り寄せて試験を重ねていた。


同じ結果が得られたのは大きな収穫だ。


希少種と呼ばれるアイアーベアを毎回探して討伐するなど、量産を考えれば現実的ではない。


満足そうに指を組んだエルマーが言う。


「では、ここから先の研究は商会で引き受けよう」


そう言って一枚の小切手へさらさらと数字を書き込む。


さらに、


じゃらり。


重い音を立てて革袋が机へ置かれた。


クラウスとモーリスは思わず目を合わせる。


一方、カイルだけは慣れた手つきで袋を開いた。


「毎度あり」


中には金貨がぎっしり詰まっている。


モーリスは思わず息を呑んだ。


まるで屋敷や高価な美術品でも売買しているような量だった。


カイルは迷いなく金貨を数枚取り出し、クラウスとモーリスの前へ置く。


「給金だ。手伝ってくれただろ」


モーリスは固まった。


目の前の金貨だけで、自分の月給を軽く超えている。


さらに護衛達へも次々と金貨が配られた。


何が起きているのか理解できず、皆しばらく動けない。


普段手にする対価とは比べものにならない大金だった。


それでも革袋の中には、まだ金色が覗いている。


思わずノエルの喉が鳴る。


研究が商品になり、その利益を当然のように皆へ分け与え、それでもなお袋は軽くならない。


しかも机には、小切手まで残っていた。


(……一体、いくら稼いだんだ)


モーリスも護衛達も、これが現実とは思えなかった。


「ルーク」


カイルが金貨を放る。


「ありがとうございます!」


ルークは慣れた様子で受け取り、迷いなく懐へしまった。


自然すぎるやり取りに、モーリスや護衛達は思わず二人へ視線を向ける。


(……こいつらにとっては、これが日常なのか)


妙な静寂が倉庫を包む。


そんな空気など意に介さず、クラウスは金貨を見つめ首を傾げた。


「しかし、まだ商品は売れておらんぞ?」


「それが商売です」


小さく笑ったエルマーが答える。


「カイルは革油そのものではなく、製造法と権利を商会へ売ったのです」


「発明を売ったのか」


「ええ。ただし、これで終わりではありません」


カイルへ視線を向け、エルマーは続けた。


「今回支払ったのは権利料の一部。今後、この革油が売れれば、売上の一部も継続してカイルへ支払われます」


一瞬、倉庫から音が消えた。


「……は?」


モーリスは言葉を失い、ノエルも目を見開く。


「商品が売れれば商会も儲かる。なら発案者も利益を受け取る。当然の話です」


「当たり前だろ」


平然と肩を竦めたカイルが言う。


「売れた後の利益の方が大きいんだから」


モーリスは思わず額を押さえた。


「お前、本当に十六か?」


「失礼だな」


「十六歳は普通そんな話しねぇんだよ! というか、これそんなに価値があるのか?」


もっともな疑問だった。


エルマーは小さく笑い、革油の瓶へ視線を向ける。


「価値があるから、私はこれだけ払ったんだ」


そう言って瓶を軽く持ち上げた。


「魔物素材を使った商品は従来品より質が高い。それだけでも十分売れる。特にこの香りをつけたやつなんかは、値段も引き上げられる」


一拍置いてから続ける。


「だが、一番の理由は別にある」


「別?」


首を傾げたモーリスへ、エルマーは肩を竦めた。


「ヴァルディア商会の売れ筋商品の半分以上は、今やカイルの発案だ」


今度は誰もすぐに言葉を返せなかった。


モーリスはゆっくりとカイルへ顔を向ける。


「……は?」


「新商品を出せば飛ぶように売れる。それを何度も繰り返してきた実績がある。だから私は、この革油にも迷わず金を出せるんだ」


ノエルも思わず頷いた。


本当にその通りだった。


これまで不要とされていた魔物素材が、カイルの手に掛かれば商会の看板商品へ変わる。


クラウスは目を輝かせ、一言一句逃すまいと猛烈な勢いでノートへ書き込んでいた。


『魔物は資源』


『発明を売る』


『権利を売る』


『売上から継続収入』


『商人は恐ろしい』


最後の一文を見たカイルが苦笑する。


「これ消してください」


「これが一番重要だ」


「いや、当然の権利なんで」


どっと笑いが起き、こうして商談は無事に終了した。


木箱を椅子代わりにしていたカイルは、大きく伸びをする。


「やっと金に変わった」


ここ数日続いた実験を思い返す。


魔物素材の保存と、脂を使った試作品作り。


想像以上の成果だった。


「とりあえず、一段落だ」


「そうだな」


エルマーも満足そうに頷く。


予定を頭の中で整理したカイルは、小さく息を吐いた。


「ロウソクはまた今度でいいかな。一旦終わりだ」


その瞬間だった。


クラウスが勢いよく顔を上げる。


「何を言っている」


「はい?」


「脂は形になった。しかし、まだアイアーベアの牙と爪が残っているだろう」


「ああ、あれですか」


「そうだ!」


目を輝かせるクラウスへ、カイルは倉庫の隅を指差した。


「保存処理なら、もう終わりましたよ」


護衛達が箱へ牙や爪を収めている。


数秒の沈黙。


「何だとぉぉぉぉ!?」


倉庫へ絶叫が響いた。


「何故私を呼ばん!」


「商品作りで忙しかったじゃないですか」


「そんなもの後回しだ!」


「駄目です。研究と商売なら、商売が優先です」


カイルらしい即答だった。


クラウスは本気で肩を落とす。


しかし次の瞬間には顔を上げていた。


「なら骨でも血でも毛皮でも構わん! 何か作ろう!」


カイルは即座に首を横へ振る。


「先生にはまだ秘密保持という課題があります」


「何故だ!?」


「先生、すぐ喋るでしょ。これ以上見せることは出来ません」


場が静まる。


ルークとモーリスが同時に頷いた。


「それはそうっすね」


「俺もそう思う」


「……そんな」


力なく肩を落としたクラウスは、助けを求めるようにエルマーを見た。


だが返ってきたのは、肩を震わせる笑いだけだった。


苦笑したカイルは話題を切り替える。


「まぁ、その辺は後です。まずは殿下へ報告ですね」


「殿下?」


モーリスが眉をひそめた。


「何言ってんだ?」


カイルは不思議そうに首を傾げる。


「言ってなかったか? クラウス先生は王国でも有名な自然学者だぞ」


「……えっ?」


モーリスはゆっくりクラウスを見る。


本人は相変わらず肩を落としたままだ。


「今回は殿下の紹介で来てるんだ。だから成果も報告しないと」


するとルークが苦笑する。


「ちなみに坊ちゃんも十分有名っすけどね」


「何?」


「王国騎士団長ラインハルト様の三男坊っす」


今度はモーリスの視線がゆっくりカイルへ戻った。


しばらく黙り込んだあと、大きく息を吐く。


「……そりゃ守秘義務契約とか言い出すわけだ」


その一言に、倉庫中からどっと笑いが起こった。


満足そうに頷いたエルマーが言う。


「では、殿下との面会予約を取っておこう」


「頼んだ」


これで一区切りだ。


思わぬ寄り道はしたが、その成果は大きかった。


「これでやっと剣の工房を回れるな」


満足そうに伸びをする。


本来の目的はそちらだった。


魔物素材の研究に夢中になり、剣を作る予定が随分押してしまった。


それでも、その口元には自然と笑みが浮かんでいた。


だが――。


「嫌だぁぁぁ!!」


突然、何かが飛び付いてくる。


「うおっ!?」


思わずよろめいたカイルが振り返ると、クラウスが腰へしがみ付いていた。


「何だこの人!?」


「私は認めん!」


半泣きで叫ぶ。


「まだ終わっておらん!」


「終わったんですよ!」


「終わっておらん! 私はカイル君と実験を続けるぞ! すぐにロウソクを作ってもいい!」


「嫌ですよ!」


「もう絶対喋らんから! 信じてくれ!!」


倉庫中に騒がしい声が響く。


ルークは呆れたように肩を落とした。


「完全に懐かれてるっすね」


「嬉しくねぇよ」


即答だった。


そんな二人のやり取りを見ながら、モーリスが豪快に笑った。


「はっはっは!」


その勢いのまま、カイルの肩をばんばん叩く。


「まぁ何だ」


「ん?」


「また何か困ったら声掛けてくれ」


意外な言葉だった。


カイルが目を瞬かせる。


モーリスは少し照れ臭そうに鼻を鳴らした。


「生姜くらいなら持ってきてやる」


「それだけかよ」


「酒もだ」


「増えた」


ルークが吹き出す。


不機嫌そうに眉を寄せたモーリスは、ぶっきらぼうに続けた。


「勘違いすんなよ。別にお前らを好きになった訳じゃねぇ」


「はいはい」


「本当だぞ」


「分かってるって」


誰も聞いていないのに言い訳を始める姿に、カイルは思わず笑う。


するとモーリスまでつられて笑ってしまった。


数日前まで胸ぐらを掴み合っていたとは思えない空気だった。


その光景を眺めながら、エルマーはふと口元を緩める。


最初は怒鳴り込んできた解体場責任者。


それが今では、当たり前のように輪の中へ溶け込んでいる。


カイルは問題を起こす。


面倒事も増やす。


だが気付けば、人まで増えていた。


――本当に不思議な子だな。


静かにそう思った。



翌朝。


「何でこんなに返事が早いんだ……」


カイルは朝から頭を抱えていた。


昨日、エルマーがアルフォンスへ面会の予約を入れた。


返事はまた、その日のうちに届き、翌日の面会が決まったのである。


結果、一行は朝から馬車に揺られていた。


「聞いてくれ!」


隣では、クラウスが嬉しそうにノートを開いている。


「魔物の骨について新しい商品を考えてきた!」


「朝から勘弁してください……」


即座に頭を抱えるカイル。


しかしクラウスは止まらない。


「飾りにするのもいいが、薬なんかも――」


「その話、まだ諦めてなかったんですか……」


「良い案だと思わんか? 一緒にやろう!」


「思います。でも、それはまた今度です」


返事を聞いた瞬間、クラウスはぴたりと動きを止めた。


そして見るからにしゅんと肩を落とす。


その様子にルークが吹き出した。


「先生、落ち込みすぎっす」


「ぐっ……」


完全に意気消沈した学者を乗せたまま、馬車は朝日を浴びてアルテへ向かう。


やがて時間となり、一行は執務室へ通された。


歩きながらエルマーがちらりとカイルを見る。


今日は珍しく鞄を提げていた。


何か持ってきたのだろう。


そう思ったが、ひとまず口にはしない。


執務室へ入ると、アルフォンスは既に席についていた。


机の上には書類の山が積まれている。


「少し待ってくれ」


そう言ってペンを走らせ、最後の一枚へ署名を終えると、ようやく顔を上げた。


そして――固まる。


「……誰だ?」


視線の先にいたのはクラウスだった。


髪は整えられ、髭も手入れされている。


服も以前の薄汚れた研究着ではなく、まともなものだ。


昔を知る者ほど驚く姿だった。


「私だ。クラウスだ」


アルフォンスが目を見開く。


「クラウス?」


「うむ」


数秒の沈黙。


やがて思わず席を立った。


「本当にクラウスか?」


「何だその反応は」


「いや、お前……」


頭の先から足元まで眺める。


そして率直に言った。


「随分と小綺麗になったな」


「そうだろう」


クラウスは満足そうに頷く。


「カイル君に言われてな」


その瞬間、アルフォンスの視線がカイルへ向いた。


当の本人は、すっと目を逸らす。


「いえ、僕は何も言ってません」


「言ったではないか」


「何も言ってません」


そのやり取りに、アルフォンスは堪え切れず吹き出した。


「はっはっは!」


執務室に笑い声が響く。


「彼を変えるとは流石だな」


そう言ってクラウスを見る。


「学生の頃から、身なりにだけは全く気を遣わん男だった」


どうやら殿下と先生は学友らしい。


改めてそんな人物へ、自分はどれだけ失礼なことを言ったのか。


カイルは少しだけ遠い目になった。


「まあ座ってくれ」


アルフォンスに促され、一同は席へ着く。


ほどなく侍女がお茶と菓子を運んできた。


ルークの視線は一瞬でクッキーへ吸い寄せられる。


前回来た時に食べた、あの味だ。


あまりにも美味しく、また出てこないか密かに楽しみにしていた。


いつ食べていいのか。


その一点だけを真剣に考えていた。


一方、アルフォンスはクラウスへ視線を向けた。


「それで、どうだった?」


待っていましたと言わんばかりに、クラウスの目が輝く。


「聞いてくれ!」


堰を切ったように話し始めた。


魔物素材の保存から、薬草屋で袋をおまけしてもらった話。


雑草を刈って老婆から野菜を貰った話。


脂の実験、清め草の話――。


そして。


「モーリス殿を縄で縛った」


「先生、それは言わなくていいです」


カイルが即座に突っ込む。


しかしクラウスは止まらない。


「だが私は感動した!」


「どこにですか」


「実に見事な拘束だった! すらすらと王国法まで言って」


「もう変なこと報告しないで下さい!」


アルフォンスの肩が小刻みに震えた。


隣では、ルークがいつの間にかクッキーを食べ始めている。


話はさらに続いた。


革用油の開発。


試作品の完成。


そして――。


「最後は発明料と特許を商会へ売った」


カイルの動きがぴたりと止まる。


一番言われたくない部分だった。


「先生」


「何だ?」


「そこも言わなくていいです」


「何故だ?」


「何故でもです」


不思議そうに首を傾げるクラウス。


その反応だけで、アルフォンスは全てを察したらしい。


口元がゆっくり吊り上がる。


「ほう」


楽しそうに身を乗り出した。


「特許まで売ったのか。ちなみにいくらだ?」


「それは、言えません……」


静かに視線を逸らしたカイルを見て、アルフォンスは声を上げて笑った。


「はっはっは! どうやらカイルは、クラウスに随分気に入られたようだな」


「そうだ!」


勢いよく頷いたクラウスは、迷いなく宣言する。


「私はこれからもカイル君と研究を続ける!」


カイルは小さく息を吐いた。


「ですから、まずは秘密を守る練習からです」


「ぐっ……」


途端に肩を落としたクラウスを見て、アルフォンスはまた笑う。


「それは私も楽しい毎日になりそうだ」


そう言って机の引き出しから一通の手紙を取り出した。


「君の父上から返事が届いてな」


「父上から?」


「うむ。この城で学ぶ件だが、許可をもらった」


一瞬、カイルの動きが止まる。


「本当ですか!?」


思わず身を乗り出した。


満足そうに頷くアルフォンス。


「ああ」


すると今度はクラウスまで目を輝かせた。


「おお! では私ともすぐ会えるな!」


「何で先生がそんなに嬉しそうなんですか」


「研究ができるからだ!」


あまりにも即答だった。


カイルが頭を抱える横で、ルークは嬉しそうに笑う。


「やったっすね!」


その言葉に、カイルも小さく頷いた。


アルフォンスは穏やかな表情で尋ねる。


「一度家へ戻るか?」


しかしカイルはゆっくり首を振った。


「もう少ししてからにします」


「何故だ?」


「今帰ると、何だか寂しくなりそうで」


その答えに、アルフォンスは少しだけ目を細める。


「そうか」


優しく頷き、続けた。


「部屋も既に用意してある。いつでも来なさい」


「ありがとうございます」


頭を下げたカイルは、そのまま何かを思い出したように鞄へ手を伸ばす。


「あっ、それから」


取り出したのは分厚い紙束だった。


「何だ?」


アルフォンスが受け取る。


カイルは当然のように答えた。


「保存処理にかかった代金です」


「……は?」


珍しく間の抜けた声が漏れる。


隣ではエルマーまで目を瞬かせていた。


当の本人だけは、いつも通り平然としている。


「クラウス先生と交わした守秘義務契約に書いてあります」


そう言って契約書を差し出し、支払い証明書を机へ並べた。


アルフォンスは半信半疑のまま書類へ目を落とす。


「昼飯代まであるが……?」


唖然とするアルフォンスへ、カイルは笑顔で頷いた。


「もちろんですよ。ご飯を食べないと人間動けませんから、保存作業には必要でしょ?」


ルークが目を丸くする。


「だから毎日あんな高い昼飯食べてたんすか!?」


やっと謎が解けたらしい。


書類には今すぐ使うわけでもない薬草代から、モーリスやクラウス、護衛達への給金まで細かく記載されていた。


雑費も含め、一切の漏れがない。


その瞬間、アルフォンスの脳裏に数日前のエルマーとの会話が蘇る。


『殿下。あの子を普通の子供と思わない方が良いでしょう。実際、カイルは十二歳の時に、ある商会を一つ潰しております』


『……何だと?』


『それは、巧妙に練られた契約書が発端でした』


『……』


『ですから私は学んだのです』


エルマーは苦笑していた。


『あの子との契約書は、最後まで読むべきだと』


改めて契約書へ目を落とす。


一見すれば、ごく普通の内容だ。


しかし、よく読めば妙な一文がある。


直接は書かれていない。


保存作業を見せてもらうために契約を結んだ側が、研究や実験に伴う経費を負担するとも読める一文が紛れ込んでいた。


「クラウス」


「何だ?」


「お前、これをちゃんと読んで署名したのか?」


クラウスは紅茶を一口飲み、平然と答える。


「いや?」


執務室から音が消えた。


「私は署名しかしておらん」


アルフォンスは静かに額を押さえる。


(こんなことなら、私が契約すればよかった)


そう思いながら、もう一度契約書へ視線を落とした。


何度読んでも自然な文章だ。


それでも後から見返せば、確かにそう解釈できる。


(……私でも見抜けたかどうか分からんな)


満面の笑みを浮かべるカイル。


吹き出すルーク。


とうとう笑いを堪え切れなくなったエルマー。


そんな空気など気にもせず、クラウスだけが満足そうに紅茶を飲んでいた。


「しかし昼飯はどれも美味かったぞ」


「……そう……だろうな……」


アルフォンスは静かに天井を見上げる。


保存作業と言いながら研究者を巻き込み、新商品まで作り上げる。


契約書には抜け道を忍ばせ、国相手に昼飯代まで請求する。


しかも本人に悪気はない。


むしろ善良だから始末が悪い。


アルフォンスは小さく息を吐いた。


(……こんな子を城で預かって、本当に大丈夫なのか?)


少なくとも一つだけ確かなことがある。


城の中は――これまでより、ずっと騒がしくなる。

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