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第34話 職人の鼻

「君、ニオイの種類が分かるのか?」


「「は?」」


カイルと男の声が、妙なほど綺麗に重なった。


つい先ほどまで胸ぐらを掴み合っていた二人である。


そこへ突然、まったく別の方向から声が差し込まれたのだから、反応が揃うのも無理はない。


男はゆっくりとクラウスへ視線を向けた。


「何言ってんだ、てめぇ?」


怒気を含んだ声にも、クラウスは少しも怯まない。


「今、腐った猪肉や熊のニオイと言ったな」


「あ?」


「これを、ただ“くさい”とは言わなかった。つまり、君の中ではニオイに種類があるのだろう?」


その言葉に、男の怒りが一瞬だけ止まった。


クラウスの目は完全に研究者のものになっていた。揉め事を止めるためではない。


実験が進むかもしれない手掛かりを見つけた者の目である。


「実は今、脂の研究をしていてな」


「……研究?」


「ああ。この脂が酷くニオうのだ。木炭を混ぜたり、清め草を試したりもしたのだが、多少改善した程度で決め手にはならん」


クラウスは手元のノートを開き、書き込まれた試行結果を確認しながら数ページめくった。


紙面には薬草名や分量、加熱時間らしき数字が並んでいる。


「他にも色々試しているのだが、“魔物”の脂とは厄介でな」


「……魔物?」


モーリスの眉がぴくりと動いた。


その反応を見た瞬間、カイルの顔色が変わる。


「先生!」


「どうした?」


「どうしたじゃないですよ!」


カイルは男の胸ぐらから手を離すと、掴まれていた襟元を振り払うようにして、今度はクラウスへ詰め寄った。


怒鳴り込んできた男よりも、今は目の前の学者の方が危険だ。


魔物の話は秘匿事項である。


「何、全部話してるんですか!?」


「む?」


「秘密保持契約を覚えてますか!?」


クラウスの視線が、開いたノートとカイルの顔の間を往復する。


数拍遅れて、ようやく思い出したように口が半端に開いた。


「あっ……」


「思い出したみたいな顔しないでください!」


ルークも横で勢いよく頷く。


「そうっすよ! そこ重要なやつっす!」


クラウスは少し考え込んだ後、悪びれる様子もなく口を開いた。


「だが、脂の話くらいなら――」


「駄目です!」


カイルの声が作業場に跳ねた。


まだ怒りの残る目で男を指差す。


「こんなどこの馬の骨かも分からないジジイの前で、中身全部、喋るのやめてください!」


男の額へ新たな青筋が浮かんだ。


「誰が馬の骨だ!」


怒鳴り声が響き、男は自分の胸を親指で叩く。


「だからさっきから言ってるだろうが! 俺はここの食肉担当だ! 解体場責任者のモーリスだ!」


「モーリス?」


クラウスの目が、研究結果を見つけた時とは別の光を帯びた。


「おお!」


何かに思い当たったらしく、ぽんと手を打つ。


「モーリスとは、あの可愛らしいリスが大冒険する絵本の主人公と同じ名前だな!」


モーリスの顔が固まった。


クラウスは気付かない。


「リスのモーリスが星のカケラと呼ばれる宝物を探して世界中を旅する話だったな。私も幼い頃によく読んだ」


それはカイルの世代でも知る長年愛されている有名な絵本だった。


小さなリスが仲間と旅をし、最後には星のカケラへ辿り着く。


主人公のモーリスは、丸い頬と大きな瞳が特徴の愛らしいリスである。


だが目の前の男は、同じ名前でも丸太のような腕を持つ大男だった。


「ぶふっ!」


最初に崩れたのはルークだった。


肩を震わせ、必死に口元を押さえながらモーリスを見る。


「や、やばいっす……こんなゴツいモーリス来たら子供泣くっす……!」


「ぶはっ!」


つられるように、カイルまで吹き出した。


モーリスのこめかみに、さらに太い青筋が浮かぶ。


「てめぇら……」


「星のカケラ探す前に熊倒しそうっす!」


「確かに」


カイルは笑いを堪えきれないまま、モーリスの肩幅を眺めた。


「むしろリスじゃなくて熊だろ」


「お前らなぁ!!」


ついにモーリスが叫んだ。


「あの絵本の話はやめろ! 俺だって気にしてんだよ!! ガキの頃から散々言われたんだ!」


先ほどまでの一触即発の空気は、いつの間にか別の熱に塗り替えられていた。


カイルもルークも、もう目の前の大男を絵本のリスと切り離して見ることが出来ず、笑いは止まらない。


「笑うな!! こうやって最近の若い奴らは! 年上だろうが何だろうが、すぐ馬鹿にしやがる!」


だがカイルは即座に首を振り、隣のクラウスを指差す。


「いや、悪いのこの人だろ」


全員の視線がクラウスへ集まった。


「む?」


当の本人は、なぜ自分が見られているのか分からない顔をしている。


「私は事実を言っただけだぞ」


「一番駄目なやつじゃないですか!」


ルークが叫ぶ。


モーリスはカイルからクラウスへ攻撃対象を変え、怒鳴るもクラウスにはまるで効いていない。


その様子を見て、カイルはふと思い出した。


笑っている場合ではない。


目の前の男は、すでに魔物の脂の話を聞いてしまっている。


「おい。アンタも今、話聞いただろ。だから秘密保持契約結んでもらうぞ」


「は?」


数秒遅れて意味が追い付き、モーリスの目が見開かれた。


「何でそうなる!?」


「何でって、魔物の脂の話も、木炭も清め草も聞いただろ」


モーリスは顔をしかめた。


正直なところ、先ほどから何を言っているのか半分も分かっていない。


魔物の脂だの、研究だの、契約だの。


モーリスは、すぐさまクラウスを指差した。


「コイツが勝手に喋ったんだろ! こっちは聞かされただけだ!」


「結果は同じだ」


「同じじゃねぇ!」


モーリスが怒鳴る。


カイルはその怒鳴り声を半分ほど聞き流しながら、皿へ視線を戻していた。


怒っている相手からでも使える情報は拾う。


そういう意味では、モーリスの肩書きはただの邪魔者で終わらせるには惜しかった。


「で、アンタ」


「あ?」


「脂のニオイを取る方法知らないか?」


話題が飛んだ。


あまりにも自然に。


モーリスは一瞬言葉を失い、次いで顔をしかめる。


「……は?」


「だからニオイだよ」


カイルは皿を指差した。


「何か知らねぇか?」


「知るかそんなもん!」


モーリスは両手を広げ、呆れと怒りを混ぜた声を張り上げた。


「俺は肉を捌くのが仕事だぞ!」


その返しに、クラウスは顎に手をあてた。


「しかし、モーリス殿は解体の専門家なのだろう?」


「あ?」


突然話を振られ、モーリスが眉をひそめる。


クラウスは真面目な顔のまま続けた。


「脂でなくても構わん。肉のニオイを取る時に使うものはないか?」


モーリスは呆れたように鼻を鳴らした。


「そんなもんなら色々ある」


「お?」


カイルの目が動く。


「酒や酢。それに香草だって使う」


「へぇ」


「肉の種類によっちゃ、血抜きのやり方でも変わる。獣によって臭みは違うからな」


モーリスは腕を組み、ようやく自分の領分を語る顔になった。


この男、怒鳴っているだけではなかった。


毎日肉と向き合い、腐敗と鮮度、血の残り方を見分けてきた職人の声だった。


「腐ってる訳じゃなくてもか?」


カイルが聞き返すと、モーリスは当然だろと言わんばかりに息を吐く。


「当たり前だ。猪なんか分かりやすい」


「猪?」


「血のニオイが強い個体もいるし、餌で臭みが変わることもある。雄なんか酷いぞ。発情期だと肉にニオイが残ることもある」


「そんなに違うのか」


「違う。だから捌く人間は匂いも見る」


「匂いを見る?」


クラウスが興味深そうに身を乗り出す。


「ニオイで状態が分かるんだよ」


モーリスは自分の鼻を指差した。


「血が残ってるのか、脂が悪いのか、肉そのものなのか。全部同じニオイじゃねぇから、ある程度は分かる」


その言葉に、クラウスの頭の中で、ばらばらだった点が繋がり始める。


「待て」


「ん?」


「それだ」


「は?」


今度はモーリスが首を傾げる。


クラウスは皿の脂を指差した。


「カイル君。我々はニオイを一つとして考えていた。だが、もし複数のニオイが混ざっているなら話は変わる」


クラウスの目が鋭く光る。


「木炭で消えるニオイもあれば、清め草で薄れるニオイもある。ならば、残っているニオイには別の消し方があるはずだ」


カイルの口元がゆっくり吊り上がった。


「つまり、そのニオイが何か突き止めて、それに合った消し方をすればいいってことですか」


「そういうことだ」


皿から漂う悪臭は変わっていない。


鼻を刺す不快さも、倉庫に染みついた空気も最悪のままだ。


それでも、ただの失敗に見えていた実験に、新しい道筋が見えた気がした。


一方、モーリスは目の前の二人を見て嫌なものを察した。


「……おい」


誰も聞いていない。


「おい!」


カイルは皿の中の脂を見つめ、クラウスはノートに新しい項目を書き足している。


「お前らちゃんとやめるんだろうな!?」


再び怒鳴り声が倉庫中に響いた。


だがカイルもクラウスも、もう脂に夢中だ。


カイルはすぐにこれまでの加工の共通点を伝える。


「確かに魔物素材って、最後は何故か生活用品を混ぜることが多いんですよね」


「生活用品?」


クラウスが興味を示し、ノートを開き直す。


「例えば?」


「さっき保存加工した血にも塩を入れたでしょ。革も油なんかを混ぜる。魔物素材そのものだけで完結するんじゃなくて、最後は案外、その辺にある物が仕事することが多いんですよ」


クラウスは何度も小さく頷きながら、ペンを走らせた。


「ふむ……面白いな」


「ですよね」


二人の意識は完全に実験へ向いていた。


その横で、モーリスは引き攣った顔をしている。


自分が怒鳴り込んできたことも、悪臭に文句を言いに来たことも、いつの間にか置き去りにされていた。


やがて諦めたように、彼はルークを見る。


「……なぁ」


「はい?」


「もう俺、戻っていいか?」


長年カイルに振り回されてきたルークには、この後の展開が嫌になるほど見えていた。


「いや……」


ルークは視線を逸らす。


「きっとダメだと思うっす」


「何でだよ!?」


モーリスが叫ぶ。


その理由は、次の瞬間にはっきりした。


「モーリス!」


突然カイルが振り返る。


「なっ!? いきなり呼び捨てかよ」


「いいから、ちょっとこの脂のニオイ嗅いでくれ」


モーリスは固まった。


数秒遅れて、言葉の意味が頭へ染み込む。


「……は?」


カイルは当然のように皿を指差した。


「だからニオイだよ。ジジイはもう耳が遠いのか?」


「聞こえてるわ!」


モーリスが怒鳴る。


「何で俺が!」


ただでさえくさい。


作業場に入っただけで鼻が曲がりそうなのに、わざわざ皿へ顔を近付けろと言われている。


食肉の現場に慣れた彼でも、魔物の脂を煮詰めたニオイは別物だった。


「お前らの実験だろうが!」


「アンタの知識がいる。俺たちには、これがただくさいとしか分かんねぇんだよ」


「誰が協力するか」


モーリスは呆れたように鼻を鳴らし、その場から立ち去ろうとした。


だが、カイルは恐ろしいことを言う。


「じゃあこのまま、また火つけるか」


さっきはもうやめると言ったくせに、どうやら続けるつもりらしい。


モーリスの足が止まった。


「……おい」


振り返ると、カイルがニヤニヤした顔で見ている。


「またニオイがしたらごめんな」


モーリスが解決しないことには、この悪臭を続けると言わんばかりだった。


モーリスは顔を引き攣らせる。


(こいつ、俺を脅してやがる)


「クソガキが! どけ!」


モーリスは荒々しく歩み寄り、嫌そうに顔をしかめながら皿へ鼻を近付けた。


何度か短く鼻を鳴らし、次いで少し角度を変える。


怒り任せに覗き込んだはずなのに、ニオイを探る仕草だけは手慣れていた。


「……ああ」


何か思い当たったように呟く。


「何だ?」


カイルが身を乗り出す。


モーリスは皿を指差した。


「なんか腎臓みてぇなニオイもすんな」


「腎臓?」


「獣の腎臓はニオイが強い。血抜きしても残る独特のニオイだ」


クラウスが興味深そうにノートを開いた。


「ほう」


「腐ってる訳でも、食えない訳でもねぇ。だが初めて食う奴は大体くさいって言う」


「そんなに違うのか?」


「違う」


モーリスは短く言い切った。


「こりゃ肉だけじゃなくて、内臓系のくささも混ざってんぞ」


その言葉に、カイルの目が細まる。


たしかに、アイアーベアの脂から漂うニオイはただ獣くさいだけではない。


鼻の奥に残る重さがあり、普通の脂を煮た時とは明らかに違う。


木炭や清め草でいくらか薄れたはずなのに、最後までしつこく残っていたのは、この肉や内臓に似たニオイなのかもしれない。


「そのニオイを消す時は?」


カイルが尋ねると、モーリスは当然のように答えた。


「生姜だ」


「生姜?」


「あとこの腐った肉みたいなのには酒も必要だな」


モーリスは皿から少し顔を離し、鼻の奥に残ったニオイを嫌そうに払いのけるよう手を振った。


「理屈は知らねぇが臭みは減る」


するとカイルが口を開く。


「加工場に生姜と酒あるか?」


「あるけどよ」


「少し分けてくれ」


「何でお前にやらなきゃいけねぇんだ」


「頼む」


「絶対やらん」


モーリスは言い捨てた。


だがカイルは諦めない。


少し離れたと思えば横にいる。


追い払っても、いつの間にかまた隣へ並んでいた。


そのしつこさに、モーリスはふと家で飼っている犬を思い出す。


普段は女房にばかり懐いているくせに、餌を持った時だけ足元へまとわり付いてくる。


黒い毛並みはカイルの髪色と重なって見え、この生意気な少年が少しだけ可愛く見えてしまった。


「あーもう! 分かったよ。持ってくるから待ってろ!」


それからしばらくして。


「ほらよ」


不機嫌そのものの声と共に、モーリスが戻ってきた。


片手には酒の小瓶、もう片方には生姜が握られている。


「ありがとな」


「これで満足だろ。もう絡んでくんな!」


そう言って踵を返した瞬間、カイルが口を開いた。


「護衛たち。その男をここから出すな」


「はっ!?」


モーリスの前へ護衛達が無言で立ちはだかる。


「何の真似だ」


「アンタはもう知った。さっきも言ったが、契約書に署名するまで出られない」


「ふざけんな!」


「ただ悪いけど、今その紙を持ってない」


「もっとふざけんな!!」


カイルは悪びれもせず肩を竦めた。


「だから実験が終わるまで待ってくれ」


モーリスの背中に冷たい汗が流れる。


先ほどまで犬に見えていた少年が、今は悪の組織の親玉にしか見えなかった。


「それを監禁って言うんだよ!」


護衛達を押し退けようとするが動かない。


「いい加減にしろ!」


押し問答になる。


ルークは嫌な予感しかしなかった。


そして案の定。


「仕方ないな」


カイルは近くにあった骨や毛皮をまとめるために置かれていた縄を手に取る。


「待て」


モーリスの顔が引き攣った。


カイルは縄を手にしたまま、にやりと不敵な笑みを浮かべる。


そして獲物を追い詰めるように、一歩、また一歩と距離を詰めた。


「痛くしねぇから」


「待て待て待て」


次の瞬間、カイルが踏み込む。


速い。


気付いた時には懐へ潜り込まれ、腕へ縄が回り、体勢を崩されていた。


さらに背後へ回り込まれ、肩から胸へ縄が締まり、足を払われる。


数秒後。


「ふざけんなよ!!」


モーリスは床へ転がされていた。


「よし」


「よしじゃねぇ!!」


モーリスが絶叫する。


「何なんだお前!こんなこと許されると思ってんのか!?」


「情報保全だ」


カイルは当然のように答えた。


「王国法第三百二十七条第二項」


「何だそれ!」


「国家機密及びそれに準ずる重要情報については、漏洩の危険が認められる場合、一時的な身柄の拘束を認める」


妙に流暢だった。


モーリスは唖然とする。


「……は?」


カイルは皿を指差した。


「魔物素材の加工技術は、重要な情報だ」


ルークは聞いた瞬間、呆れた顔に変わった。


「坊ちゃんそれ、国家機密なんすか?」


「アホか。将来的に王国へ利益をもたらす可能性があるからな」


「はぁ……」


「だから実質国家機密だ」


「実質って……それ拡大解釈しすぎっす」


ルークが額を押さえた。


その横でクラウスは何事もなかったように秤を取り出す。


「まず生姜を十グラム。酒は少量から試すか」


「おい!」


モーリスが叫ぶ。


「助けろ!」


「今忙しいんだ」


返事は即答だった。


モーリスは何故自分がここに来てしまったのか後悔する。


「まぁまぁ」


カイルはモーリスを起こした。


「落ち着けって」


「落ち着けるか!」


「ほら、こっち座れよ。何か気付いたことがあったら助言してくれ」


「誰がするか!」


そう言いながらも、モーリスは結局木箱へ腰を下ろした。


逃げようにも護衛がいる。


縄も掛けられている。


学者は助ける気がない。


最悪だった。


モーリスは深いため息を吐く。


「せめて作業場には一言入れてくれ」


「それなら大丈夫だ。護衛のノエルが今、話に行ってる」


「……そうか」


こういう所は妙にしっかりしている。


だから余計に質が悪い。


やがて準備が整った。


クラウスがノートを開く。


ルークが脂を取り分け、カイルが生姜を刻み、酒を量る。


「まずは少量だな」


その時だった。


「違う」


モーリスがぽつりと呟く。


「何がだ?」


「生姜が細かすぎる。そんな刻み方したら香りが飛ぶだろ」


「そうなのか?」


「当たり前だ。肉に使う時はもっと――」


そこまで言いかけて止まる。


カイルがにやりと笑っていた。


「随分協力的じゃねぇか」


「……あ」


しまった。


だがもう遅い。


クラウスは嬉しそうにノートを開いている。


「続けてくれ」


モーリスは天井を仰いだ。


「俺は何でこんなことになってるんだ……」


誰も答えなかった。


カイルはモーリスに視線をやる。


「火にかけていいか?」


「いや、まずはそのまま嗅げ。熱を入れるとニオイが立ちすぎる」


「そうなのか」


カイルは混ぜると、モーリスの前に皿を近づける。


くんくんと嗅ぎ、感想を言う。


「……少しマシだな」


「本当か?」


「完全じゃねぇ。けど内臓っぽいニオイが丸くなってる」


クラウスのペンが止まらない。


「丸くなる、か。面白い表現だ」


「生姜が少ねぇ。酒も少し増やせ。入れすぎると今度は酒くさくなる」


「完全に協力してるっすね」


ルークが呟く。


モーリスは睨み返した。


「してねぇ。見てられねぇだけだ!」


二度目の試料は、先ほどより明らかに臭みが和らいだ。


「効いてるな」


「ああ。完全ではないが方向は悪くない」


クラウスが頷く。


カイルは、嬉しそうに口元を緩めた。


「つまり組み合わせ次第ってことですね」


気付けば、最も険しい顔をしていたはずのモーリスが、誰より真剣に皿を覗き込み、分量に口を出していた。


その時だった。


「……お前たち……何をやってる?」


聞き慣れた声が倉庫の入口から響く。


全員が振り返った。


そこには昼食を運ばせ、殿下の城より戻ってきたエルマーが立っていた。


護衛達の後ろには食事の入った籠が見える。


だがエルマーの視線は、作業台の上の皿と、それを囲む面々へ向けられていた。


カイル。


クラウス。


ルーク。


そして、なぜか解体場責任者のモーリス。


しかも縄で縛られている。


エルマーはしばらく無言でその光景を見つめた。


やがてゆっくりと眉間を押さえる。


「……説明してもらおうか」


その顔には、帰ってきた途端に面倒事が増えていた人間の疲れが滲んでいた。


するとモーリスが、縄に縛られたまま必死に身を乗り出した。


「会頭! 助けてください!! コイツら賊ですよ!!! 俺をいきなり縛り上げて監禁してるんです!!」


「まぁ、状況を見ればそうとも見えるな」


そんな物騒な声が響く中、ふとルークが鼻を鳴らす。


「あれ? なんか、生姜のニオイしかしないっす」


その言葉に、皆の視線が静かに火へ掛けられた皿へ集まる。


そこには、淡い琥珀色へ変わった脂が、ぷくぷくと小さな泡を立てている。


いつの間にか、作業場へ充満していた悪臭は消えていた。


代わりに漂っていたのは、生姜の香りだった。

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