第30話 王国一の変わり者
ぶつぶつと何かを呟きながら、不審な男がこちらへ歩いてきた。
カイルたちは反射的に身構える。
「不審者っすぅぅぅぅ!!!!!!」
ルークの叫びに、周囲の護衛たちが一斉に剣へ手をかけた。
だが男は、そんな反応などまるで意に介さない。
カイルたちの前まで来ると、じっとこちらを観察し、何かを確かめるように小さく頷いた。
「やはり警戒心が強い……一体は怖がっている……」
そう呟きながら鞄を漁る。
「こういう時は餌だな」
独り言のように言い、何かを包んだハンカチを取り出した。
丁寧に広げられた布の中から現れたのは、少し潰れたチェリーだった。
「ほら、安心したまえ。私は危害を加えない」
男がチェリーを差し出すと、ルークは半泣きで叫んだ。
「ノエルさん! この不審者捕まえて下さいっす!!」
護衛たちが困惑する中、エルマーだけは男を見つめたまま眉をひそめていた。
ここはヴァルディア商会の倉庫で、門には見張りがいる。
時間と場所を考えれば、思い当たる人物は一人しかいなかった。
「……待て。まさか……殿下の言っていた学者か?」
男はそこでようやく顔を上げた。
「おお、そうとも。私は自然学者のクラウス・ベルナーだ」
その場にいた全員が、同じことを思った。
なんて変人を寄越したんだ……と。
髪はぼさぼさで服には皺が寄り、清潔感とは無縁の男だった。
しかし、その名は王国中に知られている。
王国生物誌や薬草図鑑など数多くの自然学書を執筆した著名な学者――クラウス・ベルナー。
騎士学校の図書館にも著書は並んでおり、カイルも何冊か読んだことがあった。
(まさか本人がこんな人だとは)
とはいえ、見た目や言動と学識は別の話である。
年齢だけなら父と同世代だったはずだ。
さすがに初対面から変人扱いする訳にもいかない。
カイルは気を取り直し、挨拶をした。
「初めまして。カイル・フォン・グランツです」
そう名乗ってから、隣へ視線を向ける。
「こっちが従者のルーク」
「ど、どうも……」
続いてエルマーも一歩前へ出た。
「ヴァルディア商会のエルマーだ」
クラウスは一人ずつ顔を見比べると、なぜか最後にもう一度ルークへ視線を戻した。
「ふむ」
小さく頷き、先ほどのチェリーを再び差し出す。
「チェリーは嫌いか?」
それは完全に、近所の野良猫へ話しかけるような口調だった。
ルークはカイルの背にしがみついたまま、涙目で答える。
「チェリーは大好きっす!」
「そうか。なら、ほら食べてみなさい」
さらにチェリーが近づいてくる。正直、美味しそうには見えず、新鮮なのかも分からない。
「い、いやっす!」
ルークは全力で首を横に振る。
クラウスは腕を組み、真剣な顔で頷いた。
「ふむ……やはり警戒心が強いな」
「だから何の話っすか!?」
ルークの悲鳴に、カイルは思わず吹き出しそうになる。
一方のクラウスは至って真面目であり、その真面目さが余計に厄介だった。
とりあえず話を進めるしかない。
カイルは小さく咳払いをし、まずはこの人物の専門を確認することにした。
「クラウス様の書かれた書籍は拝見したことがあります」
「うむ」
「植物学や動物学を研究されているのですか?」
その瞬間だった。
「違う!」
クラウスが食い気味に否定する。
「自然学とは、そんな浅いものではない!」
カイルが瞬きをした次の瞬間、クラウスは両手を広げ、堰を切ったように語り始めた。
「鳥はなぜ飛ぶのか! 魚はなぜ泳ぐのか! 草木はなぜ育ち、なぜ枯れるのか! 動物は何を食べ、どこで眠り、なぜ縄張りを持つのか!」
その声は熱を帯び、視線は完全に自分の世界へ入り込んでいる。
「我々が当然と思っている全てを観察し、記録し、分類し、その法則を解き明かす! それが自然学だ!」
「は、はぁ……」
「例えば鳥だ! 鳥は種類によって飛び方が違う! 翼の形も違う! 渡り鳥など実に興味深い! 私は以前――」
そこから先は止まらなかった。
鳥から魚、魚から草木、草木から虫へと話題は飛び続け、気付けば森の植生の話にまで発展している。
横を見ると、エルマーは遠い目をし、護衛達も完全に聞き流していた。
(まずい。止まらない)
そんな中、ルークがカイルの耳元へ口を寄せる。
「坊ちゃん……」
「なんだ?」
「この人、本物の変人っす」
「んなもん、もう分かってる」
分かりきったことを改めて言葉にされ、カイルは小さく息を吐いた。
クラウスはいつの間にか猿の話へ移り、木の実を割る猿と割らない猿の違いについて熱弁している。
まともに付き合っていたら日が暮れる。
こういう人間は、話を止めるより興味の矛先を変えた方が早い。カイルはそう判断し、すっと手を挙げた。
「クラウス様」
「うむ?」
「今日は、アイアーベアの素材を見に来られたんじゃないですか?」
ぴたり、とクラウスの口が止まった。
「おお! そうだ! それだ! 早く見せてくれたまえ! 魔物など滅多に見られるものではない!」
「ええ、もちろんです」
カイルが視線を向けると、エルマーもすぐに頷いた。
「こっちだ」
エルマーが先導し、一行は地下の氷室へ向かう。
だが歩き始めた途端、クラウスは落ち着きを失った子供のように周囲を見回した。
「こっちか!? それともこっちか!?」
案内役がエルマーだというのに、本人より前へ出ては振り返り、また前へ出る。
エルマーは内心で、相手をするのに疲れる人物だなと感じるも、そこは商売人である。
一切表には出さず、淡々と案内を続けた。
「素材は地下の氷室へ保管してある」
「素晴らしい! 腐らないように温度管理された場所にあるんだな!」
クラウスは待ちきれない様子で、また先へ出ようとする。
その背を眺めながら、ルークがぽつりと呟いた。
「……餌で釣られたっすね」
確かに、やっていることは餌付けと大差ないのかもしれない。カイルは思わず口元を緩めた。
そうして一行は地下へ降りていく。
やがて重厚な扉の前で、エルマーが立ち止まった。
「ここだ」
扉が開いた瞬間、ひやりとした冷気が流れ出す。
氷室は思っていたより広く、十人以上が入っても余裕がある。
石造りの床と壁に冷気が染み込み、空気そのものが硬く冷えているようだった。
「何が起きるか分からんからな。魔物素材は一般の商品と分けて保管させてもらった」
エルマーの説明に、カイルは小さく頷く。
衛生面はもちろん、万が一のことを考えれば当然の判断だった。
一方、クラウスの目は輝いていた。積み上げられた魔物素材の袋が、その視界いっぱいに広がっている。
「おお……! なんという量だ! これはすごい!!」
クラウスは一直線に袋の山へ駆け出した。
「待て!」
エルマーが制止するが、彼は止まらない。
次の瞬間だった。
つるっ。
「おわっ!?」
冷気で湿った床に足を取られ、クラウスの身体が大きく傾く。
「クラウス様!?」
カイルが声を上げるも、間に合わない。
ゴッ――。
勢いよく前のめりになったクラウスが、そのまま床へ突っ込んだ。
「痛っ!!」
一瞬、空気が止まった。
あまりにも見事な転倒だった。クラウスはゆっくり身を起こすが、鼻からは鮮やかに血が流れている。
「大丈夫ですか!?」
カイルが慌てて駆け寄る。
だが本人は、鼻を押さえながら妙に感心したように頷いた。
「うむ……二ヶ月ぶりだな」
「何がです?」
「鼻血だ」
「は、はぁ……」
「前回は、珍しい鳥を追い掛けて木に激突した時だ」
あまりにも予想の斜め上すぎて、誰もすぐには反応できなかった。
そんな中、真っ先に復活したのはルークだった。
「鳥見る前に前見て下さいっす!」
的確すぎるツッコミが氷室に響き、カイルの肩が小さく震えた。
(この人、いつもこんな感じなんだろうな)
そう思った瞬間、必死に堪えているのに笑いが込み上げてくる。
本人は至って真面目だ。だからこそ余計に笑えてしまう。
その間にもクラウスは立ち上がり、勝手に袋へ手を伸ばしていた。
「ふむ。まずはこちらから――」
「待って下さい」
カイルが慌てて止める。
(このおっさん、本当に止まらねぇな)
勝手に漁られ、素材を壊されでもしたらたまったものではない。
カイルは瞬時に方針を変えた。
「それ、ここで見るより外で見た方が面白いですよ」
もちろん適当である。だがクラウスの目は輝いた。
「なんだと!?」
「ええ。せっかくですから、外に行きましょう」
カイルが袋を一つ持ち上げると、クラウスは即座についてくる。
先ほどまで勝手に袋を開けようとしていた男とは思えないほど素直だった。
地上へ戻ると、エルマーが手を振った。
「作業場はこっちだ」
案内されたのは、倉庫裏の屋根付き広場だった。
長机と水場があり、床には排水用の溝まで作られている。
「ここは?」
「獣害処理場だ」
エルマーは肩を竦める。
「昔、鼠害が出た時に作ったものだ。今は大量に腐った獣が出た時くらいしか使わん」
人の気配はほとんどない。
食品を扱う加工場へ魔物素材を持ち込む訳にはいかないため、この場所を用意したのだろう。
カイルは周囲を見回し、小さく頷く。
「十分だな」
そう言って袋を机へ置く。
その瞬間も、クラウスの視線は袋に釘付けだった。
「それで!? 中には何が――」
「その前に」
カイルは上着の内ポケットから一通の封筒を取り出した。
同時にエルマーが、慣れた様子でペンを差し出す。
クラウスは一瞬だけ封筒を見たが、すぐに袋へ視線を戻す。
まるで話を聞いていない。
カイルは苦笑しながら、人差し指を一本立てた。
「こちらの守秘義務契約に署名をお願いします」
「む?」
「これに署名していただけないなら、中身は見せられません」
ぴたり、とクラウスの動きが止まった。
袋と契約書の間で忙しなく視線を泳がせた末、クラウスは唸りながら書類へ手を伸ばす。
そしてろくに中身も読まず、さらさらと名前を書いた。
「よし!」
書き終えた瞬間には、もう契約書への興味を失っている。
カイルは受け取った書類を確認しながら、隣のエルマーへ小声で囁いた。
「大丈夫か、この人」
「何がだ」
「騙されても気づかなさそうだけど」
「……否定はできんな」
エルマーは苦笑した。
カイルは契約書を封筒へ戻し、エルマーへ渡す。
「保管頼む」
「ああ」
それで一つ区切りが付いたのか、カイルは小さく息を吐いて気持ちを切り替える。
「では、始めましょうか」
そう言って上着を脱ぐ。
机の上には、保存作業に必要な刃物や桶などの道具が、すでに並べられていた。
さすがエルマーだ。準備に抜かりはない。
カイルはシャツの袖を捲り上げ、革手袋をはめる。
クラウスはその間も袋から目を離さず、落ち着きなく身を乗り出していた。
苦笑しながら袋の口を解き、中へ手を差し入れた。
ごとり――。
机の上へ置かれたのは、人の腕ほどもある巨大な骨だった。
「おおおおおおっ!!」
クラウスの絶叫が響き渡った。
ルークは慌てて両手で耳を塞ぐ。
「うるさっ!!」
だが当の本人は、そんなことなどお構いなしだった。
「素晴らしい! 実に素晴らしい!! この太さ……損傷の少なさ……! アイアーベアの骨など見たのは初めてだぞ!」
その目は、宝石でも見つけた子供のように輝いていた。
ルークが小声で呟く。
「なんかもう、骨見ただけで幸せそうっすね」
「だな」
カイルは骨を机の端へ移動させる。
すると何も言わずとも、クラウスもふらふらと後をついていった。
「よし、ルーク。始めるぞ」
「あの人はいいんすか?」
「ほっとけ」
カイルは即答した。
学者先生へ骨を与えて時間を稼ぎ、その間に作業を進める。
少なくともカイルは、それを合理的な役割分担だと思っていた。
ただ、計算が少し狂った。
学者が来ると聞いた時は、あわよくば作業も手伝わせるつもりだったのだ。
これではただ一人、人員が減っただけである。
ルークには井戸からの水汲みを任せたため、残る作業員は自分だけになった。
カイルは視線を巡らせた。
エルマーの周囲には、思ったより多くの護衛が立っており、それを見た瞬間、カイルの口元がゆっくりと吊り上がった。
「エルマー!」
その笑みを見た時点で、エルマーは嫌な予感しかしなかった。
「ノエルたち貸してくれ!」
「そう言うと思った」
一方、後ろにいたノエルたちの口から小さな声が漏れた。
「えっ?」
「ん?」
今日の予定にそんな話はなかった。
彼らは護衛であり、保存作業の手伝いをするために来た訳ではない。
だがカイルは、当然のように続ける。
「人手が足りないんだ」
「そうだな。足りているようには見えんな」
地下の氷室には、まだ大量の素材が眠っている。
クラウスは骨に夢中で、ルークは水汲みで手一杯。このままでは終わらない。
「もちろん給金は払う。昼食も用意する。せっかくだし、少し良いものを食べよう」
その一言に、何人かの護衛が反応した。
エルマーは思わず吹き出す。完全に雇う側の顔だった。
「だそうだ」
エルマーはノエルたちへ視線を向ける。
「追加の給金が出るらしいぞ」
命令ではない。嫌なら断っても構わない。
その選択肢を残しているあたり、エルマーなりの配慮だった。
ノエルたちは顔を見合わせ、同時にあの夜の光景を思い出した。
アイアーベアを解体した時のことだ。気づけば朝まで働かされていた。
あの時も、最初は少し手伝うだけの話だった気がする。
嫌な予感しかしない。
だが――。
「まぁ、そういうことなら……」
結局は頷いた。給金も出て飯も良いとなれば、断る理由もなかった。
そして何より、断ったところで別の形で巻き込まれる未来が見えた。
カイルは満足そうに頷いた。
「助かるよ」
そして作業が始まった。
「今日は骨から行くぞ」
氷室から少しずつ素材を運び出す。一度に出せば傷むため、まずは必要な分だけだった。
「骨の選別、洗浄、肉片除去を行った後、天日干しする」
説明は簡潔だった。
だが、工程が単純なことと、作業が楽なことは別である。
とにかく大きく、重い。
普通の獣とは密度が違い、中身がぎっしりと詰まっているかのような重量感があった。
地下の氷室から運び出すだけでも一苦労である。
「っ……!」
ノエルは骨を抱えたまま顔をしかめた。
額には早くも汗が浮かび、階段を上り切った頃には肩で息をしている。
一方で、カイルは慣れた様子で骨を運び、並べ、作業を進めていく。
そしてクラウスはというと――。
「すごいな……これは肉片か……」
完全に別世界へ旅立っていた。
骨へ顔を近づけて匂いを嗅ぎ、肉片を摘み上げては観察記録をノートへ書き込む。
先ほどまで一つの骨へ夢中になっていたクラウスだったが、地上へ次々と運び出される骨を目にしてからは落ち着きがなくなった。
新しい骨が運ばれてくる度に視線を走らせ、手元の観察もそこそこに駆け寄っていく。
「この形は足だな……これは中足骨か。ほう、こちらは踵骨だな」
そう呟きながら、クラウスは誰に頼まれた訳でもないのに次々と骨を仕分けていく。
その手際の良さに、カイルは思わず声を掛けた。
「クラウス様」
「うむ?」
「骨を見ただけで、どこの部分か分かるんですか?」
クラウスは当然だと言わんばかりに頷く。
「うむ。あくまで熊として見ればだがな。魔物と聞き、もっと全く別の生物を想像していた。だが違う」
そう言って、手元の骨をくるりと回す。
「本当に熊が、そのまま魔物になったように見える」
カイルは不思議そうに眺めた。
熊を仕留めたことがない以上、違いを比較したことなどない。しかし学者がそう言うのなら、そうなのだろう。
「へぇ、そうなんですか」
カイルの反応は薄かった。
クラウスは苦笑し、手にした骨を眺めながら続ける。
「私はな、昔から考えているんだ。魔物は本当に、最初から魔物だったのかとな」
「最初から?」
「うむ。この骨格もそうだ。あまりにも熊に似ている」
クラウスは骨を指で軽く叩いた。
「もし魔物が元は普通の動物で、病や環境、食べ物……あるいは我々の知らぬ何かによって変異した存在だとしたら?」
その目は研究者そのものだった。
「原因が分かれば、魔物が生まれる仕組みも解明できるかもしれん」
「ふぅん」
カイルは曖昧に頷いた。
「君はあまり興味がないようだな」
「まあ。そういうのは専門家に任せます」
カイルは肩を竦め、手元の骨へ視線を落とした。
「原因を調べるのも、世界の謎を解くのも大事なんでしょうけど、俺はこいつを狩って金に変える方が性に合ってます」
クラウスは吹き出した。
「なるほど。君はそういう人間か」
「えぇ。原因が解明されて、魔物がいなくなってくれるなら、それに越したことはありませんが」
カイルは骨を軽く持ち上げた。
「解き明かされるまでは、しっかり稼がせてもらいますよ」
「ははは!」
クラウスは声を上げて笑った。
そして手元の骨をくるりと回す。
「なら、こちらはどうだ?」
「何です?」
「狩りに役立つ話かもしれんぞ」
カイルの眉が僅かに動いた。
「これだけ似ているなら、習性も似ているのかもしれん」
その言葉に、カイルの手が止まった。
「習性?」
「うむ」
クラウスは頷く。
「好む餌、縄張り、繁殖期。そういったものが分かれば行動も予測できる」
その話を聞き、カイルの脳裏へ猟師たちが作ってくれている魔物マップが浮かんだ。
目撃情報、討伐場所、巣の位置。それらを記録した地図だ。
だが、それはあくまで結果に過ぎない。
もし魔物が動物と同じ習性を持つのなら、見えてくるものは大きく変わる。
これまで蓄積した情報へ習性という視点が加われば、魔物マップの精度はさらに上がるかもしれない。
「なるほど」
カイルの口元が僅かに緩んだ。
「それ、かなり使えますね」
「ほう?」
「もっと効率良く見つけられるかもしれません」
カイルは笑う。
「つまり、もっと狩れるってことです」
クラウスも楽しそうに笑った。
「やはり君はそこへ行くのだな」
「商売人ですから」
カイルは肩を竦める。
だが、その直後だった。
クラウスは骨を机へ置き、ふと思い出したように顔を上げる。
「そういえば、これはどこで狩った?」
「野営地ですね」
カイルは答えた。
「剣都へ向かう途中の森です」
「野営地?」
クラウスの眉がぴくりと動く。
「人が集まっていた場所か?」
「ええ。護衛や商人、傭兵に自警団もいました」
「ふむ……」
クラウスは顎へ手を当てた。
しばらく考え込んだ後、近くの骨を指先で軽く叩く。
「妙だな」
「何がです?」
「この個体だよ」
「アイアーベアは滅多に姿を現さない。目撃情報も少ない」
その目が細められる。
「もし仮に熊と似た習性を持つなら、大勢の人間が集まる場所へ現れるなど、かなり稀なはずだ」
カイルも考える。
確かにそうだ。
アイアーベアは滅多に姿を現さない珍しい魔物だった。
それが自分たちの野営地近くへ現れたこと自体、今思えば不自然だった。
「たまたまでは?」
クラウスは首を傾げた。
「かもしれん」
「森で何か起きたのか、餌がなくなったのかもしれませんし」
「それもある。昔は村を襲った記録もあるからな」
そして小さく笑う。
「あるいは、何かに釣られて来たのかもしれんぞ」
「何か?」
「さあな。案外、君に反応していたりしてな」
カイルは吹き出した。
「そんな訳ないでしょう。そもそもアイアーベアは嗅覚が鈍いんですよ。俺の匂いっていうのも無理があります」
クラウスは腕を組む。
「ならば気配か?」
その言葉に、カイルは僅かに眉を動かした。
「気配?」
クラウスは肩を竦めた。
「まぁ、ただの思いつきだ」
そう言って笑う横顔は、どこか楽しそうだった。
カイルはどこか呆れたように眉を下げた。
結局、答えは出ない。
だが、その違和感だけは妙に頭から離れなかった。




