第2話 馬車の中の顔
その日は週末ということもあり、全寮制の騎士学校から帰る生徒たちで門の外は賑わっていた。
迎えの馬車や従者が並ぶ中、カイルもその流れに混ざり、見慣れた馬車を見つけた瞬間、胸の奥に溜まっていた重たい息をようやく吐き出す。
(……助かった)
そんな安堵も束の間だった。
「坊ちゃん!」
大きく手を振っているのは、五つ年上の従者、ルークだ。
淡い金色の髪を肩にかからない長さに整え、前髪はヘアピンで上に上げているため、額があらわになり、その分表情の変化がはっきりと見て取れる。
結果、隠しきれない明るさがそのまま表に出ており、元気さだけがやけに目立っていた。
貴族の従者にしては派手だが、それは昔カイルが「縮こまるな」と言った結果で、ルークは今やすっかり自由人だった。
「迎え、ありがとう。助かるよ」
まだ周囲には騎士学校の生徒たちがいる。
カイルは自然に“外向きの声”を作り、穏やかな笑みを添えてそう返す。
だが、その仮面は馬車に乗り込み、扉が閉まったところで一瞬にして剥がれ落ちた。
「……だから坊ちゃんって呼ぶなって言ってんだろ! 何回目だ!」
声音は低く、目つきも鋭い。ついさっきまでの“模範生”は、影も形もない。
ルークは肩をすくめ、くっくっと喉の奥で笑った。
「裏表、激しすぎっすよ。坊ちゃん」
「その呼び方をやめろ」
「はいはい」
軽く流すその態度にも、もういちいち腹を立てる気にもならない。――ルークだけが知っているのだ。
この少年の素顔と、金の匂いにだけ異様に敏感な本性を。
馬車が動き出し、車輪の軋みと馬の蹄が石畳を叩く音が、規則正しく車内へ響き始める。
窓の外では夕方の王都がゆっくりと流れていた。
しかし、カイルの意識はそんな景色に向いていなかった。
「……困ったことになった」
「えっ? また、女の子たちに囲まれて抜け出せなくなったんすか?」
「そんな話じゃねぇ」
低く遮ると、ルークの冗談めいた表情がすぐに消える。
「俺が“商売してる”って噂だ。今日、教官に呼び出された」
次の瞬間、ルークの声は見事に裏返った。
「はぁ!? だから言ったじゃないっすか! 学校にバレたら終わりっすよ!」
「分かってる。今日は誤魔化した」
根も葉もない噂だ、そういう顔をして、そういう言葉を選んで逃げた。
模範生らしく綺麗に包んだが、だからといって逃げ切れたとは思えない。
「七年、誰にも気づかれなかったのに、それが今になって急にだ」
どこから漏れたのか、誰が嗅ぎつけたのか、それとも別の何かを掴まれているのか。
考えれば考えるほど、嫌な想像ばかりが頭をよぎる。
ルークも腕を組んで唸る。
「……学校が本気になったら、退学っすよね」
「だろうな」
即答だった。
「騎士学校が一番嫌うのは、剣が弱い奴じゃない。“騎士以外の価値”を持つやつだ」
剣以外で稼ぐこと、他に目を向けること。
そういうものを持った瞬間、この場所では異物になる。
ルークはふっと息を漏らし、それから恐る恐る切り出した。
「……この流れで聞くのもアレですけど、今月分の売り上げ見ます?」
「出せ」
差し出された封筒を受け取り、中の帳簿へ目を落とした瞬間、カイルの口元が勝手に緩んだ。
「くっくっ……!」
「坊ちゃん、その悪役みたいな笑い方やめてください」
「うるせぇ」
だが否定はできない。
数字は綺麗な右肩上がりを描いていて、七年積み上げてきたものが、紙の上で堂々と踊っていた。
「もう名前だけで売れる、ってやつっすね。トリニティ・クロス」
ルークが、やや呆れたように、それでも少し誇らしげにそう言う。
トリニティ・クロス。
それはカイルが立ち上げた生活雑貨のブランドだ。
性能だけではなく、見た目にも気を配った。
使うことそのものに価値が宿るよう整えている。
影響力のある職人や商人に試作品を渡し、まずは評判を作る。
そこから現場の人間を束ねる組合へ直接売り込み、一気に広めた。
売り方も宣伝も工夫した結果、その積み重ねが今の数字に結びついている。
「新作も、売り上げ好調っすよ」
「いい感じだ」
「そうっすね。新作には“あれ”使ってないのに」
中身がどうとか、素材がどうとか、そこだけで評価されているわけではない。
トリニティ・クロスという名前そのものが“買われている”のだ。
「今なら、その辺の石ころでもトリニティ・クロスの紋章入れたら売れそうだな」
「ハァ……坊ちゃんなら本当に売り切りそうで怖いっす」
ルークのため息をよそに、カイルは帳簿を閉じ、舌打ち混じりに言う。
「それなのに、今さらやめられるわけねぇだろ。こんだけ回ってんだぞ」
そのまま背もたれに体を預け、吐き捨てるように続けた。
「あ〜あ……あの夢みてぇに、商人の家に生まれてりゃ、こんな面倒なことしなくて済んだのによ」
ルークが小さく笑う。
「またそれっすか。坊ちゃんが小さい頃から見てるっていう、あの変な夢」
カイルは視線だけを向ける。
「商売人の息子なのに、金になるからって冒険者になって、魔物狩って売りさばいてってやつ」
「ああ。しかも、ギルドだか何だかに持ち込めばそれで全部済むらしい。楽なもんだよな」
その言い方には、本気半分、皮肉半分の響きがあった。
ルークは苦笑した。
「この国には、そもそも冒険者なんて職業ないですし、そんな都合いいもんありませんけどね」
「だから面倒なんだよ」
カイルはぼそりと呟く。
「目の前に金になるもんがあるのに、誰も手をつけねぇ」
窓の外へ視線を流しながら、低く続ける。
「……あれは、加工すりゃいくらでも化けるのに」
そう、この国にも“魔物”と呼ばれる存在はいる。
姿も性質も、夢で見たものと大きな違いはない。
動物に似たものもいれば、爬虫類や昆虫、海洋生物、植物に似たものまでいる。
正体不明のものまで含めれば、その種類は計り知れない。
だが、この国ではそれらは人を襲う危険な生物として忌避され、倒されれば焼かれるだけの“厄介な災害”として扱われている。
ルークは肩をすくめた。
「そりゃ使い道が分かんないんすから、捨てて当たり前でしょ。それを坊ちゃんは分かりもしないのに、ものに変えたんだから、頭おかしいっすよ」
そこで一拍置き、呆れたまま言葉を継ぐ。
「だって夢の中の男、魔物狩ってそれ換金してただけなんでしょ? ものづくりなんてやってないのに……よくもまぁ、そこまでやりましたね」
カイルは、ふっと鼻で笑った。
「頼んでた武具取りに行った時とか、職人と話してるやつ、仲間同士で道具の話してるとことか。そういうとこに、使えるもんがあった」
ルークは少しだけ眉をひそめる。
「……それ、普通拾えます?」
「拾うだろ」
即答だった。
「料理と同じだ。手作りのやつを、“これどうやって作ったの?”って聞いたら、やたら細かく説明してくるやついるだろ」
「……ああ、いますね」
ルークが頷くと、カイルはそこで軽く指を鳴らした。
「それだよ。全部は分かんなくても、外しちゃいけねぇ部分は混じってる。そこだけ拾って、後は試して潰しただけだ」
ルークは、はぁ……と深く息を吐いた。
「その“潰す”って作業に、俺も散々付き合わされましたけどね。失敗ばっかだったのに、それでも何度もやるのが普通じゃないんすよ」
カイルは小さく舌打ちした。
「作れるところがないなら、自分たちでやるしかないだろ。それで今、成功してんだから」
カイルは吐き捨てるように言い、口元をわずかに歪めた。
「結果は出てる。売れてる。それで十分だろ」
一拍置き、何でもないことのように続ける。
「――トリニティ・クロスの商品には、一部、魔物素材も使ってるしな」
ルークは肩をすくめ、半ば呆れたように息を吐いた。
「それもヤバいんすよ。これバレたら、世間ひっくり返りますよ」
あっさりとした口調だったが、内容だけは軽くない。
だが、カイルは気にした様子もなく視線を外した。
「まぁ……やりたくなる気持ちは分かりますけどね」
ルークは、どこか楽しそうに言う。
「……でも坊ちゃんの場合、魔物狩ってるのが、一番の問題でしょ」
カイルは視線を戻し、低く言った。
「……ほんと、生まれる家、間違いすぎだろ」
小さく吐き捨てる。
「よりにもよって騎士の家だ。一番“やっちゃいけねぇ立場”に生まれやがった」
ルークは、呆れたように肩をすくめた。
「……そんなこと言ってる人が、騎士目指してる時点で矛盾してますけどね」
カイルは一瞬だけ黙る。
だが、その沈黙は迷いではなく、言葉を選ぶための間に過ぎなかった。
「欲しいもんは、欲しいだろ」
あっさりと言い切る。
「……あの立場はな」
ルークが眉をひそめると、カイルはニヤリと笑った。
「騎士ってのは、ただ剣を振るうだけじゃねぇ。発言権がある――多少のことは“国のため”って言えば通るし、何より、俺たちのブランドを国に売れるかもしれねぇ」
「それ、坊ちゃんが裏で商売してるってバレません?」
「アホか。そのまま出るわけねぇだろ」
カイルは鼻で笑った。
「表に立つのは、あくまで職人連中だ。俺はその後ろで回してるだけだ」
わずかに肩をすくめる。
「商売に関する書類には、俺の名前は一切出てねぇからな。知り合いの商人から仕入れたってことにすりゃ、それで終わりだ。誰も“裏”までは見ねぇよ」
ルークはじとりとした目を向けた。
「いや、今まさに学校にバレかけてますけどね」
「……うっ」
一瞬だけ言葉に詰まり、カイルは視線を逸らす。
だがすぐに咳払いを一つ。
「と、とにかくだ。国に売れるんだぞ。個人相手とは桁が違う」
その声は、どこか強引だった。
「国が買うって決まれば、金の流れそのものが変わる。一発で全部、ひっくり返せる」
完全に、商人の目だった。
ルークは深くため息をつきながら、それでも笑う。
「……ほんと、騎士を何だと思ってるんすか。誇りも何もあったもんじゃないっすね」
少しだけ首を傾げてから、続けた。
「坊ちゃんのタチの悪さって、そこなんすよ」
カイルはムッとした表情に変わる。
「いいだろ、別に」
そして、どこか楽しげに言い足した。
「夢の男が商売に縁のある人間で助かったわ。金の回し方も分かるし、魔物の狩り方も分かる」
一瞬だけ目を細める。
「……こんな都合いい話、そうそうねぇぞ」
ルークは呆れたように笑った。
「神様、完全に配役ミスっすね」
馬車は変わらず、規則正しく揺れている。
その中で――
騎士になるために生まれた少年は、
誰よりも“騎士でない思考”を持っていた。




