第28話 志の行き着く先
「……魔物を狩る騎士だと?」
驚きが滲んだ声だった。
アルフォンスはカップを手にしたまま、しばらくカイルを見つめる。
「待て」
小さく呟き、何かを整理するように目を細めた。
「志としては立派だ。だが実際、魔物を相手にするのは容易なことではない。きっと君が想像しているより、遥かに恐ろしいぞ」
その言葉に、エルマーは咄嗟に首を振る。
「殿下、それは違います。この子はもう随分と前から自ら魔物へ近づき、その剣で討伐しております」
一瞬、部屋が静まり返った。
「……なんだと?」
思わず身を乗り出す。
「この“魔物を狩る騎士”というのは、ただの理想ではないのか!?」
騎士学校を卒業したばかりの若者が、ごく稀に似た志を抱くことがある。
領民を守りたい者。度胸試しに危険地帯へ挑む者。
だが、その多くは現実を知り、やがて諦めていく。
アルフォンスには、カイルの言葉もそんな若者特有の理想に聞こえていた。
「そのようなものではありません」
カイルも首を横に振る。
エルマーは肩を竦めた。
「もう経験を、数多く積んでおります。あとは騎士の称号さえ手に入れれば、そのまま言葉通りになるかと」
「信じられん……」
驚きを隠せない声だった。
思わず持っていたカップを落としそうになる。
エルマーは続けた。
「ここへ来る道中でも、アイアーベアを討伐しました。傭兵、自警団、私の護衛達をこの子が導き、共に倒しております」
その横でルークが大きく頷く。
「あれはヤバかったっす」
あまりにも素直な感想だった。
「……なんということだ。アイアーベアだと?」
その名が持つ衝撃は、彼の頭を真っ白にするほどだった。
室内が静まり返る。
ぼりっ。
乾いた音が響いた。
視線を向ければ、ルークが焼き菓子を齧っている。
カイルは無言で肘を入れた。
「痛っ」
「今食うな」
「だ、だって美味そうだったんすよ……」
「後にしろ」
そのやり取りに、張り詰めていた空気が僅かに緩む。
アルフォンスも現実へ引き戻されたように小さく息を吐いた。
そして改めてカイルへ視線を向ける。
「それを……君が?」
「いいえ。皆でやったことなので、僕の手柄ではありません」
まだ信じられないという顔で、カイルを見つめていた。
そこで、ふと気付く。
魔物を狩る騎士を語った時だけ、一人称が「俺」に変わっていた。
今はまた「僕」に戻っている。
口元がわずかに緩む。
あれが本心なのだろう。
(ならば、その志がどれほどのものか――少し量らせてもらうとしよう)
アルフォンスは息を整え、カップを置いた。
「そうか。なら、なぜ商売をする?」
穏やかな口調だったが、問いは核心を突いていた。
「魔物を狩る騎士を目指すなら、魔物を討伐するだけでいいはずだ」
少しだけ意地の悪い問いを重ねる。
「君は――欲が深いのかな?」
何とも答えにくい問いだった。
だが、カイルは即答した。
「はい。僕はお金が欲しいです」
あまりにも迷いのない返答に、エルマーでさえ苦笑を浮かべた。
カイルは気にした様子もない。
「その稼いだお金で、自警団を支援するつもりです」
そこで初めて、欲の向かう先が示された。
自分のためではなく、仕組みを変えるための金だった。
今度はカイルの方から問い返す。
「現実的に考えて、いきなり騎士が魔物を狩るなんて、今のこの国では難しいでしょ?」
「そうだな。君の父上も同じことを言っていた」
「僕も聞きました」
「でも、それは未だに実現していない。だから僕は別の道を作ろうと思っています」
「ほう」
興味深そうに目を細めた。
「どんな道かな?」
「まずは騎士の称号を手に入れ、立場を得るんです。そうすれば自警団を預かる貴族達とも対等に話ができます」
「ふむ」
「そして、その運営を僕に任せてほしいと申し出るんです」
アルフォンスは思わず眉を上げた。
「わざわざ大変な役目を引き受けるのか?」
「そうです」
「しかし……自警団の管理など、貴族達が面倒事として押し付け合うほどの仕事だ。支援するというのなら、寄付という形では駄目なのか?」
その問いに、カイルはきっぱりと首を横に振った。
「駄目です」
理由は単純だった。
管理を任された貴族が資金を握る以上、全てが自警団へ流れる保証はない。
中には支援金を吸い上げ、自らの懐へ収める者もいる。
少年はそう断言した。
(若者にしては、随分と世間を知っているな)
アルフォンスの耳にも、その手の話は届いていた。
王国は自警団へ管理費の一部を支給している。
ただ、本当に団員達へ届いているのか。
長く解決されない疑問だった。
「君はそこへ自分から飛び込もうというのか?」
カイルは頷いた。
「そうです。例えるなら、船と同じですよ」
「船?」
「乗客として文句を言うより、舵を握った方が進む方向を決めやすいでしょ?」
アルフォンスは一瞬目を瞬かせた。
そして――
「なるほどな」
くっ、と喉の奥で笑う。
「面倒事へ飛び込むのではなく、最初から船長になるつもりか」
カイルは肩をすくめた。
「その方が話は早いですから」
発想は面白い。
とはいえ、現実は別だ。
そもそも、その提案に乗る貴族がいるのか。
今度は、そんな疑問を静かに問いかけた。
「ならば聞こう。この話を受ける貴族はいるのかな?」
「います」
また迷いのない返答だった。
「彼らが一番好きなものを渡しますから」
「何だ?」
「お金ですよ」
何とも分かりやすい答えだった。
「自警団を支援したいと言って、お金を出すんです。そうすれば貴族は喜んで協力してくれます」
カイルは両手を広げた。
「どうぞ好きにやって下さい。こちらに迷惑が掛からなければ構いません――ってね」
殿下は思わず眉をひそめた。
つい先程まで、寄付をすれば金を吸い上げる貴族もいると語っていた少年だ。
その本人が、今度は金を差し出すと言う。
「貴族たちが自分の為に使うかもしれないぞ」
「構いません」
カイルはあっさりと答えた。
「最初の手付金みたいなものですから」
「手付金?」
「ええ」
少年は頷く。
「そのお金が彼らの懐に入っても別にいいんです。相手に旨味を見せなきゃ、話は始まりませんから。大事なのは、自警団の運営に口を出せる立場を手に入れることです」
「ふむ」
アルフォンスは、小さく頷く。
話せば話すほど、この少年は騎士というより商人だ。
相手とどう交渉するか、その段取りを分かっている。
――面白い。
そんな感想が自然と浮かぶ。
カイルは構わず話を続ける。
「管理の手間は減り、支援金は入る。成功すれば利益になる」
指を折りながら、一つずつ数えていく。
「自警団の装備も支給すれば、領地の安全性も上がるかもしれない」
そして最後に肩を竦めた。
「仮に上手くいかなくても、元に戻るだけです」
「……」
「少なくとも損をする話じゃありません」
「本当にそうか?」
「と、言いますと?」
「上手くいかなかった時、元に戻るだけかな?」
カイルは黙って続きを待つ。
「金が絡めば、人は期待する。期待させておいて失敗すれば、不満も生まれる。今より悪くなる可能性もあるぞ」
その言葉に、カイルも小さく頷いた。
「僕も考えました」
「ほう」
「実は僕の商売仲間に、元自警団の隊長をしていた人がいます」
「そうなのか?」
「えぇ。この話をしたら、そんなこと気にする必要はないと笑われました」
「なぜだ?」
「彼はこう言ったんです」
カイルは静かに視線を落とした。
「――これまで何の価値もなく死んでいた自警団員が、お金を受け取って死んだ自警団員になるなら、貴族は喜ぶなって」
静かな声だった。
「むしろ利益が出る分だけ、前よりマシになるだろと」
感情を切り捨てた訳ではない。
現実をそのまま口にした、あまりに残酷な言葉だった。
同時に、今の王国を誰よりも正確に切り取った言葉でもあった。
「それに自警団員にとっても、武器や防具が少しでも整うだけで違うとも言っていました。この話には、貴族にも利益がある。自警団にも利益がある」
一拍置く。
「だから僕は、断る理由は少ないと思っています」
しばらく黙り込んだ後、アルフォンスは感心したように頷いた。
「なるほど。協力者を集められると考える理由は分かった。では、その運営で具体的に何をする?」
「まずは教育です」
その答えに殿下は、目を瞬かせる。
「教育?」
「そうです。実際、僕達は既に似たことをやっています」
「ほう?」
「ヴァルディア商会が抱える猟師達です」
「猟師か」
「はい。彼らには、商品に使う魔物を罠や弓、ナイフで狩ってもらっています。だから事前に、魔物の習性や危険性を教えているんです」
「誰が考えたのかな?」
「最初は僕です。ただ、今は仲間の猟師達にも協力してもらっています」
「なるほど」
小さく頷く。
「危険性や注意点、罠を張る場所や急所――そういった内容をまとめた手引書を作り、商会での教育に使ってもらっています」
「それはまた……魔物を狩るための学校だな」
思わず笑みが漏れた。
カイルも苦笑する。
「さすがにアイアーベアみたいな危険な魔物はやらせませんよ。商品に使うのは、なるべく数が多く危険の少ない魔物を選んでいますので」
「ほう? それはどれを狩るか選んでいるのか?」
「そうです。確実に仕留められ、安定して供給するためにも、そういうやり方をとっています」
その返答に、殿下はわずかに目を細めた。
狙った魔物だけを継続して狩る。
そんなことが本当に可能なのか。
疑問が表情に滲む。
カイルは小さく笑った。
「調べていただければ分かると思います」
「何がだ?」
「特定の魔物の数が減少傾向にあるはずです。例えば、鱗ネズミや火尾リスですね」
「……ほう」
「鱗ネズミは木箱の補強剤に。火尾リスはランプの芯に使っています。よく売れる商品ですので、数も減っているはずです」
「……なるほどな……」
考え方が、まるで仕入れだ。
思わず口元が緩んでしまう。
「それ以外にも、身を隠す方法や逃げ方は必ず教えています」
「ふむ」
「そのやり方を自警団へ落とし込めばいいんです。もっとも、彼らに猟師と同じことをやらせるつもりはありません」
「というと?」
「自警団は、いつどこでどんな魔物に遭遇するか分かりません。なので特定の魔物を狙って対処する教育は向いていません」
カイルは指を一本立てた。
「だから最初は、押し返すコツや身を守る方法を中心に教えます」
「ほう」
「危険な場所へ近づかないこと。魔物の前でやってはいけないこと。遭遇した時の対処などです」
静かな声で続ける。
「それだけでも生存率はかなり変わるはずです。猟師と組ませるだけでも、今よりずっと戦えるようになるでしょう」
「なるほどな」
アルフォンスは腕を組み、感心したように息を吐いた。
「それで成果を出すという訳か」
「はい。そうやって成果を出していけば、継続してお金を払わなくても、今度は向こうから頼んでくるようになりますよ」
そこで言葉を切った。
アルフォンスはしばらく何も言わなかった。
匂い袋。
魔物素材の加工。
アイアーベア討伐。
猟師達への教育。
どれも既に結果として存在している。
夢想家ではない。
そう判断したからこそ、軽く扱えなかった。
加えて、この商人のような考え方と口のうまさは侮れない。
やがて小さな笑いが出た。
「……驚いた。これは、なかなかの策士だ」
その言葉に、カイルは少し困ったように笑った。
褒められているのか、警戒されているのか分からなかったからだ。
一方のアルフォンスは、そんな反応さえ面白く感じていた。
ならば――と、また別の角度から問いを投げる。
「しかし、君は一人だ。王都の自警団だけを助けるつもりか?」
「いいえ」
カイルは即座に首を振った。
「騎士になれれば、多少の事業には目を瞑ってもらえるはずです」
少しだけ口元を上げる。
「自警団に手を貸そうと騎士達を説得するより――代わりを集めた方が早い」
その言葉に、殿下の視線が鋭くなった。
「代わりとは?」
「この国には傭兵もいます。身分のせいで騎士になれない強い人達もいる。猟師だっています。そういう人達を集めて別の組織を作るんです」
室内の空気が僅かに張り詰める。
先程までとは違う。
組織の話だ。
「その人達に自警団の指導をさせます。人数が増えれば、自警団と変わらない戦力だって作れます」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が変わった。
アルフォンスの笑みが消える。
「……危険な道だな」
静かな声だった。
一言には明確な警告が含まれている。
騎士団の外に武力を持つ集団を作る。
一歩間違えれば、国を揺るがしかねない。
王族である彼にとって、見過ごせる話ではなかった。
「人数が増えれば、いずれ騎士団と競合する。君はその危険性を理解しているのか?」
それでもカイルは怯まなかった。
「危険なのは、今の風潮です」
隣に座るエルマーの目がわずかに動く。
踏み込むと分かったからだ。
「騎士という訓練された者達が、下賎な仕事だと言って魔物を狩らない。すべて民へ押し付け、貴族は民を盾にして生きている」
部屋の空気がさらに重くなる。
「この歪んだ風潮の方が、よほど危険です」
エルマーの背中を冷たい汗が流れた。
それはあまりに、国の根幹に触れる発言だ。
「カイル! その言い方は無礼だぞ!」
だが、当の本人は少しも動じない。
「こちらの方が、国のためになります」
止めようとするエルマーを、軽く手を上げて制した。
「構わん。続けなさい」
怒っている様子はない。
むしろ興味深そうだった。
カイルも小さく頷く。
「国は民がいなければ機能しません。大切な働き手が魔物に食われれば、税収も減り、生産力も落ちます」
「理屈は分かる」
「でも、その働き手を魔物の脅威へさらし続ける構造になっている。それが今の現状です」
少し間を置き、カイルは問う。
「じゃあ、その人達がいなくなったら――明日の食事は誰が用意するんです?」
誰も答えない。
答えが分かり切っていたからだ。
「麦を作る人がいなければパンは食べられない。でも、土地を守る貴族がいなければ、その麦を安定して作り続けることもできない。本来は、どちらも必要な存在なんです」
カイルは静かに続けた。
「なのに今の構造では、危険ばかりが庶民へ押し付けられている。だから人々は貴族を恨み、貴族もまた庶民の命を軽く見るようになる」
部屋が静まり返る。
「互いに必要な存在なのに、今の構造はそれを忘れさせるんです」
誰もすぐには口を開けなかった。
重く、否定できない言葉だった。
「戦力を持つことが問題なら、国が管理すればいいんです。僕が欲しいのは軍隊じゃありません。人を襲う魔物を減らす仕組みです」
そして続ける。
「その上で、魔物を商品に変えることができれば、狩る意味は増します。お金になるなら、もっと多くの人が動き、雇うことも出来る」
少しだけ口元を緩めた。
「そういう仕組みが作れれば、今よりずっと良くなると思うんです」
重い話ばかりが続くというのに、カイルはそこで優しい笑みを浮かべる。
「国も豊かになる。人も守れる。だったら、やる価値はあるでしょう? 俺は、そう信じています」
誰もすぐには言葉を発しなかった。
また「俺」と言った。
本気で語る時だけ現れる言葉だ。
静かにカイルを見つめる。
やがてアルフォンスは、穏やかな笑みを浮かべた。
「君は優秀だな」
その一言に、エルマーは内心驚く。
殿下からの評価は明らかに高かった。
「騎士よりも、国の中枢を担う仕事に興味はないか?」
室内の空気が変わる。
どれほど重い言葉か、ここにいる全員が理解していた。
当のカイルは頭を掻きながら困ったように笑う。
「あー……小さい頃から剣を握ってたので」
そう言ってお茶を一口飲んだ。
それだけだった。
あまりにもあっさりした返答に、思わず笑う。
「なるほど」
肩を揺らした。
「益々、君に興味が湧いてきたな」
その目は完全に好奇心に満ちている。
カイルは苦笑した。
「そんな大した者じゃありませんよ」
少しだけ視線を落とす。
「実際は、いつ学校を退学させられ、父にバレるかヒヤヒヤしてます。家柄や父の立場を考えると、叱責だけでは済みませんから」
小さく息を吐いた。
「商売仲間の工房職人達まで巻き込むことになるでしょう」
エルマーも表情を引き締める。
カイルは続けた。
「彼らを守るためにも、公になる前に家を出て、他国へ行くことが今は最善の道だと考えています」
そう言い切った瞬間――
「馬鹿なことを言うな!」
「馬鹿なことを言うな!」
エルマーと殿下の声が綺麗に重なった。
思わずカイルが目を瞬かせる。
エルマーなど半ば立ち上がりかけていた。
「まだそんなことを言っているのか!?」
普段の穏やかさは消えている。
彼もまた笑みを引っ込めていた。
他国。
その一言を軽く流すことはできない。
「何のためにこうやって殿下のところへ連れて来たと思う?」
エルマーは鋭い視線を向けた。
「お前の作ったものを、他国へ持って行かれたらどうなると思う? 利益も技術も人材も、全部向こうへ流れる」
「でも――」
「絶対に駄目だ!」
エルマーは即答した。
「お前と組んでから退屈しなくなったというのに」
「……」
「そんなことになるなら、私も国を出るからな!」
「何言ってんだよ!」
突然始まった言い合い。
ルークは視線を右へ左へと泳がせる。
「え、ちょ、二人とも……」
だが、アルフォンスはむしろ静かに眺めている。
エルマー殿がここまで感情を露わにするのは珍しい。
どうやらこの二人の信頼は本物のようだ。
きっと、つい最近築かれたものではないのだろう。
殿下は改めてカイルを見る。
先程までの穏やかな表情はない。
そこにいるのは一人の王族だった。
王国の未来を背負う者の、真剣な眼差し。
これだけの志と実績、家柄を持つ少年を失うわけにはいかない。
「そこまでだ」
静かな声が二人の言い合いを止める。
二人ははっと我に返った。
言い合いを止め、すぐに座り直す。
殿下の前だというのに、とんだ失態だ。
アルフォンスは、指を組み落ち着いた声音で言った。
「私も、君が他国へ行くことには反対だ」
すると、カイルは困ったように眉を下げた。
「じゃあ……どうすればいいんですか?」
その問いに、アルフォンスはすぐには答えなかった。
しばらく無言のままカイルを見つめる。
言葉ではなく、人そのものを見極めるように。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「君という人間を、もっと知りたい」
室内が静まり返る。
「その上で――もし本当に君の目指す“魔物を狩る騎士”になる力があると分かれば」
そこで言葉を切った。
そして迷いなく告げる。
「私の指揮下でその組織を作ろう」
後に王国の歴史を変えることになる話は、この執務室から始まった。




