第12話 焚き火の輪と騎士の答え
馬車は、ゆるやかな街道を揺れながら進んでいった。
目的地までは五日ほどの行程であり、昼と夜を繰り返しながら進む。
その旅路では、休憩のたびに護衛たちが馬を休ませ、水を飲ませ、短い談笑を交わしながら周囲の様子を確かめていた。
そうした空気の中で、カイルは腰を落ち着けるよりも先に動いていた。
傭兵たちのところへ行っては
「どんな戦い方をしてるんです?」と興味津々に声をかけ、
護衛団の前では
「警護対象を守る時の陣形はどんなものですか?」と真剣な顔で尋ね、
自警団員には
「どんな魔物に出会ったことがありますか?」と食い入るように耳を傾ける。
相手によって聞く内容を変えているのは、ただの好奇心ではない。立場が違えば、見えている危険も違うからだ。
こんな機会はないと、カイルは忙しなく動き回っていた。
「……おい、あの子、貴族の子なんだよな?」
「団長様の息子だろ。信じられねぇ。もっと偉そうにしてるもんだろ」
「けど……妙に話しやすいな」
最初は距離を取っていた傭兵や自警団の者たちも、そうして話す時間が増えるにつれ、少しずつ警戒を解いていった。
相手が貴族だからといって腫れ物のように扱うのではなく、しかし無遠慮に踏み込むでもなく、純粋に知りたがっているだけだと分かれば、人は案外すぐに口を開く。
やがて夜になり、火が焚かれ、火の粉が闇の中へ小さく舞い上がる。
この日の野営地は、街道脇にある開けた場所だった。森から距離があり、魔物や獣が近づけばすぐに気づける。馬車を円に近い形で止める様子からも、旅人に適した場所なのだと分かる。
ほどなくして、ヴァルディア商会の護衛長が手短に指示を飛ばす。
見張りの配置と交代の順が決まり、各々が持ち場へと散っていく。
残された者たちは、火の前で思い思いに腰を下ろした。
武具の手入れをする者、軽く体をほぐす者、談笑を交わす者。
一方で、商会の者たちは、手際よく天幕を張り、夕食の準備に取りかかっている。
カイルはその様子を見て、まだ時間がかかると判断すると、荷に向かった。
外套を脱ぎ、シャツの袖を捲ると、そのまま手を伸ばす。
迷いなく、腰のものとは別に用意していたもう一本の木剣を取り出す。
——最初から、誰かに相手をしてもらうつもりだった。
「せっかくですし……訓練、つけてもらえませんか?」
その一言に、周囲の空気がぴたりと止まり、火に照らされた護衛たちの顔から、談笑の緩みがわずかに引いていく。
「お、おいおい……貴族の坊ちゃんに手を出すなんて――」
「なら、加減してください。僕、まだ学生なんで」
あまりにも自然な口調でそう返した瞬間、ルークが慌ててカイルの背後へ回り込んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください! 訓練するのはいいっすけど……!」
彼はカイルの腰帯を指差し、顔色を変える。
「瓶だけは! 絶対に外してください! こんなもん下げたまま木剣振り回すとか、自殺行為っすよ!!」
瓶が割れれば、中に封じた炎や冷気がそのまま噴き出す。
自分で自分を焼くか凍らせるか――どちらにせよ、洒落にならない。
「……あぁ、忘れてた」
カイルはあっけらかんとホルダーを外し、そのままルークへ渡した。
「はぁ……」
ルークは額へ手を当てて深いため息をつき、周囲にも聞こえる声でぼやいた。
「坊ちゃん……お願いですから“やっちゃいけないこと”から忘れる癖、どうにかして下さいっす……」
「悪かったよ」
軽く肩をすくめて返すカイルの気の抜けた謝り方に、張り詰めかけていた空気が一瞬でほどけた。
事情を知らぬはずの護衛たちでさえ“この坊ちゃんは、いつも何かやらかしてんな”と直感したのか、思わず堪えきれない笑いがあちこちから漏れ、小さな笑いの波が広がっていった。
カイルは軽く肩をすくめる。
「じゃあ、誰か。一手お願いします」
その声に、最初に進み出たのは、粗野な口調の傭兵だった。
「へっ。いい度胸だな、坊ちゃん。怪我しても泣くなよ」
軽口を叩きながら前に出て木剣を受け取る。
すると、手首をほぐすように軽く回し、重さを確かめるように何度か振り抜く。
動きには、場数を踏んできた者特有の無駄のなさが滲んでいる。
「よし……いくぞ!」
男の言葉が落ちるよりわずかに早く、カイルは様子を見るよう、半歩だけ前へ出ることで迎え撃つ形を選んだ。
逃げるのではなく、迎えに行くようなその踏み込みの中で、刃筋をわずかに逸らすように受け流し、流れる動きのまま相手の懐へ滑り込む。
やはり、剣の振り方が騎士とは全く違う。
(……面白いな。でも隙だらけだ)
次の瞬間には、傭兵の胸元へ木剣の切っ先が突きつけられていた。
「っ……!」
「一本」
淡々と落ちた声に、周囲が一瞬だけ静まり返る。
「……おい……まだ学生だろ……?」
ざわめきが広がる中、見守っていた護衛団の一人が静かに一歩前へ出た。
「では、次は私が」
背筋の伸びた男だった。
かつて王国騎士団に籍を置いていたという、元騎士。
道を退いた今も、立ち方や剣の持ち方には、長く鍛えられてきた者だけが持つ硬質な気配が残っていた。
一度は騎士の称号を手にした男に、周囲の空気が、わずかに引き締まる。
互いに構えた、その瞬間、カイルは相手の足運びと肩の入り方を見て、内心で静かに頷いた。
(……やっぱり綺麗な構えだ)
掛け声とともに入ってくる一手目は、正確で、無駄がない。
受けて返す。二手目もまた整っている。
だが――踏み込みが深い。
(そこだ)
半歩、角度をずらし、受け流すと懐へ。
木剣の切っ先が、すっと喉元で止まる。
「……一本」
元騎士は、ゆっくりと息を吐いた。
「……お見事です」
周囲は、完全に静まり返っていた。
薪がぱちりと弾ける音だけが、妙にはっきり耳へ届く。
誰もが、ただの訓練ではないと感じていた。
木剣を収めるカイルの姿を前に、周りの者たちは言葉を失っていた。
けれど、その沈黙は決して冷たいものではなかった。
ざわつきもない。警戒でもない。
そこにあったのは、静かで、落ち着いた、互いを認めた者たちの空気だった。
その中で特に面白がったのは傭兵たちだ。
「おいおい、今の見たかよ」「冗談だろ」と面白がるように笑い合いながら、次は俺だとばかりに次々と木剣を手に取り、半ば遊びの延長のようにカイルへと挑みかかっていく。
小さな手合わせの輪が自然と出来上がり、軽口と笑い声の中で、場の温度が少しずつ上がっていく。
それを少し離れた位置から見ていたエルマー会頭は、口元を上げた。
賑やかな奴らだと眺める。
カイルがいると、そこはいつも騒がしく、その人懐っこさが相手との距離を縮める。
(……やっぱり、あいつは人たらしだな)
木剣の打ち合わされる音が、どこか楽しげに響いていた。
そうして、三十分ほど打ち合いが続いたところで、カイルは一度木剣を下ろした。
傭兵たちの調子に引っ張られたのか、彼の口調もいつの間にか素に戻っていた。
「……もう無理。アンタ達、無茶苦茶だ」
苦笑混じりに肩で息をつく。
一つひとつの手合わせは長くはない。だが、次々と入れ替わる相手に、傭兵特有の癖の強い剣筋。
そのすべてに付き合い続けるのは、さすがに骨が折れる。
体力はまだ残っている。だが、次々と変わる剣筋に、思考の方が先に疲弊していた。
「ちょっと待て、一回休ませろ。キリねぇよこれ」
半ば強引に間を切り、その場を離れる。
背中からは「何だよ、もうへばったのか?」や「せっかく面白くなってきたのに」と野次が飛ぶ。
カイルは振り向きもせず、はいはいと気だるそうに手を振って返す。
ふと、火の向こうから漂ってきたいい匂いに、視線がそちらへ向く。
商会の者たちは手際よく動いており、調理が順調に進んでいるようだった。
(これだけの人数分を外で用意するとなると、大変だろうな)
近くに置かれていた木箱へ腰を下ろすと、すぐにルークが布を持ってくる。
「はい、坊ちゃん。ほら、水も」
「助かる」
布で汗を拭い、ルークと短く言葉を交わしていると、タイミングを見計らうように、先ほどの元騎士の護衛団員が歩み寄ってきた。
「少し、宜しいですか」
カイルは顔を上げ、柔らかく微笑む。
「ええ。ちょうど休もうとしていたところなので」
護衛はわずかに視線を落とし、一息ついてから口を開く。
「その……さきほどの剣ですが」
一瞬言葉を探すように間を置き、続ける。
「型は、実に正確でした。だが……あなたは型に縛られていない」
カイルは短く頷く。
「そうですね。型は、大事です。でも――それだけだと、足りない時があります」
護衛は、わずかに目を細めた。
「なるほど。あなたの家柄にしては、少し妙ですね」
「……よく言われます」
カイルは苦笑いを浮かべた。
魔物には言葉が通じず、意思疎通も躊躇もない。
何をしてくるか分からないまま、確実に命を奪いにくる。
(だからこそ)
夢で見た動きをなぞるように剣を振れば、父に止められた。
型に押し込まれ、自由に振れば叱られる。
従えば息が詰まり、剣は次第に自分のものではなくなっていった。
だが――初めて魔物と対峙した日だけは違った。
迷いはなかった。
次に何が来るかが自然と分かる。
まるで夢の男と繋がったように、体が先に動いた。
(……ああ、そうか)
何も知らなかった頃は、ただ夢の真似をしていただけだった。
だが今なら分かる。型の方が無駄のない動きもある。
ならば――混ぜる。
崩し、繋ぎ、重ねる。
そうして振った時――剣は、ようやく自分の手に戻ってきた。
「必要な剣を、追い求めてるだけですよ」
声量を抑えたまま静かに言い切ると、その余韻が揺れる明かりとともに夜気へと溶けていく。
カイルは軽く顎で木箱を示した。
「よければ、座って話しませんか。あなたには、聞きたいことがありそうだ」
護衛は一瞬だけ体を強張らせ、わずかに身構えるように視線を鋭くしたが、やがて小さく息を吐くと、そのまま静かに頷いた。
近くにあった木箱をもう一つ、カイルが軽く足で寄せる。
(これでもう少し、休めるな)
護衛は、そのまま隣へ腰を下ろした。
まさか自分が休憩延長の口実にされているとも知らずに。
カイルは、間を置かずに隣へ視線を向けた。
「この仕事、長いんですか」
唐突とも取れる軽い問いだったが、声色は穏やかで、探るような棘はない。
護衛は一瞬だけ目を細め、それから小さく頷く。
「……それなりには」
短く返しながらも、その視線は火から外れない。
カイルは、少しだけ口角を上げた。
「大変でしょう。気を抜ける場面が、ほとんどない」
「……ええ」
護衛は肩をわずかに揺らし、肯定とも苦笑ともつかない息を漏らす。
「それにしても、随分と手際がいいですね。商会の方々も」
カイルは火の向こうへ軽く視線をやる。
「ああ。ヴァルディア商会は、こういう野営にも慣れていますので」
「買い付けなどで、遠出をすることも多いのですか?」
「ええ。領地を跨ぐことも珍しくありません」
何気ないやり取りが、ゆるやかに続く。
その流れのまま、護衛はふと視線を落とし、息を整えた。
「……あなたのお父上には、大変お世話になりました」
その一言で、カイルは相手が王都勤務の騎士――すなわち父の直轄にあった者だと感じ取る。
見た感じ、年齢は三十代ほど。
先ほどの手合わせからしても、腕は鈍っていない。
だが、それでも騎士団を離れているとなると、何か理由があるな。
そう判断したカイルは、相手が自分から話し出す余地を残しながら、少しだけ探るように口を開いた。
「そうなんですね。父は厳しかったですか?」
護衛は小さく笑い、静かに頷く。
そこから、話は自然と広がった。
訓練の厳しさ、仲間との衝突、騎士学校時代の記憶。
同じ道を辿った者同士だからこそ、言葉は途切れず、焚き火の明かりに照らされた男の横顔からも、先ほどまでの硬さが少しずつほどけていく。
だが、ふと――護衛の視線が落ちた。
「……私には、務まりませんでしたが」
その言葉だけが、焚き火の中に沈んだ。
カイルは、あえてすぐには返さない。
沈黙を急いで埋めれば相手は逃げるし、軽く慰めれば本音は奥へ引っ込む。
だからこそ、少しの沈黙のあと、静かに踏み込む。
「何か、合わないことでもあったのですか?」
護衛は、ゆっくりと顔を上げた。
「……そうですね。強いていえば、騎士道に背いたといいますか」
途切れた言葉に、カイルは小さく笑う。
「なるほど。この国の騎士は、剣を向ける相手ですら、選びますからね」
「……え?」
護衛は目を見開いた。
まさか団長の息子からそんな言葉が出るとは思っていなかったのだろう。
カイルは足を組み、膝の上に軽く手を置いた。
「あなたが何に迷ったのかは知りません。でも長い歴史があるからって全部が正しいとも限りません」
「……」
「合わないなら、離れてもいい。残るのも、選択です」
護衛は、黙ったまま拳を握る。
カイルは、その拳の力の入り方を横目で見て、少しだけ意図的に言葉を選んだ。
「あなたの中で、騎士を辞める選択は辛かったでしょ」
「……ですね」
カイルは近くに落ちていた小枝を拾い、ペンを回すように指で遊び始める。
「その選択に、まだ負い目を感じてるんじゃないですか?」
護衛は、一瞬膝に置く拳に力を込める。
カイルはふっと笑いを漏らし「図星のようですね」と言い続けた。
「何が引っ掛かります? 失った地位の大きさに、辞めて初めて気づきました? それとも、今の護衛の仕事より、騎士の方が楽でした?」
「……」
カイルは、チラリと護衛に視線を向ける。
「その時、辞めると決めた自分を、忘れてるんじゃないですか?」
その言葉に、護衛は呼吸を止めたまま焚き火の奥を見つめる。
カイルは枝を回しながら続ける。
「まぁ、そんな大切なこと簡単に忘れるくらいですからね。どうせ辞めた理由なんて、“訓練がキツいなぁ”くらいのもんでしょ?」
その瞬間、男は大きな声を上げた。
「違う! 私は」
突然上がった怒鳴り声に、周りの者たちが驚き視線を向ける。
護衛は勢いで立ち上がり、拳を震わせ、息を荒くしながら叫ぶ。
「私は……人を助けただけだ!」
苦しそうに顔を歪め、続けた。
「だが批判された! なぜ自警団の者を助けただけで責められる!? たまたま出会った怪我人を介助しただけで――昔から繋がりがあったのではと疑われた。そうでなければ、そんな行動は取らないと決めつけられ、終いには、自警団と共に魔物へ剣を向けたと、ありもしない話までされた!」
――その言葉に、焚き火の周りにいた自警団の者たちが、わずかに顔を上げた。
「皆で蔑み……騎士道から外れたと言われた。私の剣は……汚れたものだと……」
吐き出された言葉は、積み重なっていたものそのものだった。
「何も間違ったことはしていない。騎士が人を助けるのは当たり前のことだ。それでも排除され、私は自ら騎士を辞めたんだ……」
――言い終えた声は、先ほどまでの勢いを失い、かすかに震えていた。
カイルは、少しだけ間を置いた。
焚き火の音だけが、静かに響く。
「なら――何も負い目に感じることはないでしょ?」
あまりにもあっさりとした言葉だった。
護衛は、一瞬だけ言葉を失い、わずかに視線を揺らす。
「……それでも……時々、分からなくなる」
絞り出すように、掠れた声が続いた。
「あの時、耐えていればよかったのかと。黙っていれば、まだそこにいられたんじゃないかと」
握りしめた拳が、小さく震えていた。
共に働く数名の商会護衛たちも、それぞれに思い当たる節があるのか、唇を噛み締める。
「……私には、子どもの頃から、それしかなかったんだ。騎士になることだけを考えて、生きてきた……それを、自分で捨てた」
押し潰されたような声で、続ける。
「何のために、あれだけ積み上げてきたのか。たまに分からなくなる時がある」
視線は落ちたまま、上がらない。
ルークはこの光景に、深く息を吐く。
(またやった……)
ただ怒らせているわけではない。
こうやって相手の奥に押し込まれているものを引きずり出すのが、坊ちゃんは妙に上手いのだ。
カイルは、持った枝をくるりと回し、
「……今の話で、何か迷うところなんてありました?」
首を傾げる。
そして――まるで黒板を指すように、手にした枝を示すように振る。
「答えは出ています」
カイルは静かに続けた。
「あなたはその騎士道が許せないと思ったから、辞めたんでしょう。それなのに今になって、“耐えればよかった”なんて――」
わずかに口角が上がる。
「決断した時の自分を、踏みにじってる」
護衛の呼吸が、止まる。
「何も迷う必要はない。あなたは間違っていない」
カイルはそう言うと、ふっと視線を横へ流した。
「それを、証明しましょう」
そう言って立ち上がると、自警団の男のもとへ歩き出す。
その道すがら、手にしていた小枝を焚き火へ放り込んだ。
少し離れた場所にいた自警団の男へ声をかける。
「すみません」
突然声をかけられた自警団の男は、何事かと目を瞬かせる。
「少しだけ、いいですか」
カイルはそれだけ告げると、男を促すように歩き出し、そのまま連れて護衛のもとへ戻ってきた。
護衛の方を一度だけ見てから、連れてきた男へ穏やかな声で問いかける。
「あなたが魔物と戦って怪我をしたとします。周りには仲間もいない。その時、一人の騎士があなたの手当てをしてくれた。でも、もう一人の騎士は何もせず素通りした」
自警団の男は、きょとんとした顔でカイルを見る。
カイルは、淡々と続けた。
「あなたは、どちらを本物の騎士だと思います?」
「えっと……」
男は答えにくそうに視線を泳がせた。
貴族の騎士に関わる問いだと理解したのだろう。
カイルは小さく笑う。
「大丈夫です。ここには、あなたを罰する人なんていません」
その一言に、自警団の男は少しだけ肩の力を抜いた。
それでも一度だけ周囲を見回してから、ぼそりと言う。
「……そりゃ、手当てしてくれた騎士でしょう」
カイルは黙って続きを促す。
男は、今度は少しだけはっきりした声で続けた。
「現実には、そんな騎士なんて滅多にいませんけど……でも、そりゃそっちです。怪我人を助けるのが騎士で、人としても当たり前でしょう」
護衛は、その言葉を聞いた瞬間、目を見開いた。
焚き火の明かりが、わずかに潤んだ瞳を照らす。
カイルは軽く頭を下げる。
「ありがとうございます。呼び出してすみません」
「い、いや……別に」
自警団の男は気まずそうに頭を掻き、そのまま仲間の輪へ戻っていく。
護衛は、その背中を黙って見つめていた。
自分が助けた側の者たちが、何を騎士と呼ぶのか。
その答えが、今ここで示されたのだ。
カイルは、まっすぐ護衛を見つめる。
「ね? これが世間の声です。少なくとも、あなたを否定してるのは騎士団の連中だけだ」
静かに断じる。
「……それでも剣を捨てなかったから、今ここにいるんでしょう。やってきたことは、何一つ無駄になってない」
護衛の瞳が、わずかに揺れた。
カイルは微笑み、一歩だけ近づくと、護衛の耳元で囁いた。
「騎士なんて、頭が固くて綺麗事しか見てない連中ばかりです。そんな騎士道に、人生まで縛られる必要はありません」
まるで、迷う理由など分からないと言わんばかりに、カイルはにっこりと笑う。
護衛は驚き、目を見開いたまま一瞬固まったが、遅れて喉の奥から笑いが漏れた。
本当に団長の息子なのだろうか。
真っ向から騎士を否定し、それでも騎士学校に通っている。
護衛の肩から力が抜けた。
沈黙の中で、火の音だけが響く。
張り詰めていたものがほどけるような、弱くて、どこか救われたような笑いだった。
何を迷っていたのか。
少年の言葉を聞いた瞬間、その答えが急に馬鹿らしくなったのかもしれない。
「ありがとう。君の言葉で救われたよ」
カイルは、口角を上げる。
穏やかな時間が流れた。
しかし、カイルはそこで終わらない。
彼は差し出すタイミングを間違えないように、相手の笑いが完全にほどけ、周囲の空気まで緩んだところを見計らってから、手を出し、にっこりと笑う。
「では、相談料を」
「えっ?」
「心のモヤモヤがなくなったでしょ? だから相談料、頂けますか?」
ルークは、大きくため息をつく。
これさえなければ、綺麗に終わっていたのだが。
「坊ちゃん! 何言ってんすか?」
「何だよ、タダで話聞くなんて、俺は聖職者じゃねぇんだぞ」
「黙って下さい! すぐ金の話しだすんすから……ほら、もう夕食できてますよ」
ルークはカイルの腕を掴み、引っ張っていく。
その場に笑いが起きる。
焚き火の輪は、もう最初の頃とは違っていた。
そこにいる誰もが、もうカイルをただの貴族の少年としては見ていなかった。
剣を振るい、人の迷いに踏み込み、最後には金を取ろうとする。
呆れるほど自由で、妙に憎めない少年だった。




