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第11話 動く看板と逃げ道 

そうして迎えた、出発の朝。


カイルの屋敷の中庭に現れたのは、彫刻と金具で豪奢に飾られた一台の馬車だった。


磨き上げられた車体は朝日を受けて眩しく光り、施された意匠は遠目にもはっきり分かるほど手が込んでいて、ただそこに停まっているだけで、それが並の商人の持ち物ではないことを無言のうちに告げている。


通りがかった使用人たちが思わず足を止め、息を呑んで見上げる。


その反応だけで、どれほどの金と信用が注ぎ込まれたものかがよく分かった。見せるだけで相手に力を理解させるものは、それ自体がひとつの武器になる。


そしてその後ろには、実用一点張りの荷馬車が四台、整然と連なっている。


積まれているのは、食料と水、野営道具に医薬品、さらには予備の武具や補修用の資材まで。


遠目にはただの荷の山に見えるそれらは、この一行が自前で行動し、どこでも拠点を築けることを意味していた。誰かの助けを待つ前提ではなく、危険の中でも自分たちで立て直すための荷だ。


その周囲を固めるのは、屈強な護衛たちだった。


前衛には槍を構えた自警団員が並び、街道と森の縁を油断なく警戒する役目を担っている。


王族や貴族、そして大商会が遠出をする際、自警団を雇うことは、この国では決して珍しいことではない。


名目上、自警団は領地を守るための戦力だが、街道では魔物が出ることもあり、そのまま護衛の任務を請け負うことも少なくない。


そのため、本来の領地防衛よりも、こうして外へ派遣することで金を得ることを好む貴族も多かった。守るための仕組みが、いつの間にか稼ぐための道具になっている。


その背後には、革鎧を身につけた傭兵たちが控えている。


自由に喋り、どこか騒がしい。


しかし鋭い目で周囲を睨み、賊などの襲撃に対応するために雇われた彼らは、常在戦場のように気配を沈めつつ、戦いに特化した者特有の無駄のない動きを崩さない。


時には他国の戦にまで駆り出される者として、金で動く代わりに生き残る術を骨の髄まで叩き込まれており、その経験に裏打ちされた張りつめた空気が、結果として周囲へと滲み出ていた。


そして最後尾。


銀に光る胸甲をまとい、紋章入りのマントを翻す、騎士を思わせる装いの者たちが、馬上で静かに周囲へ目を配っていた。


大商会が抱える私兵――ヴァルディア商会護衛団。


商品や金の護送、要人の護衛、盗賊への対応に加え、街に潜む不穏な気配を拾い上げることすら役目とする、商会にとって欠かせぬ“動く盾”であり“目”でもある。


その多くは、かつて王国騎士団に籍を置いていた者や、貴族ではない家に生まれながらも剣を磨き続けてきた者たちで構成されていた。


ゆえに、人々は彼らを単なる私兵とは見ない。


いつしか、その姿をまとめてこう呼ぶようになっていた。


――騎士、と。


もっとも、正式な騎士号を持つわけでもなければ、政治の場で発言する立場にあるわけでもない。


それでもなお、庶民の目に映る彼らは、十分すぎるほど“騎士”だった。


貴族や大商会に仕え、その紋章を背負い、堂々と街を行く姿は、憧れとして心に焼き付くにはあまりにも分かりやすく、強かった。


商会の威信と信用を示す、いわば動く看板だった。


中には、自分を王国騎士団と同列だと勘違いし、やたらと偉そうに振る舞う者もいるらしいが。


その“看板”を支える陣容は、決して小さくはない。


前衛を務める自警団員が六名、荷の守りと実働を担う傭兵が八名、そして後衛を固めるヴァルディア商会護衛団が十二名。


さらに御者や荷運びを含む商会の人員を加えれば、総勢三十名を超える一団となる。


それは単なる移動隊ではなく、街道を行くひとつの“拠点”そのものだ。


荷物の最終確認をしながら、その光景を窓越しに見ていたルークが、思わず声を漏らした。


「……うわ。ほんとに騎士までついてるんすね」


「本物じゃねぇよ」


カイルはそう言いながらも、視線は自然と彼らの装いへ向いていた。


否定はしたが、内心では――なかなか格好いいな、と素直に思っている。


通常の商人なら、雇うのはせいぜい傭兵か自警団まで。


だがここには、専属の護衛団まで揃っている。


カイルはその光景を眺め、唇の端をわずかに上げる。


「……さすが、大商会ってとこだな」


その言葉は、感心と同時に、自分の知らなかった“別の道”を見つけてしまった響きを帯びていた。


商会専属の護衛。


魔物を狩ること自体を、誰かに咎められることもない。


商売と護衛、利益と実力、現実的で合理的で、何より――自由だ。


(……悪くねぇな)


もし騎士学校を追われ、家を出ることになったとしても、エルマーに頭を下げて雇ってもらうという道は確かに存在する。


実力さえあれば生きていけるし、商会という後ろ盾もある。


生きる道として考えるなら、たしかに悪くない。少なくとも、路頭に迷うよりはずっと現実的だ――現実的である、という一点においては。


だが、それはただの“逃げ道”だった。


商会に守られ、魔物を狩り、自分だけが生き延びる。


それで、この国の歪みは何一つ変わらない。


庶民を集めた自警団を魔物の盾にしているこの仕組みを、そこからでは変えられない。


(……それじゃあ、意味がねぇか)


カイルは腰に差した木剣へ指先で軽く触れた。


父から与えられた一本。刃はない。


だが、騎士を目指す者として最初に預けられる誇りが、そこにはあった。鍔に刻まれたグランツ家の紋章が、それを物語っていた。


振るえば人は倒れるし、打ち所を誤れば命すら奪いかねない。


刃がないから安全なのではなく、扱う者が未熟なら、それだけで危険になる。


そして、腰帯のホルダー。


革越しに、小瓶の感触を確かめる。


あの魔物素材から作った、炎と氷を生み出す瓶。


投げれば距離を作れ、剣が届かない状況でも流れを変えられる。


「……お前も、ちゃんと瓶持ってるな」


そう言ってカイルがルークを見ると、ルークは小さくため息をつきながらも、自分の腰のベルトを示した。


「持ってますよ。ちゃんと」


本音を言えば、こんな危ないものは持ちたくない。


だが、カイルが危険に晒される場面では、剣を振るえなくても投げることくらいは出来る。


距離を取るための手段は、二人で共有していた。怖がりながらでも動けるなら、カイルにとっては十分に計算へ入れられる戦力だ――使えるかどうかで見れば、答えは明確だ。


「坊ちゃんは、俺が守りますから」


「逆だろ?」


二人は一瞬だけ視線を合わせ、どちらともなく小さく笑った。


今の自分に許されているのは、これだけだ。


剣も、切り札も、力も――成人するまでは、制限付きのまま。


だが、だからこそその枠の中で出来る限りの準備をした。


「……行くか」


そう呟いて、カイルは窓から視線を外した。


ルークを連れて外へ出ると、馬車の脇で指示を出していたエルマー会頭が振り返る。


「来たか」


その視線はまっすぐにカイルを捉え、頭の先から足元まで、無言で一度だけなぞった。


ブーツ。腰帯。小瓶の並ぶホルダー。


そして、腰に差した一本の木剣。


余計な装飾はない。


だが、どれも“使うため”に選ばれていることが、一目で分かった。見栄ではなく、実用を優先した装いだ。


「……ほう」


エルマーは、どこか感心したように口元を緩める。


「ずいぶん気合いが入ってるじゃないか」


羽織っているのは、貴族街へ出るための外套兼ジャケット。


落ち着いた色合いで仕立ては上質だが、主張は控えめで、貴族の正装ほど堅苦しくなく、商人の服ほど無防備でもない。


袖口と裾は動きやすく整えられ、内側には留め具や小さなポケットが仕込まれ、護衛の視線を集めすぎず、だが侮られもしない絶妙な塩梅だった。


「街向きだな」


エルマーはそう言って、ふっと鼻で笑った。


「剣を隠す気はないが、見せびらかす気もない……か」


前を留めれば、剣の柄は見えるが、鍔に刻まれた紋章までは覗かない。


いざという時には寄せるだけでいい、その程度の距離感。


カイルはあえて、服も家の紋章のない留め具を選んでいた。


余計な敬意も、詮索も、まとめて遠ざけるためだ。身分を武器にする場面と、伏せておく場面は分けた方がいい。


「貴族の坊ちゃんにも見えるし、用心深い商会の若旦那にも見える」


エルマーはそう言って肩をすくめる。


「……悪くない」


その評価に、カイルは小声で言った。


「目立つのは、商売の邪魔だからな」


エルマーは思わず声を上げて笑った。


「まったく。年相応の台詞じゃない」


だが、その笑みには嫌悪はない。


むしろ、愉快そうですらあった。


「だが、その心構えは嫌いじゃない」


エルマーは視線を後方へ移し、ずらりと並ぶ護衛たちを見渡す。


「これだけの人数がいてもな……正直なところ、お前が一緒だと思うと、妙に安心する」


その言葉に、ルークが一瞬だけ目を見開く。


カイルは、口角を上げた。


「なら金、取るぞ」


冗談半分、本気半分。


一拍の沈黙の後、エルマーは腹を抱えて笑い出した。


「ははははっ! 言うと思った! 安心料ってやつか? ずいぶん若い護衛だな」


「安くはしねぇぞ。命張る仕事だ」


「分かってるさ」


エルマーは目尻を拭いながら頷く。


「後でちゃんと“相応の礼”は考えておこう。……それにしても」


視線が、ルークの抱えた複数の鞄に止まる。


「お前らずいぶん荷物が多いな」


「色々と必要になるかもしれねぇだろ」


カイルは軽く答えた。


必要になってから探すより、最初から持っていた方が早い。荷物の重さと危険の差し引きなら、今回は持ち込む方が得だ。


「……なるほど」


エルマーは小声で呟く。


「お前はいつでも用心深いな」


そう言って、また笑う。


手早くルークが荷物を乗せると、やがて、出立の時が来た。


父も兄達も、すでに務めへと出かけている。


見送りに立つのは、母と執事長、そして使用人達だけだった。


「気をつけてね」


母はそう言って、カイルの身なりを一つひとつ確かめるように視線を走らせる。


剣の位置、外套の留め具、靴の紐。


まるで少しでも危険を減らそうとするかのようなその仕草に、カイルは答えながらも内心で小さく息を吐いた。


しかし、その隣の男の視線が痛い。


執事長のギルバートだ。


白髪に髭を蓄えた老齢の男だが、背筋は真っ直ぐに伸び、無駄のない所作には長年仕えてきた者だけが持つ品と重みが滲んでいる。


ラインハルトの右腕として屋敷を取り仕切る存在であり、その厳しい目は、カイルの腰に付いた瓶へと向けられていた。


(これを突っ込まれると面倒だな)


そう判断した瞬間、カイルは一歩だけ先に出た。


「薬も虫除けも持ってますから、準備は万端です」


先に嘘を置いておくことで、余計な詮索を潰す。


何でもない風を装いながら、瓶を指差した。


するとギルバートが、すぐさま口を挟む。


「見ない色ですな」


やはりこの爺さんは、天敵だ。


昔からやたらと勘が鋭く、カイルのイタズラを見抜いてきた実績がある。


きっと兄弟の中で、一番怒られたのはカイルだ。


当の本人はどこ吹く風で、笑顔のまま何事もないように返した。


「最近、街で売り出されてるものですよ。ご存知ないですか?」


煽りとも取れるその言葉に、フンと鼻を鳴らしたギルバートだが「お気をつけて」と漏らす。


何だかんだ言っても、カイルを大切に思っている。だからこそ、見逃す気もないのだろう。


母は、そんなやり取りなど気にも留めていない。


心配そうに眉を下げ、忘れ物はない? お金はちゃんと持ってる? と落ち着かない。


カイルは、小さく笑った。


「……大丈夫ですよ、母上。エルマーさんもいますから」


(そんなに心配しなくても、いいのにな)


そう思いながらも、その言葉を口にすることはしない。


心配するのが母の役目であり、それを受け止めるのもまた、今の自分の役目だと思っているからだ。


母は隣に立つエルマーへと向き直り、丁寧に一礼した。


「息子を、よろしくお願いいたします」


貴族としての礼節を崩さぬ、落ち着いた挨拶。


だが、その声にはどうしても消しきれない母親の色が混じっていた。


(……まだ、子ども扱いか)


そう思いながらも、カイルはそれを嫌だとは感じなかった。


心配されなくなったら、それはそれで少し寂しいのだ。


エルマーは軽く会釈し、声を上げた。


「さあ、乗れ。剣の街までは遠いぞ――森を抜ける以上、気は抜けん」


その合図で護衛たちが一斉に動き出す。


槍が揃い、馬が嘶き、馬車の扉が静かに開いた。


カイルは馬車に乗り込む直前、もう一度だけ振り返り、隊列全体を見渡す。


――自警団、傭兵、商会護衛。


それぞれ立場も身分も違う。


だが今は同じ道を進む“一つの隊”だ。


そのまとまりが、何だか自分の臨む形のように見えた。


役割が違っても、目的が揃えば動ける。まだ形にはならないが、そこには確かに、いつか自分が作りたいものの輪郭があった――断片的なイメージに過ぎないが。


カイルは馬車に乗り込み、もう一度、母に手を振る。


やがて合図の笛が鳴り、豪奢な馬車はゆっくりと動き出す。


目的地は――剣の街。


そしてその先に待つのは、危険な街道や森、賊と呼ばれる悪人たち、そして魔物。


カイルは窓の外を見据えた。


――さて、何が起きるか。


口元が、わずかに緩んだ。

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