第9話 準備は静かに、騒がしく
森に入ったカイルとルークは、しばらく行ったところで、お目当てのものがよくいる地点に辿り着く。
辺りを見渡し、それを探す。湿った土の匂いが足元から立ち上り、森の奥は昼間だというのに妙に静かだった。
すると、太い木の根元、落ち葉の影から淡い青の塊がぬるりと姿を現した。
決まった骨格も手足もなく、半透明の体を揺らしながら這うように進むその魔物は、弱い個体であれば人を襲うことも少ない。
それが光を反射しながら形を変え、地面を滑るように移動する様子を見て、カイルはわずかに口元を上げた。動きは遅い。捕まえるだけなら、無駄に傷つける必要もない。
「……出たな」
ブルースライムだ。
「うわ……相変わらず気持ち悪っ……」
「声、抑えろ」
カイルは潰した果実の汁を染み込ませた袋を、慣れた手つきで地面へ置く。袋の口を軽く開いたまま、落ち葉の上にそっと馴染ませた。
甘い香りが漂うと、ブルースライムはぴたりと止まり、数拍遅れてずるりと向きを変え、袋に寄ってくる。
「……食いついたな」
「毎回思うんすけど、こいつ迷いないっすよね」
「性質だ。この匂いが好物なんだよ」
入ったことを確認し、袋の口を閉じる。中で、ぷるん、と一度だけ跳ねた。
「捕獲完了」
そのあまりの簡単さに、ルークは呆れた顔をする。
「……最初は素材を拾うだけだったのに、今じゃ捕まえるのが当たり前っすね」
ルークの呟きに、カイルは鼻を鳴らす。
「ガキが最初から狩れるわけねぇだろ」
「ですよね」
強い個体を避け、やがて罠を張り、失敗し、逃げられ、少しずつ出来ることを増やしてきただけだ。夢の中でどれだけ狩り方が分かっていても、幼い体がそれに対応できるわけではない。
ルークは少し自慢げに、笑った。
「でも、今じゃナイフと木剣で普通に狩ってますけど」
「お前は、止め刺すだけの担当だろ?」
「それ、めっちゃ大事な役割っすよ」
「そうだけど、お前の場合はビビって手元狂うだろ」
ルークはその言葉にやれやれと、手をお手上げというように上げる。
「これだから、常識知らずの坊ちゃんは。魔物っすよ!怖いに決まってるでしょ。アンタのズレた思考で話すのやめて下さい」
「はぁ!?俺はズレてねぇよ」
「ズレまくりっす。昨日だって何時まで木剣振りましてたんすか。朝から起こすの大変だったでしょ」
カイルは事実をつかれ、話題を変えるように、いいから次だと歩き出す。
森の奥、昼でも薄暗い岩陰の近くを目指す。
すると道中、豚に似た魔物が鼻で落ち葉を掻き分け、餌を探していた。湿った落ち葉がめくれるたび、低い鼻息がかすかに響く。
カイルは指を唇に当ててルークを制し、石を拾って反対側へ投げる。
音に反応した魔物がそちらへ走ったのを確認すると、岩場に空いた小さな穴の前で火打石を打った。
カチリ。
その小さな火花を合図にしたかのように、穴の奥の空気がざわりと揺れ、赤銅色の小さな影がいくつも飛び出してくる。
カナブンに似た硬い殻を持つ甲虫型の魔物、フレアビートルだ。
羽を震わせるたび、殻の隙間からぱち、ぱち、と火花が弾ける。
この火が原因で、火事を起こすことのある厄介なものだ。
「……来たぞ」
「うわぁっ!」
「ルーク、袋、開けろ!」
「無理無理無理!!」
火花が散り、周囲の空気が一気に熱を帯びる。
初めてでもないくせに固まったルークの手から、カイルは袋をひったくるように奪い取った。
そのまま群がるフレアビートルを一気に包み込んだ。
数十匹を袋ごと捕らえ、即座に口を縛る。袋の中で、じり、と嫌な熱が生まれた。
「ルーク、水!」
「っ、はい!」
投げられた水筒を受け取ると、カイルは結び目をわずかに開き、中へ水を叩き込むと、すぐに口を締め直した。
じゅ、と鈍い音がして、袋の内側で弾けていた火花が一気に弱まった。
「……これでしばらくは大人しくなる」
昔、何もせず袋に放り込んだままにし、燃やしたことがある。
あの時の焦げた臭いと、無駄にした素材は今でも覚えている。
「十分だ、逃げるぞ!」
「まだ飛んでるのいるんすけど!?」
「放っとけ!」
欲しい分だけ取る。
それが、いつものやり方だ。深追いすれば、得より先に怪我が増える。
羽橋の前まで全力で駆け戻り、決まった順で操作して渡り、すぐさま橋を引き戻す。橋が上がる音が止まると、森との間にようやく距離ができた。
屋敷側へ戻った途端、ルークはその場へへたり込んだ。
「……毎回言うっすけど、命がいくつあっても足りないっす」
「いい加減、慣れろ」
「慣れません」
そう言いながらも、ルークは小さく笑う。
2人はすぐに小屋ではなく、地下室へと向かった。
扉が閉まると、外の音はすっと遠のいた。石壁の内側に入った途端、森の熱も湿気も切り離される。
「さて、ここからが本番だ」
カイルの声だけが響くここは、厚い石壁に囲まれ、元はワインの長期保存庫として造られた場所で、天井近くの通気口のおかげで湿気も匂いも籠もりにくい。
さらに幸運なことに、壁際には地下水を引いた簡易な水場と排水口まで備え付けられていた。
樽や床の洗浄のためのものだろうが、今となってはそのまま作業用の水として使える。
棚には色とりどりの瓶が並び、壁際には簡易炉、作業台には使い込まれた鍋と鉄板が置かれ、水場まである。
どう見てもただの地下室ではなくなっていた。外から見れば古い保存庫でも、中身はカイルにとって小さな工房であり実験室だった。
見られても問題ないものは、小屋へ。
そして、絶対隠したいものはこの地下室へ。
そんな棲み分けが自然とできていた。
誰にも知られず、六歳の頃から何度も出入りしてきた場所だ。
最初はただ、落ちていた魔物素材を持ち込み、眺め、乾かし、砕き、失敗しては片づけるだけだった。
それが気づけば火を使い、痕跡を消し、匂いを飛ばし、何事もなかった顔で屋敷へ戻ることまで含めて、全部が手順になっていた。
きっと――あの頃の自分ひとりでは、ここまで綺麗には回らなかっただろう。
後始末も、抜け道も、誤魔化し方も、すべてを一つの流れとして成立させていたのは、常に一歩後ろに立っていた年上のルークの存在があったからだ。
カイルが思いつきで動き、ルークがそれを現実に落とし込む。
そんな歪で、だが確かに噛み合った関係があったからこそ、今のこの“手順”は形になっている。使えるものは、人でも場所でも手順でも、使える形にしてこそ意味がある。
「……それにしても、ここバレねぇよな」
カイルが口元を緩めながら呟くと、ルークは肩をすくめて苦笑した。
「坊ちゃんが“地下室にお化けが出る”なんて言いふらしたおかげで、屋敷の連中、誰も近寄らないっすからね」
「はっはっ、効いてるな」
喉の奥で笑いが漏れる。
そもそも、この場所の鍵は現在カイルが持っている。
本来はラインハルトの執務室に保管されていたものだが、カイルはそれをルークに盗ませ、代わりに街で買ってきた似た形の鍵とすり替えた。
そしてあの“お化け騒動”の最中、案の定、父はここを確認しに来た。
だが差し替えられた鍵では当然開かず、それが逆に“開かずの間”としての雰囲気を決定づけることになる。
以来、この地下室は完全に封じられた場所として扱われ、誰も近づかなくなった。
「……くっ、はは……」
当時を思い出し、カイルは小さく肩を震わせる。
「本当、坊ちゃんは悪知恵ばっかり思いつくっすよ」
呆れたように言いながらも、ルークの口元もどこか緩んでいた。
そんな空気を一度だけ楽しむように、カイルは息を吐き、そして視線を切り替える。
笑いは、そこで終わりだった。
「よし。火、入れるぞ」
ルークが簡易炉の前へしゃがみ込み、薪を差し込み、火打石を鳴らす。
ぱち、と小さな火が走り、すぐにごう、と炎が立ち上がった。石壁に揺れる火の色が映り、地下室の空気がじわりと温まる。
「今日は強火っすね」
「あぁ、青が薄いからな、水分が多そうだ。最初に一気に飛ばす」
カイルは棚の横に吊るした草木から必要なものを選び取り、小鍋に少量の水を張って中央へ据えながら手際よく準備を整えると、そのまま簡易炉の上へ滑らせるように置いた。草の成分を引き出すための、最低限の水だ。
束ねた草を放り込み、色が変わってきたら、続けて捕まえてきたブルースライムを落とした。
じゅわり、と鍋の中の水が跳ね、白い蒸気が一気に立ち上る。
鍋の中では霧葉草と呼ばれる草が少しずつ膨れ始めていた。
これは周りの水分を吸い取り、自身の栄養源とする草だ。
だからこそ、水分を抜くにはちょうどいい。
ブルースライムが持つ水分を奪い、粘り気のある液体へと変わっていく。
しばらく強火で煮た後、カイルは薪を一本抜き、火力を落とす。ここで焦がせば、素材も時間も無駄になる。
「ここまでだ」
そう言って鍋の中身を鉄板へ薄く流し、今度は下からアルコールランプを並べてじっくりと乾かしにかかる。
「強火で壊して、弱火で整える」
「いつものやり方っすね」
やがて、ぱり、と乾いた音を立てて薄膜が割れ、淡い青の粉が鉄板に残る。
その隣に塩を置きながら、カイルは静かに言った。
「これが混ざると、冷気になる」
「魔物素材だけじゃ足りないってことっすよね?」
「そうだ。自然素材で性質を引き出して、日用品で制御する。この三つが揃って、初めて使える」
次にカイルが手に取ったのは、布袋の中でまだかすかに熱を持つ影だった。
「…………次は火を出す方だ」
袋の口を少しだけ開くと、中でフレアビートルの殻がかちりと擦れ合う。乾いた音の奥に、まだ熱の気配が残っていた。
ルークが一歩下がるのも無理はない。
「相変わらず元気っすね……」
「最初に手で掴んで火傷したのは誰だ?」
「……俺っす」
小鍋に油を張り、甲虫たちを落とし込むと、ぱちっと火花が散る。
すぐに蓋をして熱を通していくと、やがて殻の隙間から赤黒い油が滲み出し、表面で細かな火花が弾けた。
「……出てきた」
「火の素っすね」
「まだだ」
さらに熱を加え、ひび割れた殻の中身だけが炭のように縮んでいくのを待ち、それを網ですくって鉄皿へ広げる。
また、アルコールランプの弱い火でじっくりと乾燥させていくと、じりじりと音を立てながら余分な油と熱が抜けていくのが分かった。
その変化を見守りながらルークがふと肩の力を抜いたように口を開いた。
「本当この二つは、あんま失敗したことないっすよね?」
その問いに、カイルは鉄皿の上の塊を見下ろしたまま、小さく鼻を鳴らす。
「これは、夢に出てくる男の仲間が、いつも作ってたからな。他より情報が多かった」
その言葉に、ルークの目がわずかに細まる。
「それって……綺麗なお姉さんだったんでしょ?」
「そうだ」
カイルはあっさりと頷き、少しだけ思い出すように視線を上げた。
「絵本で言うところの魔法使い、みたいな役割だったんじゃないか?自分の魔力がなくなった時の代用として、こういうのを作ってた」
「いいなぁ……」
ルークはぽつりと呟き、羨ましそうに息を吐く。
「魔法とか、マジで憧れるっす」
この国に、いわゆる“魔法使い”はいない。
だが、魔物の中にはそれに近い力――魔能と呼ばれるものを持つ個体がいるのは事実だった。
氷を生み、火を吐き、風を巻き起こすその現象は、人の目から見ればどう見ても魔法と呼ぶほかない。
カイルは鉄皿の上で乾いていく塊を指先で軽くつつきながら、どこか淡々とした声で言う。
「まぁ魔法は使えねぇけど、こうやって近いもんは作れる」
その言葉に、ルークはふっと笑った。
「そのうち坊ちゃんなら、マジで魔法みたいなこと出来るかもしれないっすよ」
軽口のつもりだったのだろうが、カイルはそれを否定せず、むしろ少しだけ楽しそうに口元を緩めた。
「それは、ちょっと憧れるな」
そう言いながらも、視線はすぐに手元へ戻る。
やがて完全に乾いた塊を臼へ移し、迷いなく押し潰すように砕いていくと、ざり、ざり、と耳に残る嫌な音が地下室に響き、赤黒い粉が少しずつ増えていった。
「……見た目、完全に危険物っすね」
「だから直接は使わねぇよ」
小瓶に粉を入れ、油紙で仕切りを作り、その向こうへ乾いた木屑を入れる。
「木屑は火種じゃなくて、火を広げるためのものだからな。多めにっと」
瓶を軽く振ると、中で粉と木屑は触れ合わない。
「混ざらなきゃ、ただの粉。割れたら――」
「炎が一気に噴き上がるか、氷が足元から広がって絡みつくか……普通に危ないっすよ」
先ほど作ったスライムの粉をまた別の瓶に詰め、仕切りをすると、片側に塩を入れる。
机の上に完成した小瓶が並ぶ。赤い印のもの、青い印のもの。
形は同じでも、中身は別物だ。
カイルは一本を手に取り、指先で軽く転がした。
「……よし」
それ以上、確かめる必要はない。確認を重ねすぎても、瓶の中身が良くなるわけではない。
このお陰で狩れる魔物も増えた。
空の専用ベルトへ一本ずつ瓶を差し込み、配置だけ確かめると、腰へはつけず、そのまま机に置く。
「当日だな。腰に付けるのは」
「屋敷でこんなもんぶら下げてたら危ないですもんね」
「ああ。必要な時だけ使う」
木剣へ視線を移し、カイルは静かに続ける。
「本物の剣はまだ持てない。この国じゃ十八歳になるまで許可が下りないからな」
ルークは肩をすくめた。
「剣を抜く代わりに、瓶を抜く……そんなの坊ちゃんくらいっすよ」
カイルは小さく鼻で笑う。
燃やす。凍らせる。動きを止める。
その隙に詰めて、木剣で押し、必要なら狩猟用のナイフで終わらせる。
相手に合わせて手順を変えるだけだ。
「生き残るには、それしかねぇだろ」
机の上のベルトを見下ろし、カイルは静かに言った。
「これでいい。明後日からは――これも俺の戦力だ」
地下室を一度ゆっくり見渡す。
簡易炉、鍋、並んだ瓶、そしてまだ空いている棚。
カイルはふっと息を吐いた。
棚へ歩み寄ると、旅に持っていけそうな瓶をいくつか選び、魔物素材を詰めたもの、乾かした草木の粉を入れたもの、用途の分からない細かな調合瓶を順に取り出して作業台へ並べた。
すべてを持っていく必要はない。
必要なのは、道中で起こり得る厄介事に対応できるだけの種類と数だ。
作業台に並べられていく瓶の数を横目で追いながら、ルークは無言のまま一つ、また一つと増えていくそれを見て、内心でため息をついた。
(……これ、鞄もう二つは増やさないと足りねぇな)
「……坊ちゃん、それ本気で全部持ってくんすか?」
「必要な分だけだ」
「いやその“必要な分”が多いんすよ……」
「いいんだよ。これでもまだ足りねぇもんはある。明日は街で買い出しだ」
「……はぁ」
肩を落としながらルークは小さく息を吐く。
「……旅って本当に準備多いっすね」
「そりゃ瓶で身は守れても、腹は膨れねぇからな」
「夢ないっすけど、正論すぎて何も言えねぇっす」
カイルは、ほんのわずかに口元を緩める。
必要なものを揃え、足りないものを知り、使える形へ整えていくこともまた、戦いの一部だった。
灯りを落とし、カイルは階段へ向かう。火の匂いと薬草の湿った匂いだけが、地下室に薄く残った。
静かに進めるつもりだった準備は、気づけばもう十分に騒がしい。
明日は街へ買い出しに行こう。




