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悪質インフルエンサー専門の処刑人~炎上を消す男が裏で悪党を裁く~  作者: 伊達ジン


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第2話 百万の信者と、一人の被害者

 翌日、午後一時。ブラインドで遮られた昼の光が、リカバリー・ラインの整然とした執務室に幾何学的な影を落としていた。

 微かな紙の擦れ音だけが響く室内で、佐藤は前日の依頼資料をクリアファイルに収め、デスク上のトレイへミリ単位のズレもなく揃えていた。続けて、ノートパソコンから伸びる黒いケーブルを真っ直ぐに整え、クリップで定位置に留める。

 デスクの端に置かれた業務用のスマートフォンが、短く震えた。

 佐藤は手元の作業を終え、通話ボタンをタップした。表参道の美容サロン「アトリエ・ルーチェ」の経営者、宮原からだった。


「はい、佐藤です」

『佐藤先生、お忙しいところすみません。昨日出していただいた声明のあと、お店の予約フォームへの書き込みは少し減ったんですが、由梨のほうが』

「小田様に、何かありましたか」


 佐藤は声のトーンを変えず、静かに問いかけた。電話の向こうで、宮原が深く息を吐く気配が伝わる。


『今朝から、マンションの外に出られなくなってしまって。それだけじゃなくて、地方にいるご両親の職場にまで、無言電話や中傷のメールが届き始めたそうなんです。あの子が昔、個人のSNSに載せていた地元の風景写真から、実家の場所まで特定されたみたいで』

「ご両親は、そのメールに返信などはされていませんね?」

『え? あ、はい。怖くて何も触っていないそうです』

「なら結構です。着信履歴とメールのヘッダー情報を、そのままの状態で保存するようお伝えください。削除はせずに。本日中に提携している弁護士へ引き継ぎ、発信者情報開示請求と業務妨害への対応手続きを優先させます」

『はい、すぐに伝えます。ただ、先生。MIIKAさんはさっきからライブ配信を始めていて、その中でもまた由梨のことを。あんなデタラメ、本当にこのままだんまりでいいんでしょうか』

「宮原様。今ここで反論すれば、相手の配信に新しい燃料を投下するだけです」

『っ、それは、頭では分かっているんですが』

「現在は、相手が何を語ったかを記録する段階です。サロン側からの追加の反応は控えてください。小田様には、ご家族の件も含めて法的な対処を進めているとだけお伝え願えますか」

『分かりました。よろしくお願いいたします』


 通話が切れる。

 佐藤は業務用のスマートフォンを置き、モニターの画面に視線を戻した。すでにデスクトップの片隅では、MIIKAのライブ配信が音声を絞った状態で再生されている。

 電子ロックが解除される低い駆動音が響き、オフィスのドアが勢いよく開け放たれた。


「よぉ、スーツ。頼まれてたデータ、まとめて持ってきたよ」


 遠慮のない足音を響かせて入ってきたのは、一人の少女だった。

 田中襟華、十七歳。成人女性よりもさらに小柄で華奢な身体に、都内の私立高校の制服を着ているが、スカートは短くたくし上げられ、その上から少し大きめの無骨な革ジャンを羽織っている。足元は指定のローファーではなく、履き慣れたエンジニアブーツだ。

 歩み寄る動きに合わせて、肩口で揃えた暗褐色の髪が軽やかに揺れる。透き通るような肌に、意志の強さを象徴する太めの眉。あどけなさと反抗心が同居する整った顔立ちの彼女は、長身の佐藤が座るデスクの正面まで来ると、片手に持っていたタブレット端末とUSBメモリを天板の上に無造作に置いた。

 佐藤は眉一つ動かさず、少女を見据えた。


「……田中君。ドアの横にインターホンがあったはずですが」

「あったっけ? 暗証番号ロックしか見なかったけど」

「ノックをするようにと、何度言えば理解するのですか」

「いちいち細かいなぁ、スーツは。わざわざ学校抜け出して寄ってやったんだから、小言より先に労いの言葉とかないわけ?」

「学校を?」

「あー、聞こえなーい。喉乾いた、これ貰うね」


 襟華は悪びれもせずゲスト用チェアにどかりと座り込み、ブーツのまま足を組んだ。さらにデスクの端に置かれていた来客用のミネラルウォーターを勝手に開け、喉を鳴らして飲む。

 佐藤は小さく息をついたが、それ以上は咎めず、画面上のライブ配信の音声を上げた。


「ちょうど対象が配信を行っているところです」

「ああ、それね。来る途中の電車でも見てた。『アンチの捏造について物申す』だっけ? よく言うよね、自分が火ぃつけて回ってるくせに」

「電車内で音声を流していたのですか」

「イヤホンくらいしてるし! あんた、あたしをどんな無法者だと思ってんのさ」


 襟華が呆れたように鼻を鳴らす。

 モニターに映し出されているMIIKAは、強力な補正フィルターがかけられているのか、肌は陶器のように滑らかで、瞳は不自然なほど大きく輝いていた。画面の右側を流れるコメント欄は、彼女を崇拝するファンたちの肯定的な言葉で埋め尽くされている。


『みんな、心配かけてごめんね。なんかお店側が弁護士出すとか言って脅してきてるみたいで、私、ほんとに怖くて』


 MIIKAはカメラに向かって、長いまつ毛を伏せ、目元を押さえる仕草を見せた。


『でも、みんなが応援してくれるから元気出たよ。それにしてもさぁ、あの担当だったスタッフの人? 私、裏でいろいろ言われてるって聞いてアイコン見たんだけど、加工アプリ使ってるのに全然盛れてなくて、正直、美容師として努力不足っていうか』


 彼女は一呼吸置き、画面の向こうの視聴者に語りかけるように、少しだけ口角を上げた。


『センスがない人ほど、綺麗にしている人を見ると攻撃したくなっちゃうのかな。やっぱり、心が荒んでると顔や雰囲気にまで全部出ちゃうんだね。私のフォロワーのみんなは、ああいうネガティブな人とは絶対に関わっちゃダメだよ?』


 襟華が、手にしていたペットボトルをデスクの天板へ乱暴に叩きつけた。水滴がプラスチックの内側で激しく跳ねる。


「ふざけんなよ、この女」


 襟華の声は低く、怒りに震えていた。


「散々ファンをけしかけて個人情報を晒し上げておいて、今度は百万人の前で顔がどうの、努力不足だのって……どれだけ人の尊厳を踏みにじれば気が済むんだよ!」

「田中君」

「なにさ! あんただって今の見てたでしょ!? こんなの、ただの公開処刑じゃん!」


 画面の中では、MIIKAの発言に呼応したファンたちのコメントが滝のように流れていた。『ほんとそれ』『MIIKAちゃんを傷つけた罰だよ』『自業自得』『特定されて当然』といった無責任な言葉とともに、高額な投げ銭のエフェクトが次々と弾けている。

 佐藤はマウスを操作し、配信のウィンドウを最小化した。

 モニターからMIIKAの甲高い声と極彩色の画面が消える。佐藤の声は、普段の冷静さを保ちながらも、低く冷徹な響きを帯びていた。


「画面を睨んでも、向こうの収益が増えるだけです。調査の結果を聞かせてもらえますか」

「ふん。あんたってほんと、血が通ってるのか怪しいよね。言われなくてもちゃんとやってるっての」


 襟華は忌々しげに鼻を鳴らすと、身を乗り出して自分のタブレットを操作した。佐藤のメインモニターに、彼女が作成した時系列のグラフと、無数のSNS投稿のスクリーンショットが共有される。


「あんたから連絡が来てから、MIIKAのファンコミュニティ――特に十代から二十代前半が集まる非公式のオープンチャットと、拡散用のサブ垢群の公開ログを全部洗ったよ」

「規則性はありましたか」

「大あり。ていうか、雑すぎて笑えるレベル。これ見てよ。一昨日、MIIKAが最初の告発動画を上げたのが夜の九時。普通、どれだけ人気のあるインフルエンサーでも、動画を見てから店の場所を割り出して、担当スタッフ個人のアカウントや実家の情報まで特定するには、ネットの集合知を使ったって数時間はかかるはずなの」

「ええ。通常の炎上の拡散速度と比較しても、今回は初動が異常に早かった」

「でしょ? で、公開投稿のタイムスタンプを秒単位で追ってみたら、おかしなことが分かった。動画が公開されてからたった十二分後に、すでに三つの捨て垢が、小田の個人アカウントのURLと顔写真をセットにして拡散し始めてたんだよ」


 佐藤は画面上のタイムラインに視線を走らせた。


「十二分、ですか。動画の再生時間が約十分ですから、倍速で視聴したとしても、そこから特定作業を行っては到底間に合いませんね」

「そゆこと。最初から標的の情報を握ってたやつが、動画の公開に合わせて火をつけたの。しかもね、それだけじゃないよ」


 襟華は画面をスライドさせ、赤くマーキングされた複数の投稿を表示した。


「この『裏垢でも性格の悪さが出てる』『予約システムに抗議のメールを送ろう』『実家の親もどういう教育してるんだ』っていう誘導フレーズ。これ、動画公開から三十分以内に、二十個以上の別々のアカウントが、ほぼ同じ言い回しで一斉に投稿してるの」

「ボットによる自動投稿ですか?」

「だと思ったでしょ? そこがいやらしいところなんだよ。これ全部、普段からMIIKAの投稿にリプライしてる実在の熱狂的ファンのアカウントなの。MIIKAのコミュニティって、彼女に認知されたい若い子たちの承認欲求を利用した、一種のピラミッド構造になってるんだよ。『MIIKAちゃんを守るために戦う私』をアピールすると、古参のリーダー格から褒められて、たまにMIIKA本人からも『いいね』がもらえる。そういう空気を、MIIKA自身が日頃からストーリーズの匂わせで作ってるわけ」

「その古参アカウントと、MIIKA本人を直接結びつける記録はありますか」

「直接のやり取りまでは公開ログには残ってない。みんな鍵垢の裏とかDMでやってるだろうしね。でも、そのピラミッドの頂点にいる『MIIKA親衛隊』みたいな古参連中の過去ログを遡ってたら、もっとヤバいものを見つけた」


 襟華はUSBメモリを指先で弾き、モニターに一年半前の日時が記されたログ画像を表示させた。


「例の渋谷のサロンの件。当時のまとめサイトじゃスタッフの名前は伏せ字になってたけど、この古参連中の過去のやり取りに、実名がそのまま残ってたよ。『芹沢真琴』。当時二十四歳のスタイリスト」

「芹沢真琴」

「『MIIKA様にケチをつけた芹沢真琴を許すな』『あんな店、潰してやろう』って、今回とまったく同じパターンの言葉で袋叩きにしてた。で、その芹沢って人がどうなったか、美容師向けの口コミサイトと個人のSNSの跡地を辿ってみたんだ」


 襟華の声が、少しだけトーンを落とした。先ほどまでの威勢の良さが消え、画面を見つめる瞳に暗い影が差す。


「あの炎上のあと、サロンにはいたずら電話と無断キャンセルが殺到して、芹沢真琴は一ヶ月後に店を辞めてた。それどころか、転職先の美容室にまでMIIKAの信者が凸して、『こんな問題のある人間を雇うのか』ってクレームを入れたらしくて……結局、美容師そのものを辞めちゃったみたい。最後の投稿、鍵垢になる直前のキャッシュに残ってたんだけど」


 襟華は一度言葉を区切り、唇をわずかに歪めた。


「『何もしていないのに、もうハサミを持つのが怖い』って。それだけ書いて、アカウントごと消えてた」


 佐藤は画面に並ぶ言葉を見つめた。その視線が、刃のように研ぎ澄まされた。

 隣では、襟華が苛立たしげに舌打ちをして息を荒く吐き捨て、エンジニアブーツの爪先で床を蹴った。


「ねえ、スーツ。あたし、この古参の連中にダミー垢で接触してみるよ。仲間ぶってDM送れば、誰が最初に個人情報を流したのか、MIIKA本人から裏で指示が出てるのか、ボロを出させることくらいできる。それに、MIIKAがいつも行くカフェの周辺で張ってれば――」

「却下します」


 襟華が弾かれたように顔を上げる。


「はぁ!? なんでよ! まだ最後まで言ってないじゃん!」

「最後まで聞く必要がありません。直接接触は認めないと言ったはずです」

「ここまで調べたのはあたしだよ!? あと一歩で、あいつが裏でファンを操ってる証拠が掴めるかもしれないのに!」

「君の調査は十分に役立っています。ですが、一対一のやり取りを行えば、言葉の端々や接続環境から逆探知されるリスクが生じる。万が一、君の身元が彼らに割れれば、小田様や芹沢氏と同じ攻撃が君の学校や生活に向けられることになります」

「そんなの、ヘマしなきゃいいだけの話でしょ! あたしを誰だと思ってんのさ、子供扱いすんな!」


 立ち上がってデスクに手をつく襟華の前で、佐藤は共有された資料のファイルを閉じ、USBメモリを端末から抜き取った。


「子供扱いではありません。危険な調査は私たちが引き受けます。君には、引き続き公開情報を調べてもらいたい」

「っ、いいとこだけ大人が持ってく気?」

「ええ、そうです。それに田中君、今は平日の午後一時過ぎですが、先ほど『学校を抜け出してきた』と言いましたね」


 不意に突きつけられた日常の問いに、襟華は「うっ」と言葉を詰まらせ、気まずそうに視線を逸らした。


「なによ。さっきはスルーしたくせに、蒸し返すなっつーの。五時間目は自習だったから、ちょっと抜けてきただけだよ。すぐ戻るってば」

「結構。報酬は規定どおり、君の口座へ振り込んでおきます。これ以上の深追いは認めません。この件は、ここまでです。本日はこのまま学校へ戻りなさい」


 襟華はしばらく不満そうに頬を膨らませていたが、佐藤が差し出したUSBメモリを受け取ると、乱暴に頭を掻いて息を吐いた。


「ちっ。ほんっとに融通が利かないんだから。分かったよ、戻ればいいんでしょ、戻れば!」


 彼女はデスクの上のタブレットを乱暴にバッグへ押し込み、ドアへと向かった。だが、ノブに手をかけたところで足を止め、肩越しに佐藤を振り返る。


「でもさ、スーツ。あの芹沢って人や、今の美容師の人のこと、絶対このまま終わらせないでよ。あんな嘘つきの女が笑って儲けて、真面目に働いてた人が全部失うなんて、どう考えても間違ってる」

「ええ。保証します」

「ならいい。じゃあね」


 襟華は口元の緊張をふっと解き、それだけ言い残してオフィスを出て行った。


 佐藤は端末へ取り込んだデータを開き、画面上に二つのウィンドウを並べた。

 片方には、MIIKAが告発動画を公開した二十一時のタイムスタンプと、カフェのレシートに印字された十六時五十八分の時刻。もう片方には、動画公開から十二分後に小田の個人情報を投下した三つのアカウントと、一年半前に芹沢真琴の実名を晒した古参アカウントの投稿履歴。

 二つの画面を行き来しながら、佐藤は投稿時刻と使用された語句を一つずつ照合していく。

 初動の拡散が動画の公開時刻と連動している以上、事前に情報を共有された人物が存在する可能性は高い。だが、MIIKA本人がどこまで関与しているかを裏付けるには、彼女自身の口から当時の経緯を語らせる必要がある。

 本人がカメラの前で語った言葉と客観的な記録の不一致までは、消すことができない。


 手元の黒いスマートフォンをタップし、調査データを転送する。


『Nより。MIIKAに関する追加資料を共有する。予定どおり、彼女への取材を通じた接触を開始してほしい』


 数秒と経たずに既読がつき、短い返信が届いた。


『了解。女王様がどんな美しい嘘を聞かせてくれるか、楽しみにしてるわ』


 佐藤はその文面を一瞥すると、スマートフォンの画面を伏せ、デスクの引き出しから新しいメモ帳を取り出した。

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