第2話 魔力ゼロは、どうやら売り物になるらしい
魔力測定器の針は、ぴくりともしなかった。
衛兵詰所の机の上に、手のひらサイズの水晶板が置かれている。戸塚がそこに右手を載せて、三十秒。針は、左端の「0」から一ミリも動かない。
「……ゼロだ」
測定官が顔を上げた。丸い眼鏡の奥で、目が笑っている。笑いを隠す気はあまりなさそうだった。
「器なしか。珍しいな。いまどき、赤子でも五歓は持っているもんだが」
「かん、というのは」
「歓だ。喝采の単位だ。知らんのか、田舎者」
知らない。知らないが、知らないと言うと田舎者以下になりそうなので、戸塚は「ああ、歓ですか」と頷いておいた。丁寧語は、嘘をつくときにも便利だ。
「器なしは歓が体に乗らん。見世物にもならんし、兵にもなれん。おまけに住所も札もなく、魔力もゼロ。うちの記録に載せる欄がない。場内侵入の罰金は、銀貨二枚だ」
「払えなかったら」
「鉱山だな」
さすがに背中が冷えた。受け身は取れる。取れるが、鉱山の落盤まで受け身で何とかなるかどうかは、試したことがない。
「待ちな」
詰所の扉が、がらりと開いた。
入ってきたのは小柄な老婆だった。灰色の髪を後ろでひっつめ、膝の上に算盤を載せられる椅子を自分で引きずってくる。杖の代わりなのか、算盤を片手に提げていた。
「ペルラさんじゃないか。うちの管轄に何の用です」
「銀貨二枚を払いに来たんだよ。その男の分だ」
測定官が眼鏡をずらした。「この器なしを、ですか」
「器なしだからだよ」
老婆は、戸塚の顔を下から睨むように見上げた。目が、算盤の玉のように小さく光る。
「あんた、さっき客席の目を、あの剣士の坊やに回しただろう」
「……見えていたんですか」
「見えるさ。四十年、興行をやってるんだ。あれは魔力じゃ出来ない。技だよ」
返事を探している間に、老婆は財布から銀貨を二枚つまんで、机に叩きつけた。
「あたしはペルラ・マッカ。南区の麦わら座の興行主さ。ついておいで。ここで話すと高くつく」
麦わら座までは、大円環から歩いて三十分かかるという。夕方の街は、どの路地にも人の声が溢れていた。通りの角ごとに小さな演台があり、手品師や曲芸師が人を集めている。誰かが技を決めるたびに、通りの人々が一斉に振り向く。
見られるほど強くなる世界だと、少年が言っていた。そのとおりなのだろう。街全体が、見られるための場所だ。
屋台の前で、ペルラが串焼きを二本買い、一本を戸塚の胸に押しつけた。
「初回サービスだ。次から日給に載せる」
「ありがとうございます。いただきます」
脂の甘い、塩の強い肉だった。かじりながら見ていると、角の曲芸師が玉乗りを始めた。足元に、親指ほどの水晶がひとつ置いてある。数字は十八。通りがかりが三、四人、足を止める。数字が四十になる。玉が少し速く回りはじめる。人垣が十人を超えた頃には、七十近い数字になって、曲芸師は片足で玉に乗りながら、もう片足で別の玉をはじいていた。
「ほら、あの子。さっきの倍は止まらないだろう」
「客が増えると、ほんとうに技が変わるんですね」
「技はもともとある。見られると、出せる分が増えるだけさ」
「いいかい。一回しか言わないよ」
ペルラは歩きながら、算盤を指で弾く。
「人も魔物も、見られた分だけ強くなる。客の視線と、感情の揺れ。それが喝采。力に変わった喝采の量が歓だ。新人で五十、中堅で二、三百。大円環で人気の上のほうは、試合中に一千近くいく」
「あの、盤に出ていた数字ですね」
「歓量計。水晶で客席の感情を拾うのさ。ただし冷める」
「冷める」
「溜まった歓は、翌朝には半分。二日で消える。だから闘士は毎日、見られなきゃならない。休んだら弱る。人気者ほど休めないんだよ」
戸塚は黙って頷きながら、頭の中で整理した。毎日興行しないと弱る。興行の客が少なければ強くなれない。強い者は人気者で、人気者が強いのは見られているから。
プロレスの巡業と、ほとんど同じ仕組みじゃないか。
「そして、あんたは器なしだ」
ペルラが立ち止まった。
「歓が体に乗らない。つまり、客の視線は、あんたを素通りする。魔力ゼロの人間は、客の視線を通す穴だ。穴は、通したい先に向けて塞げば、そっちへ水を流せる」
「……えっと」
「さっき、あんたが魔獣に流しちまった分と、剣士に流した分。あれは全部、あんたの体を通っていったんだ。通してるとき、あんた、何か感じたろう」
少し考える。
「背中が、熱かったです」
「それが通ってる感触だよ。いいかい、あんた。器がない人間は、使い道がないんじゃない。使い道が他人にしかないのさ」
使い道が、他人にしかない。
悪口にも聞こえる言葉だった。十五年、誰かの隣で負けることを仕事にしてきた戸塚にとっては、むしろ履歴書の最初の一行に近い。嫌な気は、不思議としなかった。
麦わら座は、思ったより小さかった。円形の劇場に藁葺きの屋根を載せたような建物で、収容は八百だという。壁に、何度も張り替えた跡のあるポスターが重なっている。一番上の一枚は半分めくれて、麦わら座の文字だけが読めた。雨漏りの染みが、屋根の形に沿って縞を描いている。
「日給は銀貨三枚。そこから保釈金の二枚を、一日一枚ずつ引く。食事は勘定外」
「ありがとうございます。助かります」
「礼は、客を沸かせてから言いな」
案内された下宿は、劇場の裏の〈雨だれ荘〉。四畳半、壁は板一枚。隣の寝息が筒抜けだ。出されたのは、固い黒パンと、豆のスープ。
食べ終えて、薄い布団に横になる。天井の染みを数えながら、戸塚は右手のひらを、天井に向けて開いてみた。
どうぞ。
誰も見ていない部屋で、ひとりで笑った。
「明日の夜、前座に出るんだよ」
壁の向こうから、ペルラの声が飛んできた。隣の部屋が、あの老婆だったらしい。
「あ、はい。何をすれば」
「倒れな。いい顔で」
「いい顔、ですか」
「痛そうなのに、客が目を離せない顔さ。できるだろう」
「……はい。それなら、得意です」
壁は、それきり静かになった。




