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戦姫メイド  作者: 白彩
戦のない世界に
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7/37

第六話:届かなかった問い

 避難民への対応が、本格化した。教会堂の開放が始まり、炊き出しが始まり、物資の台帳が、日に日に厚くなった。エステル家の屋敷は、領地運営の心臓と化していた。廊下ですれ違う者は皆、小走りになり、厨房の大鍋は朝から火が入りっぱなしで、物資の台帳は三日で倍の厚さになった。レイラの枕元には、翌日の献立表の下書きが、書き損じと一緒に積まれている。


書き損じは、捨てていない。裏が使えるからだ。裏を使い終わったら、かまどの火付けにする。それまでは、机の端にある。


そしてレイラ・シエルは——無双していた。


「献立の再設計を完了しました。備蓄の消費速度を二割抑制しつつ、栄養価は維持します」

「物資の棚卸しを完了しました。誤差は麦粉三袋分。輸送時の破損と記録しました」

「明日の炊き出しの配置図です。調理担当四班、配膳六班、洗い場三班。人員表と合わせて確認を」



その日の朝食、ノエルは目の下に隈を作って現れた。


「おはようございます。隈が、昨日より濃いです」

「おはよう。……お前、人の顔を点数みたいに読むのやめろ」

「採点はしていません。観測です」

「観測もするな。……うまそうだな、今日のスープ」

「豆です。備蓄が豆に偏っています」

「豆ばっかりだな、最近」

「……文句を言われた時の返答が、裏にあります」

「何の裏だ」

「献立表の、裏です」


ノエルは献立表を裏返して、しばらく見て、それから噴き出した。


「『豆は腹持ちがいいのです』……お前、これ書いたのか」

「はい。婦人から、生真面目だと言われました」

「……生真面目ってのは、そういう時に言う言葉じゃない気がする」

「では、なんと」

「……分からん。分からんが、違う気がする」

「ところで、シエル。お前、昨日は何時間寝た」

「四時間です。十分な睡眠時間です」

「十分じゃない。……けど、お前が言うと説得力あるのが困る」


最近の屋敷は忙しいが、一人のメイドによって救われている要素が多い。手順のある仕事において、レイラに死角はなかった。献立、物資、人員、工程。数字で構成された問題は、全て、数字で解決できる。解決し続けた結果、避難民対応の実務は、いつの間にか、当主の傍にいる銀髪のメイドを軸に回り始めていた。


完璧だった。完璧なのだが——

完璧であることと、受け入れられるのは全く異なる意味を持っていた。


 

 昼下がり、配膳所。レイラは大鍋の前に立ち、お玉を規定の角度に保ちながら、列の進みを見た。一人、二杯まで。子供は端の柔らかいパン。パンの切り分けは、昨日のうちに済ませてある。

——ノエル様の指示は「表に立つな」だった。レイラはこれを、「教会堂と宿舎と、街に出るな」と解釈した。配膳所は屋敷の管理下にある倉庫の改装棟である。つまり、表ではない。


……はずだった。


——その視界の端で、小さな動きがあった。避難民の子供たち。五、六人の集団が、建物の陰から、こちらを見ている。列に並ぶでもなく、ただ、遠くから、見ている。レイラは、子供たちに向き直った。


「並んでいるのですか。配膳はこちらです。列の最後尾は——」


子供たちは、一斉に、後ずさる。

逃げた、というほどではない。だが、明確に、距離を取られた。一番前にいた小さな子供など、隣の子の袖を掴んで、半分、顔を隠している。レイラは、言葉の続きを、飲み込んだ。


「……配膳は、あちらの列です。お腹が空いているなら、並んでください」


もう一度、声をかけた。音量は落とした。語尾は、柔らかくしたつもりだった。子供たちは顔を見合わせて、それから、走り去った。大鍋の湯気だけが残った。レイラはお玉を構え直して、列の配膳に戻った。戻りながら、頭の隅で検算していた。声のトーン。語尾。表情。立ち位置。……どこかに、計算違いがある。だが、どこかが分からない。


(……なぜ)


……正確すぎる動きは、時に、人を遠ざけるらしい。

その推論が、正しいかどうかを検証する術を、レイラは持っていなかった——



帰り道、広場の隅で、一羽の烏と目が合う。パンの耳の、あの烏かどうかは分からない。烏の見分け方を、レイラは知らない。知らないが、あの烏だという気がしたので、懐に入れていた配膳の端のパンを、少しちぎって石段に置いた。烏は、三歩ほど、じりじりと近づいて、咥えて、飛ぶ。石段に座って、それを見届けてから、レイラは気づいた。


……私は今、座っている。任務は帰還の途中である。座る手順は、どこにもない。それでも、もう少しだけ、座っていたいと考える。広場の向こうでは、避難民の男たちが、壊れた荷車を直していた。金槌の音が、間の抜けた間隔で響く。誰かが唄を唄っていた。上手くはない唄だったが、長く続いていた。


石段は、夕日で温かく、自分の芯を少し和らげてくれるような感覚に陥る。程なくして、立ち上がる。帰り道の歩数は、いつもより、正確には数えられなかった。数えるのを、途中で忘れたからだ。



夜。厨房。炊き出しの後始末の時間。大鍋の湯垢を落とし、お玉を数え、明日の薪を組む。桶の前に、ノエルが立っていた。


「……なぜ、ノエル様が洗い物を」

「書類の山より、皿の山の方がマシだ」

「書類は、済んだのですか」

「済んでない。だからここにいる」¥

「……それは、逃避です」

「言うな。お前に言われるとなんか正論をかまされてるようで頭が痛くなる」

「頭が痛いのですか?」

「……」


ノエルは皿を湯に浸した。やり方は、悪くない。悪くないが、遅い。一枚ごとに、皿を眺める時間が長い。


「ノエル様。その皿は、もう綺麗です」

「分かってる」

「では、次を」

「分かってるって。……なあシエル、今日、配膳所で何かあったか」

「……なぜ、それを」

「トムが言ってた。お前が帰ってきてから、お玉を二度も調整してたって」

「……失態です。二杯、規定量を外しました」

「そういう話をしてるんじゃない。……子供たちが、逃げたんだろ」


レイラは、答えなかった。答えなかったが、答えないこと自体が、返事になってしまった気がした。


「……回避されました」

「……逃げられた、と」

「逃走、というほどのものではありません。……回避、されました」

「回避、ね。……子供ってのはさ、正直なんだよ。怖いものは怖い。変なものは変だ」

「私は、変ですか」


レイラは、即座に尋ねた。ノエルは、洗い物の手を止めて、少し考えた。


「……変、じゃない。ただ、お前は——」


言葉を、選んでいた。丁寧に。まるで、割れ物を運ぶように。


「お前は——正しい動きしかしないだろ。子供ってのは、正しくない動きをする生き物だ。転ぶ。間違える。変な顔をする。……だから子供には、正しくない人間の方が近く見える。お前は遠く見える。遠い、正しい人に」


遠い、正しい人。レイラはその言葉を反芻した。正確性は、訓練の成果だ。磨かれた技能だ。それが、距離になるとは。


「……修正すべきですか。正確性を、落とすべきですか」

「違う」


ノエルは、即答した。


「お前の正確さは、お前の武器だ。落とす必要なんてない。……ただ、子供に近づきたいなら、正確さの中に、『間違えてもいい場所』を作ればいい。……例えばさ」


ノエルは桶から皿を一枚引き上げて、拭き布をかけ——手が滑った。皿が桶に落ちて、盛大な水音を立てた。ノエルの前髪に、水滴がかかっている。


「……わざとじゃない」

「記録します。わざとでは、ない、と」

「言うな!……でもまあ、こういうことだ。俺が皿を落としたら、お前はどう思う?」

「……効率が悪い、と」

「それだけか?」


「……」


レイラは、水に濡れたノエルの前髪を見た。……それだけでは、ない気がする。効率が悪い。それは事実だが、事実の隣に、もう一つ、何かがあった。濡れた前髪。慌てて拭う手。情けない顔。それらを見た時、胸のあたりに、小さな、緩みのようなものが生じていた。緩みの名称は、不明だった。


「……分かりません」

「分からなくていい。……でもシエル、お前は今、俺を見て、効率だけを見なかった。それで十分だ。十分、進んでる」


 ノエルは、濡れた前髪のまま、笑った。レイラは、その笑顔が、この数日の疲労の中で、初めて見た種類のものであることに、気づいた。気づいたことを、記録した。……それだけのことが、なぜか、大事なことのように感じられた。


「あ、あと、俺が皿を落としたこと、日誌に書くなよ」

「……検討します」

「書くな」


書いた。このあと、ちゃんと日誌には記した。



 後始末が終わった頃、いつの間にか夜は更けていた。厨房を出ると、廊下の窓から、避難民の宿舎の灯りが見えた。教会堂の方角に、ぽつぽつと、夜の明かりが並んでいる。レイラは、窓の前で足を止めた。

あの灯りの数だけ、食料が要る。毛布が要る。明日の献立が、明後日の物資が要る。でも全て、計算できる。全て、手順の中にある。だけど——昼の、子供たちの後ずさりは、計算の外にある。


(……私に、できることは)


昼の、柱の陰の子供たちが、頭に浮かんだ。後ずさりした、小さな靴。計算の内側のことは、全部やった。では、計算の外側のことは、誰がやるのか。私は、それを、やれるのか。


「シエル」


後ろから、声がした。ノエルが、洗い物を終えて、廊下に立っていた。前髪は、まだ少し湿っている。


「まだ起きてたのか。何か用か?」


 レイラは、振り返った。喉の奥に、言葉があった。昼間から、ずっと、そこにあった言葉。


「——ノエル様。私に、何か、手伝えることはありますか」


 尋ねた。献立のことではない。物資のことではない。そういうことは、もう、全てやった。……では、私がやっていないこと。私に、やれるか分からないこと。そこに、私は、手を出せるのか。ノエルは、少し黙っていた。それから、いつもの問いを、返した。


「——シエルは、どうしたい?」


一度目は、空白だった。二度目は、引っかかりだった。三度目の今夜は、どちらでもなかった。空白ではない。何かはある。昼の柱の陰。「そばにいること」の追記。逃げていった小さな背中。それらが、私の中で、何かに向かって動こうとしている気がする。


気がするだけで、何なのかは、分からない。

(……分からない)


「……分かりません」


 レイラは、そう答えた。「回答不能です」では、なかった。「確認します」でも、なかった。ただ、分からない、と。自分の言葉で。ノエルは、少しだけ目を見開いた。それから、静かに、笑った。声を立てない、夜に溶けるような笑い方で。


「そうか。分からない、か」

「不適切な回答でしたか」

「違う。……『分からない』はな、『回答不能』より、ずっといい答えだ」

「根拠を、確認します」

「根拠は、ない。……あるのは、俺の勘だ」

「勘は、証拠になりません」

「ならないな。……でもなシエル。人が何かを答える時、根拠のない方の答えの方が、大事なことがある。……今夜は、それでいい。おやすみ」


「『回答不能』は、何もない場所の言葉だ。でも『分からない』は——何かがある場所の言葉だ。何かがあるのに、まだ掴めない。だから、分からない、って言う。……お前の中に、何かがいるってことだよ、シエル」


レイラは、自分の胸に、手を当てた。当ててみたところで、計測できるものは何もない。脈拍、平常。体温、平常。……平常のはずの場所に、何かがいる、と、この人は言う。


「その、何かを。いつか、掴めるようになるのですか」

「なるさ。お前は、そういう子だ。俺が保証する」


ノエルは、そう言い切った。根拠を示さずに。根拠のない保証は、記録の対象外のはずだった。なのにレイラは、その言葉を、正確に、一字一句、暗記した。暗記する、という選択を、した。——それもまた、選択であることに、レイラはまだ、気づかない。


ノエルは、廊下の奥に歩いていった。途中で一度振り返って、「皿の件は、本当に書くなよ」と言って、今度こそ去った。ところが、ノエルは廊下の途中で、もう一度戻ってきた。


「……そうだ。ひとつ、聞き忘れてた。シエル。お前、今日、配膳所に行ってたのか」

「はい。指示は『表に立つな』でしたので、裏方は継続しました」

「配膳所は、表だよ」

「……」

「いや、言い方が悪かったな、こっちの。……明日から、配膳は別の者に回す。お前は厨房と屋敷の中までだ」

「……了解しました」


レイラは頷いた。頷きながら、解釈の誤りを記録した。「表」という語の範囲を、取り違えていた。……範囲の取り違えは、今まで一度もなかったのに。


「……悪いことしたな、と思ってるなら、気にするな。お前のおかげで、列は回ってた」

「……はい」


ノエルは、今度こそ廊下の奥に消えた。


レイラはその場に残って、少し考えた。明日から、配膳所には立たない。……正確には立てないのか。柱の陰の子供たちは、明日、誰から逃げるのだろう。


 

 自室に戻ると、窓の外は完全な夜になっていた。机に向かう。蜜煮の小瓶が、月光を受けている。飴色の包み紙は、日誌の頁の間に、今日も挟まっている。レイラは、日誌を開いた。


今日という日を、振り返る。配膳所の子供たち。落ちた皿。濡れた前髪。「分からない」と言ったこと。……あと、烏。石段の十分。上手くない唄。書くことが、多い。備考欄が、また足りなくなりそうだった。


『本日の血液消費量:八滴。  

用途:炊き出しの火、保温×3、巡回の灯、補助×2。


備考一:配膳所で、子供たちに回避された。次回は、柱から離れた位置に立つ。……それで変わるのかは、分からない。


備考二:ノエル様が皿を一枚、桶に落とした。わざとではない、とのこと。……本人から「日誌に書くな」と要請があったが、事実なので書く。


備考三:問いに、「分からない」と答えた。ノエル様曰く、いい答えだそうだ。根拠は、ないとのこと。……根拠のない答えを、私は、久しぶりに出した気がする。気がするだけ、かもしれない。


備考四:広場の石段で、十分ほど座っていた。烏に、パンをあげた。……任務の記録として、不適切な項目かもしれない。でも、今日の日誌には、これを書く』


筆を置く。窓の外、教会堂の灯りが、ひとつ、またひとつと消えていく。あの灯りの下で、昼の子供たちも眠るのだろう。私から逃げた子供たちが。……明日も、配膳所に立つ。子供たちは、また、後ずさりするだろうか。


たぶんそうなるのに、明日も立つ。それは任務だからだ。任務だから——


(……本当に、それだけか)


筆を、また取りかけて、やめた。書きかけた文の先が、見つからなかった。任務だから、と書いてしまえば済む。済むのに、書けなかった。レイラは、日誌をそっと閉じた。閉じたまま、しばらく机の前に座っていた。飴色の包み紙のはみ出した端を、指で、二度ほど、押し込んだ。明日の予定を、頭の中で確認する。配膳。台帳。罠の交換。……鼠は、まだ、逃げている。あの鼠だけは、この屋敷でいちばん、自由かもしれない。


そんなことを考えているうちに、夜は、ゆっくりと更けていった。

ご拝読ありがとうございました。


白彩の裏話:

最近人狼ゲームを始めて見ました。知らない人とチャットを通じて、嘘を暴くのって意外と難しいですよね。

これから研鑽したいと思っています。

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