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戦姫メイド  作者: 白彩
戦のない世界に
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6/38

第五話:遠い砲声

0時に投稿するはずでした!

申し訳ないです・・・

 避難民が、領地に流れ始めている。最初は一日に二、三人だった。街道を、家族連れが、背中に荷を載せて歩いてくる。靴は皆、泥に汚れていた。荷車を引く者もいて、荷の上で子供が眠っており、揺れるたびに頭が小さく揺れていた。山羊を連れた一家もいた。その山羊だけが、よく太っていた。


 一週間で十人を超え、十日で、数十人になった。皆、北の方から来る。レイラが門の上から数えた限りでは、最も多い日で、一日に十九人だった。教会堂が開放された。床に藁が敷かれ、毛布が配られた。レイラは献立表を作り、物資の台帳をつけ、配膳の順路を決めた。数字で構成された問題は、数字で解けた。


ただ、食料の帳尻だけは、日ごとに苦しくなっていく——



 その日の午後、改訂した献立表を届けるため、教会堂に向かった。歩いて十五分。裏口では、炊き出しを仕切っている村の婦人が、大鍋の灰汁を取っていた。


「おや、屋敷の人かい。……へえ、豆を増やすのね。うちの亭主がまた文句を言うよ。豆ばっかりって」

「豆は、腹持ちがいいです。……文句を言われた時の返答も、表の裏に書いてあります」

「……なんだい、これ。『腹持ちがいいのです』……あんた、ずいぶん生真面目だねえ」


婦人は笑って、献立表をエプロンで手を拭いてから受け取った。帰り道、教会堂の前の広場で、避難民の子供たちが石けりをしていた。その中の一人、五つか六つの女の子が、レイラをじっと見上げて、言った。


「おねえちゃん。かみ、しろいね。おばあちゃんなの?」

「十八歳です」


女の子は、くすくす笑って、石けりの輪に戻っていった。婦人が「失礼なこと言うんじゃないよ」と叱る声が、背後から聞こえた。レイラは少しの間その場に立ってから、屋敷への道を戻った。髪を一本、指で摘んでみた。銀色だった。白ではない。……そういえば、子供は皆、初めて見るものを良く見る。それだけのことだ。


書斎では、役人たちの声が絶えない。


「受け入れ先の割り振りはどうなってる!」

「領内の空き家は三軒。宿屋は満室です」

「教会堂の藁が湿気てきた。交換しろ」

「藁より毛布が先です。業者に掛け合って——」


ノエルは机に座ったまま、届く書類に次々と目を通していた。空の珈琲カップが、机の隅に三つ並んでいる。レイラが昼の報告に入ると、ノエルは書類から顔も上げずに手だけを出した。報告書を受け取る手つきだった。


「食料です。現状の流入が続けば、冬まで持ちません」

「……備蓄の買い付け、予算を回す。値が釣り上がる前に、今日中に手配だ」

「それと、キャベツの納品が十五束でした。注文は五十です」

「……なんでだ」

「北の街道が詰まっているそうです。荷が通りません」


ノエルはようやく顔を上げて、天井を見た。それから、大きく息を吐いた。


「分かった。献立を組み直してくれ。豆を多めに。キャベツは半分に刻んで、かさ増しにしろ」

「了解しました。……なお、豆の返答文は既に配布済みです」

「何の話だ」

「いえ」


引き下がりかけて、レイラは机の端を見た。朝に置いたはずのパンが、一切れも減っていない。


「ノエル様。昼食を召し上がっていません」

「あー。食う。あとで食う」

「『あとで』は、昨日も聞きました」

「今日は食う。……たぶん」


たぶん、は記録に値しなかった。十五分後に盆を回収しに行くと、パンは半分だけ減っていた。


 

 夜。書斎に夜食を運んだ。蝋燭は二本目に入っている。芯が長くなって、炎が揺れていた。レイラは湯気の立つ盆を置いてから、燭台の芯を鋏で切った。作業の間、ノエルのペンは止まらなかった。


「……悪い。ありがとうな」

「休息を推奨します」

「分かってる。でもな、俺が一時間休むと、この紙のどこかの誰かの飯が、一時間遅れるんだよ」


盆を机に置く。スープの湯気が書類の端にかかって、ノエルが慌てて紙をどけた。


「あぶな。シエル、次から湯気の多いやつは手前に置いてくれ」

「了解しました」


引き下がろうとして、扉のところで振り返った。ノエルはもう書類に顔を落としている。袖口のインクが、昨日より広がっていた。レイラは、湯気の立つスープと、ペンの音とを、順番に見た。何か言おうとして、何を言うつもりだったのか分からないまま、扉を閉めた。



 食料庫の鼠は、罠にかからなかった。仕掛けて三日目の朝、罠を見ると、バネだけが作動していた。餌は綺麗に無くなっている。器用な鼠だ。罠を元に戻そうと棚の奥に手を伸ばした拍子に、古い樽の後ろから、菓子の包みが出てきた。誰かが隠したものだろう。包みの端が、少し齧られていた。鼠か、主か。見なかったことにして、元に戻した。


夕方、厨房でトムと会った。包帯姿のまま、片腕で鍋を運ぼうとしていた。


「トムさん。左手は使わないでください」

「あ、レイラさん。いや、これ右手じゃないんで」

「……そうでした」

「それより見てくださいよ、この腕。ずいぶん良くなって。祭りには間に合いそうです」

「祭りに、腕が要るのですか」

「いや、要らないですけど。……出たいんですよ、出店。友達がやるんで。手伝いは無理でも、食いに行くくらいは」

「出店。……蜜煮の露店のようなものですか」

「そうそう。ああいうの。……あ、レイラさんも来ます? 友達の焼き菓子、うまいですよ」

「……検討します」


豆の分量の話をして、厨房を出た。出ながら、検討という言葉の置き場所を考えていた。置き場所は、見つからなかった。



 その夜、遅く。レイラは、音で目を覚ました。遠い轟音(ごうおん)。地の底を転がるような、重い音。気づいた時、体は床に転がっていた。窓から離れ、壁に背をつけている。右手は枕の下の短剣を握り、指先に火が灯りかけていた。


心臓が速い。呼吸を整える。四拍吸って、四拍止めて、四拍吐く。何千回と繰り返した手順だった。

四つ、吸って。四つ、止めて。


……途中で、数を見失った。


もう一度、初めから。四つ、吸って。四つ、止めて、四つ、吐く。窓の外で、雨が降っていた。雷が光った。遅れて、また轟音。雷だ。そう分かっていても、体は壁から離れなかった。馬小屋の方で馬がいなないている。遠くで犬が啼いている。それ以外は、静かだった。雨が小降りになるまで、レイラは壁に背をつけたままだった。指先の火は、消すのに時間がかかった。


巡回の途中、廊下でノエルと出会った。蝋燭を手にしている。袖口はインクで汚れたままだった。書斎を出たところらしいが、戻る気配ではない。


「シエル。お前も起きてたのか」

「雷が、少し」

「雷、な」


ノエルはレイラの右手を見た。短剣はもう鞘に収まっている。指先の火の名残の、かすかな明かりまでは、隠せなかった。


ノエルは、何も聞かなかった。


「少し休んでけよ。雨、見てくから」

「巡回の途中です」

「俺も巡回だ。ちょうどいい。二人で回れば半分で済む」


計算が合っていない。二人で回っても、歩く距離は変わらない。レイラは訂正しようとして、やめた。訂正しない方がいい場面というものが、この一年でいくつかあることを覚えていた。この場面がそれに該当するかは不明だったが、試しに該当させてみることにした。


並んで、歩いた。


「そういや、鼠は」

「負けています」

「……負けるなよ」

「罠を替えます。……ただ、相手は、なかなかの手練です」

「鼠に手練も何もないだろ」

「あります。餌だけを取っていきます」

「……そいつは手練だな」


中庭の渡り廊下で、ノエルが足を止めた。雨に煙る庭を眺めている。


「……姉貴のいる方は、もっと近いんだろうな。この音」

「はい」

「手紙、また来てたよ。三日前に。『元気にやってる』って、それだけ」

「それだけ、ですか」

「あの人にとっての手紙はいつもそれだけだ。死んだら届かない手紙だから、届いた時点で用済みなんだと」


ノエルはくすりと笑う。レイラは窓の外を見たままだった。言いかけた文があった。ヴェラは、と始まる文だ。その先が、うまく組み立たなかった。元気なのでしょうか、と続けるべきか。考えているうちに、間が過ぎた。


「……いえ」

「ん?」

「何でもありません」


ノエルは前を向いたまま、少し笑った。


「お前、言いかけて止めるの、下手だな」

「そうですか」

「そう。まあ、いい。聞きたいことができた時に、聞け」


その後、二人で渡り廊下を往復して、別れた。巡回にかかった時間は、いつもとほぼ同じだった。



 翌朝、避難民の先導役が屋敷を訪れた。初老の男だった。どうやら、避難民のまとめ役らしい。皺の深い手で、何度も帽子を取っては被り直していた。ノエルは書斎で応対し、レイラは茶を運んだ。用件は十分ほどで終わった。男は深く頭を下げて退出していく。廊下で、給仕に控えていたレイラとすれ違った。


その時だった。男の足が、止まった。レイラの、銀色の髪を見ていた。目が見開かれて、息を呑む音が廊下に小さく響いた。


「……あ、あなた、は……」

「何か、ご用ですか」


男は数瞬、レイラの顔を見ていた。それから慌てて頭を下げた。深く。何度も。


「いえ。……人違いでございます。失礼、いたしました」


男は、逃げるように去っていった。杖を突く間隔が、乱れていた。見覚えはない。レイラは給仕の盆を畳んで、書斎に戻った。


ノエルは窓の外を見ていた。


「ノエル様。先ほどの方が」

「見たよ」


振り返らずに、そう言った。いつもより、低い声だった。


「シエル。今後、避難民への対応は、俺の指示があるまで表に立たないでくれ。炊き出しの献立と物資は変わらず頼む。だが、顔を見せるのは控えろ」

「理由を」

「お前の銀髪は目立つ。それだけだ」


レイラは頷いた。


「承知しました」


引き下がる途中、渡り廊下の窓の外に目をやった。門のあたりを歩く初老の男の背中が見えた。男は一度だけ立ち止まり、屋敷の方を振り返った。それから、その日の午後から、レイラは髪に布を被るようになった。厨房裏の通用口を使うようになった。教会堂の方角が見える廊下の窓の前を、通らなくなった。

回り道で、四十二歩、増えた。帳簿の隅に書いて、それから、線で消した。書くほどのことでは、なかった。



 夜。自室。日誌を開く。挟んであった飴色の包み紙がするりと落ちて、昨日の頁が開いた。拾って、挟み直してから、今日の頁を開く。——ペンを執る。


『本日の血液消費量:六滴。  用途:巡回の灯×2、夜食の保温、書斎の灯、文書の乾燥、補助。


備考一:雷。馬がいなないき、犬が啼いていた。


備考二:避難民のまとめ役が来た。帰り際、屋敷を振り返っていた。


備考三:明日より、避難民対応は裏方。ノエル様の指示。髪に布を被る。


備考四:鼠、罠の餌だけを持っていく。手練。罠を替える。


備考五:教会堂の子供に、おばあちゃんと言われた。十八歳ですと訂正した。』


筆を置く。書きたいことが、もうひとつあったような気がした。ペンを取り直して、それから、また置いた。思い出せなかった。


灯りを消す。闇の中で、遠くの犬がまだ啼いていた。布団に入ってから、レイラは布に包むはずの自分の銀色の髪を、しばらく手の中で握っていた。

白彩の裏話:

最近食トレをしてます。夏バテやら、体調不良やら多かった気がするので、やっぱり食事の大切さを気付かされています。おすすめの増量法があったらこっそり教えて欲しいです

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