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戦姫メイド  作者: 白彩
夢を見る子
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第一話:八人目の朝

 目が覚めると、窓の外はまだ暗かった。起きる時間が、身体に入っている。今が何時なのかは知らない。時計のない部屋で育ったせいで、時刻というものの読み方を持っていない。それでも、いつも同じ深さの暗がりの中で、目は開く。温室では、そういうものだった。決まっていることは疑わなくていい。疑わない分だけ、朝は楽なものだ。


寝所の薄闇に、目を慣らしていく。

並んだ寝具を、端から順に見る。毛布の山が七つ。小さい山。大きい山。丸まって獣みたいになっている山。どの山も規則正しく上下していて、その動きを眺めているうちに、自分の息までゆっくりになった。


七つ。


指は折らず、頭の中だけで数える。数えるのは得意だった。得意というより、そうするものだと仕込まれている。部屋の数。検査の回数。食事の盆の数。数の合わない日には、たいてい何かが起きた。欠けた数は、いなくなった誰かの数だった。


この寝所では、七つで足りる。足りて、なお、余分がひとつある。八つ目の寝具は、わたしのものだ。


八つ並ぶようになって、まだ何日も経っていない。それなのに身体はもう、この薄い布団の匂いを覚えてしまっている。干し草と、洗い晒しの布と、ほんの少しの乳の匂い。隣で眠る小さい子の匂いだ。

起き上がって、毛布を畳む。端を揃え、三つ折りにして、枕を上に載せる。畳み方は、ここに来てから教わった。隣の山が少し動いて、ずれた毛布を肩まで引き上げてやる。起きはしなかった。寝言で魚の名前らしきものを言って、また静かになった。


裏の水場で顔を洗う。桶の水は夜のうちに冷え切っていて、掌ですくえば指の骨まで冷たさが届いた。息が一度、止まる。その一瞬で、眠りの名残がすべて剥がれた。


台所には、もう火が入っていた。

竃の前にマダムが座っている。背中が小さく丸まって、火の中を覗いていた。あの背中に、わたしは運ばれたのだ。畑で拾われた朝のことを、断片的に覚えている。擦り切れた靴。二度滑った腕。そして、年寄りのものとは思えない温かさ。


「起きたかい」


振り向きもせずに言った。この人はいつもそうだ。見ていないのに、気づく。背中に目があるのではないかと、本気で疑ったことがある。


「うん」

「椀を出しておくれ。八つだよ」


棚から木の椀を取る。七つではなく、八つ。並べながら、指先でひとつずつ縁に触れた。軽いもの。傷だらけのもの。一番新しい椀は、わたしの分だ。木の色がまだ浅くて、他より白っぽい。誰かの使い古しではなく、新しく買われたものだということくらい、見れば分かる。

竃の火が鍋の底を鳴らしていた。粥の炊ける気配は、耳ではなく鼻で分かる。米の甘い匂いが、少しずつ濃くなっていく。マダムは鍋を一度だけ混ぜると、あとは薪を足した。足す薪の太さを、指で測るように選んでいる。手の休まらない人だった。


「そこに座っていなさい。椅子は、あんたのだから」


言われた場所に座る。台所の隅の、低い椅子。いつからか、わたしの場所になっていた。決まった場所がある、ということ。温室にも、決まった場所はあった。六つめの、空の部屋。でも、あれとこれとはどこかが違う。違いが何なのか、言葉がまだ見つからない。見つからないものは、見つかるまで待てばいい。待つことは、得意だった。


外が白み始める頃、寝所の方から足音が重なってきた。

一番に転がり込んできたのは、いちばん小さい子だった。五つの、まだ字の読めない子。わたしの名づけ親だ。その子は台所の入口で立ち止まり、眠そうな目をこすって、それから指を立て始めた。


「いち、にい、さん」


テーブルについた面々を、指で順に刺していく。赤毛の子。寝ぐせのひどい子。欠けた椀を抱えた子。指が、次から次へと渡っていく。


「しい、ごお、ろく、なな……」


指が、わたしの前で止まった。


「……はち!」


両手を広げて、叫んだ。


「ふえた!はちにん、になった!」

「うるさい」


隣でフィンが粥を吹きそうになった。十三の、いちばん大きい子。いつも腕を組んでいて、いつも文句から口を開く。


「おとといから八人だろうが。今さら数えるな」

「だって、きのうもはちだったもん。きょうも、はち。へらない!」

「減るかよ」

「へるとき、あるもん。にわとり、こないだ、へった」

「あれは卵を産まなくなったから、坊主のところにやったんだ」


言い合いながら、フィンはわたしの前の椀を少しこちらへ寄せた。寄せておいて、こちらは見ない。見ないまま、自分の粥に顔を近づける。この人はそういうことをする。手の動きと、顔の向きとが、いつも合っていない。


「ろく、おかわりあるよ。食べる子は食べていいんだよ」


ミラが自分の椀を持ったまま言った。十くらいの、世話焼きの子。まだ一口も食べていないのに、おかわりの心配をしている。


「うん」

「うん、だけ?食べるの?食べないの?」


考えた。食べる、と言うべきか。よく分からなかった。分からないことは、黙ってきた。でもミラは待っている。椀を両手で抱えて、じっとこちらを見て、待っている。


「……たべる」

「よし!」


ミラが笑った。その顔を見ていると、椀の中の粥が少し温かく見えた。もともと温かいものが、温かく見える。おかしな感じがした。おかしい、というのは、悪いことではなかった。

粥のほかに、漬物と干し肉が出た。干し肉は人数分に細かく裂かれていて、わたしの皿の切れ端は他の誰のより少し大きかった。マダムの配膳は、いつもそうだ。新しい子の分だけ、ほんの少し多い。誰も文句を言わない。みんな、自分が通ってきた順番を知っているのだ。



 食事のあと、髪を梳かれた。建物には縁側があり、そこに座らされてミラが後ろに立つ。櫛が腰まである髪の先に入り、少しずつ上へ登ってくる。引っかかるたびに「ごめんね」と言う。痛くはない。


「ろくの髪、すごいね。どこまで伸ばすの?」


分からない、と思った。伸ばしているのではない。切っていないだけだ。切るという習慣が、あの場所にはなかった。あそこで鋏は、髪のための道具ではなかった。


「わたしの、貸してあげる。リボン。青いの」


首を、小さく振る。


「なんで。かわいいのに」


理由はない。髪に何かを結わえるということが、よく分からないのだ。温室にいた頃——十番の髪には、いつも色のついた玉が揺れていた。あれが良いものなのかどうかすら、分からないままだった。ただ、わたしの髪は垂れたままが、たぶん合っている。


「じゃあ、明日も梳いてあげる」


断っていないのに、明日の約束ができていた。ここでは、そういうことが多い。聞かれる前に決まる。決まるのは、嫌ではなかった。



 午前の仕事は洗濯だった。庭の井戸で水を汲み、桶にためて、布を揉む。水は冷たくて、指先がすぐ赤くなった。赤くなった指を眺めていると、ミラが「火に当てていいよ」と言う。竃の残り火に手をかざして、井戸へ戻る。冷たいと温かいの間を、何度も往復した。


竿に布が並んでいく。風が来るたび、並んだ布がいっせいに膨らんで、元に戻る。膨らむ。戻る。それを見ていた。しばらく、見ていた。


「ろく。手、止まってる」


隣の竿で、フィンが布を掛けながら言った。


「うん」

「見てるだけで乾くなら楽でいいけどな」


皮肉なのだろうと思う。ただ、この人の皮肉には棘がない。口の中でいちど棘を抜いてから、外に出している。そんな気がした。確かめようはないけれど……


昼前、街道を荷馬車が通った。見慣れない馬。見慣れない荷台。そのとき庭にいた子供たちが、いっせいに動いた。走るのではない。音を立てず、するすると物陰に入っていく。洗濯物の陰。薪の山の陰。井戸の向こう。いちばん小さい子がわたしの袖を引いた。引かれるまま、一緒に干した布の陰へ屈む。


布越しに、馬車が通り過ぎるのを見た。御者はこちらを見もしない。ただの行商人だった。


馬車が曲がり角に消えると、子供たちは何事もなかったように庭へ戻った。洗濯の続き。畑の続き。誰も何も言わない。言うことがない、という顔をしている。


わたしも、何も言わなかった。

言わなくていいこと、というものがある。この場所では、それが当たり前になっている。誰に教わったわけでもなく、ここの子供たちは皆、どこかで一度、隠れるということを覚えてきた子供なのだ。それだけのことだ。それだけのことが、布の陰に屈むだけで分かる。


昼食は、固いパンと豆のスープだった。


パンは水に浸して食べる。温室の食事は、いつも同じ形の、同じ味の塊だった。ここの食事は毎日違う。焦げている日がある。薄い日がある。塩の効きすぎた日があって、そういう日はフィンが「しょっぱ」と言って、ミラが「おいしいよ」と言う。どちらも本当のことを言っているのだと思う。それが少し、おかしかった。


午後は畑に出た。苗の間引きを教わった。根の張り方の強いものを残して、弱いものを抜く。言われた通りにやったつもりが、育つべき苗を抜いていた。マダムは怒らなかった。抜けた苗を手に取って、言った。


「これは、あんただよ」


首を傾げた。苗とわたしの、どこが似ているのか分からない。


「畑に落ちてたのを、植え直した。抜けた苗でも、根があればまた張る」


老いた指が、苗を土に戻す。根の周りを、そっと押さえた。その手つきは、今朝わたしが隣の子の毛布を直した手つきと、どこか似ていた。

畑のあとは、鶏小屋の番だった。五歳の子と一緒に、卵を拾う。小屋の中は藁と羽と、生き物の温かい匂いで満ちていた。鶏は全部で六羽。五歳の子が指を立てて数え始める。


「いち、にい、さん、しい、ごお……ろく!」

「あってる」

「へってない!」


嬉しそうだった。鶏の数が合うことが、どうしてそんなに嬉しいのか。考えて、少しだけ分かった気がした。この子にとって、数が合うことは、今日一日が無事だったということなのだ。卵は四つ拾えた。五歳の子が両手にひとつずつ、わたしが残りを持つ。運ぶ途中、手の中の卵がまだ温かかった。生まれたての、温かさだった。


夕方は、薪割りを手伝った。正確には、手伝うつもりのフィンの隣で、割れた薪を積んでいたのだが、途中で斧を貸してもらった。フィンは「おまえには無理」と言いながら、薪を一本、台に立ててくれた。


振り下ろす。薪は、ふたつに割れた。


「……おい」


二回目も、割れた。三回目も。鍬の方が重い。畑の土の方が、よほど抵抗がある。そう思いながら振っていると、フィンが黙って次の薪を台に載せてくるようになった。何も言わなくなった。文句の多い人が黙る時は、たいてい何かを認めた時だということを、わたしはこの日に覚えた。

割れた薪は、二人で運んで、竃の脇に積んだ。薪の山が高くなる。高くなった山を見て、フィンが鼻で笑った。


「まあな」

「なにが」

「なんでもいいだろ」


夜は、週に一度の湯の日だった。庭の釜で湯を沸かして、板張りの小部屋に桶で運ぶ。順番は年の順だという。わたしは後ろから二番目だった。湯に浸かる。肩まで。湯の表面に、長い髪が広がって浮く。

温室では、洗うのは自分の仕事ではなかった。洗われるもの、だった。手早く、無駄なく、黙って。湯の温度も、浸かる時間も、全部、誰かが決めていた。だから湯というものに、温かい以外の記憶がなかった。心地よいとか、気持ちがいいとか、そういう言葉は、ここに来るまで知らない。


だが今は、知っている。湯の中で、指を開いたり閉じたりしてみる。湯が指の間を抜ける。何度やっても、抜ける。掴めないものを掴む遊びを、ひとりで続けていた。


上がる頃には、頬が火照っていた。着替えながら、窓の外の藍色を見た。藍の下で、子供たちの声がした。夕食の支度を、大きい子たちが手伝っているのだろう。釜を運ぶ音。椀の重なる音。フィンの「おい、それは違う」という声。ミラの笑い声。


全部、遠くて、近かった。


夕食のあと、日が暮れた。子供たちが寝所へ引き上げていく。わたしは縁側に残った。空が藍から黒へ変わるのを見ていた。星がひとつ、またひとつ、増えていく。増えていくものを眺めていると、指を折りたくなった。折らなかった。星は数え切れないものだと、とうの昔に知っている。


「眠くないのかい」


いつの間にか、マダムが隣に座っていた。


首を振る。眠くない、のではない。夜を、待っているのだ。夜になれば、あの場所へ行ける。白くない、どこか温かい、誰かの夢の入り口。そのことを言葉にすることはできない。できないことは、首を振るしかない。


マダムは、それ以上聞かなかった。


「無理に寝なくていいよ。ただ横になるだけでも、身体は休まるもんだ」


立ち上がって、台所の火を落としに行く。行きかけて、一度だけ振り向いた。


「ろく」


名前で、呼ばれた。


「ここは、数が減っても誰も怒らない。増えても、誰も咎めない。それだけ、覚えておきな」


何のことかは、訊かなかった。この人は、答えない質問をする人だ。答えをこちらの内側に置いていく人だ。置いていかれた言葉は、夜のうちに、胸のどこかへ静かに落ちていく。


寝所に戻って、毛布に入る。隣では、いちばん小さい子がもう眠っていた。毛布がまたずれている。直す。肩のあたりまで引き上げて、指先で端を押さえる。闇の中で、寝息が重なっている。深いもの、浅いもの、たまに混じる小さないびき。暗がりの向こうから順に、耳で辿っていく。


途中で、やめた。

七つあることは、もう分かっている。分かっていることを確かめるのは、温室の癖だ。ここでは、確かめなくていい。朝になれば、全部が動き出す。それが当たり前の場所なのだ。


目を閉じる。今夜は、誰の夢の前に立つのだろう——

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