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戦姫メイド  作者: 白彩
空っぽ
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第六話:音の刺客

 西の塔の広場は、夕方になると人が減った。理由は、階段だった。塔のある高台まで続く石の階段は、数えるのが億劫になるほど長くて、街の人間は用事がなければ寄りつかない。寄りつかない場所は、待ち合わせに都合がいい。あの子がこの場所を選んだのは、たぶん、そういう理由だ。


私は約束の時刻より早く着いて、広場の端の石段に座っていた。

傷はあの薬のおかげで随分楽になっている。あの子の置いていった瓶は、あの後もう一度だけ口をつけた。苦かったが、体の芯に力が戻るのが分かった。敵の差し入れで傷を治して、敵との決闘に臨む。変な話だと思う。思うが、それが今の状況だった。


剣は二振りある。欠けた普段の剣と、土の剣。

土の剣は今日も鳴らない。昼間、何度か試した。血を垂らしても、温まるだけで鳴らない。鳴らない剣を抱えて、鳴らしてほしいと言う相手の元へ来ている。間が悪いと言えば悪い。だが、来ないという選択肢はなかった。

色々考えていると、階段の下から、足音が聞こえる。スキップするような、軽い足音。音がある世界でその足音を聞くと、あの子が昨日までの無音をどれだけ意図的に作っていたかが、よく分かる。


「おーい。来てるー?」

「います」

「お、いるいる。えらいね、ちゃんと来た。あーし、半分くらい、来ないと思ってた」


塔の影から、ツインテールが飛び出した。

昼の光の中で見ると、昨日の影よりずっと小さい。年齢はシュピと変わらないくらいか。カラフルな玉のついた髪留めが、夕日を受けて光っている。

十番は私の前まで来ると、無遠慮に顔を覗き込んだ。


「んー、傷、治ってる?あのお酒、飲んだ?」

「飲みました。助かりました」

「でしょー。あーし、いい店知ってるんだ。あ、でも、どこで仕入れたかは内緒。盗んだから」

「盗んだのですか」

「うん。え、だめ?盗んじゃ」

「よくないです」

「よくないかー。じゃあ、今度からは、ちゃんと買う。お金もらえるようになったし」


十番はあっさりそう言って、私の隣に、ぺたんと座った。隣に座られて、少し戸惑った。戦う相手と並んで座るという状況の、正しい距離感が分からない。


「ねえ。聞いていい?」

「何を、ですか」

「お姉ちゃん、名前、なんていうの」


問いは、真っ直ぐ来た。答えるべき名が、今の私には三つある。シエル。レイラ。それから、昨日街で名乗ったリラ。どれを告げるべきか、少し考えた。


「リラ、と名乗っています。この街では」

「りら。ふーん。それ、ほんとの名前?」

「偽名です」

「あはは、正直だね。じゃあ、ほんとのは?」

「教えられません」

「けち」


十番は頬を膨らませた。膨らませたまま、石段の下を見ている。その横顔は、どこかの普通の子供と同じだった。同じなのが、恐ろしい。この子は昨日、私の平衡感覚を掴んで崩した。あれと同じ顔が、今、拗ねている。


「あーしは十番。番号。お姉ちゃんは、番号じゃないんでしょ。ずるいよね」

「ずるい、ですか」

「ずるい。あーしね、名前、あるんだよ。番号じゃない、本当の名前。たぶん、あったんだよ。小さい頃。でも、忘れちゃった。覚えてるのは、十番だけ。変なの」


変なの、と言う十番の声は、いつもの調子だった。いつもの調子で言うからこそ、その言葉の重さが、余計に分かった。


「番号と名前は、違います」

「違うの?」

「違います。番号は、誰かが管理するためにつけるもの。名前は、誰かが呼ぶためにつけるものです」

「呼ぶため」

「はい。私が拾われた時、名前がありませんでした。だから、拾ってくれた人が、つけてくれました。呼ぶために」

「へえ」


十番は、石段の淵から足をぶらぶらさせた。ぶらぶらさせながら、しばらく何も言わなかった。言わない十番を見ていると、この子が静かな時の方が、話している時よりずっと、年相応に見えた。


「ねえ、りら」

「はい」

「あーしに、名前、つけてよ」

「……」

「駄目?」

「駄目では、ありません。ただ、名前は、拾った人がつけるもので。私は、あなたを拾っていません」

「拾ってよ」

「拾えません。あなたは私の敵です」

「敵。うーん、敵かあ。そっか」


十番は足を止め、ひゅっと立ち上がった。その動きはあまりに軽かった。この子の身体が本当に戦うために作られているのだと、改めて分かる。


「じゃあ、そろそろ始めよっか。約束、したでしょ。剣、鳴らしてくれたら、あーし、本気で測るって」

「鳴らせていません。今日も」

「えー、うそー」

「本当です。ですが、別の用意はしてきました」

「別の用意?」

「音を奪われるなら、音を使わない戦い方をする。それだけです」


十番は、目をぱちくりさせた。それから、口の端が、ゆっくり上がっていく。


「あはは。いいね、りら。あーし、そういうの、大好き」

「好き、なのですか」

「うん。あーしのこと、倒そうとしてくれてるでしょ。あーしを倒そうとする人、今まで、いなかったから。みんな、あーしのこと、壊れないように、運ぶだけだった。運ぶのと、戦うのは、違うもんね」


違うもんね、と言う言葉の置き方が、どこか幼かった。幼いままの言葉で、この子は自分の境遇を、案外ちゃんと理解している。理解していて、笑っている。理解しているから、笑っているのかもしれない。


「場所、変えよ。ここ、広すぎて、あーしの術、効きにくいんだよね。塔の中がいい。狭いとこ、得意だから」

「分かりました」


この子は敵なのにも関わらず、私はあえて不利な状況を選択してしまっている。この状況は好奇心とそして同情が入っていることに勘づいて、私は立ち上がった。剣の位置を確かめている間に、あの子はもう塔の入り口まで跳んでいっていた。そして、こちらを振り返る。


「早く早くー。あ、そうだ。一個だけ、ルール追加」

「ルール」

「あーし、今日は、殺さない。だからリラも、殺さないで。殺しちゃったら、あーし、もう遊べないから。遊べないの、やだ」


遊べないの、やだ。

その言葉を、私は頷きながら聞いた。頷いたが、心の中で、ひとつだけ、思った。この子にとって、遊びと戦いは、同じ言葉なのだろう。同じ言葉で生きている子に、私は、何を教えられるだろうか。

教えられることは、まだ分からない。分からないまま、私は塔の階段を上がった。


 

 塔の中は、想像より広かった。広い、が、天井が低い。低い天井の下に、太い柱が等間隔で並んでいる。夕日の差す窓から、柱の影が長く床に落ちていた。その影の筋が、この部屋の格子だった。格子の中に、私と十番が、向かい合って立つ。


「じゃ、始めるよ。合図は、あーしの指。指を鳴らしたら、開始」

「分かりました」

「あ、鳴らせないや。今、音、消してるから」

「では、どうすれば」

「うーん。じゃあ、あーしが手を挙げる。挙げて、下ろしたら、開始。いい?」

「構いません」


十番は手を挙げた。挙げた手が、下ろされる。

その瞬間、世界から、音が消えた。

消えた世界で、私は最初から走っていた。走る方向は、柱の影。格子の影に入って、姿を隠す。隠す意味は薄い。あの子には、振動で位置が分かる。分かっていても、影に入る癖は、師匠譲りだった。


譲られた癖のおかげで、最初の一撃は避けられた。私の真横で、柱が内側から裂けた。音はない。遅れて、石の破片だけが飛んでくる。破片を剣の腹で払いながら、次の柱へ移った。移る足は床を踏まない。代わりに、血の薄い足場を柱から柱へ瞬かせて移動した。


血の消費は、計算しながら使う。残り、六分。糸に二滴、足場に一滴、膜の予備に一滴。それ以上は、鳴らすための血に残しておく。


「おー。床、踏まないんだ。器用だねー」


声だけが、柱の向こうから届く。声の位置を、私は目で追わなかった。目で追うのは昨日やった。やって、読まれた。今日は、糸だけで追う。

糸は、床ではなく、柱に這わせてある。十番の立つ柱を糸が捉え、表面を細かく撫でる。撫でる感触から、相手の重心の移りを読む。


来る!


左の柱が爆ぜた。その影から、透明な衝撃が飛ぶ。軌道を糸の痙攣で読んで、頭を沈めた。衝撃は頭の上を通り抜け、後ろの壁を削った。削る音もない。石の粉だけが舞う。


舞う粉の中で、私は十番の位置を確かめて、血の刃を飛ばした。

二筋。一筋は柱に吸われ、一筋は——


「あは」


掠めた。掠めた感触が、糸越しに伝わってくる。それに小さな歓声が混ざった。


「当たった?当たったでしょ。リラ、昨日より強くなってる。一日で、そんな変わる?」

「変わります。考える時間が、あったので」

「考えたの。すごーい。あーし、考えるの、苦手。考えるより、聞く方が早いから」


聞く方が早い。


その言葉を、私は剣を構え直しながら噛んだ。この子は、考えないのではない。聞くだけで全部が分かるから、考える必要がないのだ。必要のない能力は、育たない。育たない場所に、今日の私は、剣を入れなければならない。


入れる場所を、探す。


次の衝撃を避けるたびに、柱が一本ずつ削れていった。削れた柱の粉が床に積もり、夕日の光を細かく乱反射させている。その光の中で、十番の姿が、一瞬だけちらついた。


位置を糸で確かめ、走る。一度だけ床を踏んだ。踏んだ音は奪われる。奪われるはずの音が、ほんの一瞬、靴の裏に返ってきた。あの子の揺り戻しだ。昨日もそうだった。全力を出した直後、消音が甘くなる。その瞬間を、今日は待っていた。


待っていた瞬間が、来る。

私は立ち止まり、剣を床に突き立てた。

柄に掌を当てて、血を流し込む。


(——鳴ってください)


頼むような気持ちで念じた。血が柄を伝い、刀身に滲む。刀身がかすかに熱を持ち、低く、鳴った。

鐘のような音。小さい。小さいが、確かな、先日の一戦より大きい一音。


「——っ」


柱の向こうで、十番の声が詰まった。

その隙に剣を抜いて駆けた。距離は五歩。先にいた十番は、両手を頭の上で合わせていた。合わせた手が、今まさに振り下ろされようとしている。間に合うか、間に合わないか。


振り下ろされた両手から、音の塊が飛んできた。昨日と同じ、圧縮された音。だが昨日より小さい。小さいが、速い。速いものには、膜を張る時間がない。ないなら、受けない。受けないで、避ける。


避ける先は柱の陰——いや。柱は削れている。盾にならない。ならないなら、逆だ。

私は、音の塊に向かって、前に出た。

剣を横に寝かせ、刃の面で音の塊を受ける。面に血を薄く張った。血が音をそらし、そらされた塊は横を通り抜けて、後ろの壁を大きく抉った。


抉る音が、今度は、聞こえた。

聞こえるということは、消音がまだ戻っていない。戻っていないなら、今が一番の隙だ。


残り、二歩。剣を振り上げる。その先を、十番が見上げていた。見上げた顔は笑っていた。笑ったまま、右手を、私の耳に向けてかざす。

耳の奥が引っ張られ、平衡が崩れた。昨日と同じ手だ。同じ手への対処は——ない。ないまま、膝が落ちる。


落ちた膝の上に、剣が突き刺さった。それに寄りかかる格好で、私は倒れなかった。

倒れなかった私を、十番がのぞき込む。


「あー、またこれ。耳、やられると、立てないでしょ。人間って、耳でバランス取ってるからさ。あーし、それ、教室で教わったの」

「教わるのですか、そういうことを」

「うん。体の、弱いとこ。音で壊せるとこ。全部、教えてもらった。教えてもらったから、あーし、強いの。強いのは、いいことだよね」


いいことだよね、と言う顔は、無垢だった。無垢な顔で聞かれて、私は、少しだけ、返答に迷った。


迷って、こう答えた。


「強いことは、いいことです。でも、それだけでは、足りません」

「足りない?」

「はい。強いだけの人は、誰かに使われるだけです。使われるだけの強さは、いつか、捨てられます」

「捨てられる」


十番の顔が、少し曇った。曇りはすぐ笑いに戻る。いつもの調子の笑いのまま、私の前にしゃがみ込んだ。


「ねえ、リラ。あーし、捨てられるのかな」

「分かりません。分かりませんが、測るだけの仕事が終わったら、次の仕事が来ます。次の仕事があなたに合うかどうかは、あなたが決めるべきです」

「あーしが、決める」

「はい。番号ではなく、あなたが」


十番は、しゃがんだまま、私を見ていた。その目はいつもと違って、笑っていなかった。笑っていない顔は、はじめて、本当の年齢に見えた。


その顔を、ちゃんと覚えておこうと思った。間に、十番は立ち上がっていた。背を向けて、窓の方を見る。夕日があった。それを見ながら、十番は言った。


「今日は、リラの勝ち」

「勝っては、いません。膝を、つきました」

「ううん。あーし、今日、二回、本気になった。二回も本気になったのは、あーしの負け。負けたから、今日は、もう帰る」

「待ってください」

「ん?」

「明日も、来ますか」


問いは、自然に出た。十番は少し驚いた顔をして、それから、にっと笑った。


「来る。明日も、明後日も。あーしの仕事が終わるまで、毎日、来る。毎日、聞かせてね、リラの音」


音、という言葉を、十番は丁寧に発音した。その言葉を残して、窓から飛び降りる。飛び降りた先の屋根の上で、一度だけ振り返った。顔が、夕日に染まっていた。


手を振って、消えた。あとには、削れた柱と、石の粉と、夕日だけが残った。残った夕日の中で、私は突き刺さった剣に、まだ寄りかかっていた。あの子は敵だ。温室の番号で、人を壊す術を教え込まれた子供だ。だが、あの子は今日、私に名前の話をした。名前の話をした敵は、初めてだった。


初めての敵に、私は、明日も会う。会う約束を、敵と交わした。守る理由は、昨日とは少し違う。その違いを、私はまだ言葉にできないでいた。

剣を抜いて、立ち上がる。膝はまだ少し震えていた。恥じなかった。この震えを、明日の材料にする。材料にできるうちは、まだ負けていない。


塔を降りる時、階段の途中で、一度だけ振り返った。

窓から差す夕日が、床の上で長く伸びて、細く途切れていた。その光を見ながら考えたのは、十番のことではなかった。


あの子に、何を聞かせるべきか——


音の先に、何を聞かせられるか——


そのことだけを考えながら、長い階段を降りていった。足音だけが、塔の中に、小さく響いていた。

ご拝読ありがとうございます。

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