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戦姫メイド  作者: 白彩
空っぽ
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48/53

第一話:屋敷の朝

 朝の稽古に、相手はいなかった。庭の中央で、私は一人、型をなぞった。剣を振るたび、草の露が足元で散る。師匠が北へ戻ってから、五日が経っていた。五日分の朝稽古は、全部、一人だった。一人の稽古は、静かだった。


型を一通り終えて、剣を納める。

少しだけ、庭の端を見た。井戸のあたり。師匠がよく立っていた場所だった。柄杓を取り落として舌打ちした、あの場所。……いないものを見る癖が、この五日でついてしまった。癖は、直すものだ。直し方は、まだ知らない。


「シエルさん」


振り返ると、ガルドが立っていた。門の見張りの交代時間だった。


「ガルド。おはようございます」

「ああ。手合わせでも、するか」


意外な言葉だった。ガルドが剣の相手を申し出ることは、今まで一度もなかった。


「よろしいのですか」

「朝飯まで、時間がある。剣の師匠が北へ戻って、あんたの剣の相手がいない。置いとくと、剣は鈍る。それは、屋敷にとって損失だと思うがな」

「では、お願いします」


木剣を交えた。


ガルドの剣は、重かった。速くはない。だが、一撃ごとに、傭兵の勘が詰まっていた。変化球は来ない。代わりに、真っ直ぐが、何度来ても同じ重さで来る。迫りくる剣を、同じ強さで受け続けることは、思ったより難しかった。

十合ほどして、ガルドは木剣を下ろした。


「悪くない。だが、あんたの剣は、相手がいて伸びる剣だな。一人では、限りがある」

「理解しているつもりです。明日も、お願いできますか」

「門の番が回ってこなければな」


それは、承諾ということだった。ガルドの言葉は、いつもそうやって、半歩だけ素っ気ない。



 朝食の支度は、私の仕事に戻っていた。厨房に入ると、トムが既に火を起こしていた。窓の外は、まだ藍色だ。


「おはようございます、レイラさん」

「おはようございます。……今日のパンは」

「焼けてます。たぶん」

「たぶん、とは」

「いや、焼けたと思うんですけど、思うだけで、まだ窯を開けてなくて。一緒に開けてもらっていいですか。開けるのが、怖い」

「分かりました」


窯を開けた。パンは、焼けていた。焦げてもいない。立派なものだった。


「……焼けてます」

「本当ですか!?」

「はい。綺麗です」


トムは、窯の中のパンを、しばらく眺めていた。眺めてから、


「なんか、逆に、不安になってきました。……次が焦げる気がして」

「次は次です。今日は、今日のパンを食べます」

「そうですね。そうしましょう」


トムはパンを取り出して、籠に並べた。手つきが、旅に出る前より、ほんの少しだけ、丁寧になっていた。私がいない間も、厨房は回っていた。誰かが、その間を、支えていたということだ。そのことを、私はちゃんと見ておこうと思った。


「レイラさん。蜂蜜、詰め直しました」

「ありがとうございます」

「今回は、瓶、二個です。一個は、家用。もう一個は、予備です」

「予備」

「です。予備があると、本番に強いって、誰かが言ってました」

「誰ですか」

「……僕です。今、言いました」


トムは笑っていた。私も、小さく笑った。笑ってから、二個の瓶を、棚の同じ場所に並べた。並んだ瓶が、朝日を受けて、琥珀色に光っていた。



 朝食の席は、久しぶりに、四人だけだった。先代夫妻は三日前に発たれた。発つ時、母と呼ばれた人は、私に一言だけ言った。『パンを焦がすな。焦がしても、ちゃんと食べなさい』。あれは、激励だったのだと、あとで解釈した。


「シエル。今日の予定は」


ノエル様が、粥を啜りながら聞いた。粥の中には、干し果実が混ぜてあった。トムの新作だった。


「午前は街の見回り。午後は、屋敷の備品の点検です。……それから」

「それから」

「魔法剣の、確認を。許可をいただければ」


ノエル様は、粥の椀を止めた。


「あの、燃えるやつか」

「はい。旅の途中で、一度だけ、出ました。その後、自分で出そうとしても難しいので訓練したいと考えています」

「屋敷の中では駄目だぞ」

「分かっています。西の練兵場を、お借りしたく。ガルドに、立ち会いを頼みます」

「わかったわかった。その代わり何かあったら、すぐ止めろ。止める判断は、ガルドに任せていい。……お前は、止められ役だ」

「かしこまりました」


シュピが、パンを齧りながら、ずっとこちらを見ていた。見ている目が、何か言いたそうだった。


「シュピ。何か」

「魔法剣って、あれでしょ。剣が、ぶわっ、ってなるやつ」

「ぶわっ、とは」

「ぶわっ。っていうのは……ほら、燃えたり、光ったり」

「その通りです。まだ、ぶわっ、とは、出ていませんが」

「出したら、見せてよ。僕、見るの、好きだからさ。キレイなの」

「分かりました。そうなったら、一番に見せます」

「ほんと?」

「はい。約束します」


シュピは満足そうにパンに戻った。ノエル様は、そんな二人を見て、粥を啜りながら、小さく笑っていた。


「いいのか。約束は、重いぞ」

「重いから、守ります」

「その返しは、誰に似たんだ」

「……ヴェラです」

「やっぱりな」



 街の見回りは、一人。朝の市場は、いつも通りの賑わいだった。魚屋が、今日の仕入れを自慢していた。肉屋の跡地には、新しく八百屋が入っていた。ゴータの弟は畑に戻ったままだったが、畑の野菜が八百屋に並ぶようになったので、商売としては続いているらしかった。名前は、相変わらず、誰も知らなかった。


「メイドのお姉ちゃん」


声をかけられた。見れば、孤児院の子供たちが三人、市場の端で袋を運ぶ手伝いをしていた。先頭の男の子は、確か、祭りの時に会った子だった。


「おはよう。手伝い、ですか」

「うん。運ぶと、銅貨もらえるんだ。ねえ、聞いてよ。孤児院に、すっごいきれいな人が来たんだよ」

「きれいな人」

「なんか、お屋敷の人らしくて。紫の着てる人。みんなに、お菓子くれた」


先代夫人のことだろう。発たれる前日まで、孤児院に通っていた。というより、確認に行っていたのだ。子供の数は、領の帳面より正確だ、とあの人は言っていた。


「お菓子、美味しかったですか」

「うん!あのね、僕、あの人に、名前を聞かれたんだ」

「名前を」

「うん。僕、名前、ないからさ。……ないって言ったら、あの人、『名前は、持っているものよ。見つかってないだけ』って」

「いい言葉、ですね」

「うん。だから僕、探してる。市場で、いろんな人の名前を聞くの。参考にする」

「いい探し方だと思います」


男の子は、にっと笑って、袋を担いで走っていった。走っていく背中を見送りながら、私は思った。名前を探している子供がいる。名前を三つ持っている私がいる。名前というのは、誰かがつけるもので、誰かが呼ぶもので、そして、自分で見つけるものでもあるのかもしれなかった。


市場を抜けて、北門へ回った。


門の見張りは、何事もなかった。何事もないことが、報告だった。報告を聞いて、頷いて、私は屋敷へ戻る足を速めた。



午後、西の練兵場で、魔法剣の確認を行った。立ち会いはガルドで、十歩ほど離れて、腕を組んでいた。組んだ腕の角度が、いつでも止めに入れる位置を示していた。


「始めます」

「ああ。無理はするな」


私は剣を抜いた。いつもの、欠けた剣ではない。今日の剣は、土の剣だった。師匠の三本目。部屋の隅で寝かせていた剣を、今朝、初めて、外へ出した。


剣を構えて、目を閉じる。血を、掌へ。掌から、柄へ。旅の途中で、一度だけ、勝手に流れた道筋を、今度は自分からなぞる。なぞる。しかし剣は、鳴らなかった。

血は流れない。流れようとしない。あの時は、勝手に動いた。勝手に動いたものを、今度は自分で動かそうとしている。……動かないものを動かすのは、思ったより、難しかった。


三十回ほど、試した。三十回とも、同じ結果だった。剣は鳴らず、血は流れず、汗だけが流れた。


「シエルさん」

「はい」

「今日は、やめておけ」

「……もう少し」

「あんたの顔を見て言ってる。力の出ない時に、力を出そうとするな。出ないものは出ない。出ない日があるのは、剣も同じだろうが」


私は剣を下ろした。

下ろして、少しだけ、悔しかった。悔しい、という感情を、私はこの剣の前で初めて覚えた。……覚えた悔しさは、悪くなかった。悔しさは、まだ、やることがあるということだ。


「……ガルド。質問があります」

「なんだ」

「ガルドは、剣が出ない日に、何をしますか」


ガルドは、少し考えてから、答えた。


「飯を食う。飯が喰える日は、剣が出ない日だ。剣が出る日は、飯が喉を通らん。……通る日に、通るものを、通しておけ」

「……分かりました」

「分かったか」

「はい。……今夜の夕食は、私が作ります。喉を通す番です」


ガルドは、珍しく、口元を緩めた。


 

 夕食の支度は、いつもより丁寧にやった。鶏肉の香草焼き。季節の豆の煮込み。トムの焼いたパン。……それと、私の作った、林檎の焼き菓子。林檎の菓子は、先代夫人が好んでいたもので、レシピはトムが書き残してくれていた。書き残しには、細かい注意書きがあった。『砂糖は焦げる直前まで』『林檎は厚く切るな』『レイラさんへ。火加減は、強くしすぎないでください』。


「見事です」


トムが、焼き上がりを見て言った。


「教えが、よかったからです」

「いや、僕の注意書き、三箇所、破られてますよ」

「……破りました。そっちの方が合うと思ったので」

「どこを」

「砂糖の量と、切る厚さと、火加減です」

「全部じゃないですか」

「はい。でも、美味しいと思います。食べてみてください」


トムは、一切れをつまんで、口に入れた。入れて、少し考えて、


「美味い。……美味いんだけど、僕のレシピの味じゃない。レイラさんの味だ」

「レイラさんの味、とは」

「知りません。知らないけど、そういう味がする。……蜂蜜、入れました?」

「少し」

「ですよね」


トムは二切れ目をつまんでいた。つまみながら、満足そうだった。レシピは、教えるもので、教わるもので、そして、破られるものなのかもしれない。破られたレシピは、次の誰かのレシピになる。いつかの老婆は言っていた『蜜煮にはその日が乗る』と。料理とは、そうやって、人から人へ渡っていくのだと、その時、思った。


夕食の席で、ノエル様が林檎の菓子を三つも食べた。


「これ、シエルが作ったのか」

「はい。お口に合いましたか」

「合いすぎた。問題だ。……書類の手が、止まる」

「書類は、止めないでください」

「止めないが。もう一切れ」

「三つ目です」

「数えるな。……数えるのは、うちの母の役目だ」


その言葉に、シュピが笑った。シュピは最近、よく笑うようになっていた。笑う回数が増えることは、あの子にとって、いいことだと、私は思っていた。


「ねえ、お姉ちゃん」

「はい」

「鳥、進んだよ。羽が、もう少しで終わる。終わったら、胴体に入る」

「順調ですね」

「うん。……でもね、トムが言うには、鳥には、目があるらしくて。目が、難しいんだって」

「目は、難しいものですか」

「難しいんだって。目を彫ると、鳥が、見てくるんだって。見てくる鳥を彫るのは、ちょっと、怖いって」

「彫った方がいいと思います。見てくる鳥は、ちゃんと、生きている鳥です」

「……そうかな。……そうだよね。……よし、彫る」


シュピは、そう言って、林檎の菓子を頬張った。頬張った頬が、小さく膨らんでいた。頬を見ていると、今まで居た場所のことは、嘘みたいに遠く感じられた。いいことだ。そう思うことにした。



食後、書斎に呼ばれ、赴いた。入ると、ノエル様は机の上の書類を、片手で押さえていた。押さえた書類は、地図だった。


「シエル。座れ」

「失礼します」

「北の、報せだ」


私は、椅子に座ったまま、姿勢を正した。


「はい」

「街道筋の、商人からの話だ。北の国境で、ここひと月、動きが止まっている。小競り合いが、減った。傭兵の仕事が、減ったそうだ」

「それは……いいことでは」

「いいことだ。だが、変なんだ」


ノエル様は、地図の北の端を、指で押さえた。


「争いが減る時は、だいたい、理由がある。和平か、講和か、あるいは、どこかへ、力が向いたか。……和平の話は聞かない。なら、力は、どこへ向いた」

「どこへ、ですか」

「分からん。分からんから、聞いている」


ノエル様は、地図から手を離して、椅子にもたれた。


「シエル。お前は、ヴェラから、北の話を聞いたか」

「はい。終わりのない戦だと。終わりがないから、兵は終わりを考えないと」

「その戦が、静かになっている。終わりのない戦が、静かになる理由を、俺は、知らない。それが、気になる」

「調べますか」

「ああ勿論、調べる。商人にも、頼んだ。ただ、時間がかかるな。思ったより北は、遠い」


ノエル様は、窓の外を見た。窓の外には、庭があって、門があって、その先に、北の空があった。師匠がいる場所が、静かになっている。それはいいことのはずだったが、今夜は少しだけ胸に残った。


「一つだけ、言っておく」

「はい」

「何かあっても、お前は、この屋敷を離れるな。ヴェラが戻るまで、屋敷の剣は、お前だ。お前がいなければ、シュピを守れない。分かるな」

「……分かっています。私は、ここにいます。ここにいることを、選びました」

「よし」


ノエル様は、書類に視線を戻した。戻した手で、羽根ペンを取って、それから、ふと、思い出したように言った。


「ああ、そうだ。林檎の菓子」

「はい」

「あれは、母にも教えてやれ。うちの母は、美味いものを知ると、レシピを聞いてくる。聞かれる前に、こちらから送れ」

「分かりました。レシピを書いて送ります」

「字は、丁寧にな。母は、字も数える」


書斎を出る時、振り返ると、ノエル様はもう書類に目をやっていた。



 夜、自室に戻って、私は土の剣を眺めた。部屋の隅に立てかけた剣は、月光を受けて、静かにしていた。今日も、鳴らなかった。剣を、私は、責めないことにした。責めても、鳴らない。鳴らない剣は、まだ、寝ているのだ。起きる時が来たら、起きるだろう。


床に就く前に、窓を開けた。

開けた窓から、庭を見た。木々が、夜風に揺れている。木々の向こうで門の灯りが、点いていた。今夜も、消えていない。灯りを見ていると、女将の言葉を思い出した。……『あの灯りは、忘れませんよ』。灯りは、誰かが見ている。見ている誰かがいるから、灯りは、点いている意味がある。


灯りを眺めているうちに、ふと、気づいた。


血が、鳴っていた。鳴っている、というより、微かに、疼いていた。疼き、というのが近い。傷の疼きではない。もっと深い場所の、血そのものが、小さく、震えているような感触。初めての感触だった。


「なんですか、これは」


小さく、声に出した。疼きは、すぐに収まり、あとには、いつも通りの静かな夜が残った。だが、床に就く時、私は、いつもと違うことを試みる。


そして目を閉じる。

瞼の裏で、血の疼きの記憶が、一度だけ、再生された。疼きは、鐘の音に似ていた。

ご拝読ありがとうございました

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