↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦姫メイド  作者: 白彩
墓標の野原
PR
45/48

第九話:帰路の約束

「行って参ります」


今度は、間違えなかった。昨夜のうちに、出立の挨拶を練習しておいたのだ。練習したのは黙っていたが、師匠は馬の背の上で、聞こえていたらしかった。


「上手く言えたな」

「練習しました」

「練習するものなのか、それ」

「します。私は」


師匠は鼻で笑って、手綱を引いた。墓標の群れが、後ろへ流れていく。流れていくそれを、私は一度だけ振り返った。木の標は、朝日を受けて、白く立っていた。また来ることがあるかもしれない。あるいは、もう来ないかもしれない。どちらにしても、あの場所は、もう私の中に入った。入ったものは、持って歩ける。


土の剣は、荷物の底で眠っている。師匠の言葉通り、まだ休ませている。代わりにいつもの剣を腰に下げていたが、荷物の重さが、昨日までと少し違って感じられた。背負っている、という感覚。だが、重さは、確かめられる。


出立の前に、もう一つだけ、やることがあった。

野原の端まで戻って、昨日掘った穴を、埋めた。剣で掘った穴を、剣で埋め戻す。土を入れて、踏み固めて、上に草を被せた。被せ終わると、そこは、ただの野原に戻った。


「綺麗に、消えたな」

「はい。……掘った痕は、残したくなかったので」

「なぜだ」

「ここは、標だけの場所です。私たちの痕は、要らない」


師匠は、少しの間、埋め戻された場所を見ていた。それから、何も言わずに馬に跨った。何も言わなかったが、跨る動作が、いつもより少しだけ、ゆっくりだった気がした。



 帰路の一日目は、よく晴れた。来た道を、逆に辿る。同じ道なのに、景色が違って見えた。来る時は西へ向かっていた景色が、今は東を向いている。向きが違うだけで、丘の形も、雲の流れも、別のものに見える。……見る方向で、世界は変わる。それは、当たり前のことだったが、当たり前のことに気づくのが、旅というものなのかもしれない。


午前のうちに、一度だけ、馬を止められる。街道ではなく草の中を進んでいた時のことだった。師匠が、何も言わずに手を上げた。止まれの合図だった。止まって、耳を澄ます。……草の音。風の音。それから、かすかに、金属の音。


「何ですか」

「……罠だ。兎の」


師匠は馬を降りて、草を分けた。草の中に、細い針金の罠が仕掛けられていて、そこに、小さな兎が一羽、掛かっていた。足を捕われて、じっとしている。じっとしているのは、暴れると針金が食い込むことを、もう知っているからだった。


「生きてます」

「ああ。……仕掛けたのは、村の者だろう。回収に来るのは、夕方か」

「……助けますか」


師匠は、私を見た。見て、少しだけ、意地の悪い顔をした。


「お前は、どうしたい」

「助けたい、です。しかし、仕掛けた人の、今日の飯でもある」

「そうだな。……さて。……兎を取るか、飯を取るか」


師匠は、しゃがみ込んで、兎を見た。兎も、師匠を見ていた。見つめ合うこと、三呼吸。師匠は、懐からナイフを出して、……罠の針金を、切った。兎は、一瞬だけ動かず、それから、草の中へ、跳ねて消えた。


「あ」

「代わりに、これを置いていく」


師匠は、罠の脇の土に、銀貨を一枚、押し込んだ。兎一羽の、何倍もの値だった。


「それで、公平ですか」

「公平かどうかは、知らん。私は今日、兎を逃がす気分だった。だから、金で誤魔化す。誤魔化せる時に、誤魔化しておけ」


馬に乗り直した師匠の背中を見ながら、私は思った。泣いて食った九歳の冬。泣かずに食うようになったら人をやめろ。あの話は、こういうことにつながっていたのだ。逃がす気分。逃がせる余裕。逃がしたあとに、金を置いていけるだけの、度量。



 昼過ぎ、小さな村に立ち寄った。師匠が約束通り、芋を買う。村の老婆が売ってくれた芋は、小ぶりで、土つきで、五つで銅貨二枚だった。安い、と師匠が言った。老婆は「戦さのあとで、芋だけはよく育つんだよ」と言った。このあたりの人は、あの戦のことを、そういうふうに言葉の端に乗せて暮らしている。忘れているようで、忘れていない。そして日常の中に畳んでいる。


村の広場では、子供たちが三人、木剣で遊んでいた。遊び、というより、戦ごっこだった。一番大きい子が「敵役」で、小さい二人が「領主様の兵」だった。


「そこだー!降伏しろー!」

「うわー!強いー!ねえ!もう降伏したんだから、そろそろご飯にしようぜ!」

「降伏したら、飯はない!」

「ないのかよー!」


子供たちは、倒れながら笑っていた。見ていると、師匠が小さく声を出して笑った。


「戦ごっこは、ああでなくちゃな。降伏したら飯がない、というのは、いい掟だ」

「いい掟、ですか」

「ああ。降伏に見返りを求めるな。戦を、遊びのうちに終わらせろ。それができている村は、長持ちする」



 広場を離れてからも、子供たちの声が、しばらく背中に聞こえていた。聞こえている声が、だんだん小さくなって、やがて草の音に紛れた。シュピも、いつか、ああいうふうに遊ぶのだろうか。遊べる日が来るのだろうか。来てほしい、と思った。


「あの婆さん、お前の髪を見ても何も言わなかったな」


村を出てから、師匠が言った。


「言いませんでしたね」

「ああいう年寄りはな、若い時にいろいろ見てる。見たものを、いちいち驚かない」

「私も、いつか、驚かない人になれるでしょうか」

「お前はもう、だいたい驚かない」

「そうですか」

「ああ。そして、お前は、驚く前に聞く。そっちの方が、たぶん、もっと強い」


よく分からなかったが、褒められた気がしたので、受け取っておくことにした。


午後、街道に戻る頃には、雲が東へ流れ始めていた。

流れていく雲の先に、屋敷がある。そう考えると、馬の足が少しだけ速くなった。速くなったのを、師匠がすぐに見抜いた。


「急ぐな。馬は、家が近いと分かると、勝手に速くなる。乗り手が抑えろ。抑えられん馬は、転ぶ」

「失礼しました」

「失礼するな。帰りたいのは、私も同じだ」

「ヴェラも、ですか」

「ああ。トムの飯が、恋しい。あいつの飯は、だんだん上手くなっている。……続かないものも、多いからな」


続かないもの、という言葉が、少しだけ胸に残った。深く聞くと、たぶん、師匠は逃げる。逃げる師匠を追いかけるのは、今日の仕事ではなかった。


 

 夕方、見覚えのある地形が増えてきた。増えてきた、というより、帰ってきた。雑木林の並び。小川の渡し場。遠くに見える、エステル領の畑の境界線。境界線を越えた時、私の中で、何かが静かに、音を立てた。

野営地は、二日目の夜と同じ、岩の張り出した窪地だった。

同じ場所に戻ってくると、三日前の自分たちの痕跡が残っていた。焚き火の跡。馬の蹄の跡。……残っていることが、少しだけ嬉しかった。旅というのは、通り過ぎていくものだと思っていた。通り過ぎても、跡は残る。自分で戻ってこれる。それは、帰る場所がある人だけができることだった。


「ヴェラ。芋を」

「ああ。灰が足らん。火を、もう少し強く」


焚き火を強くして、灰を溜めて、芋を埋めた。埋めた芋の上に、さらに熱い灰をかぶせる。……以上だ、と師匠は言った。本当に、以上だった。


「あとは、待つ」

「待つだけ、ですか」

「待つだけだ。それが料理だ」


待っている間、二人とも無言だった。無言の時間が、苦ではなかった。火を見て、芋の匂いが少しずつ立ってくるのを待つ。

待っている間に、荷物の中身を点検する。

点検すると、袋の底から、あの石が出てきた。トムの石だった。持ってきてしまっていた。持ってきてしまった以上、持って帰るしかない。持って帰って、返す。返して、……何と言われるだろう。考えても分からなかったので、考えるのをやめた。


「それは」

「トムの石です。記念に、と入れられていました」

「石を、記念に」

「はい。よく分かりません。が、持って帰ります」

「そうか。持って帰る、か。いいことだ」


師匠は、それ以上、何も聞かなかった。


「レイラ」

「はい」

「明日の夜には、屋敷に着く」

「はい」

「着いたら、私は、北へ戻る」


分かっていた。分かっていたが、言葉にされると、やはり、少しだけ間が必要だった。


「いつ、ですか」

「明後日か、しあさってか。長居はせん。北も、放っておけん」

「分かりました」

「分かった、か」

「はい。分かりました。分かった上で、一つだけ」

「なんだ」

「また、来てください」


師匠は、火を見たまま、少しの間、黙っていた。それから、


「そうだな。そのうち、な」

「そのうち、とは」

「それ以上、聞くな」


聞かない代わりに、私はその言葉を、ちゃんと畳んで、懐にしまった。畳める言葉は畳んでおけば、いつか開ける。書きかけのまま油紙に包まれた、師匠の手紙と、同じだった。


そんな会話を続けていると、芋が焼けた。灰の中から掘り出された芋は、真っ黒だった。黒い皮を割ると、中は黄金色で、湯気が立った。師匠が半分に割り、大きい方を私に渡した。


「喰え」

「いただきます。……熱っ」

「落とすな。……落としたら、灰だらけになる」

「もう灰だらけです」

「それ以上の、灰だ」


齧った。甘かった。灰の匂いが、ほんのりして、それが、確かに、悪くなかった。灰の味がする、というのは、こういうことか。火の味。土の味。待った時間の味。


「美味しい」

「だろう」

「ヴェラの料理は、これ一つだと言っていましたが。一つで、十分だと思います」

「そうか」


師匠は、自分の半分を食べながら、少しだけ目を細めていた。細めた目の先には、焚き火があった。火の向こうには、墓標の野原は、もうない。見えている気がするのは、たぶん、私だけではなかった。

二つ目の芋を分け合った時、師匠が、ふと言った。


「お前は、メイドの仕事を、どう思ってる」

「どう、とは」

「剣の腕、そして器用な魔法の持ち主という視点から俯瞰すれば、お前は戦場にいるべきだ。だが、お前は、パンを焼いている。それを、どう思ってるかと、聞いてる」


私は、芋の皮をめくりながら、考えた。考えて、答えた。


「パンは、焼けます。剣も、振れます。どちらか一方を選べと言われたら、私は、選びません。選べと言った人の方を、選び直させます」


「選び直させる、か」

「はい。パンも剣も、人のためです。人のためのものを、二つもらった。二つあるのに、一つにするのは、もったいないです」


師匠は、芋を食べる手を止めて、私を見た。見て、それから、残りの芋を、黙って食べた。食べ終わってから、一言だけ、


「いい答えだ。それでいけ。そう感じ行動にできる奴は、少ない」


食後、師匠は剣の手入れを始めた。


私も、自分の剣を手入れした。隣で、師匠の手の動きを見る。見るだけで、分かることがあった。師匠の手入れは、どこまでも実用だった。余分な動きが一つもない。……私の手入れは、少しだけ、余分があった。剣の腹を拭く指が、時々、止まる。止まるのは、刃の欠けを見ている時だった。


「その剣、ずいぶん、欠けたな」

「はい。あの夜の戦で」

「欠けた剣を、どうする」

「直します。……いえ。直しません」


師匠の手が、止まった。


「直さない、か」

「はい。この欠けは、私のものです。欠けた場所を覚えている。次に欠ける時の、目印になります」

「誰に教わった、それは」

「教わっていないことを、教わるのが、弟子の仕事です」


師匠は、私を見た。見て、それから、声を出さずに笑った。笑って、手入れに戻った。


「お前は、もう、大丈夫だ」

「大丈夫、とは」

「大丈夫だ。それ以上、聞くな。……聞くと、軽くなる。そうなれば私が困る」


聞かないまま、私は剣を鞘に納めた。納める時、鞘の奥で、小さな音がした。……ああ、と思った。音の正体は、羽しかできていない鳥の木片だった。シュピの木片が、剣と一緒に、鞘のそばに入っていた。入っていたことに、今、気づいた。


「お前も、帰るんだな」


木片に、そっと言った。木片は、何も言わなかった。言わないまま、火の光を受けて、少しだけ温かそうに見えた。火の番は、決まり通り、私が先だった。


師匠は、いつもの速さで寝息を立てた。寝息が規則正しくなるのを確認してから、私は火に枝を足した。足した火が、少しだけ明るくなって、また落ち着く。


明日の夜には、屋敷だ。


ノエル様の書斎の灯り。トムの鍋の音。シュピの足音。ガルドの見張り。……そして、今は、先代夫妻がいる。母という人は、どんな人だろう。前置きの行数を数える人。会うのが、少しだけ怖い。これは久しぶりの感覚だった。


怖いものは、怖いまま、持っていく。

それが、今夜の、私の結論だった。火の番の間、やることをやった。


周囲を歩いて警戒した。兎の足跡は、今夜もあった。逃がした兎と、同じ兎かもしれない。違うかもしれない。どちらでもいい。少しずつ、違いが分かるようになってきた。たぶん、旅のおかげだ。


馬の様子を見た。草を食んで、満足そうだった。水袋の残りを確かめた。明朝まで、足りた。


荷物を、一つずつ、確かめた。土の剣。石。木片。蜂蜜の小瓶は、もう空だった。空の瓶は、洗って、畳んで、袋の隅に入れた。……空になったものも、持って帰る。持って帰れば、次に詰めるものがある。詰めるものがある、ということは、帰る場所がある、ということだった。


「師匠」


寝息に向かって、小さく言った。返事はない。返事がないのを承知で、続けた。


「……守ります。……あの屋敷を、あの人たちを。……守る側で、います。……だから、師匠は、北で、師匠の守るものを守ってください。……お互い、守る側で。……それが、次に会う時の、約束です」


返事は、なかった。

約束というのは、聞かれなくても、交わせるものだと、今夜の私は思うことにした。それは師匠のやり方で、今回の旅で教わったのは、剣だけではなかったことに今更気づいた。


 火が、静かに燃えている。東の空の下を、屋敷が待っている。待っている場所へ、帰る。帰る場所があるということは、旅をしていいということだ。旅をして、帰って、また、日常に戻る。戻った日常の中で、私は、土の剣を荷物から出す。出して、置く。置いて、眺める。眺めているうちに、きっと、次のことが分かる。


分かるまで、待つ。待つのが、料理だと、師匠は言った。……待つのは、たぶん、生きることでもあった。夜明けは、もうすぐだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。