エピローグ:一本
門の前は、まだ戦いの匂いが残っていた。燃えかけの荷馬車。砕けた剣の欠片。掘り返された泥。女は馬を降りる前に、その全てを見た。見て、戦いの大まかな形を頭に入れた。間に合わなかったことも、その時点で分かった。
門の内側に、人が集まっている。返り血を浴びた兵たち。その真ん中に、金の髪の男と、銀の髪の、女の子。女は手綱を引いて、門をくぐった。
「……姉貴」
ノエルが、呆れたような顔で言った。
「文の返事もなしか。随分な客人だな」
「道が死んでいた。……返事を書くより、来る方が早いと思った」
「相変わらずだな、お前は」
ノエルは、それだけ言って、横へどいた。どいた先に、銀髪の少女が立っていた。女は、馬から降りた。
一年ぶりに見る顔は、記憶の中より、ずいぶん大人になっていた。背も伸びている。目の色は、変わっていない。変わっていないが、目の置き方が変わっていた。昔のあの子は、見るもの全てを、敵かどうかで仕分けする目をしていた。今の目は、違った。
「レイラ」
「……はい」
「生きてるか」
「はい。……生きています」
それで、用は足りた。足りたはずだった。なのに女は、もう少しその顔を見ていた。見ていたら、少女の隣から、小さな男の子が顔を出した。
「お姉ちゃん。この人、誰?」
「……私の、師匠です」
「師匠」
男の子は、その言葉を吟味するように口の中で転がして、それから女をまっすぐ見上げた。物怖じしない目だった。
「名は」
女が聞くと、男の子は少しだけ背筋を伸ばした。
「シュピ。……お姉ちゃんが、つけてくれた」
女は、少女の顔を見た。少女は、微かに目を伏せた。その仕草で、女は凡そを察した。名をつける意味、ということをこの子も覚えたらしい。
「いい名だ」
そう言っておいて、女は屋敷の方を見た。
「……風呂を貸せ。それから、飯だ。四日ろくに喰っていない」
「用意させる。……部屋は東の棟でいいか。静かだぞ」
「ああ」
夜を越えるための、と昔、自分が言った言葉を、女はその時ふと思い出した。荷物は、ちゃんと運ばれているらしい。運ばれて、今度は、別の荷物を誰かに渡している。悪くない、と女は思った。
その日の昼、女は風呂を出て、借りた部屋の窓から庭を見下ろした。戦いの跡を、使用人たちが片づけている。燃えた馬車の残骸を運び出す手つきは、慣れたものではなかった。だが、誰も投げ出していない。皆、自分のやることを知っていた。
窓の下の回廊を、あの銀髪の少女が通った。腕に包帯を巻いて、それでも厨房の方へ、焦げたパンの匂いを引きずった男の子と並んで歩いていく。
女は荷物の底から、油紙の包みを取り出した。
書きかけの手紙。『レイラへ』の一行と、冬の話と、書きかけの噂の話。もう、出す宛てのない手紙だった。届けるべき相手は、目の前にいて、届けたかったことの大半は、もう必要なくなっていた。
女は包みを開き、紙束をしばらく眺めてから、また元通りに包んで、荷物の底に戻した。
捨てなかった。捨てる理由も、なかった。要らなくなったものを、すぐ捨てる必要もない。……そういうものも、荷物の中には、あっていいのだ。
翌朝、女は稽古の音で目が覚めた。まだ夜が明けきらない時間だった。東の棟の窓から見下ろすと、庭の中央で、銀髪の少女が剣を振っていた。抜き、振り、納める。その繰り返しが、露に濡れた芝生の上で、静かに続いている。
女は窓からそれを、しばらく見ていた。
悪くない剣だった。一年前のままではない。当時のあの子の剣は、どこへ行っても「殺す剣」だった。敵の喉を、心臓を、最短で貫くことだけを考えた剣。それはそれで、戦場では正しい剣だった。
だが、今の剣は違う。踏み込みの半歩手前に、留まる余地がある。振りの終わりに、相手を見る余裕がある。あれは、殺すためではなく、止めるための剣だった。女は部屋を出て、武器庫を借り、古い剣を一振り拝借して、庭へ降りた。
少女は、足音で気づいた。剣を収めて、振り返る。
「師匠」
「構えろ」
女は、抜き身の剣を下げたまま言った。
「……今、ですか」
「剣を握ってるお前に、聞くことがある。……剣の方が、正直に喋る」
少女は少しの間、女を見ていた。それから、頷いて、剣を構え直した。
朝靄の中で、二本の剣が、静かに間合いを取り始めた。先に動いたのは、少女の方だった。踏み込みは速い。一年前より速い。だが女は、その速さの中に、見覚えのないものを見た。殺意が薄い。薄いのに、剣が鈍いわけではない。守るために斬る剣というのは、こういう形をするのか、と女は思った。
三合、打ち合った。
四合目で、女は踏み込みを変えた。少女の剣が来るより先に、自分の体を半歩、斜めにずらす。一年分の戦場で培った、勘の領域の動きだった。少女の剣が空を切り、その体が前へ流れた瞬間、女の剣先が、少女の喉の一瞬前に止まった。
「一本」
女は剣を下ろした。少女は、喉の前の剣先を見て、それから女の顔を見た。驚きはあったが、悔しさは、薄かった。
「……参りました」
「血を使えば、お前の方が上だろう」
「いえ。……それでも、今の一本は、取られました」
女は剣を納めて、少女を見た。
「鈍ってはいない。……だが、変わったな」
「変わりましたか」
「お前の剣は、戻る場所を持った。……それは、私が教えた剣じゃない」
少女は、剣を下ろしたまま、少し考えるように間を置いた。それから、静かに言った。
「ここで、教わりました。剣以外のことを、たくさん」
「見れば分かる」
女は頷いて、庭の先、屋敷の方を見た。回廊の陰に、金の髪の男が立って、こちらを眺めていた。コーヒーの湯気が、朝日に白く見えた。
「いい場所に、置いた」
誰に言うでもなく、女は言った。十年前、雨の夜に名をつけて、南へ送り出した時の言葉と、同じ言葉だった。あの時は、そう願うしかなかった言葉。今朝は、そう確かめた言葉だった。
少女が、その言葉を受けて、微かに笑った。
「……はい。いい場所です」
朝日が、庭の露を照らし始めていた。厨房の方から、焼きたてのパンの匂いが流れてきて、回廊でコーヒーを飲んでいた男が、二人に向かって手を上げた。
「姉貴、シエル。……飯にしろ。冷めるぞ」
女は、少女の隣を歩きながら、今朝の一本のことを考えていた。剣は、変わっていた。だが、足りないところも、まだある。教えることは、まだある。……教えられるうちは、ここにいていいだろう。
「……レイラ」
「はい」
「しばらく、ここに滞在する。話したいことが、いくつかある。……北のことだ」
少女の足が、微かに緩んだ。それだけで、女には分かった。この子も、向こう側の気配を、感じている。
「はい。聞かせてください」
「飯の後だ」
二人は、パンの匂いのする回廊へ、並んで歩いていった。朝日が、二人の影を、長く、同じ方向へ伸ばしていた。
三章完結です。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
これからも読んでいただければ嬉しいです。
次章は、ノエルの両親。ヴェラを絡ませて物語を進展させていこうかなと考えています。
三日ほど投稿日を空けます。次章からも是非、見てください。




