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戦姫メイド  作者: 白彩
戦姫
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33/38

第十話:近づく気配

捕えた男は、三日目に口を開いた。というより、零れた、という方が正しかった。ガルドの尋問は、痛めつける類のものではなかった。食事を出し、傷を治させ、毎日同じ時間に、同じことを聞く。名前は。雇い主は。次の手は。男は三度とも黙っていた。四日目の朝、男は粥を食べながら、ぽつりと言った。


「帰りたくない」


それだけだった。それだけで、ガルドには十分だったらしい。


「組織のことは、何も言わなかった」


書斎での報告で、ガルドは言った。


「だが、あの男は帰らない。帰れば、失敗の報告をする役目になる。……連中の中じゃ、失敗の報告は、失敗した本人の最後の仕事らしいです。」

「どういう意味だ」

「報告が済めば、要らなくなる、ということです。……あの男は、あそこに戻らない方を選んだ。牢の方を——」


ノエル様は、窓の外を見ていた。


「……つまり、失敗の報告だけは、もう北へ届いている、と」

「はい。置いていった連中が運んだはずです」


書斎に静けさが落ちた。机の上の地図の端で、風もないのに紙が微かに揺れていた。


「人を使い捨てる仕組み、か。……シュピは、ああいう中にいたんだな」


ノエル様のその言葉に、誰も何も返さなかった。彼の中には、煮えたぎるような熱い何かが心の中に宿る。

その日の午後、私は東の棟の屋根裏部屋で、自分の道具の点検をしていた。剣の手入れが済むと、次は、血の備えだった。

小さな革袋の中に、乾燥させた血の粉末を詰めた瓶が三本。これは緊急用だ。生の血とは質が違うが、魔法の触媒としては使える。それから、私は目を閉じて、自分の体の中の残量を確かめる。


指先に意識を集め、体内を巡る血の重さを測る。今日の感覚では、全力で戦えるのは四十滴ほど。一滴で小さな刃。五滴で壁。十滴を超えると、飛べる。


四十滴。あの夜、灰色の外套の男と互角に戦った時は、ほとんど使っていなかった。剣と体術で押し合っていたからだ。次にあの男と会う時、私は、隠す必要性を感じていない。あの街道で向こうが確信してしまった以上、もう変えようがない。

ならば、次は、全部見せる。


「お姉ちゃん?」


階下から、シュピの声がした。


「はい。屋根裏です」

「ノエル様が、食堂に集まれって。……なんか、街道の人が来てる」


降りていくと、食堂には街道を巡回する自警団の男たちが二人、外套を着込んだまま立っていた。雪が、肩に残っている。


「北の街道を、三十人ほどの一団が南下しています」


年かさの男が、テーブルの地図に指を置いた。


「武装しています。槍、剣、それに荷馬車が二台。……商人にしては武装が過ぎる。傭兵団にしては、動きが揃いすぎている。昨夜、上の宿場に泊まり、今朝、こちらに向けて出発したと」

「速度は」

「歩いて、一日半。……荷馬車がある分、遅い」


ノエル様は、地図を見下ろしたまま、しばらく黙っていた。


「……隠す気がないな」

「はい。堂々と、街道の真ん中を来ています」

「旗は」

「掲げていません。ただ、先頭の馬に、印のついた札が下がっていたと。……線が、交わったような」


食堂の空気が、張り詰めた。誰も、その印を知らない者はいなかった。革袋の焼き印。硬貨の刻印。あの三本の線。


「分かった。……街道の見張りは倍にしてくれ。酒場と宿には、俺から話を通す」


自警団の男たちが引き上げたあと、食堂には屋敷の者たちだけが残った。


「はあ、全く。こんなことだろうと思っていたよ」


ノエル様が言った。声は、いつもと変わらなかった。変わらないことが、逆に、この場の重さを示していた。


「明日の夕方までに、あれは街に着く。……門は閉じる。街の人間には、夜襲の再来だと正直に伝える。隠しても、噂は勝手に育つ」

「避難は」


トムが聞いた。


「させない。……この街に、逃げる場所はない。代わりに、守る場所を決める。教会堂と、領主館の広間だ。女と子供は、今夜のうちに移す」

「孤児院は」


私が言った。ノエル様は、こちらを見た。


「……孤児院は、先に屋敷へ入れる。院長に、俺の名で手紙を出す。……あそこは、街の外れだ。街が動く時、いちばん遅れる」

「私が、迎えに行きます」

「いや。お前は屋敷を離れるな」


即答だった。遮るような速さだった。


「向こうの目当ては、お前とシュピだ。……お前が街道に出れば、それだけで向こうの思うつぼだ。迎えはガルドが行く。馬車を三台出せ」

「……承知しました」


従った。頷くのに、心の準備は要らなかった。正しい命令だったからだ。それでも、指先が少し冷たかった。自分が動けない場所で、守りたいものが動く。それがどういう感覚か、私はこの屋敷に来てから、少しずつ覚えてきていた。


午後、屋敷は静かに沸く。食料が広間に運び込まれ、窓には板が打ち付けられ、井戸の周りに樽が並んだ。トムは厨房の火を消す手順を、若い使用人たちに何度も教えていた。ガルドは街へ出て、孤児院への迎えの段取りを進めている。


シュピは、私の後をついて回っていた。


「お姉ちゃん。……僕、何かできること、ある?」

「……あります。皆と一緒に、広間に入っていてください」

「それだけ?」

「それだけです」

「……僕、火、灯せるよ。三十秒、いけるようになった」

「知っています」

「だから、明かりとか、役に立つと思うんだ」


その言い方に、私は少しだけ迷った。役に立ちたい、という気持ちを、頭ごなしに退けることが、正しいのかどうか。シュピの目は、逃げる気のない子供の目だった。


「……分かりました。広間の明かりは、あなたに頼みます。……ただし、広間から出ないこと。それだけは、約束してください」

「うん。約束する」


約束する、と言った口が、少しだけ綻んでいた。役目をもらえたことが、うれしかったのだろう。あの子は、守られるだけの場所に、もう収まりきっていないのかもしれない。



 夕刻、孤児院の子供たちが到着した。馬車から降りてくる七人の子供たちと、院長の老婦人。ミラとフィンの顔もあった。子供たちは、見慣れない屋敷の大きさに目を見開きながらも、広間に入ると、意外なほど早く落ち着いた。あの子たちは、移ることに慣れている。そう思うと、胸が少し痛んだ。


「ご面倒を、おかけします」

「いや。……領の民を領が守る。当たり前の仕事だ」


ノエル様は、そう答えていた。当たり前のことを、当たり前に言う人だ。この人のそういうところが、この街の灯りを支えているのだと思う。

夜、私は東の棟の窓から、北の街道を見下ろしていた。まだ、何も見えない。何も見えない闇の先を、三十人が歩いている。明日の夕方、あれは、この街の門の前に立つ。


鐘は、鳴らさないことになっていた。鳴らすのは、敵が門に着いた時だ。鳴らすまでの間、この街は、いつも通りの夜を演じ続ける。演じる、というのが正しいかどうかは分からない。ただ、今夜の街の灯りは、どれもいつもより長く点いているように見えた。



 ——同じ夜、街道は、さらに北で雪に埋もれている。女は、馬を歩かせていた。走らせることは、もうできなかった。膝まで積もった雪の中では、馬の脚が半日と持たない。女は自分も降りて、手綱を引き、馬と並んで歩いた。三日待て、という約束は、果たされた。代替の配置は組まれ、女は戦線を離れた。離れてから、四日。街道は、思っていたより死んでいた。


宿場の炉端で、女は北へ向かう行商の一団と相席になった。北上する者と、南下する者が、行き違う。街道では、それが一番の情報になる。


「南は、もう通れるのか」


女が聞くと、行商の親方が、湯気の立つ碗を持ち上げた。


「通れるが、お勧めはせんよ。……昨日の朝、妙な一団とすれ違ってな。三十人ばかり、武装して、荷馬車二台。旗は掲げておらん。だが、馬の札に、変な印がついとった」


女の手が、止まった。


「……線が、交わった印か」

「よう、知っとるな。……ああいうのをな、目立たないように目立たせとる、と言うんだよ。分かる者には分かる。分からん者には分からん。……嬢ちゃんは、分かる側か」


女は、答えなかった。碗の中身を飲み干して、立ち上がった。


「おいおい、外は吹雪だぜ」

「日が昇る頃には、弱まる」

「弱まっても、足元は締まっとらん。……嬢ちゃん、あの一団を追っとるのか」

「……いや」


女は、宿の戸口で一度だけ振り返った。


「追いつくかどうかを、確かめている。……違う。追いつけるかどうか、を」

「随分な違いだな」

「大きな違いだ」


外に出ると、雪が顔に当たった。馬は厩(うまや)で、鼻先を雪に突っ込んでいた。女は馬の首を撫で、鞍の紐を締め直した。あの一団と、こちらとの距離は、まる一日。相手は荷馬車で遅い。こちらは一人で軽い。雪さえなければ、追いつける。

雪さえ、なければ——女は南の空を見た。雲の向こうで、夜明けが近づいていた。白い夜明けだった。雪の日の朝は、どこもかしこも、同じ白さで光る。


「……間に合え」


誰に言うでもない言葉が、白い息になって、雪の中に消えた。女は馬に跨り、南へ向けて、雪を踏ませた。



 翌朝、屋敷では、広間に移した寝具の匂いが、朝の光の中に立っていた。私は広間の見回りをしながら、孤児院の子供たちの寝顔を横切った。ミラは、年下の子の毛布を掛け直してから、自分が眠っていた。あの子は、ここでも誰かの世話をしている。そういう子は、どこへ行っても、そういう子なのだろう。


「レイラさん」


廊下で、トムが駆け寄ってきた。


「門から連絡です。……街道の見張りが、煙を見たと。北の宿場の方角に、昨夜、火の手が上がったそうです」

「火の手?」

「宿場が燃えたかどうかは、まだ。……ですが、あの一団が泊まったのは、そこです」


足音がして、ノエル様が廊下の向こうから来た。寝巻の上に外套を羽織っただけの姿だった。


「聞いた。……火を使ったか」

「使った、と」

「……連絡だな。逃げた者がいるなら、その煙を見ろ。見た者は、逃げるな。……そういう火だ」

「シエル。今日の夕方、門の前に立つ。……お前は、どうする」


問いは、短かった。だが、その中身は重かった。どう戦うか、ではない。どこに立つか、を聞かれている。


「……正面に立ちます」

「門の前に。……向こうが、隠れずに来るなら、こちらも、隠れません。私が門の前に立っていること自体が、答えになります。ここにいる、と。ここは通さない、と」


ノエル様は、しばらく私を見ていた。それから、小さく、だが深く頷いた。


「よし。なら、お前の左右は、ガルドと俺が取る。当主が門に立つと、向こうも色々と読み違えるだろう。……読み違えさせるだけ、こちらの得だ」

「ノエル様が、門に」

「俺の街だ。……当主が逃げた街を、誰が守る」


誰が、ではなかった。この人は、自分が守ると言っている。剣を持たない手で。私は、その言葉の前で、何も言えなくなった。言うべきことは、全て、あの人が今、言い終えたばかりだったからだ。



 昼過ぎ、街の空気が変わった。噂は、もう隠しようもなく広がっていた。市場の屋台が、昼前に畳まれ始め、通りの人影が、少しずつ家の中に吸い込まれていく。教会堂の鐘楼では、鐘撞きの老人が、縄の具合を何度も確かめていた。あの鐘は、あの夜にも鳴った。今夜も、鳴るかもしれない。


広間では、シュピが、子供たちの間を歩いていた。手のひらの上に、小さな火を灯して。


「おお……」

「すごいでしょ。これ、お姉ちゃんに教えてもらったんだ」


シュピの声は、少しだけ、誇らしそうだった。私は広間の入口で、その光景を見ていた。見ていて、思った。あの子の火は、誰かを照らすためにある。私の血の魔法とは、使い道が、根本から違う。……それでいい。それが、正しいのかもしれない。


夕刻、空が赭色に傾き始めた頃、北の街道の彼方に、それは見えた。まず、塵だった。街道の果てに、一条の煙のような、土ぼこりの筋。それが、少しずつ太くなり、少しずつ近づき、やがて、人の列の形になった。荷馬車が二台。幌の隙間から、槍の穂先が覗いている。


三十人。街の門は、閉じられていた。門の内側には、ガルドと、武装した兵たち。そして、その中央に、ノエル様と、私が立っていた。


「……来たな」


ノエル様が、静かに言った。


列が、門の前で止まった。先頭の馬から、一人の男が降りてくる。見覚えのある、痩せた姿。眼鏡の男だった。あの調査員は、街道の真ん中に立ち、門の上を見上げるようにして、深々と頭を下げた。


「エステル家当主殿。……わが一団は、用あって、貴地をお訪ねしました。……門を、開けていただけますか」


丁寧な声が、静まり返った門前に、よく響いた。


ノエル様は、答えなかった。答える代わりに、一歩、前に出た。門の、ちょうど中央。私の隣だった。


「用件を、言え」

「……お渡ししたいものが、二つ。この街に、お預かりしているものが、二つあると、聞き及んでおりまして」


眼鏡の男は、眼鏡の奥の目を、細めた。あの、値踏みする目だった。何もかもを、秤にかける目。


「——是非返して、いただきたい」


その言葉が、夕日の中に落ちた。私は、門の内側で、剣の柄に触れた。触れただけだった。抜くのは、まだ早い。まだ、早い。北の街道の彼方で、夕日が、ゆっくりと沈んでいく。

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