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戦姫メイド  作者: 白彩
戦姫
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30/37

第七話:小競り合い

翌朝、食堂に集まったのは、ノエル様、私、トム、それに警備を仕切るガルドだった。ガルドは元傭兵で、口が重い。夜襲のあと屋敷に残った数少ない戦える人間だ。歳は四十半ば、剣より先に目で敵の重心を読む男だと、ノエル様がいつか言っていた。


「昨日の連中、どう出ると思う」


ノエル様が、いきなり振った。


「屋敷に来るでしょうな」


ガルドが即答した。


「いや集落をもう一度使うと思う」


トムが割って入った。ガルドが眉を上げる。


「屋敷を狙うなら、昨日で仕掛けているはず。仕掛けなかったのは、屋敷が固いと見たか、まだ材料が揃っていないかのどっちかだと考えるけど」

「屋敷が固いと見ているなら、材料を揃えて必ず来る。それだけの話だと思うが」

「材料が要るなら、それは集落でしょ」


トムは引かなかった。二人を見比べてから、ノエル様は地図の南西、あの集落を指で押さえた。


「トムに賭ける。あそこには昨日、息のかかった者がいる。シエルがもう一度来る状況さえ作れば、向こうは乗る」

「乗せる話を、こちらから流す、と」

「ああ。買い出しの途中で、聞こえるように撒け。『経過を見にメイドが行く』とな」

「……餌、ですか」


ガルドが低く言った。


「囮だ。ただし、囮はシエルじゃない。俺が仕掛ける。お前は最後の防衛線だ。前に出るのは、全部裏目った時だけにしろ」

「屋敷は」

「俺が残ろう。シュピを、一人にしないことが今は大事だ」

「ノエル様に危険が及ぶ可能性は考慮していますか?」

「……まあ、俺に仕掛けてくる可能性はほぼ皆無だと考えるが」

「根拠を示して頂けなければ、納得がいきません」

「シエル……俺たちはもう賭けの船に乗ってる状態だ。根拠を示せと言われても難儀なことだよ。あぁ、それとシュピは屋敷の書斎で俺と警備のものを2人配置するから何かあっても時間ぐらいは稼げるだろ」

「……それでも、私は——」


ノエル様の言っていることは、理解はできるのだが、それでも屋敷の主人を一人置いていくことなど、私は決断できない。そして、シュピの存在も大きい。ノエル様とシュピ。この二人を置いていくなど命令であっても、それこそ難儀である。


「だったらシュピも視察に同行するという種を蒔くのはどうだ?相手の人数は知れている。だからこそ、二人が集落に向かうと聞いたら全力で人員を回すだろ。その噂に信憑性があるかどうかの判断なんて今は不可能だろ」

「確かに、それであれば考えることが減りますね」


——その案に異論はなかった。そして会議のあと、ノエル様は私だけを廊下に残した。


「シエル。……昨日の続きの話だ」

「はい」

「向こうが見たいのは、お前の血だ。剣を抜くのは構わん。抜いた方が向こうも読み違える。だが、血だけは、最後の最後まで、絶対に見せるな」

「かしこまりました」

「万一の時は、逃げろ。……お前の強さは、勝つためのものじゃない」


その先の一言は、言わずに済ませた。私も、聞かなかった。分かっている言葉は、口に出さない方がいい時がある。

午後、出立の前にシュピが玄関まで来た。


「お姉ちゃん。……今日も、持ってる?」

「ええ。懐に」

「うん。……お姉ちゃん、ねえ」

「何ですか」

「……何でもない。いってらっしゃい」


昨日、彼は「気をつけて」と言った。今日は違う言葉を選んだ。その差に、私は立ち止まりそうになった。


「はい。行って参ります」


門を出る時、私は一度だけ振り返った。ノエル様の隣にシュピが立っていて、二人とも、こちらを見送っていた。二人がそこにいる、というただそれだけの光景を、私は目の裏に焼き付けるようにして、門を出た。

街道は昨日と同じ顔をしていた。畑の匂い、風、遠い鳥の声。私たちの歩みだけが遅かった。時間を、向こうに与えるためだ。


同行はガルドと、私服の兵が二人。街道の途中、雑木林の奥には、別動の兵が四人、先に潜ませてある。ノエル様の指示で、彼らは合図があるまで動かない。切り札は、最後まで見せない。それが今日の核だった。


「シエルさん」


しばらく歩いた頃、ガルドが並んで言った。


「昨日、あんたが集落に着いた時、集落の中で妙な動きをした者がいる。門の脇に立っていた男だ。あんたの姿が見えた瞬間、家の裏に走った。……見張りの合図だな」

「そうですか」

「うちの兵の一人が、後ろから見ていた。合図の相手までは追えなかった」

「今日は、その男は」

「たぶん、今も同じ場所にいる。だから、あんたの姿を見せた瞬間、向こうは動く。……集落の手前で仕掛けるはずだ。集落まで入れると、住民が巻き込まれる。それは向こうも避ける」


戦い方を選ぶ相手だ、ということだった。素人ではない。集落の手前、街道が緩く曲がる地点で、ガルドが手を上げた。


雑木林の左右に、気配があった。少なくとも二つ。昨日の三人と数が合わない。屋敷は大丈夫だろうか……


「来ます」


呟きと、ほぼ同時だった。


林の影から、二人の男が滑り出た。眼鏡の男と、ずんぐりした大男。


「お嬢さん。またお会いしましたな」


街道の中央で、眼鏡の男が慇懃に頭を下げる。声は昨日と同じだった。目だけが違った。もう隠していなかった。


「昨日の手当ては見事でした。ただ、一つ納得がいかなくて。あの腫れが一晩であそこまで引く。薬と手当てだけでは、説明がつかんのですよ」

「道を開けてください」

「どうぞ。その前に、お嬢さんの手を拝見したい。傷一つないか、それだけで」

「お断りします」

「……そうですか。では」


大男が動いた。体格に似合わない踏み込みで、私服の兵に襲いかかる。同時に、背後の林からもう一人が飛び出してきた。合計、四人。昨日の数ではない。


剣の抜ける音が、いくつも重なった。


背後から来た男の腕を袖の下から受け、体の回転に乗せて地面へ流す。男は転がるように起き上がった。素人の受け身ではない。踵の使い方、肩の入れ方、どれも軍で仕込まれた動きだった。


大男は、力で押してくる型だった。ガルドが正面で受け、押し合いになる。片方の兵が横から回り込み、後ろから膝裏を刈ろうとした。大男は片手でその兵の襟首を掴み、そのまま投げた。兵が街道の脇の草地に転がって、動かなくなる。


「兵に手を出したな。……こいつは、俺がやる」


ガルドが、剣の握りを持ち替えた。私の背後の男は、また距離を詰めてくる。今度は短刀だった。刃筋を見て、避ける。左肩を掠める。掠めるだけで、切れてはいない。

眼鏡の男は戦わなかった。離れて立って、こちらを見ている。私の剣を持たない立ち回りを、最初から最後まで。


「なるほど。……だが、まだ見せていないな。本命を」


その声で、分かった。捕えるつもりは、ない。私が追い詰められて、血を使う瞬間を待っている。

——ならば、見せない。今までの戦場でも血を使わない場面はあった。対処は可能だ。

(ただ、戦闘効率は下がりますね。早めに対処しないと)


私は剣を抜いた。メイド服の下の細身の剣が、光を撫でた。


「予定になかったはずだ」


眼鏡の男の目が揺れた。戦況は、そこから数呼吸で傾いた。剣を持った私に、四人では足りない。背後の男の刀を打ち落とし、肩に一太刀入れる。深くはない。だが、それで男の右腕は使えなくなった。男は片膝を突き、そのまま動かなくなった。

大男とガルドの押し合いは、ガルドの片足が滑って崩れかけた。私が横から間合いに入り、大男の脇を突く。大男は呻いて、後ろに下がった。ガルドが息を整え、剣を構え直す。


「撤収だ!」


眼鏡の男が叫び、小さな筒を投げた。地面に落ちて、白い煙が噴き上がる。


目を閉じ、気配だけで追う。足音は東。林の奥へ、ばらばらに散っていく。眼鏡の男の足音は、一番後ろにあった。逃げ方まで用意している。


煙が晴れた時、街道に残ったのは、私たちと、肩を斬られて倒れた男が一人だけだった。草地に転がった兵は、意識を取り戻して、脇腹を押さえていた。骨は折れていない。


「追いますか」


もう一人の兵が聞いた。林の奥を見る。あの先の地形は、向こうが選んでいる。


「深追いはしません」


残った男は息があった。ガルドが縄を掛け、私が傷を塞ぐ。血を使わない、通常の止血だ。手ぬぐいを裂いて、圧をかける。男は歯を食いしばって、こちらを見ていた。


「旦那に置いていかれたか」


ガルドが男の顔を覗き込む。男の目には、恐怖より諦めがあった。置いていかれる立場を、憂いているのだろう。そして逃げる直前、眼鏡の男はこちらを見て、口を小さく動かした。音はなかった。


『また』とだけ、読めた気がした。


帰りの馬の背で、私はあの男の顔を思い返していた。あの男が見ていたのは、私の剣ではない。剣を抜くまでの私だった。血を使わなかったこと。使えるはずなのに、使わなかったこと。

そこまで見られていた。隠す者には、隠す価値がある。それを証明してしまったのは、こちらだ。


「シエルさん」


隣を歩くガルドが、前を向いたまま言った。


「あなたは、正しく戦った。剣を抜いたのも、追わなかったのも、正しい」

「そうでしょうか」

「戦の後で自分の判断を疑うのは、いい兵の癖だ。悪くない癖だが、今日は疑わなくていい」


そう言ったきり、ガルドは黙った。私も、それ以上何も返さなかった。返さなくていい言葉というのが、あるらしかった。集落の入り口では、昨日と同じ老人が待っていた。今朝の騒ぎを、集落まで届く前に感じ取っていたらしい。


「怪我人は」

「うちの兵が一人、腹をやられました。骨は無事です。あなた方の中には」

「今日、私らは無事です。……あの、行商の連中は」

「もう、この集落には近づかないと思います。もし戻ってきたら、すぐに屋敷に知らせてください」


老人は、ゆっくり頷いた。


「昨日、あんたが治した若い男は。……あの、腕を折った」

「……何か」

「今朝、いなくなっていました。夜のうちに、荷物ごと。……治療のお礼も、置いていかんかった」


そういうことだった。あの怪我人は、罠の道具だった。用が済めば、連れて消える。腕の骨は本物だったが、それでも、置いていかれる側の駒だった。眼鏡の男の周りには、そういう人間しかいないらしい。



屋敷に着いたのは夕刻だった。玄関に、シュピとノエル様が並んでいた。


「お姉ちゃん!」

「帰還しました、シュピ。無事です」

「……うん」


シュピは私の袖を掴んだまま、しばらく離さなかった。無事の確認、というより、無事の受け止め、のような掴み方だった。


「怪我、ないよね」

「ありません」

「よかった」


ノエル様は、シュピの後ろに立って、私と目だけで挨拶を交わした。あとで、と目が言っていた。



 夕食の席で、シュピはよく喋った。今日一日、屋敷の中で何をしたか。トムとまたパンを焼いたこと。今度は焦がさなかったこと。庭の柿の木に鳥が来ていたこと。話しながら、時々、私の顔をちらりと見ていた。私がここにいることを、話しながら確認しているようだった。


食後、シュピはノエル様に連れられて、寝室へ向かった。ノエル様が寝かしつけを買って出るのは、珍しい。今夜、私がノエル様と長く話すことを、シュピに悟らせない配慮だった。

書斎に呼ばれたのは、シュピが寝入った頃合いだった。

捕えた男は街の牢へ移し、ガルドが尋問に当たっている。口を割るかは分からない。だが、少なくとも装備と、あの煙幕の筒は、こちらの手元にあった。


「四人、か」


ノエル様は腕を組んだ。


「南で落ち合った灰色の外套の者が、人を回したか。……まあいい。増えたこと自体が答えだ。向こうは本腰を入れてきた」

「はい」

「シエル。剣を抜いた判断は良かった。俺も想定していなかった」


褒められた、のだと思う。だが、素直に受け取れない自分がいた。


「……向こうも、得るものを得て帰りました」

「ああ。それは知ってる」


ノエル様は、それ以上その話を続けなかった。分かっていることを、二度言わせない人だ。代わりに、机の上の一枚の紙を、指先で軽く弾いた。まだインクの乾ききっていない、書きかけの文だった。


「北へ、文を出す。古い知り合いに、頼める筋が一つある」


北。


その方角の名前に、胸の奥で何かが揺れた。北の戦場。静謐の狂気。師匠。


「よろしいのですか。その方は、危険な場所に」

「だから頼むんだ。……この件の全体像、俺たちの手には余る。組織というものが仮に複数国にまたがるなら、南のこの街の情報だけでは足りん。北で耳を張ってきた人間の見立てが要る」

「その方は、応えてくださるでしょうか」

「応えるかどうかは、向こう次第だ。……応えなくても、恨まん。俺の側の勝手な頼みだ」


書きかけの文を、ノエル様は伏せた。私に、宛先は見せなかった。


「文は明朝出す。戻るまで、屋敷は最高の警戒だ。ガルドには、既に伝えてある」

「かしこまりました」

「シエル。……もう一つ、いいか」

「はい」


ノエル様は、少しの間、机の木目を見ていた。それから、言った。


「今日、俺は屋敷に残った。……ここに残っていることが、正しい判断だと分かっていて、それでも、お前を送り出す方が、応えた」

「……」

「これは、当主の言葉じゃない。俺個人の話だ。聞き流していい」

「聞き流しません」


自分でも意外なほど、即答していた。ノエル様は少し驚いた顔をして、それから、口の端だけで笑った。


「そうか」

「はい」


それ以上、何も言わなかった。言葉の続きは、たぶん、二人とも、まだ持っていない。持っていない言葉を無理に作らなくてもいい、というのも、この屋敷で覚えたことの一つだった。



書斎から出て、廊下の窓の外に目をやる。

街の灯りの先、闇の中。あの眼鏡の男は今頃、どこにいるのだろうか。北への道か、それとも別の街道か。どこへ向かっているにせよ、懐に「銀髪のメイドは血を隠している」という確信を入れて、歩いているはずだった。

自室に戻り、寝台の縁に腰を下ろした。

懐から、鳥の木片を取り出す。まだ羽しかない。今日、これを持って行った。持って行けば、無事に帰る。そういう決まりを、シュピは彼の中で立てていた。決まりを立てておかなければ、抱えきれないことがあるのを、あの子はもう知っている。木片を、机の上に置く。


明かりを消す前に、もう一度、窓辺に立った。


北の空に星が出ていた。あの星の下の遠くに、私の名を知っている人がいる。文は、あの人のところへ行くのだろうか。ノエル様は、宛先を見せなかった。見せなかったということは、たぶん、そういうことなのだと思う。会えるとは、思っていない。会って、どうしたいのかも、まだ分からない。


ただ、今夜、あの人が同じ星を見ていたら、それでいい。そう思うのは、我儘だろうか。答えの出ないまま、私は明かりを消した。

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