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戦姫メイド  作者: 白彩
戦姫
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29/37

第六話:本性

南の街道を追っていた者が戻ったのは、翌日の昼過ぎだった。ノエル様の書斎に、私とトムが呼ばれた。机の上には、地図と、走り書きの紙が何枚か広げられている。


「報告する。……三人は、南の宿場で一度だけ、誰かと落ち合っている。相手は、灰色の外套の男。身のこなしから見て、ただの旅人ではないと、尾行した者も見ている」

「その後は」

「落ち合いのあと、三人は街道を折れて、西へ向かった。……問題は、その先だ」


ノエル様は、地図の一点を指で押さえた。エステル領の南西、街道から少し外れた場所にある、小さな集落だった。


「ここに、行商が一軒、寄ったらしい。怪我人がいる、と言ってな」

「怪我人」

「ああ。若い男が、荷馬車から落ちて、腕を折った、と。……集落に医者はいない。行商は、『この先の領主の屋敷に、腕のいい治癒の術を使う者がいると聞いた』と、住民に尋ねたそうだ」


書斎の空気が、静かに凍った。


治癒の術。屋敷でそれができるのは、私だけだ。それも、ごく限られた相手にしか見せていない。トムの傷を治した一件は、屋敷の外には漏れていないはずだった。


「……噂が、漏れたと」

「いや。漏れたのではなく、嗅ぎつけられた、と見るべきだろう」


ノエル様は、腕を組んだ。


「聞き込みのやり方が、うますぎる。偶然、怪我人を連れた行商がいて、偶然、治癒の噂を尋ねる。……あんまりにも、出来すぎている」

「つまり、これは」

「罠だ。……おそらくは、お前を屋敷から引きずり出すための。あるいは、お前の治癒の術を、実際にこの目で確かめるための」


トムが、緊張した面持ちで口を挟んだ。


「では、その集落には」

「行かせない。……だが、ここで何もしなければ、向こうは次の手を打つ。手を変え、品を変え、こちらが応じるまで、続けるだろう」


ノエル様は、地図から目を上げて、私を見た。


「シエル。……お前の考えを聞かせてくれ」


不意の問いに、私は一瞬、言葉を探した。以前なら、命令を待つだけだった。今は違う。この人は、私の判断を、戦力の一部として数えている。


「……罠だと分かっていても、怪我人が本当にいる可能性は、捨てきれません」

「ほう」

「行商が怪我人を演出しているのか、それとも、本当に誰かが怪我をしているのか。もし後者なら、見捨てることは、屋敷の名に関わります。……それに」

「それに?」

「罠だと分かっているなら、踏む側も、備えができます。……向こうが見たいものを、こちらの条件で見せる。それも、一つの手だと思います」


ノエル様は、しばらく黙っていた。それから、口元に、微かな笑みを浮かべた。


「……いい目をしてるな。今日のお前は、俺より一枚上手だ」

「そんなことは」

「いや、認めよう。……よし、乗る。ただし、こちらの条件でだ」



 計画は、迅速に組まれた。集落へ向かうのは、私と、警備の兵二名。表向きは「領主の慈悲による、治療の使い」という形だ。ノエル様自身は屋敷に残り、シュピを守る。トムは、集落の手前の街道に待機し、何かあればすぐ屋敷へ走る伝令役に回った。


「シエル」


出立の直前、ノエル様が、私にだけ聞こえる声で言った。


「向こうが見たいのは、お前の血だ。……絶対に、見せるな。治癒は、『術』として振る舞え。血を使うところを、誰にも見せるな」

「……かしこまりました」

「それと、万一の時は、逃げろ。お前の強さは、勝つためにあるんじゃない。……帰ってくるためにある」


その言葉を、私は懐の深くに収めて、屋敷を出た。

集落までは、馬で小半日の道のりだった。昼下がりの街道は、人影もまばらだった。護衛の兵二人が、前後を固める。私はその間で、周囲の音を絶えず聞いていた。鳥の声、風の音、草の擦れる音。不自然な静けさは、まだ、ない。


集落は、思っていたより小さかった。二十戸に満たない家々が、細い川沿いに並んでいる。畑仕事の人々が、私たちの姿に気づいて、手を止めた。


集落の長らしき老人に案内され、私は、件の行商が滞在しているという家へ向かった。土間の奥の寝台に、若い男が一人、うなされていた。右腕が、粗末な添え木で固定されている。


傍らには、行商風の男が立っていた。歳の頃は四十前後。痩せて、眼鏡をかけている。

その姿を見た瞬間、私の中で、いくつかの点が、静かに繋がった。宿の女将の証言——痩せ型、眼鏡、丁寧な話し方。学者を名乗って、一ヶ月近く、あの宿に滞在していた男と、特徴が一致する。


「……エステル領の、お使いの方ですかな」


男は、丁寧に頭を下げた。物腰は柔らかい。声の調子も、穏やかだった。だが、その目だけは、宿の下働きの少年が言った通りだった。優しい声で話すのに、目は笑っていない。値踏みするような目。


「はい。怪我人がいると聞きました」

「ありがたい。この者は、私の商い仲間の息子でして。……荷馬車から転げ落ち、腕を。……このあたりには、医者もおらず」


私は、寝台に近づき、男の腕を見た。腫れは、本物だった。骨折の形も、添え木の当て方も、演出にしては自然すぎる。

……本当に折れている。


内心で、小さく驚いた。罠のために、仲間の腕を実際に折ったのか。それとも、本当の事故に乗じたのか。どちらにしても、この男たちの覚悟の程が、見える思いがした。


「治療を、始めます」

「……お願いします。ところで、お嬢さん。噂では、特別な術をお使いとか」

「薬と、手当てです。特別なものではありません」

「ほう。……しかし、あの屋敷には、不思議な噂がつきまといましてな。銀の髪のメイドが、傷を一瞬で癒した、と」

「噂とは、そういうものです」


私は平静を保ちながら、懐の小袋から、治療用の軟膏と布を取り出した。このために、ノエル様と打ち合わせた段取りがある。表向きの手当てを丁寧に行い、その裏で、ごく微かな治癒の力を、布越しに忍ばせる。血は使わない。使えば、速い。だが、それは見せられない。


手順は、いつも通りだった。腫れの具合を確かめ、添え木を掛け直し、軟膏を塗る。動きの一つ一つを、私は正確に、しかし、あえてゆっくりと行った。急ぐ理由はない。見せるべきものは、こちらが決める。


男は、それを、じっと見ていた。私の指先を。布の動きを。そして、私の顔を。


「……お嬢さん」

「はい」

「その髪。……ご両親も、銀色なのですかな」

「存じません。……親の顔は、知らないので」

「それは、失礼を。……しかし、珍しい色だ。南の国の血筋か、あるいは」


男の言葉を、私は、丁寧な無視で流した。治療は、予定通りの時間をかけて終えた。布を解いた時、男の腕の腫れは、わずかに引いている。通常より少し早い、程度の回復。それが、見せてもいい範囲だった。


「数日、安静に。……それ以上のことは、町の医者へ」

「……感謝します、お嬢さん」


男は、深々と頭を下げた。その頭が上がった時、目の奥に浮かんでいたものを、私は見逃さなかった。——見切れなかった、という色。

こちらの出方を読めなかった、という悔しさに似た、粘りのある光。あの男は、今日の観察で、ほとんど何も得られなかった。得られなかったからこそ、次は、もっと強い手を打ってくる。


家を出て、私は護衛の兵に目配せをした。帰路につく。一歩ごとに、背後の気配を意識しながら。

集落を出て、街道に戻った、ちょうどその時だった。


「——お嬢さん」


後ろから、声をかけられた。振り返ると、件の行商の男が、小走りに近づいてくるところだった。護衛の兵が、反射的に間に入る。


「何か」

「お礼を、申し忘れまして。……これを」


男が差し出したのは、小さな布包みだった。包みの端から、銀色の糸が覗いている。上等な品だ。


「結構です。礼は、要りません」

「どうか。……そうそう、もう一つ。お尋ねしたいことが」


男は、一歩、間合いを詰めた。その瞬間、私の全身が、微かに張り詰めた。


「お嬢さんの、その布で拭った……手の傷。……いえ、何。治療の際、お嬢さんご自身も、指を少し切っておられたように見えまして。……お大事に、と」


その言葉の意味を、私は理解するのに、一拍、要した。


——今日、私は、指を切っていない。


軟膏を塗る際、道具で指を傷つけるようなことはなかった。つまりこの男は、私が「血を流す場面」を見たかった。見られなかったから、最後に、こうして揺さぶりをかけてきた。私が何かを隠しているなら、その言葉に、わずかでも反応を見せるだろう、と。


「……ご心配なく。私は、怪我をしておりません」


私は、表情を変えずに答えた。男は、一瞬だけ、目を細めた。それから、にこやかに頭を下げ、踵を返した。


「では、ご機嫌よう。……また、どこかで」


その背中を見送りながら、私は確信していた。あの男は、諦めていない。今日は観察で終わったが、次は、血を引き出すための場を、自分で作るだろう。屋敷への帰路、私は馬の上で、ずっと考えていた。

あの男の粘り強さ。仲間の腕を折ってでも罠を張る執念。そして「血統の特徴」という言葉で、この私を追っている組織の、まだ見えない目的。


すべてが、まだ繋がりきらない。だが、一つだけ、はっきりしていることがあった。向こうが本性を現し始めた以上、こちらも、いつまでも静観しているわけにはいかない。



 夕暮れ、屋敷の門が見えた時、玄関の前に、小さな人影が立っていた。シュピだった。私の姿を見つけると、駆け寄ってくる。


「お姉ちゃん!おかえり!」

「ただいまです、シュピ」

「怪我、なかった?変な人、いた?」

「……少し、変な人はいました。でも、大丈夫でしたよ」

「よかった……。ねえ、鳥、持ってた?」

「ええ。ずっと、懐に」


シュピは、それだけで安心したように笑った。私は、その頭に、そっと手を置いた。

書斎にて、ノエル様に一部始終を報告した。男の正体が宿の学者と同一人物であること、怪我人は本物だったこと、そして、最後の揺さぶりの言葉を。


ノエル様は、顎に手を当て、しばらく黙っていた。


「……揺さぶり、か。こちらの反応を測るために、わざと『指を切った』と言った。……悪趣味な手だが、利いた手だ。お前が動揺していれば、それで証拠になった」

「はい。……ですが、問題は、その次だと思います」

「ああ」


ノエル様は、立ち上がって、窓の外を見た。


「見せて得られなかったなら、次は、無理やりにでも引き出そうとする。……お前が思っている通りだ」

「ノエル様。……私から、一つ、申し上げてもよろしいですか」

「言え」

「向こうが動く前に、こちらから動きませんか。……あの男たちが、今どこにいて、次に何をしようとしているか。待っているだけでは、いつか、シュピや、屋敷の人たちの側に、その手が届きます」


書斎に、静寂が落ちた。ノエル様は、振り返って、私の顔を見た。その目には、いつもの柔らかさと、当主の厳しさとが、半々に混ざっていた。


「……お前が、そう言うのを、俺は待っていたのかもしれん」

「ノエル様」

「だが、シエル。……動くなら、負けるわけにはいかん。向こうの一枚上を行かなければ、お前たちを危険に晒すだけだ」

「はい。……ですから、準備が要ります。向こうの次の一手を、こちらが先に読むための」


ノエル様は、ゆっくりと頷いた。窓の外、夜の帳が、街の灯りを一つずつ呑み込んでいく。


「……明日の朝、全員を集める。……ここからは、攻める側の算段だ」


その言葉の響きに、私は静かに、しかし深く頷いた。受け身の日々は、今日で終わる。次に動くのは、こちらだ。そう心に決めて、私は書斎を辞した。廊下の窓から見える夜の街は、いつもと変わらない灯りを灯していたが、その灯りの届かない場所で、確かに、何かが動き始めていた。

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