↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦姫メイド  作者: 白彩
近づく足音
PR
20/43

第八話:広まる噂

白彩です。皆様が読んでくださるおかげでもうすぐ500PVに到達しそうです。

この作品に目をかけてくださっている方には本当に感謝しかないです。なるべく毎日投稿できるように心がけますので、これからもよろしくお願いします。

朝、屋敷はまだ昨夜の名残を引きずっていた。北門の脇に積まれた壊れた板、割れた窓に張られた応急の布、庭の敷石の欠け。使用人たちが総出で片付けに動いていたが、完全に元通りになるには、まだ数日かかりそうだった。土に染み込んだ血の跡は、朝露と混じって、黒っぽい染みになっていた。誰かがそこに、新しい土をかぶせているのが見えた。


「シエルさん、おはようございます。……その、大丈夫ですか。傷」


トムが、私の肩の包帯にちらりと目をやって聞いた。手には、割れたガラスの破片を集めた箱を抱えている。


「大丈夫です。動きに支障はありません」

「無理しないでくださいね。……昨日は、本当、生きた心地しなかったです。心臓、口から出るかと思いました」

「トムさんは、詰め所へ走ったのですよね」

「はい。……最初、何が起きたか分からなくて。灯りが消えたって聞いて、頭が真っ白になって。でも、体は勝手に走ってました」


トムは、そう言って、少し笑った。自分でも不思議そうな笑い方だった。


「シエルさんみたいに、剣が使えたら良かったんですけど。あの時、俺、何もできなくて」

「詰め所へ駆けつけて危険を知らせてくれたのは、トムさんです。それが、一番大事な役割でした」

「……そう、ですかね」

「そうです。誰かが最初に気づかなければ、私たちはもっと遅れて動くことになりました」


トムは、少し照れたように頭をかいて、ガラスの箱を抱え直した。


「じゃあ、俺、片付け続けます。……あ、朝ごはん、いつも通りの時間でいいですか」

「お願いします」


朝食の席で、ノエル様は既に書類を広げていた。詰め所からの報告書、負傷者の一覧、修繕にかかる費用の概算。いつもの、少し抜けた雰囲気は鳴りを潜めていた。目の下に、薄っすらと隈があった。


「シエル、座れ。……朝飯の前に、聞いてほしいことがある」

「はい」

「まず、警護を倍に増やす。詰め所に増員を要請した。今日の午後には、街から応援が来る」

「はい」

「それと、離れの周りに、常時二人配置する。夜間だけじゃない。昼間もだ」

「シュピの負担にならないでしょうか」

「負担にはさせない。……あくまで、外を守る形にする。シュピの生活は、今まで通りでいい」


ノエル様の言葉には、迷いがなかった。一晩で、随分と考えを固めたらしかった。書類の余白に、細かい字でいくつもの案が書き殴られている。夜通し考えていたのかもしれない。


「それと、詰め所の隊長に頼んで、街道の巡回も増やしてもらうことにした。屋敷だけ固めても、道中で何かあれば意味がない」

「街道、ですか」

「ああ。特に、北から入ってくる道だ。……あの男の増援が、どこから来たのか。どこへ帰ったのか。それが分かれば、少しは動きが読める」

「痕跡は」

「今朝、護衛に調べさせている。まだ報告は来ていない」


ノエル様は、そこで一度、ペンを置いた。


「両親の来訪、早めるか、遅らせるか、迷ってる。……早めれば、こっちの守りが薄い時期に呼ぶことになる。遅らせれば、向こうが心配して勝手に来かねない」

「どちらが、危険は少ないでしょうか」

「分からん。……ただ、遅らせて、向こうが独断で来た方が、たちが悪い気がする。うちの親父、心配性のくせに、こういう時だけ妙に行動力があるんだ」

「行動力」

「昔、俺が熱出して寝込んだ時、隣町の医者を無理やり馬車で連れてきたことがある。それも、真夜中に」


少しだけ、空気が緩んだ。ノエル様なりの、緊張をほぐす一言だったのかもしれない。


「では、早めますか」

「いや。……手紙で、事情を伝える。今は来るな、と。落ち着いてから、こちらから招く、と書く。……今回ばかりは、行動力を発揮されると困る」


実務的な判断だった。感情ではなく、状況を見た判断だ。私はそれを、黙って聞いていた。


「シエル。お前の意見は」

「賛成です。今、屋敷に人が増えるのは、守るべき対象が増えるということでもあります」

「……そうだな。増やせば安全になるわけじゃない。守る場所が増えるだけだ」


ノエル様は頷いて、書類の一枚にペンを走らせた。走り書きの文字は、いつもより乱れていた。

朝食の後、離れに向かった。シュピは、思ったより普段通りの顔をしていた。窓辺に座って、外を眺めていた。


「お姉ちゃん、おはよう!」

「おはようございます、シュピ。……よく眠れましたか」

「うーん、あんまり。でも、大丈夫」


大丈夫、という言葉に、力みはなかった。本当に、大丈夫そうだった。私が想像していたよりも、ずっと軽い調子だった。


「怖くなかったのですか」

「怖かったよ、めちゃくちゃ。でも、朝になったら、なんか、平気になってた」

「平気」

「うん。……前にいたところでも、似たようなこと、何回かあったから。慣れてる、っていうか」


慣れている、という言葉の重さを、私は測りかねた。慣れることが良いことなのか、悪いことなのか、その判断は、私にはまだつかなかった。


「シュピ、無理はしていませんか」

「してない。……あ、でも」


シュピは、少しだけ声を落とした。


「昨日の夜、ちょっとだけ、震えてた。お姉ちゃんが来てくれるまで」

「知っています」

「知ってた?」

「見ました。膝を抱えていましたね」

「……あれ、見られてたのか。恥ずかしいな」


シュピは頭をかいて、それから、少し笑った。強がりだと分かる笑い方だった。だが、無理に隠そうとする強がりではなく、既に半分は本当に立ち直った上での、残り半分の強がりだった。


「シュピ。無理に平気なふりをする必要は、ありません」

「してないよ、平気なふり。……ほんとに、平気なところと、平気じゃないところが、両方ある。それだけ」


その言い方に、私は少し驚いた。感情を、単純な二択に押し込まず、両方あると言い切ったことに。


「両方、というのは」

「怖かったのは本当。でも、お姉ちゃんが守ってくれるって分かったのも本当。だから、今は、後の方が強い。それだけの話」


言葉が、いつもより整理されていた。年齢の割に、と思いかけて、その考えを止めた。年齢で測れるものではない。この子は、ここに来てから、大人が何年もかけて学ぶようなことを、既にいくつも通り抜けてきている。


「シュピ、朝ごはん、食べましたか」

「まだ。お姉ちゃんと一緒に食べたい」

「では、運びます」


朝食を運びながら、シュピはぽつぽつと、昨夜の記憶を話した。恐怖の話ではなく、聞いた音の話だった。剣のぶつかる音、窓の割れる音、誰かの怒鳴り声。


「音だけで、色々分かるんだよ。強い人の音って、なんか、違う」

「違う、というのは」

「うまく言えないけど……重い、っていうか。お姉ちゃんの音は、いつも軽いのに、あの時だけ、ちょっと重かった」

「重かった、ですか」

「うん。……怖かったんだと思う。お姉ちゃんも」


その指摘に、私は少し黙った。怖かったかどうか、自分では判別がついていなかった。判別のつかないまま、頷いた。


「そうかもしれません」

「でも、勝ったんでしょ?」

「勝ってはいません。逃げられました」

「でも、僕たちを守ってくれた。それで、十分だよ」


その言葉に、また、名前の付けられない感情が動いた。



 昼過ぎ、私は用事があって街に出た。薬屋で、傷薬を買い足すためだった。頭巾を被り、髪を隠して出た。ノエル様の指示ではなかったが、自分の判断だった。街の空気が、昨日までと違っていた。人々の話し声が、いつもより低く、それでいて、あちこちで途切れずに続いていた。


「聞いたか、昨日の夜」

「エステル家に、賊が入ったって」

「賊っていうか、暗殺者だろ。何十人も来たらしいぜ」


声が、あちこちから聞こえてきた。薬屋の店主も、私に気づかず、隣の客と実際に起こったことより、尾鰭(おひれ)がついた噂話をしていた。


「エステル家、大丈夫なのかね。当主様、怪我されたって話も」

「いや、無事だって聞いたよ。護衛の人が、賊を全員叩きのめしたとか」

「その護衛、例の銀髪のメイドだろ。噂の」

「ああ、あの。……本当に、只者じゃないんだな」

「俺が聞いた話じゃ、剣一本で斬ったらしいぜ」

「そりゃ盛りすぎだろ」

「いや、本当だって。うちの隣の親父が、詰め所の知り合いから聞いたって」


噂は、既に何段階も歪んでいた。五人の賞金稼ぎと一人の回収者という事実が、「何十人もの暗殺者」になり、あるいは「ノエル様の負傷」になり、「剣一本で凌いだ護衛」にまで膨れ上がっていた。事実の輪郭は残っているのに、中身がまるで別物にすり替わっている。


これが、噂なのだろうか。誰かが売り、誰かが買い、値段がつくたびに、中身が少しずつ変わっていく。噂は、真実よりも面白い形を好む。面白い形の方が、遠くまで運ばれる。薬屋の店主が、ようやく私に気づいた。


「あ、いらっしゃい。……何にする?」

「傷薬を。いつもの」

「はいよ。……あんた、エステル家の使用人だったよな。昨日、大変だったんじゃないの」

「多少は」

「多少って……。いや、無理には聞かないけどさ。街の連中、色々言ってるから、気にしないでな」


店主は、それ以上詮索せず、薬を包んでくれた。その気遣いに、少しだけ救われた気がした。薬屋を出ると、見知らぬ女に声をかけられた。


「あの、すみません。もしかして、エステル家の……」

「はい」

「昨日、大丈夫でしたか。街でも、大変な騒ぎだって」


女の目に、好奇心と、僅かな怯えが混じっていた。私を見る目に、これまでとは違う種類の視線が加わっていることに気づいた。畏怖、と呼ぶべきものかもしれない。


「屋敷は無事です。ご心配、ありがとうございます」

「そう、ですか。……あの、本当に、銀髪の魔法使いだって聞いたんですけど」

「魔法使いでは、ありません。ただの、護衛です」

「でも、剣だけで、あんな大勢の賊を……」

「大勢、ではありませんでした。実際は、それほど多くありません」


女は、納得したのかどうか分からない顔で、頭を下げて去っていった。訂正した言葉が、どこまで届いたのか、分からなかった。恐らく、この会話自体が、また新しい形の噂になって、誰かに伝わっていくのだろう。


 市場を抜ける途中、露店の主人たちが集まって話しているのが見えた。近づくと、話題はやはり昨夜のことだった。


「北の連中が絡んでるって噂もあるぞ」

「北?なんでまた」

「知らねえよ。ただ、最近、北から来た商人が、妙に子供のことばっか聞いてたって話、覚えてるか」

「ああ、あれか。……まさか、繋がってんのか」

「さあな。でも、こうも色々重なると、勘繰りたくなるだろ」


その会話に、私は思わず足を止めかけた。孤児院で聞いた行商人の話と、同じ種類の噂が、街の別の場所でも囁かれている。噂同士が、私の知らないところで、勝手に繋がり始めている。


屋敷に戻る道すがら、噂の広がり方について考えた。噂は、誰かが意図して広めているわけではない。ただ、口から口へ渡るたびに、面白い方へ、面白い方へと形を変えていくだけだ。悪意はない。悪意がないからこそ、止めようがない。だが、悪意がないからといって、無害だとは限らない。噂は、その気になれば、正確な情報よりも遠くまで、正確な情報よりも早く届く。



 夕方、屋敷に戻ると、詰め所からの応援が既に到着していた。見知らぬ護衛が数人、門の周りに立っている。屋敷の輪郭が、昨日までと少し変わって見えた。制服の色が違う者たちが混じっているせいだろうか。


「シエル、街の様子は」

「噂が広がっています。実際より、大きく」

「大きく、というと」

「賊の数が何十人に膨らみ、ノエル様が負傷したことになっていました。……私が、魔法使いだという噂も」

「そうか。……もう少しで、俺が一人で何百人斬った話になりそうだな」

「笑い事ではありません」

「分かってる。分かってるが……笑うしかないだろ、これは」


ノエル様は苦笑した。


「噂は、放っておくしかない。訂正しようとすればするほど、余計に広がる。……それより、気になる話は聞いたか」

「北の商人が、子供の人数を気にしていたという噂です。孤児院の証言と、同じ種類のものが、市場でも囁かれていました」


ノエル様の表情が、僅かに硬くなった。


「同じ、というのは、繋がりがあると思うか」

「分かりません。ただ、偶然にしては、共通点が多すぎます」

「……調べさせよう。詰め所に、頼んでみる」


ノエル様は、そこで一度、深く息を吐いた。


「噂は放っておくしかないが、そこに紛れて動いている連中は、放っておけない」

「はい」

「ただ、気になるのは」


ノエル様は、声を落とした。


「噂が広がれば広がるほど、あの組織にも情報が届きやすくなる。お前の血のことも、シュピのことも」


その懸念は、私も抱いていた。噂は、街の人々の間だけで消費されるものではない。買い手がいる限り、それは価値のある商品として、然るべき場所に流れていく。


「対策は、ありますか」

「今のところ、守りを固める以外にない。……あとは」


ノエル様は、少し考えてから言った。


「お前とシュピを、あまり人前に出さないようにする。今後しばらくは」

「シュピの訓練は」

「屋敷の中でやる分には構わない。ただ、街に連れて行くのは控える」

「私の外出は」

「必要最低限にしてくれ。……お前がいないと困る場面が多いのは分かってる。だが、今は、目立たない方がいい」


それは、シュピにとって窮屈な制限になるかもしれなかった。だが、必要な措置だとも分かった。


「承知しました。従います」

「悪いな。窮屈にさせて」

「窮屈さより、安全を優先します」


ノエル様は、少しだけ、安心したような顔をした。


 夜、離れにシュピの夕食を運んだ。制限のことを伝えると、シュピは一瞬だけ肩を落としたが、すぐに顔を上げた。


「分かった。……仕方ないよね、こんな騒ぎになったんだし」

「不満は、ないのですか」

「あるけど。……でも、お姉ちゃんたちが、僕のために色々考えてくれてるの、分かるから」

「シュピ」

「なに?」

「強くなりましたね」


言ってから、少し照れくさくなった。だが、本当にそう思った。この一日で、シュピは昨夜の恐怖を、自分なりのやり方で乗り越えようとしていた。


「強くなったかな。……分かんないけど、お姉ちゃんが強いから、僕も頑張らなきゃって思っただけ」


その言葉に、何かが胸の中で緩んだ。名前を付けられそうで、付けられない感覚だった。


「シュピ、明日も、庭には出られませんが」

「うん、聞いた。……代わりに、離れの中で練習していい?」

「構いません。何を練習しますか」

「火を長く灯す練習の続き。三十秒、絶対に超えたい」

「頑張ってください」

「お姉ちゃんも、見に来てね」

「時間があれば」

「時間、作ってよ」


シュピは、そう言って笑った。昨夜のことなど、まるでなかったかのような笑顔だった。だが、まるでなかったわけではないことを、私は知っていた。ただ、この子は、なかったことにする方法ではなく、乗り越える方法を、既に選んでいるだけだった。



夜遅く、自室で日誌を開いた。手が、昨夜ほどではないが、まだ僅かに重かった。


『本日の血液消費量:一滴。

用途:門の応急補修(微量)。


備考一:屋敷の修繕、進行中。負傷者は全員、快方に向かっている。トムをはじめ、使用人全員が普段以上に働いている。


備考二:街に、昨夜の襲撃の噂が広がっている。内容は大きく誇張されている。「何十人もの賊」「ノエル様の負傷」等。事実とは異なる部分が多い。


備考三:市場にて、北の商人が子供の人数を気にしていたという噂を耳にした。孤児院での証言と共通する内容。偶然か、繋がりがあるかは不明。ノエル様が詰め所に調査を依頼。


備考四:警護倍増。応援の護衛、本日到着。離れの周辺に常時二名配置。


備考五:両親の来訪、延期を決定。ノエル様が手紙で事情を説明する予定。


備考六:シュピの様子、良好。恐怖はあったが、立ち直りが早い。本人曰く「怖かったのは本当、でも今は後の方が強い」とのこと。音だけで人の状態が分かるとも言っていた。


備考七:ノエル様より、噂の拡散が組織側への情報提供になりうるとの懸念。当面、シュピと私の外出を控えることに。』


筆を止めて、窓の外を見た。応援の護衛が、灯りを持って庭を巡回している。昨日までとは違う、少し賑やかな夜だった。賑やかさの中に、微かな不安が混じっている。それが、今の屋敷の空気だった。

離れの灯りは、今夜も点いていた。今夜は、いつもより少しだけ長く灯っているように見えた。三十秒の練習を、まだ続けているのかもしれない。

ご拝読ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。